2026年4月19日日曜日

インバータ制御ではないエレベーター

 横須賀で泊ったホテルのエレベータの話。乗って目的の階に止まるときの動作がどうもぎこちない。エレベータが止まるときの振動が尋常ではない。ぎくしゃくとした動作が乗っているものの不安をかきたてる。

どうしてなんだろう,と思っているとエレベータの中に「横須賀市で第1号のエレベータである」との張り紙を見つけた。そしてインバータ制御ではないので,動作がぎくしゃくするのはご容赦ください旨のメモも貼ってある。すごい。インバータ制御ではないエレベータなのだ。この時代,それらはほんとに珍しい。

そこで次々に疑問が湧いてきた。インバータ制御でないエレベータの昇降はどのように制御されているのだろうか?加減速はどのような制御系で行われているのだろう?停止した時のブレーキ,そしてロックの機械的な機構は?そして昇降開始の時にモータに突入電流が流れないのだろうか?などなど。インバータによるきめ細かい速度制御ができる現代のようなエレベータと違うのだ。モータの直接投入,もしかして機械的な変速機の利用,ブレーキロック機構,ダンパー機構など,現在では電気制御によって解決されている数々の問題が,インバータの無い時代にどのように解決されていたのか。たいへん興味深い。。。

製造メーカは「横浜エレベータ」。今も同社によって丁寧にメンテナンスがされているらしい。乗るのはちょっと怖いけれど,いつまでも変わらず運転されて欲しいと思う。



#横須賀は昔ながらの趣きが残っている良い街だと感じた。道路は細くて大変だけど。



2026年4月18日土曜日

横須賀にて薄着の人をうらやむ

 先日,仕事で横須賀に行く用事があった。もう4月も半ばのことだったので三浦半島はすでに初夏の兆しを感じるくらいに暖かかった。海から吹き付ける風は強かったけれど,それでもコートは着なくても良いと感じるほどであった。

長岡から出張していた私は,過剰なくらいな防寒装備のウィンドブレーカーを着こんでいてために,少し歩くだけで暑さを感じるだけでなく,行き交う人の薄着に恥ずかしさを感じるくらいだった。

そう,横須賀の人は薄着だった。長袖シャツが風に吹かれて揺れていても颯爽と歩いている人が多かった。道行く人に海外の方が多いのも驚いたけれど,そうした海外の人たちはTシャツ1枚で歩いている人も多くてびっくり。寒くないのだろうかと疑問に思うと同時に私の厚着のひどさがますます恥ずかしくなってきた。

そういえば海外の人は寒くてもなぜ薄着で平気なのだろうかと思うことが多い。11月の木枯らしの季節でもTシャツを着て平気な顔をしていたりする。皮下脂肪が厚い割に寒がりの私から見るとうらやましい限りである。

今回の横須賀もそうだった。もしかして米軍関係の人が多くて,鍛えられた身体はそんなに寒さを感じないのかもしれない。いや,日本の高校生くらいの若い人も多く見かけたけれど,彼らも薄着だった。これは衣がえのヒステリシスが関係しているのだろうか?いや,身体の代謝の効率が違うのだろう。。。

私も身体の代謝を高めて,寒さを感じなくなるようになりたい。代謝を高めるということはダイエットにも良い影響を与えるだろうし。

2026年4月12日日曜日

同じ話を繰り返す理由

 以前から老化のせいか,同じ話を繰り返すことが多くなっているような気がする。ある人にその話をしたかどうかが曖昧で,結局同じ話を繰り返してしまっていることがあるのだ。そして話が中盤に差し掛かったころに,「それは~でしたよね」と話のオチを相手から言われて,「うっ。またやってしまった」と気づいて顔が赤くなる。

しかし,実は意図的に同じ話を繰り返していることもあるのだ。同じ話を繰り返すのはその内容が大事なことだからなのである。

ある教えに関する話を再び聴くとする。このとき,「この話,前にも聞いた」と思ってしまうと,すぐに頭が真剣に聴くことを拒否しようとし始める。少なくとも話の内容について新鮮さが損なわれ,傾聴の真剣さが目減りして聴いてしまうのだ。そして心のどこかで「わかった」ような気になってしまうのである。

しかし,重要な話であればこそ何度も何度も繰り返す必要がある。話の内容である教えを一回で理解し実行できるような人がどれだけいるだろうか。だいたいのところ,一度や二度話を聴いても,それを「知行合一」のレベルで理解できる人は少ないのではないだろうか。

孔子の弟子の子貢は同門の顔回の才能について,「一を聞いて十を知る」と評したことは有名だけれど,たとえ「一を聞いて一を知る」だけの才能だけでも十二分に天才と呼ばれるにふさわしいと思う。どれだけ学習速度が速くなることだろうか。私などは「一知半解」もよいところである。。。

人に伝えたいと思う重要なことは,やはり何度も何度も話を繰り返すべきのだ。そして話を聴く側は,話を繰り返すことの意味を理解し,真摯に耳を傾けるべきなのである。たしかにそれは人間のなまけようとする特性からして,なかなかできないことなのだけれど。


#そして私の場合は上記のような深い意味から話を繰り返すのではなく,単に老化によるボケであるけれど。。。

2026年4月11日土曜日

悠久山は桜の名所

 長岡市で桜の名所といえば悠久山が挙げられる。悠久山には,蒼紫神社という長岡藩牧野家代々の墓所がある他,サル山を有する動物園があり,池などが整備された公園がある。そして,今悠久山公園の桜が満開なのである。夜になればライトアップがされるし,綿あめなどの夜店も出ている。長岡なので夕方は気温が下がって少々肌寒いのだけれど,それさえ気をつければ,たいへん良い観光名所となっている。

山の頂上には城の形をした郷土史料館があって,長岡出身の偉人たちがゆかりの品々と一緒に紹介されている。もちろん,河井継之助や山本五十六なども紹介されている。やはり私もこのふたりのことは大好きで,戦争に反対しつつも身を投じざるを得なかったというふたりに共通する境遇を思うとつらくなる。史料館に足を運ぶたびに展示されている書などを見て,彼らの生き方を思う。(そういえば,以前に展示されていた山本五十六の白い軍服は最近見かけなくなってしまった)

そして史料館を出ると,花びらが舞う桜が目に入ってくる。感慨ひときわである。

研究室では,花見を恒例行事としたいと思っているのだけれど,今年は私の参加はスケジュールの関係で難しそうでちょっと悲しい。毎年の桜は変わらないように見えるけれど,見に来る研究室のメンバーは毎年変わっている。そのことを思うたびに次の言葉を思い出す。

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

2026年4月5日日曜日

袈裟斬り

 日本刀の斬り方に,袈裟斬りというものがある。自分の右側に刀を振りかぶって左下側に斜めに斬り下ろす技である。斬られる方からみると,自分の左肩から右脇腹にかけて斜めに斬られることになっていて,ちょうどお坊さんが着る袈裟と同じように左肩から右脇腹に斜めの軌道を描くことになるのが特徴である。

現在の剣道では相手を真っ直ぐに斬り下ろす正面打ちが重視されていて,防具の面を外して肩から袈裟斬りしてもたぶん有効打とは認められないので,試合ではほとんど見ることができない(と思う)。

しかし,この斬り方は斬る方の人間の身体的特性によくあっていて,剣を真っ直ぐに斬り下ろすよりも袈裟斬りの方が刃筋も立ちやすく,実戦向きであると思われる。また殺傷能力も強く,鎖骨を砕き,その下の動脈まで刃が達すれば致命傷を与えることができる。実際,戊辰戦争などの刀傷の記録などを見ても袈裟斬りで斬られたものが多かったという記事をどこかで読んだ(たぶん雑誌「秘伝」)。

戦国時代ころまで鎧兜をつけて戦闘をしていたころは,兜が邪魔になって太刀を真っ直ぐ振り上げることなどできなかっただろうから,太刀を斜めに振り下ろす技法が中心だったと思われる。もともとは斜めに斬り下ろす方がメジャーな方法だったと想像される(そもそも甲冑をつけた闘いで,戦場で太刀で戦うことなど少なかったと思われるが)。江戸時代になって介者剣術から素肌剣術となり,正面打ちの重要性が増していったと思われるけれど,わざわざ難しい正面打ちを稽古するのは,いくぶん(精神的な意味も含めて)修行的な意味もあったのではないだろうか。

もちろん剣を右肩付近に立てて構える「八相の構え」などは多くの流派に存在しているし,示現流などは八相よりもさらに高く構える「蜻蛉の構え」が特徴となっているから,古流などでは袈裟斬りがちゃんと重要視されていると思われる。「剣道」の競技の発展が袈裟斬りの存在を薄くしていったのではないだろうか。

最近は時代劇が少ないので,「袈裟斬り」といわれてもピンとこない人が多くなってきている。袈裟斬りにも,「左袈裟斬り」(袈裟斬りの左右反対の斜め斬り)や「逆袈裟斬り」(袈裟斬りの軌道と逆に自分の左下から右斜め上に斬り上げる),この逆袈裟にも左右があったりして,なかなか分類がややこしい。私も恥ずかしながら,ときどきどちらがどちらだったのか迷うときがある。

ということで自分への覚え書きという意味も込めてここにまとめておく。

#映画「椿三十郎」のラストシーンの切り上げは左手の逆手で剣を抜いて斬り上げているけれど,あれは斜めに斬り上げているわけではないから袈裟斬りではないのだろう

2026年4月4日土曜日

2026年のエイプリルフール

 もちろん,4月1日に書いた内容は実はエイプリルフールの冗談です.<しかし,最近,>以降の文章はほとんどウソです。そもそもポールシフトは短時間で起こるものではなく,数千年オーダーでゆっくり起こるものであって,リングに誘起される電圧はいくら超伝導導体であっても小さくなるものと予想されます。また技術的にも実際の構想では,リングの途中途中に半導体電力変換器などが挟まれるために過電流が流れることはありません。だからウソなんです。まあ,この夢の構想は昔からあるものなんですが。。。

本来,4/1の午前中早々に記事が公開されるべきものですが,今年もエイプリルフールをすっかり忘れていて,学生さんに言われてはじめて思い出して,昼休みに30分程度で書いたウソになってしまいました。昨年もウソをつき忘れていたので,今年は焦りました。

相変わらずひねりもなく,誰にも注目されないウソでした。来年のエイプリルフールはもっと素敵なウソをつきたいと思います。



これまでのエイプリルフールのウソ


2026年4月1日水曜日

夢の世界太陽光発電電力システム構想

 電力の問題点のひとつは,発電する場所と使用する場所,すなわち供給と需要の地域が遠くに離れることが多いということである。たとえば,柏崎の原子力発電所において発電した電力を遠く離れた東京に送電している。そこには当然送電ロスも発生するわけで,遠くであればあるほど,無駄が大きくなることになる(実際には長距離になればなるほど,系統の安定性の維持や事故時の保護が難しくなるなどのもっとややこしい問題がある)。だから家屋の屋根で発電してすぐに電力を使用できる太陽光発電などは,電力を送るという観点からは非常に有効であるといえる。

しかし,太陽光発電にも問題はある。まず,メガソーラーなど大規模な発電所を作ろうとするとやはり都市部から遠く離れた広い土地が必要で,そこからの送配電設備がやはり必要となり,長距離送電によるロスという既存の発電所と変わらない問題が生じる。さらに太陽光発電は夜間に発電できないという根本的な問題がある。この問題の解決策としては蓄電池を使用して,昼間に発電した電力を貯蔵して夜間に使用するということが考えられているが,蓄電池のコストが高すぎてなかなか導入が進まない難しい状況である。

こうした問題を一括して解決する方法がある。それは世界太陽光発電電力システム構想である。簡単に説明すると,地球を一周する超伝導導体による直流の送電システムを作るのである。すなわち地球の赤道上に一本の超伝導導体のリングを巻き付けるのである。そこに,世界各地に設置された太陽光発電システム(太陽光パネル+変換器)をそれぞれ接続する。

地球のどこかは昼間であるから,このシステムのどこかでは常に電力が発電され,24時間世界中に供給されることになる。これで,太陽光発電は夜間は発電しないという問題が解決される。

次に送電ロスの問題であるが,送電線を超伝導導体で作ればロスは冷却分だけになりかなり効率化される(もちろん高温超電導体を用いる)。地球一周4万Kmの長さであっても送電ロスは基本的には問題にならない。系統の安定性の問題も,交流ではなく直流であるため解決されるはずである。

このシステムさえ実現できれば,世界のいつも地球上のどこかで発電し,その電力を共有することができるのである。エネルギー偏在の問題もこれで解決できる。まさに夢のシステムである。

しかし,最近,この夢のシステムにある問題があることに気づいた。それは地球が磁石であるということである。このシステムは,大きな超伝導導体のリングの中に地球という磁石をいれているのと同じ構造をしている。この状態が未来永劫続くのであれば問題ないのだろうけれど,地球にはポールシフトという現象がある。地球の磁極が逆転したら,一体どれだけの磁束の変化が,超伝導導体のリングに起こるのだろうか。このポールシフトが短時間で発生したらこのリングにはかなり過大な誘導電圧が発生し,過大な電流が流れてしまってシステムが損傷してしまうに違いない(最悪,フープ力によってリングが引きちぎられてしまうとか。。。)

この電力システムは,地球のポールシフトの壮大な検出器でもあるのだ。。。

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インバータ制御ではないエレベーター

 横須賀で泊ったホテルのエレベータの話。乗って目的の階に止まるときの動作がどうもぎこちない。エレベータが止まるときの振動が尋常ではない。ぎくしゃくとした動作が乗っているものの不安をかきたてる。 どうしてなんだろう,と思っているとエレベータの中に「横須賀市で第1号のエレベータである...