2019年4月30日火曜日

平成最後の思い出は

30年前,天皇陛下の崩御のニュースを(たしか)スキー場で聞き,その後平成を迎えた.私も21歳(大学3年)と若かった.スキー場では(たしか)B'sの「LADY-GO-ROUND」が流れまくっていたことを覚えている.「恋しかるべき 我が涙かな」が今でもときどき頭の中でヘビロテするくらいにその頃刷り込まれた.

元号が変わる,ということは,なんだかんだいって自分にとっても時代の節目になっている.それを記憶のアンカーとして,いろいろなことを覚えていることになる.30年前の自分がどのようなスキーウェアを着て,どんなブーツを履いて,どのメーカの板をはいていたか,いまでもはっきりと思い出すことができる.そのスキーの格好自体にはなんの思い入れもないのに.

今回の令和の改元だって,もしかするとあとではっきりと思い出すことができるかもしれない.職場が変わり,今日も講義をし,そして平成最後の夜をビールとカツカレーで過ごしたということも.

2019年4月29日月曜日

ユマ・サーマンは今日で49歳.豊臣秀吉は小田原征伐のときには53歳だった.

私は映画が好きなので,IMDbというサイトをよく訪れて情報を仕入れる.IMDbでは,全米の興行収入やユーザの映画批評,そしてこれから公開される映画の予告編などを見ることができるのだけれど,コーナーのひとつに"Born Today"というものがある.もちろん,今日が誕生日のセレブが紹介されているのだけど,現在の年齢も表示されている.有名俳優の意外な年齢を見て驚くこともしばしばである(あの人ももうそんな年齢なのか...などと思うことがほとんどだけれど).

そして,今日4月29日が誕生日の俳優としてユマ・サーマンが紹介されていた.なんと年齢が49歳だという.実は私よりも若かった.これが本当にびっくりした.もっとずっと年上だと思っていた.

ユマ・サーマンといえば,もちろん「Kill Bill」シリーズが有名だけれど,同じくタランティーノの「パルプ・フィクション」とか,トラボルタとの共演の「Be Cool」とかなどで,ずいぶんと私が若い頃から目にしている女優で,若い頃から大人を感じさせる雰囲気だったからか,年齢を勘違いしていたらしい.うーん,でもショック.私の方が年上だったのか...

自分もすでに50歳を過ぎてしまい,この先の人生の短さを思うことがある.最近,年齢といえばもう一つ驚いたことがある.豊臣秀吉の小田原攻めのときの年齢がなんと53歳だったというのだ.小田原攻めの頃には,秀吉はもっと歳をとっていたのではないかと勘違いしていた.思いの外若かった.きっと「独眼竜政宗」のときの勝新太郎の秀吉の印象が強すぎるのだろう.あのときの勝新がまとっていたオーラは,とても53歳には見えなかったのだ.

ユマ・サーマンや秀吉と比べて私はなんと薄っぺらく生きてきたことか,と思う.残された時間はそれほど長くはない.これから何ができるか,それをよく考えてみたいと思う.

2019年4月27日土曜日

もとの姿は変わらざるなり

今日もスーパー銭湯で一週間の疲れを癒やす.
先週は平成最後の満月を露天風呂から眺めることができたが,今日は厚い雲に覆われて月は全く見えなかった.

しかし,この厚い雲の向こうには輝いている月があるのだと想像する.変わらぬ白い光が雲の向こうを照らしているのだと考える.それだけで勇気が湧いてくる.

And when the night is cloudy, there is still a light that shines on me
Shine until tomorrow, let it be

と歌詞が頭に浮かぶ.たるんだ身体は湯船に浮かぶ.

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
       もとの姿は変わらざるなり

と山岡鉄舟の歌も浮かぶ.気持ちも大きくなってくる.

さえぎる雲があろうとももとの姿に変わりはなく,その価値は変わらない.
それに気づけば自信をもって進むことができるだろう

2019年4月26日金曜日

アルコールの度数は体積比率

最近酒席において,アルコールの度数はなんの比率なのかという話題が出た.アルコール15%のお酒があるとすると,アルコールの含有率は質量ベースで計算されたものなのか,それとも体積ベースによるものなのか.さすがにモル比率ではないだろう,とは言ってみたけれど,実際はアルコールの何について計算されているのかはっきりしなかった(その場では,当然重量ベースだろう,という推測をしていたけれど.さすがみんな理工系.信じられるのは質量である)

その後気になって調べてみると,体積ベースで比率が計算されていることがわかった.すなわち,アルコール度数が15%だとすると,1リットルのうち150ミリリットルがアルコールということである.

ちなみにもしも重量比率だったとすると,水の密度が1000 kg/m^3で,エチルアルコールが789 kg/m^3だから,1リットルのアルコール度数15%のお酒のうち,850mlが水,150mlがアルコールだとすれば,アルコールの重量比率は,

(アルコール重量 0.15L*0.789) /(水重量 0.85L*1.0 + アルコール重量0.15L*0.789)*100% = 12.2%

となって,少し比率は下がる計算になる(0.789はアルコールの比重).
実際,料理とかではカップで測量し体積で換算するから,酒は体積比率なのだろう.

まぁ,どうでもいい話なんだけど.

2019年4月24日水曜日

「古市憲寿」くんと「落合陽一」さん

もうなんども書いているけど,私は皮肉屋が大好きで,勝海舟やフィリップ・マーロウがその最たる人たちなのだけれど,最近,また別の私のアイドルを見つけた.

それは「古市憲寿」くんである.

彼は,ぜひ「くん」づけで呼びたい存在である.
彼の魅力は「忖度」から程遠い発言をすることである.正確にいうと「皮肉屋」ではない.しかし,彼は彼の考えを素直に(?)発言してしまうのである.そこが素晴らしい.
彼は「誰の味方でもありません」という著書を最近出しているが,その中立感をちゃんと保っているところに彼の良さがあるように思う.

彼は当初「若者」の代表としてマスコミに登場してきたような気がするが,彼もすでに三十も半ばである.「若者」というにはちょっと歳を取りすぎた.しかし,彼の発言にはまだ若さがあり,世の中に流されていない感がある.そこに魅力を感じる.バラエティ番組にも出ているけれど,今のままちょっと世間から離れた考えをする人であり続けてほしいと思っている.

また「落合陽一」さんにも注目したい.

彼の発想も面白い.しがらみを超えたアイデアをどんどん出している.そのアウトプットがまた次のインプットとなって更に新しいアイデアを生み出しているような気がする.彼は新しい若者の形のような気がする.どんどん時代を切り裂く発言をしていって欲しいと思う.

ついこの前までは「津田大介」氏,「東 浩紀」氏あたりが若者代表だったような気がするが,ちゃんと「若者」の世代交代も進んでいるらしい.次の「若者」にも期待したい.

2019年4月23日火曜日

深夜のお酒のCMに思う

深夜にテレビを見ているとお酒のCMばかり流れているように思う.そしてそれをみて,日本はどんどん貧しくなっていることを実感する.

ビールよりも発泡酒やサワーのような安くて酔える,つまりは燃費がいいというかコストパフォーマンスが良いお酒のCMばかりなのだ.「せんべろ」という言葉があるけれど,日本がどんどん貧しくなっている証拠ではないかと思う.海外にいくと食費をはじめ物価の高さにびっくりするけれど,日本が逆に安すぎるのだ.給料が上がっている実感がないから高いものが買えないのだ.

私が学生だったころ,たとえばマルチェロ・マストロヤンニがコニャックのマーテルのCMに出ていたり(「これはマーテルのたくらみか」),サントリーのウィスキーのCMに見るからにお金がかかっていたり(例えば「ランボー,あんな男ちょっといない」(ローヤル)とかマンハッタントランスファーの「アメリカンで飲る」(VSOP)とか,もっと古いとサミー・ディヴィス・Jr,いや,あれはホワイトで安酒だったか)と,CMに夢があったような気がする.

今は,なにもかもが安っぽい.
世の中が疲れているからなのかな.もっと余裕があってもいいような気がする.

2019年4月22日月曜日

もし聖人ばかりの世界があるとしたら,そこはたぶん地獄と言う名で呼ばれるだろう

今はなににつけてもコンプライアンスが言われる時代である.少しでも偏見や差別が臭う発言があれば,それがクローズアップされネットで叩かれる.もちろんポリティカル・コレクトでない発言は問題だ.しかし,炎上させている人たちはちょっとやりすぎなんかじゃないかと思う.自分はああはなりたくないと正直思う.人間には余裕が必要なのだ(もちろん叩かれる方にもなりたくないけど).

世間がつまづいた人たちを苛烈に叩くことの異常性が最近ようやくあちらこちらで議論され始めているけれど,「正論」には反論が難しいし,炎上させている人たちは自分たちの「正義」に従って人を叩いているので,手加減をしないのだ.ブレーキがかからない.だから苛烈な責めを平気で行ってしまうのだ.

「正義」をふりかざす人はタチが悪い.「正義」なんて時代が変われば簡単に覆ってしまうものだし.「正義」の気分は容易に人々の間に広まってしまうもののようだ.でも,「法」よりも「正義(感情)」が優先する国の,息が詰まるような状況をみるにつけ,あんなところには住みたくないとつくづく思う.

しかし,私も苛烈に人を責めてしまうところがある.人のことは言えないのだ.ネットで行われるように匿名で行うことは私の美学に反するのでしないけれど,面とむかってだったら,腹が立つと正論をふりかざして絶対に論破されないように人を責めることがあった.本当に反省している.

私が憧れる人物のひとりは池波正太郎「剣客商売」の主人公 秋山小兵衛である.歴史上の人物で言えば勝海舟.海外小説でいえば,フィリップ・マーロウ.つまりは,清濁併せ呑むような度量の広さをもつ人間に憧れるのだ.人は自分に足りないところをもつ人に憧れる,というのは本当なのだろう.

清濁どちらもあるから人間なのだ.「清」だけの人間なんてどこにもいないのではないか.

キリストは,姦淫の女を責めようとする者たちに「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言った.松平定信の寛政の改革だって「水清ければ魚棲まず」,やりすぎて庶民に嫌われた.なにごともほどほどが大切なのだ.人間は聖人ではない.

銀河鉄道999の「ざんげの国」のエピソードは,次の至言によって締めくくられている.

「もし聖人ばかりの世界があるとしたら,そこはたぶん地獄と言う名で呼ばれるだろう」


2019年4月21日日曜日

引越して初めての床屋

引っ越しして困ることの一つに床屋問題がある.

いままでの馴染みの床屋ではなく,新規にお店を開拓しなければならない.そしてこれまでは,あの倒れる椅子に座って一言「いつもの感じで」といえばよかったものが,最初から細かく「ここはこうして」などとお願いしなければならない.それも初対面の主人に説明するのだから,本当に気が重い.そのうえ,完成された髪型が満足できるものとは限らないという不安がある.失敗したら1ヶ月以上,つらい髪型を通さなければならないのだ.

いずれにしろ,お店を試してみなければ判断できない.今日,勇気を出して住んでるところで一番近い床屋に入ってみた.「予約なしでも大丈夫ですか?」と尋ねてみると,「ちょうど今空いております」と,バンダナを頭に巻いた40代と思しき店主がくるりと椅子をこちらに向けた.もう後戻りはできない.あとは椅子に座って覚悟を決めるしかない.

椅子に座って,最後に床屋に行ったのは1ヶ月と3週間前だったということを話し,そしてその頃に撮影した私の写真を見せて,以前の髪型を理解してもらった.

結局,丁寧に主人は髪を切ってくれた.髪型も以前とあまり変わりない.十分満足の出来栄えだ.最後にコーヒーまで出してくれた.至れり尽くせり.

とにかくホッとした.これでまた1.5ヶ月大丈夫だろう.次も今日の床屋に行くことになるのだろうか.代金が,これまでの床屋より900円も上がったということが気がかりなのだけど.

2019年4月20日土曜日

平成最後の満月をスーパー銭湯でみる

今週も月曜からいろいろなことがあってとにかく忙しかった.時間が全然とれない.でもさすがにもう脳が働かないので,今日もスーパー銭湯に出かけた.最近,一週間に一度のペースで出かけているような気がする.職員住宅の風呂と違って,足と腰をのびのびと伸ばして湯に浸かることができるのが嬉しい.1時間半以上は湯船の中でぼんやりしている.緊張も少しは緩和されるようだ.

スーパー銭湯にも露天があって,見えるのは隣のショッピングセンターの看板(長嶋さんが警備会社の宣伝をしているやつとか)ばかりなのだけれど,それでも上を見上げれば夜空が見える.それだけでも十分開放感がある.

今晩も夜空を見上げていると,流れの速い黒雲の切れ目から真円の月が見えた.白く輝いていて美しい.そうだ,今日は満月だった.朝のニュースで「平成最後の満月」といっていたのを思い出した(もう「昨晩」の話だけど).

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
     雲がくれにし 夜半の月かな

などと紫式部の歌を思う浮かべてみたり.

だいたい私は月が好きなのだ.死と再生の象徴である月が.

平成最後の満月は,スーパー銭湯の壁に囲まれた夜空の中にあった.いつかこの月を思い出すこともあるだろうか.

2019年4月17日水曜日

好きなスニーカーを売っている店が長岡には無かった

初めてスニーカーを躊躇なく購入した.それもそのブランドの専門店で.人生50年を越えて,ようやく大人になったような気がした.

しかし,長岡に来て,その好きなブランドの靴の専門店が無いことを知った.

まぁ,そんなもんだろう.人生,タイミングのすれ違いでできている.


2019年4月14日日曜日

♪ Kenji Ozawaでいいのか

私は小沢健二が大好きだと公言しているほど好きなので,CMなどで彼の曲が流れてくるとピクッと耳が動いて思考が瞬間止まってしまう.

最近だとビールじゃなくて発泡酒のCMで「強い気持ち・強い愛」のイントロの部分が流れているから,ついついそちらを見てしまう.画面の中ではキムタクか檀れいが美味しそうに缶を見つめているのだけど.

オザケンの曲は,名曲から引用(サンプリング)していることが多くて,悪く言えばパクリなんだけど(最初からそれを隠してもいないし,またそれが素晴らしいからなんともいえないのだけど),この曲は珍しく作曲は筒美京平 大先生なのである.たしか筒美先生からオザケンへの指名があって共作の話が進んだのではなかっただろうか.オザケンが作曲を担当しなかったことを当時意外に思った覚えがある.

だから,CMで曲が流れてKenji Ozawaとテロップがでるとちょっと違和感を感じるのだ.この曲は筒美京平作曲ではないかと.歌までは流れないのだから作曲者の名前を出すべきではないかと.

でもアレンジはオザケンと筒美京平の共作とのことなので,この辺はちょっと曖昧.そうであったとしても♪Kenji Ozawa / Kyohei Tsutsumiと書くべきではないかと,オザケンファンの私は少し思うのである.

2019年4月13日土曜日

長岡技術科学大学の長岡駅にある広告

長岡技術科学大学は,実学を重視するだけあって,他の大学とはちょっと違う気がする.

長岡駅の広告もそうである.ちゃんとこうして宣伝している.私はこういうところは好きである.

これは,長岡駅入り口にある広告.

これは新幹線の新潟行きのホームにある広告.

受験生に対する宣伝というよりも,社会的な認知度を高める努力は大切だと思う.

2019年4月12日金曜日

長岡にはなぜラーメン屋が多いのか

関西から長岡にやってきて不思議に思うことはいろいろあるけれど,そのうちのひとつがラーメン屋の多さである.

長岡にはへぎそばという名物があるからそば屋が多いのも理解できる.関西にはうどん屋が多かったし.

でも関西にもラーメン屋はあったけれど,ここまで多くはなかった.東京ほどということもないけれど,小さな都市にしてはラーメン店が多い.新潟市も多かったりする.そういえば朱鷺メッセという催事場でもラーメン博とか開催されていたような覚えがある.新潟県民はラーメンが好きなのだろうか.

学生になぜラーメン屋が多いのかと聞いてみても「長岡が寒いから」などという答えばかりで,はっきりしない.ただ学生の間でもラーメンの人気は高く,卒業生が長岡でラーメンの食べ納めだなどといってラーメン屋めぐりを卒業前にするのだという.

とにかくいろいろラーメン屋がありすぎて,どこへいったらよいのかわからない.やはり人気店には行列ができるのだという.私も少しずつ巡ってみようかと思っている.そのうちなぜ長岡にはラーメン屋が多いのか,理由もわかってくるかもしれない.

ただ,数年前には新潟県の一人あたりのカレーの消費量が日本一になったことがあるとも聞いた.どうなっているのだ,新潟県民は.

2019年4月7日日曜日

子供の頃に遊んだ秋葉公園は本当に小さかった

長岡に落ち着いてしばらく経つ.大阪大学から長岡技術科学大学に異動してきたわけだけれど,長岡に住むのはこれが初めてではなく,幼い頃に住んでいたので2回めということになる.3歳から10歳(小学校4年まで)まで住んでいた.でも,あまりにも昔なのでその頃のことはすっかり忘れてしまっている.それでも小学校のときの記憶が少し残っていて,そのころ住んでいた自分の住所を思い出した.Googleマップで調べてみると今の住んでいるところから意外に近い.そこで散歩がてら,そのあたりを歩いてみることにした.

見覚えのある美容室,床屋,仕出し屋がいまだに通りに並んでいてうれしくなった.もちろん,広い駐車場に変わってしまったところもあるけど,あの頃の面影が残っていることがますます記憶を思い出させてくれる.

そこで私がいつも遊びに行っていた「秋葉公園」を探してみることにした.やはりGoogleで調べてみるとその公園はちょっとだけ離れたところにある.そうだっけ,秋葉公園に行くにはちょっと大きな通りを横切らなければならず,左右から来る車に気をつけていたことを思い出す.

秋葉公園についてみると,まずその小ささに驚いた.本当に小さい.よく「子供の頃はあんなに大きく感じたのに,大人になってから来るとぞの小ささに驚く」なんて話を聞くけれど,自分もそんなふうに陳腐なことを思うなんて思っても見なかった.しかし,本当に小さかったのだ.

地面に線を書いて「肉弾」という遊びをしたり,ゴムボールで手打ち野球をしたり,そして私も大好きだったビー玉をしたりと,あんなにいろいろなことができた公園は,大人になってみれば外周を一周りするのに3分もかからない,住宅街のなかのちっちゃな公園でしかなかった.そのことが思いの外ショックだった.あの頃の自分はどれだけ小さかったのだというのだろう.

秋葉公園という名前は,公園の中に秋葉神社という小さな社が祀られていることに由来すると思われる.今もそこにあったのだけれど,私の記憶ではほとんど覚えがない.記憶の中で公園の片隅のその部分は黒い影で覆われている.子供ながらに神社には畏れを感じていたためだろうか,と思う.そうしたものに対する畏れは今も変わらないような気がする.

近くに住んでいるのだろうか,私が行ったときには小さな子ども二人を連れた夫婦が遊びに来ていた.50を過ぎた男が一人,公園で長居をするのも不審に思われるかと思い早々に公園をあとにした.40年前の公園が残っている.それだけで,その頃私はここで生きていたのだという実感を得ることができた.こうしたことも自分のルーツを知るということに含まれるのだろうか.少し自分というものが確からしい気がしてくる.


2019年4月5日金曜日

新しく元号が変わることは良いことだと思う

新しい元号は不要だ,という意見の人も多く,私も事務的な書類については使用しない方が便利だし,良いと思うのだけど,元号自体は存続する方に賛成である.

不要論の人は,「元号なんて日本人が勝手に時間を区切っているだけだ」と言うのだけれど,それが大切だと私は思うのである.

勝手に人間が時間を区切っているのだ,というのであれば「正月」も同じである.考えてみれば1月1日だって365日のうちの一日であり,他の一日と区別があるわけではない.しかし,人間というのは意思が弱いから,区切りがなければ漫然と一年を惰性のうちに過ごしてしまいがちである.そこで,1月1日を新年の始まりとして区切りを設けることによって心を一新し,事に臨むことができるのである.こうしたお話を,藤平光一先生がされていたのをよく覚えている.私もそのとおりだと思うのである.

元号が変わることによって,人々の心が一新し,また次の時代に向かって歩んでいこうという前向きな心持ちになるのであればよいではないかと私は思う.改元に関係ない,そうでない人もいても構わない.しかし,それなりに大勢の人のマインドが変わることが大切なのではないかと思うのである.過去の時代に区切りをつける良いきっかけとなるだろう.

新しい年号は「令和(Reiwa)」.
私が心配しているのは,「R」の発音で「れいわ」といえるかどうか,ということである.ついつい「L」の発音で言ってしまいそうなので...

※平成31年をH31とか略すことが多いのだけれど,令和元年をR1とか書くと,どこか「お笑い」を思い出させるし,Revision1(改訂版1)という感じもしてしまう.そして,令和15年とかになれば,R15ということで子供は見てはだめなもののような気がしてしまい,ちょっと悩ましい.

2019年4月2日火曜日

2019年のエイプリルフール

昨日(4月1日)に書いた内容はちょっと生生しかったですが,エイプリルフールの冗談です.正弦波に含まれる高調波成分だけでできる内部の推定はほんの僅かなものでしょう.どうもウソがピリッとしないし,面白くないんだなぁ.反省します...

来年こそもっと素敵なウソがつけるよう「ウソ道」に邁進いたします.


これまでのエイプリルフールのウソ

2019年 AIを用いたリバースエンジニアリング
2018年 髪の毛のTHD
2017年 パワーエレクトロニクス・ソフトスイッチング技術に関わる二法則
2016年 地球を利用した無線電力伝送システム

2011年 パワエレの系統
2010年 電力の産地指定購入
2009年 人間の共振現象
2008年 夜中の台所にて,パワーエレクトロニクスの音色に耳を澄ます

2019年4月1日月曜日

AIを用いたリバースエンジニアリング

とにかく世の中はAI(人工知能)ブームである.たしかにAIはこれからの未来において大活躍することは間違いない.人間社会にも大きな影響を与えるだろう.ただ猫も杓子もとびつくというのはいかがなものかと思ってしまうのも実感である.

しかし,先日もAIを利用して昔の白黒写真に色をつけてカラー写真のようにするという技術が紹介されているのをテレビでみた.何千枚もの写真をつかって学習させたのだという.白黒写真というのは本来カラー写真に比べ,情報が不足しているのである.その足りない情報を推測して補ってしまうというところがすごい.たとえばこれを画像のモザイク外しなどに応用してみるとする.画像でモザイクがかかっていても,その中身を推定されてしまうのであれば,プライバシーの保護などずいぶん怪しくなってくる.音声についても同様で,「音声は変えてあります」などと表示されても本来の声を推測されてしまうのである.その上,AIによって推定された情報が正しいとも限らない.どこまで本物に近いのかを評価することは難しい.しかし,人はそのAIが推測した画像を本物だと信じてしまい,誤った判断を下す危険性もあるのである.

欠落している情報を入手できる情報から推定するということができるのであれば,これをリバースエンジニアリングで使用しようとする試みもすでになされている.たとえば,パワーエレクトロニクス分野のPWMインバータ.これは直流の電気を交流に変換し,その出力波形を正弦波に近づけようとするものだけれど,正弦波に近づくのは50Hzあるいは60Hzの周波数が中心で,PWM波形にはそれよりもずっと高い周波数成分が含まれている.この高い周波数成分はLow Pass Filterによって通常はカットされてしまうのだけれど,完全に除去されるのではなくわずかながら出力波形に含まれてしまう.これらの含まれ方は回路方式や制御方式によって特徴をもつから,これらを検出し,AIで推測させると,PWMの手法の推定だけでなく,内部の回路構成,スナバの定数までもわかってしまうというのである.この技術を用いれば,回路を密閉してわからないようにしても非破壊で内部を推測できてしまうのであるから,主要な技術が容易に盗まれてしまうのである.

このようにAIによる推測というのは,本来隠すべき部分でさえ明らかにしてしまう恐れがある技術なのである.こうした技術が確立されてしまうと世界が大きく変わってしまう可能性さえある.

>>> つづきは明日に

*PWM...Pulse Width Modulation

ヘミングウェイにとって命がけの競技こそスポーツだったのだ

「 ラグビーは人生ってやつを教えてくれる 」みたいな記事を書いて,ヘミングウェイの言葉を紹介したけれど,実はヘミングウェイは次の言葉を残している. スポーツと呼ぶに足りる競技は三種類しかない。それは闘牛、モーターレース、そして登山。他はすべてただのゲームにすぎない “ T...