投稿

2月, 2012の投稿を表示しています

話し方にリズムがなければ: 就活,人に耳を傾けてもらう話し方とは

コミュニケーションの基本,それは話し方なのだとつくづく思う.この2週間ほど卒業研究発表会,修士論文発表会の他,いろいろと,そして多くの人のプレゼンを聴いてきたのだけれど,やっぱり話し方がすべての基本なのだとあらためて感じた.耳障りな人のプレゼンはとても聴いていられない.途中で腹が立ってくるほどである.なぜこんなに腹が立つのか,そしてどんな話し方だったら良いのか,そんなことを書いてみようと思う. この数年は私もなかなか忙しく読書をする時間もあまりとれないので,しばしば通勤の車中で講演集を聴くことが増えてきた.小説の朗読というオーディオブックという手もあるけれど(いつかチャレンジしてみたいが),私が聴くのはもっぱら作家の講演の録音が多い. まずは 小林秀雄 .新潮社から講演集として5枚ほどCDが出ている(実はその後未発表音源が発見されて,文藝春秋だったろうか,付録でついていたCDも持っているのだけど).近くの図書館で借りることができたので,もちろんすべて制覇.彼の著作とはひと味違った洒脱なお話が聴けて本当におすすめである(もちろん,厳しいことも話しているけれど).アーティストの横尾忠則も小林秀雄の講演の録音を聴いて「隠居生活」を始めたというのだから,面白い.あなたもなにかが得られるかもしれない(もちろん,聴くたびに新たな発見がある). 次に面白かったのは, 開高健 .こちらも新潮社から発売されている講演集,CDにしておよそ4枚を聴いた.「講演が面白い小説家は,小説が面白くなくなってもう終わりだ.だから私の講演が下手なのは勘弁してもらいたい」みたいなマクラを繰り返し使っていて,のっけからぐいぐいと引き込まれる.中身はかなりハードな話をすることもあるのだけれど,そうと感じさせずに聴かせてしまう.もう見た感じそのままのしゃべりなので,ぜひぜひオススメである. 最近聴いて印象的だったのは, 向田邦子 .一本スジが通った品のある話し方で,真面目なのか冗談なのか,曖昧なまま話が進んでいってしまう.私が聴いたのは「言葉が怖い」という題目で話されたもの.あれだけ言葉を魔術のように自在に操る人がこの講演題目なのである.思わず聴かずにはいられなくなる. その他, 茂木健一郎 , 養老孟司 など,それはそれは面白い講演をしている.もちろん内容も素晴らしいのだけれど,共通し...

ARBOS<樹>: アルヴォ・ペルト

少し音楽を聴く余裕も出てきたのか,通勤の車の中でCDをかけてみた.今日は現代音楽. アルヴォ・ペルトの"ARBOS<樹>" ギドン・クレーメル,ヒリヤード・アンサンブル (ただし,「アルボス」は別のオケが演奏している) 現代音楽といっても無調の難しいものではない.このペルトの作品は静謐なものが多く,むしろグレゴリオ聖歌を思わせるようなシンプルな作品となっている.こうした音楽が気持ちよく感じるということは,やはり自分が疲れているのだろうかとも思う.(以前は,同じ現代音楽でも無調で特殊なものを多く聴いていたものだけれど) この曲を購入したのが20年近くも前だったことに気づき唖然とする.そうだ,このCDを買ったのは学部4年の頃だったと思う. 表題曲の「アルボス 」を始めて聴いたのは,たぶんテレビドラマを見ていたときだ.タイトルは忘れてしまったけれど,南果歩さんと田中裕子さんが出演されている人間関係が難しそうなドラマだったと思う.私の記憶が確かならば,そこでこの曲がかかっていたのではないかと思うのである. その頃,クラシック,まして現代音楽なんて聴くこともなかったけれど,なにかしら不思議に印象に残りCDを探しにいったのである.アルボスという曲はどちらかといえばミニマリズムに近く,彼が「ティンティナブリ」と呼ぶ様式で単純なリズムで音列が繰り返されるだけのものである.曲も二分半に少し足りないくらいでたいへんに短い.でも,なにかしら世界がぐるぐる回るような,混乱しつつも広がっていくような,そんな錯覚を覚える曲なのである. ペルトのその他の静謐な作品に比べ,この曲はなにか特別である.でもそれだけに一度聴いたらずっと後に引く音楽なのだ.あなたがなにかのきっかけが必要と思うならば,この曲がその役割を果たしてくれるかもしれないとも思う. #もちろん,ペルトの他の曲も素敵です(例えば「タブラ・ラサ」とか) ※ググって,ドラマ名を調べたところ「スティル・ライフ 霧子とマリエの犯罪的同棲生活」らしいです

イタリアではエクソシストが不足している

体調が悪かったので早めに帰宅してみると,子供たちがテレビに釘付けになっている.なにかと思うと,エクソシストの特集であった.私も興味津津で見ていると,ノンフィクション作家の島村菜津氏が出演していた.おぉっと驚く. 彼女には「 エクソシストとの対話 」や「 エクソシスト急募 」などのエクソシストに関わるたいへん興味深い著作があり,このブログでも紹介してきている(彼女は日本に「スローフード運動」を紹介したことでも有名なのだが) 番組でも,イタリアにはバチカンが認めるエクソシストが数百人いるけれどどのエクソシストも悪魔祓いで忙しく,絶対数が足りないということを紹介していたけれど,これは元ネタになっている「エクソシスト急募」にも書かれているように,イタリアには精神病棟が無いことが原因となっている.心の病の人がどこにも相談のしようがないために,エクソシストが望まれているのだ.「心の病」というよりも「悪魔憑き」と思ったほうが体がよく,安心できる心理が働いているらしい. もちろんわずかではあるけれど,説明が難しいような現象がエクソシストの儀式において起こることもあり,エクソシストは悪魔の存在を否定していないとのこと.しかし,現在エクソシストはバチカンが講習を行なっているくらい当たり前のことで,受講者もたいへん多いらしい(映画「 The Rite 」も題材にしている). 日本でも祓魔師と呼ばれる人達がいる .精神科や心療内科という医学がなかった時代にはやはりそうした人たちが人の心の癒しのためには必要で,それは世界共通のことなのだと思う. 今年も儀式や魔術による深層心理の操作というテーマに興味を持ち続けたいと思う.

油断を恥じる

実は先週の金曜日の夕方,太ももをひどく打撲して,いまだにうまく歩けない.金曜日の夜には左太ももが右の1.5倍まで腫れ上がり,とうとう足が曲がらなくなっていた.でも右足でなくて良かった.とりあえず車を運転して帰宅することができたから. 今回の打撲は,全くの私の油断である.本当に恥ずかしい.武道を稽古しているものとして(最近はかなり稽古量は少ないが)あってはならないことである. 池波正太郎の「剣客商売」の話に,主人公 秋山小兵衛の同門の兄弟子(だったか,弟弟子だったか)が不意打ちで殺されてしまうものがあった.それも剣ではなくて,縄におもりをつけたようなものをひっかけられて身動きを不自由にしてから殺されたのではなかったか.確か酒に酔っていたということだった思う. 秋山小兵衛は,不意打ちをした賊を怒るのではなく,油断があったその兄弟子に腹を立てるのである.「なんと情けない」と残念がる.これぞ武芸者の思いなのだろうと思う. 自らを省みれば,やはり「なんと情けない」と恥じる以外にない.もう少し,心の修行に精を出すことにしよう. 現在はようやく足も曲がるようになってきた.ゆっくりではあるけれど歩くこともできる.このつらさを忘れずに,修行に励むことにしたいもの.早く,足よ治れ,と祈るばかり.

羊をめぐる冒険:「それで救われたのかい?」「救われたよ」と鼠は静かに言った.

明日の修士論文発表会で一息つけそうなので(いや,すみません.まだ仕事がたくさん残っていますが...),今日は久しぶりにブログを更新.思いつくままに雑談を. というわけで,とにかく忙しく,ブログどころかツイッターでつぶやく暇もなかったわけなのだけれど,そんな中,ラジオから美しいホルンの旋律が聴こえてきた.最初は何の曲かわからなくて,しばらくじっと耳を澄ませていて,そしてやっとそれがブルックナーの交響曲第4番であることに気づいた.思わずホッとする.「癒される」という言葉はあまり好きではないのだけれど,この言葉はこんなときに使うのだなと思った. <僕> 「それで救われたのかい?」 「救われたよ」と鼠は静かに言った. なぜか村上春樹の「 羊をめぐる冒険 」を思い出した.久しぶりに本を手に取りたくなる. 村上春樹自身もどこかで述べていたように(そして大勢の村上ファンが指摘しているように),「羊をめぐる冒険」はチャンドラーの傑作 " The Long Good-bye "と同じ構図を使っている.私も村上春樹訳の「 ロング・グッドバイ 」を読んでこの小説の魅力にメロメロになったのだけれど,彼もチャンドラーのこの作品にぞっこんだったのだろう. <僕>「君はもう死んでいるのだろう?」 鼠が答えるまでにおそろしいほど長い時間がかかった.ほんの何秒であったのかもしれないが,それは僕にとっておそろしく長い沈黙だった.口の中がからからに乾いた. 「そうだよ」と鼠は静かに言った.「俺は死んだよ」 鼠は羊男の姿を借りて,一度<僕>に会いに来る.<僕>は,彼が鼠であることに途中で気づく.そしてひどく怒るフリをして,鼠が再び鼠として会いに来るように仕向ける.そして鼠がすでに死んでいることを確認をするのだ. 「ロング・グッバイ」の中では,<僕>はフィリップ・マーロウで,「鼠」は整形を施したテリー・レノックスなのである.レノックスはマーロウが自分の正体を見破っていることに気づいてこう言う. "I suppose it's a bit too early for a gimlet.' (ギムレットには早すぎる) 鼠四部作の最後,「 ダンス・ダンス・ダンス 」の中にだって,マーロウとレノックスは現われる.それは,...

ヒツジはなぜ桃太郎で活躍しないのか

今日は本当に寒かった. しかし,目の前の仕事の山に,心の方がもっと寒い.あぁ,どうしよう... さて,今日は節分である.節分については過去にもいくつかブログ記事を書いてきた. 追儺式の方相氏 は今年も見ることはできなかったけれど,各地で行われている鬼やらいの儀式はいつか,いつか目にしたいものである. そういえば,奈良の橿原市で,鬼の顔が描かれた土器の破片が見つかったとか.平安時代後期(12世紀初め)というから,900年くらい前のものなのか.鬼瓦は7世紀からあったと新聞記事にあったから,日本人は1200年以上も鬼を怖がってきたことになる. 鬼といえば,大阪大学の近くの茨木童子をはじめとして,酒呑童子など有名な話があるけれど,印象強く覚えているのは,「舎人が夜分に笛を吹いていた.あまりの上手さに鬼が手をはたいた.そのとたん,舎人は絶命してしまった」というお話.一体どの古典に収められている話なのか忘れてしまったけれど,そのくらい鬼は恐れられていたのだろう.まるでラヴクラフトの小説のようだ.姿は見えないけれど,この現実世界に強く影響を及ぼす異世界のモノ.疫病や戦乱が続く平安の時代では鬼の存在は確かなものであっただろうけれど,誰もその姿を見たことがないという不安.その不安を祓うために,今日の豆まきの儀式があるのだ. 鬼と言えば,東北の鬼門から来ると言われ,だから丑虎(艮,うしとら)のキメラとなって,角と虎のパンツをはいているのであり,鬼を退治する桃太郎の話では,その反対の方角・南西に位置する戌,申,酉(イヌ,サル,トリ)が大活躍するのである.そこで, なぜ未(ヒツジ)が抜けているのか不思議だという記事 も前に書いた.つい最近,その理由ではないかと思われることに気づいた. なぜヒツジは桃太郎で活躍しないのか. それは,幕末以前には日本にはヒツジはいなかったからではないかと思いついたのである.これは,村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」に出てくる.この小説では謎の羊を求めて主人公たちが北海道に渡り,かずかずの冒険をするのだけれど,その中で羊は明治頃に初めて日本に輸入されてきたという話が出てくる.小説の中のエピソードだけれど,これは本当の話らしい.主人公たちも言っているのだけれど,それまでほとんどの日本人は羊とはどういうものなのか知らなかったのだ.羊は龍などの伝...