2025年5月31日土曜日

はじめてグレープフルーツを食べたのは東京だった

 新しい食べ物との出会いは,ずっと思い出に残っていることが多いようだ。カプチーノとの出会いを以前にこのブログに書いた。今回は,小学校4年に(だったかな)初めて東京に行ったときの話。

東京にいる私の親戚は2軒とも蕎麦屋で,食べ物に対しては先端をいっている人たちだった。東京訪問時に私が初めて親戚のうちに行って食べたものが,グレープフルーツだった。

それまで私は夏ミカンしか大きな柑橘類は食べたことがなかった。それも昭和のその頃の甘夏は酸っぱくて固くて,食べ終わると歯が浮いたような感覚になったものだった。まあ,小学生のうちは,一回に甘夏の1/4しか食べさせてもらえなかったけれど。

それが東京の親戚のうちの客間に通されて,テーブルの上に出された果物が半分に切られたグレープフルーツだった。

まず色に驚いた。甘夏のオレンジとは違う黄色だったのである。そして中身はパサパサなどしていなくて断面はみずみずしく光っていた。見るからにおいしそうである。

次に驚いたのはおもむろにグレープフルーツの断面に砂糖をかけ始めたことである。その当時,グレープフルーツはまだまだ甘さが足りなくて,食べるときにちょうどスイカに塩をかけるように,砂糖をかけて食べていたのである。今では思いもつかないけれど。

そしてもっと驚いたのは,先っぽがギザギザになっているスプーンである。それで半分に切られたグレープフルーツの身を掬って食べるというのが画期的だった。甘夏みたいに皮をむいて,中身をひっくり返して食べるのではなかったのだ。なんて上品な食べ方!と思った。

実際食べてみると,グレープフルーツはすっぱくて,苦くて,確かに砂糖がなければ食べ続けれられないかもしれないと思ったことは覚えている。大人のフルーツだったのだ。

それが今では,グレープフルーツは私の大好物になっている。品種改良も進んだためか,甘さも十分あって,砂糖をかけて食べる人なんて見たことがない。グレープフルーツジュースもさわやかな苦みがあって大好きである。東京で初めて食べてから40年以上が経ったけれど,グレープフルーツを1/2個食べるときの贅沢感は今も変わらない。

2025年5月25日日曜日

カプチーノとの邂逅

 私は昭和生まれだから,昭和,平成,令和と時代の移り変わりをそれなりに見てきた。現代はとにかく情報が伝達・共有されるのがそれまでに比べ異常に早いことが特徴だと思っている。新しい製品,新しいファッション,新しい曲,そうしたものが世に出るとあっという間に広がって,世の中の常識的な知識になってしまう。昭和の頃はテレビで広がるのがやっとだった。

そうした昭和の時代,私が初めて食する食べ物に驚愕することが多々あった。今では当たり前にネットを通じて新しい食べ物の詳細な情報,味,入手方法などの情報を即座に得ることができるが,昭和の頃,たとえそれが雑誌で紹介されても,どんなものなのか全然想像がつかず,まして味なんて予想もできなかったからである。

今回は,私が初めてカプチーノを飲んだときの話。現在においてはカプチーノがどんなものかなんて誰もが知っている。ファミレスに行けばドリンクバーにだってメニューのボタンがついている。ボタンを押せば,コーヒーが,そして多めの泡立ったクリームが出てくる。しかし,私が大学1年生の頃(1986年),ネットなどまだなく,カプチーノはまだまだ謎の飲み物だった。

大学に入学してからしばらくして,東京のあちらこちらに行っていろいろなものを見てみようという余裕が出てきた頃のこと,私は大学で同じ高校出身の同期生と一緒に渋谷に観光に出かけた。自分がどんな服を着ていたのか思い出せないのだけれど,友達はジーンズと赤のチェックのシャツだったのを覚えているから,たぶん私も似たり寄ったりの服装だったのだろう。

渋谷から公園通りを抜けて原宿へ行こうと坂を上っていく途中で,コーヒーでも飲もうということになった。とはいえ,格式のある喫茶店は敷居が高いので,ちょっとファミレス風のコーヒーとスイーツのお店に入った。店は白い壁,対面のテーブルに赤いソファー。それだけで田舎者の私たちは舞い上がった。

そしてメニューを見て,目についたのが「カプチーノ」の文字。「三浦君,飲んだことある?」「いやない」「これいってみよう!」ということで二人ともそれを注文をする。今みたいに注文用タブレットなどないから,ウエイトレスさんに声をかけて,田舎者と思われないように注文をした。

しばらくして,カプチーノらしきものが2つ運ばれてきた。まずはクリームがたっぷりのったコーヒーカップ,そして驚愕したのが,その隣に一端をまるでクリスマスのチキンみたいに銀紙でつつまれた黒い木の小棒であった。

ウエイトレスが私たちのテーブルから立ち去って行ったあと,私たちはそれぞれその小枝を手に取ってみた。固くて黒茶色。食べ物ではないというのはすぐにわかったけれど,どう使ったらよいのか最初ほとんど理解できなかった。周りを見回しても,同じものを頼んでいる人はいなかった。

しかし匂いを嗅いでみるとニッキのにおいがする。そこでようやくシナモンだということを理解した。この小枝を噛んで風味を味わうのかとも少し思ったけれど,友達が「これはこうするんじゃね?」と言っておもむろに小枝でコーヒーをかき混ぜ始めた。「それだ!」ようやく私も合点がいって,シナモンスティックでコーヒーをかき混ぜ始めた。これが正解に違いない,そうは思いながらも人生初めてのカプチーノを,他の客の視線を気にしながら飲んだことを今でもよく覚えている。「シナモンの香りなんてかき混ぜたぐらいじゃコーヒーに移らないよ」と思ったことも。

これが私の初カプチーノ体験であった。笑い話でしかない。しかし,現代ではこうした新しい感動を得るのは難しくなっているような気がする。ある意味,現代人はかわいそうである。だからこそ,みな新しいものを探して右往左往しているのだ。

2025年5月24日土曜日

モスぼる

 業界用語というものがある。私はこうした一部の界隈しか通用しない用語があまり好きではなく,「サチる」,「ネグる」などの言葉はなるべくならば使いたくないと思っている。私はこれらは「品性の問題」と思っているけれど,まぁ,「趣味の問題」の程度のことなのかもしれない。

最近,同僚と話していて思い出した和製英語的な業界用語に「モスぼる」という単語がある。

モスぼるというのは,Mothballから来ていて,蛾の防虫剤で球形の薬剤を示している(苔のモスではない。もちろんハンバーガーでもない)。

そこから意味が転じて,「長期保存する」とか「(計画などを)棚上げする」などを示す場合にも使われるようになったらしい。それを,さらに日本語に転じて「モスぼる」という風に使っているらしい。

私はこの言葉を日本原子力研究所勤務時代に知ったのだけれど,そういえばそれ以降,この言葉を聞いたことがなかったような気がする。ちょっと特殊だったのかな。。。たしかに私自身もこの言葉をつかったことはないけれど。


2025年5月18日日曜日

月を指さすことは

 少し前,「指月の指」について書いた

しばらくして思い出したのけれど,月を指さすことはそもそもやってはいけないこととされていたのではないだろうか。

そう思ってネットで調べてみると,どうも台湾では「丸くて大きな月を指さすと,翌朝月の女神に耳を切られてしまう」と言われているらしい。私はそれをどこかでうろ覚えしたのだろう。そもそも日本では月は男性神のはずだから,このタブーは我が国のものではないだろう。

しかし,面白いのは耳を切られるのを防ぐために,指さした後に耳を手で押さえるとか,耳たぶをつかむなどという対処法も同時に伝わっていることである。まるで雷がなるとおへそを手で隠す,みたいである。

ネットで調べるかぎり,日本では月を指さすことはタブーとされてはいないらしい。しかし,月は死と再生の象徴であり,人は太古からその魔力を信じてきた。軽々に指さすことはあまり良くないことなのかもしれないな,とも思う。


#今回は「指月の指」の補足ということで。

2025年5月17日土曜日

疲れでモノが見えなくなる

 毎日がパラパラ漫画のように過ぎていき,あっという間に週末である。最近はとにかく疲れがひどい。自分でも仕事量を抑制しているつもりなのだけれど,やはり年齢のせいか,昔のようにはうまくいかない。

疲労が溜まってくると良いことがない。

まず身体のフシブシがバキバキときしんでいる。とうとう背中のスジを違えたらしく,背中と首筋が痛い。そのため左に顔を向けづらい状態である。

睡眠時間を長くとって休養しようにも,熟睡ができず朝早くに目が覚めてしまう。疲労が取れない。そして起きたときから後頭部が痛む。長時間眠れないのは枕が身体にあわなくなってきたためだろうか,それともトシのせいなのだろうか。

こんな状態では,集中力も保てない。忙しいわりに仕事に集中できないという悪循環に陥っている。心の修行こそ,ずっと武道を通じて行ってきたはずなのだけれど。。。そのうえ,疲れていると機嫌が悪くなって,ちょっとしたことにも腹を立てやすくなる。もともと私は短気極まりないのに,さらに怒りやすくなる。血圧もずいぶん上がっていることだろう。

そして疲労感がとれないと,ついつい甘いものを食べたくなってしまう。以前にも書いた通り,現在体重は人生MAXの値を更新しつづけている。甘いものは一時的には満足感を与えてくれるが,中毒性もあるし,長い目でみれば心の状態にもずいぶん悪影響を与えているような気がする。

「疲労度」を測る良い方法として,以前,バイト先の学習塾の塾長に聞いた方法がある。塾の合宿においては,子供たちの疲労度を測るためにゴミを拾わせるのだという。疲れがひどくなってくると,たとえ目の前にゴミが落ちていても認識できず,拾わなくなるということだ。

私も現在,目の前にある財布を「ない,ない」と探してみたり,机の上に堂々と充電している携帯電話を探してみたりと,本当にひどい状態にある。原因は疲労だけなのか,加齢によるボケなのかわからないけれど,とにかくひどい。目の前にあるモノが見えなくなることって本当にあるのだ。

以前に読んだミステリー小説で,トリックは「人は見たいものしか見えない」というものがあったが(京極夏彦作品),読んだときには「そのトリックはないよ~」と思ったけれど,最近はそうしたトリックも成立するのかもしれないと思うようになってきた。

大切なモノを見落とさないためにも,なんとかしなければ。

2025年5月11日日曜日

村上春樹「石のまくらに」

 村上春樹の短編集「一人称単数」の一篇である「石のまくらに」を読んだ。彼の作品を読むのは久しぶりだ。

主人公「僕」は,大学時代,アルバイト先にいた女性の送別会の夜,彼女と一夜をともにする。彼女は,好きな人はいるが,その人からは身体は良いが顔はちょっと...と評価されている。しかし彼女は彼が好きなのでいわゆる「都合のよい女」として扱われていた。そして彼女はもっと高い給料の職場を求めて主人公のバイト先をやめることになっていた。

と作品を読み進めていくと,「いつもの村上作品にでてくる都合の良い女なのか」と思い始める。「僕」は女性の名前も顔も思い出せず,一夜を過ごしたという記憶だけが残る。彼女のなまめかしい肢体と振る舞い,そして鼻の脇にある2個のほくろなどの思い出だけが語られる。

こうした女性は村上作品によく登場する。女の名前も顔も忘れるがエピソードだけが心に残っている,みたいなことが,「蛍」や「ノルウェーの森」の「直子」や,「羊をめぐる冒険」の葬式の女などで繰り返し語られている。

それはそれでよいのだけれど(女性からはこうした都合のよい女の存在が村上春樹を嫌う理由になっているけれど),本作では彼女が「短歌」を読むということが特徴的だ。彼女は歌集を自費出版して,その中の一冊(たぶん28番目の冊子)を主人公に後日郵送してきている。その歌集は素人のもので,世間的には全く知られないものであるけれど,「僕」はその中の8首が心にずっと残っているという。

この作品では,「短歌」が彼女の生きた証,記録となっている。村上作品として相変わらず女性については「死」のイメージが色濃く描写されているけれども,これらの短歌が彼女がこの世に存在したという示すものになっていて,少なくとも主人公にとっては忘れることができない理由になっている。

なぜか。それは「短歌」が彼女の生きざまから絞り出すようにして詠まれたものだからであり,そのことを主人公が理解しているからである。この作品では,作家(短歌の作者である女性と現在小説家である主人公)というものが,どのようにして「作品」をつくりだしていくか,その過程が村上春樹的な比喩を用いて語られている。私は,「作品」は生きていることの証として,すなわち「生存理由」として,命をかけて作られているのだ,という印象を受けた。

村上作品によくある「都合の良い女」という私の印象は,読後には一人の女性の生々しい生きざまを主人公とともに目撃したのだというものに変わっていた。村上春樹の作品はいつも複雑で感想を書くことが難しいのだけれど,この短編は女性の生き様をはっきりと意識させられるものとなった。


#タイトルの「石のまくらに」とは,「石のまくら」の上に首をのせて自分の心,命を差し出すという覚悟が,自分の言葉を(作品を)あとに残すためには必要だ,ということが書かれているので,作家としての覚悟と生き様を表しているのではないかと思う。

2025年5月10日土曜日

もういちど,知行合一。~ブルース・リーから王陽明~

 ブルース・リーの言葉に,

"Knowing is not enough; we must apply.
Willing is not enough; we must do."

というものがある。意訳をすると,

「知るだけでは十分ではない。それを適用しなければならない。
思うだけでは十分でない。それを実行しなければならない」

もともとはゲーテの著作にある言葉らしい。これを私的に,武道的意訳をすると,

「技を知るだけでは十分ではない。それを遣えなければならない。
技を遣おうと思うだけでは十分ではない。それを実際に遣わなければ身につかない」

さらに私的に哲学的な解釈をすると,

「知行合一」

ということになる。「知行合一」とは,私的には「知ることと行うことは同じでなければならず,真の理解とは実践が伴って初めて可能となる」ということになる。もともとは王陽明によって始められた学問である「陽明学」の重要な考え方の一つである。

しかし,これが日本に伝わって,江戸時代に広まったときには,武士道の理想と会い混じって,「思想即行動」という過激思想になってしまった。それは長岡の英雄 河井継之助や西郷隆盛など明治維新の急激な日本の変革者のモチベーションになってしまった。

こうした考え方は,国にとっては過激な変革となりあまり望ましくない気がするが,個人の変革のためにはたいへん魅力的な思想である。ただ真の理解は実践によって得られるものであるという言葉は,この年齢になっても耳に痛いものである。



2025年5月6日火曜日

指月の指と核融合とムーンショット

 「燃えよドラゴン」の冒頭,ブルース・リーはサモ・ハン・キンポーとの総合格闘技のデモ試合を行ったあと,少年にハイキックを教えることを通じて,武道の極意を伝えようとするシーンがある。

"Don't think. Fee_____l‼"

のセリフがつとに有名である。この言葉については多くの人が語っているし,そもそも武道としては基本の話だし(できるできないは別にして),そして「燃えよドラゴン」公開から50年以上経った今でも武道界隈ではこの言葉はミーム化しているので,私はここでは書かない(実際,なにかを語れるほど私は実力がないし)。

しかし,作中,この後にブルース・リーが少年に垂れる説教についてはあまり知られていないような気がする。

"It’s like a finger pointing away to the moon.
Don’t concentrate on the finger,
 or you will miss all the heavenly glory."
(ネットから拾ってきたので,詳細は間違っているかも。しかし大意はあっているはず)

これはもちろん有名な禅の言葉「指月の指」から来ているに違いない。「指月の指」とは,月を指さす指はあくまでも手段,方便であって,大事なのは月,すなわち真理,悟りである。「手段」にこだわって,「悟り」から遠ざかることを戒めた言葉だと私は理解している。いかにも哲学科に進んだインテリなブルース・リーらしいシーンである。

そんな理由もあって「指月の指」という言葉を私は大好きなのだけれど,世間的にも「指月電機製作所」という会社もあるくらい有名である(指月さんには日本原子力研究所時代お世話になった)。

さて話変わって,「核融合」(フュージョンエネルギー)が,内閣府が定めるムーンショット目標の10番目に選ばれた。ここで「ムーンショット」とは実現が困難な野心的な目標という意味で使われているらしく,どうもケネディ大統領が月着陸計画という壮大な目標を設定したことに由来するらしい。

しかし,この話を聞いて私は「指月の指」をすぐに思い浮かべた。核融合において「月」を指さし,みながゴールに向かって進むことができるのだろうか。「指」にこだわって「天上の栄光」(the heavenly glory)を見失ってしまわないだろうか。そんな心配をしてしまうのである。


2025年5月5日月曜日

イメージを共有できない呪術は効果がない

 最近,「感染呪術」と「類感呪術」という言葉を知って,呪術に関する考えがまた少し整理された。この二つの言葉は,どうも文化人類学者フレイザーによって提唱されたものらしいのだけれど,呪術がなぜ効果をもつかということを示唆しているように思えて,興味深い。

「感染呪術」とは,呪う相手の毛髪や爪,使用していたもの,息(!)などを用いて行うものであり,藁人形の中に相手の髪の毛を入れるとか,「ひとがた」の紙に息を吹きかけるとか,そうした相手につながる直接的なイメージを用いる方法のことであるらしい。昔の人が自分が出したゴミを残さないようにするのはこうした呪いから自分を守るためであって,例えば織田信長が切った爪を森蘭丸が捨てる話がよく知られている。

一方,「類感呪術」とは,「感染呪術」よりも一段階抽象度があがった,すなわち高度な呪術だといえるだろう。呪いだけでなく,マジナイとか縁起担ぎにつながる方法である。たとえば,安産祈願を「戌の日」に行うのは,犬が多産で安産であることが多いから,それにあやかっているからだといわれている。

そんなことをいったら,正月に食べるおせちだって,「エビ」は腰が曲がるので長寿の象徴だったり,「田作り」や「くわい」は「子孫繁栄」や「芽でたい」という縁起担ぎである。もちろん藁人形やブードゥーの人形のようにもう少し直接的なイメージを用いた呪いも「類感」といえるだろう。こうした似たものを用いることや抽象度があがった象徴として人間とは異なるものを用いるのは,思考によって縛られる人間らしい呪術であるといえるだろう。

しかし,こうした呪術は逆にいうと,呪う相手が自分と同様の類感をもつ,すなわち平たく言えばイメージを共有できなければ効果がないのではないかと思うのである。おせちを,えびやくわいの入った単なる豪華な御膳としてとらえるか,それを縁起物として食べるかでは,おせちの意味が異なってくる。また,おせちを用意してくれた人の気持ちを汲むことができるかどうかという違いにつながる。

呪いも同様である。ひどい話でいえば,犬や猫の死体を呪う相手の玄関先に置くという呪いがあるが,これだって死体を単に「生ゴミ」としか思わない人にとっては,効果を及ぼさないのではないかと思われる。

呪術というのは,私たちが「文化」という共通の枠組みの中で,イメージを共有する思念の世界でつながっていることによってはじめて効果を及ぼすものではないかと思うのである。

2025年5月4日日曜日

天国もやはり生者のためにある

 葬式は残された生者のためにあるということを以前に書いた。葬式とは逝ってしまった人からの呪縛を解くために行われるのではないか,と。

そして最近,天国というものも残された生者のためにあるのではないかと思いついた。天国というものが存在して,亡くなった人が天国に行っていて幸せに暮らしていると考えることができたら,どれだけ私たちの心は救われるだろうか。

もちろん,生者である私たちにとっても,死後の行き先として天国,極楽浄土があるということは,今生の苦しみから解放される「終わり」すなわち「死」があるという「救い」となっていることも理解できる。

しかし,天国の存在は自分たちの死後のためよりも,むしろ生きている私たちの現在の心の救いのために存在するのだ。私たちは逝ってしまった人に対する後悔を一生抱えていかなければならないが,ほんの少しでもその呪縛から救われるために天国が存在するのではないだろうか。

天国が本当に存在するのであれば,そんなに素晴らしい救いはないが。



#「死」によって天国・極楽浄土へ行くことがこの人生の救いとなるのであれば,みな自死を選択するだろう。しかし,ほとんどの世界で自死は禁忌とされている(日本の侍は自決することが許されていたが)。やはり自死が許されない理由がどこかにあるはずである。

金運上昇で有名な高龍神社に参拝する

私は 神社を参拝することは大好き なのだけれど, まだ地元長岡の神社をすべてお参りできたわけではない。今回は,金運アップで有名な(らしい)高龍神社にお参りしてきた。 初夏,学会で長岡にいらした方も「高龍神社」にわざわざ参拝に出かけられていたくらい金運アップで全国的に(一部,龍神フ...