2022年6月25日土曜日

トップガン マーヴェリック

 「トップガン マーヴェリック」を観た。今,私の心の成分の少なくとも5%は「トム・クルーズ」でできている。

この作品はパーフェクト。最初から最後までダレることもなく,とにかく面白い。こんな完璧なエンターテイメント映画って,この10年,いや生まれてこの方観たことないのではないか。それほど無欠な映画であると自信を持って言える。

この作品,もう3年くらい前から公開が延び続けていて,ようやくこの6月に公開。私は最初の頃の予告編を観てから,これは絶対に映画館に観に行こう,と決意していた。そして映画館で観て,全くの満足感を味わった。映画館で観るべき映画であることは間違いない。

ストーリーは全く単純。どこかのならず者国家の核施設を爆撃するというミッションを果たすために,マーヴェリックがトップガンの教官として呼ばれ,トップガンのパイロットたちといろいろあって,結局ミッションを成功させる,という話。スパイ映画のように敵との騙し合いや登場人物の間の複雑な心理戦のようなものもない。単純だからこそ,観客はブレずに作品を楽しむことができるのだ。

オープニングから物語に引き込まれる。前作を観た人たちは(私が観たのは大学1年の時か),最初の戦闘機の艦上発着のシーンを観て,そして映し出される文字のフォントを観て,前作と同じことに気づき,そこからもうトップガンの世界に引き込まれている。マーヴェリックが教える若きパイロット同士の確執と和解についても前作と同様の展開だ。だからこそ,また安心して感動することができる。

トム・クルーズは観客を戦闘機F-18のコクピットに放り込むことを狙ったと思うけど,その目論見は見事成功している。私が観たのは4DXでもなんでもない普通の映画館だったけれど,パイロットが加速度Gを感じているシーンになると私だけでなく,他の観客も身体を緊張させているがよくわかった。それはそれらのシーンがCGではないからなのだろうと思う。

安易にCGを使って説明するのではなく,作戦を事前にパイロットたちに(そして観客たちに)説明し,その後そのミッションのハードさをコクピットのパイロットが映し出されるシーンによって実感させる。その試みは成功していて,パイロットの俳優たちが感じている加速度を体感しているような感じがする(もちろんそんなことはないけれど,身体が反応して緊張する)。トム・クルーズが実写にこだわる理由が理解できる。

そうなのだ。トム・クルーズがいる限りアクション映画は大丈夫なのだ。CGに頼らないアクションを彼が映像化してくれる。彼が映画を撮るとき,多くのアクションシーンはたいへん危険でまさにMission Impossibleなのだけれど,そのスタントなしの撮影が,そのリアリティが観客たちの共感・追体験を呼ぶ。それを彼は理解しているのだ。

もちろんこんなパーフェクトな映画はトム・クルーズだからこそ撮ることができたのは間違いない。前作のトップガン以降,36年間(!)ずっとトップスターでいたからこそ,こんな企画ができ,こんな撮影ができたのだ。この作品の完成度にはトム・クルーズも手応えを感じていたのではないだろうか。

評価はもっと高得点をつけたいけれど,5点が満点なので仕方なく5点!非の打ち所がない完璧な映画。心が折れそうなとき,元気を出すために本作を映画館で観たい。そして今度は,IMAXで観たい。なので,ロングラン,できればいつでも映画が観れるようにして欲しい。

とにかく映画館で観る価値があることが間違いない映画。こんな映画が存在すること自体が幸せ。

#もしもケチをつけるとすれば,字幕の和訳が…

#この映画でもトムは全速力で走っていた。そのことについてはまた別の機会に。

2022年6月19日日曜日

全く同じおみくじをひく

 実は今年になって,私は災難に見舞われ続けている。

奥歯が割れて部分入れ歯になったし,足首を剥離骨折してしまったし,そしてゴールデンウィークは手術のために病院のベッドの上で過ごすことになってしまった。厄年でもないのに,と思う。日頃の生き方に問題があるのだろう...

さて,私の散歩コースには少し大きな神社がある。夜の散歩が多いのだけれど,昼間に立ち寄るときには2ヶ月程度に一度おみくじを引く。私は占いは信じないけれど,おみくじは地方のあちらこちらの神社に参ったときに結構な頻度で引くのだ。まぁ,運試しである。

手術前,この神社でおみくじを引いた。結果は「末吉」。なにごとも今は耐えて待つべしという感じの内容が書かれていた。災難が続いているから,そうなのだろうと思いつつ,自らを省みたのである

手術が無事終わって退院し,リハビリのためにまた散歩を始めた。お礼参りも兼ねてまた神社に1ヶ月ぶりに立ち寄った。そしてあらためておみくじを引いてみた。運が上向きになっているかもしれないと期待を込めて。

結果は「末吉」。前回と変わりがなかった。おみくじに書かれていた内容を読むと...明らかに既視感がある。そう,手術前に引いたおみくじと全く同じものだったのである。私は,引いたおみくじは持ち歩いているので(新たに引いたら持ち替えるのだ),取り出して比べてみた。やはり全く同じ。おみくじの番号が一緒だった。

こんなことってある?って思った。たぶんおみくじは100種類くらい準備されていそうだけれど,全く同じ番号を2回続けて引くなんて。今,私の運勢は「末吉」で間違いがないようだ。

以前に,宮島の厳島神社でおみくじを引いたとき,「凶」を引いてしまって,また引き直したことがある。次に引いたおみくじは「凶」だった(書いてある内容は違ったけれど)。悔しくてもう一度引き直したら,またまた「凶」だった。さすがに怖くなって4回めを引くのはやめたけれど,今回のおみくじはそのとき以来の驚きの出来事だった。運がいいのか,悪いのか。

おみくじは自分の生活を省みるきっかけにちょうど良いと思っている。おみくじの言葉をもとに毎日の暮らしで至らぬ点を考えてみる。それが神様の言葉かどうかは,ちょっとよくわからないけれど,今回のおみくじの出来事は少なくともこれまで以上に真面目に生活を自省しようと思った。生活態度をあらため,健康になろうと決意した。

次回はどんなおみくじをひくのだろうか,楽しみである。

2022年6月18日土曜日

なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント

 私は人と話すことは苦ではないけれど,基本的に「ひきこもり」の性格であると思っている。人と会わないことがほとんど苦にならない。一週間や二週間,人と会わなくたって全然構わないし,実際,学生時代は夏休みになると,誰とも会わない週を作っていたりしした。

一方,人と会うのにはエネルギーが要る。人と会うのに外に出るのが億劫になる。もちろん人間は社会的な動物で,他人や社会環境とのつながりがなければ生きていくことはできないし,人に会わなくなったら私のボケは加速することだろうから,人に会うことはずっとやめることはできないのはわかっている。しかし,それでも会うことがつらく感じることがある。

私は人と話すことは好きである。平日は毎日学生の皆さんと結構な量の雑談をするし(学生の皆さんは迷惑に思っているだろうけれど),初対面の人であっても会話は弾む方であると思っている。

しかし,新型コロナウィルスのパンデミックによって,大学の講義や会議,学会の大会や会議がオンラインで開催されるようになるとそれが大変楽に感じられるようになってきたのも事実である。もちろん反面寂しく感じることも多いのだけれど。

この本は新聞(だったかな)の書評で見つけた本である。紹介されていた

「人に会うのに苦痛を感じるのは,そこに「暴力性」があるからだと理解する」

との言葉に,はっとさせられることがあって,以下の本を書店で求めたのである。

「なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント」佐藤優,斎藤環

そうなのだ!と思った。コミュニケーションとは,なにかしらのものを相手に差し出し,それに対する何かを手に入れる。等価交換とは限らない。相手から得たものが,相手の冷たい態度だけということもある。それでも何かを交換している。そしてその結果として何かしら私達の心は変化する。その変化は心が傷つくものであったりする。それを「暴力」と形容するのは自然なことのように思えるのだ。人に会うことには暴力性があるとの言葉のあとには

「その暴力には意味がある」

とも,語られている。結局人間というのは,コミュニケーションを取らなければ生きていけないのであるならば,本質的に暴力的な生き物であるような気がする。そうであるならば傷つくのも仕方ないような気がする。

人と会うことには,「暴力性」があるのであれば,小説や芸術作品にあうことにも一種の暴力を感じると言えるかもしれない。やはり心が動いたり,傷ついたりするから。人の変化には痛みが伴うものであるという当然の結論に辿り着いたのである。

2022年6月12日日曜日

未来への10カウント,木村拓哉への期待

 50歳を過ぎてから私の中でこの数年,木村拓哉,キムタクの株が上がり続けている。彼ももう50歳になろうとしているけれど,私にとって彼の魅力は増し続けているのだ。

私はヒーローの晩年の生き方に強く惹かれるところがある。たとえば野球の巨人軍のスター選手たち。期待されてはいたものの不本意な成績のなかでどのように生きていくのか。どうやって選手生活に幕を下ろすのか。晩年の過ごし方こそ彼らの(才能ではなく)性格が出る。

もちろんスポーツ選手だけでなく往年の芸能界のスターたちの晩年にも興味がある。たとえばクリント・イーストウッドやマイケル J フォックス。順調な人生であっても,難病とともにある困難な人生であっても,彼らは彼らの人生の中における役を全力で果たそうとしている。日本でも,石原裕次郎や渡哲也,あるいは原田芳雄,松田優作。ヒーローたちがどうやって人生の晩年を過ごすのか。そんなことが気になるような年齢に私もなったということだろう。

そんな私が,今後の大成を強く期待しているのがキムタクなのである。彼がもし普通のスターだったらたいへんに難しい立ち位置にいたのだと思う。彼のパーソナリティが強く出すぎて,あるいは私達がそのイメージを強くモチすぎたために,彼が演じる役の範囲が狭くなる恐れがあった。

しかし,彼は彼独特のブランディングによって,つきぬけた存在になりつつある。往年の石原裕次郎,高倉健,三船敏郎,勝新太郎などに連なる,存在こそが魅力ある役者の系列に入りつつあるのではないだろうか。

今期の彼主演のドラマ「未来への10カウント」を観た。正直,今の時代にあまり流行らない高校が舞台の学園ドラマだったので驚いた。フォーカスされているのはキムタク演じる主人公の再生の物語なのだけれども,ボクシング部の学生たちが抱えている悩み,恋愛,いじめなどの問題にそれぞれスポットが当てられて,今時めずらしい青春ドラマでもあった。

ただし,現在のドラマで視聴率が良いものは,だいたいドギツい人間関係や不条理な悲劇,陰惨な猟奇事件などの展開があったり,真犯人探しなどの謎解きがあったりするのに対し,本作はあまりにもストレートな学園ドラマだったので,視聴率が上がらないのではないかと心配し,実際そうであったみたいだけれど,私は悪人が出てこないこのドラマが結構好きであった。キムタクがこの作品を選んだというところに彼の考えが現れているような気がする。

ドラマのストーリーはひねくれたものではなかったけれど,彼を囲む登場人物たちを演じる俳優のみなさんがたいへんに魅力的で,単調になりがちな展開に色を与えていた。

特に,満島ひかりと村上虹郎の存在が大きかったように思う。満島ひかりのあの華やかさがなければ,特に前半の男ばかりの地味な展開に耐えられなかっただろうし,村上虹郎が登場してからは物語が引き締まって,このドラマでなにを描こうとするのか輪郭がはっきりしてきたように思う。もちろん,内田有紀や安田顕,生瀬勝久,柄本明などがしっかり周りを固めていたからこそ,ストーリーに集中できるようになったわけだけれど,上記の2名は物語に不可欠なスパイスであった。両名ともに映画やドラマにひっぱりだこなのがよく分かる。

自暴自棄であった主人公はボクシング部で出会った人たちによって再生を遂げていくわけだけれど,改めて書くけど,キムタクがこんな未来に希望が持てるような物語のドラマを選んだことの意味を私は思う。SMAP解散後,彼もいろいろと言われたけれど,自分の役割を淡々と果たしていく彼が私にはたいへんに魅力的に思えるのである。かっこよくトシをとっていく手本かな。今後彼がどのようなドラマ・映画に出演していくのか,ますます気になるのである。

#次回作はキムタクがキムタクである,ずば抜けてカッコいい役もいいなぁ。ただ「信長」には少し不安を感じている...彼も50歳ということで,この役を選んだのだろうけれど…


2022年6月4日土曜日

シン・ウルトラマン

 「シン・ウルトラマン」を観た。

私はたいへん楽しむことができたのだけれど,世間では評価が割れているらしい。私は,初代ウルトラマンの世代ではないけれど(「帰ってきたウルトラマン」の世代),やはりあの時代のウルトラマンのシリーズには惹かれるものが今でもあって,今回の作品にある数々のリスペクト・オマージュには心浮き立つところがあった。

ただし,悪評価をする人の気持ちも分からないではない。昭和の特撮感が強くて,アヴェンジャーズのCGを見慣れている人から見ると本作のCGはチープに見えるし(制作者はそれを狙っていると思うのだけれど),ストーリーが雑なところも結構目につく。しかし,それを考慮しても,そしてこれまでウルトラマンを知らかった人にとっても,及第点をあげられる作品なのではないかと私は思う。

今回具体的に書きたいことは2つ。

ひとつは,ウルトラマンになる男を演じる斎藤工と,メフィラス星人を演じる山本耕史の演技がたいへんに素敵だということである。この二人は結局宇宙人なのだけれど,地球人のことを守ろうとするウルトラマンである斎藤工は,少し人間を外れている感じ,まさに宇宙人的な雰囲気を出している(たぶん瞬きしなかったんじゃないかな)。一方,地球を手中に収めようとするメフィラス星人を演じる山本耕史は,とても人間臭い感じがする。だからこそ胡散臭い。それをうまく演じている。その対比が面白い。私達に近く感じる方こそ敵という構図がよく出ていると思った。

もうひとつ書きたいことは,私が個人的にオススメしたい,最初の怪獣(映画では別の漢字だけど)が変電所を襲うシーンについてである。鉄塔や変電設備がやけにリアルで,壊されるシーンにドキドキしてしまった。私達の日常が破壊されていくということを実感する。脚本の庵野氏,監督の樋口氏のコンビといえば「シン・ゴジラ」もだけれど,「シン・ゴジラ」の中でも,電線と電柱が揺れて破壊され,停電が発生するシーンがリアルっぽく描かれていた。

どうもこの二人は電力設備がとても好きらしい。今回は樋口氏がこうしたマニアックな演出をしたのだろうし,庵野氏も東京で見た「庵野秀明展」でエヴァの鉄塔,電線などの縮小モデルが展示されていて電気大好きなのがよく分かる。変電所内の送受電設備が火花を散らしながら破壊されていくさまに私は妙に興奮してしまった。このシーンだけでも本作を観る価値の20%ぐらいはある(個人的に)。

ただ映画を最後まで観て,私が一番印象に残ったのはヒロインを演じた長澤まさみの元気の良さである。コンプライアンス的に演出がいろいろ言われているようだけれど(私も幾分思ったけれど),長澤まさみはやっぱり魅力的であり,彼女が演じるヒロインが私達の希望を表しているのだと思う。エンドロールに流れる米津玄師の曲がそれを裏付けしてくれる。続編はなさそうだけれど,また観たい映画である。

評価は,星5点満点で4点。

#私の今年の年賀状も電柱と電線だったけれど

ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時...