2015年6月5日金曜日

マインドフルネス,玉簾不断

ある方との会話の中で"Mindfulness"という言葉が出てきた.最近,たまに耳にする言葉である.

私はその単語を聞いて,「玉簾不断」という言葉を思い出した.私の解釈によれば,この2つの言葉の意味はほぼ同じである.すなわち,「即今,即今」,「今,目の前で起きていることに集中し,十分にそれを味わうこと.過去は既に過ぎ去ってしまったものだから,心を引きずられずにいよう.そして,未来はいまだ来たらず,ということなのだから,不要な不安を抱かぬようにしよう」ということである.

過ぎていく時間の中で,「なんとなく」ではなく,常に自分で意識をもってことに対応する.現在起きていることに心を集中する.これがMindfulnessということかと思う.

一方,「玉簾」とは滝のことである.滝は遠くからみれば連続して水が流れているように見えるが,近くでみるとそれは一滴,一滴断続した水玉の集合でしかない.しかし,その水滴が途切れることなく落ちているからこそ,滝は不断の滝として成り立っているのである.この一つ一つの水滴の積み重ね,すなわちこの瞬間,瞬間と離散的に続ける不断の努力こそが実現の鍵であるということである.

結局のところ,人間が働きかけることができるのは「現在」だけであり,「過去」や「未来」には直接手をかけることができない.ならば,この現在を十分に生きることしか,私たちにできることはないのではないか.

また「連続する」という概念は人間の努力の継続を邪魔する.時間は,現在という点の離散的な,しかし不断の連続体であると思うからこそ,人は努力を継続できるのである.

「今日だけは,この努力をしてみよう」と朝,決意する.「今日からずっと努力しよう」と思うと,つい,これから続く年月の長さのつらさを思い,決意が揺らいでしまう.毎朝,「今日だけは」と思うことが努力を継続させるコツである.

私の記憶が確かならば,「玉簾不断」という言葉は,母校の武道場の入り口に掲げてあったように思う(いや違ったかな...).そのころにもこの言葉の意味を考えたけれど,今またその言葉の重さについて思う.





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