2012年7月2日月曜日

山伏と僕: 山で死んで山で再生する

本というものは,出会ったときに手に入れておかなければ,と良くいわれるのだけれど,それはこのインターネット時代においてもある程度当てはまるようだ.先週,梅田であった会議の際に立ち寄ったドーチカの旭屋書店において,ふと目にとまった本があった.

「山伏と僕」(坂本大三郎,リトルモア)


ぱらぱらとページをめくってみると,なんとなく面白そうな予感がした.しかし,会議前ということもあって,その場を通り過ぎてしまった.出版社も大手でないところが,売れずに残っているだろうという安心感につながっていたことも否めない.でも,しかし.そんなにあまくはなかったのである.逃した魚は大きいというけれど,その特徴的な黄色な表紙があとから気になって仕方がない.またちらりと見かけた版画の挿絵も記憶に残って,それが私を急かすのである(もちろん,ネットで購入すれば良いのだけれど,思い立ったらすぐに手に取りたいと思うのが人の常である).

そして日曜日.私は思いがけず独りの時間をもつことになって,梅田の街を歩いていた.そこでこの本のことを思い出し,まずは梅田駅の書店「紀ノ国屋」へ行く.店員さんに尋ねてみると,なんと在庫切れだという.そこで続いて駅2階の「Book 1st」へ.そこで調べてもらうがやはり在庫なし.近隣のBook 1stでも見つからないのだという.ちらりと書店の人が操る検索画面を見ると「朝日新聞書評」の文字が!そうなのだ.新聞に書評が載ったらしい.うぅ...これでは売り切れも仕方ない.そもそも出版社の大きさからして,仕入れ冊数が少ないことは容易に想像できるし(リトルモアさん,ごめんなさい).これはあきらめるしかないか.と思っていたのだけれど,ふとCHASKA ジュンク堂&丸善 のことを思い出す.雨もやんだ夕方の街を,最後の希望をもって茶屋町方面に歩いて行った.

CHASKAに着いて,本の検索機械の前へ行き早速調べてみる.そこには「前日7冊在庫」の文字が.2階のコーナーに行ってみると確かに置いてあった.手にとってようやくホッとする.すぐにレジに直行し購入.ふぅ.逃した魚を捕まえた,という感じ.しかし,このように,こうした本をそれなりの冊数揃えてくれている大型書店は心強い.確か大阪大学の機関誌に,当時総長であった鷲田清一先生とジュンク堂の社長の対談が掲載されたことがあったのだけれど,そのときに種々の本を揃えている書店が,その街の文化力の指標となる,みたいなことが書いてあったような,なかったような(私の考えだったかもしれませんが).素晴らしいよ,ジュンク堂!とにかく,CHASKAにこの日は救われたのでした.

さて,やっとこの本の内容(マクラが長い!).
この本は,ごく普通の(宗教やニューエイジ思想にかぶれていない)青年が,山伏の修行を通じて日本原始の信仰,すなわち自然崇拝に向かい合うという体験を通して書かれたエッセーで,肩肘張らずにあっという間に読み終えることができた.ひとことでいえば,「素朴」.ありのままの山伏修行,自然崇拝を自分の言葉で語っている.あたたかな雰囲気の彼の手による版画の挿絵も,その素朴感に一役買っているようである.

山伏というと,験力を得るとか,悟りを得るとか,とかく高尚な宗教的体験を売りにして,自尊心高そうな,つまり独善的な,上から目線の人を想像してしまうのだけれど,この著者はそんな感じが全くしない.あくまでも日常,普通目線で,それが読む私達との距離をぐっと近くさせている.そして彼が尊敬する先達も,やはり普通の人なのである.それが山伏のひとつの理想だと彼は考えているようである.

神道や密教の影響を受ける前の修験道は,もっともっとプリミティブで,山そのものに先祖が帰るという土臭いものであったのではないか,と彼はいう.自然と向き合うことそのものが目的であったのだと.それを,変な宗教的に先入観に汚されていない彼は,山伏の修行を通じて感得していくのだ.

その修行の様子は,かっこわるい(それが彼のこの作品の狙いなのだろうけれど).山を歩けばへばるし,滝に打たれればフラフラするし,「南蛮燻し」においては煙で気絶寸前に追い込まれるし,とにかく何事もたいへんな修行であることが語られる.しかし,ところどころに見受けられる自然に対する彼の感想が,本当に素直で(って,私が偉そうに言うことのではないのだけれど),読んでいるものの心に直接届くのである.

しかし,そんな彼も,本格的な山伏の修行に身を投じ,とうとう本物の山伏となってしまった.普通の人が,である(彼の職業はイラストレータらしい).とはいっても,職業的な山伏というのはあまりいないようで,多くの山伏は普通に職を持って町で生活しているらしいのだけれど(修行の時にだけ山に来る).本当の山伏になる修行は,相当たいへんらしい(守秘のため本では詳細は語られていない).それでも著者はそれを目指した.それだけ山伏が魅力的だったのだろう.こちらまでうっかりと山伏に憧れてしまいそうになるくらいである.


この本が,決して仰々しいものではなく,肩肘はらずに楽しく読めるのは,ひとえに著者の文章の気どらなさによる.本の最後には,法螺の作り方のイラストまでおまけでついている!本当に楽しい本なのである.しかし,その割にあとで考えさせられることが多い.この国の原初の人たちの自然に対する尊敬について思いをはせた.こうした本が良い本と呼ばれるのだろう.


私も山伏修行とは行かないまでも,浮き世を離れた自然の中に身を投じたいなぁ(水洗トイレがないと無理なのだけれど),と叶わぬ願いをまた持ったのでした...


#白装束は死に装束.一度死んで,母なる山の修行によって再生する.これが山伏の目的なのだという.死と再生.やはりこのテーマかと思う.

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