2019年7月21日日曜日

50歳をすぎて小沢健二を聴く :「流星ビバップ」

夜,車を運転していると,カーステレオから小沢健二の「流星ビバップ」が流れてきた.今から25年近く前,私も何度も繰り返し聴いていた曲である(私にしては当時珍しくカラオケでも歌っていた).あの頃も大好きだったけれど,ふと今日は,

忘れてた誤ちが大人になり口を開ける時
流れ星さがすことにしよう もう子供じゃないならね

という曲の中の一節が耳にとまって切なくなった.不意打ちだった.

大人になってからこそ傷口が開く誤ちってあると思う.若い頃,私にも青春時代があったとしたならばその青春時代の真っただ中,その誤ちの大きさに気づかないことって確かにある.あとで振り返ったときに気づいても,もう取り戻しがつかないこともわかって,胸が痛くなる.そして50歳を過ぎてもそうした誤ちに気づき続けるのだけれど逃げ場はなく,ただそれを黙って受け止めるしかない...大人になってから味わう青春の苦さ.

小沢健二がこの曲を書いたのは彼が二十代の頃のはずである.今,50歳を過ぎて聞いても彼の言葉になにかを思う.彼の才をあらためて思う.

流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす

#この曲のあとに,彼の「夜と日時計」という曲を聴く.こちらも胸にしみた

2019年7月18日木曜日

道は楽しんで歩むもの

「道は楽しむもの」とは,ある合氣道の先生にいただいた言葉である.最近何に対してもポジティブで活動的な方と話す機会があったときに,この言葉の意味にあらためて思うことがあった.「道は楽しんで歩むもの」なのである.

「道を歩む」となるとついついつらい修行を思い浮かべてしまう.仕事だって「道」である.仕事がつらいのは当然だと無意識のうちに思い込んでいた.しかし,「道は楽しむもの」なのだ.眉間にシワを寄せて歩むものではない.ニコニコと天真爛漫に進むこともできるのだ.そのことに思い至った.

ふとなにかにつけ,仕事や雑事の面倒くささ,つらさ,疲労などを行動を起こす前から思い浮かべてしまうけれど,そんな必要はないのだ.そのときを楽しんで物事に取り組めばよい.そうした習慣を身につけようと最近努力しているのである.

2019年7月15日月曜日

シャイニング続編「ドクター・スリープ」に期待してしまう

「シャイニング」は1980年に公開された,今となっては古典ともいうべき映画なのだけれど,変わらす素晴らしいホラー映画だと私は信じている.もう40年近く前の映画だというのに,その美しさ,恐怖はいまだ色褪せていない.しかし,2013年にその続編の小説がスティーブン・キングから発表されて以来,続編の可能性についていろいろと言われていた.

そして,今年とうとう続編の映画「ドクター・スリープ」が公開されることになったという.「シャイニング」のダニー少年が大人になったあとの話ということで,主演はユワン・マクレガーだという.監督はマイク・フラナガンという人で,私は彼のことを知らないのだけれど(過去の作品も見たことはない),予告編を見る限り期待大である.

まず予告編に出てくる"REDRUM"という言葉に嬉しくなってしまう.ダニーが彼の能力"Shining"について語る場面もあって,今回はダニーの能力であるシャイニングも活躍するのだろうかといろいろと気になる.

また予告編で流れる音楽もまたワクワクする.たぶん,ベルリオーズの幻想交響曲第5楽章「怒りの日」のメロディーの引用だと思うのだけれど,それを聞くだけでただならぬ雰囲気を感じる.これはもちろん「シャイニング」でも流れる曲なのだけれど,「レディ・プレイヤー・ワン」でシャイニングのくだりに入るところでもしっかり流れている.

今回も思わせぶりなシーンの連続である.ただ,キューブリックの作品に見られた緻密に計算された画という感じは予告編からは感じられず,ちょっと心配もしている.前作ではそういった人工的で不自然な対称性が無意識に働きかけ恐怖を増幅しているのだと思うのだけれど,今回はなさそうである.次作が単なるコケオドシの恐怖演出でないことを祈るばかりである.

でもやっぱり期待してしまう.そして,同時に裏切られることにも恐れを抱いている.それだけ前作が大好きということなのだけれど.

2019年7月2日火曜日

究極の映像美は恐怖に通ずる:「シャイニング」(1980年,スタンリー・キューブリック,ジャック・ニコルソン)

キューブリックの「シャイニング」は今でも5本の指に入るホラーの傑作だと思っているのだけれど(その割に私が観たのはずいぶん最近であるけれど),この映画について感想をかいていなかったことに気づき,ここに少し書いてみる(残念ながら詳細はすでに忘れてしまっているけれど).

2017年11月11日の私のツイート2連投
Yushi Miura @yushi_m
シャイニング。これは大傑作!今まで観なかったことを恥じる。キューブリックの緻密な絵作りに引き込まれる。J.ニコルソンももちろん凄いけど、彼の妻役の人が怖い。精神的な怖さがずっと心に後をひく。映像の美しさも心に残る。そして謎も多く残される。何度も観たい作品。

Yushi Miura @yushi_m
シャイニングのホテルのバーの人は、ブレードランナーのタイレル博士だった。一目でわかった。一方、黒人の超能力者の人はどこかで観たことは覚えているのに思い出せなかった。でもやっと思い出した。映画版トワイライトゾーンで老人ホームにやってきた缶蹴りをする不思議な老人だった!表情が特徴的。

これらのツイートからも,自分がどれだけ興奮していたのかよくわかる.

この映画で映像美が恐怖につながることを初めて知った(キューブリックはそれを十分に理解していた.予告編だけでもその凄さがわかる).すべてが美しい構図となっている.たとえそれが狂人が暴れていたとしても,子供が逃げ惑っていたとしても,そして死人が主人公に抱きつこうとしても,である.

作り込まれた構図に加え,J.ニコルソンをはじめとするすべての登場人物の役への思い入れが伝わってくる.そこまでキューブリックが役者を追い詰めたのだろうと想像される.本当に狂気に満ちあふれている映画なのだ.

内容については何もここでは触れない.しかし,スピルバーグの映画「レディ・プレーヤー・ワン」を観る前には本作を観ておくことを強くオススメする.

#「シャイニング」とは,本作(スティーブン・キングの原作)の中では,超能力を指す
##「Doctor Sleep」についてはまた近いうちに.

2019年7月1日月曜日

ANZEN漫才みやぞんの言葉に,深く自分を反省する

NHKのEテレに「芸人先生」という番組がある.芸人の方が一般の企業に出向いて,彼らなりの講義をその企業の方々に行う,というものである.先日たまたまやっているのを見たのだけれど,その回はANZEN漫才の二人が講師だった(「芸人先生2」の「愛され社員になる超プラス思考講座 」の回).私は,みやぞんの「凄さ」には常々感心させられるところが多くて,彼がどんなお話をするのか,注目して番組を見ていた.

彼らが,「愛され社員になるため」に挙げたのは2つ.

1.口に出していると本当になる
2.叱られたら一歩前へ

「1.口に出していると本当になる」はどんなにつらい状況でもポジティブな言葉を使うということ.これは私が学んでいる合氣道では基本中の基本として教わることなのだけど(たぶん,1回目の稽古から習う),実は最近ネガティブなつぶやきが多いことをある先生に気付かさせていただいて,反省することしきりであったのだ.耳が痛い教えだった.

しかし,もっと心に深く染み込んだのは,「2.叱られたら一歩前へ」という言葉.叱られたら,むしろ前に出てすすんで叱られるというものである.「うまく叱られる」というのも重要なスキルである.私もそれはそう思う.しかし,今回ひらめいたのは,この教えは私が合氣道で教わってきた次の教えと同じではないかということである.

切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ踏み込みゆけばあとは極楽

(この言葉にはいろんなバージョンがあるようだけど)

一足踏み込むことによって,相手を制することもできるという武道の技術的な格言でもあるけれど,困難な状況でも思い切って進むことによって全く違う結果が得られる(こともある)という生活の教えでもある.「叱られる」という困難な状況においても相手に寄り添うことによって,良い状況を作り出すこともできるということなのだと思う.

難問を前にしてぐずぐずしているよりも,思い切って進んでみる.そのことによって事態が開けることもある.私は生活のなかでその一歩を踏み込んでいないのではないかと,深く反省したのである.そして,いろいろと考えた細かいことはここでは省略する.

みやぞんはやはり凄い.
そして生活の中に活かしてこそ,武道の教えなのだと再認識.自分の未熟さを思い知った.このタイミングでこの番組を観たことに感謝.

徳島でハンバーガーを食す OSAFUNE BURGER

 電気学会全国大会に参加するために徳島に滞在した。今回は長めの滞在となったので,徳島で何回も食事を取ることができた。阿波どり,徳島ラーメン,鯛塩ラーメン,徳島餃子,かぼす酒,かぼす酎など,多くの地元の名物を食べることができたのけれど,最終日はさすがに普通の食事が取りたくなって,昼...