以前から老化のせいか,同じ話を繰り返すことが多くなっているような気がする。ある人にその話をしたかどうかが曖昧で,結局同じ話を繰り返してしまっていることがあるのだ。そして話が中盤に差し掛かったころに,「それは~でしたよね」と話のオチを相手から言われて,「うっ。またやってしまった」と気づいて顔が赤くなる。
しかし,実は意図的に同じ話を繰り返していることもあるのだ。同じ話を繰り返すのはその内容が大事なことだからなのである。
ある教えに関する話を再び聴くとする。このとき,「この話,前にも聞いた」と思ってしまうと,すぐに頭が真剣に聴くことを拒否しようとし始める。少なくとも話の内容について新鮮さが損なわれ,傾聴の真剣さが目減りして聴いてしまうのだ。そして心のどこかで「わかった」ような気になってしまうのである。
しかし,重要な話であればこそ何度も何度も繰り返す必要がある。話の内容である教えを一回で理解し実行できるような人がどれだけいるだろうか。だいたいのところ,一度や二度話を聴いても,それを「知行合一」のレベルで理解できる人は少ないのではないだろうか。
孔子の弟子の子貢は同門の顔回の才能について,「一を聞いて十を知る」と評したことは有名だけれど,たとえ「一を聞いて一を知る」だけの才能だけでも十二分に天才と呼ばれるにふさわしいと思う。どれだけ学習速度が速くなることだろうか。私などは「一知半解」もよいところである。。。
人に伝えたいと思う重要なことは,やはり何度も何度も話を繰り返すべきのだ。そして話を聴く側は,話を繰り返すことの意味を理解し,真摯に耳を傾けるべきなのである。たしかにそれは人間のなまけようとする特性からして,なかなかできないことなのだけれど。
#そして私の場合は上記のような深い意味から話を繰り返すのではなく,単に老化によるボケであるけれど。。。