2012年5月31日木曜日

激しい雷雨のあとで:ワーグナー「ラインの黄金」,ヴァルハラ城への神々の入城

先日,ひどい雷雨に見舞われたことがあった.それも一日に2度もである.こんなこともあるのだと感心して夕方,学内を歩いてみれば,上空に寒気が入ってきたのか気温はずいぶんとさがっていることに気づいた.なにかしら空気も清々しさを帯びている.そんな雰囲気の中,そぞろ歩いていると楽劇「ラインの黄金」のヴァルハラ城入城のシーンが思い出された.

「ラインの黄金」は,もちろんワーグナーが作曲した楽劇(「オペラ」とは呼ばないらしい)で,舞台祝祭劇(!)「ニーベルングの指輪」4部作の最初,「序夜」と呼ばれるものである.その4場構成の4場の最後に神々が完成したヴァルハラ城に入城する際のシーンの音楽が,本当に勇壮で私も大好きなのである.

雷神ドンナーがハンマーを振るって雲を起こし,雷を落とす.このとき,演奏でもハンマーの音が雲を切り裂くように鳴り響く.すると雲は切れ,神フローが城に虹の橋をかける.演奏では,キラキラとしたメロディーが聞こえてきて,そして私の大好きな音楽が始まるのである.神々が勇壮に入城していくシーンが音楽によって描かれていく.音はどこまでも広がり壮大なまま終わっていく(実際には,炎の神ローゲが神々の黄昏を予言し呪いの言葉を吐いてハッピーエンドとは言えないのだが).このシーンで鳴り響く曲が思い出されたのである.

雷神ドンナーというのは,北欧神話でいうところのトール.英語で言えばThor(ソー).すなわち最近映画になった「マイティ・ソー」のあの「ソー」である(だから映画のヒーローもハンマー(ミョルニル)を使う).クラシック音楽の中で雷が描かれることも多いが(例えば,ウィリアムテル序曲の嵐とか,シュトラウスの「電光と雷鳴」とか,ベートーベンの「田園」など),雷の鋭さを表すといったら,この曲に勝るものはないだろう.「ヴァルハラ城への入城」では,このハンマーの一撃のあとに広がる清々しさが実に良く表現されているのだ.

この曲でお気に入りの録音は,ショルティの初めての全曲録音のものだったのだけれど(持っていたのはハイライト版だったが),それがある事情で無くなってしまったため,現在このハンマーの音が入っているCDは一枚もないのが残念至極なのである.その後に流れる「ヴァルハラ城への入城」では,レヴァイン,カラヤンの録音を聴くことが多い.結局この前も,レヴァインのメトロポリタン歌劇場の録音「コンパクト・リング」のCDを取り出して聴いてしまった(通勤時だけど).とにかく圧倒的な音楽.朝から気分がずいぶん大きくなった(笑).

以来,ワーグナーにはまっている.今日はパルジファルを聴いて運転してきた.ワーグナーは嫌う人も多いのだけれど,一度ファンになると抜けられなくなるようだ.私もワグネリアンと呼ばれる日も近そうである...

#ウォータン(オーディーン)がまたかっこいいんだなぁ,情けない男で(笑).

2012年5月24日木曜日

「分巻」は「ブンマキ」なのか「ブンケン」なのか

*今回はかなりマニアックな話です.

直流電動機には,他励式と自励式があり,自励式にも直巻電動機 (series motor),分巻電動機 (shunt motor),複巻電動機 (compound motor)などがあり,そしてまた複巻電動機にも和動複巻電動機と差動複巻電動機がある.それぞれ特徴があり,長所を活かした用途に適用されているわけだけれど,今回はそうした応用についてではなく,その名称についてである.

さて,「分巻」はなんと読むか?ということが主題である.
私は昔「ブンケン」と習った(ような気がする).確かにどこかの教科書かハンドブックに「ブンケン デンドウキ」とインデックスに載っていたのを覚えている.しかし,電気機器の講義を担当することになり,文科省の「学術用語集 電気工学編」(電気学会)で確かめてみると,「ブンマキ」となっている.確かにそうなのだけれど,なんとなく違和感がある.それはいわゆる重箱読みだからなのだろうけれど,どこかヌけているような感じがするのだ.

では,「直巻」,「複巻」は?
これも「チョッケン」,「フッケン」と習っていたはずなのだけれど,学術用語集では「チョクマキ」,「フクマキ」となっている.これも重箱読みだ.どうもしっくりこない.

一応講義では,どちらとも読めるけれど,学術用語集にしたがって「ブンマキ」,「チョクマキ」,「フクマキ」と読むことにしています,と断っている.でもついつい「ブンケン」なんて読んでしまうのだけれど...

ということで,今日は備忘のためにこの記事を書いておきます.

#「バスバー」なのか,「ブスバー」なのか,という問題も面白いのでいつか記事にしたいと思います

2012年5月22日火曜日

金環日食観察の記

遅ればせながら金環日食の話を.

家族揃って,日食観察用眼鏡を通して日食を観察した.一応,観察用眼鏡は購入しておいたのだけれど,ひとつは980円のちゃんとしたもの,もう一つは子供向け科学雑誌「かがくる」の付録のものだった.さすがに雑誌の付録の眼鏡は,長時間見ていると目がいたくなるので,専ら子供たちは値段が高い方の眼鏡を通して観察していた.一方,私はピンホールを作って紙に映し出された太陽を見ていた.

しかし,本当に感動的だった.みるみるうちに太陽が欠けていく.それを見ているだけでワクワクしてくる.「天体ショー」といわれるけれど,まさに「ショー」なのである.時間があっという間に過ぎていった.みんな朝から少し興奮気味だった.

でも実は私が住んでいるところではギリギリ「金環」にはならなかった.それはもう新聞などで知っていたのだけれど,少し残念だった.あと10kmも南下すれば金環現象が見られたのだけれど,朝通学前にそこまでする元気もなく,その上その金環現象は非常に短時間であろうことも考えて今回は断念したのである.「今回は」と書いてはみたけれど,まぁ次はあるまい.少し残念.

しかし,一部は書けていたけれどほぼリング状に太陽が光ったときは本当に美しかった.あたりは少し薄暗くなり,洗濯物干しの隙間を通った光もヘンな形をしていた.素敵な時間だった.

2009年の日食のときにも書いたけれど,古代の人々にとって日食は凶兆であることが多かった.天の岩戸の神話なんかも,いかにも日食が題材になっているような気がする.今回の日食のときも気温が下がったというのだから,こうした自然の変化は恐れを生んだに違いない.龍が太陽を飲み込もうとしているという話が生まれるのも十分に理解できるような気がする.

ということで,今回の天体観察は思いのほかうまくいった.途中曇ったりしてハラハラしもしたけれど,ほとんど問題なく観察することができた.ピンホールも良かった.子供たちに見てもらえたし,少しは役に立ったかなと思う.

ただ今回思ったのは,6/6の金星の太陽面通過についてはちょっと観察は難しいかな,ということ.ピンホールもそうだけれど,観察用眼鏡を通して見た太陽でさえずいぶんと小さい.その中を黒い点が動いていくのを観察するなんて,本当に難しいだろう.こればかりは天文台でも行かなければ観察はできなそうである.

まぁ,金環日食という,生きている間はもう見られそうにない現象をこの目で見ることができたのだから今回は満足,満足の巻なのであるのだけれど.

2012年5月21日月曜日

サンドバッグトレーニングでストレス発散

生活が飽和していた.
仕事が山積している.
ブログの更新もままならなかった.
しかし,それもなんとか底を打った.
これからまたブログも更新する機会が増えるだろう.

ブログはストレス解消の一手段である.
「書く」ことによって,頭の中が整理される.論理建てされる.これによって脳内の交通渋滞が解消され,ストレスは発散される.考えを表現することによって癒される.人間というのは,よくよく社会的動物だと思う.表現すること(その対象が他人でなく自分であったとしても)が生きていくために必要なのだから.

音楽もストレス解消の手段である.私は専ら聴く方だけれど.
この数週間,私を救ってくれた音楽は,バッハのシャコンヌ(ビオラ4台による編曲版),ブラームスのバイオリンコンチェルト(庄司紗耶香が良かった),そしてマゼールの編曲によるワーグナーの”Ring without words"(ベルリンフィルの演奏がまたすごい).
音楽はやはり素晴らしい.いつの間にかその世界に引き込まれて,感情が変わっていく.感情は無意識の産物であるならば,音楽はその無意識に直接的に働きかけるということなのだろう.論理性は要らない.暖かな優しい気分を呼び覚ましてくれる.

さて,私が最も嫌悪する人間の種類に,「感情的な人間」がある.
感情は否定しない.人は楽しい気持ち,幸せな気持ちを求めて行動するのだから.感情は大切だ.
しかし,怒りなどの感情によって,非論理的になって,ただ声を荒げるような人間は本当に嫌いだ.そのうち,開き直って感情的であることも当然だと言ったりする.それが女性であれ,男性であれ,私は許せないのである.老い始めている人間であったりすると,なおさらだ.長い人生どのように過ごしてきたのだろうと呆れるほどである.そうした人たちとは関係を持たなければ良いのだけれど,どうしてもそうした場に居合わせなければならないことがある.それは私の中に怒りの感情を生み,大きなストレスとなる.

この「怒り」のストレスの解消が難しい.ブログでも音楽でもなかなかおさめることができない.それで困っていると,ある人から運動が良いと薦められた.怒りを爆発させても,人に迷惑をかけなければいい,と言われて,「そうかな」と思った.これまでは,人を憎むことは自分が嫌な人間になるようで,そうした感情は抑制してきたのだけれど,それがまずいのかもしれない.むしろ発散すべきだったのかもしれない.

そこで,先週の金曜日,サンドバッグを叩いてみた.確かにサンドバッグを殴る分には誰にも迷惑もかからない.怒りは完全には解消できなかったけれど,まぁ少しはおさまった.おかげで身体のあちこちが筋肉痛だけれど(笑)

今回学んだのは,感情を抑制するのはやはり良くないということ.どこかで発散することが大切なのだ.抑制すると,人間の脳はなぜかその感情を何度も何度もリピートするようだ.それがまた新たな怒りを生んでいく.
そうならない前に,なんらかの形で発散し,解消していくことにしよう.別に自分は聖人になる必要はないのだから,もっと感情を抑制するのではなく,発散させることを考えよう.起ってしまった「怒り」はそうするより他がないのだ.

まずは,サンドバッグトレーニングの励行だ.これで夏前にずいぶんと体力をつけることができるだろう.