2026年3月15日日曜日

私のコーヒーの好みをまとめてみた

 月に2~3度は珈琲店を訪れ,美味しいコーヒーを飲みながらブログ記事を書いている。長岡に来てから6年が経つから,これまでに相当な杯数のコーヒーを飲んでいるはずである。そこで私のコーヒーの好みについて,たまには書いてみようかと思う。

珈琲店ではハンドドリップコーヒーを飲むことが多いのだけれど,その銘柄はいつも店のお薦めを飲んでいるから訪れるたびにコーヒーの種類は変わっている。コーヒーの名前には,ブラジル,コロンビア,コスタリカなどの産地名が冠されていて,そのたびに少しは気にするけれど,コーヒーを飲んで産地が分かる,なんてことは全くない。その他名前には,ナチュラルとかウオッシュドとかアナエロビックなんて製法名が含まれていたり,ときにはinfusedとか書かれたりしている。これらの言葉を私が理解しているかといえば,そんなことは全くない。コーヒーは全然詳しくない。そもそも私は味音痴なのだ。そんな製法にこだわるような男ではない。ただし,それでも,「美味しい」と思うか,「まずまず」と思うか,その判断はする。そうした基準で私が選ぶコーヒーは次の通りである。

・ブレンドでなくスペシャルティの単一の豆を用いたコーヒーを選ぶ:まず,私はブレンドコーヒーというものがあまり得意ではない。ブレンドコーヒーというものはどうも味がはっきりとしない。各店舗によるオリジナルブレンドをよく飲むけれど(普通の喫茶店やチェーン店ではいつもこれ),味はあまりぱっとしないというのが私の印象である。豆の味の特徴が混ざり合って凡庸になっているような気がするのだ。もちろん,これまで私が素晴らしいブレンドコーヒーに出会っていないだけかもしれないが。

・苦いコーヒーよりも酸っぱいコーヒーを選ぶ:苦いコーヒーも時には美味しく感じるのだけれど,普通の体調のときはどちらかというと酸っぱいコーヒーが好きである。フルーティーなものも大好きである。口に含んだときに香りが口の中に広がって,その後酸味を感じられるようなコーヒーが好きなのである。

・できれば時々水を飲みながらコーヒーを飲む:コーヒーを飲んでいると,舌が味にどうしても慣れてきてしまう。水を時々口に含むと舌がリフレッシュされて,美味しさを味わえる時間が長くなるような気がする。またコーヒーを飲んだ後の口臭も抑制されるようである。

・ぬるすぎるコーヒーは文章を書くのに適さない:コーヒーそのものの味を賞味するために,ときにはコーヒーの温度はびっくりするぐらい低く提供されることがある。あまりに冷えてきたときには白湯を入れて香りを再び立てるようなこともする。こうした楽しみ方は,確かにコーヒー自体の味を賞味するには良いのだと思うのだけれど,コーヒーを飲んで考え事をするにはあまり適していない。ブログ記事を書くような場合には,考えの小休止としてコーヒーを飲む。そのときはやっぱり熱いコーヒーの方がその役割を果たすのによいと思うのだ。

ということで,私はスタバとかタリーズとかのブレンドよりは,珈琲店の単一豆のハンドドリップを好む。通常のチェーン店でブレンドを選ぶのはだいたいその価格がやすいからなのである。

私の好みを書いてきたけれど,実際のところ美味しいコーヒーであれば,なんであっても構わない。コーヒーを味わう贅沢が千円以下で楽しめるのはたしかに日常生活の小確幸である。美味しいコーヒーを飲ませてくれる店を見つけることがまずは第一歩である。

#とはいえ,平日は居室で飲むゴールドブレンドで満足しているのだけれど


2026年3月14日土曜日

珈琲店の会員制度の終了とブログの更新頻度

 ブログ記事は,週末に少しお洒落な珈琲店でコーヒーを飲みながら書くというのがこの数年のルーティンになっている(この記事もそうだ)。美味しいコーヒーを飲みながら,こうして記事を書きながら考えをまとめる時間は,それなりに日常生活の中で重要なものになっている。まるで誰かに愚痴を言うように,記事がとりあえずまとまるとスッキリするのがストレス解消になっているようだ。

ブログ記事を書く場所にこの珈琲店を選んだのは,内装が木製で心が落ち着くからであるし,それでいて若いカップルや熟年夫婦などが会話やコーヒーをにぎやかに楽しんでいる姿をみるのも心を温めるからでもある。しかし,なんといってもこの喫茶店を訪れる理由は,会費を払って月会員になるとハンドドリップコーヒーが半額になるという特典があったからである。 コーヒー3杯を飲めばもうお得なのである。

しかし,この会員制度が今月で終了することになってしまった。店から届いたメッセージには昨今の価格高騰が終了の理由だと書かれてあった。それは確かに仕方ない。輸送費を含め物価は何もかも上がっているし,コーヒーだってブラジルなどの不作で世界的に高騰しているとどこかで記事も読んだ覚えがある。よくぞここまで価格を抑えてきてくれた,と感謝したいくらいである。

しかし,それでも,である。出費が増えるのはつらい。この店を訪れる頻度もそれなりに少なくなってしまうだろう。しかし,これは好機であるともいえるかもしれない。これまで会員だからということでこの珈琲店に通ってきたわけだけれど,他にも美味しい珈琲店は市内にあるだろう。そうした店をひとつずつ開拓する楽しみも今後はあるに違いない。

ただブログ記事を書くほど落ち着いた環境の店というのはなかなか見つからないかもしれない。そのときは,このブログの更新頻度も残念ながら下がることになるだろう。もしも更新頻度が下がったら,そうした理由なのだと推しはかっていただければと思う。

2026年3月7日土曜日

最近,デスゲームのルールが複雑すぎる

 「呪術廻戦」はテレビのアニメをこれまで見てきて,今期も期待して視聴を続けているのだけれど,最近正直をいうと見るのがなかなかつらくなってきた。今期は「死滅回遊」と銘打って,呪術師同志の殺し合い,すなわちバトルロワイヤルを描いているのだけれど,このデスゲームのルールが複雑になってきて,頭が追い付いていかないのである。

そもそも私が番組を見るのは,頭の中を空っぽにして何も考えずに楽しみたいからであって,知的ゲームを解き明かしていくという楽しみを求めているわけではない。主人公と敵との単純な構図があって,味方と敵とが戦いあうようなスカッとした物語が好きなのである。

それが今期の「呪術廻戦」といえば,登場人物たちの業を説明する話がところどころに挿し込まれ,殺し合いについても複雑なルールがプレーヤーたちに課されている。ルールが複雑になると,そしてそのルールの盲点を突いた攻撃などがあると,そのルールがどうだったのか,そのたびに確かめる必要が出てくる。それが面倒なのである(そのルールを確認しても理解できないこともしばしばだけれど)。そしてその面倒くささが,私から番組の視聴を遠ざけるようになっていく。

(ちなみに登場人物の背景の説明も実は苦手である。この理由のために「鬼滅の刃」の映画を観に行く元気がまだ出ていない。。。)

同じ理由で苦手な漫画が「ハンター×ハンター」である。物語の途中からはルール(制約)が多すぎて,とても理解できない。単行本を読んでいても,途中からとても漫画とは思えない文字数で紙面が埋められ,まるで小説を読まされているような気分になる。それが好きな人もいるのだろうが,私みたいに単純な話を好む人間には少々つらいものになっている。

カイジやライアーゲームなども,正直苦手である。。。頭が単細胞でできている私には,単純な話がお似合いなのだ。「ハンター×ハンター」のあの文字で埋め尽くされたページをめくっていると,これを本当に理解して読んでいる人はどれだけいるのだろう。。。といつも思うのである。

2026年3月1日日曜日

丹田に関わる修行法について

 「丹田」という概念が武道の修行において重要視されているが,修行する武道などによって説明が異なっており,それぞれの方法において異なる解釈がされえちることがわかる。しかし,「丹田」という概念は,東洋において,武道に関わらず精神や心の修行に重要であることは共通であるようで,その概念や修行法においては多くの類似点が見られるようである。

「丹田」は「上丹田」「中丹田」「下丹田」などと区別されることもあるが,たとえばこれらの概念は,インドのヨガなどで言われる「チャクラ」の概念に近いと思われる(多くの人がそう思っているだろう)。人体においてチャクラは,尾骨,仙骨,胃,胸,喉,眉間,頭頂付近に計7つ存在するといわれていて,それぞれ生命力や感情などを司ると言われている。ヨガや呼吸法などの修行法はこれらの「チャクラを開く」ことを意識して行われる。最近では「チャクラ」という概念はヨガの普及とともにかなりメジャーな概念となっている。もしかすると「丹田」は知らなくても「チャクラ」は知っているという人の方が多いのかもしれない。

こうしたチャクラの開発においては体内のエネルギーの循環を意識して修行されるが,その修行法に類似しているものが,中国道教(気功法)における「小周天」という気をめぐらす功法である。体内の経脈にしたがって気を循環させるのだという。気の循環を天地と行えば「大周天」となるらしい。体内にエネルギーの循環をイメージする点では同じである。

そして日本にはもっと静的な修行法として禅がある。これは丹田をしずめて瞑想することが指導されるようで,あまり体内のエネルギーの循環を意識するということは聞いたことがない。しかし,剣豪 白井亨が行ったといわれる白隠禅師の練丹の法「軟酥の法」は「軟酥」の移動を意識するのでなにかしらのエネルギーを移動するイメージが使われているといえ,やはり修行法に共通点があるように思われる。

結局のところ,体内のエネルギー(のようなもの)の循環を意識するという修行法は東洋においては普遍的なものであり,普遍的であるということはこれらの修行法の実効性が高いということを示しているといえるだろう。

ただし,これらの修行法にはどうも危険が伴うらしい。ヨガにおいてはチャクラの開発においてクンダリーニが暴走してしまい,心身に不調をきたすことがあるらしいし,道教においても修行において気の循環が暴走すると「走火入魔」と呼ばれる状態になって心身を害するといわれる。安全そうな禅でさえ,「禅病」と呼ばれる心身の不調の危険性があるのだ(「軟酥の法」は白隠禅師が禅病から回復するために行った練丹の法と言われている)。

人間の心は,私たちが思っているよりも身体と密接な関係があり,そしてかなり脆いということが,私がこれまでの稽古を通して実感したことである。心の修行は,ちゃんとした師について行うことがやはり望ましい。

2026年2月28日土曜日

丹田という概念

 私が稽古している合氣道では,「丹田」ではなく,丹田を一点に集約した「臍下の一点」という体内の点を重要視する。すなわち「臍下丹田」の「臍下」であり,臍下三寸くらいのところと教わる。しかし,一般的にはそこまで細かいことを言わず,「丹田」全体に言及する武道が多いだろう(丹田を重要視するのは武道だけではないけれど)。

「丹田」は通常はこのように下腹の部分を指し,よく,大事な時には「下腹に力を入れろ」などと言われたりする。しかし,この丹田という概念が実はあいまいなのではないかと思っている。そもそも「丹田」という概念を言い出したのは誰なのだろう?

この「丹田」も「上丹田」「中丹田」「下丹田」などに分かれて解説されることがある。私の理解では,「上丹田」は額の中心の「天帝」とも呼ばれる場所(お釈迦様の白毫の位置)であり,「中丹田」は「膻中」付近の場所,「下丹田」は下腹である。それぞれ心や気の修行には重要であるとされているが,昔の武芸書を読んでみて「丹田」ではなく「上丹田」「中丹田」「下丹田」などと分類されているものを見たことがない。これらの概念は誰が言い出したものなのだろうかと不思議に思っている。もしかすると近代以降,中国やインドの知識が入ってきてからの概念なのではないかと考えている。

さて,私が稽古している心身統一合氣道では,力を抜くことを重要視する。普通に丹田を意識すると確かに下腹に力が入りやすい。それは面積をイメージするからである。意識するのが点であるならば力の入れようもなく,全身の力も抜ける。なので「臍下の一点」に心をしずめるのである。たいへんよくできた指導であると思っている。









2026年2月23日月曜日

宝石商が本物を見分けるための修行の話

 以前にも書いたけれど,いかにも人生の大事なことを示しているような例え話が嫌いである。誰かの名言というのは好きだけれど,どこの誰が話したかもよくわからなくて若者を大人がだますような感動話というのが嫌いである。いや,個人的にはそうした話を収集するのは大好きなのだけれど,自分自身はそうした話に安易に納得するのが大嫌いなのである。

以前に書いた「壺と大きな石,小さな石」の話が典型的なのだけれど,今回はまた別の話を紹介する。

伝統ある宝石商における修行の話。その店では新入社員に,持ち込まれる宝石のどれが本物でどれが偽物かを見分ける方法については具体的には教えないのだという。その新入社員にはただひたすらに本物の良い宝石だけを見るようにさせる。そのうちに修行年月が経つと偽物を見たときに本物とどこかが違うとおのずとわかるようになるのだ。という話。

これはある武道の先生から伺った話である。すなわち,本物の技を見て練習していれば,おのずとインチキで偽物の技を見分けることができるという教えであった。

私はこの話を聞いたときに,なぜ宝石商の例え話を出してくるのかと思った。最初から武道の技の話として話せばよいのに,と思っていたのである。この話が示している内容はある意味真実であると今では理解できているけれど,その当時は宝石商の例え話に嫌悪感をもったことを覚えている。また,初級者に教えをありがたさせるための話だ,などと思っていた。

しかし,現在では,嫌いではあるけれど例え話の目的も少しは理解できるようになってきた。それは私の講義の中の雑談と同じである。教科書の内容ばかりを講義しても学生の記憶には残りにくい。ところどころに雑談を交えて,そのくだらない話にバインドさせて重要なことを覚えやすくするための工夫なのだ。実際に私もこうしてこの宝石商の話を覚えている。そしてこの話を思い出すと,本物を見る修行の重要性もまた思い出されるようになっているのだ。


#藤平光一先生が話された千利休の話もよく覚えている。この話には嫌悪感はあまり抱かない。たぶん内容は同じでも誰が話すかということが大事なのだろう。酒場で同じ話を聞いても心に残る度合いは全く違うだろう。





2026年2月22日日曜日

刺身にあうお酒とは

 長岡に来て,日本酒を飲む機会がぐっと増えた。それまで日本酒は少し遠ざけるところがあって,あまり注文することがなかったのだけれど,長岡に来てスッキリと美味しい日本酒を飲めるようになって,すっかりその魅力にハマってしまった。いまでは刺身や煮魚などの日本料理を見ると日本酒の味を思い出して喉がゴクリとなるほどである。

こう思うと,日本酒は刺身や煮魚,焼き魚によくあうお酒なのだとあらためて思う。実は私はビールでこれらの料理を食するのも大好きなのだけれど,刺身とビールの組み合わせが苦手な人もいることについては理解できる。日本料理には日本酒一択という人も多い。

私も刺身などには日本酒かビールを合わせることが多い。一方で若い人によく見かける刺身にチューハイやハイボールを合わせることは苦手である。ましてソフトドリンクとして,コーラやオレンジジュースで刺身を食べているのをみると,彼の口の中に広がるであろう味をついつい想像してしまって,「うっ」となってしまうのだ。その甘い飲み物と刺身の組み合わせはないだろう。ウーロン茶などならよいと思うけれど。。。

いつだったか,子連れ狼などの原作者で知られる小島一夫が,

日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。大の男の暇潰しが課金ゲームではいけないし、コーラで飯を食ってもいけないし、聴いているCDに握手券が付いていてもいけないのである。大人の男として扱われたいのなら、大人の男になれ。いつまでも、少年のフリは出来ないのだ。

とツイートしていたのを思い出す(ネットで調べました)。日本酒と刺身の組み合わせの素晴らしさに気づくには味覚の成熟が必要なのだと思う。私も長岡に来てから成熟中なのかもしれない。



私のコーヒーの好みをまとめてみた

  月に2~3度は珈琲店を訪れ,美味しいコーヒーを飲みながらブログ記事を書いている 。長岡に来てから6年が経つから,これまでに相当な杯数のコーヒーを飲んでいるはずである。そこで私のコーヒーの好みについて,たまには書いてみようかと思う。 珈琲店ではハンドドリップコーヒーを飲むことが...