2012年1月18日水曜日

十字架でバンパイアを倒せるか

家族の間で,"Super Natural"という海外ドラマが人気らしく(私は残念ながらその話題の外にいるけど),悪霊払いなどの話に子供たちも興味を持ち始めているようだ.そこで十字架が悪魔祓いのアイテムとして出ているらしい(?)のだけれど,その話を聞いてなにをいまさら,という感じがした.きょうび十字架で倒される悪魔なんて映画にも登場していないのではないだろうか.吸血鬼でさえ,十字架でなんて倒されないだろう.もちろん,エクソシズムには必要不可欠なアイテムなのだろうけれど.

そもそも,キリストが十字架に磔になったかどうかも異説がある.聖書でもっとも古いのはギリシャ語のバージョンらしいけれど(七十人語訳聖書は聖書研究で貴重らしい(と,「考える人」という雑誌に書いてあった),キリストは十字架ではなく杭にくくりつけられて処刑されたという説もとりうるらしい.実際,当時のギリシャでは杭による処刑が多く行われていたという話もある.

まぁ,いまさら十字架でなかったなどという話であったら世界中の宗派が困るわけで,そうした学説を信じているのは本当に一部の宗派らしいけれど,そうであっても不思議はないように思う(まぁ,こうした話は,宗教の会議で何百年も議論されているだろうから,反論する余地はないだろうけれど).もともと世界中でXという形は魔除けとして使われていることが多いのだし,たとえばケルトなどでも十字架はキリスト教のシンボルとしてだけの意味を持つのではないという.

五芒星(清明判でもあるし,西洋ではペンタグラムで)とか六芒星(籠目,ユダヤの紋章,ヘキサグラム)とかあるけれど,これらもやはり魔除けである.トゲトゲしいところが魔除けたる所以なのだろうといわれている.たとえばヒイラギの枝葉などがやはり魔除けとされているように.これらがやっぱり杭のような棒が一本だけでは格好がつかないような気がする.

その他,密教や修験道などでも,九字を切ったり,五芒星を空間に描いたりする呪法が伝わったりしている(たぶんに,武術はこういう分野と近かったりする).しかし,本当にそれらは魔除けの効力があるのだろうか.九字や印には,自己催眠のアンカリングとしての役割があると思うけど(実は肉体的にも影響があるのではないかと思っている.肉体を操作することによって神経系に影響を及ぼし,心の安定を図るという役割があるのではないか),単なる十字架ではどうか,と不安に思う.十字架が信仰心を強く持つためのイコン,シンボルだとするならば,やはり魔除けには日頃からの敬虔な信仰が不可欠なのだろうと考えてしまうのである.つまりは,持っている人の心次第ということなのだ.

だから普通の人が十字架をもっていても,それはあまり意味をなさないのではないだろうか.結局,強い心あってのものなのではないかと思うのである.

というようなくだらないことを今日は考えながら車通勤したのだった.


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