2021年10月8日金曜日

NO TIME TO DIE

 「NO TIME TO DIE」を観た。それでしばらく007の余韻に浸っている。

今回で15年間5作,ジェームス・ボンドを演じたダニエル・クレイグが引退するのだという。本当に残念に思う。

私はこのD.クレイグのシリーズが大好きだった。それまでの007というのは,どこか漫画的な設定でユーモアがあって,人物の掘り下げ(特に女性)が少し薄いという印象を持っていた。特に,ロジャー・ムーアの時代の作品をよく観ていたからかもしれない。

しかし,D.クレイグが初めてボンドを演じた「カジノ・ロワイヤル」を観て私の007の印象は全く変わってしまった。007は全くのハードボイルドになったのである。

まずストーリーから滑稽さが無くなり話はドライになって,007シリーズをハードボイルドのスパイ映画へと変えた。そして女性の描き方が深くなって物語はぐっと厚みを増した。さらにこれまでの5作に連続性を持たせることによって007の世界に広がりを与えた。つまり,それまでのアクション映画から,心情的にリアリティのある大人の悲劇となったのである。

D.クレイグ演じる007のカッコよさ,それがこの映画シリーズのすべてである。もちろん,ボンドウーマンも(エバ・グリーンとか,レア・セドゥとか,そして今回はアル・デ・アルマスとか),悪役も魅力的だけれど(なんたってカジノロワイヤルのマッツ・ミケルセンが最高),それもD.クレイグのカッコよさがあってこそ。ハードボイルドな007に憧れる。男はやはりカッコよくなければならないなぁ。

しかし,彼が007を演じると決まった時にはあまり期待する声はなかった。むしろ批判的な声が多かった。でも当時の彼は今の彼とは全然違う。人はペルソナをかぶることによって変わるというが,彼は15年にわたりジェームス・ボンドを演じることによって彼自身も変わったのかもしれない。ただ彼も年をとった。映画の中のボンドも年をとった。今回の結末は仕方ないのかもしれない。

次のボンドは誰が演じるのだろうか。D.クレイグのこれまでの実績がかなりのプレッシャーになることは間違いないだろう。


#余談だけれど,客の多くが私よりも高齢であったことに驚いた。007というのはそうした長い歴史があるのだとあらためて思った。しかし,そのせいか,(1) 通路を挟んで隣の人がいびきをかいてずいぶん最初のころから寝込んでいた,(2) 途中でトイレに立つ人が非常に多かった,などのことがあった。自分も165分という長さに,ちょっとトイレが心配だったけれど。

#個人的には,次のボンドはトム・ハーディがいいなぁ

2021年10月3日日曜日

占いは「呪い」だ!

 人は言葉に縛られる,ということについて,もう少し書きたい。

人は完全な自由思考ということができないようだから,自動思考のために信念とか教条とかにしたがうことによって思考の負荷を減らして毎日を生きているように思える。「そう学校で習ったから」,「テレビや動画で言っていてから」,「あの人がそう言っていたから」という言い訳がそれを示している。

「あの人がそう言っていたから」というのは,著名人や権威ある人の言葉である場合もあるけれど,好きな人,尊敬する人の言葉である場合も多い。それが良い影響を与えるものばかりであればよいのだけれど,人の心を傷つけるものであったり,一生背負っていかなければならない重たいものだったりすることもある。だから私は人にアドバイスしなければならないときには,特に気をつけている。

しかし,思考の負荷を軽くするために,私達はついつい人の言葉に頼ってしまう。最近の「占いブーム」はそうしたことが原因になっているのではないかと,私は思っているのである。

私達はなぜ占い師の言葉を容易に信じてしまうのだろう。それにはすぐ次のような理由が考えつく。

1.そもそも占い師の言葉に頼ろうとして訪ねるから

2.「よく当たる」とか「有名人が通っている」,「テレビに出ている」などの事前情報にに影響されているから

そして,占い師のテクニックがある。

3.「コールドリーディング」によって,自分の関係する事柄について「当てられている」と思わされてから,未来に関わる言葉を与えるから

4.与えられる言葉は,「このままだとだめになる。こうすれば救われる」のように,幾分「脅迫」の要素を含んでいるから

以上のような理由で,占い師の言葉を信じてしまうのだと思う。しかし,この占いのプロセスって「呪い」とほとんど変わらないのではないか,と思いついた。占い師は,ある意味「呪い」を客にかけているのだ。その客は,その後占い師の言葉に縛られて,そして時には恐れを抱いて毎日を生きていかなければならないのだ。

「呪い」と「占い」の違いは,「呪い」は自分の知らないところで,あるいは自分が嫌がるのに,かけられる(言葉で縛られる)ものであり,「占い」は自らが進んで言葉をもらいに(言葉に縛られに)行くものである点である。でも結果は一緒のように見える。

「占い」ブームは,いいかえれば「呪い」ブームではないのだろうか。そんなものが流行る世の中はちょっと心配なような気がする。


2021年10月2日土曜日

言葉は「言霊」であり,「呪い」である

 「呪いは呪われたと思いこんだら負けだ!」ということについて書いたけれど,結局のところ,人間は言葉をもったときから,言葉に縛られることになってしまったのだ。

人間が言葉を使って抽象的な思考をするようになり,その思考や感情が人間の身体と精神に影響を与えるという事実がある限り,言葉による「呪い」(のろい)は存在してしまう。それは「言霊」(ことたま)でもある。

残念ながら人の無意識は善悪を判断せずにどのような言葉も受け入れてしまう。だから他人の言葉によって自分の考えや感情が左右されてしまうし,催眠術や暗示も成立してしまうのだ。そして自分が用いる言葉についてももっと気をつけるべきなのだ。積極的な言葉を使うべき,という教訓はもっと真剣に受け止めるべきである。

「呪い」も「のろい」と読めば闇の技術であるけれど,「まじない」と読めばもっと生活に活用できるものになる。

この世界は暗示と催眠にあふれていて,それらは言葉によって制御されている。

(言葉だけじゃないけど。言葉以外による暗示についての考察はまた別の機会に)


ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時...