2015年6月7日日曜日

ファインプレーは要らない

ゲームにファインプレーは要らない.
万全の準備と確実な実行さえ伴えば.

チャンピオンにラッキーパンチは要らない.
当たり前のことを,当たり前にできれば.

つまり,ファインプレーやラッキーパンチに頼らなければならなかったということは,それだけ勝ちが危うかったということである.それは勝利の中でも最も低級な勝ち方である.

戦う前に廟算し,勝つことを確信してから勝負に臨みたいものである.

しかし,これさえも孫子に言わせれば,まだ勝ちの中である(ちなみに戦って勝つのが勝ちの下,戦う前に勝利を確実なものにしてから勝つのが,勝ちの中).百戦百勝であっても善の善にはならず.すなわち,戦わずして勝つことが勝ちの上である.試合という勝負のない毎日の生活においてこそ,戦わずして勝つことが最上なのだろう.そしてそのためには,万全の準備(廟算)と確実な実行が不可欠ということなのだ.

#実は最近,具志堅用高の世界戦,そしてデュラン,ハーンズ,レナード,ハグラーたちがいた時代のライト級黄金時代の試合を動画で見た.彼らにラッキーパンチは不要だった.当たり前の努力と各自当たり前の戦術が実行できていたということなのだろう.だがそれを確実に行うことができることが才能なのだと思った.

#デュランはガッツ石松とも戦っていたのだと驚いた.しかし,デュランは50歳まで現役だったと知りさらに驚いた.

2015年6月5日金曜日

マインドフルネス,玉簾不断

ある方との会話の中で"Mindfulness"という言葉が出てきた.最近,たまに耳にする言葉である.

私はその単語を聞いて,「玉簾不断」という言葉を思い出した.私の解釈によれば,この2つの言葉ん意味はほぼ同じである.すなわち,「即今,即今」,「今,目の前で起きていることに集中し,十分にそれを味わうこと.過去は既に過ぎ去ってしまったものだから,心を引きずられずにいよう.そして,未来はいまだ来たらず,ということなのだから,不要な不安を抱かぬようにしよう」ということである.

過ぎていく時間の中で,「なんとなく」ではなく,常に自分で意識をもってことに対応する.現在起きていることに心を集中する.これがMindfulnessということかと思う.

一方,「玉簾」とは滝のことである.滝は遠くからみれば連続して水が流れているように見えるが,近くでみるとそれは一滴,一滴断続した水玉の集合でしかない.しかし,その水滴が途切れることなく落ちているからこそ,滝は不断の滝として成り立っているのである.この一つ一つの水滴の積み重ね,すなわちこの瞬間,瞬間と離散的に続ける不断の努力こそが実現の鍵であるということである.

結局のところ,人間が働きかけることができるのは「現在」だけであり,「過去」や「未来」には直接手をかけることができない.ならば,この現在を十分に生きることしか,私たちにできることはないのではないか.

また「連続する」という概念は人間の努力の継続を邪魔する.時間は,現在という点の離散的な,しかし不断の連続体であると思うからこそ,人は努力を継続できるのである.

「今日だけは,この努力をしてみよう」と朝,決意する.「今日からずっと努力しよう」と思うと,つい,これから続く年月の長さのつらさを思い,決意が揺らいでしまう.毎朝,「今日だけは」と思うことが努力を継続させるコツである.

私の記憶が確かならば,「玉簾不断」という言葉は,母校の武道場の入り口に掲げてあったように思う(いや違ったかな...).そのころにもこの言葉の意味を考えたけれど,今またその言葉の重さについて思う.