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新潟における人身御供の話(3)~地すべりを止める「人柱供養塔」~

  妖怪研究所の総会で聴いた人身御供の話の続き。 最後の三つ目の話は,上越にある「 人柱供養堂 」の話。 ひとりの旅の僧が山の中で,大蛇が何匹も集まって村に地すべりを起こす悪だくみの相談をしているところを聞いてしまった。その地すべりを阻止するためには,四十八叩きの秘法(杭かなにかの地すべり対策?)と人柱が必要だという。そしてなんと僧は大蛇たちに見つかってしまい,このことを話したら殺すと口止めをされたとのこと。もちろん僧は村に行ってこの話をした。地すべりを阻止するために,四十八叩きの秘法は行うことができたが,人柱が見つからない。そこで僧はどうせ大蛇に口止めされていたのを破ったので殺されるだろうとのことで自身が御供になることを決心した。そして僧は土中に埋められ,村は地すべりの被害から救われたのだという。 ここまでの話だとよくある伝説で終わるのだけれど,昭和になって田んぼから大きな素焼きのカメが蓋のように穴をふさいでいるのが見つかり,掘り起こしてみると中には座禅を組んだ人骨が本当に見つかったのだという。そこで村人たちは伝説は本当のことだったと知り,現在の供養堂が建てられたのだという。 こちらも怖い話である。その地方に地すべりが多かったのは事実らしく,いろいろと対策がとられていたのは当然のことである。そしてその中の手段のひとつに「人柱」があったとしても,時代が時代なだけに不自然なことではないと思われる。ただし,この対策の問題は,誰が人柱となるかということである。村人の中から候補を選ぶのはたいへんに難しい。当然, 「おさき地蔵」 同様に「よそ者」にその役を押し付けることになるのは想像に難くない。 旅の僧侶というのは,本当にそうだったのだろうか?単に諸国を旅している男にその役を押し付けたのではないだろうか?自分たちのそうした犯罪的な行為を正当化するために,前述のような伝説をでっちあげ,すべてを大蛇のせいにしたということではないのだろうか? 人身御供の3つの話を聴いて,こうしたことを思ってしまった。それぞれが本当に美談なのかもしれないのに,こうした裏事情を想像してしまうのは私の心が清らかではないからに違いない。自分で勝手に想像して,勝手に怖がっているのである。 #「人柱供養堂」では,そのカメと人骨(頭蓋骨も!)が展示されているらしい #ちなみに,「人柱供養堂」は現在,「ス...

新潟における人身御供の話(2)~おさき地蔵と「恩返し」の裏側~

新潟妖怪研究所の総会で聴いた3つの人身御供の話のつづき 。  二つ目は,おさき地蔵。諸国巡礼をしていた「おさき」という女性が,新潟のある村に来た際に行倒れになったのだそう。それを村の人たちが介抱してあげて,おさきは再び元気を取り戻しまた巡礼に出かけたとのこと。数年後,おさきがその村に戻ってくると,村は川の堤防工事をしていたのだけれど,最後に堤防を閉じることができず困っていた。その状況を知ったおさきは村から受けた恩を返すために自ら人柱となったらしい。その後川から遺体があがって供養されたのが,おさき地蔵なのだとか。 私は講演を聴いていて,この話がもっとも怖かった。おさきが人柱となったのは本心からなのだろうか?そこには村人たちからの 「同調圧力」 的なものは存在しなかったのだろうか? もしも,「過去に一度命を助けてやった。今度は恩返しをすべきだ」という村人たちの無言の(あるいは有言の)プレッシャーがあって,おさきは村から逃げるに逃げれず人柱となったということであったら,なんと怖い話であろう。。。幽霊や妖怪が出てくる怪談よりもずっと背筋が凍る話である。私はそのときのおさきの心情を思うと怖くて怖くて仕方がないのである。 ただし,おさき地蔵は事情を知る村の方々のご努力によって維持されているとのこと。今回の私の記事はその方々のご先祖に失礼にあたる話となるので,あくまでもその可能性がなきにしもあらず,という私の想像ということでご容赦願いたい。

新潟における人身御供の話(1)〜大円寺の即身仏と『水曜スペシャル』の謎〜

 先日, 新潟妖怪研究所 の総会に参加してきた。数年前に「新潟妖怪研究所」なる団体があることを知り,会員になった。オカルトというよりも民俗学的な活動をしている団体で,年に2回ほど会誌が送られてくる。最近では, 新潟の妖怪番付 を決めるなどの活動をしている。 総会では 高橋郁丸 所長から「人身御供」に関するたいへん恐ろしい講演があり,今も背筋が凍る思いをしている。所長からは新潟で「本当にあった」と思われる3件の人身御供について紹介があったのだけれど,それぞれが「遺骨が見つかった」とか「遺体があがった」などの証拠があり,本当に犠牲(?)になった方がいたのだと推測されるものだった。 一つ目は,新潟 「大円寺」のお骨 。明治に入定された僧侶のものだという。即身仏になるために土中に入られたそうだが,当時としてはそれは自殺行為であり,7年後に発掘してほしいとの遺言(?)も,お墓を暴くことが犯罪行為となっていることから,昭和の時代までそのままであったという。残念ながら湿気の多い環境のためか即身仏の形を保つことはできず,お骨が見つかったそうである。昭和の時代に掘り起こされたというきっかけがテレビ番組「水曜スペシャル」だったらしい。昭和になって,掘り起こすことが認められたのはどういった経緯だったのだろう? また,入定された僧侶は,明治の時代にどのような思いで即身仏を目指したのだろう?現在では「上人」と呼ばれるようになったけれど,そんな名声だけのために即身仏を目指したわけではあるまい。即身仏となることによって救世できると信じていたのだろうか。大円寺は真言宗だというから,修行の究極として即身仏となり空海上人を目指したのかもしれない。即身仏を目指す考えに至った僧侶の思考の経緯こそが恐ろしく感じられる。。。

ダビンチ休刊に思う

 本の雑誌「ダビンチ」が今秋に休刊するそうである。私も薄々予感していたから,とうとうそのときが来たか,と思っている。 なぜ休刊を予感していたかというと,やはり読書人口の減少である。まず私自身が本を読まなくなってしまった。最後に小説を読んだのがいつのことなのか,全然思い出せない。村上春樹の短編小説も長編小説も部屋の片隅に積読状態である。 まして新しい作家の作品に触れてみようなんていう気持ちにはなかなかなれない。結局は時間不足なのだ。 以前は,「次に読む本」を探すことはひとつの冒険だった。新しい作家に出会うことにワクワクしていた。そして,その冒険の羅針盤のひとつが「ダビンチ」だった。ネットで本を購入することに比べ,リアルな書店で本を探すことの良さは,「本との思いがけない出会いがあることだ」,とよく言われるけれど,そのときの判断基準はだいたい「書店のポップ」や「本の装丁」,もっというと「背表紙のタイトル」くらいのものである。それらだとちょっと頼りない(書店のポップは意外にあてになるけれど)。それを補うものが新聞の書評欄であり,本を紹介してくれる「ダビンチ」であった。 ダビンチは,毎号あるテーマにしたがっていろいろな本を紹介してくれていて,新聞の書評欄とは違う親しみやすさがあった。文芸書であっても高尚なものとはせず,エンターテインメントとして扱ってくれた。そのカジュアルさが好きだった。 しかし,最近は書店で棚に並んでいるのを見ると,「誰が買うのだろう?」と正直思っていた。私は時々購入していたけれど,内容を見ても現代の若者(特に私の周りの大学生など)が買いたいと思うものではないように感じていた。 現代の若者はとにかく時間が足りないのだ。小説を読む時間があったら,ネットで動画を見る,あるいはゲームをする。小説を読むための環境,すなわち,「時間」「静かな環境」「集中力」などの条件が若者には不足しているのだ。 小説がふたたび力を取り戻すためには、やはり小中学校の頃から「腰を据えて活字を読む」という環境に触れ、小説を読むことの豊かさを体感する訓練が必要なのだろう。それがどれだけ難しいか,理解しているけれど。 小林秀雄が言っていた(うろ覚えだけど)。「難しい言葉でしか伝えられない難しいことがある」と。小説や随筆などを読むことは,人生で大切なことを理解するための大事な訓練なのだ。...

最近気になる女性の化粧法

若い人の感覚がわからないというのは、単なる私の時代遅れなつぶやきかもしれないけれど、今回は,最近どうしても気になってしまう女性の「化粧」について、少し書いてみる。 まず,目尻のアイライン。目尻で黒い線を跳ね上げるように描いている人を良く見かける。それも結構な長さで。古代エジプトの時代からアイラインは重要視されているから,万古不変の化粧法なのだろうけど,目尻で跳ね上がったアイラインは何を狙ったものなのだろう?目が大きく見えるからなのだろうけど,あまりにもくっきり長く描いてあると歌舞伎の化粧を思い出してしまう。 次に,涙袋の下側の線に沿ってわざわざ影を強調してラインを引く化粧法について。涙袋が「かわいい」の一要素になったのはいつのころからなのだろう?そのために,涙袋を強調するような化粧法が発展するのも理解できる。しかし,あまりに強調しようとしすぎて,わざわざ影のような線を描いてまで強調するのはやりすぎなのではないか,と思っているのである。やりすぎだと小顔効果も薄れる。確かに漫画に出てきそうな顔にはなるのだけれど。 最後に,鼻筋のハイライトが強すぎる人が多いこと。テレビを見ていても強調され過ぎているタレントさんも多い。私には「キツネの嫁入り」の祭りなどで子供たちがキツネのメイクをしていることを連想させる。もしかして,目尻のアイラインで吊り目を強調して,全体として「キツネ顔」を演出するのが最近の化粧法のひとつのトレンドなのかもしれない(実際,私はキツネ顔の人は素敵だと思うけれど)。 バブルの頃に比べて,現在の化粧はたいへんナチュラルに感じられるけれど,ナチュラルだからこそ,いくつかのやりすぎた化粧法は不自然に感じられるのだろう。今,バブル時代の太眉と青いシャドウのメークを見たら、やっぱりおかしく感じられるだろうな。。。

30年前、メールも今のチャット同様に「カジュアル」だった

 若い人と話していて,最近特に思うのが,若者はメールよりもチャットを好むということ。なにか情報の共有やレポートの提出をお願いしても,「チャットでいいですか?」と訊かれる。うーん,私としては情報を一括管理したいのでメールの方がうれしいのだけれど。 なぜメールよりもチャットの方を好むのか,理由を尋ねてみた。すると,チャットの方が心理的なハードルがメールよりも低いからとのことである。メールの作法については,本学でも少し時間をとって指導があったりする。そうなると,メールにはどこかフォーマルな雰囲気が漂う。確かに,ビジネスにおいてもメールで重要な情報のやり取りをすることは多いけれど,チャットは仲間内,という雰囲気がする。 もちろん,職場のグループチャットで仕事情報を共有することも多いから,チャットの良さもそれはそれで理解はできるのだけれど,私にとっては心理的なハードルはそれほど違いがない。 いまから30年近く前のこと,メールがビジネスでも用いられるようになった頃は,メールというのはずいぶんとカジュアルな雰囲気がしたものである。だから,大事な用件はメールで送ってそのあとに電話をかけて確認するのが普通だった。「(ある電機メーカー)の役職者は,一日一回はメールソフトを開かないと注意されるらしいよ」なんて話に驚いていたりもした。この数十年でメールでの情報伝達が普通になり,今後はチャットによる情報共有が普通になっていくのだろう(いや,もはやなっている?)。 メールとチャットのニュアンスの違いの感じ方がデジタルジェネレーションギャップなのだろう。正直,この年齢になると若者の感覚に追いついていこうとは思わないけれど,彼らの考えは理解してあげたいと思う。 #文章の最後の句点「。」の有無の違いの感覚もずいぶんと若い人と違う。。。

手の甲をみて老いを感じる

 私の手は指が短く,長らくぷよぷよしていてまるで子供のようで,それが私のお気に入りだった。だから手の甲もぼっちゃりしていて,すじばったところはほとんどなかった。子供のような手だとは他の人からもよくからかわれていたものである。私はそのたびに,「いいとこの生まれで,銀の箸より重たいものを持ったことがないんです」と答えていた。 しかし,60歳が近づいてきた今,とうとう手の甲に血管とスジが浮き出るようになってきた。気づいたのはこの数年。たぶん手の甲の脂肪分が落ちてしまってきたのだろう。つまりは老化の兆候である。 男性でも女性でも,老いが隠せない身体の部分というものがある。私はそれが「手の甲」と「首筋」だと思っている。女性がどんなに化粧をして着飾っていても,デコルテの首から鎖骨へのスジは隠せない。やはり脂肪分が落ちてくるのだろう。 手の甲もそうだ。私のようにどんなに力仕事をしなくとも,手の甲もやがて骨と血管が目立つようになり,「おじいさんの手」になっていく。私の手もとうとうその段階を迎えつつある。 もうため息しか出ない。身体のどの部分をみても「おじいさんの身体」に近づいている。人類が太古より「不老の薬」を追い求めるのもよくわかる。 「わがみよにふるながめせしまに」