2022年10月30日日曜日

50代半ばの男にはトレーニングが必要だ

 最近,野放図に3日間連続で大食する機会があった。一週間ほとんど身体を動かすこともなく,である。

まず体感したのが,自分の体力の無さ。深夜までモノを食べることになるとテキメンに翌日に影響がでる。疲労が一晩ではとれない。朝からすっきりしない。

次に集中力の無さ。集中力は体力なのではないかとつねづね思っているのだけれど,その事実を思い知らされた。疲れていると午前中であってもどこかおかしい。午後の講義においても板書で間違いばかりを犯していた。頭の中まで疲労が支配しているのだ。

お酒を飲めば,更に状態は悪くなる。疲労回復のために働く肝臓がアルコール分解の仕事にまわされる。水を大量に飲めば翌日見事に顔と身体がむくむし,お酒を飲んだあとは甘いものを大量に食べてしまうので,翌日の内蔵の調子もすこぶる悪くなる。なにもいいことはないのだ。

これを克服するのは,大食・深酒をやめるのが一番だけれど,そうも言っていられないこともある。いや,そうした機会でストレスを発散しているのもれっきとした事実だ。なによりこうした機会が楽しめなくなるということが悲しすぎる。回数は減らすけれど,ときどきは楽しみたい。

そこでトレーニングである。「トップガン マーベリック」を観た後に腕立て伏せをやってみて,ほとんどできないことにショックを受けたけれども,やはり男としてそれではいけないような気がする。美味しいものを飲んだり食べたりするためにもトレーニングをしようかなと思う。頭の働きもたぶん良くなることは間違いない。散歩も脳にいいらしいし。

50代半ばを過ぎて,どんどん体力はなくなるばかり。老化に少しでも抗うために少しは身体を動かそうと思うのである。その目標がトム・クルーズの5%くらいの体力であったとしても(そしてこれまでのように,それが三日坊主になる可能性が高いにしても)。

2022年10月29日土曜日

錆色の長岡と小川未明の「眠い町」

 長岡の街は茶色い。街中の道が赤茶けた錆色をしている。私が長岡の大学に赴任することが決まったとき,真っ先に思い浮かんだのはこの赤茶けた錆色の道路である。

長岡を訪れた人はこの錆色の道路に驚く。たとえば東京の明るい灰色をしたアスファルトの道路とあまりにも違う。街全体が錆びついているような印象を与える。曇り空の下,憂鬱な街といった雰囲気を醸し出している。

なぜ道路が錆色をしているのかというと,それは融雪パイプのせいである。雪が多い長岡では道路の雪を溶かすために,道路の中央に融雪パイプが埋められていて,雪が積もりそうになると公園の水飲み場の水のように水が吹き出す仕掛けになっている。おかげで道路の凍結などが防げるのだけれど,その水は地下から汲み上げている。もともとの地下水が鉄分を含んでいるのか,それとも融雪パイプ自身が鉄管なのかわからないけれど,融雪パイプから出てくる水は鉄分を多く含んでいるようなのである。そしてその水が錆びて道路を赤茶色ににじませているのである。

私は,この錆色の長岡の街を思うとき,大好きな小川未明の「眠い町」という作品を思い出す。主人公のケーは「眠い町」で出会ったなぞの老人から分けてもらった「疲労の砂」を世界に撒きながら旅をする。この疲労の砂をかけられると,ものは腐れ,鉄は錆び,人は疲労のうちに眠くなってしまうのだ。世界の工業化に逆らうようにケーは砂をまいていたのだけれど,とうとう砂はつきてしまう。ふたたびケーが「眠い町」を訪れると。。。

長岡の街はこの「疲労の砂」を撒かれたのではないだろうか。そんな空想をすることがある。私がときどき異常に眠くなるのも,その砂のせいではないだろうか。ケーはいつかこの街を訪れたに違いない。


#小川未明の作品は,どこか藤本タツキの作品に似ているような気がする

2022年10月22日土曜日

チェンソーマンのアニメがすごい。そして藤本タツキの才能がすごすぎる。

 この年齢になってあまり多くの本数のアニメは観ないのだけれど,今期観ようと思っている作品の一つが,

「チェンソーマン」(原作:藤本タツキ)

第1話を観たけれども,非常に絵が美しい。3Dの背景と2Dの登場人物たちがあまり違和感なく融合した画となっている。アクションも素晴らしいし,細かい描写も手を抜いていないように思える。非常にクオリティが高くて感心した。そして,たぶん多額の制作費がかかっているものと想像し,その費用の回収はどのようになされるのか心配になった。MAPPAがつぶれるほど疲弊しなければいいのだけれど。

原作は,ずいぶん以前に2巻(?)まで読んだ。その後は読んでいない。なぜか。それは物語が切なすぎるからである。私は悲しみで胸が締め付けられる切ない話が苦手なのである。このチェンソーマンに出てくる登場人物はそれぞれに背景があって,切ない思考・切ない行動をしている。主人公のデンジなんて,現代人のつらさそのものを背負っているようだ(デフォルメされてはいるけれど)。友達であった悪魔ポチタとの交流も切ない。ありえないような純粋な関係が描かれている。こうした物語を読むうちに私は胸が痛くなって,漫画から少し距離をおいたのである。

しかし,この原作者「藤本タツキ」は本当に才能がある。それを感じたのはチェンソーマンもそうだったけれど,「ルックバック」という読み切り作品を読んだときには,その素晴らしさ,切なさに感動した。この作品については私が述べるまでもなく,多くの人が絶賛していたけれど,本当に素晴らしい。この数年で一番感動した作品かもしれない。

「感動するということは,心に引っかき傷をつけることだ」,と誰かが言っていたけれど,藤本タツキの作品はまさにこれを実現していると思う。読むと切なくてつらい。だからずっと感動が残る。そんな作品を彼は生み出している。このまま多くの作品を描き続けてほしい。世間や出版社につぶされることなく。

「チェンソーマン」は今後も見続けたいと思う。私は3巻以降は読んでいないけど,第1部は完了しているはずである。まずは第1部最後までアニメ化して欲しい。関心がない私世代の人にもぜひおすすめしたい作品である。

#しかし,ジャンプって,同時期に「チェンソーマン」,「鬼滅の刃」,「呪術廻戦」を連載していたのか。すげぇ。

霊媒探偵・城塚翡翠:オカルトではなくミステリー

 私はオカルトが大好きなのだけれど,その私がタイトルに惹かれて観たドラマが,

「霊媒探偵・城塚翡翠」

である。主人公が女性霊媒師で,殺された人の霊を降ろし犯人を知る。しかし,霊視では犯人であるという証拠にならないから,バディとなるミステリー作家が推理をして論理的な裏付けをする,という内容であった。テレビの宣伝によれば原作である小説はたいへんな人気で,ミステリー小説としていろいろな数々のタイトルを受賞しているらしい。

確かに面白い設定である。霊媒によって犯人を知るだけではなく,それを裏付けるためにあとづけの推理をする。そんな小説はこれまでなかったと思う。いろいろな伏線があるということだから,今後はオカルトというよりももっとミステリー的な要素が強くなって,推理が難しく,そして面白くなっていくのだろう。それを楽しみにしている。

主人公は清原果耶が演じていて,芸達者なところを見せている。特に降霊しているシーンは良かった。謎めいた女性霊媒師を演じてはいるけれど,実は普通の女の子だったりするギャップもいい。彼女の魅力がこのドラマの魅力の多くの割合を占めているのは間違いない(というか,他にこの役をやれる若手女優はいるだろうか)。

バディとなるミステリー作家は瀬戸康史が演じている。今回はコメディ的な要素を排して演じている感じがする。妙にシリアスだ。彼にはなにか裏がありそうだから,今後が楽しみ。

今後が楽しみといえば,小芝風花もいい味を出している。まだ出番は少ないのだけれどこれから活躍しそう。刑事役の及川光博だけがちょっと役を作りすぎているような気が。。。悪い方向に働かなければ良いのだけれど。

私としては,おどろおどろしい心霊モノが大好きなのだけれど,このドラマは少し毛色が違うミステリー小説ということで期待している。そして主演の清原果耶に大期待。朝ドラ「おかえり,モネ」以来注目している女優なのだ。彼女の演技はなぜか心に残る。そうした俳優は数少ない。


#小説では,「Medium 霊媒探偵城塚翡翠」となっているようだ。Mediumは,服のサイズのMであるように中間を意味する言葉だけれど(Medium Voltageとか例であげたくない),実は媒体という意味もあって,オカルトの世界では「霊媒」を意味するのだ。昔,「メディウム」というオカルト・ファンタジー漫画雑誌もあったのだけれど…(大好きな高橋葉介の「夢幻紳士」が掲載されていた。姫野命シリーズもあった)

2022年10月16日日曜日

ブレット・トレイン:バカバカしくてスタイリッシュなアクション・コメディ映画!

 久しぶりに映画を観た。

ブレット・トレイン

英語でも"Bullet Train"。弾丸列車,超特急列車ということになる。ブラッド・ピット演じる悪運続きの裏社会の運び屋(?)が多くの殺し屋と同じ電車に乗り合わせ,混乱の極みとなるアクション・コメディ。ハリウッドというのはこういう馬鹿げた映画に巨額を投じて大作として制作するのだから本当に素晴らしい。細々とした暗い映画ばかりを作っている日本とは違う。

原作は伊坂幸太郎で,原作では新幹線が舞台らしい。映画でも東京から京都へ行く超特急となっているが,名前は「ゆかり」となっていた。この映画では,デフォルメされた日本のカルチャーが楽しめる。

ほんとに好きだなぁ,こういう楽しむだけの映画。ブラッド・ピットも楽しんで演じていたに違いない。いや,この映画の出演者はノリノリで演じていたに違いない。出演している真田広之もインタビューでそんな感じで答えていた。

真田広之は今回も映画の中で「運命」・「宿命」を語る人物になっている。アメリカ人から見ると彼はそうしたことを語りそうな日本人というイメージなのだろう(例えば「モータルコンバット2」でも過去の因縁を語っていたような気がする。「ジョン・ウィック4」でも語っていそう…)。でも彼が出演することで,なんとかこの映画のストーリーがまとまっているようだから,よかった,よかったと思う。

主要な出演者の中でも印象的なのは,殺し屋のLemon&Tangerine。特に,機関車トーマスに人生のすべてを学んだLemonがいい。この二人がいなければ,この映画にこれほどの笑いは生まれなかっただろう。

基本的にコメディ映画なので,アクションにもリアリティがなく(派手だけど),漫画のように楽しめる(さすがディビッド・リーチ監督)。しかし,スタイリッシュで金がかかっていることは人目でわかる。頭を空っぽにして楽しむにはもってこいの映画である。

なので,あまり人生の教訓になるようなことはないだろうけれど,今年悪運に苦しむ私にとっては「悪運は見方を変えれば,異なる捉え方もできる」という唯一の教訓にはいろいろと思うところがある映画だった。

ブラッド・ピットのかっこよさが際立つアクションコメディ映画。星5つ満点中,星4つ!★★★★☆。映画好きとブラッド・ピットファンは観るべき映画。

2022年10月15日土曜日

人は物語によって踊らされる

 人は事実によってではなく,それに付随する物語,ストーリーによって心動かされ行動する,という話をこのブログでは何度も取り上げている。人々はデータそのものではなく,そのデータを説明する文脈において判断しているように思われる。だから,新聞の記事なども執筆者が考えるストーリーにしたがってデータが解釈される。その解釈を私たちは理解し,そのストーリーを信じてしまう。そんな事実を何度も繰り返し見てきた。

1999年,東海村で発生したJCOの被爆事故。2名の当事者が多量の被爆で亡くなられたけれど,周囲の住民への影響はその被爆量の小ささからほとんど無いと考えられた。しかし,新聞や週刊誌などは被爆して健康被害がある,という文脈で記事を書き,結局住民の不安をあおり,風評を呼び,多くの人を傷つけた。私はその頃東海村に住んでいたので,そうしたマスコミの無責任さに本当に腹が立った。

例えばある新聞では,被爆症状の例を記事で取り上げていた。被ばく線量が広島・長崎の原爆による被爆レベル(数シーベルトとか)以上の急性被ばくの場合に現れる症状を紹介したのち,今回の周辺住民の被ばく量は数マイクロシーベルトレベルと想定される,と記事を結んでいた。1000000倍も違うような事例を並列して例示し,そのうえ「マイクロ」の部分は小さな文字で記されていた。明らかに印象操作を狙っている。そんな記事が数多くあって,本当に悲しくなった。

東日本大震災のときも同様である。ある新聞の連載では原発事故のために関東圏でも人が住めなくなる,なんて記事も掲載されていた。あるいは東京都で鼻血を出す子供が増えているだの,魚から大量の放射線量が検出されただの,とても科学的なデータ処理に基づいた記事とは思えない記事が多かった。ある個人の主張だとして記事を掲載すれば,新聞社の責任は問われないと思っているのだろうか(新聞社の意見は,「読者の意見」欄に表れると言われているが)。

テレビだって同様である。ある研究者もテレビ局の取材を受けた際に,全く逆の主張をしているように編集されて放映されて非常に憤慨していたのを知っている。

つまりは,私たちはこうした記事,番組を見るときには,よほど気をつけなければならないということなのだけれど,それはたいへんに難しい。意図・主張が明らかにされていなくても,いつのまにかある印象を持たされるようなことはたくさんある。そして,私たちもそうしたストーリーを(無意識的にも)求めているために,そうした記事,番組が数多く作られていくのだ。

私たちはどうしても単純な善悪に二分割されたストーリーに惹かれる。世界中の神話からしてそうした構造になっている。誰かが悪者になるのをどこかで欲している,世の中が陰謀によって動いていることをどこかで信じたい,そして自分のこの幸せでない状況は私自身のせいではないと信じたい,そんな欲求が,こうした物語を変わらず生ませているのだろうと思う。

人間が物語によって生の価値を求めている限り,私たちは誰かの物語に踊らされるのだろう。自分の物語を確立して,踊らされることなく生きていくことは可能なのだろうか。

2022年10月8日土曜日

心を整えることの意味:「整える習慣」

 最近,サウナブームということで「ととのう」という言葉が流行っている。心と身体がリラックスするという意味で使われているようだ(「ねづっち」の謎掛けではない)。

ちなみに私はサウナは苦手なようで,少しの時間入るだけで暑さに耐えられなくなる。あるスーパー銭湯のサウナに入ったら,床面が熱くてその上を歩くことさえできずにすぐに退散したくらいである。

さて,サウナで整うのとは別に,日頃の生活の習慣を気をつけることによって自律神経を整えようというのが,今回紹介する本の趣旨である。

「整える習慣」小林 弘幸 著

仕事や運動の調子がいい,というのは主に自律神経が正常に働いている状態を言うのである。仕事に集中できるとか,身体が軽いとか,体力にも影響されるが,自律神経にも大きく影響されている。いかに自分の100%のパフォーマンスを発揮するために,自律神経を整えていくか。それがこの本のテーマになっている。そうした項目が108個紹介されていて,それらを通していかに心と身体が密接な関係にあるかを知る。

この本を読んで一番驚いたのが,怒りによって一度自律神経が乱れると再び落ち着くのに3~4時間かかるということである。私なんて短気だからすぐに怒ってしまうのだけれど,そのたびに心が乱れパフォーマンスが落ちているかと思うと反省することしきりである。

私が稽古している「心身統一合氣道」では,この心と身体の働きについて非常に丁寧に教わることができる。心と身体の密接性については「心身一如」を前提として稽古の内容が組まれていて,まさにこの心を技を通して整え最高のパフォーマンスを発揮することを目的としている(だから多くのアスリートが学んでいるという)。この本を通して,私が稽古している合氣道との関係性を強く感じた。そんな形而上学的な崇高な事柄ではなく,日常の具体的な心がけ,行動を通じて,自分の心を整えていく。そのことの意味をあらためて考えるきっかけになった。

座禅や瞑想,中国の武術では,「調身,調息,調心」と言われる。結局のところ,自律神経を整えることに関係している。日頃のちょっとした心がけが,その秘奥につながっているのだということを本書を読んで再認識したのである。

2022年10月4日火曜日

完璧に美しいブリッジ:アントニオ猪木のジャーマンスープレックスホールド

 アントニオ猪木に関する記事を連続して書く。

なんだかんだいって,私の世代であればアントニオ猪木の思い出ってそれなりに多くある。猪木の伝説としては,例えばヒンズースクワットを1万回できたとか,関節が俗にいう「ルーズジョイント」で猪木には関節技が効かないとか,そんな話が思い出される。

では「猪木の最高の必殺技とは何なのか?」ということに関する答えを私の限られた知識で考えたい。

最も有効な技は,ズバリ「チョークスリーパー」である。実は喉を締める「チョーク」はプロレスでも反則技である。その反則技を猪木は審判に見せないようにギリギリのところで使うのが,ファンにとってはシビれるのである。猪木は実は「チョーク」である必要は全然なかった。彼は「スリーパーホールド」の使い手だった。馳戦では,本当に一瞬(2秒もかからないくらい)で馳を「落としている」。チョークは喉の気管を締めるのだけれど,本当のスリーパーは頸動脈を腕で抑えて締める。その結果,脳に血がのぼらなくなって一瞬で相手の意識を失わせることができるのである。猪木はその技術が本当に素晴らしいのである。彼はその技術に絶対の自信を持っていたのか,ここぞというときにスリーパーを出している。あのカッコいいスリーパーはもう見ることができないのか…

そして最も美しい技はなんといっても「ジャーマンスープレックスホールド」だと思う。この技の使い手は多くいるのだけれど,中でも猪木のブリッジはピカイチに美しい。スープレックスからフォールに持っていくためのブリッジの弧がやわらかく美しいのだ。ゴッチ直伝ということだったと思うけれど,ゴッチの弟子の中でもその美しさは一番なのである。私の中では,猪木と言えばこの美しいスープレックスを思い出すのである。

以前,スープレックスを練習したことがある。首で支えるブリッジを練習していた(首を鍛えれば殴られ強くなると聞いていたし)。柔らかく丸いブリッジを目指して練習したけれど結局低くつぶれたブリッジしかできなかった。猪木のブリッジは,目指すのもおこがましいものだった…(結局,できないままあきらめてしまった)

猪木がスープレックスでゆっくりと描く弧はみんなが目を離せなくなる美しさがあった。その完璧なスープレックスだけでも,アントニオ猪木はみんなの記憶に残り続けるだろう。

2022年10月1日土曜日

ある夜の水道橋駅の「ダーッ!」:アントニオ猪木の訃報を聞いて思い出す。

 アントニオ猪木の訃報を知る。

私が中高生の頃すごいプロレスブームがあって,彼はスーパースターだった。そして,その後の格闘技ブームにおいても彼は中心人物であり続けた。私は高校時代は空手道部でプロレスには興味はなかったのだけれど,空手道場のとなりのレスリング部の練習場には「週刊 プロレス」や「週刊 ゴング」が積まれていて,レスリング部に遊びにいくと時間つぶしに読んでいたような記憶がある。その頃,IWGP(「池袋ウエストゲートパーク」じゃないよ)が盛り上がっていて,猪木はハルク・ホーガンと戦ったとか,ビッグバン・ベイダーの方が強いとか,そんな強さ談義の他に,新間寿の監禁事件の真相はなんだったのか?などの怪しい話題も多かった。

大学時代になるとさらに大きな格闘技ブームがやってきて,プロレスは本当に強いのか?だとか,UWF設立時の猪木の役割はなんだったのか?などという話題で盛り上がっていた。彼が一線を退いてからは彼の人物記があちらこちらから出版されていて,それを読む限り人間的には完全だったとはいえないようだけれど,彼がいなければ日本の格闘技界は今とは全く違っていたものになっていたに違いない。それだけは間違いない。

私は猪木の試合を先輩に連れられてたぶん2度ほど観に行ったことがある。場所はどちらも東京ドーム。試合のひとつは坂口征二とタッグを組んでいたような覚えがある。もうひとつは確か馳浩と戦ってスリーパーで一瞬で馳を落としていたような...

そしてそのたぶん馳戦があった日だったと思う。試合後,猪木は「ダーッ!」と拳を天に突き上げた。観客のみんなも「ダーッ!」と叫んでいた。それからだと思う,みんなが「ダーッ!」と拳を突き上げ始めたのは。

そのどちらの日だったか,タッグ戦のあとだったか,猪木がリングにあがってこの「ダーッ!」をレクチャーしていたのを覚えている。まだまだ,「1,2,3,ダーッ!」が認識されていない頃だったので,猪木はマイクをもってやり方の説明を始めた。

(猪木)「私が,1,2,3,と言っ。。。」

(観客)(拳を突き上げて)「ダーッ!」

(猪木)「。。。たら,『ダーッ!』って言ってください」

(観客)(全員でズッコケ。笑い)

ってな感じで,なんとなく噛み合わず笑いが漏れていたのをよく覚えている。もちろん,このあと猪木の「1,2,3,あ,ダーッ!」は大成功だったけど。


この日,東京ドーム大会が終わり観客は一斉に東京ドームを出て水道橋駅に向かった。私も先輩も混雑極まりない駅に入り,切符を買って(スイカなんて無いし。オレンジカードというプリペイドカードはあった),ホームに上がった。そこで誰かが叫ぶのが聞こえた。

「1,2,3!」

その次の瞬間,ホームにいた人たちが一斉に拳を振り上げ,「ダーッ!」と叫んでいた。また誰かが,叫ぶ。

「1,2,3,」
(全員)「ダーッ!」

電車が来るまで,その儀式は何度も繰り返されていた。その夜,そんな熱い気持ちをもってみんな帰途についていた。その後,この儀式は全国に広がり,猪木のトレードマークとなった。

彼の訃報を聞き,そんな夜の出来事を思い出した。楽しかった夜をどうもありがとう。そして現在の格闘技界をどうも有難う。ご冥福をお祈りいたします。

#もしかして,今の若い人たちは,「1,2,3,ダーッ!」って知らないのかも...

ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時...