2012年10月17日水曜日

大学教員は特殊技能の専門家

大学教員は一応「先生」と呼ばれるけれど,道徳者である必要はないと思う.人間的に尊敬される必要さえないかもしれないとも思っている(もちろん,人間的に素晴らしい先生方もたくさんいらっしゃいますが).私は大学教員は一般的な「先生」というよりも,特殊技能の専門家に近いと思っている.すなわち,大工や左官屋,シェフ,板前,アスリート,そういった職業に近い気がするのである.

もしも尊敬されるとするならば,まずはその技能によってされたいと思う.その分野の知識とアイデア,技能のプロフェッショナルでありたいと思っている.そこで,カール・ゴッチの言葉を思い出す.私はそのプロフェッショナルとして,なにを磨くべきなのか.それを明確に目的に定めて毎日精進していきたいと思っているのである.

しかし一方で,大学の教員にとっては社会への啓蒙活動もその仕事のひとつである.研究と教育だけが仕事ではない.大学という機関は,社会に対しても情報を発信していかなければならないと思う.

10月3日に,大阪大学が一般の方々向けに開いている公開講座の講師を務めさせていただいた.その際は,電気工学を専門としている学生向けの講義ではなく,専門知識に疎い方々へわかりやすい講義を行うように,一応は努力したつもりである.これも仕事なのだ.だからその技能を磨く必要がある.そう思ってやっている.でも,こうした機会はこれまでほとんどなかったので,こちらもたいへん楽しませていただいた.なぜならわかってもらえるのはやっぱり嬉しいものなのである.また機会があれば,ぜひお受けしたいと思っている.

啓蒙活動も仕事の一環であるというのは,少し特別かもしれないけれど,やはり大学教員は,特殊技能の専門家なのだと思うのである.そう思うと,「神は細部に宿る」という言葉なども,身近に感じられてくる.

0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...