2019年12月14日土曜日

忠臣蔵 「大石東下り」をみてほしい

今日は気づけば12月14日.忠臣蔵,赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日である.

私は時代劇が大好きだけれど,若い頃はどうしても忠臣蔵を好きになれなかった.どうも辛気臭い話が多くて,剣豪が活躍する話があまりないからだったかもしれない.でもこの年齢になると忠臣蔵の講談が心に染み入る.本当に胸にグッとくるようになった.自分もトシだなぁ,と思わずにはいられない.

忠臣蔵といえば講談で,その数は300席程度は優にあるといわれる(講談師「冬は義士,夏はおばけでメシを食い」といわれるくらいだし).当然,そのすべてを聞いたわけではないのだけれど,私が好きなエピソードのひとつは「大石東下り」である.「赤垣源蔵 徳利の別れ」とか「天野屋利兵衛」とか,いずれも思わず胸が熱くなるような話なのだけれど,この「東下り」は,武士たるものはこうありたい,男たるものはこうありたい,と思わせる話なのである.

このエピソードの内容は,まぁ言ってみれば忠臣蔵における「勧進帳」というべきもので,「垣見五郎兵衛」を騙った大石内蔵助のもとに本物の垣見五郎兵衛がやってきて,絶体絶命になるのだけれど,垣見も人物で,大石の事情を見抜き自分が偽物だと告げて去っていくのである.この際,垣見であることを証明するはずの書面を大石が垣見に見せるのだけれど,それは当然白紙なのである.その後,この大石と垣見が見つめ合い,腹のさぐりあいのシーンが映画やドラマでの見どころになるのだけれど,これがたまらない.しかし,ここでは両者が無言で腹芸を見せるわけなので,この無言の時間に耐えうる役者の器量が必要になる.そこで問いたいのが,今,それができる役者はどこかにいるのだろうかということだ.それが今,忠臣蔵が映像化されない理由なのだろうと私は思っている.

ある講談師の方が「忠臣蔵のテーマは「別れ」である」と喝破されていたそうだけれど(神田松之丞さんの話されていた),この「東下り」は「別れ」がテーマではない.武士と武士,男と男の腹芸である.こんなファンタジーに涙する.私も日本人なのかな,とも思う.若い頃の私のように忠臣蔵を食わず嫌いの人には,ぜひ「東下り」をおすすめしたい.こんな大人になりたいと思うこと間違いない.


2019年12月8日日曜日

SMAPの歌う「世界に一つだけの花」

私はカラオケに行くことがめったにない.誰かに誘われたときにだけ行くのだけれど,それでも「女の子がいるときしか歌わない」と逃げているので,歌うのは一年にだいたい一回程度である.社会人になった90年代からずっとこんな感じだから新しい歌を覚える機会なんてなく,私が歌うのはすっかり20~30年前の古い曲ばかりなのである.

だからカラオケに若い人が一緒だと選曲に困ってしまう.やっぱり彼らにもわかる歌を歌いたいとは思うのだけれど,小沢健二でさえ20代の若者にはわかってもらえない.そこでなんとかやっと歌うのがSMAPの「世界に一つだけの花」なのである.実は今夏も一回,この曲を歌っている.

しかし,この歌は歌ってみるとわかるのだけれど意外に難しい.最初から同じようなメロディーが何度も繰り返されるから,それらを毎回同じ様に歌ってしまうと,聞いている方も歌っている方もなにか飽きてしまうのである.つまらない.これを上手に聞こえるように歌うのは本当に難しいと思った.

SMAPが歌ってみんなを惹きつけることができるのは,同じようなメロディーが繰り返されても5人が歌い継いでいって,彼らの個性がそれぞれ現れるからなのだろう.私はこのことに気づいたときにラヴェルの「ボレロ」を思い出した.ボレロではメロディーが2種類しかない.これを最初から最後まで1回のクレッシェンドで何回も繰り返し続けるだけなのだけれど,次々と異なる楽器で演奏されるため音色が変わり最後まで飽きることがない.そう,「世界にー」は「ボレロ」なのである.

これを一人で歌って聴衆を飽きさせないことができるとしたら,それは相当の力量だと言える.そしてそれは私が知る限り,この曲の作者である槇原敬之である.彼の圧倒的な歌唱力はそれを可能とさせる.まだ他に彼ほどこの曲を「聞かせる」歌い手を他に聞いたことがない.

ということで,私がカラオケでこの「世界にー」を歌うとみんながつまらなそうになる.申し訳なく思うのだけれど,私が歌える歌の中で一番みんなが知っていそうな曲はこれなのだから仕方がない.私に槇原敬之の歌唱力を求めるのは無理なのだし.


2019年12月6日金曜日

冬が来た

冬が来た.
長岡ではこの数日,冷たい雨やミゾレ,アラレが降り,ときには雷が鳴ってヒョウが降っていたのだけれど,とうとう昨日から雪が降り始めた.今シーズン最初の本格的な雪なのだけれど,先日からの冷え込みで初雪から雪が積もっている.長岡技術科学大学は山の方にあるので市街よりも雪が深いようで,昨晩帰るときには駐車場で車が雪に埋もれている状態だった.

先週末,スタッドレスタイヤに履き替えておいてよかった.今朝,通勤中に何台かの車がスタックしたり脱輪したりしているのをみてそう思った.12月のこの時期にこんなに積もるなんてビックリする.タイヤは結構な値段がしたけれど,それでも安全には代えられない.少しは安心できる.

また,研究室の学生のみなさんに話を聞いていて,「除雪ブラシ」なるものが必需品だと知った.スタッドレスタイヤとともに購入しておいたのだけれど,これが本当に必需品.車に積もった湿り気のある重い雪を落とすのもかなり難儀なのである.それがこのブラシさえあればあら簡単.すばらしい働きぶりである.無ければどんな悲惨な結果になっていたか,考えると恐ろしいほどである.

今朝は,ヒートテックの下着にズボン下,そして貼るカイロにダウンコートとフル装備で来たのだけれど,ひとつ足りないものがあった.それは長靴である.長靴を買うのを忘れていた.今日は合皮のスニーカーで来たのだけれど,もうビショビショでひどいものである.雪は水を含んでビチャビチャだし,その上思わぬところから融雪パイプの水が飛び出したりしていて足回りはすっかり濡れて冷え切ってしまっていた.学生のみなさんの言葉を聞いて,長靴も早めに用意しておけばよかったと後悔.

あと必要なのは,ブーツかな.スーツに長靴というわけにはいかないだろうから.それと長靴で運転するのは疲れそうだから,ドライビングシューズとして履き替えの靴が必要だ.

冬支度はお金がかかる.そして雪かきには労力が必要だ.運転には最新の注意が必要だし,部屋の暖房,衣服の洗濯など頭の痛いことが多い.それでも,こうして経験を積んでいけばいつか雪国の生活にも慣れることができるだろう.40年以上ぶりとはいえ,昔は長岡に住んでいたのだから.
昨日まで雪なんてなかったのに!
(居室からの景色)

2019年12月2日月曜日

世界最初の原子炉シカゴパイルが臨界に達した日

今から77年前の今日,1942年12月2日に,シカゴ大学において人類史上科学技術の大きな一歩となった実験が行われている.

歴史上初めて原子炉CP-1,すなわちシカゴパイルが臨界に達したのである.1939年に核分裂反応が発見されてからわずか3年ちょっとの後に原子炉が製作され,臨界に達していることは非常に驚きである.そして1945年には原子力爆弾が投下されている.平和利用を目的とした原子力発電は戦後ずっと経ってからであるけれど,それでも1950年代半ばにはもう原子力発電所は稼働している.

軍事のマンハッタン計画によって莫大な資金の後押しがあったことも大きく影響しているのだろうけれど,実用化まで本当に速いペースで進められたことに本当に感心させられるとともに,当時人類が核エネルギーを初めて手にしたことの興奮が伝わってくるようである.

以前にシカゴ大学を訪れたときに,ヘンリー・ムーアの彫刻「核エネルギー」を見た.シカゴパイルの実験を記念して設置されたものである.もちろん,それは原爆という最悪な兵器の端緒にもなったもので,私も複雑な気持ちにはなったけれど,一方でやはり人類が制御可能な核エネルギーを手に入れたという記念でもある.核エネルギーをプロメテウスの火と呼ぶ人もいるけれど,これから人類が宇宙に進出するためには不可欠なエネルギーでもあり,21世紀に必要なエネルギーであることは間違いないと私は思う(原子力発電所が最良の適用先であるかどうかはわからないけど).

一方,核融合炉はいまだ定常運転できるレベルに達していない.核融合反応が発見された1920年代ころからすでに100年が経とうとしているけれど,核融合炉が実現するにはあと50年はかかるだろう.核融合で動くガンダムやアトムも,そしてバック・トゥー・ザ・フューチャーのデロリアンも当分実現できそうにないのが悔しい.



桜を見ると思い出す

桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 について話していたので、そうい...