2011年11月2日水曜日

キコリとキツネ

イソップ物語.

狩人に追われたキツネが,
キコリに出会ってかくまってくれと懇願する.
キコリは,キツネを自分の家にかくまうけれど,
狩人がやってくると,口では「知らない」と言いながら,
キツネは家にいると,こっそりと合図で示していた.
しかし,狩人は慌てていたのでその合図に気づかず
行ってしまった.
キツネは,キコリの家から挨拶もせずに立ち去ろうとすると
キコリはキツネに「お礼もないのか」という.
そしてキツネはキコリに対して,
「こころと態度が同じであればお礼もしたでしょう」と
捨てゼリフを吐いて行ってしまった.


最近,こんな話を思い出した.
いくら恩を受けても,心が異なっていれば,
それは礼をするに値しない.

少なくとも私はそうでないようにありたい.

3 件のコメント:

  1. ドキッとしました。

    最近の夫婦喧嘩で、私が家事や育児をよくやっているのは(=よくやっていると見せつける)、自分の存在証明のためであって、相手のためではなかった、と気づかされました。

    「結果的に助かったんだからいいんじゃない?」というつぶやきも心の中にありました。

    いまでも揺れ動いていますが、このお話を心にとめておきたいと思います。

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  2. Asanoさんは,ご自分に厳しすぎるのではないでしょうか.

    100%自分のため,ということもないでしょうし,相手のためというのもほとんど不可能だと思います.

    そうした判断をグレーゾーンに残したまま,毎日を過ごしていくということでよろしいのではないかと思います.

    たぶん,白黒はっきりつけることなどできないし,そう努力するという行為自体もろくな結果を生むことがないと思います.

    でもできれば,邪心なく人に親切はしたいものですよね...

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  3. ありがとうございます。確かにそういう一面もありそうです。帰って悪い結果を生むような努力はしたくないですから。

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