2011年10月3日月曜日

学生たちの能力を発揮させるモチベーションはどこにある?

ときどき同じテーマについて書いているのだけれど,
今回もまた書く.

先の電力システム研究交流会は,学生が主となって
研究発表や討論会を運営するのだけれど,
いつもは教員に任せきりな学生たちも
このような機会には,たいへん素晴らしい働きを見せてくれる.
私は,こうした機会に彼らの能力に感動するのだけれど,
それとともに,できるのならば,いつもそうしろよ,と
不平不満も言いたくなるのである.

彼らはやればできるのである.
要は,私たち教員が彼らを信じて
手綱を任せる覚悟さえすれば,
彼らの能力は自主的に発揮されるのである.
今回の交流会だけではない.
そうしたケースを私は何度も見てきた

では,なぜ私たちはすべてを任せないのか?
その大きな理由のひとつに,
彼らのがんばりが長続きしないことがある.

彼らの非常な努力は,今回のこのイベントだけだ,
と思っているからこそ,なされている.
それが日常的に(そう,私たちの業務のように)
行われるようになったら,たぶんうまくいかないだろう.
彼らを努力に駆り立てるうまい動機がないのだ.

楽しいイベントであっても何度も繰り返されたら,
たぶんモチベーションはどんどん下がっていくだろう.
まして私たちのように仕事だとあきらめてやるのでもない.

逆に言うと,そうしたモチベーションをもちうる
環境を学生のみなさんに与え続けることができたなら,
私たち教員はなにもしなくてもいいことになる.

う~ん,なにかよいアイデアはないだろうか.
彼らは能力が無いのではない.
モチベーションが適切に与えられていないだけなのだ.

#このテーマ,なんども繰り返しているなぁ...

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