2017年11月2日木曜日

ジェネレーションに横たわる深い淵

「ブレードランナー2049」が,ぜひ観たくてたまらない.
この連休中に観に行きたいくらい.

なぜって,あの前作「ブレードランナー」の続編なんだし.デッカードとレイチェルが,あのあとどうなったか知りたくないの?

などと,学生に言ったら,「ブレードランナー」ってなんですか?と訊かれた.私の驚いた顔を見て,その学生は「す,すみません.僕はそっち方面苦手なんです」という.

いやいや,そんなことは責めていない.私が驚いたのは,私と同世代にとって「ブレードランナー」なんて,たとえ映画は観ていないくてもレプリカントが出て来る近未来SF映画だと常識的に知っていたものである.

公開よりはずっとあとだけれど,私が大学に入ったばかりのころの86年,87年あたりは「ブレードランナー」の世界が若者たち・文化人たちにかっこいいと思われていた.私もデッカードのハードボイルドさにはずいぶんと影響されていた.

カフェバーに行けば無国籍風の暗い店内で,ディスプレイからはなにかしらビデオが流れていたし(そのビデオがたまに「ブレードランナー」だったりする),時代の最先端の流行には「サイバーパンク」があり,ディズニーの「トゥモローランド」のような夢の未来像はもう古臭くなっていた.そして間違いなく「ブレードランナー」がそれらの流行のオリジンのひとつとしてあったし,それは若者文化の常識だった.

「攻殻機動隊」だって,「トータル・リコール(2本目の方)」だって,みんな新しいんだか,古いんだかわからない,あやしい街の風景だったでしょ.あれって,「ブレードランナー」以降の未来観だよね.

的なことをいっても,いまの若者相手には通じない.それがいまでは普通だからだ.手塚治虫的な未来こそがめずらしく思えるのだろう(それまでの私たちにとっての未来の街はそびえ立つビルの間をチューブの中を車が走っているものだった.あるいは核戦争で荒廃した世界だった)

前作の公開が82年だというから35年も前の作品だ.35年も経てば私たちの常識だったことも,そうでなくなることもあるだろう.いまの学生と私の間には深い深い溝があるのも仕方ない.




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