長期間にわたる雑務もお役目ごめんとなり,なんとか時間も確保できるようになりそうです.これから少しずつ復活いたします.さてさて,これから何をいたしましょう...ブログの更新の頻度も高くしてまいります.
さて,今回は,この人生経験の浅い私ではあるけれど,「うまくいく人」と「うまくいかない人」の違いについて考えたことを書くことにしたいと思います.「うまくいかない人」というのは,なにかしらネガティブに物事を考える人だ,というのは良くいわれることなのだけれど,最近考えたことを,もう少し具体的に書いてみます.
(これからこんな話が増えてしまうかも...中二病みたいなんで(笑),いやな人は読み飛ばしておいてくださいませ)
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「うまくいかない人の行動」
どうも「うまくいかない人」は,失敗したことにフォーカスしやすい.失敗を失敗として受け止めて,そのことにこだわる傾向がある.また自分の責任については目をつぶり,そうなったのは環境のせい,他人のせいだという.
どんな状況にあっても,まずは自分の責任を考えるべきであると私は思うのだけれど,そう考えない人がいる.そうした人は他人に毒を吐き,結局自分で自分を直す(治す)機会を逸している.個々の事象に気をとられ,対症療法的に自分の他に原因を探す.普通に考えてもこれではうまくいくはずがない.
「うまくいく人の行動」
一方,「うまくいく人」は,最終的な理想状態にフォーカスする.どのような状態になったら,うまくいっているといえるのか,あるいは現在はその状態に対して何が足りないのか,ということを考える.何が満たされたら,それが実現できるのかと,ゴールの視点から考える.
こうした人たちにとって,失敗はあくまでもフィードバックである.次回はアプローチを変えていく.そのための情報のフィードバックなのだと考える.別に個々の事象について必要以上に感情的になることもなく,あくまでも次のアプローチのための有益な情報として利用するのである.
このように得られたフィードバックによって自分の行動を変える.これが大切である.すなわち,先の失敗の責任は自分にあると考えて行動しているのである.この世界で,自分で変えることができるものは,自分だけしかないのだから.他人や環境が変わるとしても,それはあくまでも自分が変わったことの二次的な変化でしかないはず.とにかく,自分の行動を変えることが,結果を変える有益な方法なのである.
一方,うまくいかない人にとっては,失敗の責任は他人や環境にあるのだから,それらを変えようとする.そこの無理が生じて,環境や他人との間に摩擦が起るのである.だから,また失敗するのである.さらに,映画「インセプション」の中でも出てくるけれど,「失敗のことを考えるな」といわれると,「失敗」のことを考えざるを得なくなる.失敗のことを考えることは,結局失敗のイメージトレーニングをしていることにほかならないのである.
「加点法」と「減点法」
私が学んでいる武道では,「減点法」ではなく「加点法」で考えることが大切であると指導される.「減点法」というのは,つまりは失敗にフォーカスすることにほかならない.ひとつひとつの失敗に注目し,自分や他人の評価を決めていく.しかし,他人だけでなく,自分に対しても,「加点法」であることが求められるのである.「自分に甘くなる」ということではない.次の行動を改善するために,理想の状態にフォーカスし,「加点法」で考える必要があるということなのだ.明確な目標を持ち,それを確認する方法を具体的にし,失敗をフィードバックしてアプローチを変えていく.こうしたシンプルな行動原理がうまくいく人の特徴なのだと思う.そしてこれは工学的に考えても,非常に合理的な手法であると考えられるのである.
#どうも安っぽい自己啓発の本みたいな話になってしまい,申し訳ないです.しかし,こんな単純なことにも気づかない人が多いみたいだし,そうした人にこのような話をしても,なぜか不機嫌になるだけなので,ときどきこうしたこともブログに書いていきたいと思います.
2012年6月19日火曜日
2012年6月4日月曜日
考現学 今和次郎
考現学の今和次郎の展覧会が日本民族学博物館(民博)で開催されている。私は非常に興味がそそられているのだ。
「考現学」というのは、一般にはあまり馴染みが無いと思われるけれど、赤瀬川原平、荒俣宏らによる「路上観察学会」なんて活動もあるくらいで現在にもそれなりに影響を与えている学問なのだ.現代の建築や風俗を観察し体系的に整理、分析するような活動をしている。大正後期から昭和初期に今和次郎(こん わじろう)が提唱し始めたことになっている。
荒俣宏といえば博学で有名だけれど、私が初めて考現学を知ったのも彼が書いた小説「帝都物語」に今和次郎が登場したからである。映画「帝都物語」でも彼が銀座かどこかで観察しているところが紹介されていた。いとうせいこうが演じていたと思う。それが妙に印象に残っていたのだ。
例えば、女性のスカートの短かさを三段階に分けて,銀座のある通りを行き交う女性のスカートの長さの統計をとるとか、あるいは化粧の濃さで統計をとるとか、そんなかなり身近なところから、その観察対象は広がっているのだ。
もちろん,もともとは建築学ということで,スケッチは農家や納屋などのものも多いのだが,単なる写生ではなくその絵にはそこはかとなく生活に対する暖かい視線が感じられて面白い.最初は柳田国男に同行して東北の村などでスケッチをしていたらしい.
また,マジノ線と呼ばれるフランスの対ドイツ要塞線に模した絵が描かれていて,その湾曲した線にそって言葉が書かれているスケッチもあるのだけれど,マインドマップに似ていてたいへん興味深い.放射線状に発想を記していくという行動は意外に万国共通のものなのかとも思う.しかし,それをすでに戦前から実践していた今和次郎の先見性には驚かされる.
今和次郎は,工学院大学に最後のころはお世話になっていたこともあり,今の研究資料などは工学院大学に寄付され,コレクションとして公開されているとのことである.あぁ,いつか見てみたい.
今和次郎などの活動を知って思うのは,発見はいつも観察から始まるということ.実際に起っている現象を子細に観察し,考察することからアイデアが生まれるのは,どの学問でも同じなのではないかと思う.心に銘じておきたいものである.
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