2023年1月28日土曜日

濱マイク: 情けない男のカッコよさ

探偵 濱マイクが好きだった。

映画はシリーズ3本が作られていてその全てを観た。2002年のテレビドラマシリーズは12回分が制作されていて,それらは当時珍しいフィルム撮影,そして各回異なる監督が撮るというたいへん贅沢なシリーズだった。行定勲や青山真治など各監督で全く異なるテイストで各話が撮られているから,各回一話完結でほとんど繋がりがない。物語の設定だけ守られているようだ(実はそうでもないけれど)。最近,このテレビドラマの動画配信が始まったということで,もう一度見直したのである。やはり,そのすべてがカッコいい。

私はもともと情けない男が大好きである。そして探偵の物語が大好きである。ハードボイルドが好きなので,つまりは情けないハードボイルドの探偵が好きなのである。

たとえば,ロバート・アルトマン監督の映画「ロング・グッドバイ The Long Goodbye」。フィリップ・マーロウはハードボイルドだけれど情けない男として描かれている(NHKで浅野忠信主演でドラマ化された主人公はかっこよかったけれど)。そしてこの作品に大きく影響を受けたという松田優作の「探偵物語」。工藤ちゃんのカッコよさ,情けなさが際立っている。いまだに私の憧れのキャラクターだ。そしてその流れをさらに引き継いでいるのが,永瀬正敏演じる「濱マイク」なのである(その先も,「仮面ライダーW」とかあるのだし,また「金田一耕助」,「金田一はじめ」,「美食探偵 明智五郎」,「霊媒探偵 城塚翡翠」などもちょっと情けない探偵たちだ)

正直に言って,ドラマの各回の内容は理解できないものが多い。濱マイクをカッコよく描くことだけが目的の設定・ストーリーであって,トリックを解くわけでもないし,そもそも話に整合性はないし,ときにはSFのような設定になっている回もある。濱マイクのためのイメージストーリーというべきか。世間からかけ離れたストーリーだからこそ,濱マイクのカッコよさ,せつなさが際立っている。ミステリー展開を期待して見る作品ではない。

しかし,あらためていうけれど,ドラマのなにもかもがカッコいい。マイクのファッションもいいけれど,個性豊かな登場人物たちとの会話,煙草の吸い方など立ち居振る舞いもキザでカッコ悪く,それがすべてカッコいい。放映当時はこのキザさが不評で,ダウンタウンの松本などは「カッコつけすぎ」と嫌っていたけれど,私はそれがすごくカッコいいと思っていた。

映画のマイクはまだ尖った少年で,観ていてハラハラしたけれど,ドラマの彼は少しおとなになって落ち着いたように感じられる。その少しの落ち着き具合とキザさ加減がちょうど良いバランスなのだ。演じる永瀬正敏も30代も半ばを過ぎたくらいか。永瀬のタイミングもちょうど良かった。マイクの純粋さと擦れっ枯らしさが感じられた。

そう,「濱マイク」を観れば,普段は理解してもらえない,私が愛してやまない「情けない男のカッコよさ」とはなにかを理解してもらえると思う。今回,動画を観てあらためてそれを思った。


2023年1月22日日曜日

「予感」斉藤由貴・水嶋凛

 斉藤由貴は私と同世代(ひとつ上?)の素晴らしい才能をもった俳優である。しかし,彼女は過去に何枚もアルバムを出している歌手でもある。20~30年ほど前,彼女が歌うシングル曲は次々とヒットしベストテンなどに入っていたけれど,実は彼女のアルバムも名曲ぞろいでアーティストとしての評価はもっと高くてもよいはずと私は思っている。

その中でシングルカットはされなかったけれど,名曲のひとつに私の大好きな「予感」という曲がある。作詞は斉藤由貴本人で,作曲は亀井登志夫。当時なにかのCMに使われていたから,覚えている人も多いかもしれない。ミディアムスローな恋人との思いがけぬ再会の瞬間を歌った曲である。

この「予感」をあるとき耳にした。最初,歌っている斉藤由貴かと思ったけれど,私が知っている「予感」とは違う。しかし,声の出し方,歌い方,その曲の雰囲気は斉藤由貴にたいへん似ていたのである。特に声がそっくり。息継ぎの仕方だってそっくり。どういうことなのかと思っていたら最近謎が解けた。歌っていたのは水嶋凛という俳優・歌手であり,斉藤由貴の娘さんなのだという。なるほど。だからそっくりなのだ。

親子はやはり声が似るのだろう。同じように感じたのは,尾崎豊の息子さんの尾崎裕哉の歌を聞いたときである。もちろん歌は違うのだけれど,やはりところどころで尾崎豊を思い出させる。

斉藤由貴も尾崎豊も,どちらも子どもたちが確かになにかを受け継いでいる。子どもたちの歌を聞いて,ところどころに親から受け継いだそのなにかを感じるとき,私は少しだけ感傷的になってしまうのである。

#あまりに水嶋凛の予感が斉藤由貴の予感を思い出させたので…

2023年1月21日土曜日

神様はリフレーミングのためにつくられた?

 カウンセリングなどではリフレーミングというテクニックがある。出来事,性格,状況などを違った角度で見つめ直すことによって,その意味づけを変えるというものである。最近,あちらこちらでこの言葉を聞くことが多くなった。

たとえば,一生懸命受験勉強をしているとき勉強は苦痛でしかないという学生が,これは自分の将来のために必要なステップだと考えることができれば,勉強の意味の捉え方が変わるかもしれない。もしも,受験勉強が実らず大学受験に失敗したとしても,これは自分の足りない部分を教えてくれる良い機会なのだとポジティブに受け止め直すことができるかもしれない。また,いつか将来自分の夢が叶ったときに,あのときの受験勉強や失敗は今の自分に必要だったのだ,と思うかもしれない。こんなふうに,起こってしまった出来事は事実として変えることはできないが,その意味の捉え方は変えることができるのである。物事の捉え方の枠組みを変える,ということからリフレーミングと言われる。

過去の出来事の意味,価値を決めるのは現在の自分の状況だと思っているけれど(たとえば,受験勉強の例でいえば,それが必要だったと思うか単なる苦痛だったと思うかは,私が現在の自分に満足しているかしていないかに依る),結局,リフレーミングとは新しい物語の創造なのだと思っている。自分のための物語を作り直すことによって,現在の自分の状況を考える,あるいは救うことなのだと思う。

人間はあらゆることに理由を求めてしまう性質がある。「~がこうなるのは~であるためだ」と理由づけすることによって,人間は安心するのである。原因不明のままの状況は人間を不安にさせる。だから科学や哲学が発展してきたのだろうし,一方で原因を「妖怪」や「祟り」などの超自然的な存在に求めたりする。非合理的な超自然的な理由であっても,私たちは幾分それで安心することができるのだ。

こうした理由を求める性質とリフレーミングは強い関係があるように思われる。人間は安心するために物語を欲し,その物語を自ら作り出すこともできるのだ。以前のこのブログで紹介した次の話もこの文脈で理解できる。

ある部族の3人の姉妹が川に行って,真ん中の娘だけがワニに食べられてしまったのだという。現代の私たちはこれを説明するときに,「偶然」という言葉を用いる。たまたま真ん中の娘が食べられたのは「偶然」なのだと。しかし,それを聞いて部族の人々は納得できるだろうか。いや,それはできない。部族の人々にとっては,川の神が娘を召したのだと考えるのが一番納得できるのである。そうでなければ,他の娘が食べられなかったことが説明できないではないか...

ここでは自分たちが納得するために(安心するために),「神」という新しい存在を導入した物語を生み出している。

「こんなに不幸な出来事が発生したのは,神様が私を試しているからだ」と考えることによって自らの状況を救うということは人類創生以来ずっと行われてきていて,実は神様はこのために人間によって発明されたのではないだろうか。キリスト教の聖書に限らず,神が人間を試すために苦難を与える話は世界中に存在する。これは,神という存在がなければ自分が置かれているこの不幸な状況を説明できない,と考える人間がこの地球上に普遍的に存在するということを示しているのだろう。

神様が人間を創造したのではなく,人間が神様をリフレーミングのために作ったといえるのではないかと思うのである。


2023年1月9日月曜日

モデリングによって師匠のモデルを自身の中に構築する

 武道・武術の世界において「学ぶ」ということは,一般の「学習」よりもずっと「まねぶ」すなわち「真似る」ということに近くなる。

学校では,要素,要素から学び少しずつ基礎を積み上げていく学習方法が一般的である。小学校から大学まで,徐々に内容は難しくなっていく。先に学んだ基礎・要素的な知識を基盤としてその上にさらなる知識を構築していこうとする手法である。

一方,武道では,まず「できる」ことが求められる。そのため基礎から積み上げていく習得法では技を遣うまでに遅すぎるのである。ではどうするか?そこで昔から言われているのが「師匠の真似をする」ことである。技だけの真似をするのではない。日頃の立ち居振る舞い,すなわち歩き方から,煙草を吸うしぐさまで真似をしようとするのだ。すべて真似することによって,先生の内部感覚を再現しようとする。

そういうことができるようになれば,先生が技をかけているのを見て,師匠の内部感覚を推測し,それを自身の内部感覚で再現できるのだ(これを"見取り稽古"といったりする。ただし学ぶ側の習熟度も非常に高くなければならない)。その後,すべて真似した中から,要不要を見極め,必要なものだけを残して身に残していく。こうすることによって,技を比較的早期に身につけることができるのに加え,その他の技術も習得しやすくなるのである。

まず師匠の挙動を真似する。こうした学習方法は古来武術の世界では当たり前であるけれど,現代の一部の分野では「モデリング」などと呼ばれるらしい。制御工学でいえば,制御器(コントローラ,すなわち自身の中のモデル)の「オブザーバ」いや「内部モデル」というべきか。この内部モデルが正確であればあるほど,技の精度が高まっていく。師匠(先生)の内部モデルは単に身体の操作方法だけにとどまらず,そうした動きを自然化・自動化できるための思想,哲学までにも及ぶものでなければならない。技は高度になればなるほど,単なる体育的な動きに収まらない総合的なものになっていく。また,そうしたものを生活をともにし,師匠のお世話をすることによって弟子が身につけていくシステム,それが「内弟子制度」「徒弟制度」ということなのだろう。

私の合氣道の先生は,先生の先生がタバコを吸い,そしてタバコをやめるところまでも真似したとおっしゃっていた。他の武術においても,師匠と歩き方が似てくるとか,話し方がそっくりとか,そんな話を聞く。同じ合氣道であっても,習った先生が異なれば同じ技でも雰囲気が違ったりするし,「**先生そっくり」と言われたりする。結局のところ師匠を真似るところから始まっているのだ。

武術の世界だけでなく,世の中の短期間で習得を目指すためにはこの「モデリング」の技法が非常に役に立つだろうと思われる。世の天才を天才たらしめているもの,達人を達人たらしめているもの,それが何なのかなんて未習得者からみたら全然わからない。だからこそすべてを真似する。未習得者の知識と経験で,天才・達人の技術を取捨選択するなんてもってのほかである。その技術を習得した後に,不要な事柄を捨てればよいのである。こうした重要なことをもっと具体的にどこかで教えてくれればよいのに,と思う。

武術の技術がある程度以上に習熟した人にとっては,現代は素晴らしい時代なのだと思う。なぜならばYoutubeにいろいろな技術の動画が上がっているからである。見る人が見れば,その内容(裏に隠された技術およびその身体操作法,内部感覚など)がわかってしまうのだ。もちろん,「受け」を実際に取ることが最も重要な学びであることには間違いがないけれど。

一方で未熟で,経験したことがない人たちにとっては,どんなにすばらしい技の動画があったとしても,それらは単なる「通信教育」以下でしかない。


2023年1月3日火曜日

鎌倉殿の13人,そして坂本龍一

 いまさらながら,2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について書いてみる。

とにかく面白かった。2020, 2021年と,「麒麟がくる」,「青天を衝け」と続けてみてきて,大河ドラマはやっぱり面白いなぁ,と思っていたのだけれど,「鎌倉殿の13人」はまた格別の面白さがあった。

北条ファミリー内での抗争は,映画「ゴッドファーザー」シリーズを思い起こさせた(たぶん多くの人がそういう感想を持っていると思うけど)。主人公の義時は,アル・パチーノ演じるマイケル・コルリオーネである。マフィアとは別のところで生きてきた一人の若者が,ファミリーをめぐる抗争に巻き込まれ,ダークサイドに落ちていく。義時もそうだった。単なる片田舎の次男坊が,鎌倉幕府を背負う執権に上り詰める。自分の姉が源頼朝と結婚したばかりに修羅の人生を歩まなければならなかった。ダークサイドの闇に染まっていく義時の変化は,ゾクゾクとする面白さを私に与えてくれた。

このドラマの面白さは,次々と謀殺されていく登場人物の散り方である。佐藤浩市演じる上総広常を始めとして,頼家,実朝,和田,畠山など見ているこちらの胸が痛くなる死に方ばかりだった。無念な死,誇りある死,そして暗殺による死。どれも印象的であり,ときに挿入されるコメディータッチのシーンとのコントラストもあって,毎回観たあとに心がなんともいえない気持ちになることばかりであった。

そして義時の最期。私はなんてカッコいいのだろうと思った。最後の最後まで生にしがみつこうとする姿。それでいて,地獄にすべてを背負っていこうという覚悟。どのような死が自分に訪れようとも,それを受け入れる強固な精神力。そんな姿に憧れさえする。素晴らしい終わり方だった。

話変わって,先日,坂本龍一のラジオ番組を聞いた。彼は闘病中で体力も落ちてしまっているけれど,50分の番組のパーソナリティを務めていた。淡々と語られる彼の現状と今後の夢,そして書きためられたスケッチと呼ばれる作品たち。聴いていてなぜか義時を思い出した。静かに語られる言葉の中に覚悟が感じられるような気がする。

今年の私の目標は,「人生を楽しむ」である。残り少ない人生,私も覚悟をかためる必要がある(そしてそのためには,よく考え抜くことが大切だ)。

2023年1月2日月曜日

2023年の目標: 人生を楽しむ

 あけましておめでとうございます。

1月1日は人間が勝手に考えている区切りに過ぎないのだけれど,自分の行動を省みるよい機会なので,今年も目標を立ててみる。

まずは昨年の反省から。昨年の目標を達成度とともにあげると,

「叶えたい夢を見つける」(0%)
「身体を鍛えて体重を5kg減らす」(0%)
「合氣道の稽古量を増やす」(0%)
「本を12冊読む」(33%)
「映画を12本観る」(91%)

ということで,惨憺たる結果だった。どれひとつとして達成できていないというこの現実。こんな生活を送っている自分が恥ずかしい。

今年も実は同じ目標を立てたいと思っているのだけれど,今年は上述の目標に加え,

「人生をもっと楽しむ」
「身体の姿勢に気をつける」

の2つをあげたい。

私もずいぶん年をとり,気がついてみると定年まであと10年しかない。私の夢といえば,「金,女,健康,休暇」くらいしかないのだけれど,どれも満足するほどの実現は難しそうである。そうであるならば,定年後を見据えた別の楽しみを見つけていこうと思っている。

さあ,仕事に忙殺されるだけの生活とはお別れしよう。そして今年はリサーチから始めよう。残された人生,楽しく送る工夫を始めよう(残念ながら金はないが)。

#2022年に観た映画リスト

  1. The Batman
  2. シンウルトラマン
  3. トップガン マーベリック
  4. ゴーストバスターズ:アフターライフ
  5. ブレット・トレイン
  6. CURE
  7. 回路
  8. ジョン・ウィック
  9. ジョン・ウィック: Chapter 2
  10. ジョン・ウィック: パラベラム
  11. Atomic Blonde




夢も予定もなく

 世の中はゴールデンウイークGWである。今年は比較的天気も良いようで、これまでコロナ禍で自粛していたレジャーがもう一度賑わいを取り戻せばいいなぁ、と心より思う。やっぱり世間が暗いのは、私のような老人にはつらいものである。 ただGWになったとはいえ、私はなにをするともない。というか...