2011年12月30日金曜日

iPhoneを探す: iPhoneが無ければダメ人間

昨日,iPhoneを忘れて出かけてしまった.
バスから降りて,手元に無いことに気づいた.
自宅に置き忘れたのか,途中で落としたのか,
全然覚えがない.

以前,携帯電話を落としてしまったときは本当に往生した.
結局,Softbankに電話して,場所を探してもらったのだけれど,
「一番近いアンテナのポイントから700m圏内にあります」と
言われたって,半径700mの円の中をすべて探すことは
実質不可能である.
その上,「ポイントはどこにあるのですか」と尋ねても,
「それはわかりかねます」としか答えてもらえないのだから,
本当に困ったものである.

しかし,今回は大丈夫であることを知っていた.
iPhoneには,「iPhoneを探す」というアプリがインストールされていて,
それが動いてさえいれば,iPhoneが現在どこにあるのかも,
そこにメッセージを表示させることも,最悪データを消去することも
できるようになっているのである.

学校に着いてPCでiPhoneを探してみる.
IDを入れて探すだけ.
案の定,自宅に青いマークが着いたマップが出て,
一分前に位置を確認したというメッセージが表示された.
iPhoneを自宅に忘れてきたであろうことが分かる.

いやいや,こんなに素晴らしいアプリができているとは.
本当に感心した.
特に物忘れの多い私にとっては,ありがたいツールである.
これで,どれだけ多くの人が助かっていることか.

使い方は簡単.
「iPhoneを探す」というアプリをダウンロードして
インストール.
設定で,「位置情報サービス」で,アプリを動くように
しておけばよい.
無くしたときには,icloudにアクセスして,
IDその他を入力すれば,すぐに探してくれる.
iPhone 4Sでは,最初からインストールされていて,
動作するようにデフォルトで設定されている.
iPhoneが売れるのもわかるような気がする.

しかし当日,私はこうしたアプリがあることを知っているにも
関わらず,本当に不安になっていた.
iPhoneを落としたかどうか,よりも,
iPhoneを使えないことが私をとにかく不安にさせたのである.

新大阪の駅にいたのだけれど,
どうやって大学に戻れば良いのかもわからない.
どこで昼食を食べて良いのかもわからない.
それどころか,iPhoneが無いと,次に何をしたらよいのかさえわからない.
私の生活は,すでにそこまで来てしまっているのである.
iPhoneが私のすべてを管理しており,
iPhoneによってネットにつながることのできない状況が,
私の有能感を無力化し,不安このうえない心持ちにさせる.
いまやiPhone無ければ,ダメ人間なのである.

今回,iPhoneを忘れたことによって痛感したのは,
このダメ人間ぶりなのである.
来年は,もう少しマシな人間になろうと思うのである.


2011年12月29日木曜日

今回は本当に雑談

今年もあと少し,ほんの少しで終了する.
いつもこの時期は,やり残したことの
数多さにがっかりするのが常である.

今年も例年と変わらない.
いろいろと考えることばかりである.
ただ,考えてばかりいると
気難しい顔になるので,
(ただでさえ,器量が悪いというのに)
少しは良かったことをここに書いておく.

今年は10kgダイエットに成功した.
5月から8月頃にかけて10kg程度体重を減らし,
その後,現在までその体重を維持している.
ふふん,少し自慢である.

秘訣は?と聞かれても特になし.
一時期走っていたけれど,最近は
その時間が取れていない.
しかし,体重は増加していない.
結局食べていないということなのだろう.
確かに,食事の量のバランスは
無意識にとっているような気がする.

しかし,減量して健康なのかどうかは
はなはだ疑問である.
残念ながら体力は少し衰えたような気がする.

武道を稽古する際に,明らかに
技の質量が減っている.
これではいかん.いかんのである.

来年は稽古もぜひ充実させたい.
体力がなければ集中力がつかず,
それが結局仕事の質・量を制限しているように
思われる.
結局人間とは,心と身体は同一なのだ.
どちらが欠けても,能力を発揮できない.
それを今年は痛感した.

私が稽古している武道では,
心を鍛える方法も教わっている.
来年は,そうした稽古にも心を配っていきたいと思う.

今回は本当に雑談でした.

来年からは,たまには,もう少し
役に立つ記事も書いていく予定です.

よろしくお願いいたします.



2011年12月22日木曜日

キラキラしたクリスマス物語を読む時間を

クリスマス・シーズン,私のお決まりのブログ記事といえば,
ジョージ・セルのベートーベンの第九の話なのだけれど,
もうひとつ,毎年のように書いているのが,
C. ディケンズの「クリスマス・キャロル」の話なのである.

2009年のクリスマス・キャロル
2008年のクリスマス・キャロル

今年は,iPhoneのiBookで読んでみたい.
もちろん無料でダウンロードできる.
ただし,英語で,iPhoneの辞書を使えるのだけれど,
どうも英英辞書でしか引けないらしい.
ちょっとつらい.
まぁ,贅沢は言わないので良いのだけれど.

他のクリスマス物語といえば,
T. カポーティの「クリスマスの思い出」
最後の方で,主人公は大人になっていくのだけれど,
そこらへんの描写が切なくてたまらないのである.

そして短編では,ポール・オースターの
「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」
もちろん,映画もオススメなのだけれど,
村上春樹と柴田元幸による翻訳比べが
載っている「翻訳夜話」(文春文庫)も素晴らしい.

あぁ,今年のクリスマスはいろいろあって,
いつもの年と違うのだけれど,
こうした,キラキラした物語を読む時間を
なんとか持ちたいと思う.

少し早いけれど,みなさま,

Merry Christmas!

2011年12月21日水曜日

佐野元春,Christmas Time in Blue, J. Lennon, Happy Xmas (War Is Over)

今日は,

佐野元春
"Christmas Time in Blue ~聖なる夜に口笛吹いて~"

を耳にした.

昨日の山下達郎の「クリスマスイブ」に続いて,
カチカチの鉄板クリスマスソングである.
あぁ,世はクリスマスなのである.

実は,佐野元春の曲の聴く前に,

John Lennon
"Happy Xmas (War Is Over)"

をやはりラジオから聴いていたのだけれど,
佐野元春の曲は,この曲への
オマージュであることにやっと気づいた.
なんと,佐野元春の収録アルバム
カフェボヘミア」のリリースから
20年が過ぎ去っている.
なんと私は鈍感だったのだろう.

"愛している人も愛されてる人も
泣いている人も 笑っている君も
平和なも 戦っている街も
メリー・メリー・クリスマス
Tonight's gonna be alright"

この歌詞なんて,まさにレノンの歌じゃないか.
全く気づかなかった...

いやはや.
自分がどれだけ曲をいい加減に聴いているか,
いやになってしまう.

2011年12月20日火曜日

ベートーベン 「第九」,セルの録音が好き

とにかく,忙しい.
全然時間がとれない.
ブログの更新も滞っております.
すみません.
(だから,一体誰に謝っているのか)

昨日,車に乗って移動中に,
この冬初めて,

「クリスマス・イブ」(山下達郎)

をラジオで耳にした.
今年は忙しすぎて,この曲を聴くのが
ずいぶんと遅くなってしまったようだ.
いつもの年だったら,11月には
どこかで流れているのに気づいていただろうに.

少し前,年末気分を盛り上げるために,
通勤中に,「第九」のCDをかけた.

ベートーベン 交響曲第9番
ジョージ・セル,クリーブランド管弦楽団

私は第九のCDを,カラヤン,バーンスタイン,ベームなど
たぶん10枚近く持っているはずだけれど,
ついつい手にしてしまうのは,このセル版だったりする.

この演奏は,重くないし,軽すぎない.
カラヤンの録音などは,もう第1楽章から
大スペクタクルになっているわけだけれど,
セルのものは,上品さを保っている.
バーンスタインのように,熱く人類愛を語る
わけでもない.
そこがいい.
純粋な音楽として演奏しているような気がする.
くずれることもないし,音楽が逸走することもない.
一番しっくりくるのである.

でも,生だったら熱い演奏がいいかもしれない.
私は一度だけしか,この曲の生演奏に触れたことがないが,
やっぱり感動した覚えがある.

ずいぶん前の話だけれど,オケは日フィルだったかな.
いまをときめく佐渡裕氏の指揮だった.
指揮台の上で飛び跳ねて,汗が飛び散っていく姿を見て,
ちょっとやりすぎじゃないの,とは思ったけれど,
オケも合唱もそれに引っ張られて,
ずいぶんと熱い演奏だったことを覚えている.

でも正直言うと,第4楽章よりも1~3楽章の方が好き.
特に第1楽章が好きだったりする.
音の密度がぎゅっと締まっているような気がする.
そののち,爆発するような.
いいなぁ,
やっぱりベートーベンというのは天才だったのだなと
つくづく思う.

ただ,第九は疲れているときに聴くものではないようだ.
この音楽は,集中することを聴くものに強いるところがあるから,
終わった後,ぐったりしてしまう.
もちろん,大きな満足感はあるのだけれど.

いつかゆったりとした気分でこの曲を聴きたいものと思う.
そうすれば,第4楽章も素直に感動できるのかもしれない.

#しかし,ほぼ毎年,私は同じような記事を書いているらしい.
そのたびにセルの第九を聴いているらしい.トホホ.

2007年の第九
2008年の第九
2009年の第九


2011年12月7日水曜日

まるで幽霊のように歩いてくる

今日は,中央電気倶楽部で開催された電気学会
関西支部の講演会「エコシティプロジェクトの
取り組み状況と関連技術」に参加した.
「けいはんなエコシティ」をはじめとする
スマートコミュニティへの取り組みの紹介や
太陽光発電導入への課題の話があり,
たいへん興味深かった.

特にJR西日本殿の省エネルギーへの
取り組みの紹介が面白かった.
電車の運行に関する省エネは,もちろん,
車両の改良などで実現しているのだけれど,
駅舎での省エネも努力されている.
今日は,各鉄道会社の使用電力に占める
運転用電力(車両)と付帯電力(駅舎)の割合や,
駅舎の使用電力の割合(照明とかエレベータとか)も
紹介されて,特に興味深かった.
夏に節電で,エレベータやエスカレータの運転が
止められていたが,それがどれだけの
節電につながるのか,また人が来ないときに
エスカレータのスピードが減速されているが,
それがどれだけの節電につながるのか,
こういった興味に答えていただける講演で,
すごく面白いものだった.
みなさんも興味があるでしょ?

講習会も終了し,梅田から北千里まで電車で
戻ってきたのだけれど,大阪大学というのは,
北千里の駅からずいぶん歩く.
20分くらいかな.

夕方6時半を過ぎていたので,
すっかり道も暗い.
私も若くはないので,足下に気をつけながら
歩いていたのだけれど,前から歩いてくる
人たちに目を向けて思わず笑ってしまった.

暗がりの中,携帯電話を見ながら歩いている人が多い.
そうすると携帯電話のディスプレイの明かりが,
歩いている人の顔を下から照らすことになる.
すなわち,暗闇の中で懐中電灯で自分の顔を
下から照らして,人を驚かせるいたずらがあるけれど,
あれと同じである.
懐中電灯の代りに携帯電話で顔を照らしているのだ.

すれ違う人,すれ違う人が下から顔を
携帯電話で照らしている.
特に女性がすれ違うときには,
携帯電話に顔を向けながら,注意をこちらに
向けるために上目遣いでこちらを見る.
まるで幽霊映画の一場面である.
歩いている女の人は,こちらにそんな風に見えているなんて
思いもよらないだろうが,
こちらはずいぶんと楽しませてもらった.
(貞子かと思う人もいた)

いやぁ,携帯電話はついつい夢中になってしまうけれど,
常に人の目にどのように映っているかは考えないといけないなぁ.
特に,夕方の携帯電話は気をつけなければと思う.
というか,そもそも歩きながら携帯電話を操作するのは
危ないからやめた方がいい,ということなのだろうけど.


2011年12月6日火曜日

就活と卒業をてんびんにかけたら

就活といえば,大学は企業の活動に
あまり良い顔をしていない(少なくともうちの大学では).

なぜならば,大学の講義がある平日に,
平気で企業説明会を行い,
学生に講義を休ませることを強いているからである.

それでいて,大学には学生の学力低下の不満を言う.
本当にひどい話である.

昨年も同様の議論があって,ある企業の人が,
大学の授業がつまらないから,企業の説明会に
学生たちは参加するのだ,とコメントしているのを見た.

私はこれは違うと思う.
学生たちは,単純に損得勘定で動いているのだ.

確かに私が行う講義が面白いとは言えないかもしれない.
しかし,講義は自らの実力を養うために重要なものだ.
少しでも向学心があれば,学生たちも出席してくれる.

しかし,卒業後何十年(?)か働く企業の説明会と
いま現在の知的好奇心を満たすためにの講義とを
てんびんにかけたら,
たぶん私が学生だって,企業の説明会の方を選ぶだろう.
つまりは,自分の人生にとってどちらが得かということが
判断基準なのだ.

先に挙げた企業の方には次のように言いたい.
もしも大学が,「就職活動のために講義を休むことあれば,
卒業をさせない」などという(無理な)条件を挙げたら,
ほとんどの人は企業の説明会には出席しなくなるだろう.

企業への就職が,大学の卒業が条件である限り,
大学の講義に出席する方が優先度が高くなるはずだからである.
そのような状況では,企業の説明会は講義が少ない
土日に開催されることが,自然と多くなるだろう.
私は大学がこのようなヘンな条件を出す前に,
企業が自主的にそうしてくれることを望む.

現在は,ただ大学が学生たちに対し,
学業をおろそかにして,就活をすることを
大目に見ているだけなのだ.
それが,この学生たちにかなり不幸な状況を作り出している.
いつか,根本的な対策が打たれるのではないか,
いや,そうなることを私は祈っている.

2011年12月5日月曜日

就活を始めるにあたり,必要な3つのツール

就職活動が始まった.
大学教員としては,いきすぎた就活は
正直快く思っていないのだけれど,
(講義がある平日に,平気で説明会を開く.
この件については,いつか別記事で)
こんな世の中だから仕方がない.
学生のみなさんは頑張るしかないのだろう...

そんな話をある学生としていて,就活を始めるにあたり,
まず必要なものはなにかという話になった.
私が学生だった頃はバブルだったので
たいした就活はしていないのだけれど,
いま,私が就活するのであれば,
まず以下の3つを揃えると思う.

(1) 手帳

いまどきの学生ならば,スケジュール管理は
スマートフォンで,という人が多いと思うけれど,
私は紙の手帳を推す.
それも,100円ショップで売っているようなものではなく,
少なくとも1000円以上はする手帳をオススメする.

その理由は,少なくともすぐに2つ挙げられる.
まずはじめは,紙の手帳にはスケジュールだけではなく,
いろいろなメモを残すことができる.
文字だけではなく絵もあるだろうし,
付箋を貼っておくこともできる.
だから,カレンダー部だけではなく,
種々な書き込みができるスペースが多い手帳がいい.

私の愛用の手帳は,「ほぼ日手帳Weeks」.
以前は「ほぼ日手帳」を数年間使用していたが,
1日に1ページを書き込むほどのイベントは
私の日々には起きないので,1週間で1ページの
方眼ページが使用できる「Weeks」ぐらいがちょうど良い.
もちろん手帳の後部には75ページも方眼ページがあって,
アイデアや議事メモを書くのに重宝している.

次の理由は,いまだにスマホなどでスケジュールを
管理する人に眉をひそめる年輩者も多いということである.
説明会も終わり,担当の方々と話をしたりする.
そこで次の予定の話が出てきたときに,
手帳とペンをさっと出す学生と,
スマホ(または携帯電話)を出す学生のどちらの方が
好印象だろうか?
私はどちらも構わないのだけれど,
やはり手帳とペンの方が(とくに年輩者に)親近感を
持たれやすいのは事実のようである.

たしかにスケジュールがどんどん変更される場合には,
紙の手帳よりもずっと電子的なツールの方が便利である.
メールからのコピペも楽だし.

しかし,それでも私は紙の手帳の使用をオススメする.
もちろん,Quo Vadisでも,産能手帳でも,高橋の手帳でも良い.
使いやすいものを使えばいいが,とにかく紙の手帳に
ペンを使って書き込むのをオススメするのだ.
(私は,紙の手帳とスマホを併用しているが)


(2)ちょっと高級なペン

手帳の次はペンである.
これも100円程度のボールペンではない.
少なくとも500円程度の見栄えが少しはするものが良い.
私は使い勝手の良さから,JET STREAM3を使用しているが,
もしも私が「営業」を仕事にしているのであれば,
もっと高級ペンを使用することだろう.

やはり使用している手帳とペンの印象は強い.
安っぽいペンでは,相手の信用を得られにくいように思う.
私は,もうどうでもいいと思っているところもあるので(笑),
数百円の多色ペンを使用しているが,
(以前はパイロットのReporter4を愛用していた)
見栄えを気にするならば,Ramy2000あたりを使用すると思う.
(ただし,20000円程度はする)

やはり,かっこいい手帳,かっこいいペンは,
使用している人の印象をよりよくする.


(3) 名刺入れ

少し忘れてしまいそうなのが,この名刺入れ.
入れるのは自分の名刺ではない.
就活でもらった人の名刺を入れるのである.

就活の中で,いろいろな人から名刺をもらうことになるだろう.
まずは,両手で名刺をいただくこと.
次にその名刺はどこにしまうべきなのだろうか?
スーツのポケット?
最悪なのは,ズボンの後ろポケットに入れてしまうこと.
相手の名前(名刺)を尻の下にしくことになってしまうので,
失礼であること極まりない.

やはり名刺入れに,しまうのがいい.
この名刺入れはあまり価格が高くなくて良いのではないかと思う.
100円ショップの製品でも.
とにかく,相手の名刺を粗末に扱わないことが大切.
ちなみに名刺に,もらった日付などをメモすることも多いが,
もらった相手の目の前で書き込むのは
失礼にあたることが多いから気をつけよう(老婆心ながら).


ということで,以上3点が私のオススメする就活必須ツールである.

もちろん,スーツ,鞄,靴,その他も必要である.
それぞれについては,また別の機会に...

2011年12月1日木曜日

新しい手帳

今日から12月である.
手帳を新しいものに変えた.

予定が書かれていない手帳は,
目に美しく,そして紙がぱりっとしていて
ただそれだけで,うれしいものである.

けれど,私の手帳はすでに書き込みが一杯.
私の未来はもう真っ白ではない.
汚れている,とは言わないけれど,
純粋無垢ではない.
予定が所狭しと並んでいる.
それを見て,ため息をつく.

来年も今年の継続に過ぎないことを
この手帳は示している.

しかし,これではいけない.
不連続断面をどこかで作る必要がある.
日常においても,仕事においても.

不連続な境界を作り,
それを飛び越える努力が必要だ.

まずは空間をひずませなければ.
環境を変えていこう.
そこに臨界点が発生し,
今のこの私の世界は破綻する.
そのあとに新しい世界を創造するのだ.

いまは冥い.
しかし,世界の綻びから光が差すこともあるだろう.
その綻びも自ら作らなければならない.
新しい手帳はその手順を示すものでなければならない.

#ちなみに私の新しい手帳は,
「ほぼ日手帳Weeks」の黒です.
昨年から愛用してます.

#今日から,就職活動も解禁のようです.
本当にいまの時代の学生はたいへんです.

桜を見ると思い出す

桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 について話していたので、そうい...