2011年12月6日火曜日

就活と卒業をてんびんにかけたら

就活といえば,大学は企業の活動に
あまり良い顔をしていない(少なくともうちの大学では).

なぜならば,大学の講義がある平日に,
平気で企業説明会を行い,
学生に講義を休ませることを強いているからである.

それでいて,大学には学生の学力低下の不満を言う.
本当にひどい話である.

昨年も同様の議論があって,ある企業の人が,
大学の授業がつまらないから,企業の説明会に
学生たちは参加するのだ,とコメントしているのを見た.

私はこれは違うと思う.
学生たちは,単純に損得勘定で動いているのだ.

確かに私が行う講義が面白いとは言えないかもしれない.
しかし,講義は自らの実力を養うために重要なものだ.
少しでも向学心があれば,学生たちも出席してくれる.

しかし,卒業後何十年(?)か働く企業の説明会と
いま現在の知的好奇心を満たすためにの講義とを
てんびんにかけたら,
たぶん私が学生だって,企業の説明会の方を選ぶだろう.
つまりは,自分の人生にとってどちらが得かということが
判断基準なのだ.

先に挙げた企業の方には次のように言いたい.
もしも大学が,「就職活動のために講義を休むことあれば,
卒業をさせない」などという(無理な)条件を挙げたら,
ほとんどの人は企業の説明会には出席しなくなるだろう.

企業への就職が,大学の卒業が条件である限り,
大学の講義に出席する方が優先度が高くなるはずだからである.
そのような状況では,企業の説明会は講義が少ない
土日に開催されることが,自然と多くなるだろう.
私は大学がこのようなヘンな条件を出す前に,
企業が自主的にそうしてくれることを望む.

現在は,ただ大学が学生たちに対し,
学業をおろそかにして,就活をすることを
大目に見ているだけなのだ.
それが,この学生たちにかなり不幸な状況を作り出している.
いつか,根本的な対策が打たれるのではないか,
いや,そうなることを私は祈っている.

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