JCO臨界事故に思うこと(1)
先週土曜日の夜に帰国した. いろいろと忙しく,ブログを書く余裕がなかった. サンノゼの交通事情や,往復の飛行機の中で観た 映画の話など,いろいろ記録にとどめておきたいことも あるけれど,今日は別の話. 10年前のことだけれど,記憶が残っているうちに, 少しずつこの話を書き留めておこうと思う. 10年前の今日,東海村の株式会社JCOの 核燃料加工施設において臨界事故が発生した. いま,この事故について学生に聞いても知っている人は稀である. しかし,私はそのとき,JCOの隣の建物にいた. (隣といっても何kmも離れていたのだけれど) その日のことはよく覚えている. 当時私は,日本原子力研究所 那珂研究所に 勤務していた. 職場のテレビは昼休み, いつも13:00のNHKのニュースを 見てから消されることになっていた. そのニュースで,茨城県の東海村のJCOという 会社の核燃料施設で事故が発生し, 作業員が病院に運ばれたとの情報が流れた. その作業員は「青い光を見た」といったという. 私はこのニュースを聴いて,上司に 「青い光って,まさかチェレンコフ光じゃぁ,ないでしょうね. けど,青色が出る炎色反応って,なんなんでしょう?」 と言ったことを今でも忘れない. 事実は,本当に臨界反応が起きて, チェレンコフ光が発生したのであった. しかし,私はこれが大きな事件になることなど, 予想もせず,まずはJCOという会社がどこにあるのか, ネットで調べた. そしてなんと,JCOは隣の敷地に建っているということが 明らかになったのである. 事故発生は11:00頃. 12:30には東海村が避難の案内を始めていたというから, 私は全然知らずにいたことになる. またJCOと研究所の間にはグラウンドがあって, 多くの職員がサッカーなどを楽しんでいた. 彼らもまったくその事実を知らなかった. しかし,私がいた職場も一種の原子力施設である. 核融合の研究所だったので,放射能レベルは大変低く, 日頃は実験装置の内部に入ろうとしない限り 放射能の危険など考えもしないようなレベルであったけれど, それでも万が一のことを考えて,放射能のセンサは 研究所の敷地に設置してあり,高いレベルの放射能が 検出された場合には警報が発せられるはずである. それが鳴っていない. 実際は,私たちの研究所においては, 放射能...