2024年4月21日日曜日

ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時性が昭和の時代にはなかったリアクションであり、面白さである。

一方で、コメントを書き込むことへのハードルが低すぎるということがずいぶんSNSを問題のあるものにしていることは間違いない。ラジオ番組への投稿も、ネットであればネタを思いついたらすぐに投稿できるが、以前はハガキで申し込まなければならなかったのでネタを何度も吟味し送らなければならずハードルは高かった(と、こんなことを書いているけれど私はハガキ職人でもなんでもないのだけれど)。

こうしたネタであればよいのだけれど、ネット時代になって番組への感想などもほとんどハードルゼロで書き込まれることになった。その結果、ひどい罵詈雑言の嵐がコメント欄に巻き起こる。ポジティブで建設的な意見ならばよいのだけれど、上から目線の非難(批判ではなく)なども多く、見ていて相当に不快になる。これがSNSの欠点であると思う。

そしてそうしたひどいコメントを見ていると、どうも書き込んでいるのは若い人ではなく、40代以上の大人が多いのではないかと感じる。

そもそも若い人は長い文章をコメント欄などに書き込まない。一方、ひどいコメントの文章は長く、そして上から目線で失礼なものが多い。その内容も説教じみて、昔の感覚を基準に書かれていることが多いような気がする。そんなに嫌ならば番組を視聴しなければいいのに。そこで偉そうなコメントを書くことで承認欲求を満たそうとしているのだろうか。

若い人の番組に感覚が合わないなどというコメントを書いてみたり(個人の感想ですよね!)、有名曲のカバー演奏の動画に「あなたの歌は本家にはかなわない」みたいなことを書いたりする(それもあなたの感想ですよね!)。あるいは、お笑い芸人の番組に向かってまるでお笑いのすべてを知っているかのような口調で説教する(お笑いのプロに説教できるほどの知識と経験があるの?)。そしてそもそも悪意のある人がコメントを書き込む頻度が高いわけだから、コメント欄は悪口に触発されて爆発的にネガティブな文章であふれかえることになる。本当に読んでいると不快で腹が立ってくる。そしてゲンナリする。気持ち悪いけれど、私もその世代の人間なのだから。

私もこの年齢でSNSを見ているわけだから,その気持ち悪さにある程度貢献していることは認識している。私はコメントを書き込んだりしないけれど、目を通しはしている。おおざっぱに言ってしまえば、こうした中年・老年によるネット公害は、老害のひとつに含まれるのだろう。

このブログだって老人の承認欲求の表れなのだから、他人を非難することはできないのかもしれないけれど、心無い誹謗中傷のコメントを読むたびに自分はそうはなるまいと自省を繰り返すのである。

#匿名性の高いXからスレッズなどに移行すれば少しは改善されるかもしれないとは思う

2024年4月20日土曜日

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(3)~刀剣乱舞~

 以前、京都の名刹「大覚寺」を訪れたときに、玄関に男の子のポップが立っていて大変に驚いた。だって、「大覚寺」みたいに格式の高い寺社にアニメのポップが立っているなんて!ご朱印帳も以下のとおりである。

御朱印帳も膝丸エデション
「霊場」という言葉に不似合いな感じもするけれど...

でもこうしたキャラクターのおかげで、拝観者が増えているのだろうと容易に予想できる。このキャラクターはもちろん「刀剣乱舞」である。これは各刀に男の子のキャラクターを割り当てて擬人化しているゲームである(ゲーム内容は全然知らないけれど)。人気のあまり、アニメ化され、舞台化され、そして歌舞伎化もされていたりする。

擬人化されるのはイケメンばかりだから、ファンの大多数は女性になるのは当然かとは思うけれど,その影響で博物館や美術館で刀剣の周りには女性ばかりがいるようになったのは本当に驚きである。世の中は本当に刀剣ブームなのである。

まず雑誌。「刀剣画報」なる雑誌が書店に並んでいて驚いた。そんなに買う人がいるなんて信じられない…(まぁ、私が「秘伝」などという雑誌を読んだりするのも他人からみたら相当珍しいのだろうけれど)

次に,あちらこちらの美術館・博物館で刀剣の前で食い入るように見ている女性ファンの山が信じられない。足利市では山姥切国広の展示で3万7千人以上,来場者があったとか。学生時代,ときどき研究室で煮詰まるとサボって大学の近くの五島美術館に行っていた。平日だからかもしれないけれど,少し暗い館内で刀剣をずっと眺めていても誰にも会わなかった(まぁ,横山大観の絵の前に立っていても誰も来なかったような気がするけれど...)。それがいまじゃ,どの美術館,博物館に行っても刀剣の前には女性がいる(ような気がする)。そして彼女たちは刀剣の知識もたいへんに詳しい(ような気がする)。

そのうえサポートも素晴らしい。「山鳥毛」が瀬戸内市の所有になった話には本当に驚いた。寄付だけで9億円近くが集まったそうである。うーん,ひと昔前では考えられない。

本当に刀剣関係の人たちにとっては「刀剣乱舞」は大きな変革だったに違いない。大きなメリットとそしていくらかのデメリットもあっただろうけれど,刀剣に興味が集まるのは私はうれしく思う。



2024年4月14日日曜日

桜を見ると思い出す

桜が満開である。

研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。

学生の一人が「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章について話していたので、そういえばそうだった、と思い出した。

桜の妖しい美しさは、その下に埋められた屍体のためだと梶井基次郎は看破して文章を書いたのだけれど、上野公園の桜の木の下に埋められているのは、戊辰戦争のときの彰義隊だったろうか、それとも東京大空襲のものだったろうかと、ふと疑問に思った。

よく考えてみれば、梶井の文章が発表されたのは太平洋戦争の前なので、東京大空襲の話を知るわけがないのだけれど、梶井は彰義隊の話は知っていたのだろうか?

彰義隊の話は悲惨すぎるのでたぶんそれとは関係なく梶井は「桜の木の下には」を書いたものだと思いたい。

それにしても桜と死を結び付けた梶井の感性に感心する。そしてどちらにも美学を感じるのは日本人の感性なのだろう(私は「死」には美など感じないのだけれど)。

最後に本居宣長の桜の歌を。

敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花 (本居宣長

柿川の夜桜



大阪中之島にあるシーザーペリの建築

 少し前、大阪に行った際に、大阪市立科学館に寄ろうと思って中之島に行ったらなんと科学館は改装中で閉館していた。

中之島美術館や国際美術館でも観て帰ろうかと思ったのだけれど、なんとなく乗り気ではなかったので展示は見ずに、建物だけを見ていた。そういえば私は建築物を見るのが好きらしい。

国際美術館はステンレス?の屋根が特徴的な地下の建物になっている。この建物はシーザー・ペリという建築家の手によるものらしい。私は関西に住むまでシーザー・ペリという建築家を知らなかったのだけれど、あべのハルカスも彼の手によるものらしい。夜間に見るとライトアップされていてますます綺麗に見えるのでお勧めである。

右側が国立国際美術館

そして中之島にはもうひとつ彼の手によるビルがある。中之島三井ビルディングである。ビルの上の階のデザインが特徴的である。

中之島三井ビルディング。高いビルなので離れないと写真におさまらない

こんな風に現代建築が並んでいる中之島は、大大阪時代のクラシックな建築との比較が楽しめる実素晴らしい場所なのである。ぜひ散歩されてみては、とおススメしたい。

2024年4月13日土曜日

オッペンハイマー

 これは傑作!間違いない、と映画を観終わって席を立つときに確信した。

アカデミー賞をとった作品だからというわけではない。まぁ、私はクリストファー・ノーランが好きということもあるけれど、作品自体がたいへん面白くて3時間の上映時間の長さを感じさせなかった。

本作は、彼がナーバスな学生時代から原爆開発のマンハッタン計画で頂点に昇りつめ、その後栄光と後悔を抱きながら生きていく。ひとりの研究者の人生を正面から描いた正統派映画であって、戦後名声が地に落ちそれが回復されるまでの過程が描かれている。一方で、一歩引いた観点からみれば、原子力爆弾がなかった世界から、それが「ある」世界へと変わってしまったエピック的な出来事を描いているともいえる。そしてオッペンハイマーは、それが世界に与える影響を予見していた。

作中では、オッペンハイマーは、一流の研究者で、「原爆の父」であったかもしれないけれど、ヒーローでもなんでもない一人の苦悩する男として描かれている。流行りの思想にも浮かれるし、女にもだらしがなかったりする。またマンハッタン計画でみんなをまとめるのに東奔西走したりする。つまりは身近にいる弱さをもつ男として描かれている。だからこそ、私も映画を観ながら、「私だったらどうするだろう?」と自問を繰り返すことになった。そして,彼同様,ニューメキシコの核実験のシーンではドキドキしたし,その後彼が罪悪感に苛まれるシーンでは私も身もだえした。映画を観ることでオッペンハイマーの人生の一部を生きたような気がする。すなわち本作はそう思わせてくれる傑作なのだと思う。

オッペンハイマーについては学生時代、「アインシュタインの部屋」という本で彼の人生を知った。この本は、プリンストンの高等研究所に招かれた天才たちのおかしなエピソードをまとめた本だったけれど(アインシュタインとかゲーデルとか。映画にも出てきた。もう読んだのは30年以上前だからちょっと内容はおぼつかない)、オッペンハイマーというハンサムな英雄の数奇な運命が紹介されていてそれが印象深かった。私は大学を出てから、日本原子力研究所に就職したこともあり、彼のことはずっと気になっていたのだ。それが今回、こんな形で、そしてノーランの傑作として、彼の人生を知ることができるなんて...とても...

研究者であるならば、そうでなくても世界を変えてしまった男の人生を知りたいと思う人であるならばぜひ観るべき映画である。観た後に余韻と映画が出す宿題を楽しむことができる。

星5つ!(満点)★★★★★

#実際のところ、彼の性格にはちょっと鼻につくところがあったのかもしれない、とストローズとの確執のエピソードをみて思う。残された言葉も少し芝居がかっているところがある。

#フォン・ノイマンが出てこなかった...

#音響が素晴らしい。ぜひ映画館で!今年映画館で観た4作目。

2024年4月7日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」。この映画を観て初めに思った疑問は,なぜこの映画が大ヒットしていないのか?なぜ話題になっていないのか?ということである。私の周囲の学生にたずねても,本作の存在自体を知らない人が多かった。

なぜ?こんな名作になりそうなにおいがするのに?

テレビ東京が製作委員会に含まれていてCMがメジャー局で流れていないからなのだろうか。どうして宣伝しないのだろう?本当にもったいない。

原作を読んだことはなかったけれど,「あのちゃん」,「幾田りら」が声優を務めているということで私は映画館に足を運んでこの映画を観た。原作者の浅野いにおも気になっていて,あの絵の感じに妙に惹かれていた。平日最後の夜の回。公開から1週間しかたっていないのに観客は私の他に5~6名がいるだけ。そんなものかと思っていたけれど、映画館を離れるときにはこの観客の少なさに腹が立ってきていた。

映画の内容は、宇宙から侵略者がやってきて大きな被害が出たのだけれど、その後大きな出来事は起こらず、侵略者が存在する世界で日常が進んでいく。そんな世界の女子高生の青春物語...と思っていたのだけれど、侵略者の存在はそんな軽いものではなかった。生活のいろいろなところに影を落とし、それが顕わにする私たちの生活の暗い部分。それを女子高生が(もっというと小・中学生のころから)経験していく物語である。

友達との関係、親との関係、教師への恋、陰謀論に翻弄される人たちとの不理解、暴走する正義感、弱者である侵略者などなど、女子が経験するにはつらそうなことばかりである。私はこの映画はあまりに生活の暗部をむき出しにしすぎるので、「残酷」だと感じた。観ていて胸が痛くなる。「どうかそちら方向にはいかないで!」と心の中で思うのだけれど、残酷にも私が予期するBad Endingに物語は向かっていく。

前章では、主人公である門出と凰蘭の日常と過去、侵略者との出会い、など、謎が散りばめられていて、最後に「どーなっちゃうの?」とある意味クリフハンガー的な終わり方で映画は幕を閉じる。観た人は後章が気になって気になってどうしようもなくなる最高の終わり方になっている。いいぞっ!

こんな名作の予感しかしない作品に懸念されるのは次のふたつ。

1.当初,「後章」は4月下旬の公開だった。しかし,現在は5月下旬に延びたことがアナウンスされている。いやな理由でなければいいのだけど...

2.原作を知らないからオリジナルの結末も知らないのだけれど,映画は映画独自の結末になっているらしい。こうした「アニオリ」みたいなもので成功した例ってあるのだろうか?原作者がちゃんと関わっているのであればひどい結果にはならないとは思うけれど...

でも私はかなりの確率で後章を観に行く。興行収入が悪いからといって短期間で打ち切りになりませんように...(やっぱり宣伝が悪い!と思う)

星5つ!(満点) ★★★★★ 

#この前章の主題歌になっている、あのちゃん feat. 幾田りらの「絶絶絶絶対聖域」が大好き。どこかで聞いたことがあるような気がするけれど思い出せない。それが名曲のあかし。

#作中のドラえもんのパロディ「イソベやん」がちょっとドぎつくてドキッとする

2024年4月6日土曜日

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(2)~艦隊これくしょん~

 最初にゲームの擬人化に感心した、いや呆れたのは、「艦隊これくしょん」である。大戦時の日本の艦船がかわいい女の子に擬人化されている。いつだったか、「島風」という艦船を検索したら、赤と白のハイソックスをはいた女の子の画像が並んで、やれやれ、とあきれたことがある。大戦時の戦艦、駆逐艦などを女の子に擬人化して怒られないのは、日本くらいのものだろう。アメリカでこんなことをしたら、軍人の団体から相当叩かれるに違いない。

学生に尋ねると、「艦これ」の女の子たちは、艦の大きさ、役割などが反映されたデザインになっているのだという(例えば、赤城のような空母にはしっかりとした女の子があてられているなど。詳細は知らないけど)。

「ゴジラ ー1.0」では、大戦後に残っていた(はずの)「高雄」と「雪風」などの艦船が出てきて、ゴジラとの闘いに大活躍する。私は「高雄」という軍艦は知らなかったけれど、「雪風」は「幸運艦」としての名前は知っていた。なぜって、「宇宙戦艦ヤマト」で古代進の兄、古代守が指揮していた艦だから。テレビシリーズ最初の第1話で、ガミラス艦隊との戦闘において沖田艦長に敬礼をしながら散っていく。こんな印象的なシーンが第1話だったなんて。小学生の私が震えたのも仕方ない(たぶん見たのは再放送だろうけれど)。その艦に描かれていた艦名が「ゆきかぜ」。つらい話なのである。

さらに「雪風」は私が大好きなハードSF「戦闘妖精・雪風」(神林長平)の主人公が乗る戦闘機の名前でもある。雪風は、異星人との闘いの情報を収集し、味方を見殺しにしても必ず帰還しなければならない非情の任務を負った戦闘機である。高度な電子機器で構成された雪風はいつか意思のようなものを持つようになり、機械のように感情に薄いパイロットといつしか心の交流のようなものが生まれる...というような物語で、とにかく傑作なので読んでいただきたい。「必ず帰還」というところから、この戦闘機には「雪風」と名付けたのかもしれない。

さて、ゴジラにおいても戦艦の名前を知っている学生がいるのに驚いた。ミリタリーマニアなのかもしれないが、「艦これ」の影響とは言っていた。これは弊害というべきではなく、良い影響といえるのではないだろうか。

艦隊が女の子で、戦争ゲームをするなんて...考えた人、奇才!

ただ艦船を名前を見て初めに女の子の姿を思い出すというのはどうかとは思うのだけれど。

ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時...