2021年8月28日土曜日

嘘がわかる超常能力の可能性について

テレビドラマ「准教授・高槻彰良の推察」がいい感じである。伊野尾慧の少し浮世離れしている感が学者らしくていい。話し方もどうも感情が入っているのかいないのか,ヘンに地についていない。そんな彼がたいへん魅力的なのである。

伊野尾くん演じる民俗学者である高槻は都市伝説などから本当の超常現象を探し求めているのだけれど,物語の語り手である彼の助手(神宮寺勇太)は,人が嘘をついていることがわかるという特殊能力をもつ設定になっている。助手の能力が超常現象を探し求めるときに,超常現象を主張する人たちの証言の真偽を判断するのに大きな武器になるのは想像に難くない。

ドラマの中では人が嘘をつくとき,助手の神宮寺くんはその声が歪んで聞こえるという表現になっている。これが面白い。ドラマの中ではその能力のために助手の彼は,人を信用できないという生きづらい毎日を送っているのだけれど,実際そんな便利な能力は存在するのだろうか。

実は,私はそうした能力を持つ人はいてもおかしくないと思っている。今回はそんなことを書いてみたい。

そもそも人は噓をついたら身体的反応があるものだろうか。「嘘発見器」があるくらいだからそれはあるに違いない。嘘発見器は,血圧,心拍,声などの変化(もしかすると皮膚の電気抵抗?)などを検出して,発言者の緊張を判断するものだと推測される。最近では,携帯電話を使って声紋などから判断するものもあるようだ。

つまり人間のセンシング能力が,それらの検出器と同等の検出精度があれば嘘を見分けられることになる。人間のセンシングは意外に高いと私は常々思っている。視覚,聴覚,嗅覚,触覚,味覚の五感の感度は,専門的な測定器に比べれば能力は低いように思うけれど,感度が低いのは人間の顕在意識の方であり,実は潜在意識の方は相当な量の五感からの入力を得ているのではないかと思っているのである。ただその情報を100%顕在意識に入力すると,たぶん脳の処理能力がパンクしてしまうので,五感からの情報はかなりの量をフィルタリングされて減らされているのではないかと考えている。

潜在意識に入力された情報は,通常時には顕在意識上にあがらないしきい値以下の強さで処理されているけれど,それがなんらかの危険を予知するものだったり,重要だと潜在意識が判断した場合には,その信号がしきい値を超えて顕在意識が察知することになる。

しかし,複数の刺激が統合されて新たに生み出された「嘘をついている」という刺激に対する感覚器はないから,脳はなんらかの形でその信号を認識する必要がある。そのときに「嘘」が「声が歪む」という形で認識されてもおかしくはないと思うのである。もちろん,「色」や「味」として認識されても構わない。要は,その人がわかりやすい感覚に変換されて認識される可能性があると思うのだ。

「人の嘘を聞く」→「五感をもちいてセンシングされた(時には複数の)信号を統合し,嘘だと無意識が判断する」→「信号が統合されたのちに得られた新たな感覚(判断)が,顕在化されるしきい値を超える」→「「嘘」という新たな刺激が顕在意識が認識可能なあらたな感覚に変換される(写像される)」→「(ドラマの場合)「嘘」という刺激は「声が歪む」という形で認識される」ということがドラマの設定では起こっていると推測できるのである。

「人のオーラが見える」などという話も,同様のプロセスが起こっている可能性があると思う。統合された(たとえば健康状態や精神状態に関する)判断結果を表現する五感の感覚がない場合,脳がその情報の度合いを(形而上の新たな感覚といっても良いと思う)色や光やその大きさなどの視覚情報で表し,それを顕在意識が認識しているのではないかと私は仮説を立てているのである。これは音を色で感じるような「共感覚」的な認識なのではないかと私は思っている。

ということで,私はそんなことを思いながらドラマを見ているわけで,民俗学的なテイストといい,私の好みのアイテムばかり。そんな「准教授・高槻彰良の推察」を興味深く見ずにはいられないのである。

2021年8月25日水曜日

素晴らしい自然をバックにスケートボードに乗る!

 オリンピックにおける選手の活躍を見て,あらためて人気が盛り上がるスポーツがあるのは間違いない。私が今回競技を見ていてやりたいと思ったのは,「空手」ではなく,「スケートボード」である。非常に若い人たちが世界のトップに立って活躍している。素晴らしい競技である。

ただし,今回のオリンピックのパフォーマンスを見て,スケボーというのは体操やフィギュアスケートのようにやはり競技者の体重が軽い方が有利なのではないかと思った。となると,デブで年寄の私にはちょっと難しいかな,と思う。スノボーでさえ怖くてできないし。

それでもスケボーには憧れがある。なんといったって,「バックトゥザフューチャー」(BTF)で,主人公のマーティが乗るシーン!過去に行ったときは,まだスケボーはなかったから子供のおもちゃの乗り物のハンドルを取り外してスケボーにして乗りまわす。これがカッコいいんだなぁ。

未来に行ったときは,ご存じ有名なホバーボードに乗る。これは反重力装置でもなければ実現しないと思っていたけれど(映画の中でのマーティが訪れた未来は2015年だったけれど),今から5,6年前にレクサスだったかな,高温超電導体を用いた浮上を用いたホバーボードが開発されていたのを覚えている。もちろん,決められたルートの上しか移動はできないのだけれど,「まぁ,よくやるよ」との感想を持ったのも覚えている。本当のホバーボードは,どういう原理を使ったら実現に近づくかさえも思いつかないけれど,素晴らしい夢の乗り物だと思う。

ということで,スケートボードで映画といえばやっぱりBTFが一番有名だろうけれど,私が印象的だったのは「LIFE!」(原題:The Secret Life of Walter Mitty,ベン・スティラー監督・主演)である。内容は,大人のファンタジーなのだけれど,とにかく背景で描かれる風景が素晴らしい。主人公は雑誌(LIFE)社のさえない男性なのだけれど,スケボーの腕は素晴らしいことになっている。ある男を探して世界中を旅することになるのだけれど,このシーンではアイスランドでロングスケートボードに乗って雄大な自然の中,坂道を下っていくのである。風を切る主人公の姿が素敵だ。本当に主人公は気持ちがよさそうなのだ。彼はさえない空想家なのだけれど,旅の中で現実の世界でも自分が十分に素晴らしい人間であることを知る。夢がある映画だ。私は大好き。

話がそれたけれど,スケボーを始めるのならば,少年のように夢を見たい。でも実際は,転んだ時の痛みを想像して腰が引ける。私はもう夢を見れないほどに年老いたのか。

#最近,ベン・スティラーを見かけないなぁ。少し寂しい。

2021年8月9日月曜日

トランジスタはほろ苦い?

 今更,という感じだけれど,最近,一十三十一(ひとみとい)というアーティストにはまっている。彼女の作品を知ったのは,NHKの「タリオ」という浜辺美波,岡田将生が主演,そして「TRICK]のテイストそのもののドラマの主題歌だったからである。

ちなみにこのドラマ,浜辺美波の魅力全開だっただけでなく,岡田将生の能力の高さを感じさせる佳作だった(岡田将生出演のドラマにハズレなし)。たぶん,いつか続編が制作されるものと期待している。

さて,この番組の終わりには,(たぶん永井博の)イラストをバックに,この一十三十一の「悲しいくらいダイヤモンド」という主題歌が流れる。イラストでいうと永井博とか,わたせせいぞうとか80年代のキラキラした感じの作品づくりをしている。それが耳に残る。歌声もユーミンに似ているような,そんなに音域も高くない感じでたいへんに心地よい。

そして,ちょっと(かなり?)歌詞がちょっとヘンなところが魅力なのである。出だしは,

青い渚のカブリオレで 飛び去る二人は

悲しいくらいダイヤモンド やさしく奪って

という感じで,普通な感じだけれど,途中に

BABY BABY BABY IT'S YOU ほろ苦い トランジスタ

という歌詞が出てきて,???となる。どういう意味なんだろう?トランジスタってラジオのことを言っているのかな。でも耳にキャッチ‐である(と思うのは電気工学者だけ?)。いいなぁ,「ほろ苦いトランジスタ」。食べたことないけど,たしかにほろ苦そう。

最近,City Popというジャンルが話題だけれど,一十三十一の作品もそのひとつと言えるのだろう。耳当たりの良い曲は,この暑い夏にぴったりである。

2021年8月8日日曜日

民俗学者になりたかった

 今ではこんな職業に就いてしまっているけれど,私には高校・大学時代と心惹かれる職業があった。それは,「民俗学者」。柳田国男や折口信夫みたいに,フィールドワークをして各地の民話を収集することが夢だった。

日本のあちらこちらの地方をまわり,おじいさん,おばあさんから昔話(民話)を聞く。それを生業として生きていけたらどんなに幸せだったかと今でも思う。現実には,それは大変難しいことは重々承知だけれど。

不思議な話というのは,これまで村々に伝わる昔話,伝説が主であったけれども,現代においては都市伝説なんてものもフォークロアに含まれるようになって,ますます興味深い状況になっている。その伝説が成り立つために必要な背景,事件,人間の行動,そしてそれを支えるテクノロジー(SNSなど)などを考察すると,本当に面白い。特に私はオカルトが好きなので,実話怪談などが大好物である。

私が好きな漫画のひとつに「妖怪ハンター シリーズ」(諸星大二郎)がある。主人公は別に特別な能力をもつヒーローではなくて,民俗学者(学会からキワモノ扱いされているが)稗田礼二郎(と,最近ではその教え子)で,各地の不思議な現象に巻き込まれていく話である。ちょくちょく民俗学的な話も盛り込まれていて,マニアにはたまらない作品になっている(二作映画化されている。主演はそれぞれ沢田研二と阿部寛。いつかその話も…)

民俗学の漫画といえば,星野之宣の「宗像教授シリーズ」も忘れてはいけない。やはり民俗学者である宗像教授が世界のあちこちの超自然的な現象に巻き込まれていくストーリーで,妖怪ハンターシリーズと双璧をなしている(私的にですが)。

そしてここからが本題。「准教授・高槻彰良の推察」というTVドラマが始まった。主人公 高槻は民俗学の准教授。伊野尾慧さんが演じている(伊野尾さんもとうとう主役を演じるまでになったか,と感慨)。怪異現象を推理して解決していくというミステリー(ホラーではない)。人のウソがわかってしまうもうひとりの主人公の学生も素敵な設定だ(人が嘘をつくと,声がひずんで聞こえてしまうという能力。これはありうる,という話もいつか書きたい)。一回目のテーマは「コックリさん」。こんなところは,妖怪博士と呼ばれた井上円了を思い出す(ちなみに井上は長岡出身です)。もっとグレーな感じでドラマが進行していくことを望む。。。

とにかく,古来の伝承というのは夢がある。人間の無意識が反映されている。昔から神話が好きなのも,こうした理由からなのだろう。ドロドロとした人間の欲望が反映されるのが伝説なのではないかと思っている。

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...