2017年3月23日木曜日

大学の対応 今昔

以前と大学の入学式・卒業式の様相が異なっているという話をしたけれど,大きく様変わりしたなぁと思うことのひとつに「学生が不祥事を起こした時の大学側」の対応がある.

最近,有名私立・国公立大学において不祥事が多発しており,そのたびに学校側の所属学部長あたりの役職の人が記者会見を開き,マスコミに向かって頭を下げている映像を見ている.一応私も大学側の人間として,たいへんだなぁと思わざるを得ないのだけれど,ニュースを見ている人たちは大学が頭を下げるのが当然だと思っているのだろうか,と不思議に思う.

繰り返していうけれど,大学生は一人前の大人として取り扱うべきなのであると思う.だから大学においては,小・中・高校と違って生活指導,道徳などの講義時間が無い(はずである).私が大学生だったころ,同期の学生が罪を犯し,たいへんな事件となったことがあるのだけれど,それでも学校側が記者会見を開いた,という覚えは無い.ずいぶんあとになって,その学生の罪が確定してからのち,掲示板に退学処分が張り出されただけである.それが当時の普通の感覚だったのである.

もしも学生が不祥事を起こすたびに,大学側が記者会見を開いてそのたびに謝っていたら,たぶん私の上の世代,すなわち学生運動が盛んだった時代には,毎日のようにあちらこちらで謝罪会見が開かれていたに違いない.しかし,当時,大学は学生の生活を指導する立場ではなかったから,そんなことはなかったのであろう.

しかし,現在は大学が学生の生活・素行にまで責任をとるということが社会の通念になっているらしい.大学とはあくまでも学問探究の場であって,それまでの小・中・高校のように生活指導を行う場ではないと思っている私は少数派なのだろう.でも私は,やはり大学生はもう大人であるという自覚を持って行動して欲しいと思う.彼らの生活には大学は関与しないべきだ.一方で,罪を犯したのであれば学生だから未熟であるという配慮はやめて,一般人と同様厳罰に処すべきだと思う.大学生活は高校生活の延長であってはならないと思うのである.

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