2011年5月25日水曜日

正しい技は,何度行っても正しくなければならない

藤平光一先生が講習会の時にお話されていた逸話.
(藤平光一先生は,本当にお話が面白かったなぁ.
うろ覚えで書きますが...)

茶の道で有名な千利休が茶室を作っていたときのこと.
利休は,大工に対しすべてにおいてコマゴマと指示を出していた.
壁に花瓶をかけるための釘の位置についても,
「もう少し上だ」,やれ「もう少し右だ」,と指示が大変細かい.
ようやく「そこだ!」と位置を定めたのだという.

大工は少々腹を立てて,本当にわかっているのか,
利休を試そうと思ったらしい.
そこで,大工はわざと釘を落としてみた.
ただし,落とす前にこっそり,利休が指示した場所に
釘の先で印をつけておいた.

大工は,ゆっくり釘を拾い,また釘をさす位置をさがすふりをした.
わざと,印の付いた位置をよけて,ふらふらと
釘の先を定めないようにしていると,
利休は先程と同様,「もう少し上だ」,「もう少し左だ」と
細かく指示を出す.
そして,釘を落とす前に印をつけた位置に,
釘の先がきた瞬間,
「そこだ!」と利休は言ったのだという.

この話で藤平先生がおっしゃりたかったことはこうである.

正しい技というのは,何度行っても間違いがなく
そのとおりに行われるものである.
少しでも違っていては,それは正しくはない.
それは分かる人が見れば分かるものなのである.

ここで藤平先生がおっしゃるのは,技の形ではなく,
その技の理のことをおっしゃっていたのである.
そして,このことは,もちろん合氣道の技に限らない.
「正しい」ことは,何度行っても「正しい」のである.

こんなふうに藤平先生にうかがった話を思い出す.
私の毎日の生活の中に,その教えは活きていると信じたい.

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