2013年7月16日火曜日

私が大嫌いな「被害者意識」

私が数ある嫌いなもののひとつに,「被害者意識」というものがある.
先日ちょうど朝日新聞朝刊にも,北朝鮮から帰国した蓮池さんのお兄さんの「被害者意識が増殖している」という記事が掲載されていたけれど,私も俗に言う「被害者意識」が吐き気をもよおすほど大嫌いなのである.だから蓮池透さんの記事にはたいへん共感した.

では,「被害者意識」とはなにかといわれると,これまでなかなかうまく説明ができなかったのだけれど,今回の蓮池さんの記事によれば,「被害者なのだから何を言っても許されるというある種の全能感と権力性を有し」た状態と説明されている.私はよく表現されていると思う.

被害者意識に毒された人は,自分は被害者なのだから加害者に対して感情的になって何でも言って良いと思っているし,ときには言論だけでなく,ときには反社会的な行動を行っても許されると考えているのだ.そして,それらの言論や行動をおかしい,といえば,「被害者の気持ちを考えてみろ」とか,「感情的になって当然だろう」というような反論をする.相手は非難するだけで,話し合う気持ちも無い.だから私はもう嫌になってしまうのだ.

さらに加えて,今回の北朝鮮拉致問題の蓮池さんのように明白に被害にあった人ならばまだしも,私の周囲で被害者意識をもつ人はそもそも本当に被害者なのか曖昧な人も多い.逆恨みとまでは言わなくとも,他人ばかりを責めて自分の責任には言及しない人が多いのだ.

被害者意識は,ある意味,優越感でもある.ある一部の人は,その優越感を維持するために,自分をあえて弱者の立場に置こうともする.そのような立場になるように話す.他人の憐れみを買おうとする.このような話法を私は「被害者話法」と呼んでいる.そして,この被害者意識の恐ろしいところは,自分の優越感を持ち続けるためには,自分がさらに不幸になることも厭わないことである.そしてその矛盾を指摘すれば,さらに恨まれてしまうのだ.

結局,ある臨界点を越えてしまった被害者意識を持つ人は,自分で気がついて反省しない限り,こちらには戻ってこない.他人がなにかできるような状態ではないのである.だから私は,そういう場合には,そうした人たちとは距離を置くという対処をするのである.悲しいけれど.

<私が嫌いなものシリーズの続きです>

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