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光車よ,まわれ!: 同じ時代を共有した人は

ブログをしばらくお休みしていましたが, 再開したいと思います. しばらくは毎日ではなくて,ときどきの 更新になると思いますが. 今回は,久しぶりに本の話. 紹介するのは, 「 光車よ,まわれ! 」( 天沢退二郎 ,ポプラ社ピュアフル文庫). 児童文学である. 私は小中学生時代,結構な数の児童文学を読んだような気がする. それも,ファンタジーとかSF,怪奇ものなどばかりで, 「古典」はほとんど読まなかった. (まぁ,「西遊記」や各国の神話は読んだけれど) だから図書館にいっても,「 時をかける少女 」や 「 時間砲計画 」,「 夕映え作戦 」,「 なぞの転校生 」などなど, NHK少年ドラマシリーズに出てきたような作品ばかり好んで, こっそり(なぜかこっそり(笑))読んでいたような気がする. (その他,推理小説も読んでいたかな) そんな私なのだけれど,この名作と呼ばれる作品は未読だった. 読むと怖くてトラウマになるなんていわれていて, 食指が動かなかったわけではないのだけれど, いつのまにか廃刊になっていて,読む機会がなかったのである. それが最近,ポプラ社から文庫になっていることを知った. 早速,購入し読んでみた. やっぱり面白い.期待に応える面白さだった. いきなりの「つかみ」からしていい. 小学6年生の主人公の教室に遅刻してやってきた3人の友達が, いきなり化け物なのである. 息を止めて見つめてしまう主人公. しかし,気づくと彼らはもとの友達の姿になっている. でも,それが怪異の始まりだった... かなりのダークファンタジーである. 救いも少ない. 人も死ぬ. 多くの謎は,謎のままに残される. 私は村上春樹の小説を思った. 児童小説にしては,あまりに暗い. 確かに描写はあふれるほどの詩情に満ちた イメージで満たされている. 美しいといえば,美しい. しかし,どこか黒き闇が忍び寄っている. これをもし私が小学生時代に読んでいたら, この恐ろしい世界観に耐えることができたろうか. (読んでおけばよかったと後悔はしているけれど) 実は,息子にも読んでもらった. 彼には少しピンと来なかったらしい. Web上の感想を見ても,絶賛する人と, それほどでもなかったとい...

夢の世界での経験は,現実世界の私に影響を与えている

映画"Inception"の話 は,夢と現実の狭間に 起こるものだが,同じテーマを取り扱った話は多い. 映画" Matrix "が電脳世界と現実世界を行き来するものだし. " Sucker Punch "(邦題「エンジェル・ウォーズ」)が, 夢の世界での話だったらしい(未見なのだけれど). しかし,最近の話ばかりではない. 「 邯鄲の夢 」とか,「 胡蝶の夢 」とか, 中国の話にも昔からある. 特に,邯鄲の話は,Inceptionに良く似ている. 夢の世界で栄華を極める人生を生きた邯鄲は, 現実に戻ってきて,栄達の夢を払うことができたという. Inceptionでも,主人公とその妻は 夢の世界で,ともに年を取っていく. 妻は夢の世界が現実なのだと思い込んでいく. 結局のところ,夢の世界で経験したことは, 自分が経験したことに違いないのだ. 小説を読めば疑似体験ができる,と良くいわれるが, 夢の場合はさらに現実に近い体験をしていると思われる. ただそれが記憶されているか,どうかなのだと思う. そこでは,夢での体験に合理性があるか,どうか, なんて関係ないのである. 潜在意識には,善悪もなく,合理的非合理的の区別もない. 自分が経験すれば,脳はそれを経験するのである. そう考えると,自分が(覚えていないけれど) 夢で何を経験しているかということが怖い. 記憶に無いから,平静を保っていることができるのかもしれない. 実際に,その経験の記憶があったらどうだろう. いや,記憶が無くても,私の人格形成やモノの考え方に, 自分でもわからないうちに,文字通り無意識的に 影響を与えているのだろう. それが怖い. では,その潜在意識を私はコントロールすることはできるか. ということになるのだが,「それは,可能である」, というのが私の持論である. まぁ,その方法はまたいつか議論することがあるでしょう. ということで,今日も素晴らしい夢を. "Golden Slumbers fill your eyes."

Inception: 登場人物のプロフェッショナルに憧れる

映画をめっきり観なくなった. DVDを借りてきても,とても家で観る時間が無い. しかし,夏休みということで子供たちが借りてきた DVD4枚のうち,1枚を何とか観ることができた. (結局,小さなPCの画面で観たのだけれど...) "Inception" (クリストファー・ノーラン監督, レオナルド・ディカプリオ主演,2010) である. 前から観たいと思っていたから, なんとか睡眠時間を削って, 鑑賞時間を確保したのである. 久しぶりに,話自体が面白いSF映画に出会った. 潜在意識の世界における夢の話で, その複雑な設定が知的好奇心をそそる. 多層化した夢の世界の中で, ある法則(荒唐無稽だけれど)にしたがった制約の中で 主人公たちは"Inception"と呼ばれるミッションを果たしていく. (主人公たちは,人の夢の中に侵入して, アイデアを盗むのが仕事("Extract"). それに対して"Inception"は,アイデアを植え付けること) クリストファー・ノーラン監督の構想だというけれど, こういう世界観が描ける才能が素晴らしい. ゾクゾクしながら子細も見逃さないように 集中して観てしまった. 私が惹かれたのは,登場人物がすべて スタイリッシュなこと. 主人公とともにミッションを果たす仲間が みなプロフェッショナルで,各自の役割を 困難が次々と生まれる中,果たしていくという姿に 憧れを感じた. 特に,アーサー(Arthur)役の Joseph Gordon-Levitt が かっこいい. 第2層の夢で発生する困難にもかかわらず, プロとして着実にミッションを果たす. 格闘シーンも素晴らしく,彼のことが好きになった. ディカプリオもいいのだけれど, ちょっと今回は弱さも見せていて, あまり共感できなかった. もうひとり,イームス(Eames)役の Tom Hardy も とぼけていてかっこいい. これもまたプロフェッショナルとして描かれている. とにかく誰もがプロでかっこいいのだ. 映画の登場人物に憧れるということを 久しぶりに経験した. こういう映画は本当に観て良かったと思える....

音のない花火

久しぶりに花火を見た. 一週間ぶりにジョギングにでかけた 昨日の夜のことである. 研究室を出てキャンパス内を走り始めると, 「ゴロゴロ」とカミナリのような音が聞こえた. 「これは走っている最中に雨に降られるかも」 と覚悟して (とはいえ,40分間も走れば雨に降られたように 汗でビッショリとなるので変わらないのだけど) 走っていたのだけれど,空は全然雨が降りそうにない. 不思議だとは思いながら,夕方の風に吹かれながら 気持ちよくキャンパスを出て歩道を 走っていたのだけれど,いつもより車の数が多く, それも動きが鈍いような気がしていた. その上,パトカーも出回っている. なにかおかしいと思っていると, 「ドンドン」と連続した花火のような音がする. モノレールの下から西の方向を見ると こんもりとした黒い林の上の方に, すすきの尾花の先のような花火の先端が見えた. やはり,花火だったのだ. そのまま阪大病院のモノレールの方へ 走っていくと,歩道に人が集まって, みんなで茨木方面の空を眺めている. イスを並べて見ている人もいた. 携帯電話を花火に向けて写真を撮っている人も多く, その前を,走り抜けていくのは,なんだか気が引けた. 子供たちも花火にはしゃいでいる. ただ花火から見ている場所までは距離があるらしく, 花火が開いてから音が聞こえるまでには 少し時間があった. その音も少し丸くなっているようで, どうも迫力に不足している気がした. 花火はやっぱり音なのだと思う. 私は,幼い頃,新潟県の長岡市で過ごした. 長岡市といえば,花火大会で有名である. 毎年8月の2,3日に信濃川の河川敷では, 絶対に東京や大阪の都会では上がらないような 尺玉(10号玉)が普通に打ち上げられている. 長岡では,1尺玉,2尺玉は当たり前で, 三尺玉がハイライトとなる. 三尺玉(30号玉)ともなると,花火が開いたときの直径は 550 mにもなるという(打ち上げ高さは,600m!). (新潟県の片貝町ではなんと四尺玉なのだ) だから音が全然違う. 花火の音は腹で受け止めるものなのである. 「ドーン」となって,腹に「ズシーン」と響く. 身体全体で花火を感じる. 実はもう小学校4年生以来,...

身体感覚が優位であること

人間には得意なモダリティ(modality,五感)があるという. 一般的には,視覚が優位である人は思考が速いとか, 聴覚が優位である人はじっくり考えるとか, そんなことがいわれている. NLP(神経言語プログラミング)では, 人が話す言葉の中にも,その人の優位な モダリティが何であるのかを示すものが 含まれているのだという. たとえば, 「見通しが良くなった」とか, 「あなたの意図するところがよく見えない」とか, 「お先真っ暗だ」などと, 視覚に関係する言葉を良く用いる人は, 視覚が優位であるとか, 「心の琴線に触れる」とか 「It sounds good!」などの言葉が多ければ, 聴覚優位の人である,というようなものである. もちろん,ある感覚だけが優位であるという人は少なく, いろいろな感覚を場合場合に応じて強く使っている とのことなのだが. 私はといえば,五感のうち 視覚,聴覚,身体感覚が強いような気がする. 特に身体感覚は人よりも優位であるような気がする. だから 「ぐっときた」 「腑に落ちない」 「頭にきた」 などという言葉を多用しているような気がする. 武道の稽古やスポーツの練習をしている人は 特に身体感覚を大事にするので, そうした感覚が発達するのではないかと思う. イメージトレーニングをすれば, 身体中の筋肉が動き,じっとりと汗が出てくる. 身体では,実際に技を行っているような感覚がある. 再生される身体感覚. そんな繰り返しが,身体感覚を発達させ, 自己暗示にかかりやすい体質に変化させていく. (スポーツ,武道の世界では自己暗示は 必要不可欠な技術である) 実は今日,久しぶりにジョギングすることができた. 少し気分が晴れる. 体温が上がり,汗をかく. 脈拍も上がって,身体のギアが上がっていくことを実感する. 身体の感覚が,気持ちや感情に与える影響は強烈だ. それにあらがうのは難しい. だからこそ,身体を動かすことは 精神衛生的に大切なのだろう. そして,身体感覚が優位である私には その効果は絶大なのだろう. 走ることによって,自分は脳や心からだけで できているわけではなく,身体と不可分であることを 実感することができる. 結局...