2020年12月24日木曜日

「鬼滅の刃 無限列車編」を観た

「鬼滅の刃 無限列車編」を観た。

コミックは読んでいないけれどテレビのアニメは全話観ていたので,続きが気になっていた。というより,テレビで次のシリーズが始まった時に話がつながらないと嫌だから,見に行かざるをえなかったということなのだけれど(それだけテレビのシリーズが魅力的だったということ)。

ピークをさすがに過ぎた時期だからか,映画館には10名程度しか人がいなかった。家族連れもいたけれど,一人で見に来ている人も多いようだった。いやいや,その方が私にとっても都合が良かったのだけれど。

映画についての感想はというと,まず絵がきれい。背景などは3Dアニメなのだろう,川の水面や森の描写などが実写のようだった。それでも不自然さは感じさせないところがさすがだと思った。

ストーリーも良かったし,煉獄杏寿郎の活躍も素晴らしかった。ただ私がつらく思ったのは,煉獄ほどの修行を積んだ練達の人でも,最後に母親に認められること,他人からの承認のために生きていたのか,ということである。それが悪いわけではないし,煉獄にとってもそれが全てだったわけではないのだろうけど…

私は涙を流すことはなかったけれど,素晴らしい作品だった。2020年私が観た映画ランキング第2位である(今年は2本しか映画を観ていないけど)。




2020年12月15日火曜日

冬は突然やってくる

 冬は毎年突然やってくる。

2日前まで全く雪などなかったのに,昨日からすっかり雪景色となった。

ずっと雪は降り続いている。この2年,長岡は記録的な少雪だったらしいけれど,今年はそれなりに降りそうである。私もとうとう本格的な冬を経験することとなる。長い冬になりそう。

居室からの眺望



2020年12月11日金曜日

耳が遠くなってきた

 最近年齢のせいか,耳が遠くなったような気がする。大きな声で話してもらうと内容が理解できるのだけれど,小さな声だと音を聴き取るのに精一杯なのか,内容の理解まで及ばない。そんなことが多くなった。

ましてこの新型コロナウィルス状況下である。みなマスクをつけて口元が見えないから,話している言葉が理解しにくくなっている。お店に行っても店員さんとの会話はアクリル板越しで,これまた聴き取りづらい。困ったものである。

学生との会話でも,「えっ?」と聞き直すことが多い。そのうち,志村けんの「ひとみばあさん」のコントのようになってしまうのではないかと心配している。

世の中の聞かなくてもいいことを聞かなくて済むように,人はトシをとるとだんだん耳が遠くなるのだと聞いたことがある。でも,私にはまだまだ聞きたいことが山程ある。

#私が「えっ?」と聞き直してもこういう事情ですので,ご容赦ください

2020年12月8日火曜日

ラジオドラマ「クリスマス・キャロル」: "Bah Humbug!" 「くだらん!」

 ディケンズの「クリスマス・キャロル」は私の好きな物語のひとつで,毎年この時期になるとなんらかの形で(映画や本で)目にする作品である。

私はクリスマスが大好きで,宗教に関わらず人々が純粋に良心を信じるという雰囲気が好きなのだけれど,この3人の過去・現在・未来のゴーストによる強欲なスクルージの改心の物語はそれをたいへん良く表しているように思う。

今年も動画などで観ていたのだけれど,昨晩驚いたのはなんと今週のNHK-FMの青春アドベンチャーが「クリスマス・キャロル」(全5回)だということ。確かにラジオドラマ版に触れたことはなかったなぁ。とても新鮮に感じた。

なによりスクルージ役が伊武雅刀さんで,語りが戸田恵子さんという豪華な布陣。調べてみると録音は2013年らしく,今回はその再放送。素晴らしいセレクトだと思う。

昨晩,第1話を聴き終わったあとには,スクルージの口癖「くだらん!」が頭から離れなかった。私もついつい言ってしまう。

"Bah Humbug!"

#物語の最初にスクルージに警告を与えに来るゴースト,元同僚マーレイはずいぶんいいヤツだと昨晩気づいた

2020年12月7日月曜日

ドカベンはもう打席に立たない

 新潟は多くの漫画家を排出しているのだけれど(赤塚不二夫,高橋留美子,魔夜峰央,小林まこと,等々..),先日また偉大なひとりが引退宣言をされた。

水島新司。

小学生の頃から,野球漫画といえば水島新司かちばあきおだった(あだち充はもう少し大きくなってから)。特に「ドカベン」はアニメ化もされて,その頃の甲子園人気とあいまって大ブームになっていた。南海の香川選手はドカベンと呼ばれていたし。

「キャプテン翼」が世界中のサッカー選手に夢を与えたように,「ドカベン」は日本中の高校球児に夢を与えていたのである(もちろん,「野球狂の詩」,「一球さん」,「あぶさん」だって野球ブームに貢献したことは間違いないが)。それなのに「キャプ翼」に比べ,「ドカベン」の評価が少し低いような気がする。野球殿堂入りしても構わないほどの貢献をしているのに(殿堂入り(候補)は自ら断ったそうだけれど)。

新潟古町 水島新司ストリートのドカベンの銅像。
岩鬼,殿馬,里中,水原,あぶさんなどの銅像も並んでいる



2020年12月3日木曜日

すべては幻想だったのか

 私の記憶が確かならば,松田優作がこの階段の中ごろで死んだはずである。すでに死んだはずの室田日出男の幻影を見つつ,どこからか何発も狙撃されて。場所は日比谷公会堂。

もちろん,映画の話である。

「野獣死すべし」

私がこの映画を観たのはたぶん高校生の時。そのラストシーンに本当にびっくりした。伊達(松田優作)は,コンサートでショパンのピアノコンチェルトを聞いているうちに居眠りしてしまう。目が覚めるとなぜか会場には誰もいない。彼自身もなにが起こったか理解できない。

ホールを見回し人差し指を挙げて,「あっ」と声をあげてもがらんとした会場に響くだけ。出口に向かい,もう一度,「あっ」と叫んでもかわらない。名残惜しそうに後ろを振り返りながら会場を出ていく。

そして公会堂から出てきて,この階段。本を抱えて中段まで下っていくと突然狙撃音がして彼が撃たれる。彼自身もそれを理解できていたのかどうか。続いてまた撃たれて倒れる。そしてなぜか陽炎の中に浮かび上がる自分を追っていた刑事(室田)の姿を認める。伊達は散らばった本をかき集めようとしてまた撃たれ,手すりにすがりついてストップモーションのままエンディング。

観ている方も,全く何がおこったか理解できない。一体どのように解釈したらいいのか。しかし,だからこそいまだに強く記憶に残っている。

結局,すべては彼の幻想だったのだろうか。


#今考えてみると,「野獣死すべし」は高校時代に最も影響をうけた映画なのかもしれない

2020年12月1日火曜日

世の中は否応なくクリスマスなのだ

 クリスマスは大好きなのに,すっかりクリスマスのことを忘れていた。

土曜日に打ち合わせがあって長岡の市役所に行くと,クリスマスのイルミネーションが飾り付けられていて,そしてとうとうクリスマスソングを聞いた。

日曜日には,車のラジオから流れてくる山下達郎の歌を聞いた。もうどうしようもなく,世の中はクリスマスだ。

でも年末はまだ来てほしくない。まだまだやらなければならないことが山ほどあるのだ。サンタクロースのプレゼントは「時間」がいい。


長岡市役所アオーレのクリスマスツリー


2020年11月25日水曜日

ダラスの路上にて

 もう3日も過ぎてから思い出したのだけれど,11月22日は,ジョン・F・ケネディが暗殺された日である。もちろん私が生まれる前の話なのだけれど(1963年),私の両親は初めての日米間衛星放送を見て,ケネディ暗殺を知ったことをよく覚えていると言っていた。

私にとってケネディは馴染みのある人であったわけではない。ケビン・コスナーの「JFK」も観ていない。ただ「MEN'S CLUB」という雑誌でケネディがファッションリーダとして紹介されていたので知っていたくらいである。当時はアメトラ全盛で,ブルックス・ブラザーズのスーツ,ポロカラーシャツ(ボタンダウンシャツ)などのプレッピースタイルに憧れていたから,ケネディは良いお手本だった(全然真似できなかったけど)。

学生時代,アメリカのCape Codで国際会議が開かれた際に,ハイアネスにあった彼の別荘と博物館を見学したことがある。彼の家族との写真を見て,彼にもこんな幸せそうな時があったのだと思った覚えだけがある。

写真はダラスで撮影したもの。その場所を示す☓印が生々しい。



向こうに見えるビルの6Fから狙撃された。現在は博物館になっている。

2020年11月21日土曜日

ワーグナーが似合わないワルキューレ

 私は,ロボットモノのアニメは嫌いではないのだけど(50歳も過ぎてこんなことを言うのもどうかと思うが),メジャーなのに「これは見ていない」という作品の一つが,「マクロス」シリーズである。

はじめのシリーズは,たぶん私が中学2年か3年の頃。新潟では日曜日の昼間に放映されていたのを覚えている。でも一度も見たことがない。周りの友人達が「デカルチャー」と叫んでいても全然理解できなかった。

写真は,バリキリー 1/1モデル。戦闘機がロボットに変形するのもいいのだけれど,変形途中の形態で戦うことができるのがかっこいい。

"Valkyrie" は英語。ドイツ語でいえば "Walkure",すなわちワルキューレである。戦場を翔ける乙女たちの名称である。しかし,ワーグナーの音楽は似合わない気がする。



2020年11月20日金曜日

住宅は住むための機械である

 ル・コルビュジエの建築に惹かれる理由は,この

住宅は住むための機械である」

という言葉に表されている気がする。

装飾を排した鉄筋コンクリートで構成された平面と空間。結局のところ,工学なのだ。

彼がデザインした家具からさえもミニマリズムが感じられる。そこに工学者として親近感をもつ。

しかし,すごい言葉だなとつくづく思う。建築家はときどきこうした名言を吐く

2020年11月18日水曜日

ル・コルビュジエの足跡

 日本にも,ル・コルビュジエの作品がある。

上野の国立西洋美術館。

日本で唯一のル・コルビュジエの手による建築物。世界遺産にも登録されている。しかし,ル・コルビュジエ自身はこの建物の完成を見なかったとか。

彼は20世紀の最も偉大な建築家のひとりだけれども,私が彼を知るようになったのは実は私が建築に興味を持つ以前で,それはクセナキスという現代音楽作曲家が彼のもとで建築家として働いていたという事実を知ったからである。音楽側のルートから彼に辿り着いた。山の頂きには彼がいたのだ。

そんな話をきくと,ル・コルビュジエの作品からは音楽が聞こえてくるような気がする(それもかなりキッチリとした曲のような気がする)。

#いつか国立西洋美術館の「建築ツアー」に参加したい。彼のデザインした家具もいいんだよなぁ。ソファとか。

(2020年1月撮影。美術館休館前)




2020年11月16日月曜日

HOKUSAI!

 今,この波の絵をみて「北斎」だと思う人がどれだけいるだろうか。おそらく多くの人が「全集中! 水の呼吸」などと言ってしまうのではないか(そんなわけないかw)。それほどまでに「鬼滅の刃」が流行っている。しかし,この波はやはり「葛飾北斎」の「神奈川沖浪裏」なのである。

北斎には面白いエピソードがたくさん伝えられている。彼は長寿で,90歳で臨終を迎えたときに,あと10年,あと5年生きることができたら本当に絵師になれる,と言ったらしい。どこまで精力的なのか。

来年には,北斎を主人公とした映画「HOKUSAI」も公開される。今,北斎に注目が集まっている。




2020年11月14日土曜日

氷川丸と嘉納治五郎

 氷川丸がどんな船だったのか知らなかったのだけれど,調べてみるとたいへん由緒のある船らしい。

チャップリンが来日した際もこの船で帰ったのだという。新しく見えるけれど,実はそんな昔から運航していたのだ。

そして,嘉納治五郎が亡くなったのもこの船上なのだ。カイロで開かれたIOC総会から帰国途中,肺炎で亡くなったのだという。1938年5月のこと。横浜到着の2日前だったらしい。

NHKの大河ドラマ「いだてん」で役所広司が演じていたのを思い出す。講道館柔道の創始者であり,政治家であった。

そんなことを思いながら,今度は船内を見学してみたい。

(2015年撮影)


2020年11月10日火曜日

道頓堀の異国情緒

 2017年撮影。

この頃は新型コロナウィルスの影響ももちろんなかったので,夜の道頓堀には人が溢れていた。道頓堀川の両脇のスペースには,日本語ではない異国の言葉が飛び交っていて,そこを歩いている私は少し心細さを感じたのを覚えている。

来年にはあの賑わいが戻っているだろうか。



(2017年11月撮影)


2020年11月7日土曜日

5 km 走った!

 今日,大学同窓会主催の「技大マラソン大会」に出場した。

距離は,2 km, 5 km, 10 kmの3種類のレースがあるのだけれど,私は5 kmのレースに出場した。

以前にどこかで書いたかもしれないが,私は全く走るのが苦手で(というよりスポーツが苦手で),中学時代においても50 m走るのに12秒近くかかっていたくらいである。まして長距離走なんて,学校でマラソン大会がある日は泣いてズル休みしたかったほどである。

それが今回は自ら申し込んで出場した。人生初めてのチャレンジである。走ることが本当に苦手だったのだけれど,8月から健康のために走り出し,50歳を過ぎてその一つの目標として今回の大会参加を設定したのである。

これは,7月にスマートウォッチを買ったことがきっかけになっている。このスマートウォッチの機能で,レースの距離と日程を入力すると,その日までのトレーニング計画を立案し実行するように促してくれるのである。

この17週間ほど,それに従って走ってきた。一応計画されたすべてのランは走った。スマートウォッチが診断する目標達成可能性(今回の場合,目標は5 km完走)もほぼ100%になっていた。あとは,ペースさえうまく配分すれば完走できると信じていたのである。

ただし,今までトレーニングで走った最長距離は3.22 km(2マイル)。5 kmを走ったことなんてこれまでの人生に一度もないから,それが心配だった。

そして今日。曇り空で肌寒いという最高のコンディション。オーバーペースだけが心配だったから,スマートウォッチでペース設定をして(最大と最低のペースを設定すると,その範囲を超えたときにアラームしてくれる),レースに臨んだ。

結局,ランはうまくいった。コースは前半上り坂が続くのだけれど,ペースを抑えて走り,復路の下り坂は飛ばして走ることができた。おかげで当初の目標のペース 6分48秒/kmに対し平均ペース 6分22秒/kmでレースを走ることができた。このペース自体は普通の人からみればジョギングペースなのだけど,私にとっては超高速ランなのである。

この歳になって苦手なことに取り組めたことは,正直うれしく自信になった。人生にはまだ苦手なことが山程ある。今度はそれらにもチャレンジしてみようかと思う。

一方,ランニングは,今度は目的をダイエットに変えて,雪が降るまでは続けるつもりである。

2020年11月4日水曜日

キース・ジャレットの新しいクラシック作品の録音を待っている

 キース・ジャレットが2度の脳卒中で今後の演奏活動が難しいとのニュースを見た。なんということだろう。彼は1990年代半ばの50代に慢性疲労症候群を患い,しばらく演奏活動から遠のいていた。3年ほどの休養をとってまた復活したとのことだったが,75歳の彼にとって今度の復活は難しそうなのだろうか。それは全く残念である。

キース・ジャレットといえば名ジャズピアニストであるけれど,私にとっては彼の弾くクラシックの音楽が馴染みが深い。私にとっては彼のジャズピアノは少し苦手で,名盤と言われる彼の「ケルン・コンサート」もCDを所有してはいるけれど,実はまだ最後まで聴き通したことがない。申し訳ないけれど。

しかし,彼のクラシックの鍵盤曲は私は大好きである。

たとえば,バッハのゴルトベルク変奏曲。グレン・グールドを始めとしてこの曲には名盤が多いのだけれど,演奏者の個性が前に出すぎて聴くのがちょっとつらい録音も少なくない。しかし,彼のゴルトベルクはなんというか,味付けがほとんどないように感じられる。自然にただ弾いているだけである。しかし,それがいい。押し付けがましさがないから,何度でも聴きたくなる。ピアノではなくチェンバロなのもいい。事実,私が10枚以上所有しているゴルトベルクの録音の中で,最も多くプレーヤーに乗ったのは,彼のディスクである。

彼は他にも平均律クラヴィーア曲集やフランス組曲などの録音を残している。そして彼のクラシック作品の録音はバッハだけではない。ショスタコーヴィチ,モーツァルト,ヘンデルなどの作品も演奏している。私もいつかそれらの録音を所有していたいと思っている。

彼のニュースを聞いて,また彼の録音が聴きたくなった。もう彼の新しい録音は発売されないのであろうか。ほんとうに寂しく思う。

2020年11月3日火曜日

夕焼けと観覧車

 夕焼けに映える観覧車。

EXPOCITYの屋上駐車場から撮影。

先に紹介した建設中の写真からわずか半年も経っていない。


(2016年8月撮影)


2020年11月2日月曜日

観覧車は中央のハブから建設する

 iPhoneのOSが変わってから,ホーム画面に過去の写真が表示されるようになった。それを見ると,やはりそのときのエピソード,感情が思い出される。それでこのブログでも写真を紹介することが多くなった。

今回紹介するのは,大阪万博公園の隣にある商業施設のEXPOCITY。現在では大きな観覧車がシンボルとなっているけれど,その観覧車の建設中の写真である。当たり前といえば当たり前だけど,観覧車は中央部のハブから作っていくのだった。2台の高いクレーンが青空に映える。

手前のレールはモノレール。このモノレールは世界で最も長い商業距離のモノレールということでギネスブックに載っているはずである。



(2016年3月撮影)

2020年10月28日水曜日

ポートランドの橋 Hawthorne Bridge

アメリカの橋は日本のものに比べ「武骨」な印象がある。

このポートランドの橋も質実剛健を体で表している。アメリカで最も古い垂直リフト橋であるとのこと。川はWillamette River。星条旗が誇らしい。



(2018年撮影)


2020年10月22日木曜日

新潟空港,駐車場

 最近トシのせいか,車をどこに駐めたかよく忘れる。だから駐車場の目印をカメラで撮っておくことが多くなった。

新潟空港のそんなに広くない駐車場でもこんな風に撮っている。


(2019年6月撮影)


2020年10月21日水曜日

The Riverside Theater, Milwaukee

 これからいろいろと旅先で撮った写真を,折りにふれアップロードしたいと思う。

今回は,ミルウォーキーの劇場。

アメリカの劇場って,日本には無い雰囲気がある。

(たとえ演目の一つがポケモンであっても)


(2016年9月撮影)


2020年10月13日火曜日

星野源は現代の大江千里なのか

 大江千里の昔の動画などを観て彼を再評価している今日この頃なのだけど,彼を見て誰かに似ているような気がして,でもそれが誰だかしばらくわからなかった。

そしてようやく最近ひらめいた。そう,彼は80年代の「星野 源」なのだと気づいたのである。なぜそう思うのか,その理由ははっきりしないけれど,親近感を持つルックス,時代を越えていくであろうロック・ポップスの音楽センス,そしてダンスを含めた立ち居振る舞い。大江千里を見ると彼を思い出してしまう。

私のようなオジサンがそんなことを言うのだから,たぶんこれまで多くの人がそう言っているのだろうし,それを聞いて星野源はたぶん迷惑だと思っているのだろうとは思うのだけれど。

80年代,私は大江千里が苦手だった。しかし今,私は星野源が大好きである(「MIU404」も大好きだったし)。ふたりはなにかが微妙に違うのである。年をとって私の感性が変わったからなのかもしれないけれど,今見ても大江千里には苦手を感じるところが少なからずあるから,やはり二人は違うのだ。

ちょっとだけその違いについて思いつくのは,大江千里はバブルの時代だからか明るい若さがあり,遠慮がないような気がするけれど,星野源には暗さというか思慮深さを感じ,謙虚さがあるように感じるところが違う気がする。絶対的な肯定感ではない,今の時代の暗さ,閉塞感を感じさせることが星野源というアーティストの魅力なのだと思う。

星野源ももう40歳前だという。私が彼を初めて認識したのは「ゲゲゲの女房」だったから10年ほど前か。それより随分前から活躍しているようだけれど,もう40歳ということに驚く。どのような50歳になるのか,あまり想像できないけれど,彼にはこのまま突っ走っていって欲しいなと思う。




足利義輝,死す!

 ちょっと前の話になるけれど,大河ドラマ「麒麟がくる」で向井理演ずる第13代将軍,足利義輝が暗殺された。障子で囲まれ,障子の向こうから槍で突かれて,地面に倒れたところをとどめを刺されるという壮絶なシーンだった。

足利義輝は剣豪将軍と呼ばれるほど強かったと言われている。彼は塚原卜伝の弟子で,秘伝の「一之太刀」も伝えられていたという。そのため,敵としては多勢に無勢で囲むように襲わなければ,彼を討ち取ることができなかったのだろう。

伝説では,討ち取られるときには名刀を取り替え取り替え,戦ったという(さすが将軍!名刀で戦うなんて)。それはあくまでも伝説なのかもしれないが,武家の頭領として本当に強かった将軍がいたなんてロマンがある。暴れん坊将軍とは違う。つらい人生で悲惨な最期ではあったかもしれないけれど,確かに武術に優れた将軍がいたのである。そのことを大河ドラマをみて思い出した。




2020年9月19日土曜日

河井継之助記念館

 長岡出身の偉人といえば山本五十六が有名だけれども,その他にも小泉首相の頃に米百俵のエピソードで全国的に名前が知れ渡った小林虎三郎,妖怪学で有名な東洋大学創設者井上円了などがいる。そして今年映画化された司馬遼太郎の小説「峠」の主人公 河井継之助がいる。

河井継之助がどのような人かは小説か他の資料をあたってもらうことにして,今回は長岡にある彼のいくつかの関連施設,史跡のうちから「河井継之助記念館」を紹介する。

記念館は河井継之助の生家跡に建っており,2階建てでこじんまりとしている。そして入口に入ると目の前にガドリング砲の模型が置いてある。ガドリング砲は「るろうに剣心」にも出てきた手動回転式機関銃で,1分間に200~300発撃つことができたという。長岡藩では2門購入して(このとき日本には3門しかなかった),北越戊辰戦争の折には河井継之助自らが撃ったとのこと。これが日本で初めてのガドリング砲の使用だった。彼は暴落した米を買って函館で売るなどして利益をあげ,軍資金を稼いで銃を大量に購入しており,商才があったこともうかがわれる。そして彼が死ぬときには,使用人に「これからは商人になれ」と言ったというから,侍の時代の終わりも見えていたのだろう。

記念館入口

ガドリング砲 模型

1Fには,その他に彼の銅像,そして長岡藩の「五間梯子」の旗が飾ってある。




その他,継之助の解説ビデオを見ることができることができる他,2Fの展示は彼の直筆の書や日記,年表となっている。また,司馬遼太郎の「峠」の直筆原稿もある。長岡に河井継之助の足跡を訪ねに来たならば,まずは寄るべき場所であることは間違いない。

彼が亡くなったのは42歳なのだという。自分の年齢を思うと恥ずかしくなる。

2020年8月21日金曜日

文字は人を表す ~ 山本五十六記念館 ~

 文字は人を表す,という言葉がある。だから私は手書きの文字を他人に見せるのはちょっと恥ずかしく思っているのだけれど,最近,「あぁ,やっぱり文字はその人を表すのだな」と思った経験をした。それは,新潟長岡が生んだ偉人の一人,山本五十六の記念館を訪れた際のことである。

新潟長岡に移ってきて2年め。いつかいつか「山本五十六記念館」を訪れたいと思っていたのだけれど,今年の新型コロナウィルス禍によって休館が続いていたため,なかなかその機会に恵まれなかった。そしてようやくこの夏の休みに入館することができたのである。

山本五十六記念館

訪れた山本五十六記念館は本当に小さな記念館で,展示室は一部屋しかない。しかしその真ん中には,彼が搭乗して撃ち落とされた攻撃機の左翼の残骸と,彼が座してその最期を迎えたと思われる座席が展示されている。その存在の重さが部屋の空気を変えている。

そして,その周りには彼直筆の手紙や書画が飾られている。私は文字のうまさなどは全然わからないのだけれど(私は書道4級),山本五十六の書いた文字にはその人柄を感じる。たぶん「山本五十六という先入観があるからだ」,という指摘ももっともだけれど,それでもその文字をみると,のびやかな性格と知性を感じることには間違いないと思う。

そして手紙の内容などが,本当に家族思いで心細やかなのである。彼の軍略家としての資質についてはいろいろ議論されているようだけれど,彼が人格者であったということを否定する意見は本当に少ないようだ。本当にそうだったのだろうなぁ,と彼の残した手紙,書,そして数々のエピソードを見聞きすると思わずにはいられない。

この記念館を見学して,私の心も少しだけ変わったような気がする。軍人たる誇りを,そして長岡人としての誇りを持っていた人がたしかにいたことを身近に感じることができたのである。

しかし,この記念館を出てきて思ったのは,一兵卒には絶対なりたくないなぁということである。軍のエリートの死亡率は本当に低いが,兵卒は彼らエリートの判断ミス,エゴによってゴミクズのように死んでいる。そのことをあらためて考えてつらくなる。


2020年7月10日金曜日

スマートウォッチを買う:Garmin Instinct

研究室の学生の間でアップルウォッチが流行っているのを見て,うらやましくなって私もスマートウォッチを買おうと考えた。かといって学生たちと同じようにアップルウォッチを購入するというのもちょっと悔しい(本当はすごくうらやましかったけれど)。そこで,いろいろ調べてみた。

まず頭に浮かんだのが,SuuntoのCore。映画「イコライザー」で主演のデンゼル・ワシントンがつけていて,カッコいいなぁと思っていたのである。ストップウォッチを動かしわずか19秒の間に敵を倒してしまうシーンが忘れられない。映画はPart2まで作られたのだけど,この第1作目は2014年の公開。さすがにちょっと型が古くなってしまっているのは否めない。

そもそもその先行機種のSuuntoのVectorもカッコいい。日本の映画でも何度も使われているけれど(なにしろカッコいいから),たしかバイオハザードに出てくる兵士がつけていた記憶がある(いや,かなりあいまいな記憶だけど)。やはりストップウォッチを動かし,大きな数字で時間を測るところがいいのだ。しかし,もう入手は難しいモデルである。

アウトドア系でいくとSuuntoのTraverse Alphaもかなりカッコいい。そもそもSuuntoはミリタリーなスペックをもつし,昔のSuuntoは自分でコインを使って簡単にバッテリ交換ができるのが特徴だった(まさにミリタリーウォッチ!)。Traverse Alphaもかなりハードボイルドな雰囲気でとにかく身につけたいなぁと思うのだけれど,「射撃自動検知」なんて機能まで備えられていて,ちょっと私にはオーバースペックだなぁと諦めてしまった。最近は値引きも大きく,4万円台で買えるのだけれど。

結局,私は丸型のフェイスに大きな数字が液晶で表示されるタイプが好きなのだ。

それで購入したのがGarmin Instinct
理由は圧倒的なお得感である。安価なわりにミルスペック(低温でも動くらしい)。GPS+ABC機能+心拍数モニタ。もちろん歩数や階を上がった数,消費カロリー,その上,睡眠モニタもバッチリである。Garminの提供するアプリでいろいろな健康の指標を表してくれる(私が気にしているのは,「ストレス」(いつも高い!),「Body Battery」(いつも低い!))。自分の生活を振り返る良い指標となっている。

そして一番驚いたのがGPS。さすがGPS老舗のGarminだけあって,GPS補足までの時間がとにかく短い。精度も,GPS+みちびき+欧州とロシアのGPSということで4機を用いることができるため非常に高いのだという。スマホと連携して地図上に自分の軌跡を見ることができるのだけど,ちゃんと道の上を歩いている。ずれていない。素晴らしいと思った(というか,GPS+みちびきだけで十分だし,そういう設定になっていた)。

InstinctのバッテリもGPSを使用しなければ14日もつという。GPSを使うと14時間。これでも他のスマートウォッチよりはマシである。白黒液晶の表示画面もカラー液晶とちがってバッテリーの持ちに貢献しているに違いない。そして,その画面の視認性は非常に高い。もう他の時計に戻れないくらいである(単に私が老眼だからか)。

そしてとうとうInstinctのSolar Power版が発売されるらしい。電池容量も大きくなって,通常使用+太陽光では54日,GPS使用時では30時間もつという。SolarをつかうとGPS使用時でも38時間もつらしい。そして,米国や英国のYoutuberの紹介画面ではSpO2すなわち血中酸素飽和度も測定できるモードらしきものも確認できた(これがネックとなって日本では発売されないとかないことを祈る)。

新型の価格は,米国のYoutuberはUSD100程度オリジナルより高いといい,英国のYoutuberの紹介ではGPD350という価格が示されていた。私はオリジナルで十分なのだけれど,Solar版のおかげでこれからオリジナルの値段が下がるかもしれないとは思う。

本当はTundraというオフホワイト色が欲しかった。でもさすがに職場にはつけていくのには気が引けて結局私が買ったのは,Graphiteという黒っぽいグレイ色。でも十分にカッコいい。満足している。

#日本でも発売が発表された。INSTINCT DUAL POWER。通常モデルが46,800円とのこと。私が所有しているのはオリジナルモデルで税込30,000円以下だったので新モデルはちょっと高い。そして,新モデルにはオフホワイト色がなかったのが残念。
(バッテリーの持ち時間の情報を訂正しました7/12)

右:Garmin instinct 左:Huawei Honor band 5

2020年6月29日月曜日

ラジオ番組「Night i」終わる

新潟の地方FM局 FM PORTが6月30日に停波(閉局という意味らしい)する。今年で開局20周年のはずだったのに。やはり財政的な問題らしい。新潟というマーケットの小ささは否めない。

それに伴い,私が好きだった「Night i」という番組がとうとう終了してしまった。せっかく昨年から長岡に異動してきて,聴く機会が増えたと思っていたのに本当に残念である。

この番組,なんといってもパーソナリティの松本 愛さんがの声が魅力的で,ちらりと聴いただけでも記憶に残るような素敵な声である。しかし,それにも増して素晴らしいのがリスナーの相談に対する松本さんの回答である。相談を真摯に受け止め,そして正直に答える。その際の相談者への心遣いが素晴らしい。こんなお姉さんみたいな人が上司にいたら,職場で人気が出るだろうなと思う。私よりもずっと(でもないかもしれないけど)年下なのだろうけれど。

私がこの番組を聴く機会を持ったのは,10年ほど前のこと。父が入院していて,関西から毎週のように新潟に帰省していた。その頃,すでに父の状態はあまり良くなかったので,見舞いのあと日曜の夜に関西に帰るときは,後ろ髪ひかれるような心持ちで深夜バスに乗ったものである。

そんな帰りの深夜バスの中,私はこの番組を聴いていた。深夜バスの狭い座席の上でイヤホンを耳にして松本さんの話を聴いていた。今もそのときの様子を,松本さんの声を聴くと思い出す。

ラジオの番組って,こんなふうにひとりひとりの記憶のアンカーとして存在しているようなものなのだとあらためて思う。受験勉強のことを思い出すとビートたけしのオールナイトニッポンが聞こえてくるような気がするし,高校時代クタクタにつかれて布団に入ったことを思い出すと松田聖子のピンクのスニーカーが聞こえるような気がする。

そして,松本さんの声を聴くと父のベッドの上の姿を思い出す。ラジオの番組は,こうしてひとりひとりの思い出に深く関わっている。

その一方で,誰かとの共通の体験にでもなる。
ラジオ番組の制作に関わることができた人はそうした意味で幸せなのかもしれない。誰か大勢のの役に立っていると実感できる仕事はそうそうないから。

でもその分,こうした番組が終わってしまうときの喪失感も大きい。今後私の父の思い出は何をトリガーとして思い出されるのだろう。

2020年6月27日土曜日

私は誰にあったらうれしいのか

テレビのドッキリ番組で憧れの芸能人に会うという企画がある。これは日本でも海外でも同じようでYoutubeを見ると海外の番組の動画がアップロードされていて,いくつかを見ることができる。

その有名人は,ジャスティン・ビーバーだったり,アーノルド・シュワルツェネッガーだったり,ダニエル・ラドクリフ,ビリー・アイリッシュだったりする。

海外の番組で感心するのは,セレブに会った一般人の反応である。日本では有名人に会うと腰が抜けたり逃げたりするけれど,海外ではセレブにハグを求める人が多い。おおむね積極的なのである。

私はそれを見ていてうらやましく感じるのだ。
私だったらどう反応するだろう。私だったらやはり逃げてしまうのかもしれない,などと衒いもなくセレブに抱きつく人たちを見てうらやましく思うのである。

でも一番に思うのは,私は誰に会ったらあんな風に喜ぶのだろうということである。
私にはそういう人がいないのではないだろうか。会えたことに喜び,涙を流すような人が。

誰にあったら感動できるのだろう。私はいま思いつかないのである。
もしかして,私は夢のない寂しい人生を歩んでいるのではないだろうかと恐れている。感動する人も,モノもないなんて,そんな毎日は悲しすぎる。

ちょっとしたことでいいから楽しみを探してみよう...

2020年6月19日金曜日

ジーン・シモンズ ~誇り高き悪魔~ の名言に涙する (2)

NHK番組「ストーリーズ 誇り高き悪魔 KISS ジーン・シモンズ」より,彼が引退ラスト世界ツアーで来日した際のドキュメンタリーで語った名言(のつづき)。

5) 「始めるのは簡単だ
歳を重ねキャリアが長くなればなるほど苦労は増える
人生はもがきの連続だ」

6)「正直 体力的にキツい
だが我々は“世界一ホットなバンド“
最後までその言葉に偽りがあってはならない」(泣けるなぁ...)

7) 「母はいつも私に言っていた
日々 命があるだけで良い日なんだと
生きていて健康ならば それだけで勝者なんだ」(母親はホロコーストの生き残り)

8)“生かされている限りは 上を目指す責任がある”(母の教え)

9)ユダヤ系の本名,ハイム・ヴィッツから
アメリカ風のジーン・シモンズに改名したことにふれて,
ーーーある日,突然ジーン・シモンズになったのですね。

「そうさ 毛虫がある日蝶になるようにね
一瞬だ」

10)「他のバンドがやらないことをあえて行った
バカげているけどゴジラをまねて火を噴き始めたんだ」

11)「私は常に働いていたい I wanna work every day.
人生の時間は限られている 
人生の3分の1は熟睡している The third of your life is spent in a coma
休みはそれで十分だ」

12)「人生の時間は限られている
それを理解していない人間は 
誰かに殺されかけたとき初めて
“まだ死にたくない”と叫ぶだろう
人生は貴重だ Life is precious」

13)「もう46年もこんなことをやっている
私が唯一求めていたのは,
自分のバンドのレコードが1枚だけ店頭に並び
そのレコードを自ら買うことだった
その行為に魔法を感じていた
こんなに続くなんて夢にも思っていなかった
ビートルズほどにはなれなかったが 悪くない」

14)「我々を制限するものなど何もない
みんな自由なんだ You are free.

夜が明けたら昨日の自分の記録を塗り替えろ 
そうすれば 君はチャンピオンだ If you do, you are the champion」



15)「我々には誇りがある
世界王者のボクサーのように勝者のうちにリングを退く
ノックアウトされ敗者になる前に
我々は頂点で去る」

16)「日本のツアーが終わったから少し寂しいけど
若いファンが父親と一緒に来ているのを見てうれしく思ったよ
すばらしいよ 
まるで魔法だ
お店で買えないものだからね
缶詰のグリンピースや人参,ハンバーガーは買えるけど
子どもたちの笑顔は買えないからね
それを一番愛している 」(涙)

17)新型コロナウィルスの影響で世界ツアーが中断してしまったが,ファンに向けてのメッセージ。

「大事なのは君たちの安全だ
科学者のGOサインが出た時 我々は再びステージに立つ」

これらが70歳のロックンローラーの言葉なのだと思うと本当に泣けてくる。
私も明日から頑張ろうと思う。




2020年6月18日木曜日

ジーン・シモンズ ~誇り高き悪魔~ の名言に涙する (1)

NHKの「ストーリーズ」という番組で,KISSのジーン・シモンズの最後の世界ツアーのドキュメンタリーをやっていた。「誇り高き悪魔」との副題だったのだけれど,ジーン・シモンズももう70歳なのだという。まぁ,私が子供のころからあの悪魔の格好で世界を席巻していたのだから,そんなトシなのも仕方ないのかもしれない。しかし,画面から伝わる彼のオーラは本当に凄みがあった。70歳だろうがロックはロックなのである。生き方に重みがある。

彼はユダヤ系で,母親はナチのホロコーストの生き残りだったのだという。渡米してから苦しい生活の中からロックに目覚めたことをこの番組で初めて知った。そして,ユダヤ風の本名からアメリカ風のジーン・シモンズと名前を変え,ロックバンドを始め,やがて世界的なバンドとなった。

彼はビジネスマンとしても有名だけれど(KISSのプロモーションからグッズ販売までなんでもこなす),とにかくロックンローラーだけではない彼が吐く一言一言がカッコよかった(番組編集が良かったからなのかもしれないけれど)。

心に残った言葉をいくつか紹介

1)「KISSはユニークだ
誰にでも好かれるバンドじゃないかもしれないが
我々のようなバンドは他にない」

2)「お金は良いものだ Money is good.
唯一助けになるものだ
お金がなきゃ何もできない
家族も養えない
飢えている人に優しい言葉をかけるだけでは死ぬ
俺がクソ野郎で「消えろ」と罵声を浴びせても
金さえ渡せばそいつは生き残れる
生きる糧は金さ
いつでも金がもっとほしい 俺は正直だ
金はもう十分と言う奴らは嘘つきだ」

3) LAやNYにKISSのように愛されるレストランを展開していくにはどうしたらよいかという日本のレストランのオーナーの質問に対して,
「英語を学びなさい それだけ  Learn English.  That's it.
英語は大金をつかむ秘密 English is the secret of all the big money.」

4) レストランのオーナーの渡した名刺が表側しか印刷されていなかった(裏はなにも印刷されていなかった)のを見て,名刺をひっくり返して机の上に置いて一言。
「質問だ。
50%の確率で裏側が上に来るのに
なぜ何も書いていない?
裏に何も書いていないと誰も気づかないぞ」
(この言葉のあと,ペンとメモを持ってこさせて,ジーン・シモンズはその場でレストランのロゴをデザインする。そして,「商標登録しろ。明日必ずだ!君たちが明日しなければ私がするぞ!」と言ったのだ)

彼の名言は続く。

とりあえず,私の名刺は表の面しか印刷されていない。裏面のデザインを考えよう。

2020年6月1日月曜日

時代劇の復権

私は時代劇ファンだと公言しているけれど,世間は一向に変わらず時代劇に冷たい。と,思っていたのだけれど,最近それが変わるかもしれないという淡い期待を抱いている。

まずは「鬼滅の刃」。時代は大正時代(?)だけれども,登場人物たちは刀を持って戦う。それぞれ「型」を持っていて,呼吸を整えて技を遣う。そんな「型」を練習するなんていかにも剣術的でうれしい。子供たちの遊びにチャンバラが復活してくれないかなと期待している。

※鬼を刀で切る話,と聞いて最初,楠桂の「鬼切丸」かと思ったけれど,やっぱり違った。火を使って鬼と戦うと聞いて,奥瀬サキの「火閻魔人」と思ったけれどやっぱり違った。

しばらく前からだと,「刀剣乱舞」。以前も京都の名刹に行ってゲームかアニメのキャラクターが飾ってあってがっかりしたのだけれど(大覚寺,膝丸。),今も変わらずあちらこちらの刀剣展が女子であふれかえって好況なのをみると,それはそれでいいのかなとも思い始めた。誰にも見向きをされないよりずっといい。

最近のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」もいい感じだ。チャンバラではないけれど,戦国時代の人間模様を,それも若者たちの戦国時代を描いている。光秀も信長も,そして家康もこれまでの大河ドラマとは違う若者として描かれている。そこが新鮮で魅力的だと思う。

おなじNHKだと中井貴一主演の雲霧仁左衛門シリーズ。言わずとしれた池波正太郎の名作である。地上波でようやくシリーズ4作目が放映されると聞いて楽しみで仕方がない。こうした良作が増えていくと,時代劇人気の復活も近いことだろう。

今年は「るろうに剣心」も新作が待っているというし,これはまた女子が浮き立つことは間違いない。イケメンしか剣客にならないというのは困るけれど,いつかまた時代劇ブームがくるかもしれない。

時代劇はSFと同じで,そうした設定のもとでしか描けない人間模様を描くファンタジーなのである。SFと変わらないから,私はどちらも好きなのである。制約がある状況を想定するからこそ面白い。

そうした面白い時代劇がまたたくさん生まれて,そして時代劇スターもたくさん生まれる。そんな時代がまた来ないかと楽しみにしている。

#司馬遼太郎の「峠」,「燃えよ剣」の映画も今年公開だ!

2020年5月25日月曜日

あー,この曲なんだっけ?: ハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」

TV番組などをみているとBGMが流れていて,「あー,この曲なんだっけ?」と思うことがしばしばある。それがわからない間はしばらくモヤモヤが続くのだけれど,わかったときのスッキリ感は心地いい。日常の中でこうした小さな幸せはうれしいものである。

最近,「美食探偵」(お気に入りのドラマなんだけど)で流れていた弦楽四重奏曲の作曲者と曲名がわからずずっとモヤモヤしていた。今日もなにかあるとふとそのメロディーが脳内に流れてきて,「あー,この曲なんだっけ?」とストレスがたまるということになっていた。

最初,疑ったのはシューベルト。「死と乙女」かな,と思ったのだけれど,ちょっと違う。

次に疑ったのは,ヤナーチェク。弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」,第2番「ないしょの手紙」。しかし,ネットで確かめてみるとやっぱり違う曲だった(この2曲も私のお気に入りなんだけど)。

モーツァルトではないし,ベートーベンぽくも無い。ドボルザークでもチャイコフスキー,メンデルスゾーンでもない。古典的なハイドンでもないし...

いや,まて。ハイドン....
そして突然ひらめいた。ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」だ!

やっとわかった。ふーっ。
頭の中のCPUのバックグラウンド負荷が終了して,急にクールダウンしてきた感じ。幸せ。

この曲は,生演奏にもふれたことがある。もう20年近く前?水戸芸術館で水戸カルテットの演奏だった。夏で大変暑く,コンサート会場に入るとクーラーが効いていてひんやり。気持ちよくなって,演奏のさなか,なんどかウトウトとしてしまったのを覚えている。また長いんだなぁ,この曲が。

キリストのエピソードにちなんで曲が作られていて,最後は槍で命を絶たれ,地震が起きたところで曲が終わる。ハイドンらしくないストーリー性の高い作品である。

とにかく,ホッとした。「美食探偵」の悪役はマグダラのマリアを名乗っているから,この曲が選ばれたのもわかるような気がする。最初の導入部の緊張感が作品にあっている。

こんなふうに思い出せないことをふとしたきっかけで思い出すのは,誰を幸せにするわけでもないけれど,私の大事な小さな幸せであることは間違いない。ただ,一度気になると,ずっと気にし続けてしまうのが困りものなのだけど。

#余談だけれど,「チコちゃんに叱られる」の最初の登場シーンに流れる曲は,「名犬ジョリー」のものだとこの前気づいた。NHK-FMの堀江美都子の特集を聴いて。

2020年5月22日金曜日

前を向いて歩く

最近,行動自粛のせいではないとは思うのだけど体調不良が続いていて,運動をしようという気にならない。それが原因とは思わないのだけれど,先日自分が下を向いて歩いていることに気づき本当に驚いた。それも相当下をむいて歩いている。首が直角に曲がっているくらいに。気づかないうちに,そんな姿勢で歩いていたことにかなりショックを受けた。

私が稽古している合氣道では下を向いて歩くなんてことは言語道断である。自分はそうではないと自信を持って生きてきた。少なくともこの2~3年前までは。それがどうだろう。いつの間にかまっすぐ下を向いて歩いているではないか。本当に恥ずかしい。

つまりは身体と心の状態がおかしくなっているのである。自分がそんなことになろうとはちょっと前まで露ほども思わなかった。反省。とにかく反省。

気づいてからは,顔を上げて前を向いて歩いている。身体がまだそれに慣れていない。でも,姿勢を直していこう。少しずつでも。本当に気づいてよかった。

2020年5月20日水曜日

トラックボール!

Web講義を行うようになって,Check用にPCも2台用意し,ディスプレイも4台使用するようになった。

マウスを持ち替えて,ディスプレイからディスプレイへポインタを動かすのに疲れて,トラックボール(親指トラックボール)を購入した。2台のPCで共通して使用できる仕様になっている。

まだ使い始めて2時間もしていない。しかし,なぜこれまでトラックボールを使用してこなかったのかと後悔するくらいに,その便利さを堪能している。

マウスを使っていると手首や腕を無意識に使うことになるのだけれど,トラックボールを使い始めてそれが実は意外に負担をかけていたことに気づいた。ポインタの移動がいかに楽なことか。ディスプレイをまたがって,左から右,右から左へと,スイスイと動かすことができる。これがトラックボールの醍醐味なのだろう。

次に省スペース。マウスを動かすためには,それなりの領域(面積)が必要だけれども,トラックボールは動かす必要がないから,机の上のものに当たることがない。マウスだと,メモやペンや,消しゴムなどにぶつかることがしばしばあった。トラックボールはその心配がない。

その次は,姿勢の楽さである。マウスの場合,マウスを動かすために,腕が動く姿勢を取る必要がある。それがトラックボールの場合,親指だけでポインタを移動できるので,椅子の背中にもたれたままブラウジングも可能である。これがすこぶる快適である。

トラックボールの心配点は,絵をうまく描くのは難しそうだということ。現状,ディスプレイ上でポインタでまっすぐ上から下へ直線を引くのが難しい。どうしてもガクガクとして線になってしまう。まぁ,使い始めて2時間も経っていないのだから,今後習熟したらある程度可能になるのかもしれないが,詳細な図面を描くにはマウスを使うことになりそう。

ということで,トラックボールの良さを実感しているのだけれど,またほんの短時間の印象である。今後長時間使うようになって,また気づいたことがあれば,また記事を書きたいと思う。

2020年5月8日金曜日

面白くない遠隔講義なんて誰が見るのか

遠隔講義が始まっている。私も数学の講義を遠隔で行わなければならない。それでたいへん困っている。

私なんかは,数学なので内容は教科書を読んで自分で演習問題を解けば十分ではないか,などと思ってしまうのだけれど,まずは学生の目の前で問題の解くところを示すことが大事とのことで,昨年は黒板にチョークでガシガシと問題を解いて見せていた。

しかし,今年は遠隔講義である。
どうも黒板を映して問題を解くところを動画で流すと,暗い,小さい,声が届かない,などの問題があるというので,私は共有した画面上でパワーポイントで問題を解くところをゆっくりと見せるか,紙の上でペンで問題を解くところを上から映してそれを流そうか,などと思っている。後者の方が良いように思うのだけれど,講義は動画に残すということで,全部ビデオだとファイルの容量が大きくなってしまう問題がある。まぁ,とりあえず一回講義をやってみて考えようと思う。

しかし,学生は90分もの講義を動画で見るのである。そりゃぁ,学生も疲れるよなぁと思う。通常の講義だって30分もすれば,眠たそうな顔をしている学生の数もぐっと増えてくる。そこでいつもだったら雑談をして,学生の皆さんの注意を引いて目を覚ましてもらうのだけれど,この雑談がだいたい公開NGの話が多いから,動画に残ることを考えるととてもできない。私の雑談はブラックで,自分の愚痴を含むところも多いから仕方がない。自制する。

昔から,バックミンスター・フラーは大学は2種類の教員を用意すべきだという話をしていた。片方は研究のための教員,もう片方は講義のための教員である。講義のための教員というのは話が面白く,講義がうまい人たちのグループであり,これを放映して多くの人に教育を行き渡らせるべきだと言っていた。一方,アインシュタインみたいな研究向きの教授は研究に専念した方が良い,というのだ。講義の動画が公開されるのであれば,自分の大学の教員に限らず,講義がわかりやすく面白い教員の動画を見るほうがよいのかもしれない。たとえば予備校の講義のように。

でも,まだ世の中はそうなっていないし,私の講義を聞いて私の研究に興味をもってもらう学生もいることだろうから,講義に少しでも興味をもってもらうように努力はしたいと思っている。

でも... 自分が学生だったら,自宅で講義の動画を流しながら,となりでゲームをやっているだろうなぁ。当然,講義の方はミュートで。

2020年5月5日火曜日

私が神社に参る理由

私は神社・仏閣に参るのが大好きである。近所の神社にもよく足を運ぶし,出張先でも観光がてらに訪ねることが多い。しかし,最近はこれが趣味だと言うのが恥ずかしくなってしまっている。境内で御朱印をいただく場所に立ち並ぶ女子の列を見ると,自分はあの雰囲気の中には入ることができないなぁ,などと思ってしまうからである(私は御朱印を集めてはいないのだけれど)。

私は特定の宗教は持っていないのだけれど,神仏に手を合わせる心は持ちあわせている。

では,なぜ神様に祈るのが好きかというと,もちろん神頼みということもあるけれど,自分の心の状態をチェックする機会になるからである。ただし,チェックするのは神様ではなく,自分自身である。手を合わせるときに,神様の前に立つことができる心の状態にあるかどうかを自分で確認するのだ。日頃の行い,心の状態を省みる。心身の清潔について考える。実際にはほとんどの場合,今日神様の前に立つ資格はないなぁと思いつつ,さらなる精進を誓うことが多いのだけれど。

また,おみくじを引くのも好きである。そしてその理由もお参りと同じである。自分を省みるためのきっかけにしているのである。「辻占」と同じである。そこで得られた言葉をきっかけに,いろいろな連想をし自分の行動を反省する。こうした良い機会になるのである(もちろん吉がでるとうれしいものだけれど)。

神社は,その成立の縁起などを探っていくとそれだけで面白く,文化的な興味は尽きないのだけれど,私としてはやはり神様に手を合わせに訪れる清められた場所である。散歩するのにいいんだよなぁ。

悠久山の蒼柴神社

2020年5月4日月曜日

Don't look back in angerの"I heard you say." はS+V+O+C の第5文型なんだよ

私はNoel Gallagher's High Flying Birdsに夢中という話をしたけれど,ノエルで思い出した話をひとつ。

彼のオアシス時代の名曲に

"Don't Look Back in Anger"

という作品があるのだけれど(彼がボーカルをとっている。今でも彼はライブで歌っているし,多くの人がカバーして歌っている),その歌の詞で最後に
"I heard you say."
と歌われるのがずっと疑問だった。
"I heard you said."
と,なぜ時制を一致させないのだろうかと不思議に思っていたのである。

それがあるとき思いついた。
なんのことはない,hearが知覚動詞なので,この文章はS+V+O+Cの第5文型となり,目的語の次は動詞原形が続くということだけだった。

わかってみれば簡単なのだけれど,思い込むとずっとわからないものだなぁと,我ながら感心したのである。

ただ,それだけの話でした。

#この曲のイントロは,ジョン・レノンのイマジンをリスペクトしているところもいい感じ。

2020年5月3日日曜日

Noel Gallagher's High Flying Birdsにずっと夢中になっている

 80年代私が聴いていた音楽といえば,アイドルの歌謡曲やニューミュージックが中心だったけれど,洋楽もそれなりに聴いていた。マイケル・ジャクソンやマドンナ,プリンス,ホール・アンド・オーツ,クイーンなどスーパースターが綺羅星のように毎週毎週ヒットチャートに登場していて,私も毎回「ベストヒットUSA」を見ていた高校生であった。

 しかし90年代,私は渋谷系と呼ばれるジャンルに惹かれていたのと,クラシック音楽に興味の中心が移っていたことから,洋楽をあまり聴かなくなっていた。その頃の洋楽シーンといえば,U2から始まって,オアシスとか,ニルヴァーナなどが台頭してきていたのだけれど,音楽が80年代と打って変わって「暗い」雰囲気ばかりになっていたこともあって,ずっと遠ざかっていた。

 その私が50歳を超えて,今またハマっている洋楽が,"Noel Gallagher's High Flying Birds"なのである(今の時代,「洋楽」という言葉も死語になってしまったかもしれないけど)。

 ノエル・ギャラガーはご存知オアシスのギャラガー兄弟の兄の方(ボーカルは弟)。見た目は「サンダーバード」のブレインズみたいだけど,才能の塊みたいな人。ポール・マッカートニー・レベルだと私は思っている。そう,彼の作品からはビートルズへのリスペクトも感じられるし(個人的な感想です)。

 彼を知ってからオアシスの曲も聴くようになった。25年遅れのマイブームである(マイブームも死語だが)。これがまたどの作品も素晴らしい。なぜ25年も聴かなかったのだろうと後悔。今でもオアシスの楽曲がCMで採用されていることが名曲の証だ(例えば "whatever"とか)。

 オアシスの解散後,彼が立ち上げたソロユニットがNoel Gallagher's High Flying Birdsなのだ。オアシスの頃よりも,もっと自由な作風になっている気がする。結構クラシックなロックであったり,やはり90年代の暗いロックであったりと,どれも飽きさせない。私のドライブに必須のお供になっている。

 あまり私の周りでこのバンドの話を聴かないのが不思議なのだけど,渋谷陽一のNHK FMの番組では相変わらず注目してくれていてうれしい。ノエルは一昨年あたりにはサマソニで大阪に来てくれていた。いつか,いつか彼のライブにいきたい,と思っている。



#彼が皮肉屋のところも気に入っている。リアムとの兄弟喧嘩のゴシップもブラックユーモア合戦になっていたりして,それも大好き。

2020年4月30日木曜日

足が短いということ

ユニクロでズボンを買った。
アンクルパンツという自宅待機に楽そうな,布が伸びて腰回りがルーズなズボン。ゴムや紐で腰まわりを締めるから,ウェストのサイズもインチで決まっていなくて,SMLというサイズで売っている(腹回りからもちろん私はL)。では足の丈はどうやって調節するのだろう。そう疑問に思って試着室に行くときに店員さんに訊いてみた(ちなみに店員さんは天井から下げられた透明のビニールの向こうで応対してくれた)。

「こちらはアンクルパンツでして,もともと短めの長さになっております。試着していただいて調節が必要であれば,またお申し出ください」

という。そんなもんかと思い,試着室へ。おそるおそる履いてみると,ズボンの長さは(普通のズボンでいうところの)ピッタリの丈。アンクルパンツというくらいだから,本来丈はくるぶしの上のはずなのだけれど...まぁ,これから普通のズボンとして履くことにして,長さはそのままにした(しかし,これでまた足が短く見えるだろう)。他の人はきっと足が私より5cmは長いのだろう。

昔からそうだった。大学生の頃から変わらない。
大学時代,私はジーンズばかりを履いていたけれど,現在のようにユニクロで安価で品質の良いジーンズが売られている時代ではなかったから,履くのはリーバイス,リー,エドウィン,ビッグジョンなどのジーンズメーカのジーンズだった。なかでもリーバイスが好きだったから501を履いていた。ご存知の通り501の特徴は,ジップフライではなくてボタンフライであること,そしてストレートなのだけれど足先に向かって急に細くなっていくシルエットであることなんだけれど,私の足の丈にあわせてズボンを直すとその肝心の細くなっていくかっこいい部分をいつも切り落としてしまうのだった。そして501は結局普通のストレートと変わらないシルエットになる。私はスティーブ・マックイーンやジェームス・ディーンにはなれなかったのだ(当たり前だけど)。

結局,年をとっても足は伸びない。そのことを実感する買い物だった。

2020年4月29日水曜日

家に籠もって何をするか

私はまったくのインドア派なので,自宅に籠もることは全然苦にならないのだけれど,それにも増して苦にならないのは,人とコミュニケーションをとらないことである。私は人と話すことは決して嫌いではないのだけど,実は人と話さないことも全然苦にならない。だからこの自宅自粛も全然問題ないのだ。

この大変な時期だけれども,せっかく人と会わずに自宅で籠もることができるので,不謹慎だけれど,なにをしようかと思うとワクワクする。

昔から私は籠もることに憧れていたのだ。大学生のころは山にでも籠もりたいと思っていた。空手バカ一代に憧れていたからか,自分を特訓する機会が欲しかった。しかし,陽明学を知って人里離れたところに籠もるのは俗にいう洞穴学者だと思うようになって,「事上磨練」を目指したいと思うようになった。それでもどこかに籠もって修行することへの憧れは学生時代からずっと持ち続けている。それが今実現できるかもしれないのだ。

籠もることによって何かを得るという話は古来多々ある。
古くはダルマ大師。洞穴に籠もって9年壁に向かって座り悟りを得たという。禅の始まりである。吉川英治の宮本武蔵だって,(史実じゃないと思うけれど)姫路城に3年間幽閉されて学問を深めたことになっている。黒田官兵衛も1年間城に閉じ込められた。官兵衛は足を不自由にしてしまったが,その1年は深く思索する時間にもなったのではないかと思われる。

私もこの機会をなんとか自分の成長につなげたい,と思うのだけれど,なかなか踏み出すことができない。そこに凡人と偉人との違いがあるのだろう。

その他私が好きなのは,形意拳の郭雲深のエピソード(これも史実ではないのだけれど)。3年間牢獄に手枷,足枷でつながれ,身体の自由が奪われていた時期に,そうした状態でも練習ができる虎撲子という必殺技を身につけたという。

さて,私はこの時期にどんなスキルを身につけるのか。
あと一週間。短すぎるかな。

#Convict Conditioning でも始めようかとは思っているのだけど...

2020年4月28日火曜日

自宅待機になって変わったこと。

新潟県でも知事が休業要請を大学にも出したということで,私の勤める長岡技術科学大学も4月22日から休業ということになっている。しかし,すでに3月末には学生は登校が禁止されていたし,既に講義もWebで行うことが想定されてた。で,22日からの要請で何が変わったのかというと,それは教職員の通勤が禁じられたということである。すなわち,大学への入構が禁止されたのである。よほどの事情がなければ入構できない。これがたいへん困ったことなのである。

実は大学が休業になったといっても,大学は休みじゃないのである。講義は相変わらずWeb授業で行うし,研究室の学生ヘの指導もメールや遠隔ミーティングで行うのである。

これまでWeb講義は,私の大学の居室から行えばよかった。それが自宅から行わなければならなくなってしまったのである。仕事も自宅で行わなければならなくなってしまった。私は自宅で仕事をするのが嫌だから,仕事をするときには休日でも大学に行っていたのに。

とにかく生活が変わってしまった。それにあわせていろいろと変えなければいけないことがあった。そこで,自宅で仕事をするようになって変えたなと思ったことを思いつくままに書いていく。

- 部屋を掃除した。もしかすると自宅の部屋がWeb会議などで映ってしまうかもしれない。まずは仕事をするスペースを作ること,そしてカメラの映りの見た目を良くすること,を目的に掃除をした。

- 身だしなみにますます気をつけなくなった。これはあんまりいいことではないけど,いつもジャージでいるようになった。

- もっとひどいのはヒゲをそらなくなったこと。外へ出るときもマスクをするので,ヒゲは伸び放題。このままでは自粛期間が終わる5月6日ころには私の見た目はアラブ人のように立派なヒゲをたくわえているに違いない(まぁ,その前に剃るだろうけど)

- 光熱費がかかるようになった。まだ請求は来ていないけれど,たぶん倍増,いや3倍増くらいになるのではないかと恐れている。

- 食費が意外にかかる。もともと私は外で飲む機会は少ないので,飲み代が急に減ったというようなことはないのだけれど,これまで学食で安価に食事をしていたのが,テイクアウトや弁当が中心になったので食費が随分とかかるようになった。実は家には,ガスコンロも瞬間湯沸かし器もないのだ。だから自炊はほとんどできない。あるのは電気ケトルだけである。

- 仕事をダラダラと続けてしまう。これが自分でも意外だった。一人で家に居ると仕事のやめ時がわからない。細かな仕事をダラダラと続けてしまう。曜日感覚も失われつつある。これではイカンと本気で思っている。休憩を適宜とるだけでなく,散歩などの時間をとるべきだ。もっと本やテレビを見る時間が増えると思っていたのだけれど,ほとんどそんな時間はとれていない。テレビもHDMIケーブルでノートパソコンにつないで単なる大きなディスプレイになってしまったし。これからなんとかしなくちゃ。しかし,今まで仕事からの逃げ場所だった自宅が逃げ場じゃなくなってしまったから,仕事から自分を守るためになんとか良い方法を見つけなきゃいけない。

さてさて,まだ休業期間は始まったばかり。この先どうしようか。このブログを書きながら考えていこうと思っている。

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...