2012年1月26日木曜日

研究会の準備にあけくれる

今週は鬼のように忙しい.
明日,あさって(27,28日)と大阪大学で電気学会 半導体電力変換研究会が開催されることになっており,その現地世話人として準備をしているからである.研究室の学生のみなさんの協力も得て,なんとか明日の開催の準備を進めてきた.明日,あさっても朝早くからの活動である.

実はこうした学会活動の多くは,今回のようなボランティアによって支えられている.学会は基本的に営利団体ではないので(運営資金程度は必要だが),こうした学会の開催などは,開催場所の大学などが中心となって準備を進めることになる.

また学会会場となる大学もある程度の大きさが求められることになるから,開催される大学も限られてくる.そうなると何年間に一度,その役割がまわってくることになる.

今回の研究会は,例年2日間の開催でのべ参加人数が200人程度と大きくないので,2会場の並行開催で可能だし,準備スタッフもそれほどの人数は要らない.これが電気学会の全国大会(本当は昨年の3月に大阪大学で開催予定だったが,震災のため中止となった)規模になると,一年近く前から数十人のスタッフ体制で準備を進めることになる.相当のマンパワーが投入されるわけだけれど(企業の方のスタッフも多い),報酬はない.ボランティアなのである.

学会というものは,それだけのボランティアを集めるだけメリットがある,ということなのだろう.いや,昔はあったというべきか.多くの学会で学会員の減少が問題となっているのを見ると,学会で発表することの価値が下がっているような気がする.ネットに論文が掲載されれば,それで事足りると考える人も多くなってきているのだろう.

しかし,学会や研究会のような発表の場は,やはり研究者にとって不可欠なものではないだろうかと思う.なによりも多くの人と議論し,大いに刺激を受ける.それが学会,研究会の醍醐味である.ネットでも討論はできるかもしれないが,もっとくだけた話をする機会も顔を合わせることによって,ぐっと増えるはずである.

もちろん学生のみなさんにとっても,学会や研究会で発表をすることは,研究者,技術者として良い経験である.そうした場を提供しつづけることも学会の役割である.

ということで,明日から研究会.とにかく無事終わって欲しいと祈るばかりなのです...

2012年1月23日月曜日

就活に効果的な自己紹介の方法とは

就活に限らず,初めての人たちに対し,自己紹介をしなければならない機会がある.私は,人前で話すのは緊張して苦手なのだけれど,まぁ,こうした職業にもついているわけだし,やっぱりそうした機会は少なくない.この前も学生と自己紹介のコツという話になったので,ここに少しまとめておく.

まず自己紹介の目的はなにか,と考えてみる.
自己紹介というと,「~大学の○○です.私の得意科目は~で,学生時代は~サークルに入っていて副将を務めていました.将来の夢は~で,国際的・グローバルに活躍する技術者になることです」みたいなありきたりなものがいまだに多いのだろうか.いや,就活関係の本などを沢山読んでいるからもう少しマシな内容になっているに違いない.

さて,ではなぜ上記のような自己紹介がダメなのだろうか.
それは,話す内容が情報の羅列であって相手の印象に残りにくいからである.そう,自己紹介とは「相手に自分を覚えてもらう」ことが目的なのである.これを忘れてはいけない.だから独りよがりでいろいろな細かいことを話しても,あまり効果的ではないのである.相手の記憶に残ってこそ,はじめてその目的が達せられるのだと心に銘じよう.

では,どのようにすれば覚えてもらいやすいのだろうか.
よく言われるとおり,自己紹介にエピソードを含めることが効果的だと思われる.人は情報の羅列よりもストーリー化されている物事の方が覚えやすいのだ.そう,記憶術にも,覚えるべきものを物語に組み込んでいく方法があるだろう.また,将棋の棋士が定跡だと棋譜を覚えることができる,あるいは音楽も前後のつながりから追っていくとメロディーを思い出すことができる,そんなことなどにも関係あるのかもしれない.要は,相手に覚えてもらいやすいエピソードを考えることである.

次に大切なのは,「相手にどのようなイメージで覚えてもらいたいか」である.
エピソードを自己紹介に含めるのは良いけれど,相手に悪いイメージで覚えてもらうのは逆効果である.すなわち,自分がアピールするべき長所が最も良く表われているエピソードを見つけるべきなのである.たとえば,自分が我慢強いということをアピールしたいのならば,人に比べて我慢した結果,大きな成功をつかんだ,みたいな話をすればよい.リーダーシップについてアピールしたいのであれば,自分が苦労してイベントを成功させた,というような話が向いている.

ここで忘れてはいけないのは,苦労の末に成功があったというストーリー展開である.
まずエピソードが単なる自慢話にならないようにしなければならない.だから,苦労をしたこと,そこから多くを学んだこと,という話の展開が必要である.次に,そうしたストーリー展開は映画「ロッキー」を見れば分かるとおり,シンプルでなおかつストレートのものの方が人の心に残りやすい.そもそも難しい話が相手の記憶に残るだろうか.エピソードは単純でなおかつ苦悩の末の歓喜というものがよいと考えられる.

最後に,大切なのは話し方,特に声の質,大きさ,そしてリズムである.
実は人は話の内容なんてあまり印象に残らない(ここまで書いてきたのに,こんな話ですみません).言語情報ではなく,視覚情報,聴覚情報がほとんどを占めるのである.声の質,大きさ,リズムはやっぱり音楽と同じなのである.人の耳に心地よくなければ相手の心が無意識に拒否してしまうのだ.自分が選んだエピソードにぴったりの話し方を練習してみよう.そして大切なのは,いかにも練習してきたという話しぶりではなく,いつもその場で話が初めて語られるように話すことである.(話し方については,いろいろと話すことがまだまだあるので,また別の機会に)

さて,自己紹介の場面.
相手は,目の前で初めてそのエピソードを語るように,しかし,自然な話法で語られる,あなたのアピールポイントのストーリー,「苦悩から歓喜」の成功譚を聞かされるとき,あなたの印象はあなたの望んだとおりのイメージで相手の心に焼き付けることができるだろう.

ということで成功を祈ります.
(そして,うまくいかなくても私は責任をとりません.あしからず)

2012年1月19日木曜日

グスタフ・レオンハルト

グスタフ・レオンハルト氏の訃報を聞く.
彼のコンサートを聴けたことは,これまでの人生の中でも最良の経験の一つである.
下記の文章は,彼のゴルトベルク変奏曲について書いたものである.

-------------------------------------------


現代のバッハといえば、真っ先に思い浮かぶのが"グスタフ・レオンハルト(GUSTAV LEONHARDT)"である。ブリュッヘンをしてそう言わしめたといわれるほど、明哲な音楽家としてあまりにも著名である。

彼は「アンナ・マクダレーナ・バッハの日記」という映画にも出演している。残念ながら未見なのだが、バッハを演じているという。まさに当たり役なのだろう。

なんといっても彼の業績は、現代の古楽器演奏の流れを確立したことである。彼の前には、現在行われているような古楽器を演奏するスタイルは無かったという。それが当たり前になった時代から聴き始めた私には信じられない話だ。現在では、バッハは古楽器で演奏する方がむしろ当たり前である。彼は数々の困難を乗り越え、道を切り開いた開拓者なのである。

彼は古楽器研究家であるとともに、音楽史の研究家でもあり、哲学者でもある。その姿は長身で品格にあふれ、まさに紳士、まさに哲学者、そしてまさに現代のバッハである。

一度だけ、彼の実演に触れたことがある(1996年)。
フランスの18世紀の作品を中心としたプログラムだった。
チェンバロのためにいつもより空調の温度をさげた会場。そこに彼が現れた。
すっくと立った長身の姿。音楽家というより、なにか大学教授といったような雰囲気を醸し出していた。

拍手も早々に切り上げられ、チェンバロの前に座る彼。会場に緊張が走る。
しかし、彼がチェンバロを弾き始めると途端に会場の緊張がほどけていく。言いようもない美しい音が弾かれるようにして広がっていく。彼の演奏している姿から一瞬たりとも目が離せなくなっていた。

ふと彼が立ち上がりお辞儀をして前半が終了した。すでに時間の流れが全くわからなくなっていた。そして会場の寒さも、もはや気にならなくなっていた。
プログラムには休憩が設けられていた。そして、チェンバロの調律のために客は一時会場から退場することになっていた。粘りに粘って私は会場から最後にでた。ドアを出るとき振り返ると舞台の袖から彼がやってきた。彼自身が調律を行うのだ。

後半は最初から暖かい雰囲気の中で演奏が行われた。彼の集中力と音楽への愉悦が会場を支配していた。
演奏がすべて終了したとき、手が痛くなるほど拍手をしながら、私は涙が流れているのに気付いた。演奏会で涙を流したのは今までにこの一回だけである。激情で熱くなったとか、悲しくて泣いたとかではない。奏でられた音楽自体は、そんな激情とはかけ離れた"品の良い"ものであったのだ。それでも私は涙を流していた。なぜなのか、その心境は複雑で今でも理由をはっきりと述べることはできない。しかし、その音楽の場に居得たこと、一期一会というべき貴重な時間を過ごしたことに感謝の気持ちがあふれていたことだけはよく覚えている。

彼の業績と録音については、多くの専門家による解説がある。興味を持たれた方は、ネットを探してみるだけでも多くの記事を見つけることができるだろう。

ここでは、このゴルトベルク(下記参照)について書いてみたい。
実は購入した当時(実演に触れる前だったが)、このCDをあまり気にとめることはなかった。可もなく不可もない演奏という印象だった。しかし、いろいろなゴルトベルクを経験し改めてこの録音を聴いてみると、その演奏の暖かさに驚いた。

テンポはそんなに速くない。むしろゆっくりとこちらに話しかけてくるような調子である。しかし、その中で行われる微妙なテンポの揺れ、間の取り方、アクセントのつけ方が、聴き手の心を一瞬キュッと捉える。本当に微妙なタイミングの揺れ、ズレだからこそ耳を惹きつけられるのだ。それでいて決して踏み外すことのない演奏の上品さが、音楽をすることの楽しさ、古楽の楽しみ方とはこういうものだということを優しく教えてくれる。

レオンハルトが育てた弟子は数多い。しかし、われわれ一般の聴き手に対しても、彼は優しい古楽の先生であるのだ。

■ゴルトベルク変奏曲
グスタフ・レオンハルト (Gustav Leonhardt)
Deutsche Harmonia Mundi
1978年録音(Cembalo)
(私が持っているこのCDでは、BWVが985となっている。988の間違いではないだろうか)

2012年1月18日水曜日

十字架でバンパイアを倒せるか

家族の間で,"Super Natural"という海外ドラマが人気らしく(私は残念ながらその話題の外にいるけど),悪霊払いなどの話に子供たちも興味を持ち始めているようだ.そこで十字架が悪魔祓いのアイテムとして出ているらしい(?)のだけれど,その話を聞いてなにをいまさら,という感じがした.きょうび十字架で倒される悪魔なんて映画にも登場していないのではないだろうか.吸血鬼でさえ,十字架でなんて倒されないだろう.もちろん,エクソシズムには必要不可欠なアイテムなのだろうけれど.

そもそも,キリストが十字架に磔になったかどうかも異説がある.聖書でもっとも古いのはギリシャ語のバージョンらしいけれど(七十人語訳聖書は聖書研究で貴重らしい(と,「考える人」という雑誌に書いてあった),キリストは十字架ではなく杭にくくりつけられて処刑されたという説もとりうるらしい.実際,当時のギリシャでは杭による処刑が多く行われていたという話もある.

まぁ,いまさら十字架でなかったなどという話であったら世界中の宗派が困るわけで,そうした学説を信じているのは本当に一部の宗派らしいけれど,そうであっても不思議はないように思う(まぁ,こうした話は,宗教の会議で何百年も議論されているだろうから,反論する余地はないだろうけれど).もともと世界中でXという形は魔除けとして使われていることが多いのだし,たとえばケルトなどでも十字架はキリスト教のシンボルとしてだけの意味を持つのではないという.

五芒星(清明判でもあるし,西洋ではペンタグラムで)とか六芒星(籠目,ユダヤの紋章,ヘキサグラム)とかあるけれど,これらもやはり魔除けである.トゲトゲしいところが魔除けたる所以なのだろうといわれている.たとえばヒイラギの枝葉などがやはり魔除けとされているように.これらがやっぱり杭のような棒が一本だけでは格好がつかないような気がする.

その他,密教や修験道などでも,九字を切ったり,五芒星を空間に描いたりする呪法が伝わったりしている(たぶんに,武術はこういう分野と近かったりする).しかし,本当にそれらは魔除けの効力があるのだろうか.九字や印には,自己催眠のアンカリングとしての役割があると思うけど(実は肉体的にも影響があるのではないかと思っている.肉体を操作することによって神経系に影響を及ぼし,心の安定を図るという役割があるのではないか),単なる十字架ではどうか,と不安に思う.十字架が信仰心を強く持つためのイコン,シンボルだとするならば,やはり魔除けには日頃からの敬虔な信仰が不可欠なのだろうと考えてしまうのである.つまりは,持っている人の心次第ということなのだ.

だから普通の人が十字架をもっていても,それはあまり意味をなさないのではないだろうか.結局,強い心あってのものなのではないかと思うのである.

というようなくだらないことを今日は考えながら車通勤したのだった.


2012年1月16日月曜日

トム・ソーヤ効果

最近,「トム・ソーヤ効果」という言葉を良く目にする(というか,私の心にバイアスがかかっているのだろうが).「トム・ソーヤ効果」というのは,トムソーヤの本の中に出てくるエピソードに起因するもので,そのお話は次の通り.

ポリーおばさんがトムのいたずらの罰としてトムに退屈で大変な壁塗りをさせるのだけれど,トムは智恵を働かし友達の前で,「壁塗りほど楽しいものはない」というようなフリをして,友達が壁塗りをしたくてたまらないように仕向けるのである.そのうち,壁塗りをやりたくてたまらない友達がつぎつぎと現われ,自分たちの宝物まで差し出して,やらせてもらうようになる.トムは,壁塗りを友達にやらせ,宝物もせしめ,最後にはおばさんにも褒められるという話なのである.「罰」であるお手伝いが,誰もが競ってやりたいと思わせる「遊び」に変わるというところが,この話のキモなのである.

トムは最初にやりたがる友達をワザと断ることによって,「壁塗り」の魅力を増すようなテクニックまで使っている.つまり,簡単には手に入れることができない状況を作り出すことによって,多くの人が逆に魅力を感じるようにさせているのである.これが「トム・ソーヤ効果」と呼ばれているらしい.

しかし,私の考えでは,つらい仕事も見方を変えることで楽しい仕事に変えることができる,というのも,この話の示すところであるように思う.自分の仕事もつらくて退屈だとばかり思うのではなく,それを「遊び」と思えば楽しく,継続して続けることができるだろう.そんなことを,最近この言葉を目にして思ったのである.

ただ,自分をだます,というのが最も難しいのだともすぐに気づいたのだけれど...





2012年1月13日金曜日

「世界三大」,「日本三大」は3番目のものが面白い

もうびっくりするほど忙しくて,ブログの更新もままならぬ状態が続いておりました.でも,今は少しだけ一休み.ちょっと,ブログでも書いて気分転換しようかと思います.

さて昨日,通勤の車中でベートーベンのバイオリンコンチェルトを聴いた.久しぶりだったので,このコンチェルトが,ベートーベンだったのか,ブラームスだったのか,わかるまでしばらく時間がかかってしまった.そのうち聞き慣れたフレーズがそのうち出てきて,これはベートーベンのコンチェルトだとわかったのだけれど,ふと三大バイオリンコンチェルトとはなんだろうと疑問を持ち始めた.

まずはチャイコフスキーかな.そして,個人的にはブラームス,ベートーベンと続くのだけれど,一般的にはメンデルスゾーンだろうか.いやいや,意外にシベリウスなのかもしれない,などと思案する.

そのうち,音楽を離れて,この世に「三大~」と呼ばれるものは多いけれど,1番,2番はともかく,3番目にがクセモノなのではないかということに気づく.このバイオリンコンチェルトでもブラームス,ベートーベンとすぐに名前が挙がっても,3番目になると急に議論が紛糾するのではないだろうか.

「世界三大料理」とはなんだろうか.
フレンチ,中華ときて,3番目に来るのは,イタリアン?それとも和食?世界でこの問いを尋ねてみると,自国の料理を挙げる人が多いのではないかと思ったりする.

「日本三大大仏」.
奈良,鎌倉ときて,その次は?私は赤塚の大仏だと昔聞いた覚えがあるのだけれど,日本にはもっともっと大きな大仏がありそうな気がする.

「日本三景」といえば,天橋立,松島,安芸の宮島と来るけれど,「日本三大夜景」というとだんだん怪しくなる.神戸,函館ときてその次が思い浮かばない.

すなわち,1,2番というのは性能や美しさが際立っていて,多くの人の同意が得られやすいのだけれど,3番目以降はどんぐりの背比べであることが多いのではないかと思うのである.また,3番目くらい自分の嗜好を反映させてみたい,という願望があったりするのかもしれない.

「世界三大」とか,「日本三大」とか,話題がでるときには,なんといっても3番目が面白い.その回答にはなにか恣意的な理由が隠れていることが多そうだ.昔から「二大」とか「四大」とかいわない理由がそこにあるような気がする.

2012年1月5日木曜日

研究室旅行でスキーに出かけていた頃

今日から大学で講義が始まった.まだ,1月5日だというのに!

私が学生の頃は,始まりはだいたい8日くらいで,正月が終わってから講義が始まるまでの期間は,大学の研究室でスキーにいくのが恒例だった.

私の恩師がひいきにしている野沢温泉にいくのがもっぱらで,無料で街にある十以上の温泉にも入れるし,スキー場のコースも申し分ないし,そしてなんといってもこたつに入って野沢菜の漬物をさかなに飲むビールと日本酒が最高だった(スキーなんて,午前中に何本か滑って,あとはゲレンデのレストランで,ずっとビールを飲んでいたような気がする).

いまの学生は,そうした機会が無くなってしまって,かわいそうだと思うのは,そうしたイベントを楽しく感じた私たちの世代だけなのかもしれない.最近の若者は(いつものフレーズで申し訳ありませんが),自動車も乗らず,酒も飲まなくなってきている.雑魚寝で泊まる民宿に友達と遊びにいくなんて,全然魅力的でないに違いない.

当時,研究室で遊びに行くとなると,誰かが車を出して,何台かに分乗してスキー場に向かうことになる.スキーはもちろん研究室のバイスなどを使ってチューンナップしてものだ.そのころはまだ携帯電話など普及していなかったから,気の利いた先輩はトランシーバーセットや車無線(当然,無線の免許も取得する)を用意していて,先行している車と連絡を取りながら夜間ドライブにでかける.カーオーディオで聴くカセットはもちろんユーミン(「私をスキーにつれてって」の世界が憧れとされていた).準備を含めてスキーに行くまでのすべてが楽しみだった.

学生がお金を使って楽しむイベント.それがスキーだった.いま,スキーの人気はどうなのだろう?スノボーだって,あまり話題になっていない.なにか,スキー場は寂しくなっているような気がする.

学生の気質が変わってしまった現在,彼らの楽しみは何なのだろうかと不思議に思う.想像ができない.彼らにとって,心を奮わせるようなイベントは一年に何回あるのだろうか.