2017年5月29日月曜日

「L」のマークの車が怖い

人は健全な自己肯定感をもつことが大切であって,これを損なうと心の安定を失う.

「うつヌケ」(田中圭一著)を読んでもそのように書いてあった.この自己肯定感をうしなうと,すなわち自分が嫌いになると「うつ」になりやすいと.

武道においてはこの自己肯定感がなければ,到底真剣の場に立つことはできないだろう.心身の修行は自己肯定感をもつために行っているのではないかと最近思っている.

しかし,過剰な自己肯定感,あるいは有能感は害となる.卑近な例だけれど,自動車を運転すると過剰な有能感にひたれるらしい.毎日,ここかしこでそうした乱暴な運転を行っている車を見かけるけれど,運転手の姿を見るとどうも見た目は普通そうな人が多い.見るからに危なそうな人というのはめったにいない.どこにでもいるような人が,車という密室空間の中で,自分ではなくその車の性能によって有能感に浸っているのではないかのように思われる.もちろん,運転自体を楽しむ人もいるだろう.しかしそうした人たちは朝の渋滞で無謀な車線変更を繰り返し,みんなを恐れさせるような運転はしないのではないだろうか.

私の個人的な感想だけれど,やっぱり性能の良い車に乗っている人は危ない運転をしている率が高いような気がする.乗っている車のクラスがベンツやポルシェまでいくと,そんなに乱暴な運転をしている人は少ないような気がするけれど,やはり走り屋仕様のような格好の車は怖い運転をする.そして,これこそ個人的な印象だけれど,「L」というマークが入った車が一番怖いと思っている.初老の男性が運転している場合が多くて,運転も荒い.後ろから迫ってくると「来た来た」と警戒してしまう.

もしも混雑している人々の中であんな歩き方,走り方をしていたら,だれかが注意するだろう.いやそんな歩き方をそもそもしないに違いない.素のままの自分ではそのようなことはしないのだ.車という機械で身を固めたときに有能感に満たされ,行動が荒くなるのである.車の運転には人の本性が現れるという.怖い,怖い.

2017年5月27日土曜日

「くるり」はどこへ行く?

長年続いているバンドというのもたくさんあって,私が好きなバンドもいくつかあるのだけれど,だいたいが時が経つにつれ音楽は新しくなってきているけれどコンセプトは変わらないというバンドが多い.

たとえば,TRICERATOPS.彼らの音楽は時代につれて新しくなっているけれど,以前から「踊れるロック」というコンセプトは変わっていない.そこが大好きなのである.

また,アジアンカンフージェネレーションだってそうだ.以前に出したアルバムを10年以上を経て,そのまま再レコーディングして発売している.もちろん音楽はいまにあったものに変わっているだろうが,彼らのコンセプトは変わっていないことを示しているように思える.

そんなバンドが多い中,私の好きなバンドの一つ,「くるり」が最近向かっている方向がよくわからない.これからどこへ行こうとしているのか,気になっている.

「くるり」といえば,「東京」,「ワンダーフォーゲル」,「ばらの花」などの比較的初期のイノセントな曲が好きだったりするのだけれど,リリースされた曲を聴いて驚いたのが「Liberty & Gravity」である.聴いてもらえばこの曲の不思議さがわかってもらえると思うのだけれど,なんというか,無国籍感そして少し笑いを含ませたような曲になっていて,それでいてセンスの良さが損なわれていない,ギリギリのところで曲が成立しているのである.初めて聴いたときは思わずニヤついてしまった.

そして昨年リリースの「琥珀色の街、上海蟹の朝」.これがまた素晴らしい.ふざけたような歌詞を中毒性のあるわかりやすいメロディーに乗せて歌っている.わらっちゃうような,せつなくなるような,そしてクールな絶妙の音楽である.

初期のようなピュアさが薄まって,独自の世界に入っていこうとしていることは確からしい.アジア風になっていくことで逆に無国籍を感じさせる不思議な音楽である.こんな音楽を目指している「くるり」.ますます好きになってしまう.

2017年5月25日木曜日

「ちいさい」ではなく,「ちっさい」

学会などの発表の場において,この人は関西の人だなぁと思うことに,「小さい」という形容詞の発音がある.

関東では「ちいさい」と発音するが,どうも関西では「ちっさい」と小さな「っ」が少しだけ強調されて発音されることが多い.

「小さくなる」も「ちいさくなる」ではなく,「ちっさくなる」である(私の心情的には,「っ」ではなく,「ちッさくなる」と「ッ」を使った方が近い感じがする).

発音が気になり始めると,ますます気にしてしまう.学会の発表において関西弁で話す人は見たことがないけれど,こんな細かいところに関西の人の片鱗が垣間見えるのだ.

私も関西に来て十数年経つけれど,「ちっさい」とは発音はまだできないようだ

2017年5月24日水曜日

Vodka Martini, Shaken, Not Stirred.

James Bondを演じていたロジャー・ムーア氏が亡くなったそうである.正直,彼の007はそれほどカッコいいと思ったことはないけれど,広川太一郎氏の吹き替えでユーモアあふれる,それでいて上品なボンドであったことは間違いない.キャノンボールなんて映画への出演も洒落ていた.多くの人に愛されたボンドだったろう.

彼の演じたボンドも言っていたかどうか,覚えが定かでないけれど,ボンドが飲むカクテルといえば
"Vodka Martini, Shaken, Not Stirred."
であって,いつか私も言ってみたいと思うセリフである.まあ,実際のカクテルバーに行った際にはとても恥ずかしくて言えないけれど.

カクテルの専門家が話していたけれど,やっぱりかき混ぜたほうがオーソドックスとのことである.ただ下手なバーテンダーがかき混ぜると不味いので,それでNot Stirredと言っているのではないかなどという話.

ダニエル・クレイグの「カジノ・ロワイヤル」では,Vesperという愛した女性の名前をつけたカクテルということになっている.私は彼のボンドが一番好きなのだけれど,ポーカーのシーンで彼がカクテルを頼むところがかっこよくてたまらない.同じカクテルは頼まないけれど,私もバーでかっこよく振る舞いたいものである.居酒屋ばかりでこの20年近くはカクテルバーには行ったことがないような気がするけど...

2017年5月23日火曜日

夏夏冬冬

今日は,電気学会の調査専門委員会に参加のため梅田に出た.
梅田から堂島の中央電気倶楽部まで20分ほど歩くことになる.今日は暑くて汗が出た.まだ5月というのにもう夏のような気がする.いったい春はどこへ行った?

年々,春だなと思う時期がどんどん短くなっているような気がする.秋もそうだ.夏が終わったらすぐに木枯らしが吹いているような気がする.日本からは春と秋がなくなりつつあるのではないだろうか.

以前,中国の成都から来た留学生が,私の故郷は夏と冬しかないと言っていたのを思い出す.それを聞いたときは,それはお気の毒に,と思ったものだけれど,いつの間にか日本も同じような状況になってしまった.春夏秋冬の四季ではなく,夏夏冬冬の二季だ.

世の女性にとって春服を着る季節があまりにも短くなってしまい,かわいそうな気がする.男はTシャツさえ着ていればいいのだけれど.

そして私は,ストーブを片付けるタイミングを逃してしまった.そんなことを言っている間に次は梅雨がやってくるのだろう.衣替えもまだ十分ではないというのに...

2017年5月22日月曜日

最近の音楽の流行りはこんな感じ?

最近,なんとなく気になる音楽の流行がある.グループ名でいうと,

Suchmos
Nulbarich
cero

あたり.
なんとなく薄暗くて,それでいてグルーブ感がある.とにかくカッコいい.
マイルスのKind of Blueあたりのモード・ジャズを私は思い出す.どこか醒めた都会的なカッコよさがある.

どのバンドもすごく若そうなのがまたいい.どこかのオジサンたちが懐古趣味でやっているわけではなく,若い人が彼らの感覚でカッコいいと思うことをやっているところがいい.私のようなオジサンも,もう四の五の言わずに,彼らが奏でる音楽のグルーブ感を愉しめばいいように思う.

彼らっぽい音楽が最近増えているような気がする.このさき,昔の90年代の渋谷系みたいな大きな流行りになっていくといいな,と思う.

#BEAMSが作った”TOKYO CULTURE STORY|今夜はブギー・バック(smooth rap) in 40 YEARS OF TOKYO FASHION & MUSIC|presented by BEAMS”という秀逸な動画があって,その画と音楽のクオリティが素晴らしいのだけれど,Suchmosを最後のあたりにもってくるところがニクい

2017年5月20日土曜日

ハンドスピナーはフライホイール

ハンドスピナーことFidget Spinnerが日本でもじわじわと話題になってきた.なんのことはない,たいへん低損失のボールベアリングで回るフライホイールなのだ.

フライホイールとは日本語で「はずみ車」で,重さをもった円盤(あるいは円環)を高速で回すことによって力学的なエネルギーを貯蔵するものである.例えば,自転車の後輪を浮かせてペダルをぐるぐる回す.ある程度回転速度が高くなるとペダルから手を離しても車輪はしばらく回り続ける.あれである.車輪にたまったエネルギーはベアリングなどで消費され,速度はゆっくりとなりやがて止まる.これは貯蔵エネルギーがゼロになったことを示す.

あるいは木くずに木の棒を押し当ててぐるぐる回す火おこしをご存知だろう.棒の先に円盤がついている器具をみたことはないだろうか.その重みで回転させるのが楽に感じるようになる仕掛けである.太古の時代より,人類はフライホイールにお世話になってきたのである.

核融合のための臨界プラズマ試験装置JT-60では,巨大なパルス電力を使用するため予めフライホイールを回してエネルギーを貯蔵しておき,必要なときに一気に放出する電源システムになっている.フライホイールも巨大で,確か直径6.6m,厚さ0.4m,重さ107トンの鉄のディスクを6枚縦に積んで,それを発電機の回転子に直結して使用している.発電機とあわせて貯蔵エネルギーは8GJ.そのうち4GJを1回のパルスで放出できるシステムだ.もうこんな大きなフライホイールは作れないかもしれない.ちなみに直径の大きさは製鉄所の炉のだったか,鍛造機だったかの入口の大きさで決まったとのことである.

フライホイールの良さは,単純かつ高繰り返しに強いことである.一方,欠点は待機電力が大きいこと.使わないでただ回っているだけでもそれなりの電力が必要となる.JT-60のフライホイールの回転速度は600rpm,周速は音速の2/3にも達するということだから相当の風損がある.約1000トンを支える軸受も大きな損失を生じる.しかし,これほど堅牢で長寿命のエネルギー蓄積装置はそうそう見つからないのである.バッテリーもキャパシタも敵わない.

宇宙戦艦ヤマトは波動エンジンを始動するときに,まず補助エンジンにてフライホイールを回転させ,それを接続することで波動エンジンを起動させていたような描写がある.「フライホイール接続,点火!」というあの島大介の掛け声(?)である.あのころはフライホイールは身近だったのだ.先日,豊中キャンパスで1年生を中心としたクラスの講義でフライホイールについて尋ねたら知っている学生はほとんどいなかったのだが...

とにかくハンドスピナーを見て思うのはフライホイールである.世の中の子供たちがフライホイールにもう少し親近感を持ってくれるとうれしい.

2017年5月18日木曜日

キカイダー01は太陽電池で動いていた

今朝,キカイダー01の主題歌をたまたま耳にした.歌詞を聞いて驚いた.キカイダーはご存知の通り,身体が赤と青に塗り分けられた人造人間なのだけれど,頭部は透明のカバーがかかっていて,内部の機械が透けて見えるようになっていた.私はそれが単なるデザインだと思っていたのだけれど,なんとキカイダー01はこの頭部に取り付けられた太陽電池によって動いているという設定だったらしい.歌詞にも「光り輝く太陽電池」とあった.

まず太陽電池が輝くというのはあまりよくない.それだけ光を反射してしまい,受光するエネルギーが減ってしまう.つや消し黒が良いのではないだろうか.

そして何より太陽電池が小さすぎるのが問題だ.例え頭部全体が太陽光を受光するにしても多分その面積は頭囲60cmとして円周60cmの円の面積はだいたい300cm^2 = 0.03 m^2となる.これが必要な電力に対してかなり小さいのだ.

日光のエネルギーはどのくらいなのかご存知だろうか.実は晴れた日の正午でだいたい地上1m^2あたり1000W~1200W程度と言われている.現在の太陽電池の変換効率が17%だとしても170W程度しか電力に変換できないことになる.1000Wのドライヤーひとつ駆動できないのである.

さて,キカイダー01.太陽電池の効率が将来の量子ドット太陽電池などが実現されたとして60%くらいまであがったとしよう.それでも,頭部の太陽電池で発電できるのは,0.03 m^2 * 1200 W/m^2 * 60%/100 = 21.6 Wということになる.たかが20Wなんて,蛍光灯ぐらいしか使い物にならない電力である(現実的な変換効率15%では約4分の1の5Wしか発電できないことになる.iPhoneの充電くらいにしか使えない).

馬力に直すと,1馬力 = 735 W程度だから,21.6/735 = 0.03馬力でしかない.そんなパワーで敵を倒せるのだろうか?

いや,そもそも人間の1日の必要カロリーが2000 kcal =8.4 MJとして,24時間*60分*60秒 = 86400秒で割ると,平均97 W程度.すなわち人は平均100W で動いていることになり,キカイダーは人間より少ないカロリーで動いていることになる.これじゃ,人よりも大きな力を出せるはずがない.もしも24時間充電できたとして,8.4MJを1秒間にパルス的に放出できれば8.4MW=11428馬力だせるけれど,1秒で敵を倒さなければならないのみならず,86399秒は静止して充電していなければならないのである.これじゃ地球は救えない.

しかし,子供の頃からこんな話を見聞きしてきたのだから,普通の人が太陽電池に過度な期待をしてしまうのも仕方ないのかなと思う.たぶんキカイダー01も,どこかのプラグインハイブリッド自動車と同じで太陽光発電は単なるお飾りで,実はコンセントを差し込んで充電していたに違いない.

ちなみに鉄腕アトムは10万馬力.動力源は原子炉である.

2017年5月17日水曜日

元気,根気,勇気

アントニオ猪木は,

元気
根気
勇気

が大切だと言った.
なにごとをするにも元気が大切だと最近つくづく思う.私はずっと元気がなかったようだ.昨年の後半からようやく元気が出てきた.こうしてまたブログも書き続けることができるようになった.

根気も育ってきた.おかげで勇気も湧いてきた.
まったく,アントニオ猪木の言うとおりだ.
単純だけれど,大事な話だ.

2017年5月16日火曜日

Gun fu

この前に挙げた興味のある映画はみなヒーローが魅力的で超人的な強さを発揮するのだけれど,それぞれが使う格闘技は別である.Jack ReacherはKFM,Jason Bourneはカリといった具合である.しかし,John Wickは謎である.いろいろな格闘技がミックスされているようだけれど,どうもはっきりしない.しかし,彼のアクションが他に比べ最も映画にぴったりで流麗のように思える.

彼のアクションは最近よく見かける (?), いわゆるGun fuである.すなわちガンアクションとカンフー(実際は他の格闘技)との組み合わせでもっとも派手に,流麗に行われるアクションなのである.

最初に話題にのぼったのは,たぶんマトリックスあたりだと思うけれど,ひとつの究極の形を示したのは「Equibulium」のGun kataである.主演のクリスチャン・ベイルが,ある意味笑ってしまうようなすごいアクションを披露している.これは少しやりすぎだと,私も観たときに思ったけれど.

それに比べると,John Wickはもっと現実的なアクションになっているように見える.銃や格闘技だけではない,カーアクションにおいても芸術的な画をみることができる(そもそも使われている自動車自体が芸術品なのだけれど).すべてが複合的に組み合わされて,息もつかせぬアクションを実現している.アクションの流麗さでいえば,John Wickが最も優れていると私は思っている.

ということで,Chapter2が早くみたい.無敵の引退した殺し屋という設定がなによりもキアヌ・リーブスに似合っている.あんなカッコいい男,そうそういない.

2017年5月15日月曜日

雑誌「秘伝」に見る格闘技のはやりすたり

ついこの前,映画「アウトロー」を観て,そこで使用されていた格闘技「キーシ・ファイティング・メソッド,KFM」が気になったと紹介したのだけれど,本屋で少し手にとってみた今月の「秘伝」(というDeepな雑誌があるのだけれど)に,なんとKFMがデカデカと紹介されていて驚いてしまった.シンクロニシティというよりも,KFMがそこまでMajorになっていたということに気づかなかった私が遅れているのだろう.

しかし数年前の「秘伝」では,たしかシラットかカリなどが紹介されていて,これからジークンドーやクラヴマガに次いで東南アジア系の格闘技が流行るのではないか,という記事だったように思うのだけれど,格闘技の世界にも流行り廃りがあるらしい.今月号は,KFMの他に,クラヴマガと詠春拳の現代バージョンが紹介されている.

流行り廃りがあるとはいえ,「秘伝」においては,システマがずっと注目されていて,その他は古流の空手や意拳などが紹介されている.昔の紙面は,全国各地に伝承されている古流武術の紹介が多かったように思うのだけれど,現在は読者が実体験をできる格闘技,あるいは心身の操作法に関する記事が多くなっているようだ.ずいぶん雑誌のスタイルも変わってきたことに気づく.

しかし,このように伝統武術,古流,そして新しい格闘術と紹介しているけれど,こうしたベクトルに興味のある人々は,スポーツとしての空手,剣道,柔道をずっと練習してきている人口に比べてどれだけいるのだろうかと疑問に思う.たぶん「秘伝」という雑誌が潰れなくて済む程度の需要を生む人口はあるのだろう.そうした人々が単なる武術オタクでないことを期待したいと思うのだけど.

2017年5月12日金曜日

邦画にヒーローは生まれにくいのだろうか

相変わらず映画界では二匹目のドジョウをねらって,前作のヒットを受けたシリーズ化が盛んである.バイオハザードのように6作(?)も作られたものもあるし,スターウォーズのようにこれからもまだまだ続くシリーズもある.だいたい2作目は1作目を越えられないということが多いのだけれど(もちろん,そうではないものもある.ターミネーターとかゴッドファーザーとか),そうであったとしても気になっているシリーズ化された映画が数本ある.

Jack Reacher: Never go back
Jason Bourne
John Wick: Chapter 2

どれもヒーローの名前を冠した映画である.共通しているのは,ヒーローの超人的な強さ・賢さである.やっぱり男たるものそうしたものに憧れてしまうのだ.

そしてアクションのリアリティ.どの映画も戦闘シーン(銃撃戦,格闘)のリアリティを追求していて,そこらへんの工夫を楽しみにしている(実際は映画用にいろいろと演出されているのだけれど,そこらへんを見つけるのも楽しみのひとつだ).決してCGに逃げていないところがうれしい.

しかし観てみたい映画に邦画が含まれていないのが寂しい.強力なヒーローが邦画では生まれにくいのだろうか.もう座頭市のような時代劇シリーズもないし.ハリウッドのような大作でなくとも面白いものは作れると思うのだけど...誰か新しいヒーローを作ってくれないだろうか,と切に思う.

2017年5月11日木曜日

老化はあの世に旅立つ準備

歳のせいか,最近もの忘れをすることが多くなった.三歩も歩けば,何を考えていたのか忘れてしまう.トリ同然である自分に気づき,呆然とすることもしばしばである.

老眼でモノもよく見えなくなってきた.もともと近視でもあるから,目の焦点が合う距離が限られてきて,対象物をもって手を離したり近づけたりして調整する必要がある.

そして耳もずいぶん遠くなってきた.大事な話が聞こえない.どうも最近は悪口を言われてもそれさえも聞こえなくなってきたようだ.

こうした心身の老化は,実はあちらの世界に行く準備を少しずつ整えていることではないかと考えるようになってきた.この世に未練を残さぬよう,嫌なことを見たり聞いたりしなくなり,その上で多くのことを忘れることによって,綺麗さっぱりあの世に行けるのである.

老化はゆっくりとした死への準備である.

以前にも書いたが,村上春樹の小説「タイランド」に興味深いセリフがある.

「これからあなたはゆるやかに死に向かう準備をなさらなくてはなりません。これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることができなくなります。少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬることとは、ある意味では等価なのです、ドクター」

とうとうそうしたことを真剣に考える年齢になった.でも,それを静かに受け入れることができる歳でもある.

2017年5月10日水曜日

キーシ・ファイティング・メソッド KFM

昨日,ちらりとテレビで「アウトロー」が放映されているのを見た.私は実はこの映画が大好きで,第2作の「Jack Reacher: Never Go Back」も気になっている.トム・クルーズもこのシリーズが好きそうで,自分の世界をまた作っている.

主人公のJack Reacherは,陸軍のヒーローだった男で現在は引退している.でも格闘技と射撃の腕前は依然としてすばらしく,また記憶力も推理力も人一倍優れている男である.

映画の内容についてはこれくらいにして,今回の話題は彼が映画の中で使っていた格闘技である.たぶん「キーシ・ファイティング・メソッド (Keysi Fighting Method, KFM)」と思われる.これを最初に目にしたのは,クリスチャン・ベイルが主演をつとめた「バットマン」シリーズの戦闘シーンでなのだけれど,肘と前腕部をスペース小さく使い,効果的に相手の攻撃を防御し反撃するのが特徴で,ちょうど動きにくいバットマンスーツを着て行うのにはちょうど良い格闘技なのである.

今回のトム・クルーズもたぶん相当練習したのだろう,KFMをうまく使ってバーで絡まれたあとのファイトシーンなどで,そのアクションを披露している.なかなか実際的な技である.肘の使い方でいうと,八極拳にも少し似ているような気もする(柳生心眼流とはちょっと遠いかな).

これだけハリウッドでも流行っているのであれば,たぶん日本にももうあるだろう,と思って検索してみたら,やっぱりすでに教室があるらしい.そのうち,私の周りにも体験した人が出てきそうである.

2017年5月9日火曜日

青くさき新緑の毒素は世に満てり

もう夏かと思うような暖かさ,いや暑さが続いている.まだ5月なのに.
山は新緑と呼ぶにはもう遅いような黒々しさをもっている.

このように力強い緑色が山々に映えるようになってくると,緑が快いなんてとても言えなくなる.あまりの緑の荒々しさにむせかえるようだ.

以前にも同様なことを思った詩人がいたらしく,「新緑の毒素」などという詩を書いている.それは高村光太郎の「レモン哀歌」に収められている.

青くさき新緑の毒素は世に満てり

高村の気持ちもわからないではない,今の季節である

2017年5月8日月曜日

戸隠神社,天手力雄命,龍神

私の家の近所に戸隠神社があることに最近気づいた.戸隠といえば,私も大学時代,部の合宿で行ったことがあるけれど,長野県の戸隠がオリジナルのはずであって,こんなところに戸隠の名前があると知って,たいへん興味深く思っていた.

そして先日,ゴールデンウィークということもあって,その戸隠神社に散歩に出かけた.近所だと思ったら意外に遠く,たぶん4, 5 kmは歩いたように思う.行ってみると参道の両脇の杉の木はずいぶんと立派だったけれど,石段を登ったさきにあったのは小さな社だった.しかし社はなんと400年近く前に作られたものらしい.もちろん修理復元されているものではあるけれど,一部はその時代のものが使用されているとのこと.意外にすごい建築物だった.

祀られているのは「天手力雄命」.これは本家の戸隠神社と一緒である.長野の戸隠山は,そもそも天手力雄命があけた天の岩戸が勢い余って落ちてきたものが始まりとされていて,山そのものがもともと御神体だったと言われている.今回訪れた戸隠神社も2百数十年前に山腹から遷宮されているというから,始まりはやはり山がご神体だったのかもしれない.

そして,天の岩戸が落ちたときの音に応じて現れたのが九頭龍神とされていて,長野の戸隠神社では龍神が祀られている.一方,近所の戸隠神社にはさすがに龍神の摂社はなかった(一つ祭神不明の小さな社があったのでもしかするとそうだったかもしれないが).しかし,その近所には龍神が祀られている神社が存在しており,そこに戸隠神社と龍神との縁を感じる.ただし,そちらの方はもともと地元を流れている川自体が崇拝対象になったような気もする.

意外なところに意外な神様が祀られているのが面白く,昔から神社をまわるのが好きだ.しかし,近年は神社ブームで人が多く,まわるのが億劫になっていた.今度は近所の神社めぐりが良さそうだ.


2017年5月3日水曜日

相手の攻撃をかわす能力こそ

合気道をはじめとする型武道において最も問題なのは,相手の攻撃をかわすことであると最近思っている.空手のような打撃系の武道であったとしても,相手の攻撃をかわすことは難しい(だから相手の突きや蹴りがあたることになる).しかし,空手では稽古の中で攻撃をかわすことは普通のこととして練習するから,それなりのかわし方(受け方)を身につけることになる.しかし,合気道のように約束された攻撃しかしない稽古を中心に行っていると,相手の攻撃を待つときにスキだらけになるだけでなく,相手の攻撃をかわすことができない人が多くなる.これは仕方がないことである.

合気道のように技をかけること自体が難しい武道では,その技を中心に練習することが当たり前となる.たとえばポピュラーな「小手返し」という技でも,相手の小手を持てたとしても相手を投げることはなかなかに難しい.だから相手の小手を持ったところから技を練習することも多くなる.一方で,相手の攻撃をかわす練習は少なくなってしまうのである.練習していないことができないのは仕方がないのである.

しかし,たとえ小手を持って技を完璧にかけることができるようになったとしても,その前に殴られたり蹴られたりしたら終わりなのである.もちろん身体が丈夫であれば多少相手の突き蹴りがあたったとしても倒れることはないかもしれない.しかし,相手がナイフなどを持っていたとしたら,身体が丈夫だといってもあまり役に立たないのである.

では空手ならば大丈夫なのかといわれてもそれも難しいように思える.たとえ一撃で人を倒すことができる突きを身につけたとしても,それを相手に当てる前に殴られてしまったら終わりなのである.結局,相手の攻撃をかわす能力がなければ,自分がどんなに強力な攻撃力をもっていたとしても,その力は無駄になるのである(もちろん,「先手必勝」で先に攻撃することもあるけれど,それはそれでいろいろと問題が起こる).

では合気道や他の型武道においても,自由組手のような稽古を中心としてやるべきかという話になるけれど,私はそれもちょっと違うと思う.自由組手のような稽古を中心に行うと,精妙な技術を身につける前に,一定の間合いでドツキ合いになることが多くなって,結局力とスピードの体力勝負の技術ばかりが身についてしまい,その先に進みづらくなるのではないだろうか.せっかく精妙な技術が伝承されてきたのに,力とスピードの世界にまた後戻りになるのであればもったいない.年齢とともに弱くなっていくのであれば,それは武術と言えるのだろうかと思う.

ではどうすればいいのか.それは私もまだ解決できないけれど,剣豪 寺田宗有のように型稽古の中でもその技術は研鑽できると信じて稽古するしかない.でもそうでなければ武道を稽古する意味がないのではないかと思う.

#もちろんできる人はできます

2017年5月1日月曜日

研究室公開で一般の方々に研究内容を説明する

昨日,今日と,大阪大学は「いちょう祭」という一種の学祭が開かれており,吹田キャンパスでは研究室公開がされていた.阪大への進学を考えている高校生をはじめ,近隣に住まわれている方々にも足を運んでいただいている.

うちの研究室では,来室された方々への説明は主に修士1年の学生が行うことになっている.これが学生たちにとっては良い経験となる.パワーエレクトロニクスどころか電気工学を知らない方々に自分たちの研究を理解してもらえるのは大変難しい.それを課せられているのである.

でもこれは就職活動にも役立つ(修士1年は就活はまだだけれど).就活ではほとんどの会社で,「現在の研究について説明してください」と言われることになる.しかし説明する相手は,自分の専門分野に詳しい人ばかりではない.人事の人もいるだろう.そうした人たちにもわかってもらえるように,説明することが求められる.

こうしたときに想定する相手の知識レベルは高校生程度に設定すべし,とはよく言われることである.高校の物理程度の知識で理解できるようにお話しなければならない.まぁ,今日のように理工系とは縁遠い一般の方々に説明するには,いかに実生活の例をあげて実感していただくかが問題となり,高校生どころではなく中学生レベルを想定して説明しなければならないのである.

近年,理工学者,技術者らに説明する能力が強く求められている.今日はその第一歩ということで,今日の反省を将来に活かしてもらえたら,と思う.
(でも,私もあまり自信はないのだけれど)

徳島でハンバーガーを食す OSAFUNE BURGER

 電気学会全国大会に参加するために徳島に滞在した。今回は長めの滞在となったので,徳島で何回も食事を取ることができた。阿波どり,徳島ラーメン,鯛塩ラーメン,徳島餃子,かぼす酒,かぼす酎など,多くの地元の名物を食べることができたのけれど,最終日はさすがに普通の食事が取りたくなって,昼...