2016年1月31日日曜日

ルーシー

スカーレット・ヨハンソンという女優は,なんとなく気になる存在だけれど,綺麗だからというわけでもない。なにかしら心に引っかかるものがあるのだけど,それがなにかよくわからなかった。しかし,この映画を観て,彼女は綺麗だというばかりでなく,人間の嫌なところを感じさせる女優だから気になるのだとわかった。

「ルーシー」(2014年)(監督:リュック・ベッソン)

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先日、映画「ルーシー」を観た。人間は脳の能力のほんの一部しか使っていないという都市伝説(?)に基づいたファンタジー。最後のオチも予想がついた。L.ベッソンらしいクサイ脚本という印象。S.ヨハンソンの魅力だけでもっている映画かな。
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人間の脳は本当に少ししか使われていないのだろうか。

昔,「Night Head」という深夜ドラマがあって,そこでは確か脳の30%しか使われておらず,残りの70%はNight Headと呼ばれて,そこが開発されれば超人的な能力(超能力)を発揮できるという設定だった。たいへん面白いドラマだったと記憶しているけれど,この「ルーシー」も同じような設定が前提である。しかし,現在では,やはり脳はそのほとんどが活動していて,殆どの部位がなにかしらの役目を担っているという方が定説だと聞いている。脳が使用する酸素の量を考えてみてもそのような説の方が納得できる。

映画の最後のオチも想像できた。100%覚醒した脳をもつ人間は,人間として存在できなくなるに違いない。そして普遍的な存在に昇華する。ここらへんもありふれたSFのオチのように思える。

ルーシーという名前は,もちろん人間の祖先であるアウストラロピテクスの名前である。そこらへんもクサイ。最近,リュック・ベッソンの映画はちょっとコテコテの(使い古された)設定が多すぎるのではないか。もっと斬新な話の展開を期待したいなあ。

脳の本来の能力は,結局通常時どのくらい使われているのかわからないけれど,人間の身体,特に筋肉はその100%の能力は使われていないのははっきりしている。なぜなら,筋肉が100%の力を出したら筋肉が壊れてしまうから。だから心理的な限界があって,そこまで筋肉を使わないようにしているのである。それを越えるのが「火事場の馬鹿力」だなどと言われているけれど,私はそれは違うのではないかと思う。火事場の馬鹿力とは,単に筋肉のポテンシャルを100%使うことではなく,人間の身体をもっとも効率よく使うよう,いうなれば動物に近い動きをするように,本能が働くことなのではないかと思っているのである。(100%を使うとしたならばそれは北斗神拳である)

スカーレット・.ヨハンソンはいい感じである。主人公は普通の女性,いやむしろダメダメな女性で,全然イケていない,私の近くにいてもあまり近寄りたくない女性である。それをちゃんとS.ヨハンソンは演じている。人間のダメさ加減をちょうどよく演じている。そういった意味で,彼女の演技のうまさに惹かれた。この映画の救いである。

「ルーシー」は,人間の脳にはまだまだポテンシャルがあるのではないか,という希望的な願望あるいは「都市伝説」に基づいた作品である。話自体は月並だが,スカーレット・.ヨハンソンから感じられる人間の汚さ,澱,みたいなものが魅力となっている映画である。

評点(★5つが満点)
★★☆☆☆

2015年12月鑑賞



2016年1月1日金曜日

パワーエレクトロニクスはどこへ行くのか

パワーエレクトロニクスは,William E. Newellの1974年の著名な論文"Power Electronics---Emerging from Limbo"によれば,「エレクトロニクス」,「パワー」そして「コントロール」といった技術の境界に存在する工学と述べられている.そしてそれは,パワーをコントロールできるエレクトロニクス素子,すなわち半導体素子によって支えられてきた.

1947年のトランジスタの発明以来,パワーエレクトロニクスに適用される半導体素子はサイリスタ,GTO,MOSFET,IGBT,IGCT,IEGTなどが次々と出現してきたが,現在はこれまでのSiに代わる次世代のSiC,あるいはGaNを用いた次世代の素子が市場に投入され,パワーエレクトロニクスは新しい展開を迎えていると言われている.

しかし,パワーエレクトロニクスへの要望・期待は産業界からは高まっているものの,残念ながら一般社会からの関心は低いままにとどまっている.それは,まず「パワーエレクトロニクス」という言葉を知っている人はそもそも少ないことや,「インバータ」などという単語でさえも耳にしたことがある人はかなり少ないことをみてもよくわかる.これではパワーエレクトロニクスに興味をもってくれる高校生も少なくなるのも仕方ないだろうと思う.しかし,それではこの分野の人材不足を招いてしまう.問題なのである.

数年前,ある教授の最終講義において,産業界において重要視されているのに大学ではそうではない分野というのが紹介されていて,そのリストの一番上にパワーエレクトロニクスが書かれていたのを見て腰を抜かしたことを覚えている.そうなのか,私の分野は大学では軽視されているのか.その現実を知ってショックを受けた.まぁ,大学でさえそうなのだから,一般では認知されていないのもやむをえない.

そもそも,パワーエレクトロニクスはいくつかの工学のすりあわせ,システム工学であり,応用分野である.基礎学問ではないから軽視されるだろうし,ノーベル賞にも縁がないだろう.そして関心がもたれない一番の理由は,私たちの周囲において,パワーエレクトロニクスは「技術」として姿が見えにくいからではないだろうかと思われるのである.

でもそれも仕方がない,とも思う.なぜなら,パワーエレクトロニクスの目標は,小型化,高効率化,高機能化である.これらの目標が達成されればされるほど,装置は小さくなり,音は聞こえなくなり,人の目にふれないところへ押しやられていく.元来,そうした性格をもった技術なのである.それでいて複雑な制御を実現して便利になっていく.現代社会の利便性を支える「縁の下の力持ち」的な技術なのである.

それでは,これからパワーエレクトロニクスはどこへ行くのだろうか.電力,鉄道,自動車,家電などいくつかの分野があるので様々なベクトルがあるだろうが,そのひとつには,ますます便利になって,ますます人の目にふれなくなっていくという方向があるように思う.そして私は次の言葉を思い出す.

"Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic. "
(十分に進んだ科学技術は,魔法と区別がつかない)
~アーサー・C・クラークの第3法則より~

そう,パワーエレクトロニクスが行き着くところは魔法の実現ではないだろうか.たとえば200年前に生きていた人が現代の技術をみたときに,魔法としか思えないものも多々あるに違いない.回路はますます高効率・高出力となって小型化され,人々の目の前からその存在を隠していくことになるだろう.そして私たちは,その存在を意識することなくその便利さを享受するのである.気づかれなくたっていい.みんながパワーエレクトロニクスが実現する魔法で便利に暮らすことができるようになるのであれば.それはパワーエレクトロニクスのゴールの達成なのだから.

ただ問題は解決されないままである.魔法の実現によってパワーエレクトロニクスに興味を持ってくれる若者は増えるだろうか?いや,ますます減るに違いないのである.なんとも悲しい運命をもった技術なのかもしれない.