2014年4月21日月曜日

ガルシア・マルケスが亡くなった

ガルシア・マルケスが少し前に亡くなった.87歳というから,もう十分に生きた,ということなのだと思いたい.

近くの図書館に行くと彼の全集が配架されていて,その本の素敵な装丁もあってついつい手を伸ばしてしまうのだけれど,その本の厚みと現在の自分に許されている読書時間の短さを思うと,やっぱり本をまた元の位置に戻してしまう.いつか,いつか,と思っている作品集のひとつである.

それでも比較的短い作品をすでにふたつ読んでいる.「予告された殺人の記録」と「わが悲しき娼婦たちの思い出」 である

「予告された...」の方は文庫本になっているので手軽に手にすることができたのだけれど,内容はずいぶん読みづらかった覚えがある.文体が読みづらいというよりも,描かれている内容が暗く,重く,閉鎖的で読み進めるのに気乗りがしなかったからである.この作品では,ある田舎町で何十年か前の予告殺人事件について,その真相を淡々と書き出していくのだ.どのエピソードにも閉塞感があふれていて,気分が晴れるようなことはなかった.読み終わったときの気持ちの重さを思うと,もうしばらくはこの小説とは関わりたくないような気がする.

一方,「わが悲しき娼婦たち...」の方は,90歳の老人が少女に恋する物語で,老いの恋の悲哀がユーモアをもって描かれている.

「満九十歳の誕生日に,うら若い処女を狂ったように愛して,自分の誕生祝いにしようと考えた」

という扇情的な一文から始まっているけれど,内容は悲しくも滑稽な老人の恋の右往左往が描かれていて,こちらの作品はすいすいと短時間で読むことができた.14歳の少女に90歳になって初めて(だったかな?)恋をする主人公がいい.センスがあって魅力的で情けない.ワタシ好みのキャラクターとなっている.内容もそれほど重くない.オススメの一冊である.こちらは文庫本ではなくて新潮社から出ている全集のものを読んだのだけれど,装丁もかなり素敵で内容と合わせ自分の書棚に並べたくなってくる一冊となっている(結局,私の書棚には並んでいないのだけれど)

彼の作品の魅力のひとつに,作品の中にクラシック音楽が,それも渋めの曲がでてくることがある.特に「わが悲しき娼婦たち...」では,バッハの無伴奏チェロやフランクのバイオリンソナタ,ブルックナーの弦楽五重奏などが出てくる.私のこの作品でブルックナーの弦楽五重奏という曲を知ったけれど,なかなか通好みの選曲なのだったりする.マルケスという人のセンスが感じられる.そんな曲を流しながら,彼の小説を読んでみたい.

ガルシア・マルケスの代表作といえば,「百年の孤独」(そんなお酒もあった),「コレラの時代の愛」(映画化もされた?)などだけれど,どれも未読である.「族長の秋」なんかも読みたい.マルケス山脈の全制覇に向けてまだまだ先は長い.しかし,それは,まだまだ楽しみが残されている,ということでもある.

2014年4月17日木曜日

「なぞの転校生」について:3.音楽がいい感じ

なぞの転校生」の第3弾.今回は音楽について.

たぶん予算や時間の不足が原因だと思うのだけれど,オープニングやエンディングの曲はともかく(といってもどちらも,いい曲だとは思うけど),劇伴曲は新たに音楽家に依頼したのではなく,たぶん既にある曲(主にクラシック)を使っていた.第11話(だったかな)なんて劇中に音楽がひとつも流れなかったし.

とにかく何度も流れてくるのが,ショパンの雨だれ(前奏曲 作品28の15).ドラマの世界設定において重要なキーにもなっている.この曲は,たいへん美しいのだけれど,使い方によっては「ベタ」になりすぎる.しかし,この番組では適度な「甘さ」を演出していてとても効果的だった.しばらく私の頭のなかで,ヘビロテ状態だったけど.

その他には,バッハのゴルトベルク変奏曲やラベルの亡き王女のためのパヴァーヌなどが使われていて,その選曲が良かった.ゴルトベルクが流れていたのは,確か山沢典夫が麻雀をやってボロ勝ちするところだったと思うけれど,ミスマッチかと思いきや意外に曲がハマっていて笑ってしまった.

オリジナルといえば,「風が吹いている」という歌が唯一かと思うのだけれど,これがまた良かった.「ヘクとパスカル」という,岩井俊二の仲間で構成された3人組が歌っていて,ボーカルがなんと劇中SF研究会の女子部員を演じていた椎名琴音さんなのだという.この人,いろいろな才能がありそうだ.ただ,この「風が吹いている」という歌も,どこかの結婚式場の依頼で別に作ったものの使い回しらしい.でも,すごくこのドラマにあっていた.

大げさな劇伴曲はなく,基本的にメローな音楽が終始ドラマのバックに流れていて,それがたいへん気持ちのよいドラマだった.音楽がドラマの演出に果たす役割って,すごく大きいということをあらためて認識した次第.

#オープニング主題歌は,香川みどり役の桜井美南さんが歌っているとのこと.エンディングの清水翔太さんの歌も,エンディングの映像とあわせてたいへん印象的.

2014年4月16日水曜日

「なぞの転校生」について:2.出演者が素晴らしい

なぞの転校生」の第2弾.今回は出演者について.

まずは,なぞの転校生 山沢典夫役の本郷奏多さん.彼の精妙な演技なしにはこの番組の成功はなかった.手放しで大絶賛.ネタバレになるけれど,転校生の彼はアンドロイドなのだ.そしてアンドロイドゆえのつらさ,苦しみを味わうことになる.それを表現する彼の演技が素晴らしかった.アンドロイドなのでモノを食べない,肺がないので吹奏楽はできない(しかし,ピアノは弾く).そしてどんなに悲しくても涙を流せない.人間とは違う少し不自然なしぐさ,その一方で人間よりも人間らしい(でもアンドロイドの)感情の表出.すっかり彼のファンになってしまった.最終回,彼が長い長いセリフは,このドラマの一つのテーマについて語っていて,きっと多くの人が長い間覚えていることだろう.

次に,主人公がもう二人.岩田宏一役の中村蒼さんと香川みどり桜井美南さん.
中村君は,普通の高校生を過不足無く演じていた.彼は若手俳優として実力派なのだろう.さわやかかつ,のびやか,それでいて平凡.そんなどこにでもいる高校生が,ある日突然異次元の出来事に巻き込まれていく,その不安がよく出ていたと思う.また,桜井さんもまた普通で素晴らしい.どこのクラスにでもいる素敵な女の子を演じていて,青春時代を思い出しそうになる(そんな青春なかったけれど).彼女はなんと新人ということらしいのだけれど,今後の活躍に期待したい.

この二人のどこにでもあるような高校生活が,かけがえのないもののように見える.そんな風にドラマは作られている.これは,他の世界からやってきた山沢典夫他の人たちからの視点であって,観ている私たちも自分たちの生活のかけがえのなさに気づくようになっている.花の美しさや,青空の美しさ,学校という社会の複雑さ.そんな事柄がとても魅力的に感じられてくる.

そして,異次元世界の王女を演じた杉咲花さん.
物語の後半は,彼女の演技が特に目を引きつけた.なんという演技力だろう.彼女が表現した,世界を失うものの悲しみは,こちらの胸を熱くさせた.彼女の登場がドラマを引き締め,そしてクライマックスへと導いてくれた.

これらの若手俳優のみなさんが本当に素晴らしかった(椎名琴音さん,樋井明日香さんもいい感じ).
そして,その他にも素敵な,そして実力派の俳優がしっかりと脇を固めていて,たいへんに魅力的だ.

高野浩幸さん.NHKのドラマで主人公の「岩田宏一」を演じていた.彼が今回の「岩田宏一」の父親役だったのだ.そして最終回.私たちの世代にはたまらない幕引きを演じてくれた.ああいう結末でよかった.どうも脚本家の岩井さんは,最後の最後で,ドラマの結末を今回のように書き換えてしまったらしいのだけれど,これはこれでひとつの素敵な物語の終わりだった.高野さんが出演していて良かった.

私が一番かっこいいと思ったのは,ミッキーカーチスさん演じる隣の少しボケている老人(中野裕太さん演じるアゼガミ様も,佐藤乃莉さん演じるスズシロ様も,かっこよかったけれど).彼が山沢典夫に操られているときのかっこよさといったら,このうえない.特に第2話のエンディングで彼が星空の素晴らしさに腕を開いて野原を走り回るところなどは,このドラマの中でも最も印象的な場面のひとつだろう.

どの俳優さんもキャスティングがハマっていて,誰もがこのドラマの魅力の一端を担っていた.どの登場人物にもそれぞれの物語が感じられた.
...それなのに,なぜこのドラマは全然話題にならないのだろう?

2014年4月11日金曜日

「なぞの転校生」について:1.なぜ,話題にならないのだろう?

なぜこれほどまでに話題にならないのだろうかと不思議に思う.先にテレビ東京系で放送されていたテレビ番組「なぞの転校生」のことである.私は,この5~6年,いや10年間で観た中でも最高のSF連続ドラマだと思う.まぁ,そもそもSF連続ドラマっていうのが少ないのだけれど.

「安堂ロイド」も最初は期待してみていたのだけれど,終わりの方になると人の想いが素粒子だなんて話になっていて,興味がだいぶ薄れてしまっていた.あれがSFかといわれると,少し首をかしげてしまう(いや,私はキムタクも本田翼もエンケンも大好きなのですが).

一方,この「なぞの転校生」は昔ながらのSFの範疇に入る珍しいドラマである.もちろん原作は私の世代(よりちょっと前)では,NHKの少年ドラマシリーズで映像化もされた眉村卓の「なぞの転校生」なのだけれど,今回はリメイクというわけではなくて,設定だけ踏襲し内容は異なる話となっている.

企画と脚本(編集も)は岩井俊二.監督は長野雅彦.映画畑のふたりである.だからなのだろう,ドラマとしてはお金がかかっているように全然みえなかったけれど,すばらしい雰囲気が醸しだされていた.自然光を使った美しさが,このドラマのみずみずしさを際立たせていた(いかにも岩井ワールド的なのだ).そう,みずみずしさ.青春の甘酸っぱさが実はこのドラマのテーマのひとつなのだ.「なぞの転校生」は,ここ久しく聞くことがなかった「ジュブナイル」という言葉がぴったりのストーリーなのである.

第1話から私は胸キュンだった(アラフィフの男が言うと気持ち悪いが).私にもあったかもしれない高校時代が,それも憧れ感満載の学生生活が描かれていた.特に第1話から2話くらいまでは,中年のおじさんが思わず目を細めてみてしまうような描写が多く,大いにときめかせてもらった(何度も,気持ち悪くてすみません).

それが第3話以降,俄然SF味を帯びてくる.確かだと思われた世界がその安定を失っていくような展開.毎週次の放映が楽しみで楽しみで仕方なかった.そして終盤には,早く観たいけれど番組が終わって欲しくないという相反する気持ちで一杯になってしまった.12話までが短すぎる.でもだからこそテンポがよかったのだろうけど.

最終話まで,小粒だけれどキラキラする宝石のような物語が続き,決して視聴者を裏切らなかった.こんなにも素晴らしい番組がなぜ話題にならないのだろう?(視聴率もそんなに良くなかったらしいし)

私は悔しいので,しばらくこの「なぞの転校生」の話題を続けたい.

#BSジャパンで現在放送中です(日曜の深夜0時).次回は第2話.物語が動き出す回です.とにかくオススメです!

2014年4月10日木曜日

健康の基本は質の良い睡眠から

最近,ひどく眠たかった.疲れも蓄積している.どうしたものかと思ったのだけれど(少し胃も悪くしていたが),今日は少し調子がいい.なにが異なるかといえば,昨晩は鼻炎の薬を飲んで寝たということである.

考えてみるに,どうも最近よく眠れていなかったことが体調不良の原因ではないかと思われる.特に花粉症の季節になって,鼻がつまっているのだけれどこれがいけないらしい.確かに夜中にも鼻づまりがつらくて目が覚めてしまうこともたびたびあった.朝起きると首筋が非常に凝っていて首が回らない.ひどい時には頭痛までする.目も痛い.疲れがとれていないのも仕方ないということだったのだ.

昨晩は,鼻炎のための薬を飲んだから,薬の作用もあってぐっすり眠れたらしい.正味5時間弱しか眠らなかったのだけれど,体調はスッキリしている.質の良い睡眠がとれたということらしい.

胃を悪くしたのも,睡眠不足のせいに違いない.集中力不足だってそうだ.やっぱり人は睡眠時間を十分に取らなければならないとあらためて思う.ただし,ただ長く眠ればいいわけではなくて,やはり(質)×(量)なのだろう.

睡眠の質を上げるために,今日からは眠る前に呼吸法をしよう.深くリラックスして眠るのだ.しかし,呼吸法をしようにも鼻がつまっていてはどうしようもないのだけれど.

2014年4月9日水曜日

Easy come, easy go.

B'zの歌ではありません.

容易に得たものは,同じく容易に失いやすい,ということ.

最近の若い人は(定型句),すぐ楽をしようとする.しかし,楽をしているかぎり,それは身につかず,すぐに手放さざるを得なくなるということが理解できていないのではないだろうか,と思うのである.

合氣道の藤平光一先生が,よく講習会で言われていた.正しいことを教えると,それで技ができるようになる.それで満足してしまう.しかし,実際に技として使えるためには,それを一生懸命身につくまで稽古しなければならない.そうでなければ,すぐにできなくなってしまう.結局,Easy come, easy go. だ,と.

技術を自分の身につけるためには,何らかの痛みを代償にしなければならないのではないかと思う.それは,努力であり,苦労であり,感動であったりする(感動は心に傷をつけることかと思う).そうしたものがなければ,すなわち「身銭を切って」得たものでなければ,その技術は使いものにならない,あるいはすぐに失ってしまうのではないだろうか.

たとえば,卑近な例をあげれば,英単語.なんども同じ単語を辞書で調べてしまう.ある単語の意味を辞書で確認したら,すぐにもともとの本題に戻ってしまう.そこで何か工夫をしていなければ,すぐにその意味を忘れてしまう.そして同じ単語が出た際に,調べたことは覚えているけれど,単語の意味は忘れている,ということがしばしば起こる.これは,辞書を引く際に,なんの痛みも無いからである.この傾向は,電子辞書を使うようになってますます加速している.単語を調べることがますます楽になっているからである.

Googleなどの検索もまさにこれである.すぐに答えがWeb上で検索されるから,その答えの意味が身につかない.どんどん忘れていく.これを防ぐためには,自分に負担をかけるなにかの工夫が必要なのである.

さらに考えると,研究における回路のシミュレーションもそうである.回路シミュレーションが走れば,それでひと安心してしまうが,一体どれだけの技術がそれで身につくのだろうか.やはり試験装置を苦労して作り動かすことが,真の技術を身に付けるということにならないだろうか.少なくとも,メーカーなどの現場では,そちらの方がいいに決まっている.

「身銭を切る」という代償によって,ある技術を得る.これは一種の等価交換なのではないだろうか.世の中,やっぱりそうした法則で成り立っているのである.

2014年4月8日火曜日

「助けてもらう力」を養おう: 研究室新メンバーへのお話(2)

私は地域では福祉委員という役を務めさせていただいているのだけれど(ほとんど仕事できていなくて申し訳ありません),その関係で聞かせていただいた福祉の講演会の中のお話が印象的だったので,少しだけご紹介.

講演会やセミナーで集まった福祉関係のボランティアの人たちに,「皆さんの町でどなたかが「助けてください」と手を挙げたら,助けようとする人はどれくらいいますか?」と尋ねてみると,だいたいどこでも90%以上の方々が手を挙げるのだという.
一方,「もしも皆さんが誰かの助けが必要な状況になったとして,「助けてください」と手を挙げることができる人は?」と尋ねると,手を挙げる人は10%にも満たないのだという.

この話には私も納得がいく.多くの人は他人に迷惑をかけるのが嫌だと思っているから,このような結果になるのは当然のような気もする.しかし,このように助ける側と助けられる側の非対称性が存在していることが問題なのだ.

福祉の観点からいけば,助けを求める人,助ける人,どちらも同等でなければならない.そうでなければ,助けあう社会などは実現できないだろう.すなわち,これからの社会では,うまく「助けてもらう力」が大事なのだ.

この状況は,仕事や研究室の人間関係にもあてはまると思う.誰かに助けてもらえることも,その人の能力なのである.研究で行き詰まって誰にも聞けない,困っていますと手も挙げることができない,そんな状況では,八方ふさがり,ただただ自分が疲弊していくだけである.

でももしもそんなとき,「困っています,助けてください」といえる勇気があったらどうだろう?恥ずかしくて,やはりそんなこと言えないだろうか.でも逆に,自分の目の前で「助けてください」と手を挙げる人がいたら,つべこべ言わずに喜んで手を差し伸べるのではないだろうか.先に述べた話の90%と10%の非対称を思いだそう.そう思えば,「助けてください」と手を挙げることへのハードルも少しは低くなるのではないだろうか.勇気をもって,人に相談しよう.

みんなが喜んで手を貸してくれる人がいたら,それはひとつの才能である.研究室でも仕事の現場でもそうした力もつけていったらよいのではないかと思うのである.ひとりで悩んでいないで,すぐに相談してみたらいい.ひとりの行き詰まりは,結局みんなの行き詰まりになる.みんながひとりを助けることが,全員の前進につながるのである.

自分の実力を向上するのももちろん大切だけれど,こうして必要なときにみんなに頼る能力も,そしてみんなが自分を助けてくれる能力も,生きていく上でたいへん大切のような気がする.福祉の現場でもそうだけれど,研究室でも不可欠なのかもしれない.


2014年4月7日月曜日

研究室における存在確率を高めよう : 研究室新メンバーへのお話(1)

今日から大阪大学でも新学期が始まった.昼休みに食堂がたいへん混むことで,新しい学期の始まりを感じる.これが一ヶ月も過ぎてゴールデンウィーク明けになれば,食堂は混まなくなるのだから不思議だ.これだけの学生たちは一体どこへ行ってしまうのだろう?

研究室にも新しく修士(博士前期課程)の学生が入ってきた.外部から4名.もともと研究室から進学した学部4年生,研究生を含めると,全部で修士1年は9名となる.かなり大所帯である...

さて,本日研究室の対面式というものが行われた.そこで私がするあいさつは短いのだけれど内容は毎年決まっている.今日はその話を書く.

新しく研究室のメンバーとなった皆さんには,とにかく研究室で過ごす時間が長くなるように努力して欲しいと思います.皆さんの実力は,研究室で過ごした時間の積分で決まると思っています.たとえ用事が無くとも研究室にいることで,いろいろな知識・情報を得ることができます.また研究室の仲間とのきずなも強くなるものと思います.まずはなにはなくとも研究室に長くいるようにして欲しいと思います.

これだけである.この話は,もしかすると何かの折に,私の指導教官である嶋田隆一先生から伺った話かもしれない(そこらへんの出典がすでに曖昧なほど昔から使っているネタなのだ).研究室に配属が決定してからも,学校に出てこない学生がときどきいる.そうした学生が一番困る.大学生なのだから学外の生活指導をする気はそうそうないのだけれど,まったく制御不能となるとこれまた卒業研究に関わる問題が生じてくる.声をかけようにも届かない.これが一番困るのだ.まずは,教員やその他のメンバーと顔を合わせる機会を多くして,コミュニケーションのハードルを下げる努力が必要である.コミュニケーションさえ取れれば,なんとかなるだろう.

研究室における存在確率を増やすこと.これをまず心がけて欲しいと思う.

#実は自分が学生時代は,用も無いのに研究室にいるのが嫌で嫌でしょうがなかった.そんな時間があったら,合氣道の稽古か,映画館か本屋,あるいは渋谷や神田のCDショップに行くほうがずっとマシだと思っていたから.それでも(仕方なく)研究室にいる時間は長かったので,いろいろと勉強することができた.こうして振り返ってみると,やはり研究室にはそれなりに長い時間を費やしたほうがいいと思うのである.