一度見た映画、一度行った場所。時間を置いて「再訪」する本当の面白さ
本を再読することが重要であるという話をときどき見聞きする。年月を経て再読すると,内容の感じ方や興味をもつ部分が変わっていて,あらたな魅力を感じることができるし,自分の成長を実感することができる。 たとえば小説の場合,はじめて読んだときには主人公に共感し寄り添ってストーリーを読んでいたものが,年齢を経てから読むと主人公よりもその周囲の登場人物に思い入れをもったりする。その変化が自分の成長を感じさせてくれる。 映画だってそうである。私が初めて「グッド・ウィル・ハンティング」(1997)を観たときにはやはりマット・デイモン演じる主人公の心情に心を寄せたけれど,2回目に観たときには,ベン・アフレック演じる主人公の地元の少しガラの悪い友達が主人公を快く送り出す姿にすがすがしさを感じてたいへん感動した。初回ではそれほどでもなかったのに。私の中でなにかが変わったのだろう。 本や映画だけではなく,場所を再訪することも同様に面白いことに最近気づいた。今年の夏,水戸の偕楽園を再訪する機会があった。私は大学卒業後,茨城県那珂町の日本原子力研究所に勤めていたので偕楽園にはなんども足を運んでいたのだけれど,研究所を退職して以来,たぶん20年以上ぶりに訪れたことになる。 久しぶりに訪れた偕楽園はひどく暑かったけれど,過去の思い出と照らし合わせながら庭園を散策した。以前は気にしなかった庭園から徳川斉昭が建てた好文亭を見る眺めや,好文亭最上階からみた千波湖の景色に,強く心を惹かれた。年齢を重ねて歴史背景に思いを馳せる余白が生まれたということだろう。江戸時代の人たちはこの場所からコンクリートの建物など無い風景を眺めていたのかと思うと少し感傷的な気分を味わうことができた。 小説や映画のような作品同様,こうした場所を再訪することも,過去の自分と比較して,あらためて現在の自分の立ち位置を確認できるのだと深く思った。 「もうあの場所は行ったことがあるから」と再訪することを最初から除外することはもったいないことなのだと思った。むしろ再訪することによって自分を知ることができるのだから。 好文亭から望む千波湖 好文亭のカフェで休憩することもできる