2019年11月23日土曜日

なぜ人は働くのか

今日は勤労感謝の日だったと思い出した.

「人はパンのみにて生くるものに非ず」というくらいだから,人は生活のためだけに働くのではなく,なんらかの精神的な満足を得るためにも働くべきなのだろうとは思う.

ではマズローの五段階の欲求の,「承認欲求」,「自己実現欲求」の満足のために働くのかというと,結局それは自己満足のために働くことになって,なんだか人物が小さくなってしまう.まぁ,マウンティングに明け暮れている人もいるけれど...でも自分のためだけに働くことができる人はまだ幸せのような気がする.

「人間の究極の幸せは,人に愛されること、人にほめられること、 人の役に立つこと、人から必要とされること。働くことによって、この4つの幸せを得ることができる」

日本理化学工業(株)会長 大山泰弘さんが禅のお坊さんに言われた言葉とのこと.どこかでこの言葉を見てメモっておいた.

結局,働かないと幸せは手に入れられないということか.

2019年11月22日金曜日

常在戦場

長岡に移ってきてもう一年近くになろうとしている.まだまだ地元のよくわからないことが多くあるのだけれど,最近またひとつ理解したことがある.

長岡の街中を歩くと,

常在戦場

と書かれたノボリをよく見かける.どうしてこんな生々しい言葉が街中で,と思っていたのだけれど,実は長岡藩牧野家の家訓であったらしく,長岡ではよく知られた言葉であると知った.

武道や格闘技でも「常在戦場」などとよく言われるのだけれど,その言葉に感化されたのかスキを見せないよう常にギラギラしている人などがいたりして,私はこの言葉にはあまり良い印象がなかった.そうした人たちは,いつも人を信用せず,気を抜かないで緊張しているから周囲の人にその緊張が移ってしまって,その人の近くではリラックスできなくなってしまうのである.

しかし,本当の意味はそんな小さな意味ではないことは多くの人が知っている.常に戦場にいるような心もちで,全身全霊でことに当たるということが,本来の意味であると私は思っている.苦境にあっても生き抜く智慧こそが,この言葉に示されていることなのだ.いつなんどき襲われても身を守れるような気持ち,体勢でいる,という小さな心がけ(でも,私にはそんなことできないけど)などと勘違いしてはいけないのだ.

長岡出身の偉人は,こうした気概をもってことにあったのだろうと思う.河井継之助,小林虎三郎,そして山本五十六.そうした長岡の先人たちは,こうした長岡藩の気風によって育まれたのではなかったのかと思うのである.

長岡の郷土資料館にある山本五十六による「常在戦場」の書

2019年11月20日水曜日

新しく研究室に配属された学生にする3つの話

本日,3年生が新しく研究室に配属された.私の研究室には5名の男子学生が配属されることになった.今日少しだけ顔合わせをしたのだけれど,まだなんとなく緊張している感じがして,ぎこちない.これから研究室に慣れてもらうことにしよう.

さて大阪大学にいた頃から毎年,研究室に入ってきた人にする話は決まっている.

ひとつは「研究室における存在確率を高めよう」というお話で,もうひとつは「助けてもらう力を養おう」というお話である.どちらも研究者としての能力に関わる大事なことだと思っている.

そしてもうひとつが「ガルシアへの手紙」の話.研究室での研究はこれまでの勉強とは異なり,皆が同じ問題を解くわけではないし,正解もない.それに関する講義も特別に開かれないし,教科書も参考にしかならない.すべては自分で格闘しながら進めていくしかないのである.

答えがないかもしれない問題に取り組んでいくのはつらい.それを乗り越えるためには自分が行っている研究を好きになるしかないとある先生はおっしゃっていた.私もそうなのかもしれないと思っている.だからこの研究室は,つらいけれど研究するのが好きな学生を育んでいきたいと思う.

2019年11月19日火曜日

映画「ドクタースリープ」の予告を見て奈良ホテルを思い出す

クラシカルなホテルというのは独特の雰囲気がある.古いのだけれど,モダンな感じがする.そして,そこに泊まることは,特別なことなのだと思わせてくれる.陳腐な言い方だけれど,日常生活とは切り離された別の空間にいることを実感させてくれる.その異世界トリップ感がクラシカルなホテルに惹かれる魅力なのだろう.

キューブリックの「シャイニング」という映画も山里離れた豪勢なホテルが舞台である.狂気の事件が続く美しいホテルがもつ完璧な対称性が,そこが異世界であることを感じさせてくれる.あまりにも人工的な世界は私達にとって異質な世界であり,恐怖さえ感じさせてくれる.キューブリックの撮る画面の構図は思わず見とれてしまうくらい美しい.そしてそのために恐ろしさも感じる.





写真は,奈良ホテル(実は泊まったわけではなかったのだけれど).
和洋が一番いい割合で折衷されている.こうしたところに美しさを感じるのは日本人だけなのだろうか.木格子の天井と赤絨毯の廊下.ギボシのついた階段の手摺とソファセット.絶妙なブレンドになっている.

奈良ホテルはヘレン・ケラーやチャップリンも宿泊したという由緒あるホテル.アインシュタインが弾いたというピアノも置いてあった.そうした物語がホテルの魅力を増している.結局のところ,クラシカルなホテルは長い歴史の中でそうした物語を数多く育んできたからこそ特別な場所になっているのだろう.そしてだからこそ映画の舞台にふさわしくなるのだろう.

2019年11月16日土曜日

Little Drummer Boy ~聖なるクリスマスに~

毎年,クリスマスの映画や音楽やらについてなにかしら書いているのだけれど,今年はまだ書いていないことに気づいた.どうやら私はクリスマスからもう遠く離れたところまで来てしまったような気もするけれど,それでもやっぱりクリスマスへの憧れは残っていて今年も文章を書いてみようと思う.

クリスマスの音楽は清らかで,幸せにあふれているものが多いから好きな曲が多いのだけれど,日本ではいまひとつメジャーではない,それでいて美しい歌が,

Little Drummer Boy

である.華やかさはないけれど「パ,ラパパンパン」という繰り返しが印象的で,素朴な清らかさがある.数年くらい前から急に気になってきた曲である.

----- Twitterより
2017年12月2日
マックでコーヒーを飲んでいる。店の中にはクリスマスソングが流れている。近くのテーブルの女子高生が曲に合わせて「ラパパンパン」と口ずさんだのが聞こえた。そうだな。クリスマスなのだな。ラパパンパン。
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この曲については,いくつもYoutubeなどに動画が上がっているのだけれど,私が好きなのはデビッド・ボウイがビング・クロスビーと一緒に歌っているもの.たぶんテレビ番組の収録なのだろうけれど,デビッド・ボウイがイノセントに歌っているのが思いがけなくて印象に残る.

歌の内容は,貧しい男の子が三賢者がいるベツレヘムに行って,贈り物がないので,生まれたばかりのイエスの前でドラムを叩いたら,イエスが微笑んだというもの.私はクリスチャンではないけれど,人に善意を贈るという行為を歌ったこの曲の素朴さに惹かれる.

最近,少しこの歌を耳にする機会が増えたような気がするのは,歌を好きになったことによって私の識別バイアスがかかったからなのかと思うけど,でも素敵なことに気づくことが増えるのは良いことだとも思う.


ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時...