2010年3月30日火曜日

Blue Moon, 死と再生

夜の散歩から帰ってきた.
今日の夕食は食べ過ぎたようで,
仕事をしていると気持ちが悪くなってきたので,
外の空気を吸いに散歩に出たのである.

本来ならば,ダイエットのためもあり,
いや,そうでなくても散歩は脳と身体と心にいいので,
是非とも毎日にのように出かけて行きたかったのだが,
なにせ,ここずっと寒い日が続いていて,
(そして忙しかったために)
しばらくサボっていたのである.

とはいえ,今日も花冷えである.
歩き始めると冷たく吹き付ける風が,
頬の筋肉をこわばらせる.
それでもとにかくテクテクと歩く.
そのうち身体が暖まってくる.
こうなればしめたものである.
コートの前を開けて,身体の前面で風を受けたとしても
全然苦にならない.
やり始めてみれば意外と簡単.
散歩だけでなく,どの仕事もそんなものである.

大阪大学 吹田キャンパスは広いので,
一周りして歩いてくると結構な時間がかかる.
少しは運動になるのだろうか.
しかし,心も身体もすっきりとして戻ってくることができた.
やっぱり,散歩は行くべきである.

さて,今夜は月が大変綺麗であった.
今月二度目の満月なのだ.
ひと月の間に二度満月が訪れるとき,
この満月を"Blue Moon"と呼ぶのだという.
ロマンティックな話である.
(別にブルース・ウィリスを思い出す必要はない)
今年は1月と3月に二回もブルームーンを見ることができる
珍しい年なのらしい.
(まぁ,12ヶ月に勝手に区切っているのは人間なのだから,
29.5日の周期をもつ月にとっては関係ないことなのだろうけど)
このブルームーンを見ると幸運になるらしい.
しかし,全然月は青くなかった.
いったい私のところに幸せは来るのか?

ところで,昔から月というのは,「死」と「再生」のシンボルである.
確かに月の怜悧な美しさは,永遠の休息にふさわしい.
特に見ていて寒々とする三日月の姿は,まるで刃物のようである.
静かな冥き夜に煌々と輝く月の姿は神秘的で気高い.
太陽よりも月を好む人が多いのもうなづける.
そして新月が訪れ,また新しいサイクルが始まる.
まるで人生をやり直すように.
人間がそこになにかしらの意味を見出すようになったのも
自然なことのように思える.

月といえば,だいたい司るのは女神(たとえばアルテミスとか)と
言いたいところだけれど,日本では男神 月読命(ツクヨミ)である.
(女の子としているマンガもあるけど)
それも,古事記などの神話でもあまり活躍しない.
つまりマイナーな神様なのである.
なぜ日本では女神でなく,そして活躍もしないのだろう...
不思議だ.いつか調べてみよう(いつだ!?).

結局のところ,私は月が好きなのである.
月を眺めるために,散歩をしよう.
そう思ったのである.

月で思い出した,好きな詩を最後に紹介.



静夜思
       李白

  牀 前 看 月 光
  
  疑 是 地 上 霜
  
  挙 頭 望 山 月
  
  低 頭 思 故 郷





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