2012年3月27日火曜日

毎年この時期に思うこと

とにかく忙しかったのである.
(そして今も忙しい)

先週は,電気学会全国大会で広島工業大学に3月21日,23日と出張し,中日の22日は大阪で卒業祝賀会・謝恩会に出席した.今週は昨日が梅田で会議で,木曜日が東京出張の予定というスケジュール.その間に,いろいろと雑務をこなしているのだけれど,どうにも時間不足は否めない.自然,ブログの更新も滞ることになる.でも,今週から少しずつまた書いていこう...

一方で,研究室の人口密度もすっかり低くなった.卒業生がいなくなったためと,春休みで現役生も学校に出てこないため,いや修士1年は就職活動のため,ということだろう.

毎年,この時期同じことを繰り返し書いているのだけれど,こうして私は大学の研究室で定点観測していることになるのだが,先を急ぐ旅人である学生たちから見れば私は道標ということなのだろう.毎年担当する学生の年齢は同じだけれど,道標である私の年齢だけは増えていく.いつかこの道標は朽ちていくのだろう.

私から見れば,毎年学生を迎え入れるのは変わらない.しかし,もちろん学生たちは同じではない.


年年歳歳花相似
歳歳年年人不同


2012年3月12日月曜日

一日に四時間くらいは,書くことの他には何もしない

フィリップ・マーロウ シリーズを書いたレイモンド・チャンドラーはある手紙の中で,うまく文章を書く秘訣をこのように書き記していた,と「ロンググッドバイ」のあとがきの中で,村上春樹は書いている.

「作家を職業とするものにとって重要なのは,少なくとも一日に四時間くらいは,書くことの他には何もしないという時間を設定することです.べつに書かなくてもいいのです.もし書く気が起きなかったら,むりに加工とする必要はありません.(中略)ただ,なにかを読むとか,手紙を書くとか,雑誌を開くとか,小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません.書くか,全く何もしないかのどちらかです.(中略)ルールはふたつだけ,とても単純です.(a) むりに書く必要はない.(b) ほかのことをしてはいけない.あとのことは勝手になんとでもなっていきます」

私は,以前に書いた20%ルールでさえ守れていない.なんとか1日のうち2時間を研究にあてるようにしたい.まずはなにも成果がうまれなくてもいい.とにかく2時間は研究のことを考えて過ごすことにしよう.これをこの先の目標とする.あとできれば,30分程度はこのブログの記事書きにあてたいものである.

2012年3月8日木曜日

「遮断機」と「遮断器」

私が担当している「電気機器」という講義においては,「磁気回路」,「直流機」,「同期機」,「変圧器」,「誘導機」を取り扱う.「磁気回路」は機器ではないので,残りの4つの電気機械について学生のみなさんは勉強することになる.さてここで,「直流機」,「同期機」,「誘導機」の名称には機械の「機」を使っているのに,「変圧器」だけはウツワの「器」を使っていることにお気づきの方もいるかと思う.今回はその違いについて少し説明する.

簡単に言ってしまうと,動く機械については「機」を使い,動かないものには「器」を使うのである.
「直流機」,「同期機」,「誘導機」 は,発電機または電動機(モータ)として用いられる.すなわち動力を電力に変換する,あるいはその逆を行うわけなのだけれど,だから機械的可動部がその機器には存在する.もちろんこれらは「回転機」なので,回転軸がその可動部になる.一方,「変圧器」はどうだろう.一般的には動くところがない.こうした電気機械は「静止器」と呼ばれ,この場合は「器」の文字を用いることになっている.また,半導体を用いた電力変換器(整流器,インバータなど)は,見た目にやはり可動部が無い.したがって,「静止器」で「電力変換器」は「器」の文字を使う.

ここでややこしいのが,「周波数変換器」である(例えば,60 Hzの電力を50 Hzに変換するように,周波数を所望の値に変換する装置のこと.エアコンのコンプレッサーや電気自動車のモータは可変速で使用されることが多く(回転数を変えるということ),したがってインバータと呼ばれる周波数変換器が使用されていることが一般的である.もちろん,電車なども同様に速度に応じて回転数すなわち周波数を変化させている).半導体を用いた周波数変換器は動かないので「器」である.しかし,世の中には回転機を用いて周波数を変換するものもあるのだ.有名なものは,新幹線の電力を供給するために綱島(神奈川県横浜市)に設置された60 MVAの「回転型周波数変換機」がそれである(神奈川県南足柄市にもある).これは回転機なので「機」でなのである.

#因みに新幹線は全線60Hzで運用されており,そのために東側エリアでは50Hzから60Hzに周波数を変換する必要があるのです.綱島に近年設置された周波数変換器は半導体の静止型です

ということで,「機」と「器」はちゃんと使い分けているのである.
さて,「遮断機」と「遮断器」の話である.線路の踏切についているのは動く機械なので「遮断機」である.一方,電力系統に事故などによって大電流が流れてしまったときにその電流を遮断する(切る)ものは「遮断器」なのである.
えっ,機械式遮断器はちゃんと可動部があるじゃないかって?細かいことは言わない,言わない(笑).

2012年3月5日月曜日

偽りの物語によっても,心は癒される

先週の金,土曜日は,奈良県の信貴山に行って研修.グローバルCOEの総括を行うということだった.二日目の午前中は,心理学のお話.私たち教員や学生の能力発揮のために心理学的なアプローチを活かそうという試みが大阪大学でされていて,中心となっている先生とカウンセラーの方からご講演があった.

私の理解の範囲で内容を簡単にまとめると,私達の能力の発揮をさまたげているもののひとつにトラウマがあり,そのトラウマをなくすことによってその心理的バリアを越えることができるようになる.というもの.ここでいうトラウマというのは,私がこれまで思ってきたような,「現在の状況に重大な影響を及ぼす,精神的外傷を与えた過去の体験」という特殊なものだけではなく,現在の私達の心に影響を及ぼすさまざまな心理的経験といった広い定義であるような印象を受けた.親に虐待を受けたとか,目の前で大きな事故や事件が起った,などの経験だけではなく,親にひどく叱られたこと,あるいは過去の失敗経験,そうしたものすべてがトラウマと呼ばれてもおかしくないようである.

現在の私は,過去の経験の上に成り立っているのであって,その経験には良いものも悪いものも当然ある.そのどちらも現在の私が私であることの理由なのだが,そのすべてが必要であったかどうかは確かに別である.現在の私の活躍のバリアとなっているような経験(すなわち,トラウマ)が存在するのであれば,できればそうした経験は無かった方が有り難い.

例えば,会話をしていても相手の発言についつい腹が立つようなことがある.これはその内容について,私のトラウマが影響している可能性があるのだという.私もそう思う.あるいはなにかプロジェクトを始めようというときに,過去の経験がブレーキをかけることが確かにある.これもトラウマなのだという.こうしたトラウマはなんらかの形で解消するのが良いのだろう.

しかし,すべての悪い経験がトラウマとして解消すべきものだとは限らないのだろうと思う.ストレスは人間が生きていくためには不可欠なものだからである.どこまでが適度なストレスで,どこからが過剰なストレス,トラウマなのか,線引きは難しいのではないのかと思う.現在の私に過剰な反応を引き起こすものがトラウマなのだろうけれど,どこからが「過剰」なのか,という線引きもあいまいだからである.

とはいえ,トラウマが解消されて能力がより発揮できるようになるのであれば,それは素晴らしいことである.その講演のスライドにおいては,トラウマである経験を見つけ,リフレーミングを行うことによって解消するとあった.その手法として,Process Oriented Memory Resolution, POMRというアプローチを行うというのが,そのカウンセラーの方のお話だった.POMRという手法に限らず,こうした手法はいくつも提案されていると思われ,NLPや心身統一法など,その教えには共通するところもあると感じた.

リフレーミングというのは,過去の経験を新しい価値観によって捉え直すことであると思っているけど,それは新しい「物語」の創出なのではないかと思っている.過去の事実は変えることはできない.しかし,その捉え方は個人で変えることができる.過去の事実に関わる物語(つまり,その事実が自分与える意味づけ)を,現在の自分に影響を与えないように,あるいは都合の良いように作りかえることなのではないかと思うのである.

それは偽りの物語でも構わないのだと思う.つまりは今の自分が共感し,納得できる物語であれば,それは私の心にとっての真実となり,それによってトラウマが解消されていく.もともと記憶だって曖昧なものであるから,正確さというのはあまり重要でないのではないか.共感,納得.それらさえあれば,私の心は新しく創造された物語を真実として捉えるのだろう.

小説の物語で癒されるということも,こうした共感と納得が得られるからだと思う.登場人物と共感し,そこで展開される話をともに経験する.そこで得られた経験は,現在の私達の経験に新しい意味付けを与え,価値観の変化を引き起こす(それを自分の経験にフォーカスして行うのが,カウンセリングではないのかと思われる).そして私達は少しずつ変わっていく.

カウンセリングの効果というのは,劇的なものでないかぎり客観的な評価は難しく,またそこで行われる内容は前述の通り,客観的なものである必要は無い.ウソも方便の世界と思われる.だからこそ「うさんくささ」も確かにある(カウンセラーの方もそうおっしゃっていたが).しかし,それが私達の心の世界であり,心の中はフィクションノベルで溢れているのだ(それをマインドマップと呼ぶことも可能かもしれない).ならば,新しい物語を創出することによって,また新しい生活を手に入れることも可能なのだろう.そんなことを思った.

#心身統一合氣道との関連についてはまた別途.「心と身体はひとつ」というお話です.

2012年3月2日金曜日

分散型電源なのか,分散電源なのか

将来の電力システムにおいては,風力発電や太陽光発電が大きな役割を果たしていくと予想されている(それが主電源となるかどうかは別にして).また総合効率を改善できる熱と電気を併給するコジェネレーションの導入も進んでいくことも間違いないと思われる.こうした電源は,従来の原子力,火力,水力などの集中型電源(Centralized Generation)に対して分散型電源(Distributed Generation)と呼ばれる.

分散型電源のメリットとしては,一般的に遠隔地にある大容量発電所から遠距離を送電するシステムである集中型電源に比べ,送電損失が少ないこと,発電時に発生する熱も利用できること,一般的に細かい制御が可能であること,などが挙げられる.一方,デメリットとしては発電ユニットが小容量であるためスケールメリットが活かせず発電の効率が低くなること(熱を併給して始めて総合効率が良くなる),コストが高くなること,ユーザーが設備導入の負担をしなければならないこと,などがある(太陽光発電はスケールメリットが出にくい発電方法なので分散型電源に向いているといえる.一方,風力発電はスケールメリットが出やすいので,近年ますます大容量化が進んでおり6MW級の洋上風力発電機なども登場している(EnerconとかAlstomとか.翼直径は126mにも達するらしい)).

さて,今回の話題は技術的な話ではなく,表記の問題である.英語ではDistributed Generatorであるが,日本語では,主に,「分散型電源」と「分散電源」の2種類の表記がある.どちらが正しいのか?

最初に結論からいうと,どちらの表記も正しい.
ただし,「分散型電源」と表記するのは,「電力・エネルギー分野」に多いようである(つまり,電気学会でいうと「電力・エネルギー部門(B部門)」).一方,産業分野では「分散電源」が多い(電気学会でいうと「産業応用部門(D部門)」).

この理由を私なりに考えてみると,電力分野ではまず「集中型電源」ありきで電力システムが構築されている.この「集中型電源」を電力分野の人が「集中電源」と呼ぶことはあまり多くないような気がする(他の電源と混同されるからかもしれない).「集中型電源」があるのであれば,当然対するものは「分散型電源」である.だから電力・エネルギー分野では,「分散型電源」という表記が多いのではないかと思われる.一方,産業部門ははじめから製品が「電源」である.発電所ではない.したがって,「集中型電源」の概念に縛られることなく,「分散電源」という言葉を使用しているのではないかと推測されるのである.

しかし,これはあくまでも表記が多いか少ないかの問題であって,電気学会 電力・エネルギー部門の論文誌のタイトルを見ても,「分散型電源」と「分散電源」が混在している.論文タイトルにおいてもそうなのだから,どちらの使用も電気学会としては認めていることとなる.

さらに「分散形電源」という言葉もあるけれど,使用例は少ないようである(使用している論文もあるけれど.実は私が共著者の論文タイトルは「形」を使用している).これは,半導体電力変換器の分野において,「電圧形変換器」,「電流形変換器」というものがあり,これらは「型」ではなく「形」を使うように統一されているからである.たぶんこれも正しいとは思うのだが...

ということで,今回は技術用語に関わる雑談でした.

#「超伝導」と「超電導」の違いとか,「レーザー」と「レーザ」の違いなども面白い.またいつか(あれ,すでに記事を書いたような...)

#ひなまつりが近いですが,あれは「人形」であって「人型」ではありません.あれも「ヒトガタ」という呪の話から始まって...と話が長くなりそうなのでまた別の機会に.