「インターステラー」を観て――科学のリアリティと映画の相性
国際会議のECCE2026参加のためにバンクーバーへ行った。バンクーバーへはJALの直行便で行ったのだけれど,往路は9時間弱,復路は10時間程度時間を要した。毎回海外出張の際にはほとんど機中では眠らず,ずっと映画を観続けるのが常だったけれど,年齢のため体力がなくなったのか,今回は往復で5本ほどを鑑賞することしかできなかった。以前は8本は行けたのだけど。 今回は,機中で最初に観た「インターステラー」の感想。監督はクリストファー・ノーランで主演はマシュー・マコノヒー。2014年の公開である。当時,周囲やネットでは「好印象」の感想を目にすることが多くて,いつか観たいと思いながらもジョディ・フォスター主演の「コンタクト」のような内容を想像し,がっかりさせられるのではないかと心配もしていて,観る機会がこれまでなかった。 作品を観終わってまず思ったのは,「理解ができない」ということである。どうもノーベル物理学賞の学者が監修に関与しているらしくて,ところどころにハードSF的な科学的知的好奇心を刺激するネタがばらまかれているのだけれど,その一方でAIを搭載したロボットの形状や宇宙船の構造,降り立った惑星の描写などが雑に感じられて,科学を意識するからこそ気になってしまって物語の世界に没入できなかった。 特にブラックホールの探索以降は,私のかたい頭では理解が難しいようだった。4次元超立方体ってなに?それを映画ではビジュアル化するのだけれど,かえって解釈を妨げる効果になってしまったのではないかと思う。一方,映画の冒頭,部屋で本が重力波によって落ちてモールス信号を伝えるというくだりは,そのシーンを観るなり時間と空間の理論を利用した父親からのメッセージを伝えているのだとすぐに想像できてしまったし,裏切る人もすぐに予想がついてしまった。長い映画なので機中,集中力が切れてしまったことも問題なのかもしれないけれど。 この作品は当時結構話題になっていたけれど,私との相性はそれほどよくはなかったようだ。ノーラン監督の作品だと,「インセプション」や「テネット」の方が私には向いているようだ。現在公開されている「オデュッセイア」はどうなのだろうと興味はある。