50歳をすぎて小沢健二を聴く :「流星ビバップ」
夜,車を運転していると,カーステレオから小沢健二の「 流星ビバップ 」が流れてきた.今から25年近く前,私も何度も繰り返し聴いていた曲である(私にしては当時珍しくカラオケでも歌っていた).あの頃も大好きだったけれど,ふと今日は, 忘れてた誤ちが大人になり口を開ける時 流れ星さがすことにしよう もう子供じゃないならね という曲の中の一節が耳にとまって切なくなった.不意打ちだった. 大人になってからこそ傷口が開く誤ちってあると思う.若い頃,私にも青春時代があったとしたならばその青春時代の真っただ中,その誤ちの大きさに気づかないことって確かにある.あとで振り返ったときに気づいても,もう取り戻しがつかないこともわかって,胸が痛くなる.そして50歳を過ぎてもそうした誤ちに気づき続けるのだけれど逃げ場はなく,ただそれを黙って受け止めるしかない...大人になってから味わう青春の苦さ. 小沢健二がこの曲を書いたのは彼が二十代の頃のはずである.今,50歳を過ぎて聞いても彼の言葉になにかを思う.彼の才をあらためて思う. 流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす #この曲のあとに,彼の「 夜と日時計 」という曲を聴く.こちらも胸にしみた