2011年5月7日土曜日

「奇跡」に見合うだけの「絶望」を:「魔法少女 まどか☆マギカ」

今日は休日なので(出勤したけど(涙)),
くだけた話題で.

私はすでに40歳を過ぎたオヤジだけれど,
アニメもたまに観ている.
(少し恥ずかしい...)

とはいえ,内容についていけない
(面白く感じない)番組が多いので,
続けて毎週観るというものは少ない.

私の趣味では,かなりビターな内容のものが
好みである.
ビターというのは,はっきり言ってしまえば,
欝な内容ということで,
中途半端なコメディや恋愛ものは全然ダメ.
単純に女の子の戦士が活躍するなどという
内容もすぐに飽きてしまう.
そしてハッピーエンドはダメなのである.

以前だったら,「ブギーポップ」とか,「Lain」とか...
(古くてごめんなさい)といったあたりで,
最近では,「鋼の錬金術師」がお気に入りだった.
これも大変な人気作品だったけれど,
内容はかなりビターだった.

錬金術というのは,等価交換が原則で,
人間を錬成しようとすると,それなりの代償を
払わなければならず,主人公とその弟は
死んだ自分の母親を錬成しようとしたために
腕や足,弟は体全部を失ってしまったという話である.
(そしてそれを取り戻すために「賢者の石」を探す)
途中,自分の子どもをキメラ化する錬金術師がいたり,
戦争の話があったりして,かなり救われない話だった.
でも毎週見ずにはいられない話でもあった.

そんな私が最近,「これは」と思ったのが,
「魔法少女 まどか☆マギカ」である.
主人公などの姿をみると,なにか「萌え系」(古い!)の
アニメのようだけれど,内容はかなりビターだった.

魔法少女のお話の世界に「等価交換」の法則を
持ち込んだらどうなるか,という,
これまでの常識を破る設定で,
少女たちがひとつだけ願いを叶えてもらえる代わりに,
魔法少女になって世の中に災いをもたらす「魔女」と
戦う契約をする,という話である.

ネタバレで申し訳ないが,主人公まどかは
全12話の最終話でようやく魔法少女となる契約をするのである.
では,初回からそれまでまどかは何をしているか?
主人公は,魔法少女になるのをためらっているのである.
また,叶えてもらう願いを探しているのである.

最初は単なる魔法少女への憧れだけだったものが,
「願いを叶える」ということが,「等価交換」が成り立つ
この世界でどのような意味を持つことになるかを
かなりハードな経験を通して理解していくのである.
すなわち,この世界で「奇跡」とよばれるような
常識を無視したような願いが叶えられるということは,
それに見合うだけの「絶望」が契約者を襲うという
設定なのである.
そして実は,その絶望が極まったとき,魔法少女は
「魔女」となって,世界を呪い,災いをもたらすものと
なるという,皮肉な結末が用意されているのだ.
(そして,新しい魔法少女*1に倒される運命)
これをまどかは理解してなお,魔法少女の契約をする.
そのプロセスが,11話をかけて描かれるのである.
(これだけでも,どれだけ画期的な話かわかるなぁ)

これまで,「魔法少女」といえば,
都合が良い魔法を使えるのが当たり前の設定だった.
そこに,「等価交換」の法則を持ち込んだのが
この作品の斬新さなのである.
そして,その結果,かなり凄絶な話となった...

最終話を見終わったときも,
最後に,登場人物たちは救われたのかどうなのか,
私にはよく判断できない.
たぶん,ハッピーエンドではないような気がする.
こんなふうに終わるのがよかったのかどうかも
わからない.
そんな結末だった.

---(ここから先は少し話が変わって...)

この作品のキモは「等価交換」であると思う.
その背景には,人生は「幸・不幸が同量である」という
考え方があるのではないかと思う.
つまり,この人生,良いこともあれば悪いこともあり,
収支はトントンになるのだという考え方である.

私は,この「人生幸・不幸同量」の法則は
現実には成り立っていないと思う.

ずっと幸せな人生を送る人もいるし,
不幸な出来事だけで人生を終える人もいる.
(今回の震災をみても,また小さい頃に
亡くなる人を考えてもそれは明らかだ)

だから,現世で報われない人たちを救うために,
輪廻転生やカルマという考え方で
宗教が発展してきたのだ.

実際,現世しか考えない儒教が普及していた
中国では,現世における人生を良くするために,
賄賂など使うのもやむなしという考えが根強いという.
この現世で報われなければ,その先はないのだから.

人生で起こる事象には,
もともとプラスもマイナスもないはずである.
人がその事象をどのように捉えるか,ということが
あるだけなのだろうと思う.
もちろん「自然」がそうであるだけであって,
私たちはそれに納得はなかなかできないことであるけれど.

もしかすると,良いこと(プラス)と悪いこと(マイナス)が
起こる確率は正規分布になっていて,
その中心値はゼロになるのかもしれない.
しかし,プラス側に寄っている人もいるだろうし,
マイナス側に寄っている人もいるのだろう.
それが,人生の運の良さ・悪さということになる.

しかし,私たちの考え方ひとつで,
そうした世の中でも明るく生きて行く努力はできる
逆にいうと,それだけしかできないのだ.

---(ここから先はまた話がもどって...)

「まどか」は,私にあらためて
「等価交換」について考えさせてくれた.
しかし,現実には「等価交換」は成り立っていない.
たとえば,努力は必ずしも報われるとは限らない.
「希望」が「絶望」を生むとも限らない.
それでも人生はビターであることを
「まどか」は思い出させてくれた.

「魔法少女」というファンタジーな世界に,
「等価交換」の設定を持ち込んだのは,
はっきりいって,反則である.
しかし,これが「ガンダム」や「エヴァ」と同じように,
歴史的に語られる作品になったことは間違いない.

主人公の萌え系な姿を見て,
作品を見るのを敬遠するのはもったいない.
そんな40を過ぎたオヤジが推薦できる作品なのである.

#デザインといえば,魔女のデザインが秀逸.


*1 「魔女」と書いてあったのを「魔法少女」に直しました(June 21, 2011)

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