2013年5月23日木曜日

テレパシストが大嫌い

<まだまだ自分の好き嫌いを書いていくシリーズ,続きます>

私はテレパシストに会ったことがある.
その人はこう言った.

「みんなそう思っていますよ」(暗に「おまえの考えがおかしい」と言っている)

そういうことを言う人には,私はとりあえず「へぇ~」という顔をしてあげる.だって,他人が思っていることがわかると言っているのだから,その人は超能力者なのだと自称しているのだ.そうでなければ,自分の意見を通すために,あるいは私を批判するために,ずいぶんと浅薄な根拠をあげているにすぎない,たいへんにイタい人でしかない.だから私は,相手が本当にテレパシストであったとしても,イタい人であったとしても「へぇ~」という顔をしてあげるのだ.

そもそも,まず「みんな」って誰のことを言っているのかわからない.どういうカテゴリーに含まれている人たちを想定して「みんな」と定義しているのか.まさか世界中の全員を言っているわけではあるまいし,そのテレパシストが付き合っているすべての人と限定したとしても,相当な数である.その人たちのすべての思考を読んでわかっているのだから,本当にすごい能力である.一方,超能力者でないのであれば,知性を疑うような言葉である.「みんな」がそう思っていると自分が思い込んでいるだけでしかない.その主張は,かなりイタい.

「XXちゃん(子供の名前)のことは,すべてわかるんです」

と言う親にも会ったことがある.その子供はすでに成人してずいぶん歳をとっていたけれど.
この場合,自分の子供だから読心できるのだろうか?もしも本当にそんな超能力者の親だったら,その子供は絶望的に不幸だと思う.だって親からの逃げ場がないのだから.少なくとも自分は嫌だ.

一方,こんなことを言った親が超能力者でないとしても,全くその子供は不幸である.あまりに親がイタすぎるのだ.「すべてわかる」ということは,子供の言動はすべて自分の管理下にある,と言っているのに等しく,その親は大きな勘違いをしているか,その子供に対してひどい虐待をしているか,のどちらかになるのではないだろうか.「過保護」,「過剰な管理・干渉」は,立派な虐待なのである.ベストセラーとなった「毒になる親 ~一生苦しむ子供~」(スーザン・フォワード著)を読めば,こうした考えを持つ親の子供がどのようにスポイルされて,社会への不適応を示すかがよくわかる.一生こうした親の影響下で生きていく息子(娘)には,本当に同情するのだ(とはいえ,社会に不適応な大人となってしまった彼らとは距離をおきたいと思うのだけれど).

「あなたの考えることはよくわかるんです」

と,ずばり私の心を読むことができる,と言ってくる人にもあったことがある.しかし,その人の態度をみていると,とても私の考えを読んでいるようには思えないから,実に根拠のない主張をする人だとかわいそうになる.

そして時には,

「そのとき,あなたはきっとそうします.私にはわかるんです」

と言われたこともある.読心術を超えて,とうとう予知能力までもつと主張するのだ.このときは本当に呆れてしまった.その人は,私の行動を想像し,それに対して腹を立てるのである.もうそんな妄想にまでこちらは責任は持てないよ,と思いつつ,自分の妄想に怒り続ける相手が哀れに思えてくるのである.

ディベートなどの議論の場でこのようなことを言えば,即座に負けであることは明白である.というか,そうした人たちとは議論する価値もない.私が出会った上記のような人たちは,すでに立派な大人であった(それどころか年配の人も多かったが).だから私は面と向かってあなたと議論する価値が無い,などとは言えず(私も一応,気配りするのです),「みんなって,誰ですか?」とか,「私の考えがわかるんですか?」とか,尋ねてみる.このように論理立てて質問すると,似非テレパシストは逆ギレすることが多い.そういうときこそ,私の考えを読んで反論すればいいのに.

こうした経験から学んだ私の自称テレパシストへの対処法は,結局その人とは距離をとる,ということに尽きる.そもそも読心術を駆使しているようなモノ言いをする人は,粘着質な人が多く,社会的に問題があることが多い.

だから私は,まず君子危うきに近寄らず,そして上記のような発言を聞いたら,「すごいですね.へぇ~」という顔をしてあげるのである.

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