2019年4月5日金曜日

新しく元号が変わることは良いことだと思う

新しい元号は不要だ,という意見の人も多く,私も事務的な書類については使用しない方が便利だし,良いと思うのだけど,元号自体は存続する方に賛成である.

不要論の人は,「元号なんて日本人が勝手に時間を区切っているだけだ」と言うのだけれど,それが大切だと私は思うのである.

勝手に人間が時間を区切っているのだ,というのであれば「正月」も同じである.考えてみれば1月1日だって365日のうちの一日であり,他の一日と区別があるわけではない.しかし,人間というのは意思が弱いから,区切りがなければ漫然と一年を惰性のうちに過ごしてしまいがちである.そこで,1月1日を新年の始まりとして区切りを設けることによって心を一新し,事に臨むことができるのである.こうしたお話を,藤平光一先生がされていたのをよく覚えている.私もそのとおりだと思うのである.

元号が変わることによって,人々の心が一新し,また次の時代に向かって歩んでいこうという前向きな心持ちになるのであればよいではないかと私は思う.改元に関係ない,そうでない人もいても構わない.しかし,それなりに大勢の人のマインドが変わることが大切なのではないかと思うのである.過去の時代に区切りをつける良いきっかけとなるだろう.

新しい年号は「令和(Reiwa)」.
私が心配しているのは,「R」の発音で「れいわ」といえるかどうか,ということである.ついつい「L」の発音で言ってしまいそうなので...

※平成31年をH31とか略すことが多いのだけれど,令和元年をR1とか書くと,どこか「お笑い」を思い出させるし,Revision1(改訂版1)という感じもしてしまう.そして,令和15年とかになれば,R15ということで子供は見てはだめなもののような気がしてしまい,ちょっと悩ましい.

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