2019年6月22日土曜日

暑くて湿ったこの季節,ドライなカクテルが美味しい

長岡に来てのち,腰を痛めてしまい,なかなか生活の中に楽しみを見つけることが少ないのだけれど,最近は週に一度のスーパー銭湯通いとお酒をなによりの楽しみとしている.

お酒は量を飲まないので,自然と美味しいお酒を少量というスタイルになって,バーに行くこともしばしばとなった.

とはいえ,カクテルもウィスキーも味がよくわからず,うまいかうまくないかくらいしかわからないので(それも自分の感覚だし),全部バーテンダーさんにお任せなのだけれど,それでもいくつかのカクテルの名前くらいは知っている.でも,それはなんのことはない,映画や歌,小説などにそれらが出てくるからなのだ.

例えば,小説.レイモンド・チャンドラーの「The Long Goodbye」の有名なフレーズ.「ギムレットには早すぎる」.すべてが明かされたあとで友がマーロウにいうつらいセリフだ.

歌だって,例えばRCサクセションの「雨上がりの夜空に」.「ジン・ライムのようなお月さま」というフレーズが出てくる.松田優作の「横浜ホンキー・トンク・ブルース」では,ヘミングウェイにかぶれちゃった女が飲む酒は,もちろんフローズンダイキリと歌われている(正直に言うと私もそんな時期があった.自由が丘のバーでよく注文していたのが恥ずかしい).

松田優作といえば,映画「野獣死すべし」で刑事の室田日出男に向かって話すリップ・ヴァン・ウィンクルの話の中で主人公が飲むカクテルは,xyz.「これで終わりって酒だ」と言って松田優作が室田日出男に銃爪を引くシーンが忘れられない.

そして映画といえば,私の大好きな007.映画ではいつもウォッカ・マティーニをジェームズ・ボンドが頼むシーンが出てくる(ダニエル・クレイグが演じるようになってからは,Vesperという名前がついたカクテルになっている.オリーブの代わりにレモンピールが添えられる).

Vodka Martini, Shaken, not stirred
彼はいつもこう頼む.「シェイクして.かき回さないで」
不思議なのは,ちょっと考えるとこのカクテルはステアするのが普通そうなのに,わざわざシェイクを頼むところである.まぁ,そこであえて逆に注文するのが,ジェームズ・ボンドのボンドたる所以なのだろうけど.

でも,007の映画でのシーンがあまりにも有名だから,いまではウォッカ・マティーニを頼むとシェイクして出してくれるバーも多いと聞く.

ということで,先日長岡のバーでウォッカ・マティーニを頼むときに,ジョークで「シェイクではなく,かき混ぜてお願い」と言ってみたのだけれど,「最初からステアのつもりでした」と笑われて,冗談を解してもらえなかったようだった(というか,この手のジョークにはもう付き合い飽きていたのかもしれないけど).ちょっと恥ずかしかった.

暑くて蒸す季節がやってきた.こうした季節にはキリッと飲めるドライなカクテルが美味しい.

2019年6月3日月曜日

手に入れようとすると,手の内から逃げてしまうもの

手に入れようとすると,手に入れられなくなってしまう.あるいは,それが損なわれてしまうものがある.

ハリー・ポッターの中に出てくる賢者の石もそうだった.使いたい者には賢者の石は見つからない.ただ見つけたいと思っていたハリーのズボンのポケットには,いつの間にかそれが入っていた.

村上春樹の小説の"Seek and Find"もそうだ.主人公が見つけたときにはそれはすでに損なわれている.あるいは失われてしまっている.鼠も会えたときには死んでいた.キキも殺されてしまっていた.失われた友情.愛.

メーテルリンクの「青い鳥」もそうかもしれない.幸せの青い鳥は探しに出ても見つからなかった(この場合は,身近にいたことを知るのだけれど).

「求めよ,さらば与えられん」で済まないことも多々この世の中にあるということを教えてくれる.それを求めようと「ギラギラ」しても(「ガツガツ」しても),それがかえって欲しいものから自分を遠ざける.

では,どうやったらそれを得られるのか.私も教えてもらいたいと思っている.ただ,それにふさわしい者になれば,欲しいものは向こうからやってくるのかもしれない,とは思っている.

あるいは,他人に理解されないような努力をすることがよいのかもしれない.映画「フィールド・オブ・ドリームス」の主人公のように,とうもろこし畑に野球場をつくるような馬鹿げた努力が.

映画はいろいろと教えてくれる.それが本当のことか,単なる夢想なのかはわからないけど.

2019年5月30日木曜日

腰痛がひどい

腰痛がひどい.

先週はICDCM(International Conference on DC Microgrid)という国際会議に参加するため松江に出張していたのだけれど,顔が青ざめるほど痛かった.しかし,国際会議ということで幸い椅子に座る生活だけだったので,なんとかやりすごせたけれど今はアグラをかくのが本当につらい状態なのである.

どこで腰を痛めたのか,定かでない.朝に目が覚めてみるとすでに腰が痛かったのである.激しい運動をしたわけでもない.重たいものを持ち上げたわけでもない.ただ痛くなったのである.

腰痛というのは二足歩行をする人間の宿痾のようなものだけれど,これほどつらいものはないと,腰痛があるたびにいつも思う.拷問として腰を痛めるものがあってもおかしくないくらいだ.体を動かすたびに,お腹を抱えて笑うたびに,腰がズキンと痛むのである.日常生活の中でその痛みに涙を浮かべ,もう動きたくない,と思い始めるのである.

腰痛はストレスが原因だという話もよく聞く.そうかもしれない.以前はストレスがたまると胃潰瘍になると言われたものである.しかし,医療技術の進歩により,胃潰瘍になることが許されなくなってしまった.しかし心は悲鳴をあげなければならない.そこで腰痛を発症するのだという話である.

私も精神的に弱い人間だから,そうなのかもしれない,と思う.でも,とにかく早く治ってほしい.夏に向けて運動をしたいと思っていた矢先の発症なのである.安静にするのがよいのか,軽く動かすのがよいのかもよくわからないけれど,まずは腰に負担をかけない姿勢を心がけて,ストレスを減らす生活をしたいと思う.ただ,仕事をしないと仕事が溜まってストレスもたまってしまうので,いまのところ仕事をすることがストレスをためない方策であるということが,ちょっと悲しい.

2019年5月14日火曜日

日本では昔から左側通行が一般的だった

今日,学内の廊下を歩いて気づいたのだけれど,学生たちは右側通行に従っている.このルールがいつものことなのかどうか,しばらくちょっと気をつけて観察してみたいと思うのだけれど,関西のマナーに馴染んだ私にとっては,この右側通行になにか歩きにくい感じがした.

関西は逆のような気がする.たとえば,関西の地下鉄などの通路においては左側通行が普通である.左側に寄ってセカセカと歩く.そのことに慣れてしまっているから,右側をだべりながらゆっくりと歩いていたりすると,少しイライラし始めてしまう.私は短気なのである.

しかし,どちらが一般的なのかと考えると,どうも少なくとも昔は左側通行が普通だったらしい.それは江戸時代に描かれた街道の浮世絵などを見てもわかる.人々が左側を歩いているのが描かれている.江戸時代の街道など場所によっては狭いところもあっただろうから,やはりルールがそれなりに決まったのだろうと思う.

では,なぜ左側通行になったのだろうか.その理由としてまことしやかに言われているのは,武士が左側に刀を差しているからというものである.すなわち左に刀を差して右側通行だとすると,刀の鞘と鞘がぶつかってしまい(いわゆるサヤアテ),喧嘩になってしまうというのだ.だから左側通行になったのだという.

確かにこの説はもっともらしいと思うけれど,私はちょっと怪しいと思っている.そもそも侍なんて人口の5%程度しかいなかったのだ.その少数派の彼らのためにルールが本当に決まるのだろうか.また鞘があたったくらいで侍同士が喧嘩なんてしようものなら,その上刀なんて抜こうものなら,捕まって厳罰に処せられるのである.喧嘩なんて本当におこっていたのだろうか.まぁ,どちらかに決めるとしたら,鞘が当たるよりは当たらないほうがいいから左側通行の方が良いには良いとは思うけれど.

近代になって,自動車がイギリス風に左側を走るようになってから歩行者は右側を通行するように指導されるようになったと思われる.それが通路の中でも適用されるようになって,右側通行も増えてきたのかもしれない.

しかし,とにかく左側通行に慣れた私にとっては,右側はなんとなく歩きにくい.身体の中に「関西」がまだ残っているのだ.

#エレベータのどちら側に立つか問題もある.そのことについてはまた別の機会に.


2019年5月10日金曜日

超音速で動くソニックの近くにいたならば...

ポケモンに続いて,ソニック・ザ・ヘッジホッグも実写化されるらしい.予告編を見たけれど,ソニックのデザインが不気味でかなり不評らしい.監督は,ソニックをつくりなおすとまで言っているらしいけど,それはそれで大変だなぁとかわいそうになる.でも確かに手足が長すぎるように見えた.

さて,予告編では,ソニックがたいへんなスピードで動くシーンが描かれている.ミサイルが止まったように見えるほどの高速で動くことができるということらしい.あんな風に速く動けたら確かに痛快だろうと思う.

仮面ライダーカブトだってそうだった.超高速で移動が可能となる能力を持っていた.
そして超高速といえばサイボーグ009.009は加速装置が特殊能力だった.人の目に見えないほどに高速で動くというのは,昔からの人類の夢なのだろう.

しかし,超音速で動くと不都合が起こることが忘れられている.すなわち,音速の壁を破ることによって衝撃波が発生することが設定から抜け落ちているのである.もしも本当に街中で衝撃波が発生していたら,とてもただではすまない.建物は破壊され,近くにいる生物はズタズタになるだろう.人類を救うなんてことと全く逆の結果となるだろう.なんて現実は夢が無いのだろう...

サイボーグ009の映画などでは空中でも加速装置が働いて高速移動が可能となっていたけれど,足場のないところでどうやって加速しているのだろう.アニメはやっぱり謎だらけだ.

#大友克洋の「童夢」で建物に曲面のくぼみができる描写にゾクゾクしたのは,少しリアリティがあがっているからなのだと思う

2019年5月8日水曜日

マルチリモコンを買う

家のTVのリモコンを壊してしまったので,仕方なく新しいものに買い替えた.純正品も結構値がはるので,別のものをと考えていたら,ふと複数の機器を1つのリモコンでコントロールできるものはないのだろうかと思いついた.家には今のところ2台のTVがあるので,これを1台のリモコンで制御できれば楽かなと思ったのである.

家電量販店に行くとやはりちゃんとあった.2台,3台,5台,8台と複数台制御できるリモコンがそれぞれ売られていたのである.結局,悩んでSONYの5つの機器を1台のリモコンで制御できるものを買った.リモコンといっても正式な名称は,マルチブル リモート コマンダーというらしい.なんかかっこいい.そのうちブルーレイやCDプレーヤーも増えるので,メーカーにこだわらず機能を学習できるものにしてみた.値段はおよそ3300円.なかなかの価格である.

さて家に帰ってきて,リモコンを学習させたのかというと実はさせていない.というのは学習させるためのリモコンが壊れているのだから,学習させることができなかったのである.もちろん,機種別に定められている番号を打ち込めばそれで簡単に使えるようになる(そうでなければ,1ボタンずつ機能をメモリさせることもできる)

まずTVを1台.そしてまた1台.操作できる機器が増えていく.機能的には全く問題なく動く.そして次は...とさがして見つけたのが天井の照明である.2部屋の照明がリモコンで動くので,それぞれを設定してみた.ちゃんと設定できた.そう,我が家の2台のTVと2基の照明は1台のリモコンで操作できるようになったのだ.

なんと便利な!
しかしよくよく考えればそれぞれが赤外線の信号によって制御されるのだから,1台のリモコンが操作できるのも当たり前なのである.あとはどれだけそのコントローラのICを安価で提供できるかということが課題だったのだろう.今では4000円も出せば8台の機器を制御できるリモコンが買える.便利な世の中になったものだと思う.買ってきたリモコンをみても,工学とは技術 x コストのバランスが大切ということがよくわかる.

#購入したのは,SONY 学習リモコン RM-PLZ430DL


2019年4月30日火曜日

平成最後の思い出は

30年前,天皇陛下の崩御のニュースを(たしか)スキー場で聞き,その後平成を迎えた.私も21歳(大学3年)と若かった.スキー場では(たしか)B'sの「LADY-GO-ROUND」が流れまくっていたことを覚えている.「恋しかるべき 我が涙かな」が今でもときどき頭の中でヘビロテするくらいにその頃刷り込まれた.

元号が変わる,ということは,なんだかんだいって自分にとっても時代の節目になっている.それを記憶のアンカーとして,いろいろなことを覚えていることになる.30年前の自分がどのようなスキーウェアを着て,どんなブーツを履いて,どのメーカの板をはいていたか,いまでもはっきりと思い出すことができる.そのスキーの格好自体にはなんの思い入れもないのに.

今回の令和の改元だって,もしかするとあとではっきりと思い出すことができるかもしれない.職場が変わり,今日も講義をし,そして平成最後の夜をビールとカツカレーで過ごしたということも.

2019年4月29日月曜日

ユマ・サーマンは今日で49歳.豊臣秀吉は小田原征伐のときには53歳だった.

私は映画が好きなので,IMDbというサイトをよく訪れて情報を仕入れる.IMDbでは,全米の興行収入やユーザの映画批評,そしてこれから公開される映画の予告編などを見ることができるのだけれど,コーナーのひとつに"Born Today"というものがある.もちろん,今日が誕生日のセレブが紹介されているのだけど,現在の年齢も表示されている.有名俳優の意外な年齢を見て驚くこともしばしばである(あの人ももうそんな年齢なのか...などと思うことがほとんどだけれど).

そして,今日4月29日が誕生日の俳優としてユマ・サーマンが紹介されていた.なんと年齢が49歳だという.実は私よりも若かった.これが本当にびっくりした.もっとずっと年上だと思っていた.

ユマ・サーマンといえば,もちろん「Kill Bill」シリーズが有名だけれど,同じくタランティーノの「パルプ・フィクション」とか,トラボルタとの共演の「Be Cool」とかなどで,ずいぶんと私が若い頃から目にしている女優で,若い頃から大人を感じさせる雰囲気だったからか,年齢を勘違いしていたらしい.うーん,でもショック.私の方が年上だったのか...

自分もすでに50歳を過ぎてしまい,この先の人生の短さを思うことがある.最近,年齢といえばもう一つ驚いたことがある.豊臣秀吉の小田原攻めのときの年齢がなんと53歳だったというのだ.小田原攻めの頃には,秀吉はもっと歳をとっていたのではないかと勘違いしていた.思いの外若かった.きっと「独眼竜政宗」のときの勝新太郎の秀吉の印象が強すぎるのだろう.あのときの勝新がまとっていたオーラは,とても53歳には見えなかったのだ.

ユマ・サーマンや秀吉と比べて私はなんと薄っぺらく生きてきたことか,と思う.残された時間はそれほど長くはない.これから何ができるか,それをよく考えてみたいと思う.

2019年4月27日土曜日

もとの姿は変わらざるなり

今日もスーパー銭湯で一週間の疲れを癒やす.
先週は平成最後の満月を露天風呂から眺めることができたが,今日は厚い雲に覆われて月は全く見えなかった.

しかし,この厚い雲の向こうには輝いている月があるのだと想像する.変わらぬ白い光が雲の向こうを照らしているのだと考える.それだけで勇気が湧いてくる.

And when the night is cloudy, there is still a light that shines on me
Shine until tomorrow, let it be

と歌詞が頭に浮かぶ.たるんだ身体は湯船に浮かぶ.

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
       もとの姿は変わらざるなり

と山岡鉄舟の歌も浮かぶ.気持ちも大きくなってくる.

さえぎる雲があろうとももとの姿に変わりはなく,その価値は変わらない.
それに気づけば自信をもって進むことができるだろう

2019年4月26日金曜日

アルコールの度数は体積比率

最近酒席において,アルコールの度数はなんの比率なのかという話題が出た.アルコール15%のお酒があるとすると,アルコールの含有率は質量ベースで計算されたものなのか,それとも体積ベースによるものなのか.さすがにモル比率ではないだろう,とは言ってみたけれど,実際はアルコールの何について計算されているのかはっきりしなかった(その場では,当然重量ベースだろう,という推測をしていたけれど.さすがみんな理工系.信じられるのは質量である)

その後気になって調べてみると,体積ベースで比率が計算されていることがわかった.すなわち,アルコール度数が15%だとすると,1リットルのうち150ミリリットルがアルコールということである.

ちなみにもしも重量比率だったとすると,水の密度が1000 kg/m^3で,エチルアルコールが789 kg/m^3だから,1リットルのアルコール度数15%のお酒のうち,850mlが水,150mlがアルコールだとすれば,アルコールの重量比率は,

(アルコール重量 0.15L*0.789) /(水重量 0.85L*1.0 + アルコール重量0.15L*0.789)*100% = 12.2%

となって,少し比率は下がる計算になる(0.789はアルコールの比重).
実際,料理とかではカップで測量し体積で換算するから,酒は体積比率なのだろう.

まぁ,どうでもいい話なんだけど.

2019年4月24日水曜日

「古市憲寿」くんと「落合陽一」さん

もうなんども書いているけど,私は皮肉屋が大好きで,勝海舟やフィリップ・マーロウがその最たる人たちなのだけれど,最近,また別の私のアイドルを見つけた.

それは「古市憲寿」くんである.

彼は,ぜひ「くん」づけで呼びたい存在である.
彼の魅力は「忖度」から程遠い発言をすることである.正確にいうと「皮肉屋」ではない.しかし,彼は彼の考えを素直に(?)発言してしまうのである.そこが素晴らしい.
彼は「誰の味方でもありません」という著書を最近出しているが,その中立感をちゃんと保っているところに彼の良さがあるように思う.

彼は当初「若者」の代表としてマスコミに登場してきたような気がするが,彼もすでに三十も半ばである.「若者」というにはちょっと歳を取りすぎた.しかし,彼の発言にはまだ若さがあり,世の中に流されていない感がある.そこに魅力を感じる.バラエティ番組にも出ているけれど,今のままちょっと世間から離れた考えをする人であり続けてほしいと思っている.

また「落合陽一」さんにも注目したい.

彼の発想も面白い.しがらみを超えたアイデアをどんどん出している.そのアウトプットがまた次のインプットとなって更に新しいアイデアを生み出しているような気がする.彼は新しい若者の形のような気がする.どんどん時代を切り裂く発言をしていって欲しいと思う.

ついこの前までは「津田大介」氏,「東 浩紀」氏あたりが若者代表だったような気がするが,ちゃんと「若者」の世代交代も進んでいるらしい.次の「若者」にも期待したい.

2019年4月23日火曜日

深夜のお酒のCMに思う

深夜にテレビを見ているとお酒のCMばかり流れているように思う.そしてそれをみて,日本はどんどん貧しくなっていることを実感する.

ビールよりも発泡酒やサワーのような安くて酔える,つまりは燃費がいいというかコストパフォーマンスが良いお酒のCMばかりなのだ.「せんべろ」という言葉があるけれど,日本がどんどん貧しくなっている証拠ではないかと思う.海外にいくと食費をはじめ物価の高さにびっくりするけれど,日本が逆に安すぎるのだ.給料が上がっている実感がないから高いものが買えないのだ.

私が学生だったころ,たとえばマルチェロ・マストロヤンニがコニャックのマーテルのCMに出ていたり(「これはマーテルのたくらみか」),サントリーのウィスキーのCMに見るからにお金がかかっていたり(例えば「ランボー,あんな男ちょっといない」(ローヤル)とかマンハッタントランスファーの「アメリカンで飲る」(VSOP)とか,もっと古いとサミー・ディヴィス・Jr,いや,あれはホワイトで安酒だったか)と,CMに夢があったような気がする.

今は,なにもかもが安っぽい.
世の中が疲れているからなのかな.もっと余裕があってもいいような気がする.

2019年4月22日月曜日

もし聖人ばかりの世界があるとしたら,そこはたぶん地獄と言う名で呼ばれるだろう

今はなににつけてもコンプライアンスが言われる時代である.少しでも偏見や差別が臭う発言があれば,それがクローズアップされネットで叩かれる.もちろんポリティカル・コレクトでない発言は問題だ.しかし,炎上させている人たちはちょっとやりすぎなんかじゃないかと思う.自分はああはなりたくないと正直思う.人間には余裕が必要なのだ(もちろん叩かれる方にもなりたくないけど).

世間がつまづいた人たちを苛烈に叩くことの異常性が最近ようやくあちらこちらで議論され始めているけれど,「正論」には反論が難しいし,炎上させている人たちは自分たちの「正義」に従って人を叩いているので,手加減をしないのだ.ブレーキがかからない.だから苛烈な責めを平気で行ってしまうのだ.

「正義」をふりかざす人はタチが悪い.「正義」なんて時代が変われば簡単に覆ってしまうものだし.「正義」の気分は容易に人々の間に広まってしまうもののようだ.でも,「法」よりも「正義(感情)」が優先する国の,息が詰まるような状況をみるにつけ,あんなところには住みたくないとつくづく思う.

しかし,私も苛烈に人を責めてしまうところがある.人のことは言えないのだ.ネットで行われるように匿名で行うことは私の美学に反するのでしないけれど,面とむかってだったら,腹が立つと正論をふりかざして絶対に論破されないように人を責めることがあった.本当に反省している.

私が憧れる人物のひとりは池波正太郎「剣客商売」の主人公 秋山小兵衛である.歴史上の人物で言えば勝海舟.海外小説でいえば,フィリップ・マーロウ.つまりは,清濁併せ呑むような度量の広さをもつ人間に憧れるのだ.人は自分に足りないところをもつ人に憧れる,というのは本当なのだろう.

清濁どちらもあるから人間なのだ.「清」だけの人間なんてどこにもいないのではないか.

キリストは,姦淫の女を責めようとする者たちに「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言った.松平定信の寛政の改革だって「水清ければ魚棲まず」,やりすぎて庶民に嫌われた.なにごともほどほどが大切なのだ.人間は聖人ではない.

銀河鉄道999の「ざんげの国」のエピソードは,次の至言によって締めくくられている.

「もし聖人ばかりの世界があるとしたら,そこはたぶん地獄と言う名で呼ばれるだろう」


2019年4月21日日曜日

引越して初めての床屋

引っ越しして困ることの一つに床屋問題がある.

いままでの馴染みの床屋ではなく,新規にお店を開拓しなければならない.そしてこれまでは,あの倒れる椅子に座って一言「いつもの感じで」といえばよかったものが,最初から細かく「ここはこうして」などとお願いしなければならない.それも初対面の主人に説明するのだから,本当に気が重い.そのうえ,完成された髪型が満足できるものとは限らないという不安がある.失敗したら1ヶ月以上,つらい髪型を通さなければならないのだ.

いずれにしろ,お店を試してみなければ判断できない.今日,勇気を出して住んでるところで一番近い床屋に入ってみた.「予約なしでも大丈夫ですか?」と尋ねてみると,「ちょうど今空いております」と,バンダナを頭に巻いた40代と思しき店主がくるりと椅子をこちらに向けた.もう後戻りはできない.あとは椅子に座って覚悟を決めるしかない.

椅子に座って,最後に床屋に行ったのは1ヶ月と3週間前だったということを話し,そしてその頃に撮影した私の写真を見せて,以前の髪型を理解してもらった.

結局,丁寧に主人は髪を切ってくれた.髪型も以前とあまり変わりない.十分満足の出来栄えだ.最後にコーヒーまで出してくれた.至れり尽くせり.

とにかくホッとした.これでまた1.5ヶ月大丈夫だろう.次も今日の床屋に行くことになるのだろうか.代金が,これまでの床屋より900円も上がったということが気がかりなのだけど.

2019年4月20日土曜日

平成最後の満月をスーパー銭湯でみる

今週も月曜からいろいろなことがあってとにかく忙しかった.時間が全然とれない.でもさすがにもう脳が働かないので,今日もスーパー銭湯に出かけた.最近,一週間に一度のペースで出かけているような気がする.職員住宅の風呂と違って,足と腰をのびのびと伸ばして湯に浸かることができるのが嬉しい.1時間半以上は湯船の中でぼんやりしている.緊張も少しは緩和されるようだ.

スーパー銭湯にも露天があって,見えるのは隣のショッピングセンターの看板(長嶋さんが警備会社の宣伝をしているやつとか)ばかりなのだけれど,それでも上を見上げれば夜空が見える.それだけでも十分開放感がある.

今晩も夜空を見上げていると,流れの速い黒雲の切れ目から真円の月が見えた.白く輝いていて美しい.そうだ,今日は満月だった.朝のニュースで「平成最後の満月」といっていたのを思い出した(もう「昨晩」の話だけど).

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
     雲がくれにし 夜半の月かな

などと紫式部の歌を思う浮かべてみたり.

だいたい私は月が好きなのだ.死と再生の象徴である月が.

平成最後の満月は,スーパー銭湯の壁に囲まれた夜空の中にあった.いつかこの月を思い出すこともあるだろうか.

2019年4月17日水曜日

好きなスニーカーを売っている店が長岡には無かった

初めてスニーカーを躊躇なく購入した.それもそのブランドの専門店で.人生50年を越えて,ようやく大人になったような気がした.

しかし,長岡に来て,その好きなブランドの靴の専門店が無いことを知った.

まぁ,そんなもんだろう.人生,タイミングのすれ違いでできている.


2019年4月14日日曜日

♪ Kenji Ozawaでいいのか

私は小沢健二が大好きだと公言しているほど好きなので,CMなどで彼の曲が流れてくるとピクッと耳が動いて思考が瞬間止まってしまう.

最近だとビールじゃなくて発泡酒のCMで「強い気持ち・強い愛」のイントロの部分が流れているから,ついついそちらを見てしまう.画面の中ではキムタクか檀れいが美味しそうに缶を見つめているのだけど.

オザケンの曲は,名曲から引用(サンプリング)していることが多くて,悪く言えばパクリなんだけど(最初からそれを隠してもいないし,またそれが素晴らしいからなんともいえないのだけど),この曲は珍しく作曲は筒美京平 大先生なのである.たしか筒美先生からオザケンへの指名があって共作の話が進んだのではなかっただろうか.オザケンが作曲を担当しなかったことを当時意外に思った覚えがある.

だから,CMで曲が流れてKenji Ozawaとテロップがでるとちょっと違和感を感じるのだ.この曲は筒美京平作曲ではないかと.歌までは流れないのだから作曲者の名前を出すべきではないかと.

でもアレンジはオザケンと筒美京平の共作とのことなので,この辺はちょっと曖昧.そうであったとしても♪Kenji Ozawa / Kyohei Tsutsumiと書くべきではないかと,オザケンファンの私は少し思うのである.

2019年4月13日土曜日

長岡技術科学大学の長岡駅にある広告

長岡技術科学大学は,実学を重視するだけあって,他の大学とはちょっと違う気がする.

長岡駅の広告もそうである.ちゃんとこうして宣伝している.私はこういうところは好きである.

これは,長岡駅入り口にある広告.

これは新幹線の新潟行きのホームにある広告.

受験生に対する宣伝というよりも,社会的な認知度を高める努力は大切だと思う.

2019年4月12日金曜日

長岡にはなぜラーメン屋が多いのか

関西から長岡にやってきて不思議に思うことはいろいろあるけれど,そのうちのひとつがラーメン屋の多さである.

長岡にはへぎそばという名物があるからそば屋が多いのも理解できる.関西にはうどん屋が多かったし.

でも関西にもラーメン屋はあったけれど,ここまで多くはなかった.東京ほどということもないけれど,小さな都市にしてはラーメン店が多い.新潟市も多かったりする.そういえば朱鷺メッセという催事場でもラーメン博とか開催されていたような覚えがある.新潟県民はラーメンが好きなのだろうか.

学生になぜラーメン屋が多いのかと聞いてみても「長岡が寒いから」などという答えばかりで,はっきりしない.ただ学生の間でもラーメンの人気は高く,卒業生が長岡でラーメンの食べ納めだなどといってラーメン屋めぐりを卒業前にするのだという.

とにかくいろいろラーメン屋がありすぎて,どこへいったらよいのかわからない.やはり人気店には行列ができるのだという.私も少しずつ巡ってみようかと思っている.そのうちなぜ長岡にはラーメン屋が多いのか,理由もわかってくるかもしれない.

ただ,数年前には新潟県の一人あたりのカレーの消費量が日本一になったことがあるとも聞いた.どうなっているのだ,新潟県民は.

2019年4月7日日曜日

子供の頃に遊んだ秋葉公園は本当に小さかった

長岡に落ち着いてしばらく経つ.大阪大学から長岡技術科学大学に異動してきたわけだけれど,長岡に住むのはこれが初めてではなく,幼い頃に住んでいたので2回めということになる.3歳から10歳(小学校4年まで)まで住んでいた.でも,あまりにも昔なのでその頃のことはすっかり忘れてしまっている.それでも小学校のときの記憶が少し残っていて,そのころ住んでいた自分の住所を思い出した.Googleマップで調べてみると今の住んでいるところから意外に近い.そこで散歩がてら,そのあたりを歩いてみることにした.

見覚えのある美容室,床屋,仕出し屋がいまだに通りに並んでいてうれしくなった.もちろん,広い駐車場に変わってしまったところもあるけど,あの頃の面影が残っていることがますます記憶を思い出させてくれる.

そこで私がいつも遊びに行っていた「秋葉公園」を探してみることにした.やはりGoogleで調べてみるとその公園はちょっとだけ離れたところにある.そうだっけ,秋葉公園に行くにはちょっと大きな通りを横切らなければならず,左右から来る車に気をつけていたことを思い出す.

秋葉公園についてみると,まずその小ささに驚いた.本当に小さい.よく「子供の頃はあんなに大きく感じたのに,大人になってから来るとぞの小ささに驚く」なんて話を聞くけれど,自分もそんなふうに陳腐なことを思うなんて思っても見なかった.しかし,本当に小さかったのだ.

地面に線を書いて「肉弾」という遊びをしたり,ゴムボールで手打ち野球をしたり,そして私も大好きだったビー玉をしたりと,あんなにいろいろなことができた公園は,大人になってみれば外周を一周りするのに3分もかからない,住宅街のなかのちっちゃな公園でしかなかった.そのことが思いの外ショックだった.あの頃の自分はどれだけ小さかったのだというのだろう.

秋葉公園という名前は,公園の中に秋葉神社という小さな社が祀られていることに由来すると思われる.今もそこにあったのだけれど,私の記憶ではほとんど覚えがない.記憶の中で公園の片隅のその部分は黒い影で覆われている.子供ながらに神社には畏れを感じていたためだろうか,と思う.そうしたものに対する畏れは今も変わらないような気がする.

近くに住んでいるのだろうか,私が行ったときには小さな子ども二人を連れた夫婦が遊びに来ていた.50を過ぎた男が一人,公園で長居をするのも不審に思われるかと思い早々に公園をあとにした.40年前の公園が残っている.それだけで,その頃私はここで生きていたのだという実感を得ることができた.こうしたことも自分のルーツを知るということに含まれるのだろうか.少し自分というものが確からしい気がしてくる.


2019年4月5日金曜日

新しく元号が変わることは良いことだと思う

新しい元号は不要だ,という意見の人も多く,私も事務的な書類については使用しない方が便利だし,良いと思うのだけど,元号自体は存続する方に賛成である.

不要論の人は,「元号なんて日本人が勝手に時間を区切っているだけだ」と言うのだけれど,それが大切だと私は思うのである.

勝手に人間が時間を区切っているのだ,というのであれば「正月」も同じである.考えてみれば1月1日だって365日のうちの一日であり,他の一日と区別があるわけではない.しかし,人間というのは意思が弱いから,区切りがなければ漫然と一年を惰性のうちに過ごしてしまいがちである.そこで,1月1日を新年の始まりとして区切りを設けることによって心を一新し,事に臨むことができるのである.こうしたお話を,藤平光一先生がされていたのをよく覚えている.私もそのとおりだと思うのである.

元号が変わることによって,人々の心が一新し,また次の時代に向かって歩んでいこうという前向きな心持ちになるのであればよいではないかと私は思う.改元に関係ない,そうでない人もいても構わない.しかし,それなりに大勢の人のマインドが変わることが大切なのではないかと思うのである.過去の時代に区切りをつける良いきっかけとなるだろう.

新しい年号は「令和(Reiwa)」.
私が心配しているのは,「R」の発音で「れいわ」といえるかどうか,ということである.ついつい「L」の発音で言ってしまいそうなので...

※平成31年をH31とか略すことが多いのだけれど,令和元年をR1とか書くと,どこか「お笑い」を思い出させるし,Revision1(改訂版1)という感じもしてしまう.そして,令和15年とかになれば,R15ということで子供は見てはだめなもののような気がしてしまい,ちょっと悩ましい.

2019年4月2日火曜日

2019年のエイプリルフール

昨日(4月1日)に書いた内容はちょっと生生しかったですが,エイプリルフールの冗談です.正弦波に含まれる高調波成分だけでできる内部の推定はほんの僅かなものでしょう.どうもウソがピリッとしないし,面白くないんだなぁ.反省します...

来年こそもっと素敵なウソがつけるよう「ウソ道」に邁進いたします.


これまでのエイプリルフールのウソ

2019年 AIを用いたリバースエンジニアリング
2018年 髪の毛のTHD
2017年 パワーエレクトロニクス・ソフトスイッチング技術に関わる二法則
2016年 地球を利用した無線電力伝送システム

2011年 パワエレの系統
2010年 電力の産地指定購入
2009年 人間の共振現象
2008年 夜中の台所にて,パワーエレクトロニクスの音色に耳を澄ます

2019年4月1日月曜日

AIを用いたリバースエンジニアリング

とにかく世の中はAI(人工知能)ブームである.たしかにAIはこれからの未来において大活躍することは間違いない.人間社会にも大きな影響を与えるだろう.ただ猫も杓子もとびつくというのはいかがなものかと思ってしまうのも実感である.

しかし,先日もAIを利用して昔の白黒写真に色をつけてカラー写真のようにするという技術が紹介されているのをテレビでみた.何千枚もの写真をつかって学習させたのだという.白黒写真というのは本来カラー写真に比べ,情報が不足しているのである.その足りない情報を推測して補ってしまうというところがすごい.たとえばこれを画像のモザイク外しなどに応用してみるとする.画像でモザイクがかかっていても,その中身を推定されてしまうのであれば,プライバシーの保護などずいぶん怪しくなってくる.音声についても同様で,「音声は変えてあります」などと表示されても本来の声を推測されてしまうのである.その上,AIによって推定された情報が正しいとも限らない.どこまで本物に近いのかを評価することは難しい.しかし,人はそのAIが推測した画像を本物だと信じてしまい,誤った判断を下す危険性もあるのである.

欠落している情報を入手できる情報から推定するということができるのであれば,これをリバースエンジニアリングで使用しようとする試みもすでになされている.たとえば,パワーエレクトロニクス分野のPWMインバータ.これは直流の電気を交流に変換し,その出力波形を正弦波に近づけようとするものだけれど,正弦波に近づくのは50Hzあるいは60Hzの周波数が中心で,PWM波形にはそれよりもずっと高い周波数成分が含まれている.この高い周波数成分はLow Pass Filterによって通常はカットされてしまうのだけれど,完全に除去されるのではなくわずかながら出力波形に含まれてしまう.これらの含まれ方は回路方式や制御方式によって特徴をもつから,これらを検出し,AIで推測させると,PWMの手法の推定だけでなく,内部の回路構成,スナバの定数までもわかってしまうというのである.この技術を用いれば,回路を密閉してわからないようにしても非破壊で内部を推測できてしまうのであるから,主要な技術が容易に盗まれてしまうのである.

このようにAIによる推測というのは,本来隠すべき部分でさえ明らかにしてしまう恐れがある技術なのである.こうした技術が確立されてしまうと世界が大きく変わってしまう可能性さえある.

>>> つづきは明日に

*PWM...Pulse Width Modulation

2019年3月28日木曜日

松原みき「真夜中のドア」にハマる

昨年の秋,アメリカに出張に行ったときに,ホテルのテレビをつけるとそれはネットにつながっていて,YouTubeを表示することができた.音楽でも聞こうかとするとYouTubeのおすすめ曲の第1番目に竹内まりやの「Plastic Love」が表示されていたのにびっくりした.だってホテルはアメリカなのに…一番のおすすめが日本の曲だなんて…そしてそれが30年以上も前の曲なのだ.

この「Plastic Love」が収録されていた「Variety」は私も大好きなアルバムで一時期はたいへん良く聴いていた.もちろん今聴いても素敵な曲なのだけれど,どうも調べてみると昨年くらいから世界的にヒットしていたらしい.シティポップと呼ばれる分野に位置づけられている.確かにあのころ(80年代)のニューミュージックはおしゃれだった.山下達郎をはじめとして,大滝詠一,角松敏生,林哲司あたりは今聴いても古びていない感じがする.

実は私もシティポップというジャンルで最近ずっと聴き込んでいた曲がある.それは松原みきの「真夜中のドア」である.彼女は境遇的にあまり恵まれていなくて,確かこの曲でデビューしたのではないかと思うのだけど,それもどこかのバーで飛び入りで歌ったのをスカウトされたということだ.それ以前はずいぶん苦労したらしい.この曲はヒットしたのだけれど,彼女は夭折してしまった.彼女は私より少し年上だったと思う.彼女の動画を見ると,もっともっと活躍してくれればよかったのにと思わずにはいられない魅力を感じる.

「真夜中のドア」も魅力的な歌である.確かにちょっと古く感じるところもあるけれど,何度も何度も脳内再生されてしまう中毒性がある.なんとなく,その当時のオシャレ感が漂っている.少しノスタルジックに感じられるからか,私には親しみやすいメロディなのである.今の若い人が聴いても,そんなに魅力を感じないかもしれないとも思うけど.

80年代,90年代の歌をたまに聴くのも楽しいものである.わたせせいぞうのイラストを見ながらワインを飲む.若い頃はそんな暮らしに憧れていた


2019年3月27日水曜日

竹内まりや,「ファースト・デイト」を歌う

TVをつけたらNHK SONGSが流れていた. 竹内まりやがデビュー40周年ということで特集ということだったらしい.私も彼女が好きなのでチャンネルはそのままつけておいた.

ふと岡田有希子の「ファースト・デイト」が流れてきた.画面をみるとなんと竹内まりやがこの歌を歌っている.私は,ぁあ…と震えて,心が熱くなった.彼女もようやくこの歌を歌えるようになったのだと感動した.


岡田有希子の命日は確か4月8日.私が大学の入学式の会場から出て、新入生向けに作られたプレハブ店舗の大学生協のテレビで彼女の自殺のニュースを見た。あの時のことは忘れることができない.


竹内まりやもずっと岡田有希子の歌を歌うことができなかったという.以前に録音したセルフカバーアルバムでも,結局のところ「ファースト・デイト」をリストから外したとインタビューで答えていたのを覚えている.


今回のSONGSの中では,短いけれど彼女について竹内まりやが語っていた.彼女の33回忌も過ぎてようやく歌ってもいいかな,と思えたのだとか.あれから33年という時間が過ぎてしまったことに驚いたけれど,それでも私も岡田有希子のことが心のどこかに刺さっているのだとあらためて気づく.当時,別に彼女のファンでもなかった.しかし,彼女の事件のあと日本中で自殺の嵐が吹き荒れたことは,同い年の私たちに共通して何らかの影響を与えているような気がするのだ.


岡田有希子が「ファースト・デイト」を歌うビデオも流れた.私はいまでもその姿を真っ直ぐに見て楽しむことができない.でも竹内まりやはとうとう彼女のデビューに提供したこの曲を歌うことができるようになったのだ.それまでに30年以上を要したかもしれないけれど.

2019年3月25日月曜日

Blue Flower: SEKAI NO OWARIを聴いて

ラジオからSEKAI NO OWARIの新しいアルバムに収められているという曲が流れてきた.なにげなく聞いていると,それがBachの鍵盤協奏曲(ピアノとは限らず,チェンバロで弾かれることもある)第1番の出だしそのものでびっくりした.私はこの曲が大好きなのだ.特にグールドの録音が大好きで,冒頭の管弦楽と一緒にピアノが弾かれたあとピアノが強調されたパートがあるのだけど,その切込み方がカッコいいのだ.バーンスタインとの録音などもあるので,ぜひおすすめである.昔,「のだめカンタービレ」というTVドラマがあったけど,千秋がオーケストラで弾き振りするエピソードで弾いていた曲もこの曲だった.

セカオワの方は「Blue Flower」という題名らしい.こちらもなかなか抑えた感じのカッコいい曲で良い印象だった.Bachのピアノ協奏曲なんてFukaseも目のつけどころが違う.さすがドラゲナイだけある.

さて,この「Flower」という単語を見て連想する曲はいくつもあるのだけど(Flowerというグループも複数あるし),今回は「花 a last flower」がなぜか思い出された.「惡の華」というアニメのエンディングでも流れたらしい.とはいっても私はこのアニメを見たことはないのだけど.ちょっと前の前衛音楽的な手法で作られていて,聴いて気持ちよくならないようにサンプリング編集されている.でも今聴いてもおしゃれな感じがする.というか怖い感じがして心が動かされる.これも音楽の一面なのだ.

ということで,Blue flowerつながりで連想したことでした.

2019年3月24日日曜日

映画に飢えている

今年に入って職場が変わったこともあり,また年度末の出張の時期とも重なったため,移動につぐ移動でとにかく休みがとれない.今年に入って休んだのは数日あるかないか,なのだけど,忙しさよりも合氣道の稽古ができないことがまずつらい.身体を動かせないことがこれほどストレスになるとは自分でも驚くほど.たぶん歳をとった分,体力,集中力を維持するためには身体を動かさなければいけなくなったということなのだろう.

身体を動かせないことだけでなく,音楽をゆっくり聴く暇がない,映画を鑑賞する時間がない,そうしたこともずいぶんストレスに感じる.特に映画.映画館に行くどころではなく,DVDを借りてきて観ることもずいぶんしていない.映画が恋しく感じる.

映画というのは,感動するストーリーだけでなく,アクションであっても,ホラーであってもなにかしらの影響が心に残されると思う.わずか1cmかもしれないけれど心が動かされるのだ.映画には没入感があり,結局のところトランス状態に導かれるのだから当然といえば当然なのだけれど.

今気になっているのは「John Wick Chapter 3」.スピード,マトリックスシリーズに続くキアヌ・リーブスの代表シリーズである.一度引退した伝説の殺し屋であるJohnがしがらみから逃れられず,また裏の世界に囚われてしまう.現在は殺し屋の組合(?)の全殺し屋から裏切り者として追われる立場になっていて,Chapter3ではどうやってJohnがこの危機を乗り越えるのかが見どころとなっている(はずである).こんなに面白いのになぜかいまいち日本では話題にならないのが不思議である.世界的には大ヒットしているのに.アメリカでは5月に公開.日本ではいつになるのだろう.1作目のようにアメリカ公開から1年たってようやく日本公開なんてことは無いようにしてほしい.

もう一つ気になっている作品は「YESTERDAY」.これはスターを夢見る若い男性である主人公が事故にあって異世界に飛ばされるのだけれど,そこはなぜか「The Beatles」だけが存在していない世界だった.彼はビートルズの作品をその世界で発表しながら大スターになっていくというコメディ.事故から復帰したのち,主人公が「Yesterday」を恋人や仲間の前でギターでうたうのだけど,いきなり仲間たちが涙を浮かべて曲に感動するのである.そのリアクションに笑ってしまう.ビートルズの作品に世界が熱狂していく様が面白い.昨年は,クイーンが流行ったけれど,今年はビートルズかもしれない,なんて思わせる作品である.

映画に飢えている.春になったらなんとか時間を作って観に行きたい.DVDも観たいリストを作っておかなければ.映画を観て心を動かす.そんな経験に飢えているのだ.

2019年1月19日土曜日

Progress. Not perfection.

先日,知り合いの方のツイッターにマグカップの写真が上げられていて,カップには
"Done is better than perfect"
と書かれていた.アメリカのことわざのようなものらしい.素敵な言葉である.
それでいろいろと思いを巡らすことになった.

私が最初の職場で,上司から言われた言葉で忘れられないのが
「60点の出来でいいから締切を守ること」
である(残念ながら現在私は守ることができているとはいえないのだけれど).まずは100点を狙わなくていいからとりあえず及第点の資料を作成することが大切,いやとにかく動き始めることが大切ということを教えていただいた.仕事に少しでも取り掛かれば頭が動き出す.出来が悪くても時間さえあれば,それを見直してブラシアップすることもできる.クオリティをあげるのはあとからでもできるのだ.最初から完璧を狙っていては動きが取れなくなってしまう.

デンゼル・ワシントン主演のアクション映画「イコライザー」の中で主人公が言っていた言葉も忘れられない.
"Progress. Not perfection."
完璧が重要なのではない.進展があることが大事なのだ.大量の仕事に囲まれ,にっちもさっちもいかず,どうしようかと途方に暮れるとき,この言葉を思い出してとりあえず動くことを始めてみるようにしている.進展がなければ,完璧もありえないのだ.

2019年1月18日金曜日

ブギーポップは口笛を吹かない

「ブギーポップは笑わない」がまたアニメ化されている.私は20年ほど前にこのラノベに出会って以来ずっとブギーポップファンで(この「ブギーポップ」がラノベというジャンルの嚆矢だと思っているけど),このブログでも10年ほど前(!)にこの小説について書いているほどなのだ.

私の記憶によれば(というかWikipediaで調べればわかるけど),この小説はこれまでに実写の映画(吉野紗香!主演)と2度ほどアニメ化されているはずである.このアニメがたいへん雰囲気のあるもので,小説とは異なるストーリーであったけど,非常にクラい,不気味な(ブギーな)作品で魅力的だった.私は救いようのないクラさをもつアニメが好きだから,笑わない主人公がビターエンドに導くこのシリーズがたいへんお気に入りだった.

そして今年(いろいろあって昨年から今年に延期されていた),またアニメ化されている.ストーリーは小説にだいたい沿っていて,話の進め方も小説同様細切れだったりして驚いたけど,一体どれだけの人がこの展開についていけるのだろうかと疑問にも思う.小説を読んでいないと理解できないのではないかと思う.人気が出ないことを心配してしまう.

原作との違いも面白い.小説の挿絵のキャラクターデザインの人が怒っていたけれど,まず制服がセーラー服からブレザーになっている.これは好みが分かれるところ.

そしてなにより私が驚いたのは,ブギーポップが口笛を吹かないことである.原作では,彼が現れるとき彼の吹く少しぎこちない(?)口笛が聞こえてくるはずなのである.その曲はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーの前奏曲」.あの大仰な旋律を物悲しそうな口笛で吹くのである.もちろん小説の紙面からは聞こえてこないけれど,なんとも想像力をかきたてるシーンじゃないだろうかと思う.その曲が聞こえてくると黒マントに身を包んだ「彼」が現れるのだ.なんて素敵な設定なのだろう.でも,それがこの新しいアニメにはない.「彼」はいつのまにか現れていた.うーん,ちょっと寂しい.

アニメはまだ3話までしか放映されていないので,これから口笛が聞こえてくるシーンがあるのかもしれない.登場人物たちの顔のデザインもいくぶん現代的で明るくなっているので,もっともっと設定とストーリーで展開を暗くしていって欲しい.なんたって「彼」は「不気味な泡」なのだから.

#2作目のブギーポップのアニメは,もうどうしようもなくクラいストーリーだったけど,当時まだマイナーだったスガシカオの歌がOPで流れていて,たいへん印象的だった

2019年1月15日火曜日

アウトプットをしていく

おかげさまでどうも私は社交的な性格と思われているらしい.たしかに,人見知りはあまりしないし,人と話すのも苦手ではない.しかし一方で,独りでいるのもあまり苦にならないのも事実である.週末どころか一週間くらい誰とも話さなくても問題ない.ひきこもりと言われても仕方がない.若い頃は,独り山に籠もって仙人のような暮らしをするのが憧れだった.別に山ごもりの修行というわけじゃないけど(眉毛を片方剃るとかしないし).

だから積極的に人と交流するということに,それほど重きをおいてきたわけではなかった.しかし,これからはちょっと変えてみようと思っている.とにかく私からいろいろと動いてみる.情報を開示してみる.そうして外界との関係を強くしてみようかと思うのである.結局のところ,外の世界に働きかけなければ,自分も環境も変わらないということにようやく気づいたということなのかもしれない.これまで,人と関わることがいくぶん億劫だったし,人間関係が面倒くさく感じることも正直あった.それでもこれからは外に向けてアウトプットをしていこうと思うのである.ずいぶん年をとってからの決心だけれども.

2019年1月12日土曜日

かまいたち

講義をしていると,いつのまにか指から血が流れていた.気づかぬうちに傷がついていた...というわけではなく,私の場合,単に古傷の口が開いたからである.しかし,このことでひとつの現象を思い出した.「かまいたち」である.講義を聞いていた学生に「かまいたち」を知っているかと尋ねてみても,どうもピンと来ていないようだった.最近は話題に上ることがない現象なのだろうか.

「かまいたち」は,いつのまにか手足が刃物で切られたように傷つけられていてしまう現象である.するどい刃物で傷つけられたような傷口だけど,不思議なことに血はでないのだという.

私の父は,昔「かまいたち」にあったことがあるといって,指にある刃物で切られたような傷の治ったあとを見せてくれた.いつのまにかこの傷がついていたのだという.昔はよくあったことのようだ.

「かまいたち」は妖怪のしわざだという話がある(妖怪ウォッチじゃないけれど).ある話によれば,かまいたちは3匹のチームになっていて,一匹目が人間を転ばして,二匹目が鋭い鎌で傷をつけ,三匹目がなぜか薬を傷あとに塗るのだという.だから傷口からは血が出ないことになっているのだ.漫画「うしおととら」においても,かまいたちは3人の兄弟妹の妖怪と描かれていた.

実際は,つむじ風などによって空気中に真空ができ,それが人間を傷つけるのだという話がまことしやかに語られてきた(すくなくとも私のまわりでは).でも今となってはそんな説を私は信じることができない.つむじ風程度で人間を傷つけるほどの真空ができるだろうか?なぜ人間の手足だけ傷つくのだろうか?なぜ衣服は切られないのだろうか?そう考えれば,そんな単純な原因で発生しているとは考えづらいだろう.とはいえ,良い理由は思い浮かばないのだけど.

しかし,最近「かまいたち」の話題を聞かなくなったのは少し寂しい気がする.私達のまわりから「不思議」が消えていくことは,世の中のワクワクが減っているような気がするのだ.妖怪のしわざと考えるほうが,ちょっと世の中すみやすい気もするし.

暑くて湿ったこの季節,ドライなカクテルが美味しい

長岡に来てのち,腰を痛めてしまい,なかなか生活の中に楽しみを見つけることが少ないのだけれど,最近は週に一度のスーパー銭湯通いとお酒をなによりの楽しみとしている. お酒は量を飲まないので,自然と美味しいお酒を少量というスタイルになって,バーに行くこともしばしばとなった. と...