2011年5月23日月曜日

カラヤンの指揮に人間の凄みを感じる

演奏が好きな音楽家は誰か,と聞かれると
本当に困ってしまうのだけれど,
単純に「好きな」音楽家と聞かれれば,
私はたぶんヘルベルト・フォン・カラヤンであろう.
ときどき好みは変わるので,断言はできないけれど,
ずっと上位3位以内に入っているような気がするから,
やっぱり好きなのだ.

カラヤンのどこが好きかと言われると,
説明が難しい.
音楽的には素晴らしい,と思う.
しかし,全面的に彼の音楽が好きかと言われると,
そうとも言えないのも事実.
彼のモーツァルトやマーラーの録音を聴いても
あまりいいとは思えないし,
晩年のベートーベンの交響曲の録音にも
あまり手が伸びない.
まぁ,R.シュトラウスやブラームス,
最晩年のブルックナーなどは大好きなのだけれど.

そんな私が,やっぱり彼のオーラを感じずに
いられなかったのが,彼の最晩年の映像となる
1987年のザルツブルク音楽祭のドキュメンタリー.
このときはワーグナーが演奏されて,
そのライブ録音のCDを私も持っているのだけれど,
そのときのカラヤンの指揮が本当に素晴らしい.
特に,ジェシー・ノーマンとの「トリスタンとイゾルデ 愛の死」
映像は彼の才能がやはり卓越したものだったのだろうと
思わずにはいられないものである.

単に映像を見ているだけなのに,
次第に彼の指揮から目が離せなくなる.
まるでこちらの心に直接働きかけてくるような指示.
彼の顔の表情や指の動きを追わずにはいられなくなる.

指揮ぶりに魅了されるといえば,カルロス・クライバーも
その一人だけれど,彼には天から与えられた才能が
ほとばしっているように感じられる.
(本当はそうではなかったという話もあるけれど)

しかし,カラヤンの指揮は,すべてを知り尽くしたような,
すべてが彼のコントロールのもとに進行していくような,
それでいて,不自然さを感じさせない,そんなひとつの
理想型があるように思われる.

このときすでにカラヤンは長時間立って
指揮をすることができなかったし,
昔のように目を閉じて指揮棒を持たないで
かっこつけて指揮することもなかった.
しかし,このおじいさん,そんなことをしなくても本当にかっこいい.
すべての音が,このおじいさんの指先から
発せられているような,そんな凄みがそこにある.
「魔法」と呼ぶほど軽くない.
もっと,もっと重く,深く,人生に根ざしたような力.
それを晩年のカラヤンは感じさせてくれる.

そう,つまり私がカラヤンを好きなのは,
どこまでも人間くさいからなのである.
そして,それでも,神に愛でられた人のみが行ける
ある境地まで到達しているからなのである.

指揮が終わったとき,彼は肩の力を抜いて
ほっと表情が柔らかくなる.
そこにたまらない魅力を感じるのである.
努力に努力を重ねた人間の最終形がそこにあるように.

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