2023年12月30日土曜日

うちの弁護士は手がかかる,は良質のコメディ・ドラマだった

 今期ですべての回を観たドラマのひとつが,「うちの弁護士は手がかかる」である。主演は,ムロツヨシ。相手役は平手友梨奈。その他,芸達者な俳優のみなさんが脇を固めている。内容もそれほど重くなく,それでいて少し考えさせるような,家族のみんなで見ることができる内容だった。

まずムロツヨシがいい。もちろんこの人の演技力というのは,真面目からボケまでそれは間違いないし,「どうする家康」では,狂気に満ちた新しい豊臣秀吉役を見せてくれた。本作では途中病気で短期間離脱したこともあったようだけれど,心優しい気配りの人を演じている。これが身近に感じられて,ドラマの魅力の中心になっていた。

平手友梨奈は私が好きな俳優・歌手で,自分の世界観をもっている(彼女が出てくるだけで平手友梨奈ワールドが広がる)希少なタレントであると思っている(その他では,木村拓哉とか)。今回はちょっとデジャブ感をもつ「かわった」弁護士で,頭はかたいけれど,心優しい変人という役どころ。やはり彼女しか出せない雰囲気が良かった。

村川絵梨,酒向芳,戸田恵子,松尾諭という事務所の仲間のボケぶりも良くて,気楽に楽しむことができるドラマだった(江口のりこも変に善人にならなくてよかったし)。こうしたコメディはテレビドラマがどんどんやるべき分野だと思っていて,今回はその手本のようなドラマだった。ムロツヨシも大河ドラマの秀吉は怖すぎたので,今回くらいの役がいいなぁ,と思った。

ただ,あちらこちらに80年代~90年代のドラマのネタが散りばめられていたのだけれど,相当ドラマを見ていないと理解できないものばかりで,大丈夫?と思って見ていた。まぁ,私はだいぶわかった方だと思うけれど。


2023年12月29日金曜日

鬼束ちひろ「流星群」

 研究室の学生と話していて,彼が以前放映されていたTVドラマ「TRICK」をネットで見たという話を聞いて,私も最近,鬼束ちひろの曲を聴いていたので,おっと少し思った。

私もなぜかこの一週間くらい鬼束ちひろの曲を聴いていた。といってもメジャーな曲ばかりなのだけれど,それらでも最近の若い人たちは知らないのだろうと思う。ただ相変わらず「TRICK」シリーズの番組と映画の人気は高いので,それらを見た人たちは番組の最後に流れる彼女の曲が心に残っているのではないだろうか。

私が大好きな彼女の曲は「流星群」という曲で,「TRICK2」の主題歌になっている。第1シリーズの主題歌の「月光」も良い曲でもちろん好きなのだけれど,ちょっと内容が重い。というか,神や罪を思わせる歌詞も出てきてテーマが広すぎる(ドラマの最終回のエンディングで出演して歌っていたのには驚いたけれど)。一方,「流星群」の世界はせつない恋愛の話のように思えて,身近なテーマに感じられ少しだけ気楽に聴ける。ただ相変わらず,心が少し痛む内容で,つらい。でもそこがよい。

鬼束ちひろは,もちろん本作を作詞作曲しているのだからソングライティングの才能も豊かであることは間違いないけれど,彼女の歌唱力がなければ本作も不朽の名作にはならなかったと思う。他に誰がこの曲をあんなふうに歌えるのだろう。

彼女の歌い方も独特だけれど,なんといっても声質が素晴らしい。私は歌手の才能というのは,半分以上はその人の声質で決まるものだと思っている。どんなに一生懸命練習して歌唱のテクニックを磨いても,その人が生来持っている声に魅力がなければ,名歌手にはならないし,作品も名作にはならないと思う。鬼束ちひろの声と歌い方はそれだけで歌の世界に引き込まれる魅力にあふれている。「流星群」はその才能を十二分に発揮している作品である。

彼女はいろいろトラブルに見舞われて,その後あまりヒット作を出していないようだけれど,「月光」,「流星群」の他にも,「眩暈」や「私とワルツを」などの曲も大好きである。また彼女にライトが当たって,活動がみんなに知られるようになるといいなと思う。

2023年12月25日月曜日

すべて忘れてしまうから,「そこそこ」の幸せ

 TVドラマ「すべて忘れてしまうから」(テレビ東京)が終了した。私としては原作を含め,とても好きな作品だった。

主人公は,TVの美術下請け会社に勤めながら小説を書いているちょっと情けない男で演じるのは阿部寛。彼は「下町ロケット」の主人公のような熱血漢を演じても素晴らしいが,こうした情けない男を演じてもピカイチである。今回も煮えきらない微妙な小説家を絶妙に演じている。私はこちら側の阿部寛も大好きである。そして彼の彼女がある日突然いなくなる。そんな彼の周りで起きる切ないエピソードが散りばめられているドラマである。

数々のエピソードは,「燃え殻」という著者が書いた「すべて忘れてしまうから」というエッセー集に収められているものから選ばれていて,ドラマの中にうまく溶け込まされている。その一方で彼女が理由も分からず失踪するという作品を貫く経糸のストーリーは番組オリジナルである。彼女が失踪することによって,主人公は少しずつ変わっていくのだけれど,その彼女を演じたのが尾野真千子。彼女も素晴らしい。失踪した彼女は半年後に戻ってくるのだけれど,彼女も種々な経験から以前とは少し変わってしまっていて,結局二人は別れてしまう。そこが大人苦い。

その二人が別れるエピソードは最終回の一つ前の回で描かれる。ある日(半年後?)ひょっこり戻ってきた彼女を主人公は何も聞かずそのまま受け入れ,また一緒に住み始める。そして二人で海に旅行に出かける話が描かれる。その話が本当に切ない。その旅行では(うろ覚えだけど)「そこそこ」美味しいものを食べて,「そこそこ」楽しい経験をする。この「そこそこ」というのが素晴らしい。それぞれの感動が「そこそこ」だからこそ,最大の記憶はなにげなく二人で過ごした時間になる。しかし,そんな観光や食事が目的ではない「二人で過ごす時間」が最高の思い出になった大人の旅行が,彼女の決別の決意のきっかけになっていて,見ていて胸が締め付けられる話だった。

大人ってそうだよな,と思う。若い頃は観光や食事がメインの楽しみになって当然なのだけれど,トシをとると二人で何気なく過ごす時間こそが貴重なものとなる。「そこそこ」の幸せだからこそ,時間を大切にできる。そんな大人の旅行に憧れをもたせてくれる話だった。

残された主人公はその別れを受け入れて,日々の生活を続けていく。大人苦い。本当に大人苦い。でもだからこそ見ているものの心が動く。この作品はずっと忘れずにいるような気がする。良いドラマだったなぁ...

2023年12月24日日曜日

2023年のクリスマス・イブ

 今日はクリスマス・イブなんである。この人生,もう何度も経験している。学生だったバブルの頃は,渋谷や住んでいた自由が丘などの街全体がとにかく盛り上がっていた。あの頃,若者たちがクリスマスにかける情熱というのは,現在の10倍以上はあったことは間違いない。恋人たちの一年のクライマックスがクリスマスだったのである。

最近のクリスマスは,長岡という田舎だからなのか,経済不況だからなのか,それとも私がトシをとって独りで過ごしているからなのか,どうも盛り上がりがないように思える。個人的には,昨年のイブはカツ丼を食べ,その前の年は学食でサイコロステーキ,その前は牛丼を食べていた覚えがある。全然クリスマスではない。私はこんなにもクリスマスが好きだというのに

独りで過ごすクリスマスが定期点検のように当たり前になってしまった今となっては,楽しかった思い出も流星群の軌跡のように次々と消えつつある。寂しいけれど仕方がない。

最後に,このブログで話題にしたクリスマス関連のワードを挙げておく。少しでも記憶が消えないように。

#小説:ディケンズ「クリスマス・キャロル」,ポール・オースター「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」,カポーティ「クリスマスの思い出」,カポーティ「「あるクリスマス」
#映画:ミュージカル「スクルージ」,「3人のゴースト」,「The SMOKE」,「The nightmare before christmas」,「素晴らしき哉,人生!」,「エクソシスト3」
#クリスマスソング:山下達郎「クリスマス・イブ」,ジョン・レノン「ハッピー・クリスマス」,ポール・マッカートニーの「ワンダフル・クリスマスタイム」,ワムの「ラスト・クリスマス」,バンドエイドの「Do they know it's Christmas?」,佐野元春「Chiristmas time in blue」,「Little Drummer Boy」

いつも行くコーヒー店のクリスマスツリー

いつかクリスマスの朝,生まれ変わった気分で街の少年に「七面鳥を買ってきておくれ」と頼めるような素敵なイブを過ごしたいものである。

すべて忘れてしまうから,燃え殻のあざとさ

 「すべて忘れてしまうから」読了。なんとも,著者の「燃え殻」が自分にひどく近いように感じてしまうエッセー集だった。

評としては文庫本あとがきにある町田康のものが秀逸なのでそれを読んでいただきたいのだけれど,決して人生の勝者ではない人たちのエピソードが並べられている。町田康も書いているけれど,しかし絶望で終わらない。そこにはかすかな希望の光が遠くに見えている,そんな終わり方のエピソードが多い。そこに救われる。いや救われはしないけれど,絶望しないで済む,そんな感じである。

もっとも心に残ったエピソードは,実はまえがきにある大槻ケンヂとのエピソードである。小説を書くきっかけになった大槻ケンヂの自伝的小説で,自分が心に残っているシーン,セリフがフィクションだと知らされる。このとき,著者はたぶんショックを受けたとは思うけれど,そこに小説の可能性の広がりを感じたのだろうと私は思った。大槻ケンヂはそのフィクションを「希望」と呼んだ。大槻は燃え殻に問う。「君の希望はどこにあるの?」。そして著者の希望は小説とこの作品に散りばめられている。

読了して思ったのは,著者の「あざとさ」である。あきらかに読者の心に引っかき傷をつけることを狙っている。その傷は深すぎず,浅すぎず,絶妙なラインにある。それを著者は意図的に書いているのではないか。もしかするとそれを無意識に達成しているのかもしれない。どちらにせよ,それは著者の才能なのだと思う。

とにかく,大きくはないけれど,でもそれほど小さくもなく,心を動かされた作品だった。小説を含む,別の作品も読んでみたいと思った。そして,まだテレビ業界の下請け会社で働いている彼の話している姿を見てみたい。そこに私の「希望」もあるかもしれない。

2023年12月23日土曜日

私の葬送曲候補(2):ブルックナー交響曲第9番第3楽章

 自分の葬式に流す音楽を決めることを,自分の終活の一項目としている。前回は,マーラー第9番交響曲の第4楽章を第一候補として紹介した。今回はその第2弾として,ブルックナーの交響曲第9番第3楽章を挙げたい。

ベートーベン以降,交響曲を9つ書くと死に至るのではないかという迷信があったそうで,マーラーも9番目に作曲した交響曲は「大地の歌」として第9番の名前をつけなかった。そして前回紹介した第9交響曲を書き上げ,安心したところで第10番を作曲している最中に亡くなってしまった。マーラーの第10番交響曲は未完となったわけだけれど,ときどきその残された第1楽章が演奏されることもある。

今回挙げるブルックナー交響曲第9番も実は未完の作品である。第3楽章まで書き上げて,第4楽章を書いている途中で亡くなってしまった。やはり交響曲第9番の呪いはあるのかもしれない。

ブルックナーの交響曲は私はかなり好きな方で,長大だけれど壮大な楽想が素晴らしく,一時期よく聴いていた。実のところ1,2,6番の交響曲はほとんど聴いたことがないのだけれど,3番5番,8,番は何度も聴いていて,CDも何枚も所有している。

その中でも9番はもっとも厳しい音楽だと思う。第1楽章からして甘さが全くない。粛々と曲が進んでいく。第2楽章のスケルツォも厳しい限りである。笑顔はない。そして第3楽章。マーラー交響曲第9番の第4楽章は死の甘美さを有しているけれど,この第3楽章はそうした少しの甘えさえも許さない,なにもない終末の世界に流れているような,曲のイメージの色が思いつかない。そんなある意味モノクロな音楽である。

この楽章の秀逸なところは,クライマックスで最高潮に曲が盛り上がったのちに,ほんの少しだけ救いだと思われる旋律が遠くから聞こえるように演奏される箇所である。そのとき,灰色の薄暗い雲の切れ間から本当に薄い北の光が差し込むような気がする。その旋律は二度とは繰り返されず,そのまま曲は終了していく。

もしもこのあと第4楽章が書かれていたならば,どのような曲になったのだろう。ブルックナーは,第4楽章の完成が間に合わなかった場合にはその代わりに「テ・デウム」を演奏してほしいといったらしいけれど,テ・デウムはちょっと勇壮で華やかすぎる気がする。この作品は第3楽章で終了するのがやっぱり良い気がするのだ(第7番交響曲では,第4楽章が少し似合っていない気が聴く度にいつもしてしまう。第9番もそんな感じだったら残念だっただろうなので,これはこれでよかったのかもしれない)

私のための葬送曲としての問題はやはり曲の長さである。私の葬式は,行うとしても小さな規模になるだろうから,本曲のクライマックスまでにも届かず焼香の時間が終わってしまうに違いない。ブルックナーは譜面に「愛する神に」と書いて本作を神に捧げているけれど,この長大な作品は市井の一個人の葬式にはちょっと不釣り合いなのかもしれない。

2023年12月17日日曜日

老眼とはどんな状態なのか,説明しよう

 老眼ってどんな感じなんですか?って聞かれることが多くなった。私が近くを見たり遠くを見たりするたびに眼鏡をはずしたり,つけたりするからだろう。

私も自分が老眼になってここまで不便になるとは思っていなかった。もともと近視と乱視であったので遠くをみるために眼鏡をかけていたのだけれど,老眼が強くなってきて眼鏡をかけたままだと今度は近くが見えないようになってしまった。本を読んだり,説明書を読んだりするときは,眼鏡をはずさないとよく文字が見えなくなっている。目がひどく疲れる。そして遠くを見るときにはまた眼鏡をかける。本当に不便である。

近視は遠くが見えなくなり,老眼は遠視に近いと聞いていて,トシをとったら2つがちょうどうまくかけ合わさって,世界がよく見えるようになるのではないか,などと思っていたけれど,実際はどちらもよく見えなくなる,というのが正解だった。では裸眼ではどうなるかというと,焦点があう距離が本当に狭くなる。ある距離にあるときにしかはっきりと見えないのだ。

したがって,モノを見るときは,そのモノを手で遠くに持っていったり,近くに持ってきたりして,ちょうど焦点があう距離までモノを持つその手で調整しなければならない。はなはだ不便である。

眼鏡には遠近両用というものがあるという。つまりはそういった眼鏡が近々必要になるということなのだろう...

テレビ番組でチャンカワイさんが遠くを長時間見ることで視力を回復できるかというチャレンジをしているのを見た。私もそのような練習をしてみようかと本気で考えている。

2023年12月16日土曜日

私の葬送曲候補(1):マーラー第9番交響曲第4楽章

 私の年齢も50半ばを越え,そろそろ人生の終わりが見え始めてきた(人生百年時代などと言われるとまだ折り返し地点を過ぎたばかりなのだけれど)。引退後のセカンドライフも考えなければならないし,そろそろ独りの良い年頃なので終活を始めようかと考えている。

終活の項目のひとつに自分の葬式に流す曲を決めることがある。もうそんなことを考えるのか!?と思う人もいるとは思うけれど,日頃から候補曲を考えておかないと,いよいよというときに遺言に残すことができないと思い,よい曲を思いついたら記しておくことにしたい。

そこで第1番目に挙げる候補曲は,マーラー第9番交響曲の第4楽章である。誰だったか,自分の葬式にはベートーベンの英雄交響曲(第3番)の葬送行進曲(第2楽章)を流してくれと言っていたらしいけれど,私にはそんなヒロイズムもナルシズムもまったくない。とにかく静かに音楽が式場に流れていてくれれば良い。そう考えるとそれほど劇的な盛り上がりがない曲こそがふさわしい。そして悲しすぎないのがよい。そうして考えた末がマーラー第9なのである。

マーラーの第9番交響曲はマーラーがそう意図して作曲したかどうかは知らないけれど,静かにはじまる第1楽章から静謐な死の雰囲気に溢れた曲で,そのような印象は同時代の作曲家ベルクをはじめ,多くの人が述べているのだという。確かに私もそのようなイメージを持っている。最終の第4楽章は,少しずつ音階が変化する旋律がゆっくりと演奏されていくもので,曲を聴いていると気持ちがどんどん落ち着いていく。いや,気分が下降していくというべきか,ちょっと行き過ぎて負の方向にまで落ち込んでしまうような気もする。でも,それがいいのだ。そんな音楽,他に知らない。

秀逸なのは曲の終わり方。ラフマニノフの作品のようにタン・タカ・タンなどとリズムを刻んで勇壮に終わるのではなく,弦楽によるピアニッシモで奏でられた最後の一音がスーッと消えていって終了する。まさに私の最期にふさわしい曲だ。

この曲の問題は楽章がその最後を迎えるまでに30分近くかかってしまうこと。葬式の間,その曲の最後まで会場に流れることがないかもしれない。それがちょっと残念である(たぶん私の葬式は家族葬となるのですぐに焼香の時間は終わると思う)。

演奏としては,カラヤン&ベルリン・フィルもアバド&ベルリン・フィルも,そしてバーンスタインのニューヨーク・フィルやウィーンフィル,そしてベルリン・フィルとの録音といずれも素晴らしいものになっていて,私も以前はそのときどきの気分によって所有しているCDを聴いていた(最近は音楽そのものを聴くことが少ないので全然聴いていないけれど)。その中からどれかを選ばなければならないわけだけど,私のチョイスはバーンスタイン&コンセルトヘボウ管弦楽団の録音である。バーンスタインによるグラモフォンのマーラーシリーズのものが好きだ。第4楽章は至極ゆっくりと,そして美しく演奏される。この曲が私の葬式場に流れることを想像すると,どこか甘美な感じもする。その式場に私がいないことが至極残念だ。


#正直,私の葬式はない可能性も高いのですが...


2023年12月10日日曜日

レナード・バーンスタインの音楽 (2)

 レナード・バーンスタインは指揮者として有名だけれど,ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」の珠玉の名曲を残した作曲家でもある。彼自身は指揮者としてではなく,作曲家として評価されたかったらしい(ここらへんは,彼と同じくユダヤ系として,ニューヨークで指揮者として活躍していたグスタフ・マーラーに似ているかもしれない)。

もちろん,楽曲「ウェスト・サイド・ストーリー」はミュージカル史上でも燦然と輝く傑作であることは間違いないけれど(このへんは,残されている映像に彼が嬉々として作品を解説しているものがあって面白いので,興味のある人はぜひご覧いただきたい。),その他にも交響曲を3つ残している。しかし,あまり演奏される機会がないため,知らない人が多いのではないか。最近,日本では演奏されているのだろうか。あまりそうしたプログラムを見た覚えがないような気がする。

彼の交響曲は第1番から第3番まで,「エレミア」,「不安の時代」,「カディッシュ」とそれぞれ副題が付いていて,私も一応,グラモフォンのレーベルで「エレミア」と「不安の時代」が入っているCDを持っていたと記憶しているけれど,どんな曲だったか思い出せないし,そのCDが今手元にないので確かめようがない。ただ複雑な曲であるという印象をもったことは覚えている。彼はやはり現代音楽の作曲家なのだ。

一方,私が好きな彼の作品のひとつが「チチェスター詩篇」である。以前にも書いたように,ニューヨークの教会で初めてこの曲を聞いたときのことは忘れない。人道主義者であった彼の理想が詰め込まれた作品だと思う。バーンスタインの作品で「ウェスト・サイド・ストーリー」の次に聴く曲には,この作品を強く推薦する。

交響曲を含め,彼の作品には,彼という人物がよく表れていると思う。彼の考え,主義,感情が感じられるような気がする。だから,こうした作品を聴いたあと,赤や青のシャツを着た彼がメガネを外して上目遣いで「どうだった?」と尋ねてくる,そんな空想をいつもしてしまうのだ。


#バーンスタインについては,あとはピアニストという一面があるのだけれど,そちらは私はあまり聞いたことがないので記事にはしない

2023年12月9日土曜日

パリピ孔明で最も印象的だったのはメンディーだった

 私が今期大好きだったTVドラマ「パリピ孔明」がとうとう終わってしまった。視聴率は振るわなかったみたいだけれど,誰でも楽しめる,そして音楽好きと三国志好きにはたまらない素敵なドラマだった。終わってしまってちょっとプチ・ロス気味。

私は向井理の清潔感が好きだと何度も言っているけれど,今回も諸葛孔明のコスプレをしていてもその清潔感は失われていなかった。彼の孔明があってからこそのこのドラマの成功につながていることは間違いない。しかし,よくこの役を引き受けたなぁ,とは思う。

上白石萌歌が演じる主人公英子は,いろいろ意見があるようだけれど,私はこれはこれでよかったと思う。漫画やアニメではもっと英子はギャルっぽかったけれど,今回の英子は少しボケたイノセントな女の子で,孔明の知略に気づかずに一歩一歩成功に近づいていくのが良かった。歌も当然うまいし。

一番原作に近かったのは森山未來演ずるクラブのオーナーだったかもしれない。なんだかんだいって,おちゃらけただけのドラマになりそうなところを,彼が引き締めていた。若い頃にギターを弾く姿も相当かっこよかったし,一方で三国志の知識を披露するところも嫌味では全然なかった。

他にも,宮世琉弥も,ELLYも,菅原小春も,みんなみんな良かったけれど,私がもっとも印象に残ったのは,前園ケンジを演じた関口メンディーである。彼はバラエティー番組にときどき出演していたのは知っていたけれど,こんな才能があるとはと驚いた。本業ではパフォーマーとして活動しているけれど,歌もなかなか良かった。現在の日本の音楽シーンにいなそうなキャラクターだし,こんな感じでソロデビューして欲しいなとも思った。悪役としての演技もたいへん良かった。作品中では歌いながら毛皮に短パンというかなりキワモノの人物造形なのだけれど,メンディーの演技はそれを不思議と納得させていた。いやぁ,メンディー自身も自信をつけたのではないか。彼の今後の活躍に大いに期待したい。

ということで,いろいろなアーティストのカメオ出演もあって,たいへんに楽しめたドラマだった。作中の楽曲も多くがオリジナルで,それもちゃんと作られていて感心した。手を抜かず作られていることを感じさせる。「神は細部に宿る」なのだ。いつか続編があるといいなぁと思う。


#密偵の女の子役で,石野理子が出演していた。アイドルネッサンスでは歌唱力がピカイチだったから,演技だけでなくこれからも歌手としてもメジャーになって欲しかったりする。

#アニメの映画化も発表された。主題歌は,TV版と同じくチキ・チキ・バン・バンなのが嬉しい。

2023年12月3日日曜日

レナード・バーンスタインの音楽 (1)

 レナード・バーンスタインの映画が最近気になっている。そんなこともあって,バーンスタインについて私の印象を書いてみる(たぶん映画が契機となって,彼の再評価が始まるとは思うのだけど)。

今回は,指揮者としてのバーンスタインについて。

若い頃の彼は本当にカッコいい。TV番組「ヤングピープルズコンサート」の映像をみると,TVのこちら側に向かって話しかけているまなざしは非常に魅力的だ。話し方もいい。そして声もいい。当時アメリカ発の本格的指揮者だと言われていたこともり,注目が集まって人気が出なかったわけがないだろうと思う。

話す内容もかっこいいんだなぁ。私はこの番組でベートーベンの第5番交響曲の,ベートーベンが苦労をして最初の部分を書き直していたという彼の解説を聞いて,この曲を聴く印象が変わってしまった。秀逸な解説は曲の印象を容易に変えてしまう。それを説得力をもって行うところに彼のカリスマ性がある。

年齢を経てくるとより情熱をストレートに表現するようになってきて,指揮台上で両手を突き上げたり,そこで飛び跳ねたり,独特な指揮がまた魅力的である。マーラーなんて祈るように指揮したりしている。そこがまた彼唯一の魅力となっている(彼の弟子の佐渡裕 氏もそんな感じの指揮だけれど)。

リハーサルやスタジオ録音のときの姿もカッコいい。「ウェストサイド物語」の録音の映像なんて,すでに白髪のおじいさんになっているけれど,時々冗談を交えて指揮をしていて,なんてチャーミングな人間なのだろうと思ってしまう(しかし,指示は的確らしく,彼の言葉に対応する楽団の人たちの真剣さが映像から伝わってくる)。こんな風にトシをとることができたらと憧れずにはいられない。

でも実は,彼の指揮は私にとっては正直ハイカロリー過ぎて,バーンスタインのベートーベンをはじめとするドイツ音楽の録音はちょっとToo muchである。だから,あまり彼のCDには手が伸びない。反対に彼の録音で好きなのは,やはり定評のあるマーラー,そして私が好きなのは意外にショスタコービッチの作品だったりする。

全く反対の性格の指揮だと思われるカラヤンとは不仲だったと噂されていたらしいけれど,実際は尊敬しあっていた部分もあったとか。この二人が活躍していた70~80年代はクラシック音楽の指揮者が世界のスーパースターになれる時代だった。そしてバーンスタインは確かにその一人だったことを残された映像は示している(公開される映画もそれを確認するに違いない)。

2023年12月2日土曜日

Maestro その音楽と愛と

 「Maestro その音楽と愛と」という映画が気になっている。マエストロとは,レナード・バーンスタインのこと。「ウエスト・サイド物語」などの名曲の数々を作曲した20世紀を代表する作曲家でもあるけれど,私にとっては指揮者の方が馴染みが深い。私がクラシック音楽を聴くようになったときにはすでに亡くなっていたけれど,カラヤン,ショルティなどと並ぶ巨匠のひとりだった。

彼はアメリカ人として初めての本格的な指揮者と言われていて,いろいろな録音,映像が残っている。クラシック音楽を紹介するTV番組も持っていたりして,彼はアメリカにおいてスターだったことは間違いないようだ(実際,彼のことを私もカッコいいと思う)。

また彼はヤンキー気質であったけれど,人道主義者であり,教育家であった。ベルリンの壁が崩壊したときにもベートーヴェンの第9番交響曲を演奏したり,若手音楽家たちの教育のために札幌でPMFを立ち上げたりと,彼についての記録などを読むと本当に素晴らしい人だったのだと思う。

彼の音楽については,いろいろと思うことがあるので,今後別の機会にまた書きたいと思う。

さて,本作は監督は俳優のブラッドリー・クーパー。そして主演もクーパー。たしか「アリー」だったか,レディ・ガガが主演をつとめていた映画でも,ブラッドリー・クーパーが監督と出演をしていたように思うのだけれど(観ていないけど),今回もそういう形で映画を製作したようだ。

予告編を見て,クーパーの顔がバーンスタインにとてもよく似ているなと思った。案の定特殊メイクをして,鼻を大きくしたりしているらしい。どおりで白髪の彼が赤や青いシャツを着てメガネをかけている姿を見て,バーンスタインが本当にいるのかとドキドキとしてしまった。コンサートで指揮者台に向かう仕草も映像で残っているバーンスタインにそっくりだ。彼を知っている人にはたまらない映画となっているのだろう。

本作は彼のフェリシアとの結婚生活を中心に描かれるらしい。うーん,ぜひ観てみたい。しかし,NETFLIXのようである。新潟の映画館で上映されないかなぁ。


2023年11月26日日曜日

ナッシュビル,音楽の街

Country Music Hall of Fame and Museum。行かなかったけれど...

ダウンタウンの端にある鉄道駅


ダウンタウンの観光センターにあったオブジェ


空港のあちらこちらにこんなふうにGibsonが飾ってある。とても購入できる価格ではない。学会のケータリングのテーブルの上にもギターが飾ってあった。オブジェ扱いなのだろう。


2023年11月25日土曜日

寒いナッシュビル,活躍したのはユニクロのパーカーだった

 今年の春までColumbiaの黒いパーカを重宝していた。防水だけでなくオムニテックを用いた防寒のアウターとして日々の生活に大活躍していたのだけれど,この秋になって見当たらないことに気づいた。そういえば,クリーニングに出したのかどうかも定かでない。たぶん春あたり,どこかの飲み屋に忘れてきてしまったのだろう。ジャンパーを忘れるなんてこれまでにありえなかった失態なのだけれど,これも年齢のせいかとあきらめる(散々探してはみたのだ。まだどこかから出てこないか期待はあるけれど)。

以来,あちらこちらの洋服店やアウトドアショップで,ウィンドブレーカ的なパーカを探していたのだけれど,どうも良いものが見つからないでいた。メーカの派手なロゴなどがないのがいい。たとえばNorth faceだとあのロゴの刺繍が目立ちすぎる。着ている人が多すぎるし。軽井沢に行った際にはPatagoniaのショップも見てみたのだけれど,やはりロゴマークが目立つし,価格も高い。マムートもマークが赤すぎる。あちらこちらのショップは回ってはみたけれど,どうも安価で良いものが見つからない。それでも,そのうちどこかで見つかるだろうと特に焦らず考えていた。

しかし,10月末からのナッシュビルへの出張で,現地の気温を調べてみると晩秋の寒さ(最低気温2~3℃,最高気温15℃程度)ということがわかったので,薄手のユニクロのポケッタブルパーカだけでは急に不安になって,どうしようかと考えた。そこで出発の前日,結局購入したのがユニクロのブロックテックパーカだった。価格は7,000円程度。それでいて撥水・防風なのだという。ユニクロらしくロゴもないシンプルなデザイン。かっこいいとはあまり言えないとは思ったけれど,今回はとにかく見た目より実用性である。

着てみるとまずその軽さに驚く。アウターにおいても軽さは正義なのだと気づいた。防風も十分そうだし,防水性も高そう。そしてなにより価格が価格なので,気兼ねなく着ることができるのが良い。新幹線の中でも空港でも,そしてナッシュビルの街でも,Tシャツやジャケットの上に羽織って,期待に十分応えてくれた。こんな機能性が高いアウターが7,000円程度で購入できるなんて,私が学生時代,バブルの頃には考えられなかった。あのころ,なにもかもが高かった(そして丸井のカードをみな使っていた(私は使っていなかったけれど))。それに比べて現在はなんて値段に対してクオリティが高くなったのだろう。コスパ最高である。少し感動した。

ナッシュビルから帰国して,すっかり晩秋となった長岡でもこのパーカは大活躍である。邪魔になったらクルクルと巻いてバックパックに詰めれば済む。こんなに便利だとは思わなかった。何処かへ失踪したColumbiaのパーカはこれからも探し続けるけど,ユニクロのパーカはこれからも重用しそうである。

ナッシュビルの名所のJohn Seigenthaler Pedestrian Bridgeの入口でパーカを着て。

歩行者専用の橋として名所となっている。なぜか鉄塔と一緒に写真を撮る


2023年11月19日日曜日

音楽の街「ナッシュビル」に流れていたのはカントリー・ミュージックではなくロックだった

 ECCE2023@Nashvilleに参加するということで,10/29-11/4まで米国出張だった。ナッシュビルに到着した日,気温は25℃を超えていた。昼過ぎにホテルに着いたのだけれどチェックイン可能時刻まで時間があったので,同行の学生1名とともに活気にあふれる音楽の街を歩く。

すでに気温が11月くらいのレベルまで下がっていた長岡から来た私たちには,この夏のような天気は少し堪えた。冬服の私たちと違って街行く人はTシャツに短パン。汗をダラダラかいて歩く私には彼らの姿が本当に羨ましく見えた。街のスタジアムでは地元のアメフトチームの試合もあったようで,試合終わりの観客たちもそぞろ街に繰り出して来たようだ。

アメフトの試合が行われていた日産のスタジアム

ナッシュビルは音楽の街ということで,メインストリートに並んでいるどの飲食店にも通りからのぞくことがでいるステージが店内に設置されていて,そこでそれぞれバンドが演奏をしていた。窓は暑いためか「通り側」に開けっ放しで,いくつもの音楽がストリートに流れ出している。だいたいのステージは通りに背をむけてバンドが演奏するようになっているので,手前はドラムかベースのおじさんの背中である。

ナッシュビルというので演奏されている音楽はカントリー・ミュージックかと思ったのだけれど,あちらこちらから聞こえてくる曲はほとんどはロックで,店によってはニルバーナのようなグランジを演奏しているところもあったし,80年代のポップスというところもあった。おかげで知っている曲ばかりだったけれど,逆に新しいヒットソングはほとんど耳にしなかった。曲目は街行く人の年齢層にあわせているのかもしれない。

翌日からナッシュビルの気温は,下がりに下がり,期間中,朝の最低温度が氷点下になった日もあった。街の活気も温度とともにひいていってしまったようだった。月曜日以降のダウンタウンは単なる平日の夜の盛り上がりという感じでずいぶん寂しい街になっていた。音楽は相変わらず聞こえるけれど,気温が下がったのか窓も閉められていて,たぶん音量は10dbは下がっていたに違いない。

月曜日の夜のダウンタウン。少し盛り上がりに欠ける。

今回の出張はハロウィーンナイト(10/31の夜)を含むものだったので,アメリカで過ごす仮装パーティーの夜を楽しみにしていたのだけれど,ナッシュビルではどうも10/28の土曜日に済ませてしまったいたようで,当日は残念ながらなにもなかった。映画「ET」ばりの仮装行列を楽しみにしていたのだけれど...(ホラー映画「ハロウィーン」だったら嫌だけど)

ナッシュビルの夕景




2023年11月18日土曜日

すべて忘れてしまうから

 「すべて忘れてしまうから」というTVドラマを観ている。主演は阿部寛。作家の主人公の彼女(尾野真千子)がある日突然いなくなってしまう。そんなことから始まる物語である。彼女がいなくなって,彼女に対する気持ちだけでなく,自分のことがわかりはじめるのが面白い。阿部寛の情けない男の演技も魅力的だけれど,出演者もちょっと癖のある人ばかりで,ついつい観てしまう番組なのである。

物語には彼女の失踪話を中心にしていろいろなエピソードがちりばめられているのだけれど,それらがいちいち絶妙な話なのである。「絶妙」というのは,日常の範囲を超えるような話ではないけれど,それでいて心が1ミリだけ動くようなちょっとした出来事であって,大きな感動などでは全然ないところがミソである。

しばらくして,このドラマには原作があることを知ってさらに驚いた。なぜなら,話があってないようなドラマだから。どうも原作は「燃え殻」という作者の同名のエッセイ集らしくて,そのエッセイで紹介されているエピソードを脚色してドラマに取り入れているらしいことがわかると,そのエッセイが読みたくなって,とうとう購入してしまった。

「燃え殻」という人は,遅咲きの作家で,日ごろはどうもTV製作の下請けの仕事をしているらしく,小説は5年ほど前に処女作を出している。エッセイ集はSPAなどに連載しているものをまとめたもので,そのひとつが「すべて忘れてしまうから」ということになる。

エッセイ集にある各エピソードは3~4ページほどなのだけれど,やはりどれも絶妙なところを突いている。ちょっとだけ心に引っかき傷をつけるような話ばかりである。どう傷つけるかと言われるとそこが説明が難しくて,こればかりは読んでもらうしかないのだけれど,作者は自分と同じように(そしてみんなと同じように),心を傷付けながら生きてきた人なのだとは理解できる。

多くの人が日々いろいろな出来事に傷ついて生きているわけで,それらをいちいち記憶にとどめていたらとてもやっていけない。しかし,この作者はそんな生活の中で忘れ去られている小さな出来事を丁寧に拾い上げて作品の中にとどめている。だから読むと心が少しだけ動くのだろう。

TVドラマの方は,彼女探しの経糸の物語があってその結末が楽しみなのだけれど,一方で原作のエピソードがどのようにに紹介されていくのかも楽しみなのである。

そして今回は珍しく本を購入して読み終えることができそうである(実はまだ最後まで読んでいない)。

2023年11月12日日曜日

羽田ーオヘア(シカゴ)間往復で,8本の映画を観た

 私は海外旅行の長時間のフライトでは,ずっと映画を観るのが常である(サンノゼローリーノックスビルなどの出張時の映画鑑賞メモ)。それは,時差ボケを避けるためでもあり,私の映画鑑賞趣味のためでもあるのだけれど,最近は映画はオンデマンド方式で観ることが普通になっているので,非常に有り難い。

最近では,ベトナム ホーチミン,米国 ナッシュビルにそれぞれ出張に出かけたので,長時間のフライト中,結構映画を観た。ナッシュビルについては,羽田ーオヘア間で観たというのが正確。感想は忘れないようにとXでポストしたのだけれど,備忘のためにここにまとめておく(ポストのコピーです。あしからず)。

【ホーチミン出張時】

1.「ジョン・ウィック:コンセクエンス

飛行機内小画面で我慢できず「ジョン・ウィック:コンセクエンス」を見てしまう。作品はもはやファンタジーを超えてコメディになっている。いかに復讐を成し遂げるか,いかに生き残るか,どんな裏社会設定になっているかなどがテーマになっていて,当初のジョンの幸せ,孤独はテーマではなくなっている

2.「007カジノ・ロワイヤル

「007カジノ・ロワイヤル」を観る。D.クレイグがシリーズの人気を決定づけた傑作。若々しい彼の魅力が満載。E.グリーンの色気と悲劇性も素晴らしいけど,M.ミケルセンという魅力ある悪役が映画を成立させている。しかし,どの出演者も魅力的。私が007ファンになったきっかけの映画。星5つ!

3.「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」CGで80歳のハリソン・フォードを若くしているのは気にならなかったけれど,どうも内容が「同窓会」のノリである。これまでのシリーズのネタを今回はこのような味付けにしましたよ,という監督の考えがここかしこに出ている。それがちょっとtoo much。星3つ。

【ナッシュビル出張時】

1.「ジェイソン・ボーン

シリーズ4作目「ジェイソンボーン」の見どころは、年老いた肉体で戦うマットデーモン。ボーンの孤独などの要素は薄まっている。トミーリージョーンズがもっと悪役であって欲しかった。星3つ。

2.「The Batman

「The Batman」R.パティンソンに代わってから主人公の繊細さがずっと感じられるようになった。やはり正義と暴力の相剋のテーマも良い。そしてとにかくスタイリッシュ。星5つ。

3.「リボルバー・リリー

「リボルバーリリー」ちょっと緩慢なアクション映画。綾瀬はるかの美しさと長谷川博己のかっこよさが印象的。助けた男子の行動がステレオタイプな思慮不足で腹が立つ。清水尋也が思いがけず良かった。シシドカフカも相変わらず美しい。星3つ。

4.「コントラクター

「コントラクター」クリス・パインが好きなので観た。主人公は雇い主に裏切られ必死の生還を果たすのだけれど、あまりにも周囲が死に過ぎて楽しめなかった。ただ生々しさは感じられる。星2つ。

5.「ソー:ラブ&サンダー

「ソー:ラブ&サンダー」このシリーズの突き抜けた明るさが大好き。今回はヒロインが辛い目にあうけれどそれでさえ暗くなりすぎない、笑い満載の神様映画。第五弾もあること間違い無さそう。ソーにはずっと頑張って欲しい。私は大好きだけど一部の人向けなのかも。星3つ。

6.「SHERLOCK ピンクの研究

着陸まで2時間なかったので「SHERLOCK ピンクの研究」(第1話)を観た。今や大スターのB.カンバーバッチ,M.フリーマンがまだ若い。やっぱり面白いなぁ。私を大ファンにさせた初回。スマホを駆使して鮮やかな推理をする。そして変人。こんな魅力的なホームズ像を想像した作家がすごい。星5つ。

7.「シャーロック・ホームズ

ガイリッチーの「シャーロックホームズ」。スタイリッシュな映像で描かれるアクション映画。R.ダウニーJr.とJ.ロウが若々しい殺陣に挑戦している。ダウニーJr.は詠春拳を披露。お金をかけた冒険活劇。モリアティーとアイリーンのその後が気になる(2作目も観たけど)。単純に楽しめるので星4つ。

8.「キングスマン・ゴールデンサークル

「キングスマンゴールデンサークル」バカバカしいスパイ映画だけれど,お下劣な中にも社会批判を忘れないのがいい。残酷でちょっと観るのがつらいシーンもあるけれど,これこそ日常を忘れて楽しめるアクション映画。本人役で出ているエルトン・ジョンの扱われ方が本当にひどくて笑ってしまう。星4つ。

2023年11月11日土曜日

ナッシュビルから帰国した夜,私のスーツケースは壊れていた

 パワーエレクトロニクスに関する国際学会ECCE2023に参加し11/4の夜に帰国した。今回もハードな出張だった。

羽田空港の荷物受取場所にて預けていたスーツケースを受け取ってみると,キャスターのひとつが壊れていた。キャスターの接続部がスーツケースのカバーを突き抜けて割れていた。ケースを引っ張るとキャスターがひっかかって,残念ながらもうケースを引っ張って歩くことはできないようだった。翌日,この重たいスーツケースを引きずってジャパンモビリティショーに行く予定だったので,これはたいへん困る破損だった。

正直「またか」と思う。これまでの海外旅行の経験で何度かケースは壊れている。これで壊れるのは何度目だろう…全然慌てない。まぁバッゲージロストの回数の方がずっと多いし。ただ,そういえばロストはこの10年は経験していないから,航空業界のシステムは随分改善されたのだろう。

さて,一緒に帰国した学生を先に帰し,私は航空会社の人に交渉を始めた。このときすでに21:45過ぎ。これから長い夜が始まる。でも対応した航空会社の人が丁寧でとても助かった。それでも,どのような対応になるかが定まるまでに30分程度はかかって,結局1つ代わりにスーツケースを貸していただけることになった。

私のスーツケースの選択基準は,(1) とにかく軽いこと,(2) キャスターがなめらかで静音であること,(3) ハンドルのガタツキが少ないこと,である。壊れたのはフレームタイプだったのだけれど,貸し出されたスーツケースもフレームタイプ,私が使っていたイオン製のものとそうそう変わらないクオリティのものだった(スーツケースは長く使うより,そこそこな期間で買い替える方針に最近はなっている)。もちろん,鍵もついているので文句の一つもない。

ただひとつ嫌だったのは,空港の待合場所でケースの中身を移し替えろと言われたこと。一週間の海外旅行帰りのケースの中身なんてひどい状態に決まっている!それを対応の女性と待合の人たちの前で開くなんて!とはいえ,一応下着等も整理して入れていたのですぐに移し替えたのだけれど,ちょっと配慮が欲しかった...(因みに荷物整理には無印良品の仕分け袋を愛用していて,たいへん便利。整理していて助かった)

23:00頃,ようやく手続き終了。航空会社の人にお礼を言ってホテルに向かう。さすがに十数時間のフライト後のこの対応はきつかった。翌日,寝坊してホテルの人に起こされた。やれやれ。

スーツケースは1ヶ月程度で修理されて戻ってくるらしい。壊れ方がひどかったので,どんな形で戻ってくるのか不安ではある。修理という対応は航空会社の規定なのだろうけど,もっと別の対応もあるのではないかとは思った。

#壊れたのが見つかったのが国内で良かった。これが海外だとほんと,大変なのだ。


壊れた箇所。キャスター取り付け部分がケース内にめり込んでいる

2023年10月29日日曜日

ホーチミン市工科大学訪問(2)ベトナムに活気がある理由

 ベトナム ホーチミンを訪問して,その活気に元気をもらってきた。

まず街に勢いがある。交通状態はひどいけれど,街は活気づいている。みな良い未来を信じているように活動している。日本では昭和の高度成長期にみたような,そんな活力が感じられる。

今回の訪問であちらこちらで聞いたのは,ベトナムという国のすごさ,おかしさ,である。ある日から突然,法令が執行されて厳しく罰せられたり,また一方でよく決まっていない部分が残されていたりで,日本側の人たちは(もちろんベトナムの人たちも)その対応に右往左往させられるのだけれど,ベトナムの人たちは「そういうことがあるのも仕方ない」と半分あきらめて,でも半分はちゃんと対応しているのがすごいと思った。

そこで私は思ったのだけれど,ベトナムに活気があるのはそんな法令的にも制度的にもグレーな部分が存在しているからではないか,ということである。国が成熟して,法令・制度が固まってくると,リスクを取る必要がなくなり,安心な未来が見通せるようになる。しかし,それでは人間の荒々しい勢いと活力が減少するという結果を産んでいるのではないかと思うのである。

ベトナムでは交通ルールは相変わらずひどいし,街も汚かったりする。制度的にも抜け穴が一杯あるときく。しかし,だからこそ成功への可能性がまだあちらこちらに残っている。だからみんな夢見ることができるのだろう。これが社会構造が固まってしまって,人間がその「生まれ」によってその将来がだいたい決まってしまう,という日本のようになってしまったらどうだろう。この荒々しい活力は火が消えるように収束してしまうのではないだろうか...

人間というのは,清潔で安定な環境を好むけれど,一方でそうした環境を壊したいという破壊本能もどこかに持っているのだと私は思っている。だから冒険に憧れる人もいる。その衝動をうまく社会を回すことに使えなければ,社会のどこかで鬱屈とした悪事がはびこるか,あるいはどこかで革命,戦争が起こるかしてしまうのではないかと思う。

そのような人間の本能をうまくコントロールすることができた社会こそ,持続可能になるのではないかと思う。ベトナムくらいにグレーな世界こそ,人間が最もイキイキできるのではないかと思うのである。

ベトナムでセカンドライフを楽しもうとする人もいると聞いた。その理由もわかるような気がする。日本のように老化し衰退していく街に済むより,少しぐらいグレーでも活力のある街で余生を楽しく,元気に過ごす方がずっと人間的な最期を迎えられそうな気がするのだ。

2023年10月28日土曜日

ホーチミン市工科大学訪問(1)ベトナムは着実に発展している

 私が努めている長岡技術科学大学と交流関係が深いホーチミン市工科大学を,19日(木),20日(金)に訪問してきた。18日の夜にホーチミン市の空港に到着。翌日朝7:30からホーチミン市工科大学で開催されていた電気関係の国際会議ISEEに参加し(私は特に発表もなかったのだけれど),その後先方の大学の電気関係のDeanや国際交流関係の部署の方々と打ち合わせし,その後,現地の企業なども訪問し,金曜日の23時近くに日本に向けて出発するフライトで帰国する弾丸ツアーであった。

とはいえ,私はベトナム関係の学事を主として担当されている先生に同行する形であちらこちらについて行っただけなのだけど。主担当の先生は,そのあちらこちらで交渉をしてくださっていて,私は笑顔で相槌を打つか,ときどき「えっ」という顔をしてこちらが不満をもっている雰囲気を伝えるだけの役割だった。すみません。だけど,ちょっと疲れた。

さて,ベトナムを訪れるのは3年ほど前にハノイ工科大学を訪問して以来の2回めである。ホーチミンはもちろん初めて。帰国の日に初めて,ホーチミンはサイゴンだったのだと知った。そうなのか!私が観た「ミス・サイゴン」はこの町が舞台だったのか!と思うだけで感激した(感激したのは最終日の昼だったけれど)。いつか観光もしてみたい。。。

さて,ハノイと変わらずホーチミンも交通の混雑状態がひどい。街のあちらこちらでクラクションが鳴らされているし,バイクは交差点においては歩道に乗り上げて信号待ちをするくらいである。特にバイクは歩行者スレスレを走っていたりして,私はビクビクしながらホテルから大学までの道筋を歩いた。

しかし,街がハノイではなくホーチミンと違うこともあるのかもしれないけれど,2020年にベトナムを訪問したときよりも街がずいぶんと洗練されていることがはっきりと感じられた。また街を走っている車もずいぶんと高級車が増えている。つまりはベトナムの発展が,このホーチミンという都市でははっきりと現れているということである。遠くをみれば,高層ビルが立ち並ぶ区画もあり,そこでスタバなどを楽しむ学生たちも裕福そうで,日本で貧乏学生ばかりを見ている私からは,ホーチミンの学生たちの方が学生生活をエンジョイしているように思えた。

もちろん,貧困の差ははっきりあるのだろうし,私が見た人たちは一部の裕福な層であることは間違いなのだけれど,街を行き来する人たちのグレードも確実に上がっているような気がした。みなさん,小綺麗な格好をしていて,前回ハノイを訪問したときに見かけた,日本の古い昭和のファッションをしているような人たちが見かけられなかったのである。あちらCOACHやNIKEなどのブランドショップもあったし。

あぁ,活気がある国っていいなぁ,としみじみ思ったのである。

2023年10月22日日曜日

中部電力MIRAI TOWERの展示オブジェに興奮する

 今年は名古屋に3度も足を運んだのだけれど,学生たちと一緒にテレビ塔を観にいったのは楽しく良い思い出である。

ライトアップされたタワー
昔はこの栄のタワーは「名古屋テレビ塔」と呼ばれていたかと思うのだけれど,いつのまにか「中部電力MIRAI TOWER」という名称になっていた。それに伴い,内部もきれいに改装されていて,おしゃれなデートスポットとなっている。私も学生たちと訪問してかなり盛り上がった。しかし,それはおしゃれな内装や有料で登ることを諦めた展望台からの景色のためではなかった。

タワーの入り口に入るとコンパニオンの女性の方が声をかけてくれる。「展望台はこちらです」。しかし,私達は軽く会釈をするかしないかで,すぐに入って右側にある展示物に釘付けとなった。そこには,古い電気設備がオブジェとして飾ってあるのだ。


タワーの銘板?
支持がいし,分電盤のあと,そしてナイフスイッチとヒューズ。どれも電力心に突き刺さる。また非常口などの文字のフォントも昔ながらでカッコいい。実際に使われていた状態で展示されているのを見るのは初めてだ。学生たちも,コンパニオンさんそっちのけで興奮して見ている。あぁ,喜んで良いのか,悪いのか。彼らは電力工学研究室の学生たちなのだ。

このあと無料で上がれる展望台までは登ったけれど,結局一番盛り上がったのは,1階に展示されている電力関係のオブジェたちだった。私達の他,誰がこれらのオブジェで盛り上がるのだろうか,と思いつつ,これを展示したセンスに感服。もっとレアなものを展示してほしい。



分電盤のあと

カッコいい昔の文字フォント

ヒューズ群

今とは異なるフォントの赤文字が部屋に入ってはいけないことを主張している





2023年10月21日土曜日

ハロウィーンといえばThe Nightmare before Christmasではないのか

10月31日といえば,ハロウィーンである。 

学生とハロウィーンについて雑談していて,ハロウィーンといえば映画「ET」が思い出されるなどと話していたのだけれど,私が"The Nightmare before Christmas"と言っても誰もピンと来ていないのを見て少しショックを受けた。

(まぁ,ハロウィーンといえば普通ホラー映画の「ハロウィーン」シリーズを思い浮かべる人が多いのだろうけど)

ネットで調べて,ガイコツ姿のジャックの姿を見て初めてそれが私の言った映画の主人公だと理解してもらったのだけれど,あれだけ有名だったはずの映画が今の若者には認識されていないということに少し傷ついた。

"The Nightmare before Christmas"は,ティム・バートン監督のストップモーションのようなCGのようなアニメーション映画で,主人公のジャックの姿をみれば今でもあちらこちらにキャラクター商品が売られているから,あぁ,あのキャラクターか,と思ってくれる人も多いことは多いのだけど。

しかし,ネットで調べると公開は1993年だというから,今の学生が知らないのも無理はない。私は当時この映画を観て興奮し,「ティム・バートンすげぇぜ!」などと言っていたのだった。当然,同じような3Dアニメの"Tim Burton's Corpse Bride"も観ている(2005年公開らしい)。

登場人物のデザイン,映画のどこか懐かしくて気味の悪い背景,そしてサンタクロースを誘拐し自分たちでクリスマスを祝うという素晴らしいストーリー。どれをとってもハロウィーンに観るべき映画だと思う(と,自信を持ってこの文章を書いていたのだけれど,実はこの映画はクリスマス映画なのではないか?との疑問が...)。

主人公ジャックのあの異常に長い手足。ヒロイン サリーの口裂け女具合,そして市長の円錐形の体格など,キャラクターデザインが本当に素晴らしい。だから今でもグッズが売れている。そして,ジャックはパンプキン・キングのジャックなのだ(つまりハロウィーンのジャック・オー・ランタン)!この映画はミュージカルなので彼は歌って踊る!このシーンがまたよくできている。音楽はダニー・エルフマン。オープニングからして間違いがない。

この映画を観ないで育った子供なんているのだろうか,と思うくらい私は,この映画はディズニーかジブリか,くらいのメジャー映画のような認識でいたのだけれど,実際は全く違った。そこで私はここに言う。この映画を観ずして,ハロウィーンやクリスマスを迎えるべからず,と

この映画は,今はディズニー・チャンネルあたりで観ることができるらしい。家族でぜひぜひ観てほしい映画である。

#パンプキン・キングといえば,コミック「ピーナッツ」で,ライナスが(私はチャーリー・ブラウンだと思い違いをしていた),「かぼちゃ大王」を信じていた,というスヌーピーの場面を思い出すのだけれど,こちらの方も話していた学生は誰も知らなかった...

2023年10月15日日曜日

パリピ孔明で「サヨナラCOLOR」を聞く

 TVドラマ「パリピ孔明」を観ているのだけれど,このジジイの心にいちいち刺さる場面があって面白い。

まぁ,もともと三国志は大好きで,人形劇(NHK)も小説(吉川英治版)も,そして漫画(横山光輝)もしっかり目を通してきたのだけれど,アニメと漫画を読んで「パリピ孔明」の面白さを知り,今期始まったTVドラマは期待通り以上だった。

でも今回はまた劇中で歌われた歌の話。ヒロインの月見英子を演じる上白石萌歌が「サヨナラCOLOR」を歌った。また私はなんの歌だったのか思い出せずにいたのだけれど,サビにはいって,そうだ「サヨナラCOLOR」だと思いだした。私が大好きな歌だ。

私が初めてこの曲を聴いたのはSUPER BUTTER DOGのオリジナルではなくて,ハナレグミが忌野清志郎と一緒にうたっていたバージョン。もう10年以上は前だろう。ラジオで紹介されていてその切なさに耳を傾けた。ひさしぶりにこんなシンプルな曲に心を動かされたと思った。良かったなぁ。もちろん今も良いけど。

今回のTVドラマ版「パリピ孔明」の選曲はちょっと心に刺さる。たぶんその年代の人が演出しているのだろう。

2023年10月14日土曜日

広くなった額を見て,今後のことを思う

 小学生の頃,私の眉毛と前髪の生え際の間はひどく狭かった。昔から額の広い人は賢いと言われていたので,残念ながら私の家族はがっかりしていた。

しかし今はどうだろう。老いのために前髪の生え際はすっかり後退して額は十分に広くなり,前髪も薄く,そして髪の毛も細くなってきてしまった。なんとも仕方ない。

すっかり身体もジジイになり鬢の白髪も目立つようになってきた。筋肉も全然つかなくなった。この後の人生をいかような肉体で暮らせばよいのか。そうしたことに真剣に向き合わなければならないトシになった。

2023年10月9日月曜日

私が髪を短くする理由

 先週床屋に行って髪を短くしてきた。私は結構髪の長さを短くする。横は刈り上げなので,少しイカツイ感じになる。もともと人相も悪いので,ちょっと怖い印象になる。

なぜそこまで髪を短髪にするかというと,もちろん実戦の際に敵に私の髪を掴まれないためである。髪を掴むことは通常の格闘技のルールでは反則になっていて,反則ということは実戦では有効であるということの裏返しである。髪を掴まれるとその手を外すのは結構やっかいで,掴まれた方としてはなかなかのピンチとなる。なので,軍隊やその手の人たちは短髪が多い(それだけが理由ではないけれど)。私もそのために短髪にしている。

それが理由というのはもちろんウソで,本当は床屋代をケチっているからである。短くすれば床屋に通う間隔を長くできるので,年間を通すと散髪代を節約できる。床屋もなかなかの費用だから(とはいえ,美容室で髪を切るより安価だけど),私にとっては大事なことなのである。

そして,頭の横を短く刈るのは最近その部分の白髪が目立つからである。こめかみからもみあげへと目立つ白髪は,杜甫の漢詩「春望」に詠まれるくらい,そう「霜鬢」と呼ばれるくらい老人の象徴であるので,私の老け具合もとりわけきわだつことになる。そのために左右を刈り上げて白髪を短くするのである。

始まりが短髪なため,髪が伸びてくると頭の脇の部分の髪が横に突き出しはじめて,これまた老人の髪形になるのが悩みごとである。これが目立つ前に髪を切ることができればよいのだが,そうはいかないのが財布事情。あぁ,トム・クルーズかダニエル・クレイグの髪形に整えられるのはいつのことだろうか...

いつか白髪を染めなければならない日がくるかもしれない(まぁ,髪が残っていたならば,ということだけれど)。そのとき,どんな髪型が私に似合うのだろう。

2023年10月7日土曜日

原田真二「タイム・トラベル」を「パリピ孔明」で聞く

「パリピ孔明」という作品が面白くて,アニメやマンガを読んでいたのだけれど(マンガは途中まで),今期,TVドラマになるというので第1回目を観てみた。 

私は向井理が好きで彼の清潔さに惹かれているのだけれど,今回は孔明を聡明そうに演じていて期待を裏切らない。コメディなのだけれど,しっかり真面目に演じているところがいい。ヒロインの月見英子を演じるのは上白石萌歌。彼女は歌も上手なので歌手である英子を演じるのはちょうどよい配役と感じた。今後も期待して観てみようと思っている。

で,今回の話題はそのドラマ中で,上白石萌歌演じるEIKOが歌った曲である。聞き始めてすぐに以前どこかで聞いた曲だとわかったのだけれど,それが何で,どんなタイトルだったのか,しばらく思い出せなかった。サビが近づいてきてようやく思い出した。

原田真二の「タイム・トラベル」

だった。私が小学校の高学年くらいだったころだろうか,ピアノを弾きながらカーリーヘア(?)の彼がテレビで歌うのをみたことを覚えている。彼の甘い声はとても特徴的で,かつ彼が作る曲は口ずさみやすくて記憶に残るものだった。とはいっても,私が知っている彼の曲は,この「タイム・トラベル」と「キャンディ」,そしてデビュー曲「てぃーんずぶるーす」の3曲くらいしかないのだけれど。でも,それでもこの3曲だけでも彼が才能に溢れていることが今聞いても十分にわかる。素晴らしいと思う。40年以上前にもこうした才能が日本ポップス界にいたのだとあらためて思う。知らない人はぜひ彼の曲を聞いてほしい。

劇中,EIKOは「Stay with me」(松原みき)も歌っていた。うーん,「タイム・トラベル」と「Stay with me」か。この選曲のセンスはどうしたものか,とは思う。

#このドラマで一番マンガやアニメにそっくりなのは,クラブのオーナーの小林を演じる森山未來であるような気がする。彼はいつもこちらの予想を超えてくる。

2023年10月1日日曜日

ジジイのからだになる

 ホテルに宿泊した際に,大きな鏡に自分の上半身の裸を映した姿を見た。

「あー,ジジイのからだだ」

とため息をついた。身体は老いを隠せない。

筋肉量が減っているのは一目でわかるし,腹もダルマのような洋梨の形がはっきりしている。そしてなによりがっかりしたのは首から僧帽筋,そして鎖骨へとつながる部分の骨骨しさ。肉が落ちて,骨とスジが目立つようになっている。まさに老人の身体だ。

筋肉量は,年を取ってからでも多少なりとはカバーできる。しかし,首筋などの肉(脂肪?)の落ち方はどうしようもない。女性などでも同じだけれど,年をとると首筋が目立つようになってしまう。

私の場合,首筋の肉はみな下腹に落ちてきたようで,ダルマ腹が醜く目立つようになっている。昔の写真をでもそのような体つきの老武道家をみることが多いのだけど,私はそうした体つきになるのが嫌で嫌でしょうがなかったのに...見事になってしまった。悲しい。

首筋だけでなく,手の甲も老いを感じさせる部分である。私の手の甲はまだ肉がついている方だとは思うのだけれど,女性などは如実にそこに老いが現れる。ここも今後どんどんスジばっていくのだろう。

身体のそこらかしこに老いを感じる。スタミナ,力,などは当然だけれど,見た目もどんどん変わっている。かっこよく年をとることって,なんて難しいのだろう...

2023年9月30日土曜日

禁断のホラーミステリー 怪異TV

 オカルトが好きな私は昔からいろいろと恐怖・不思議系TV番組を観ている。たとえば,新倉イワオの「あなたの知らない世界」(ワイドショーの特集)とか,深夜の心霊取材番組とか,昔はインターネットなどなかったから,紹介される話により信憑性を感じて,深夜寝る前にドキドキするのが好きだった。

そんなオカルトマニアの私だけれど,これまでのオカルト番組とは違って,「おっ」と思うTV番組があった。それが,

「禁断のホラーミステリー 怪異TV」(NHK BS,山中崇 出演,2015)(全3回)

である。これは怪談話を再現ドラマ化したものとは違い,「幽霊画」や「呪い」などの対象に対し,架空の番組である「怪異TV」のレポーター役である山中崇を中心にスタッフが専門家や大学教授にインタビューなどをしてその背景を深掘りするというテイで進められる,ホラーミステリーのフィクションとドキュメンタリーをミックスした日本では珍しいテイストの番組であった。

私の記憶ももはや曖昧なのだけれど,番組は民俗学の専門家に真面目な取材をし,「不思議な現象」の真相についてよりも,その文化的・歴史的な背景を深掘りするという,ある意味学術的な番組だったように覚えている。だから怖さよりも知的好奇心によって惹きつけられる番組だった。

山中崇は変わらずいい味をだした演技をしていて,真面目そうなレポーターを好演している。半信半疑で,でも誠実に取材を進めていく感じがよかった。

こうした心霊現象自体よりも,その文化的背景,歴史的背景を探る番組こそ私の興味をそそるものだ。別にエンターテイメント化した恐怖に魅力を感じているわけではない。幽霊画や呪いなどの背後にうごめく人間の暗い部分にこそ,オカルトの意味が存在しているのではないかと思うのである。

しかし,どうも評判は悪かったのか,その後続編はつくられていない。こんなオカルト好奇心を満足する番組,他にはなかったのに...

2023年9月23日土曜日

呪術廻戦でオカルトが流行ってほしい

 アニメや漫画の影響で特定のスポーツが流行るという話はよく聞く。

一昔前は「巨人の星」,「ドカベン」で野球が流行り,その後「スラムダンク」でバスケットボールが流行った。「キャプテン翼」に至っては,世界的な影響を及ぼし,少し前だと(今もそうかもしれないが)世界的に活躍しているサッカープレーヤーが「キャプ翼」に影響を受けたと語っている。

スポーツアニメはこうしてファンを増やし,この国のスポーツを支えている。「あしたのジョー」,「はじめの一歩」でボクシング(「リングにかけろ」の影響とはあまり聞かないけど),「アタックNo.1」で女子バレー(これはバレー人気が先立ったかも),「プロゴルファー猿」でゴルフと枚挙にいとまがない。

スポーツでなくとも,将棋や碁,麻雀だって漫画の影響を受けた人は多いだろう。職業だってそうである。キムタクがドラマで演じた職業は人気となっているから,漫画に限らないとも言えるだろう。

細かいところでいうと,日本における八極拳の人気の高さは「拳児」や「男闘呼組」という漫画だけでなく,ゲームである「ストリートファイター」の影響が大きいだろう。

ということで,「呪術廻戦」である。これで職業として「呪術師」は流行るのかと私は疑問に思うのだけれど,たぶんそんなことはない。(決して,「黒い呪術師」アブドラ・ザ・ブッチャーが流行ってほしいと言っているわけではない)。でも,オカルトブームが少しは盛り上がって欲しいと私は期待しているのである。

コンプライアンスをうるさくいうせいか,最近オカルト関係のテレビ番組が少なくなって面白くない。もっとグレーゾーンをせめるオカルト番組がほしいのだ。怪談でさえテレビではめっきり見なくなってしまった。超能力番組もない。そんなに世の中潔白である必要があるのだろうか。

呪術廻戦に興味をもつことによって,人間の文明創生と同時に誕生し古代から続く呪術を通して人間の闇について知ることは意外に大切なのではないかなぁ,と思う。人間の文化は,祈念,呪い,祓い,といったものから発生しているのだろうと思うから。また平安時代のような魑魅魍魎が跋扈する世界とまではいわないけれど,戦前のようにお化けが同居する世界の方が住みやすくはないだろうか。呪術廻戦のブームでもっとみんながオカルトに寛容になって欲しいと思う。

#「VIVANT」の人気で,「公安」や「別班」が流行ることはないのだろうけど...

2023年9月18日月曜日

ローストンカツはなぜ左が太く右が細いように盛り付けられるのか?

 私はトンカツが好物で,月に何度も食す(だから私は痩せない)。特にローストンカツが大好物で,サラっと油であげられたジューシーなローストンカツを塩で食べるのがたまらない。良いトンカツには塩がよく合うのである。

さて,このローストンカツを食べるにあたって,ずっと前から不思議に思っていたことがある。ローストンカツは左側に太い部分が配置され,右側に向かって細くなっていくように盛り付けられ提供される。この法則に従っていないローストンカツ定食はいままでに食べたことがない。これがなぜなのか,私はずっと不思議に思っているのである。

そこで思いついたのが,「このトンカツの形は,魚の形に似ている」ということ。そう,この「トンカツの向き問題」は,「魚はなぜ左向きで描かれるか問題」と根が一緒なのではないか,と思うのである。

なぜ魚は左向きで描かれることがほとんどなのか。この謎はNHKの「チコちゃんに叱られる」で取り上げられるほどの疑問であり,ネットで調べてみても,「人は右利きが多いから」,「日本文化では左上位だから」,「文章は横書きでは左から右に書くから」などと理由が解説されていることが多いのだけれど,はっきりとした理由はわかっていないようだ。

特に,「左を上位とする日本文化の影響」という理由については,私は納得できない。日本文化の影響を受けていない海外の図鑑や絵を見ても,やはり魚は左向きである。「文章の向き」が影響を与えているという理由も納得できない。アラビア語圏では右向きに魚を描く人の割合が多いといっても,5割程度らしい。日本だって,昔は縦書きで右から左に書き進めていたのだから,明治時代程度までは右向きに魚を描いていておかしくないのだけれど,そんなはっきりとした違いは無いようだ。たぶん右利きが多い人間の脳の働きの影響などの全人類に普遍的なことが理由なのではないかと私は思っている。実際,右利きの場合,手を動かす特性上,流線型は左から右に流れを考えた方が書きやすいし。

そしてローストンカツの向きも同じ理由なのではないだろうか。あの流線型のトンカツは魚が左向きに描かれるのと同じ理由で,脳のなんらかの働きによって左が太く,右が細くなるように盛り付けされるのではないかと思うのである。

くだらない話のように思うけど,ローストンカツの向きが逆に盛り付けられていたら,やっぱり違和感を感じてしまう。そこには実は深い理由があるような気がする。



#パワーエレクトロニクスの回路図においても,電源を右に描くか,左に描くか,迷ってしまう。電力では左にソース(発電機など),右にシンク(無限大母線)を描き,電力の向きは左から右であることが多い(電力の向きが逆に描いてある回路図には私は少し違和感を感じる)。

2023年9月16日土曜日

コーヒー,最初の一杯の最高のうまさ

 一日の最初に飲む一杯のコーヒーは,なぜあんなにうまいのだろう。

私はインスタントコーヒーで満足できるくらいコーヒーマニアでもなく(インスタントで十分!),まして自分でコーヒーを淹れるようなことは全く無い。そんな私でさえ,日々,一日の最初に飲むコーヒーの美味しさには感動する。それがコーヒー専門店で飲む一杯だったりするとさらにうまい。最高である。日々,高価な美味しい食べ物,飲み物をいただく贅沢はできないけれど,週末のコーヒーだけならば少しの贅沢で最高の幸せを味わえる。富裕でない人のささやかな楽しみである。

しかし,その日に飲むコーヒーの二杯目以降は一杯目ほどの美味しさをなぜか感じられないのだ。ビールの最初の一口と同じである。二杯目の味は最初の一杯の美味しさには到底及ばないのである。

週末,私はコーヒー専門店でハンドドリップコーヒーを飲み,このブログを書くことが多い。そのときに飲むコーヒーの味は最高である。私は苦くて酸味が強いコーヒーが特に好みなのだけれど,ガツンと脳みそにくる最初の一口は本当に美味しい。私は少しでもこの美味しさの新鮮味を逃さないために,コーヒーとともにお水をいただき,一杯のコーヒーを飲む間に何度か水を飲むことによって口の中をリフレッシュする工夫をしているのだけれど,それでもやはりコーヒーの美味しさは二口目から薄れていくような気がする。それが少し悲しい。

なぜこの最初の一杯がこんなにもうまいのか。似たような話は愛煙家から聞いたことがある。海外出張だと7~8時間,アメリカなどだと12時間以上も航空機に乗っていなければならない。もちろんその間は禁煙である。タバコは吸えない。あるとき愛煙家の同僚とヨーロッパ出張に出かけたのだけれど,途中の乗り換えのフランクフルト空港で,まるでなにかと競争をしているかのようにその同僚がタバコを何本も連続して吸っているのを見て呆れたことがある。彼は,「最初の一本が脳にガツンとくるんだよ」と目を細めて話していた。

そうすると,同じようにうまさを感じる私はすでにコーヒー中毒なのか?と疑いたくもなる。私はコーヒーはほぼ一日一杯しか飲まないのに。平日は,「違いのわかる」あのインスタントコーヒー一杯だけだし,週末はコーヒー専門店で飲む一杯だけである。それでもコーヒー中毒になってしまったのだろうか。でも,「脳にがツンとくるうまさ」の表現は共通しているような気がする...

しかし,たとえ中毒であってもいい。このコーヒーのうまさは日々の生活の中の捨てがたい,そしてささやかな幸福,小確幸なのだ。せめてそんな幸せがなければ日々やっていけないのだし。

#誰かの名言で,「美味しいと思って二度目に食べたピーチシャーベットの味は,最初に食べたときの味には及ばない」というものがあったような気がする。人間の特性なのだろう。




2023年9月10日日曜日

長岡城と稲荷神社の話

 先日のNHKの「ブラタモリ」は,長岡が訪問場所だった。長岡はなぜ花火の町になったのか,そしてなぜ市のマークが不死鳥なのか,それらがわかりやすく解説されていた。戊辰戦争,大空襲,そして中越地震と多くの困難を乗り越えてきたからこそ,不死鳥なのである。

さて,その中で長岡城跡に駅が建っているというのは全国的にも珍しい,という話が出てきた。長岡駅を出ると,城跡の碑が建っている。らしい…(私は未確認)。

長岡城は戊辰戦争のときに焼失してしまっているので,どのような城だったのか私はよくわからないのだけれど,その城は「苧引形兜城(おびきがたかぶとじょう)」と呼ばれていたらしい。ただ,その名前の由来については,民話・伝説で知っていた。

長岡城の築城責任者が,主君からよい城を築城しろと命じられて悩んでいたときに,ある雪が降った朝に狐を見つけた。その狐は長い「苧」の枝をくわえていたのだけれど,それを雪が降った地面にさして線を引き始めたという。それが城の区画を示していて,その築城責任者は狐が引いた線にしたがって設計図面を引いて築城したのだという。それで「苧引形」と呼ばれるようになったということである。(ちなみに兜城と呼ばれるのはその城の構えが兜のクワガタに似ていたかららしい)

ということで,城内にはその狐を祭る「稲荷神社」があり,今は市役所であるアオーレ長岡の敷地内にそれがある。

城内稲荷神社


#どうも全国的に城内では稲荷社があることが多いらしい


2023年9月9日土曜日

名古屋に三度足を運ぶ

 今年は名古屋に行くことが多かった。

電気学会の全国大会が3月に名古屋大学で開催され,8月には産業応用部門大会が名古屋工業大学で,そして9月には電力・エネルギー部門大会が愛知工業大学八草キャンパスで開催された。実は,基礎・材料・共通部門大会も愛知工業大学自由が丘キャンパスで開催されたのだけれど,こちらは私は参加していない。

なぜこんな事態になったのか理由や事情はしらないけれど,もう少し開催場所が散らばった方がいいな,とは正直思う。

でも学生は名古屋の魅力にすっかりはまっていたようである。まぁ,長岡の田舎から名古屋にいくと,そのきらびやかさに圧倒されるのもよくわかる。街並みがまずおしゃれだし,素敵なお店がいくつも目を惹く。みちゆく人のファッション,スタイルも長岡とも全然違う。学生が言っていたけれど,「長岡で育った人と名古屋で育った人は,性格が大きくちがうに違いない」。私もそう思う。

天候が人の気分や性格に大きな影響を及ぼすことは間違いない。進学のため新潟から東京に出て行ったときに私はそのことを実感した。冬に晴れが続くなんて想像もできなかったし,晴れが続くと新潟で毎日曇りや雨で沈みがちだった気分がうそのように晴れやかになる。やっぱり性格は変わる!と私もそのときに思った。

街行く人のファッションが田舎と違うことも素晴らしい。一生懸命オシャレしていることがわかる。長岡とはかなり違う。ファッションの楽しみ方が違うのだろう。「自分」を持っている人が多い気がする。

こうした街を経験すると,長岡を出て都会で就職しようとする学生が増えるのも仕方ないと思う。若いうちは刺激が欲しいものだし,人が多い方がいろんな人と出会える確率も高いし,いろんな経験ができるのは間違いないし。

たぶん名古屋も人口や予算で厳しいのだろうとは思うけれど,新潟県に比べればまだまだ勢いがある。私も住みたいなぁと思う街である。

いつの間にか名称がテレビ塔から中部電力ミライタワーになっていた


2023年9月2日土曜日

警部補ダイマジンの最終回は...

 テレビ番組「警部補ダイマジン」を今期観ていた。最終回を観て,がっかり。その前まではかなりハードボイルドな話だったのに,最終回はコメディだった。そして,解決までにはたどり着けないし,テレビの最終回とは別に「完全版」というものが存在し,それはまた異なる結末なのだという。ちょっとそれはひどいんじゃない?って正直思う。

前回までは,たしかにハードボイルドだった。主演の生田斗真が良い味を出していて,重くならないダークヒーローを好演していた。彼は芸達者だけれど,今回も新しい役どころが似合っていたように思えて,たいへん良かった。アクションもキレていたし,人を殺すにも躊躇がないところなんて,かっこよかった。

共演の向井理も私は大好きで,彼の清潔感が最大の魅力だと思っているのだけれど,正義とは言い切れない役を演じる上で,その清潔感によって役が救われていた。知的でずる賢くてスマート,そんな役にピッタリだった。

今回見直したのが土屋太鳳。たいへんに美人。シリアスな演技が魅力的で,コメディ作品に出演していたばかりの彼女を見ていた私にはとても新鮮だった。シシド・カフカもますます美人に磨きがかかっている。

さらに魅力的な脇役といえば,浜野謙太。「どうする家康」でも情けない織田信雄を好演していたけれど,今回も気の弱い主人公たちの同僚を演じていてポイントかなり高し。最後は殺されてしまったのだけれど,印象に残る良い死に方だった。

小澤征悦も安定の悪役ぶり(最近ずっと悪役ばかりのような気がする)だったけれど,その部下の殺し屋を演じた矢柴俊博の壊れ具合がとても素晴らしかった。彼は脇役には不可欠な素晴らしい役者だけれど,今回の役は役者冥利につきるのではないか。狂気の殺し屋がとても似合っていた。

といことで,その他にも高橋克典(最後のコメディはいただけなかった。最後までかっこよいほうが良かった)や松平健(すごく怪しかった),桐山漣,片岡鶴太郎なども脇を固めていて,キャスティングは良かったのだけれど...

どうしたの監督,三池崇史!また裏切られたよ。テレビの都合もあるのだろうけれど,もっともっとダークな終わり方でもよかったんではないの?と私は最終回をみて思ったのである。そして,完全版はテルサ(オンライン)で,というテレビ局の態度が許せない。そういえば,続きは映画で,と終わった仮面ライダーディケイドもこの局だっけ?

許せない!(菊池風磨風)

2023年8月27日日曜日

転職の魔王様の成田凌の魅力

 今期のTVドラマで「転職の魔王様」を観ている。主演は,小芝風花と成田凌。他にも,石田ゆり子,山口紗弥加などが出演していて,彼らが務める転職エイジェンシーの話。毎回依頼者に関わるヒューマンドラマに加え,エージェントとしての小芝風花の成長物語にもなっている

小芝風花の魅力はこのブログでも過去に取り上げていて,このドラマでもそれに間違いないのだけれど,今回は成田凌の魅力について。

今回のドラマでは,成田凌演じる,事故で片足が不自由になった転職エージェントの「清潔さ」が特に印象に残る。なぜそう思うかというと,その役柄が,番組宣伝のために情報番組やバラエティに出演している彼の印象とは大きく違うように思えるからである。どうも彼は,もっとだらしない,というか,ちゃらい,というか,それでいて憂いをもつようなろくでなし,それらが混じり合って魅力になっている俳優だと思っているのである。だから,NHK朝ドラ「おちょやん」で演じた,浮気をし主人公(杉咲花)を苦しめるようなどうしようもない男である旦那役がぴったりだと思っていたのである。そしてその期待通りの素晴らしい演技だった。

その彼が今回演じる小芝の先輩エージェントは,静かで,思慮深く,清潔感をもち,頼りがいがある男である。それが他の番組の彼を忘れさせるほど,素晴らしいのだ。いや,これが俳優というものなのだろう。彼の演技の振り幅にあらためて感心してしまう。

私としては,もっとピカレスクロマンのような,あるいは女をたらしこむような不道徳な役を彼に期待してしまうのだけれど,今後も変わらず清濁併せ呑む幅広い役に挑戦して欲しい。成田凌はその度に,「今度はどんな演技をするのだろう」と期待させてくれる,素晴らしい役者なのである。

2023年8月26日土曜日

最近,虹をよくみる

 この1年,明らかに虹を見ることが多くなった。街を歩いているとき,車を運転しているとき,ふと空を見ると虹を見つける。虹はあいかわらず美しいから,見つけたときは「おっ,虹だ」と口に出してうれしくなってしまう。そして,今日は運がいいかも,なんて思ってしまう。

先日などは運転中に,非常にはっきりとした虹を見た。はっきりすぎて「見つける」必要もない。それほど「完璧な」虹だった。半円を描く虹の脚がどこに降りているかもはっきりとわかるほどで,その場所にそのまま車を向かわせたいぐらいだった(もちろん,近くに行けば見えなくなるのだけど)。

新潟市万代橋から見つけた虹。わかりにくいけれど奥に写っている。

虹の出現頻度がこの1年で高くなったとは考えにくいから,私が虹を見つける頻度が高くなったのだろう。そして虹を見つける回数が増えたということは,私が「昼」に,「空を見上げる」頻度が高くなっているということなのだと思われる。(いや実際に,にわか雨,ゲリラ雨が増えたので本当に虹の出現頻度が高くなっているのかもしれないけど)

私のスケジュール的に,昼間,明るいうちに外出することが多くなっているのだろうか...あまりそんな感じはしないのだけれど,まぁ週末などに見つけることが多い気もする。

二重の虹。新潟大学近くにて。

一方,「空を見上げる」頻度はどうだろう。以前と比べても変わらないような気がするけれど,空を見上げる心の余裕ができたから,と言えたらどんなに幸せだろう。でも実際は,つらいから空を見上げる回数が増えているのかもしれない...

アニメ「トム・ソーヤーの冒険」のオープニングの歌詞にあるとおり,

そうさ,つらいときは,顔を空に向けろ。忘れた夢が見えるよ

ということで,つらいことが増えたから空を見る回数が増えたのだったら,虹を見る回数が増えたことも素直に喜べない。

2023年8月20日日曜日

VIVANTが面白い

 私は,テレビドラマを観るのが大好きなのだけれど,時間がなくて観るドラマの本数を減らさざるを得ない。悔しい限りである(とはいえ,時間ができたとしても観るドラマを増やすかどうかは疑問だ)。

今期は,「VIVANT」の他,「転職の魔王様」,「ダイマジン」,「湯遊ワンダーランド」,「呪術廻戦」を観ている(その他「どうする家康」,「雲霧仁左衛門5」も観ているが)。それぞれいつか話したいとは思うけれど,今回は,「VIVANT]について。

これはTBS日曜劇場の枠なのだけれど,日本ドラマにそうそう見かけない「冒険大活劇」である。モンゴルを始めとして国内も多くの箇所でロケをしているようで,砂漠の中の撮影,カーアクションなど,お金に糸目をつけずに制作していることが画面からよくわかる。

話も伏線につぐ伏線で考えさせられることは多く,その回収の展開に息をつかせず,少しも中だるみすることなく第5話を終えている。

出演している役者もすごくて,主役の堺雅人の他,ここまで主役級の活躍をしていた阿部寛(彼がいなければこのドラマはこんなに面白くなかったのは間違いない),ロケがたいへんだったろうと思う二階堂ふみ,そしてこれから活躍するであろう役所広司。その他にだって主役級の役者が揃っている。

なかでも私が好きなのは,松坂桃李。相変わらず雰囲気が「暗い」。しかし今回は堺と同じ側の工作員の役で,これが素晴らしくカッコいい。いい役だなぁ。第1~3話には出演しておらず,どうなることかと思ったけれど,さっそうと登場していて,今後も期待が持てる。

ということで,今後も謎解きも含め,警察と別班,そしてテロ組織との三つどもえの混戦模様で,毎週楽しみなドラマである。ところどころツッコミどころもあるけれど,そんなことは気にならないほど面白い。松坂桃李が最後まで生き残ってくれるとうれしい(なんだかんだ言って,私は彼のファンなのだ)。

#刀の鞘に乃木家の家紋(テントのマークと同じやつ)がついていたのだけれど,これがちょっとダサかった。せめて漆塗りっぽくしてほしかったな。。。

#他のドラマについても,感想をまとめたい。若村麻由美主演の「この素晴らしき世界」は残念ながら乗り遅れてしまった。若村麻由美は大好きなのだけれど...

2023年8月19日土曜日

湯遊ワンダーランドのともさかりえがすごい

 今期観ているドラマでとりわけ異色なものが「湯遊ワンダーランド」である。漫画をドラマ化したものらしいのだけれど,もともと話がヘンなのに加え,主演のともさかりえの演技が攻め過ぎている。私は毎週楽しみにしているのだけれど世間的にはあまり話題になっていないので,ぜひここで紹介したい。

ともさかりえ演ずる「きつこ」は冴えない漫画家。行き詰まった状況を打破するために,弟に勧められてサウナに行く。そこで「整う」体験をして以来,あちらこちらのサウナを巡って,そのたびに(おかしな)気づきをしていく物語である(?)。

とにかく世界観が不思議。シュール。そもそも第1回目にきつこがサウナに行くのも「松果体」を覚醒させるためだし,彼女の考える漫画のネタも「ハンバーガーから生まれた少女が自分の出自に向き合うマンガ」などと言っていて,全くヘンなのである。出てくる人たちも相当に変わっていて,サウナのヌシと呼ばれるおばさんや樋口日奈演じるコミュ障でエロの上級者のアシスタントなど,本当にいたら付き合うのがつらそうな人ばかり。

一番おかしくて怖いのがきつこの弟。きつこにサウナを紹介するなど姉思いかと思わせておいて,鋭い批判的な言葉を姉に投げつける。このドラマ内で笑うこともしないし,私にとっては一番怖い,底のしれない人物である。

そして,このシュールな番組を成立させているのが,ともさかりえの怪演である。ひとりごとのセリフが多いのだけれど,かなり目つきがおかしい。笑顔もおかしい。とにかくおかしい。ともさかりえの演技力が素晴らしい。でも近くにこのひとがいたらかなり怖い。

ともさかりえもそれなりの年齢になったし,確かお子さんもいらっしゃったはずである。相変わらず魅力的なのだけれど,今回はなにか吹っ切ってやっている感じもする。「金田一少年の事件簿」の頃の可憐な彼女が懐かしい。

全然話題になっていないので,ぜひ紹介したかった。新潟ではあいかわらず放映されていなさそうなので,Tverでぜひどうぞ。

#笑ったのが,きつこが好きなアーティスト「月野源」。これが微妙に「星野源」していて,その狙いどころが微妙すぎて悶絶した。

2023年8月16日水曜日

質量密度を感じさせる存在感ある肉体が欲しい

 配信ドラマ "Jack Reacher"で主役のJackを演じるアラン・リッチソンの肉体が素晴らしい。最近,彼の肉体に憧れている。

私は「北斗の拳」でもラオウのファンなのだけれど,それはとにかく剛拳を振るう肉体を持つからである。私は「鋼の肉体」が欲しいのである。

私の考える「鋼の肉体」というのは,単に筋肉がついていれば良いというものではない。まずは「遣える筋肉」ということである。やはり格闘技がベースであって動ける肉体が前提である。その点,ボディビルダーの筋肉はちょっとtoo muchな気がする。筋肉の「密度」が低い印象がある。この辺はあくまでも個人的な印象なのだけど。

たとえば肉体派俳優といえば,A. シュワルツェネッガーやD.ジョンソンを思い浮かべる人も多いと思うけれど,私の印象ではちょっとA.リッチソンの肉体に比べて筋肉の「密度」が低いような気がする。

そして「鋼の肉体」というのは,鈍重な「鉄」ではなく強い「剛性」をもつ「鋼(はがね)」なのである。しなやかな「弾力性」を感じさせなければならない。「マイティー・ソー」のクリス・ヘムズワースも神様らしいギリシャ彫刻を思わせる肉体を作っているけれど,まだ剛性に足りないように思う。

しなやかさだけであれば,たとえばブルース・リーのあの無駄を落としきった肉体もあるけれど,あのくらいだと筋肉のバルクが逆に足りない。どうも私が憧れる肉体は東洋人には無理なような気がする。東洋人で筋肉のバルクを増やすとどうも「密度」が落ちる。たとえばヤン・スエのように...(彼のことは好きだけれど)

ジェイソン・ステイサムの肉体も少し格闘技にチューニングし過ぎで,バルクが足りない。チャック・ノリスの肉体も同様だ。肉体が格闘技すぎると色気が不足するような気がする。

さらに「質量」を感じさせる肉体であってほしい。「質量」というよりも「重力場」というべきか。その人がいるだけで周りに「場」があるように感じられる肉体がいい。まるで夢枕獏の比喩のように,存在自身が意味をもつようなそんな肉体。それが理想である。

存在するだけで意味を持つような「鋼の肉体」。私のように存在感のない男には,遠い憧れの肉体なのだ。

#Tシャツ一枚でサマになる肉体だったらどんなにいいだろう。夏は衣服費が少なくて済みそうだし。

#ふりかえって自分を考えると,最近はあぐらからまっすぐに「立つ」こともできないほど身体が弱ってきた。稽古しなければ...

2023年8月15日火曜日

Jack Reacherに憧れる

 Amazon Primeに入ろうかと迷う理由のひとつに,ドラマ "Jack Reacher"が観たいということがある。

ジャック・リーチャーは元陸軍憲兵隊出身の流れ者(だからアウトローなのか…)。正義感は強く,それがもとであちらこちらで事件に巻き込まれる話。

ご存じの通り(?),ジャック・リーチャーについては,すでにトム・クルーズが自らが主演で2作品を映画化している(「アウトロー」,「ジャック・リーチャー Never Go Back」)。この2作はもちろん観ていて私は好きなシリーズなのだけれど,残念ながら興行収入は期待通りでなかったらしく,その後の続編は作られていない(原作小説は20作以上あるらしい)。

そこで映画ではなく,配信ドラマがつくられることになった。それがAmazonで配信されているのだ。

もともと原作のリーチャーは6 フィート5 インチ,体重 250 ポンド(身長195.6cm,体重113.4 kg)というから,170㎝そこそこのトム・クルーズが演じるのには少し無理があった。そこでドラマ化される際に,俳優がトムから身長185 cmのアラン・リッチソンに変更されている(185 cmでもまだ原作の身長に足りない!)。

人は自分で手に入れられないものに憧れるというが,私はこのアラン・リッチソンに憧れる。つまり,筋肉バリバリの身体に憧れているのである(同じ理由で「北斗の拳」のラオウに憧れる)。Youtubeなどで紹介されている"Jack Reacher"の格闘シーンなどを見ても,彼の戦い方が頼もしい。映画版のトム・クルーズは明らかに格闘技を用いていたが(KFM?),このアラン・リッチソンは体力にものを言わせて相手を倒していく。それが痛快なのである。

あぁ,私の身長が190cm以上あって,相当なウェイトで鍛えることができる身体であったなら...とずっと思い続けている妄想を刺激続けるドラマなのだ(その場合は,武術は合氣道ではなかっただろうとも思う。身長が高い人には合氣道のくぐり技はつらすぎる)。

このドラマを観るだけでも,Amazon Primeに入る価値があるのかもしれない。そう思いながら毎日悩んでいる…

2023年8月14日月曜日

Amazon Primeに入ろうか入るまいか…

 この数年,ずっとAmazon Primeに入ろうか迷っている。学生のみなさんに尋ねると,生活するのに不可欠だと言われるのだけれど,それほど通販を利用するわけでもなし,もし利用するとすれば動画を見ることなのだけれどそれを視聴する時間があるわけでもなし,それでずっと迷っている。その上,会費を5,900円/年に値上げするというニュース。ますます困ってしまう。

Amazonでは映画を観ることができるのが魅力だ。「シン・仮面ライダー」「シン・ウルトラマン」なども観ることができるし,ときどきラインナップが変わってくれるので,今までに観ていない映画を観る良い機会にもなる。

オリジナルドラマにも惹かれる。私が特に気になっているのは「Jack Reacher」である。「高い城の男」も観たかったなぁ(どうもシーズン1で打ち切りのようだったけど)。

しかし,今のところTverでTVドラマを数個フォローするのにいっぱいいっぱいなのだ。とにかく時間がない...あー,映画館に足を運ぶことさえ時間を確保できない。こんな五十代になるはずじゃなかった。


#Netflixも悩みどころなんだよなぁ…「スプリガン」とか「デビルマン」とか,心をくすぐるコンテンツがある

2023年8月13日日曜日

お盆とは先祖のご縁で皆が集まる機会

今年もお盆が始まった。

お盆は,先祖をあの世からお迎えして供養をする行事,期間である。本当に祖霊が帰ってきているのかもしれないし,ただ生きている人たちがそう思って供養をしているだけなのかもしれない。

しかし,このお盆はこれまでの日本の家族型社会で重要な役割を果たしてきたように思う。私の家ではここずっと,お盆の季節に親戚が本家に集まるということはしなくなってしまったけれど,昔はおじさん,おばさんの家族が一同に集まって,一年に一回は顔合わせをしていた。酒と料理を楽しみながら,その一年の間になにがあったのかという話に花が咲く。いま思うと素敵な行事だったと思う。もちろん,皆を招く本家のご苦労はたいへんだったと思うけれど,いとこなどの結婚によって初めて知る親戚などもいて,それはそれで楽しかった。

こうした情報交換の機会,そして結びつきを強める機会は,家族を中心として成り立ってきた社会では,たいへん重要なことだったと思う。親戚という比較的強めな社会的なカップリングは,親の介護,親をなくした子供の面倒などを行う上で大きな役割を果たしてきた。今,それがなくて困っている家族も多いのではないだろうか。もちろん,それ以外のしがらみ,負荷の多さも大変だったから,親戚づきあいがなくなってせいせいしている人も多いのだろうけど。

死者を縁として,親戚を一同に集め,交流を深める。それが良い方に機能していたから,この「お盆」という行事は続いてきたに違いない。しかし,この数十年でその行事が煩わしく,良いように機能しなくなってきたために,「お盆」は廃れていく方向にある。また,昔に比べて兄弟の数もめっきり少なくなって,親が亡くなったあとはその兄弟の関係も疎遠になってしまうことが多い。そうやって,この社会は孤立した人々で構成されるものになっていくのだろう。人口減少,高齢化のこの日本において,どうやって社会的なつながりを維持していくのか,かなり難しい問題のような気がする。

私も親の墓参りには行こうと思う。親戚の交流会としての役割のお盆はなくとも,親を偲ぶ機会としての個人的なお盆はこれからも私にとっては大切なのだ。

2023年8月12日土曜日

どのような死を迎えたいのか

 「いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同じ意味である」と思うようになって,「どのような死を迎えたいのか」と考えることが多くなった。

さすがに,若い頃のように,「誰にも知らないところで,ドブ川に独り浮いて死んでいる」ような死に方が良いとは思わないようになったけれど(その頃は,必殺仕事人 中村主水の死に方はそうあるのが理想だと演じる藤田まことが話していたことに影響を受けていた),どういうシチュエーションで死を迎えるかということについては,いろいろ想像する。

現実的には,独居老人だから孤独死も仕方ないけれど,発見が遅くなるとそれもたいへんなことになってしまうので,病院で死なないと周囲に迷惑をかけるだろう。

そうした実際的な死に方も悩むけれど,そのときにどういう社会環境に自分がいるのか,それを考えることも大切だ。もちろんいろいろな人に見守られて死ぬのは素晴らしい。しかし,そうした人たちを私はこれから作ることができるだろうか。私のために泣いてくれる人ができるだろうか。

今年,私の伯父さんが逝かれた。そのちょうど一週間ほど前にコロナ明けでたいへん3~4年ぶりに伺い,ご挨拶することができた。「横になる時間が長くなってしまった」とおっしゃっていたけれど,まだまだしっかりとされていた。それが急に亡くなられてしまわれたので,ショックだった。でも,前日までも自分でトイレにいかれていたということだし,朝にベッドの上で穏やかに亡くなられていたということらしい。年齢は90歳をゆうに越えられていたので,まさに大往生である。そんな逝き方もうらやましい。

まだ私が逝くまでに時間が残されているのであれば,いかに死ぬかをもっとよく考えて,その理想に近づくように努力したいものである。

村上春樹の作品に「タイランド」という短編がある。その中に,四十代半ばの主人公の女医に,タイ滞在のガイドのおじいさんが「少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬることは、ある意味では等価なのです」と諭す場面がある。この作品を読んでからずっとこの言葉が心に残っている。この主人公よりももう10歳ほど私は年をとってしまっているが,生き方のシフトを変えていく試みを私もしなければ,と思う。


#「ノルウェイの森」(「蛍」だった?)の中では次の有名な言葉がある。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

#「呪術廻戦」でも,おじいさんが死ぬときには主人公に「大勢に囲まれて死ね」みたいなことを行っていた

2023年8月11日金曜日

いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同義

 大学時代の恩師に会った。もう年齢は70を越えられているけれど,まだまだお元気で,今もいろいろな技術的な課題に取り組んでいらっしゃる。大学3年生のときに「電力工学」の講義でお会いしたのが初めてだから,もうかれこれ35年以上ご指導をいただいていることになるけれど,いまだに多くの示唆をいただいている。本当に有り難いことである。

一方,私は引退したらどんな生活を送っているのだろうと想像してみる。

この業界から身を引いているかとは思うけれど,では次に何をして暮らしているのかが全然想像がつかない。年金暮らしではやっていけないだろうから,なにかしら生活の糧を稼がなければならないのだろうけど,何をして生きてゆけばよいのか,現在模索中なのである。

職業も考えなければならない。65歳を過ぎたジジィになにができるのか。プログラマーはちょっと難しそうだし,動画編集も10年後はAIがやってくれているだろう。Webデザイナーだって,私のデザインよりはAIの方がずっと良さそうだ。AIに代わられない手に職をつけるのが良さそうだけど,不器用だし,どれがよいのかもわからない。今から修行すれば10年後には少しは技術が身についているだろうか…などと考えているのである。

もっと深刻なのは,老後の日々の楽しみをどうするかである。私のようにCreativeな趣味がない男には楽しみがない。夢がない。そう,夢も現在模索中なのだ。まずは現状,人間関係が希薄だから(仕事関係くらい),もっと他のコミュニティに所属するようにしたほうがよいだろうか…,などと考えている。

本当に悩みは深刻なのである。

70歳くらいまでは私も生きてみたいと最近思うようになった。そして,どのように死ぬのがよいのかも考えるようになった。しかし,それでわかったのは,「いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同じ意味である」ということである。そう思うようになって,悩みはますます深くなっている。

2023年8月6日日曜日

気温に鈍くなる

 年齢をとるといろんなことに感度が鈍くなる。聴覚,視覚,嗅覚,味覚,触覚,ありとあらゆる刺激に対しての感度が鈍くなっていることを近頃実感することが多い。今年の夏,特に自分の感度の鈍さに怖くなっているのは気温である。

よく高齢の方がエアコンをつけずに高温の中で暮らしているなどというニュースを見聞きする。夜間でも気温が下がらない中,就寝すると翌日熱中症で命を落とされているのが見つかるなどという話を聞いていたのだけれど,自分にもその危険があるのだとつくづく感じるのである。

実際,年齢をとると気温がよくわからなくなる。私も気温計を見てようやく30度を越えているのだ,と気づくことも多い。それほど気温が高いと思わないのだ。本当にそうなのだ。自分は汗をかきやすい方だとは思うのだけど,汗も大量に出るわけでもなく,ただただ気温に鈍くなっている。

私も気温が高いことに気づかず,そのまま寝て熱中症になることが怖い。そこで最近は,温度計の数字を見てエアコンをつけることにしている。自分がそれほど暑さを感じなくとも,客観的に判断してエアコンをつける。そういうルールに今年の夏はしている。

一般的に,機械装置,電気装置において,センサ故障は重故障に区分される。センサが故障していては故障や異常を検知することができない。なので,最も危険な故障に分けられるのである(だから重要なセンサは二重化される)。気温に鈍感になるのは,このセンサ故障にあたる。そのリスクを十分に考慮しなければならない。

とにかく,この身体も年を経てずいぶん性能が落ちてきていることを認識しなければならない。古い機械は古い機械なりに運転制限・メンテナンスを行っていかなければならない。この身体も同様,年を経た現在,養生が必要なのだと思い知らされる。

2023年7月29日土曜日

50代半ばのピークが夢だった

 50歳になった頃,自分の体術的なピークは50代半ばくらいだろうと思っていた。つまりは人生で私が一番武術的に強い時期がその頃に来るのだと思っていた。たしかに,50歳になった頃は体力的には衰えて始めていたけれど,技術的にはまだまだ伸びしろがあると思っていたし,事実,日々の稽古の中で新しい発見などもあって,これからまだまだ上り調子だと思っていたのである。

しかし,五十半ばをすぎた今,すでに下り坂にあることを実感している。50歳を過ぎて職場が変わり稽古量が圧倒的に減ったこと,そして度重なる怪我,病気などで体力が思ったよりも急勾配で衰えていること,などが原因なのだけれど,現在の自分は50歳の頃の予想よりずっと下回っている。

気力も衰えている。道場に立って自分の技を試すことにゾクゾクする喜びを感じることもなくなったし,そもそも受身をとるだけで疲労を感じるようになってしまった。もちろん,今後も技術的には進展があると信じたいが,体力・気力の衰えが技術的な上達を上回り,総合的にはどんどん弱くなっていると感じられるのである。今後,稽古は,「強くなる」ためだけでなく「人生を楽しむ」ことも目的となってくるのだろう。

私は,池波正太郎の作品「剣客商売」の主人公 秋山小兵衛のような人生に憧れている。老いてもなお強い。そして世俗を離れず陸沈する。それが夢だったのだけれど,なかなか理想どおりにはいかないようだ。

2023年7月16日日曜日

とうとうブレードランナーが必要な時代がやってきた

 「ブレードランナー」という不朽のSF映画の名作がある。調べてみると1982年の映画なので,現代の学生がこの映画を知らないのも無理はない。しかし,この映画のテーマは今こそ話されるべきものなのではないかと私は思っていて,未見の人には強くオススメしている(とはいえ,私も観たのは随分前のことなので,はっきり言って詳細は覚えていないのだけど)。

21世紀の近未来(2019年という設定?),レプリカントという人造人間が開発されていて,彼らは人間を超える身体的能力と高度な知性を持っていた。しかし,感情が芽生えないように短い寿命を持つように設計されていて,彼らは宇宙植民地で過酷な労働を強制されていた。そのなかで,地球に脱走するものも出てきていて,それらを見つけ処分するのがブレードランナーである。

主人公のブレードランナー,デッカードを演じるのが若きハリソン・フォードで,そのハードボイルドなカッコよさにいまだ私は憧れているのだけれど,彼がレプリカントか人間かを見分けるために対象者に複数の質問をするシーンが出てくる。過去の記憶を植え付けられた精巧なレプリカントは人間と区別するのが難しく,美しい女性のレプリカントであるレイチェル(演じるショーン・ヤングがほんとに綺麗)を判断するためには100問以上の質問が必要だとデッカードが開発者であるタイレル博士に答えていたと思うのだけれど,このシーンが強く印象に残っている。

そうなのである。

「高度に製作されたレプリカントはなにが人間と異なるのだろうか」

この哲学的な問題は,今後AIの技術がさらに進んでいく時代において,ますます重要になっていくに違いないと思うのである。映画「攻殻機動隊」でも過去の記憶を植え付けられたゴミ回収者の男が出てくる。彼はレプリカントとなにが違うのだろうか。一方で,頭脳しか人間ではない主人公 草薙素子は人間と呼べるのだろうか。

ChatGPTなどの生成型AIの開発がますます進むと思われるけれど,その受けこたえから私達は話し相手がAIであるのか,人間であるのか,判断することはできるのだろうか。

卑近な例をあげれば,講義において課題レポートを学生に出したとして,その内容がAIを用いて書かれた内容なのか,学生自身が考えて書いた内容なのか,私は判断できるのだろうか。

ネットの向こうの相手が人間であるか,AIであるか,判断する必要性はこれからどんどん大きくなるだろう。それを見極めるための検査が必要だ。映画「ブレードランナー」におけるフォークト=カンプフ検査にあたるその検査方法はいつか確立されるのだろうか。そしてそれを行うブレードランナーはいつか現れるのだろうか。


#黄昏時,顔がよく見えない人が妖怪であるのか,人間であるのか,それを判断するための手段(自分が妖怪ではないと相手に提示する手段)は「もしもし」と問いかけることである。これも人間でないものを見極める検査方法だ。

2023年7月15日土曜日

名建築で昼食を:東京国立博物館

 意外に私は建築好きで,あちらこちらの建物を巡るのが好きだったりする。かといって,建築を本気で学んでいるわけでもないので,デザインを見て美しいとか機能的とか,そんなことを思うだけなのだけれど。

そんな私にちょうどいいテレビ番組が「名建築で昼食を」(テレビ東京,2020年)。池田エライザ演じる女性OLが,SNSで知り合った田口トモロヲ演じる中年の建築模型士と一緒に,「乙女建築」と田口が呼んでいる名建築をめぐり,ランチに舌鼓を打つ,というぬる~い感じの内容で,見ているとホッとするあたたかくて素敵な,私の大好きなドラマ番組である(現在,再放送中らしい。新潟で放映しているかどうかはしらないけれど)。

どうも番組は人気だったらしく,その後「スペシャル横浜編」と「大阪編」が制作されている(残念ながら「横浜編」は未見。「大阪編」は6話のうち5話は見た)。

番組ではだいたい昭和初期の洋風建築が紹介されていて,たとえばフランク・ロイド・ライト設計の池袋の自由学園明日館とかヴォーリズの山の上ホテルとかを巡って昼食を食べるのである。池田エライザのOLが中年の田口トモロヲと交流することによって少しずつ成長していく話にもなっていて,深夜に見るには重すぎない最適な内容なのだ。

大阪編では,「大大阪時代」の建築が中心に紹介されていて,たいへん栄えていた頃の大阪の様子を垣間見ることができて,たいへん興味深かった。

この番組のよいところは,紹介された建物をいつか訪れてみたいと思うことと,一方で身近にある建築物はどのようなものなのだろうかと興味をもつことである。旅先で,こうした建築物を巡るのは楽しいし,地元の建築物をこれまでと違った視点で巡るのも同様に楽しい。

先日,私は上野の東京国立博物館を訪れた。上野は素晴らしい建物が立ち並んでいるけれど,国立博物館も昭和初期から最近までの複数の建物で構成されていて,展示物だけでなく建物を見ているだけでも楽しい。本館は昭和初期の建築で,内部も当時の洋風なデザインが施されており素敵である。ホームページの解説によると,渡辺仁による案で建設され昭和13年に開館し,2001年に重要文化財に指定されたらしい。展示物とともに,建物自身のデザインもゆっくりと堪能することができる。

東京国立博物館 本館

本館玄関階段

時計もいちいち素敵

ところどころのこうしたデザインが素敵である

建築家という職業が人気なのもわかる。自分の作品がこうして長い時間を越えて愛されていくのだから。

#この日私は結局国立博物館で4時間以上を費やし,ヘトヘトになって長岡に戻った

2023年7月9日日曜日

気分がアガる曲「影の軍団メインテーマ」

最近, 梅雨空と疲れで気分がスッキリしない。そんなとき以前であれば音楽をゆっくり聴いてリラックスしていたのだけれど,このごろはステレオセットもないこともあって音楽を聴く時間も持てていない。それでも聴くと気分がアガる曲などがいくつかあって,車の中で聴いたり,脳内再生をしたりしている。

ドライブのときは断然ブルックナーの交響曲第3番が盛り上がるのだけれど,最近散歩の時間にたびたび脳内再生されるのが,千葉真一主演のテレビドラマシリーズだった「影の軍団」のメインテーマである。これを聴くと気分がアガる。「影の軍団」はシリーズ5作まで制作されていて,このテーマは少なくとも「III」までは使われていたように思う。

当時第1作のテーマとオープニングの映像を見たときは本当に衝撃的だった。私は子供の頃から時代劇が好きだったけれど,この作品は全く新しい忍者アクションであり,ある意味現代劇であった。その後,ショーン・コスギの忍者映画がハリウッドで話題になったけれど,このJACによるアクションこそが本当の忍者の殺陣なのだと,その当時の私は思っていた。千葉真一の意表をつくアクションのアイデアは,今見ても全然古くない。このアクションが,このオープニングテーマとともに脳裏に焼き付いているのだ。クエンティン・タランティーノがこのシリーズの大ファンだというのもよく分かる(Kill Bill Vol.1で彼と大葉健二(宇宙刑事ギャバン!)が一緒に「服部半蔵」という名前で出演している)。

私にはこれくらいのアクションがちょうどいい。マーベルのような超絶超能力バトルでも,カンフー映画のワイヤーアクションも鼻白む。鍛えられた身体を張った肉弾戦。それも忍者という侍とは異なる自由な殺陣。千葉真一の才能が最も現れた作品のひとつだろう(もうひとつは柳生十兵衛!)。

今もこの音楽を聴くとワクワクして元気が湧いてくる。私にはとてもあのようなアクションはできないけれど,忍者のファンタジーに憧れる。

またエンターテイメント性あふれる忍者作品が生まれないだろうか?


#挿入歌やエンディングテーマもいいんだよなぁ。真田広之が歌っている曲も大好き。
#嵐の大野智が主演した「忍びの国」はどうも私とはいまひとつテイストが合わなかった。

2023年7月8日土曜日

アップルウォッチという免罪符

 最近,アップルウォッチをつけている人をたいへんよく見かける。もしかするとそれはアップルウォッチ風の時計なのかもしれないけれど,結局のところ黒くて四角いフェイスをした腕時計を身に着けている人が多い。テレビを見ていてもそんな芸能人が多い。時計バンドはいろいろと工夫しているようだけれど,やはり結局のところアップルウォッチはアップルウォッチなのである。

たしかにアップルウォッチは多機能で便利,そして健康増進にも役立つ(私もスマートバンドをつけているし)から,それが悪いわけではないのだけれど,みんながそれをつけていると味気ない感じがする。そしてそれが最近特に気になるのである。

私は腕時計に頓着しないので安いものしか身に着けていないけれど,腕時計自体はガジェットとして好きである。デザインだけでなくムーブメントの仕組み,精度などは気になって,雑誌やネットの記事などはついつい目を通してしまう。高級時計ももちろん好きだし,映画やTVドラマの中の登場人物がどんな腕時計をつけているかも気にしている。腕時計に気をつける人はやはりおしゃれなのだと思う。

このように私は,誰がどんな腕時計を着けているのかを楽しみにしているので,芸能人などがアップルウォッチを着けていると残念な気持ちになる。時計を選んでおしゃれをするというその人のセンスを感じることができない。あー,この人もアップルウォッチか...と思ってしまうのである。

アップルウォッチは特別なものは高いのだろうけれど,普通のものは10万円はせずに購入できる。アップルウォッチが一時期(だけだけど)オシャレだという雰囲気になったということもあって,アップルウォッチをとりあえず身に着けておけば腕時計のセンスをうんぬん言われることはない,という風潮があるのではないかと思われるのである。つまりアップルウォッチは腕時計のオシャレのセンスの免罪符になっている。それが気に食わない。いや,みんなが同じ時計を着けていても構わない,と思っている人はそもそもオシャレではないのではないかと思うのである。わたしたち一般人であればともかく,芸能人はそこらへんを気遣って欲しいなと思う。

ハリウッドのスターたちをみるとやはり素敵な時計を着けている(映画の中では演ずる役に応じた時計を,プライベートでは高級時計を)。日本でも一流スターはやはりセンスの良い腕時計を着けている。そんな彼らの「特別感」が私は好きなのである。

これだけ言っておいて,私はアップルウォッチを買うお金さえケチって,安い腕時計を着けているのだから呆れられるとは思うけれど,スターはスターであって欲しい。腕時計を見てもセンスを感じさせて欲しい。それがたとえG-SHOCKであったとしても,その人のセンスが感じられれば素敵である。オシャレの免罪符としてアップルウォッチを着けている芸能人には幻滅するのである。



#私について言えば,そもそも共通テストの監督などをする際に機械式時計をつけることなどできない。一秒たりと狂ってはいけない電波時計一択なのである(そして,おしゃれのために別途機械式時計を購入する余裕などない)。

2023年7月2日日曜日

劇場版 呪術廻戦 0:恋愛は呪いか

 そういえば,ずいぶん前に「劇場版 呪術廻戦 0」を観たのだけれど,そのことを書き忘れていた。書き忘れていた理由は,自分がそれほど感情的に盛り上がらなかった,ということではあるのだけれど,面白くなかったということでもない。

ところで,漫画とアニメの「呪術廻戦」のヒットはいろんな影響を及ぼしている。先日もオカルト関係のテレビ番組をちらりと見たのだけれど,呪われた人形などを「呪物(じゅぶつ)」と呼んでいた。オカルト好きの私だけれど,昔は「呪物」などという呼び方は一般的ではなかったと思う。「特級呪物」なんて呼び名にいたっては聞いたこともない。こうした呼び名が一般的になっているのだから,作品の影響力の大きさを感じる。

しかし,この作品は呪術や宗教の歴史背景をいろいろ調査したうえで描かれているようで,それには本当に感心させられる(たぶん優秀なスタッフがついているのだろう)。呪術を駆使した戦いなどは基本的には漫画オリジナルだけれど,ところどころに本当の呪術やその流派を思わせる設定などがあって,観ていてはっと気付かされる。本当のことをあちらこちらに少しずつ散りばめていることによって,作品の世界観の枠組にリアリティをもたせようとしていて,それは成功しているようである。インターネット全盛のこの世の中,嘘ばかりでは読者が興味を持ってくれないのだろう。クリエイターにとってはつらい世の中になったものである。

さて,映画の内容だけれど,主人公は本編とは違う乙骨憂太。彼は幼い頃に仲の良かった折本里香が交通事故で亡くなるのを目の当たりにしてしまったばかりに,彼女の霊・呪いが彼に固定されてしまう。そのため,彼の周りでは不思議なことが起こるようになり,彼は結局呪術高専に入学し,彼自身の呪いを解くために修行を積む。そして,呪術者による世界の支配をたくらむ一派と戦って...というお話。

私がこの作品を観て思ったことは,「結局,人間の恋愛というのは一種の呪いなのだ」ろうということ。相手への独占欲,嫉妬,そうしたものを生む恋愛感情は呪いに非常に近しい。もしも,そのように相手を束縛するものは本当の恋愛ではないというのであれば,そうした負の感情から開放されたものを逆に恋愛感情と呼べるのだろうか。あるいは本当の恋愛とはどういった感情にもとづくものなのだろうか。そんな,これまでに何度も何度も繰り返されているテーマをまた思い出しただけである(結局,こうした議論は安易に神の愛にまで昇華されてしまうことが多くて,ちょっと辟易気味である)。

しかし,映画の画力はすごい。観ていると,戦闘シーンの疾走感が素晴らしく,深い没入感を味わえる。しかし,この映画の美しいエンデイングを素直に受け止められるほど,もう私はピュアではなかった。ということで,評価は星3点。★★★☆☆(5点満点)。

2023年7月1日土曜日

東京工業大学 合氣道部 55周年記念行事

 先日,私の母校において私が9年間属していた合氣道部の55周年記念会が開催された。仲間に久しぶりに会うことができ,たいへん楽しかった。前回は50年記念会で盛大に開催されたので,今回はそこそこの人数でミニ記念会のはずだったのだけれど,いざ集まってみると70名を超える大人数。みんな合氣道部を愛しているのだなと再認識した。

55周年ということで55代のOB・OGが集まったのだけれど,私は第20代。私のあとに35年分の後輩がいることになる。実は私は在学中の9年間も部に通っていたので,9年分の先輩,後輩とは一緒に稽古したのだけれど,それ以外の人とはほとんど面識がない。それでもみな和気あいあいとお酒を交えてお話しすることができた。共通の経験,価値観があるからなのだろう。

話は少し変わるけれど,合氣道の技にも誰から学んだかによって技の特徴が違っていたりする。私はこれを「文法」と呼んでいるのだけれど,同じ先生から学んだ人たちと稽古をすると,文法が同じ,すなわちルーツが同じ感覚がする。一方,別の先生から学んだ人たちは基本は一緒なのだけれど,どこか違うのである。もちろん他流派の技に比べれば「同じ」なのだけれど。やはり誰から学ぶかによって,その伝えられる「感覚」(癖ではなく)が異なり,それが技に現れるのだろう。

同様に同じ合氣道部で長い時間を過ごした仲間は,技だけでない,日常の中にも表れる,同じ立ち居振る舞い,考え方などが影響をしているのだろう。だからこそ,長い間離れていても,すぐにまた現役時代のように笑いあえる。本当に素敵な関係になっている。

一部のひとたちで集まった二次会の面々を見ていると本当に涙が出そうになった。30年以上も経ってもまたこうして集まって,くだらない話がすぐにできる。そんな仲間はそうそう見つからない。私は幸せだ。

次は60年記念会かな。私も還暦になる。まずは元気で参加することが目標だ。

#ほんと,年寄りの記事内容だ…

2023年6月24日土曜日

波よ聞いてくれ,小芝風花の魅力

 今期は「波よ聞いてくれ」というドラマを楽しみにしていた。先日,最終回を迎えてしまったけれど,深夜の疲れた頭で見るにはちょうどよいコメディだった。主演は小芝風花。彼女のコメディエンヌとしての才能にはずっと前から注目していた(私が注目したところで,なにも変わらないけれど)。

私が最初に彼女を知ったのは,もちろん「魔女の宅急便」だと思うのだけれど,NHKの朝ドラ「あさが来た」で成長した姿にびっくり。そして,同じくNHKのドラマの「トクサツガガガ」でそのコメディエンヌとしての魅力にメロメロ。「美食探偵」でも素晴らしい演技だったし,深夜ドラマの「妖怪シェアハウス」ではコメディの才能全開だった。このドラマは映画まで作られている。「霊媒探偵・城塚翡翠」では,髪型が変わってさらに大人っぽく。そして今回のドラマでは金髪の擦れっ枯らしの役。着々とキャリアを積んでいる(「貞子DX」でも主演だったけれど残念ながら未見)。

特に今回素晴らしかったのは,主人公はラジオDJで,ひとつも噛まずにマシンガントークを繰り広げるところ。大量のセリフを流れるように,そして突き刺さるように,話していた。「ミナレ」というすれっからしの主人公が,シャベりの天才だということを見ている私たちに納得させていた。どれだけの練習が必要だったのだろう?長いセリフと超絶の早口。それでいて感情が入っている。彼女の俳優としてのポテンシャルを感じさせる。これからも応援していこう!

ということで,「波よ聞いてくれ」の続編を期待したい。次の小芝風花のミナレを心待ちにしている。

#「波よ聞いてくれ」の登場人物の一人の名前が「シセル光明」というのだけれど,名付けのセンスが秀逸だと感心。

#「波よ聞いてくれ」は漫画のドラマ化らしい。アニメ化もすでにされている。その原作者が「無限の住人」と同一だったことにびっくり。

2023年6月17日土曜日

カフェにて

 最近,このブログは行きつけのカフェで書いている。毎週のようにこの場所でコーヒーを飲みながら,誰も読まないであろうブログ記事を書くのを楽しみにしている。

さて,このカフェは町外れにあるけれど,なかなかおしゃれなので客には若い人が多い。女性同士,男女の二人組。もちろん私と同じくらいの年齢の女性同士の客もいるけれど,圧倒的に若い人が多い。彼らはオシャレをしてくるので,ユニクロの私は彼らに申し訳なくなる。

机に向かってブログを書いていても,彼らの行動,会話が目に,耳に入ってくる。それが微笑ましいこともあるし,なんともいえない気持ちになることもある。

たとえば,女性のグループがやってくると,まず注文したラテなどを机の上において写真を撮ることが多い。こだわりを持つ人が多いのか,椅子に座るまでずいぶんと時間をかける。いろいろな写真を撮る角度を試してようやく満足して席に座る。5分以上も時間をかける人が多いのではないだろうか。インスタのためにご苦労なことであると微笑んでしまう。いいなぁ,平和で。

聞き耳をそばだてるわけでないけれど,ついつい話の内容を聞いてしまうこともたびたびである。若い男女は,こちらの身体がムズムズとかゆくなる会話をしている。男性のカッコつけ話が気持ち悪いし,女性の男性に本心を明かそうとしないギリギリのラインの会話も聞いていてつらくなる。でもそれが若い二人の恋の駆け引きなのだろう。私にとっては,気持ち悪さが我慢できなくなるけれど。

先日は,結婚相談所の面談がこの場所で行われていた。話が筒抜けになるので,場所を選んで欲しいと思っていたけれど,女性の担当者が若い男性の相談者と会話していろいろと聞き出しているのは,勉強になった。私も他人事ではない。

昔,ユーミンが歌のネタを探しにファミレスに行って聞き耳を立てているという都市伝説があったけれど,こうしたカフェにいると確かにいろいろな情報が耳に入ってくる。まぁ,世の中から隔離しがちな私としては,世間を知るという意味で勉強になるのだけど。

2023年6月4日日曜日

キャンパスのヤマボウシに気づく。そしてGoogleの画像検索に感心する

 学内を歩いていて,キャンパスに植えられている木に白く地味な花が空に向かって,しかしたわわに咲いているの目にした。とにかく花の数が多い。驚いて近づいていってみたのだけれど香りもあまりしないし,私の目も悪いので花の真ん中にある緑の部分の構造もよくわからない。しかし,花の数があまりに見事なので調べてみたいと思った。

キャンパス内のヤマボウシの木

そこで思い出したのが,Googleの画像検索。テレビのCMどおりであれば,写真を撮って検索すればすぐにわかるはず,と思い,花の写真を撮って検索する。

検索したヤマボウシの花の写真

そうしたら即座に検索結果が表示され,それが「ヤマボウシ」であることを知る。その花の名前を知ったことより,画像検索の素晴らしさに感心した。どうやって類似画像を検索しているのだろう。そしてその類似画像を有するWebページを選択して表示しているのだろう...?

ヤマボウシの花のように見えるものは,実際は花びらではなく,花は中心部の緑っぽい部分らしい。そんなこともGoogle検索は教えてくれた。私が大学生の頃,こんなツールはなかったから,このヤマボウシの名前を知ることはほぼなかっただろうと思う。素晴らしい世界になった,と思う。

以来,Googleの画像検索をいろいろと試している。もちろん画像の文字抽出,翻訳機能も。たいへん優秀だ。調べればすぐに情報に辿り着くことへの批判もあることは承知しているけれど,それは人間側の問題。正しい情報に辿り着くことができるこの世界は本当に素晴らしい。世界は確かに変わってしまった。(情報が正しいかどうかについての判断はますます難しくなっているが)

2023年6月3日土曜日

Smart Bandを新調する

 最近,Smart Bandを新調した。私がSmart Band (Activity tracker) を使い始めてこれで3台目である。

1台目は5年ほど前の購入だっただろうか。どこのメーカもよく覚えていないものだったけれど,一日の歩数を測定するだけでなく,心拍数も24時間測定できて感動したものである。少なくとも毎日の生活で健康を気にすることが増えた。ただし,価格は5000円以下のもので,その測定精度についてはかなり疑問的だった。

しかし,Smart Bandを使うことの素晴らしさには感激したので,1台目のバンドが切れたところで(最初は絆創膏などでつないで使っていたのだけれど…),2019年頃2台目に買い替えた。それがHonor Band 5というSmart Bandで,HonorというHuaweiのサブブランドのものだった(Huaweiブランドではその頃,Smart Bandを販売していなかったのではないかな)。歩数,心拍数のトラッキングも素晴らしかったのだけれど,睡眠の測定が格段に素晴らしかった。

睡眠の測定とは,入眠と起床時刻の他,熟睡期間,浅い眠りの期間,レム睡眠期間,そして起きていた時間などが翌日に時系列データとして確認できる(心拍数や身体の動きなどの変化からわかるらしい)。私はGarminのスマートウォッチも腕につけたまま寝ているけれど,2つのデータを比べるとHonorのほうがずっと時間分解能が高く,信頼性が高いように思えた。睡眠の質について点数をつけてくれて,よりよい質のためにアドバイスもくれる。私は睡眠に問題があるので,このトラッキングはたいへん助かる。

そして今回の3台目のHuawei Band 8(Honor Band5の後継器。Huawei Band 6, Band 7の次の機種)。最初の設定に少し躓いたけれど(メッセージが通知されなかった),現在は設定が済んでうまく動き始めている。このBand 8は,これまでのモデルよりも睡眠のトラッキングの精度が向上しているのだという(アルゴリズムが良いらしい)。その上,睡眠中の寝言などを自動的に録音してくれる機能もついている。その他,種々のライフシグナルをトラッキングすることで,よりよい生活をするようにアドバイスもしてくれるようになっている。これが,1万円以下のデバイスの機能なのだから本当に驚かされる。

もちろん,ランニングやウォーキングなどのワークアウトにも対応していて,走った距離,心拍数,歩数,ペースなどちゃんと記録してくれる。スマホと一緒に持ち歩けば,走ったコースも記録される。消費カロリーなどもチェックできるので,ウォーキングのあとに数値を見てニンマリしている。

今困っていることは,私はGarminもつけているので(こちらはBody Batteryという機能が捨てがたい。またGPSがついている),左手にGarminのスマートウォッチ,右手にBand 8がついていて,これからの半袖の季節,目立つことになり恥ずかしい。両手首に腕時計ということでKeisuke Hondaか?と言われるけど,まぁ,誰も私になんて注目していないからどうでもよい,と思ってつけている。

驚くのは,私が購入したものは3台とも中国製ということである。この1万円以下の価格帯のSmart Bandでは,HuaweiかXiaomiがダントツに機能に優れている。私の健康データは中国に送られているのだろうけれど,まぁ,それも仕方がない。健康のためになにかをはじめてみようとお考えの方には,Smart Bandをぜひおすすめしたい。

2023年5月27日土曜日

IMEの変換予測がやばい

 昔は自分の本棚を人に見せるのがためらわれたものである。それは並んでいる本のタイトルに自分の嗜好が現れているからである。

最近は,Googleの検索履歴が人に見せられない。これは自分の興味が「今」どこにあるかを表しているから,人には見せられない。正直,カタイ言葉ばかりを検索しているわけではない。

Youtubeの動画の視聴履歴は特にまずい。私が怪しい動画を見ているのがバレバレになる。エッチな動画とかならば笑い話になるけれど(そもそもYoutubeはそういった動画はないけれど),私の嗜好そして人格を疑うような内容だと困る(内容は内緒)。その上,通知を許可したりしていると,講義中でも私の嗜好に沿ったオススメ動画が画面の端に現れてしまったりして見ている学生たちはドン引きである。

そして,IMEの変換予測もかなりやばい。最近それが特に気になる。私はよくミス・タイプするのだけれど,以下のような誤変換がよく行われている。

「お願いいたします」>>「お願い遺体sます」
「資料を送ります」>> 「死霊を送ります」

特に二番目の文章なんて,相手に呪いをかけていることに他ならないではないか...

私がどんな文章をいつも書いているのか,推測されてしまう。こんな感じで誤変換されるたびに苦笑している。誤変換のネタはよく見聞きするけれど,私の言語空間はオカルトがいっぱいのようだ。私の嗜好が現れていて,とても人には見せられない。

2023年5月21日日曜日

エンド・オブ・デイズ:今度のシュワルツネッガーの相手はサタン

 「エンド・オブ・デイズ」鑑賞。シュワルツネッガーが主演。1999年の世紀末,ミレニアムの終了とともにサタンが復活し,選ばれた人間の女性と子供をつくることによって,この世界の滅亡を図ろうとしている。それを元刑事のシュワルツネッガーが阻止できるか?という話。

1999年ってこんな感じだったっけと思いながら観ていた。PCによる検索もスマホも活躍しない。その中でたまたま悪魔の男を知り,選ばれた女性を知った元刑事が,女性を守り抜こうとするのだけれど,どうもストーリーが消化不良。

まずは,シュワルツネッガーの対決相手が,それまでの悪の組織,軍隊,エイリアン(プレデター)から,とうとうサタンにアップグレードされただけという感じ。悪魔だからもっとダークホラー的な雰囲気を期待したかったのだけれど(例えば,キアヌ・リーブスの「コンスタンティン」のような),普通の人間と戦うのとそんな変わりがなかった(悪魔の男は何度も生き返るけれど)。あるいは目的がサタンの子作りだからもっと大人向けの内容にするとか。

最終的には,シュワちゃんの自己犠牲によって,過去の悲しい出来事を持つシュワちゃんも,守ろうとしていた女性も救われるのだけれど,そのストーリー展開はあまりにも安直なような気がした。主人公が女性と同じ幻覚を見た理由も明らかにされていなかったし,女性が持っているオルゴール(?)が主人公の娘と同じものだった理由もわからないままであった。うーん,内容が少し薄いかな...

本作の良いところは,まず最初のヘリコプターを用いたアクションシーン。かっこいいんだか,間抜けなんだか,よくわからない。ただ大変なアクションだったと思う。そして次に爆発シーンが多いところ。ニューヨークの街のあちこちで爆発事故が起こる。店や車や電車だけでない,教会も吹き飛ぶ。CGで炎がそれほど不自然ではなく描けるようになったころなのかな。とにかく火炎が画面を覆う。

ということで,正直,ちょっと期待外れ。評価は星2点★★☆☆☆(5点が満点)。私はもっとドロドロとしたダークホラーが観たいのだ。

2023年5月20日土曜日

芸術作品に民主主義は要らない

 「シン・仮面ライダー」を観て,芸術作品には民主主義は要らないのだと思った。正確に言うと,そう思ったきっかけは映画本作ではなくNHKの庵野監督のドキュメンタリーなのだけれど。

天才の発想は,初め多くの人の賛同を得られにくいものである。今回の庵野監督の映画の指示には,スタッフは明らかに不信感を持ったり,その指示に戸惑っていたことがドキュメンタリーから読み取れた。確かに,スタッフに的確な指示を出せない監督ってどうなのだろう,と疑問は持つけれど,天才の感覚は他の人に伝えることが難しいということも事実なのだろう。周囲の人は,ただ庵野監督の才能だけを信じてついていっていたように見えた。

スティーブ・ジョブズだってそうだったという。Appleの製品では彼は妥協をしなかったのだといわれている。会議の出席者が反感を持ったとしても自分の意見(ワガママ)を通したということだ。彼が説得をはじめると皆その話に巻き込まれてしまったらしい。これは現実歪曲空間(Reality Distortion Field, RDF)として知られている。彼のカリスマ的な魅力によって,非現実が現実化できるような気分にさせられてしまうのだ。

優れた指導者はみな,周囲の人たちを惹きつけるそうした能力を持っているものだろう。一般に,才能ある人物の発想は常識的には理解されにくいものだが,それでもその発想を実現化するために周囲の人に動いてもらわなければならないからだ。どんなに優れたアイデアであっても現実化されなければそれは単なる夢想である。

そこで大切な役割を果たすのが追従者(フォロワー)である。特に最初の追従者。このフォロワーが天才の発想の価値を認め,それを実現することに協力しなければ,その素晴らしいアイデアは夢話で終わってしまうに違いない。だからこそ,天才の価値を認め,協力するフォロワーも同等に重要なのである(鳩山元首相の「裸踊りをさせてくれてどうもありがとう」発言もその文脈だと言われている)。

反対にすべてが民主主義的に多数決,あるいは中間(中庸)の意見や感覚によって決まるとしたら,世界はなんてつまらないものになるだろうと恐怖する(現実はそうなりつつあるけれど)。優れた芸術作品や技術の飛躍的な新しい発想は民主主義からは決して生まれないのではないだろうか。これらにはひとりの天才,あるいは独裁者が必要なのだ。

クラシック音楽の世界で,オルフェス管弦楽団は指揮者を持たず,楽団員の話し合いで音楽を決定していくことで有名だった(現在はどうなのだろう?)。残念ながら録音を聴く限り私はあまり好きではない音楽を演奏していた。やはりぶっ飛んだ指揮者の演奏が聴いていて楽しくて感動する。

芸術や新しい技術の発想には民主主義は要らない。私は天才でもファーストフォロワーでもないが,せめて天才の発想の実現の足をひっぱらないようには生きていきたいと思っている。

2023年5月13日土曜日

シン・仮面ライダー

「シン・仮面ライダー」はほんとに良かった。演出・脚本は庵野"節"全開だったけれど,キャストは素晴らしかった。

まず作品。これまでの「シン・ゴジラ」,「シン・ウルトラマン」はどちらかというとテーマがドライで人情的な湿っぽさはなかった。しかし今回は仮面ライダーということで,もともとの作品テーマである「改造人間であることの悲しみ」や「人間の絶望」,「人との別れ」などが描かれていて,ちょっと胸が痛くなるようなシーンがいくつかあった。いうなれば「シン・エヴァンゲリオン」に近いのかもしれない。

「シン・エヴァンゲリオン」との親近性といえば,作品に出てくる「ハビタット計画」というのは,魂(プラーナ?)だけが存在する世界に人類を移行させるというもので,これは「エヴァ」の「人類補完計画」を思わせるし,主人公 本郷猛の優しさ,弱さは碇シンジの性格に,緑川ルリ子のクールさは綾波レイの性格に,重ね合わせることができるかもしれない。つまり,「シン・ライダー」は「シン・ゴジ」や「シン・マン」に比べてずっと庵野監督のパーソナリティが反映された作品なのだろう。

アクション演出については,NHKのドキュメンタリーもあっていろいろと意見が分かれるというのは十分理解できるけれど,私は十分堪能した。最初のクモオーグ戦でショッカー戦闘員を血フブキを浴びながら倒していくところは,オリジナルの第1話を思いださせるし,私もワイヤーアクションには違和感を感じる方なので,今回くらいの戦闘アクションがちょうどよかった。仮面ライダーにマーベル風の戦闘は似合わないと思う。むしろもっとオリジナルに近いオドロオドロした「怪奇」的なシーンが欲しかった。

作品にはいろいろ意見があるのは理解できるのだけれど,キャストの良さは多くの人が認めるところだろうと思う。まずは,主人公の池松壮亮。暴力に悩む弱さとそれを乗り越える賢明さ,そして誠実さを感じさせる本郷猛であった。アクションもほぼ自分で行っているとのことで(最初の作品発表のときには足を怪我して出てきたのを覚えている),今回の本郷猛を手探りで追い求めていったことがよくわかった。

次に,浜辺美波。彼女が演じる緑川ルリ子がいなければ,この映画の魅力は半減しただろう。それほどに,かっこよく,かわいい。彼女はいつもクールに「用意周到」なのだけれど,ところどころおかしい行動をして,それが可愛い。例えば,敵にに襲われたときもすぐには敵に対応せず,本郷猛が淹れたコーヒー(?)を飲み続けるところや,コウモリオーグ(だったかな)のときには,「ところがギッチョン」なんて古めかしいオヤジギャグが入るところなんて,そのギャップに萌える。強い女性は魅力的なのだ。

柄本佑が演じる一文字隼人は,とにかくカッコいい役だった。孤独を愛する好青年を演じていて,この映画の清涼剤となっている。彼がいなければこの映画はもっと暗く,陰鬱としたものになっていただろう。彼の爽やかさがこの映画を(そして本郷猛と緑川ルリ子を)救っている。私は,このかっこよさになぜか「グッド・ウィル・ハンティング」のベン・アフレックを思い出した。

そして思いの外良かったのが,ハチオーグ役の西野七瀬。彼女は期待以上の素敵な悪役ぶりで,正直見直した(すみません)。殺陣も素晴らしく,今後もこうした役をやってほしい...

キャストはみな素晴らしく,満足だった。そしてサイクロンを始めとするバイクもすべてかっこよかった。この映画を見て「バイク乗り」に憧れる人も少なくないのではないだろうか。一文字隼人の「バイクはいい。孤独を楽しめる。だから好きだ」(うろ覚え)のセリフが心に残る。

正直にいって,この映画はそんなに観客が入らないと思う。しかし,続編があるならぜひ観たい。今は評価が低くとも,将来再評価される作品だと思う。どうか東映が赤字にならず,庵野監督に次作の依頼ができますようにと祈るばかりである。

#GWにようやく観ることができた。上映が終わる前に間に合ってよかった。地元ではアカデミー賞受賞作の「エブエブ」があっという間にレイトショーだけになってしまい,とうとう見逃してしまったのだ

2023年5月3日水曜日

ソフィア・ブテラ

 ソフィア・ブテラは映画「アトミック・ブロンド」にも出演していた女優。アルジェリア系の美しい女性である。

彼女に私が初めて注目したのは,「キングスマン」での悪役である。足先に刃物とつけて,次々と人を殺していく女殺し屋ガゼルだった。その身体能力がたいへん高いことは,その映画からも窺うことはできていたけれど,彼女の背景はあまり良く知らなかった。

彼女がダンサーだと気づいたのは,マドンナの「Hung Up」のMVである。この曲は,アバの曲のサンプリングが使われていて耳に残る。私も大好きな曲である。そのなかで,ほんの少しだけれど,彼女が出ている。まるでエクソシストの映画のように逆ブリッジで歩いていた。それが彼女だと気づくのにはかなり時間がかかった。

しかし,マドンナのツアーの動画をみると,確かに彼女がマドンナのバックダンサーとして同様のダンスパフォーマンスをしていることがわかる。彼女はダンサー出身だったのだ。身体が動くのはそういうことだったのだ。

彼女は,「キングスマン」のあと,トム・クルーズ主演の「ザ・マミー」でも悪の女王として出演している。準主役をはれるメジャーな俳優になった。彼女は悲劇のヒロインというよりも,悪の女殺し屋みたいな役が似合っている気がする。今後もセクシーで冷血な悪党の役に期待したい。

2023年4月30日日曜日

アトミック・ブロンド Atomic Blonde

 シャーリーズ・セロンという俳優は私にとってとらえどころのない女性で,どこに特徴があるのかが(どこに軸足を置いているのか)はっきりしない。映画「スノーホワイト」では悪の女王だったし,「モンスター」では殺人犯を演じていたというし,ときには「アダムスファミリー」のようなコメディやホラーにも出演している。どんな作品にも対応できる素晴らしい俳優であることは間違いないのだけれど,〇〇俳優と分類することは難しいようだ。

今回見たのは「アトミック・ブロンド」。セロンは主人公のスパイを演じていて,これは完全にアクション映画なのである。アクション映画といえば,彼女は「マッドマックス」にも出演していたけれど,今作ではジョン・ウィックばりの戦闘アクションを披露している。というのも監督はジョン・ウィックのアクションコーディネータのデヴィッド・リーチなのである。セロンは,ジョン・ウィック2の主演のキアヌ・リーブスと一緒にアクションのトレーニングを受けていたとか。それで納得。とにかくセロンも身体を張ったアクションにチャレンジしている。そしてそれらがキレッキレ。本当に素晴らしい。

映画の舞台は,1989年のベルリン。強烈な80年代ポップスの曲をBGMに次々とスタイリッシュな画が続く。アクション映画の王道を行く作品で,頭を空っぽにして楽しめる作品である。ただし,セロン演じるこのスパイは笑わない。一方で,ファッションからセリフまでななにからなにまでスタイリッシュ。立ち居振る舞いも美しい。だからこそ彼女の吐く皮肉が厳しい。。。

とにかくセロンの鍛え抜かれた身体によるアクションを楽しみたい。近接格闘のシーンは特に魅力的である。評価は星3.5(満点は5つ)

#シャーリーズ・セロンは壮絶な人生を送ってきたことでも知られる。興味のある人はぜひ彼女の経歴を調べて欲しい

2023年4月29日土曜日

今年の目標:姿勢を正す

 今年の目標のひとつに,「姿勢を正す」ということを挙げている。私が稽古している合氣道では特に「正しい姿勢」ということを重視するので,それほど短くはない期間稽古している私としては(そして,それなりに指導している身としては),「いまさら何をいう」というテーマではあるけれど,正直にいうといまだ手探りで「正しい姿勢とはなにか」を探っているのである。

「正しい姿勢」の定義として,「長時間保つことができる姿勢(リラックスしている)」,「安定した姿勢(どこにも力が滞っていない)」などが考えられるのだけれど,私がこれまで「そうだ」と思って取っていた姿勢ではまだ不十分ではないかと昨年末から思い,それ以来工夫をし続けている。

数十年稽古を続けていたのに,なぜ今になってそう思い始めたかという理由は,「内臓への負担」である。昨年,今年と身体,特に内蔵の不調が続いていて,腹部の痛みを緩和しようとするために姿勢を工夫していたら,今までの姿勢に比べてより内蔵に負担がかからない,楽な姿勢があることに気づいたのである。その姿勢をとるとたしかに腹部が楽になるように感じる。

この姿勢が正しいのではないか,と考える理由のひとつが,「首が安定する」ということである。これまでの姿勢でも首が十分に安定であると思っていたのだけれど,強く「突き」を行ったときなどに首から頭にかけて反動が伝わっていた。サンドバッグなどを強く打つとそれなりの反動を首が受けていた。そして実は普通に空突きをしても反動がある。それが普通だと思っていたから気にもしなかったのだけれど(昔は首も鍛えていたから),上記の姿勢を工夫するようになって首がより安定して,反動の衝撃が小さくなることに気づいた。これはいい。インパクトを考えていろいろな種類の突きを試すのだけれど,どの突き方においてもより首が安定するような気がする。

具体的にこの姿勢を言葉で表そうとするならば,「背骨が立っている」ということだろうか。「仙骨を立てて,背骨も立てる」。もう何十年も聞き続けている言葉であるけれど,いかにこうした感覚を人に伝えることが難しいかということをあらためて思う。中国武術でも「立身中正,沈肩墜肘,含胸抜背,尾閭中正」などというけれど,自分がとっているものが本当の正しい姿勢がどうなのかはわからない。本当に正しいという感覚は自分で比べることができないからだ。

結局,武術の世界においては,「正しい」姿勢・動作というものを手探りで探っていくしかない。たとえ師匠が言葉で,そして身体で示してくれたとしても,自分は師匠とは思考が違い,経験が違うためにはじめから同じことを行うことはほとんど不可能である。「最高」の姿勢や技を身につけることはたいへんに難しいのだ。でもだからこそ,武術は面白い。武術を学ぶということは,師匠の教えを理解するために,そこにある哲学,そして文化的背景を学ぶことであり,答えは自分で見つける作業なのだとつくづく思う。

#以前に武道の先生から私にいただいた年賀状に書かれていた言葉が身に沁みる。稽古は常にふりだしから始まる。

「稽古とは,一より習ひ十を知り,十よりかへるもとのその一」

2023年4月23日日曜日

ジョン・ウィック チャプター2:ジョン・ウィックの怒りが頂点に達する

 ずいぶん前に観たジョン・ウィックシリーズ第2作目

「ジョン・ウィック チャプター2」(監督:チャド・スタエルスキ,主演:キアヌ・リーブスj,2017年)

相変わらず素晴らしい世界観であり,その中でジョン・ウィックは輝いている。妻との思い出を守るために,どうにもならないシガラミの中で一度引退した殺し屋の世界に彼はまた戻っていく。

アクションの白眉は美術館における戦闘シーンからの流れで,ガンフーが冴えまくり,鏡張りの迷路の中での戦闘は「燃えよドラゴン」のラストを思い起こさせる。またルビー・ローズ演じる殺し屋とのやり取りも重くならずあっさりと終わるところが素敵である。全体的に一作目にくらべ,アクションシーンはぐっと迫力を増している。また次作以降につながる今作の結末にはぐっときてしまう。

またジョン・ウィックの殺し屋世界のディテールも更に掘り下げられていて,例えばローマで武器を揃える際にソムリエが登場するシーンなどは,ユーモアもあってすごくワクワクした。

殺し屋世界の幅が広がり,ジョン・ウィックのカルマはまた深くなっていく。それがこの2作目なのである。

私の評価は,星4.5 ★★★★+★/2+☆/2(星5つが満点)

#本作の最初で,鉛筆1本で3人を殺すエピソードを話すヴィゴ(1作めの悪役)の親戚のボスは,(たぶん)キアヌ主演の映画「コンスタンティン」のルシファー役の俳優である。いい感じ。

#本作でジョン・ウィックと死闘を繰り広げる殺し屋カシアンは(たぶん)映画「グランド・イリュージョン」のFBIの上司役の人である。こちらもいい感じ。

#コンチネンタルホテルのコンシェルジュ役の俳優の突然の訃報を聞いた。死因は「自然死」なのだという。よくわからないけれど,彼の役は素敵だっただけに今後彼が出演しないのは悲しい。。。

2023年4月22日土曜日

村上春樹の比喩と川島明のツッコミ

 村上春樹の新作「街とその不確かな壁」が出版されたということで,出版業界としてひさびさのヒット作になるかどうかが注目されている。長編としては「騎士団長殺し」以来だろう。

こうみえて私は村上春樹の作品は好きだったので,たぶんすべての長編は読んでいると思うのだけれど,ワタシ的には「海辺のカフカ」を頂点として,だんだんその魅力が薄れている印象だから,本作ではぜひ面白さを復活して欲しいと思っている(あくまでもワタシ的に。1Q84は少しよかったのだけど...)。

さて,村上春樹といえば話法が特徴的だけど,今話題のAIなど使えば「村上春樹風」の文章を短時間に好きなだけ生成してくれるだろう。たぶん。たとえば僕がスパゲッティを茹でる間に。そしてやわらかな春の雪が地面にふりつもるように気づかない間に驚くほどの量を。君が考えるほど少なくない人数の人間が,私のこのブログも彼の影響を受けていると口をそろえていうに違いない。やれやれ。

ただ,村上春樹の独特な喩えについてはどうだろう。AIはうまく模写してくれるだろうか。たとえば,「広々としたフライパンに新しい油を敷いたときのような沈黙がしばらくそこにあった」とか,「私の頭は夜明けの鶏小屋のように混乱した」みたいな比喩を。こんな発想,AIには難しいのではないだろうか?意図なくランダムに語句を並べることはできるだろうけれど...

村上春樹の比喩は,ときに突飛で笑いの成分も多く含まれる。そんなことを考えていたら,これは俗にいう「お笑いの喩えツッコミ」にとても近いのではないかと思いついた。ダウンタウンの松本人志とか,フットボールアワーの後藤輝基とか,本当にうまいなと思うのだけれど,そうした変な喩えと村上春樹の喩えには共通点があるのではないだろうか。たとえば全く異なる例にたとえて,「そんなんXXXXくらいXXXXやんか」(良い例が思いつかなくてすみません)というツッコミで笑わせるところなんて,ハルキミ(春樹味)を感じさせる。

私が好きなお笑いの人のひとりが最近快進撃している麒麟の川島明である。「ラヴィット!」とか大好きなのだけれど,彼の比喩の瞬発力も秀逸である。IPPONグランプリを観ていても,「おもしろさ」と「感心」が共存している回答が多くて,彼の才能の素晴らしさに感嘆している。そして彼の「喩えツッコミ」も素晴らしいのだ。

こう考えると,村上春樹も瞬発力さえあればお笑いもイケるのではないか,なんて思ってしまうけれど,それはやはり妄想でしかない。彼の新作を読むのはいつのことになるかわからないけれど,今度は作品の中に出てくる比喩を数えながら読んでみたい。ただ,彼も年齢を重ねるにつれて,変な比喩は減っているように感じられるけど。。。

2023年4月16日日曜日

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

 映画を見終わったときに,タランティーノは何をこの映画で描きたかったのだろう,と思った。ディカプリオ演じる俳優とブラピが演じるスタントマンとの男の友情なのか,それともその時代のハリウッドの夢のような情景なのか,正直,よくわからない。まぁ,彼の作品はどれもそんな感じで,単に楽しめれば良いということなのかもしれないけれど。なぜか彼の以前の作品である「デス・プルーフ・イン・グラインドハウス」を思い出した。

ディカプリオは全盛を過ぎた西部劇の,彼自身も全盛期を過ぎた俳優を演じていて,その辺の悲哀,情けなさがよく伝わってくる。結局,マカロニ・ウエスタンの作品に何本か出て引退を考えるのだけれど,彼が踏ん切りをつけるまでのゆっくりとした心境変化が見ているこちらにもつらい。

一方,ブラピが演じたスタントマンの役は,先のことはあまり考えていない少し現実感がない男で(映画を観ながら,「もっと生活のことを考えろよ!」と思ってしまった),スタントマンとしてはたぶん信頼できる,義理堅いタフガイなのだろうけれど,どこか浮世離れして足が地についていない感じ。ディカプリオとの友情があるのか,ないのか,よくわからないふわふわとした少し不思議な関係が,その時代の夢「ハリウッド・ドリーム」を映し出している。

マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートは,実際には知る人ぞ知る(私ももちろん知っていた)カルト教団の惨殺事件の被害者であるけれど,この映画ではそうした結末にならない異なる世界線の話になっていて,彼女がシンボルとなっているハリウッドの夢は最終的に守られることになる。そこにタランティーノの夢が投影されているのだろう。私もこの結末には幸せを感じた。彼女は本当に夢のようなチャーミングさを体現していて,本当にそんな人がいたのであれば,周りの人は好きにならずにいられなかっただろうと思う。そういえば,「デス・プルーフ...」にも,青い目をしたブロンドのお人形のような女の子が出演していたように思うけれど,タランティーノにとって彼女たちは夢の象徴なのかもしれない。

一方,この映画でちらりと出てくるブルース・リーの描かれ方はひどくて,遺族などが映画会社に抗議したというのもよくわかる。口ばっかり達者なひ弱な東洋人でしかない。現実は違うのだろうけれど,その当時ハリウッドからみた彼のイメージとはそんなものだったのかもしれない,と思わせる。

とにかく,観てなにか感動する,といった映画ではないけれど,ところどころに見どころがある映画だと感じる(タランティーノらしい)。たぶん映画マニア向けなのだろう(私は違うけど)。タランティーノはあともう少しで引退すると言っているけれど,まだまだ頑張って欲しい監督なのは間違いない。

2023年4月9日日曜日

就活で行きたい企業を決めるには?(3) 結局,「自己分析」と「企業研究」

就活において希望企業を選ぶのに際し,「名前」ではなく「希望条件」で決定したほうが良いという話の続き。すなわち,

  1. まず自分が働くにあたり企業が満たしておいて欲しい条件を思いつくだけ挙げる
  2. 次に同じく自分が働くことにおいてイヤなことを思いつくだけ挙げる
  3. 希望条件,拒絶条件に優先順位をつける
  4. そして,これらの条件を満たす企業を「名前」ではなく,「条件」から探す

という方法を学生のみなさんに提案している。すると,条件をどのように決めるか,ということを質問される。

希望条件は,そんなに難しく考える必要はなく,まずは思いつくままに挙げてみよう。たとえば「自分のやりたいことに関連した職」,「大学の研究の延長線上の内容」,「社会貢献が目に見える職業」などの仕事内容にかかわる条件から,「福利厚生(寮がある)」,「転勤がない」,「自宅の近く」などの環境に関する条件も考える。気軽に思いつくままリストアップしてみよう。

「自分は人生でなにをしたいのか?」,「なにが天職・適職なのか?」などと大きなところから考えていくと,なかなか条件が見えてこない。もっと身近な実感できるところから条件を考えてみよう。たとえば,「どんなことをしているときにワクワクするか」,「自分はどんなことを苦にせず当たり前のように続けているか」,「どんな余暇を過ごしているか」のように具体的に考えてみる。そんなふうに,自分が「できること」そして「幸せを感じること」がなにか考えてみることはそんなに難しいことではないのではないだろうか。

この条件を検討することは,「自己分析」,「企業比較」をすることに他ならない。残念ながら面接試験に落ちてしまう学生をみると,この「自己分析」,「企業研究・比較」が十分ではない学生が多いようである。「自己アピール」をする前に自己分析を,「会社を選んだ理由」を考える前に企業研究を,行って欲しい。その努力をちゃんとした学生は内定をもらう確率が高いようである。

5年後,10年後,自分はどんな自分になっているのかイメージできること,そしてそのためにこの企業に入るとどのようなことができるのか,よく考えてみてはどうかなと思う。

まぁ,こんな話はどの就活支援企業も話していることであるので,そんなの当たり前と思う学生も多いことと思う。でも,それを十分に検討するのには心理的ハードルがあることをまず知ってほしいと思う。たしかに何かを選択することは,他の選択肢を捨てることになるので,それはつらいのだ。でも,就活はその選択をするタイミングなのである。

夢も予定もなく

 世の中はゴールデンウイークGWである。今年は比較的天気も良いようで、これまでコロナ禍で自粛していたレジャーがもう一度賑わいを取り戻せばいいなぁ、と心より思う。やっぱり世間が暗いのは、私のような老人にはつらいものである。 ただGWになったとはいえ、私はなにをするともない。というか...