2011年5月30日月曜日

「エクソシスト3」に思う.

「エクソシスト3」という映画はあまり話題にならないけれど,
私は,少なくともベスト10くらいには入る
ホラー映画ではないかと思っている.
私は学生時代にこの作品を観たのだけれど,
詳細はすっかり忘れてしまったが,
その後味の悪さが今でも心に残っている.

実は,このブログのタイトルも,
この映画に由来する.
もちろん,映画「素晴らしきかな,人生!」が元ネタだけど,
この「エクソシスト3」の中に,この映画のタイトルが,
皮肉として登場する.

内容は,「エクソシスト」で祓われた悪霊が,
別の人間に次々と移り変わり,
自分を祓った関係者を殺していくというもの.
「エクソシスト」で出てきたキンダーマン警部が,
殺人事件を追い,事の真相に迫る.
そして,悪魔と対決するという話である.

まったくスプラッタムービーではない.
ゾンビも出てこないし.
ただ心理的に非常に怖い.
殺人において,首を切断したあと,
意識がなくなるまでの時間,
首を立てて自分の胴体を見せるとか,
また別の殺人では,全身の血を抜いて
その血をコップに入れてテーブルの上に
並べたりするとか,
猟奇的な行為は本当に怖い.
観ているこちらが,その場面の裏を
想像してしまうから,さらに怖い.
一方で,画像は非常にアーティスティックで
悲惨な現場も一種美しく感じられるほどである.
だからこそ,強い印象を残す.

正直言うと,一度学生のときにビデオで観て以来,
この作品は観ていない.
なのに,どうして今日この話題か,というと,
この作品で悪魔は別の人に取り憑いて,
同じような犯行を繰り返す.
つまり,意識,記憶が別の身体に乗り変わるということである.

今日,ふと,私のこの身体と心も変わらないと思ったのである.

私の身体は,毎日の食物の摂取と排泄によって,
日々更新されている.
生物学的な話はよくわからないけれど,
人間の身体は数年もすれば,すっかりと新しいものに
置き換わっているのだ.
(以前,9年あれば,すべての細胞が入れ替わると
聞いたことがあるけど,真偽のほどはわからない)
しかし,この私の意識は連続性を保っており,
1年後の私も私である.
つまり,身体であるハードウェアは更新されているが
(バージョンアップだけとは限らないのがつらいが)
意識に相当するソフトウェアと記憶に相当するデータは
つぎつぎと新しい入れ物に移し替えられていくのである.
別の容器に移し変わるという点では,
「エクソシスト」の悪魔と同じである.

もちろん,意識は身体性なくては成立せず,
まったく別の身体に,あるいは同じ身体でも
時間的な連続性無しに移し替えることは
できないのだろうけれど,
こうした考えは,心が身体に宿るという宗教観に
親和性があり,人々に受け入れやすいと思われる.

一方で,一週間後の自分は他人だと思うようにして,
いろいろなメモや文章を残すようにしている.
わかっているつもりでも,一週間も経てば,
たとえキーワードをメモに残していたとしても,
全容を思い出すのは難しくなってしまう.
身体には連続性があっても,意識には欠落のような
不連続があるのだ.

意識が私なのか,身体が私なのか,
そしてどちらが連続して,どちらが不連続なのか,
なかなか単純にはいかない話なのである.
しかし,「エクソシスト」や「エクソシスト3」などを観ると
意識の転移が,映画だけの話にとどまらないことに気づく.
今日の「私」は,明日は別の入れ物に入っていると
考えても不思議ではないのかもしれない.

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