2012年2月28日火曜日

話し方にリズムがなければ: 就活,人に耳を傾けてもらう話し方とは

コミュニケーションの基本,それは話し方なのだとつくづく思う.この2週間ほど卒業研究発表会,修士論文発表会の他,いろいろと,そして多くの人のプレゼンを聴いてきたのだけれど,やっぱり話し方がすべての基本なのだとあらためて感じた.耳障りな人のプレゼンはとても聴いていられない.途中で腹が立ってくるほどである.なぜこんなに腹が立つのか,そしてどんな話し方だったら良いのか,そんなことを書いてみようと思う.

この数年は私もなかなか忙しく読書をする時間もあまりとれないので,しばしば通勤の車中で講演集を聴くことが増えてきた.小説の朗読というオーディオブックという手もあるけれど(いつかチャレンジしてみたいが),私が聴くのはもっぱら作家の講演の録音が多い.

まずは小林秀雄.新潮社から講演集として5枚ほどCDが出ている(実はその後未発表音源が発見されて,文藝春秋だったろうか,付録でついていたCDも持っているのだけど).近くの図書館で借りることができたので,もちろんすべて制覇.彼の著作とはひと味違った洒脱なお話が聴けて本当におすすめである(もちろん,厳しいことも話しているけれど).アーティストの横尾忠則も小林秀雄の講演の録音を聴いて「隠居生活」を始めたというのだから,面白い.あなたもなにかが得られるかもしれない(もちろん,聴くたびに新たな発見がある).

次に面白かったのは,開高健.こちらも新潮社から発売されている講演集,CDにしておよそ4枚を聴いた.「講演が面白い小説家は,小説が面白くなくなってもう終わりだ.だから私の講演が下手なのは勘弁してもらいたい」みたいなマクラを繰り返し使っていて,のっけからぐいぐいと引き込まれる.中身はかなりハードな話をすることもあるのだけれど,そうと感じさせずに聴かせてしまう.もう見た感じそのままのしゃべりなので,ぜひぜひオススメである.

最近聴いて印象的だったのは,向田邦子.一本スジが通った品のある話し方で,真面目なのか冗談なのか,曖昧なまま話が進んでいってしまう.私が聴いたのは「言葉が怖い」という題目で話されたもの.あれだけ言葉を魔術のように自在に操る人がこの講演題目なのである.思わず聴かずにはいられなくなる.

その他,茂木健一郎養老孟司など,それはそれは面白い講演をしている.もちろん内容も素晴らしいのだけれど,共通しているのは「人が思わず耳を傾けてしまいたくなるような語り方」をしていることである.決して立て板に水といった感じで,ぺらぺらと話すわけではない.むしろ開高健などは,朴訥としていて,どちらかといえば下手の部類に入るのではないだろうか.しかし,私たちは次の言葉を息を呑んで待ってしまうのである.

「人が思わず耳を傾けたくなる語り方」とは,つまりは次から次へと言葉をつないでいくことの上手さをいうのではないことがわかる.逆にいかにパウゼ(全休止)をとるか,それがまずは大切なのではないかと思う.いわゆる「間」である.先日も私が聴くに堪えなかった学生もそうだった.矢継ぎ早に言葉をつないでいくけれど,言葉と言葉,フレーズとフレーズ,内容と内容の間に,「休止」が無いのである.

だいたい話に耳を傾けてしまう人は,この「間」の取り方がうまい.小林秀雄の講演などもそうだ.まぁ,彼はうまい講演をするために古今亭志ん生の落語をずいぶん研究したのだとか.「間」があって始めて私たちの注意を向けるだけの空白が生まれるのだ.

では,「間」を作るためにはどうすればよいのか.単に話している最中に「休止」すればよいというものではない.その前に,リズム,アクセントが必要なのだ.結局のところ,人の語りは音楽と一緒なのだ.音楽も「フレーズ」という.人の語り,話し方においても,ひとつひとつの「フレーズ」には音の高低,アクセント,レガート,クレッシェンドなどが存在するのだ.またフレーズの長さも,長短うまく組み合わせなければ単調なものになってしまう.そうしたものがうまくできていれば,自然に「休止」,「間」が生まれるのである.

文体も結局のところリズムであると村上春樹も言っている.それが才能を決めるのだと.人が耳を傾ける,あるいは文章を継続して読む,継続して見つめる.そのためには,退屈させないなにかが必要なのだ.それはリズムなのだと私も思う.先にあげた作家たちの話し方にも,独特のリズムがある.朴訥であったり,淡々であったり,落語調であったり.でも,どの講演にも音楽のような流れがあり,そしてパウゼがやってくる.その心地よさに聴衆はうっとりするのである.

もちろん声質もあるし,発声法もある.印象はほとんど非言語のコミュニケーションで決定するのだ.就活の人も自分の話している姿を動画で録画してみればいい.自分の話に耳を傾けることができるだろうか.

コミュニケーションには内容も大切だ.しかし,話し方こそその根本に必要不可欠なものである.内容ばかり気にしていても,相手の耳に届かなければ,内容がいくら良くても意味がないのだ.「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸には響かない」(聖パウロの言葉より)ではなく,「話し方にリズムがなければ,どんなに美しい言葉も 相手の胸には響かない」のだ.そして,これは厳然たる事実なのである.

1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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