2026年5月3日日曜日

若いカップルに対する私の対応

 もうこの年齢になると若いカップルを見ると,子供を見ているように微笑ましく感じる。しかし,見ていると恥ずかしくなって,こちらの身体がかゆくなるようなカップルも結構見かける。どうも私はそのようなカップルに偏見があるのだろう。たとえば,そのようなふたりの間では,男性が女性に,「幸せにする」とか「俺の女になれ」とかそんな言葉を簡単に言ってそうに思ってしまう。私にはとてもそんな責任を持てないことは言えない(もちろん,そういう男の人が好きな女性が多いことも知っているけど,そうした無責任な言葉をいう人を基本的に私は信じることができない)。

中高生や大学生のそうした雰囲気のカップルには,街を歩いていると,ときどき敵意ある視線を男性側から向けられることがある。たぶん私が汚らしい老人で人相も悪いからだろう。そしてイキっている男性がそのことによって女性を守っていると感じることができるからだろうと思っている。

そうしたときに,私は弱そうにスゴスゴと距離をとることにしている。男性は良い気分になれるだろう。私は心の中で,「今回は私に感謝しろよ」と思って離れるのだ。

2026年5月2日土曜日

サウナが苦手

 一頃のブームは去ったけれど,今もサウナは人気である。昔はサウナといえば男性の話ばかりだったけれど,今ではサウナ用の水着や帽子などお洒落なグッズも販売されるようになって,女性の愛好者もたいへん多いようである。

しかし,実は私はサウナが苦手である。一時期,サウナには「整う」という感覚があると聞いて,私もよくネットなどで見かけた手順で体験できるかと試してみてはいたのだけれど,結局,体験できずじまいでそのうちにやめてしまった。「整う」という感覚は,暑いところから涼しいところに急激に移動することによって,血管が拡張し(血圧が下がり,脳が一種の貧血(気絶?)を起こしていることなのではないか,などと浅慮して,イソップ寓話のキツネのすっぱいブドウのように負け惜しみを言っている(普通は寒いところから暖かいところにいくことによって血管が拡張するのだけれど,たぶん高温すぎるとやはり緊張によって血管が収縮するのではないかと推測している。いや,本当はやっぱり逆なのかもしれないけれど,いずれにしろ血圧の急激な変化が脳に大きな影響を与えているに違いないとは思っている)。

実際,サウナは苦手なだけで嫌いではない。ただあの暑さに耐えられないのである。サウナ室に入ったとたん,足の裏からしてもう床の熱さに耐えられない。頑張って座る場所を見つけて,人の前を「すみません,すみません」などと言いながら進んで座るのだけれど,すぐに身体中の皮膚が熱さで痛くなる。耐えられない。そこで,5分もしないうちにすぐにまた立って,「すみません,すみません」と言いながら人前を出口に向かって歩いていく。そのたびに身体をよけて私を通してくれる人たちに申し訳なさを感じる。。。だいたい毎回そんなことの繰り返しである(もちろん,私はサウナは苦手だから,サウナ専門店には入らず,銭湯とセットになっているところで利用する)。

若い頃はサウナが決して苦手ではなかった。長時間入っていても心地よく汗をかくことができたし,サウナ室を出てから入る水風呂も最高に気持ちよかった。それが今ではできない。結局のところ加齢のためにサウナという高温環境に耐えることの体力がなくなったのだろう。

若い頃に比べると体重もずいぶん増えたから,身体の熱容量も増えているし,加齢によって身体の感覚も鈍くなっているから,ちょうど東京の銭湯の熱い風呂のようにおじいさんがじっと入っているようになってもおかしくないと思っていたのだけど。。。実際は,暑さが痛さに感じられるようになってしまって,とても快適であるなどとは言えなくなった。人生の楽しみのひとつを失ったのではないかとがっかりしている。

2026年4月26日日曜日

なにもかも手に入れた金持ちは武術の習得を目指す?

 人生におけるほとんどの幸せはお金で買える。これは間違いの無い真理であり,私は全く同意する。

しかし,もしも自分がたいへんな金持ちになって,世界を救おうなどと考えず(笑),自分のためにそのお金を使うことができるようになったら,私は次に何をするだろう?

なにもかも欲しいものが買えるようになったら。。。たぶん次の目標は「修行の達成」である。精神的な満足を求めて,修行を始める(続ける)に違いないと思う。それは,武術かもしれないし,仙道かもしれない。つまりは,お金では買えない幸せを次に追い求めるのにちがいないと思う。

「セイバーキャッツ」という漫画の中にはそんな話が出てきたと記憶している。登場人物がお金持ちになると宇宙中の(漫画なので,国とか世界中とかではなくスケールがでかくなる)武術の達人を探し,その教えを乞うのである。そして修行して天地とひとつとなることが金持ちのひとつの目標となる。

このアイデアに私は大いに賛成する。お金は大事だけれど,お金の次の目標は自己実現である。社会的地位で自己実現をする人もいるが,武術の修行で自己実現を目指す方が私にもあっている。お金もそんなにかからないし,社会的地位が上がって仕事や社会的責任が増えることもない。

ただ武術とは仙術などとは違って,日常万般に活用することこそ目的である(日常生活で武技を使うということではない)。武術の考え方,身体の運用法を用いて「事上磨錬」をすることこそ修行といえる。社会とのつながりを断つ修行もあるだろうけれど,社会とのつながりを重視して修行するのが武術なのかと思う。私は金持ちではないけれど,ささやかに修行の達成を目指したい。


2026年4月25日土曜日

もしもサイコキネシスがあったなら

超能力があったらいいのに。そんなことを私は今でも思う。

もしもサイコキネシス(念動力,念力)があったなら,グローブボックスなしで実験ができる。遠隔からいろいろなものが操作することができれば,wired, wirelessなどのリモートコントローラなど不要となるだろう。実験が実に簡単になる。なんてすばらしい理科学世界!

という冗談はやめにして,ハリウッド映画など見ると超能力バトルがアクション映画の見せ場になっていることが多い。巨大な岩や大きな建物が念力によって飛んでいって敵を倒す。スカッとするシーンである。

マンガでもこうしたシーンは多い。例えば超能力で人が壁に飛ばされると背面のコンクリートの壁が半球型に大きくくぼむ。その画をみて,私たちは放たれた念力の大きさを感じる。ちなみにこうした超能力表現は,大友克洋の「童夢」が最初ではないかという話を聞いたことがある。それまでの超能力は,光線のような線が主人公から引かれて何かエネルギーの放出を表していたけれど(ドラゴンボールのかめはめ波のように),大友克洋はその力が作用した側の物体の変形を描いて念力の大きさを表した。素晴らしい漫画表現の変革である。

そうした表現を用いた映画「AKIRA」の超能力シーンももちろん素晴らしいし,「幻魔大戦」の念力もスケールが大きい。アニメで再制作された「Night Head」も念力バトルになっていたし(オリジナルの豊川悦司と武田真治のドラマではガラスのコップが壊れるくらいのもう少し抑制が効いた念力だったが),最近だと韓国の「The Witch 魔女」シリーズの戦闘シーンが面白い。念力を用いた暴力のアイデア集になっている。

そうなのである。こうした表現が当たり前になりすぎて,私たちは念力バトルを想像するとそうした物体の破壊が伴う戦闘が思い浮かぶようになった。しかし,もしも念力があるのであれば,そんな大げさな戦闘をするだろうか?

私だったらそんなことはしない。またせいぜい数百グラムのものを動かすことができる念力さえあれば十分である。なぜならただ術者の脳の中の神経を少し壊すだけで十分だからである。たとえば敵の視床下部の細胞を物理的に壊す,あるいは発熱ができるのであれば,脳の一部を加熱してその機能を不全にする。それだけで相手を倒すには十分なのである。(もしも超能力を用いた物理実験をする場合にはもう少し力が必要だろうけれど)

だからもしも念力があるのであれば,世界は要人の暗殺合戦になるだろう。アメリカも,ロシアも,中国も,大統領や国家主席は決して人前に出てこないに違いない(もしかして,実は念力の術者が本当にいて暗殺を実行しようとしているのだけれど,また一方で超能力の防御者がいて暗殺を阻止しているなんて,そんな複雑な世界なのかもしれないが)。

昔,超能力者のユリ・ゲラーがアメリカ政府に超能力の仕事を頼まれたなどという話があったけれど,もしも彼が念力で人を殺すことができるのであれば,まずはユリ・ゲラーの命こそ狙われることだろう。

というような考えをめぐらしていると,残念ながらサイコキネシス(念力)の存在は不条理になって,映画のような超能力バトルは難しそうである。うーん,本当に残念。



#もちろん,物理的に念力でモノを動かすことができるのであれば,エネルギー保存則は成立しなくなってしまう(モノを動かしたエネルギーはどこからやってくるのか?)。そんな野暮なことはもちろん言わない。



2026年4月19日日曜日

インバータ制御ではないエレベーター

 横須賀で泊ったホテルのエレベータの話。乗って目的の階に止まるときの動作がどうもぎこちない。エレベータが止まるときの振動が尋常ではない。ぎくしゃくとした動作が乗っているものの不安をかきたてる。

どうしてなんだろう,と思っているとエレベータの中に「横須賀市で第1号のエレベータである」との張り紙を見つけた。そしてインバータ制御ではないので,動作がぎくしゃくするのはご容赦ください旨のメモも貼ってある。すごい。インバータ制御ではないエレベータなのだ。この時代,それらはほんとに珍しい。

そこで次々に疑問が湧いてきた。インバータ制御でないエレベータの昇降はどのように制御されているのだろうか?加減速はどのような制御系で行われているのだろう?停止した時のブレーキ,そしてロックの機械的な機構は?そして昇降開始の時にモータに突入電流が流れないのだろうか?などなど。インバータによるきめ細かい速度制御ができる現代のようなエレベータと違うのだ。モータの直接投入,もしかして機械的な変速機の利用,ブレーキロック機構,ダンパー機構など,現在では電気制御によって解決されている数々の問題が,インバータの無い時代にどのように解決されていたのか。たいへん興味深い。。。

製造メーカは「横浜エレベータ」。今も同社によって丁寧にメンテナンスがされているらしい。乗るのはちょっと怖いけれど,いつまでも変わらず運転されて欲しいと思う。



#横須賀は昔ながらの趣きが残っている良い街だと感じた。道路は細くて大変だけど。



2026年4月18日土曜日

横須賀にて薄着の人をうらやむ

 先日,仕事で横須賀に行く用事があった。もう4月も半ばのことだったので三浦半島はすでに初夏の兆しを感じるくらいに暖かかった。海から吹き付ける風は強かったけれど,それでもコートは着なくても良いと感じるほどであった。

長岡から出張していた私は,過剰なくらいな防寒装備のウィンドブレーカーを着こんでいてために,少し歩くだけで暑さを感じるだけでなく,行き交う人の薄着に恥ずかしさを感じるくらいだった。

そう,横須賀の人は薄着だった。長袖シャツが風に吹かれて揺れていても颯爽と歩いている人が多かった。道行く人に海外の方が多いのも驚いたけれど,そうした海外の人たちはTシャツ1枚で歩いている人も多くてびっくり。寒くないのだろうかと疑問に思うと同時に私の厚着のひどさがますます恥ずかしくなってきた。

そういえば海外の人は寒くてもなぜ薄着で平気なのだろうかと思うことが多い。11月の木枯らしの季節でもTシャツを着て平気な顔をしていたりする。皮下脂肪が厚い割に寒がりの私から見るとうらやましい限りである。

今回の横須賀もそうだった。もしかして米軍関係の人が多くて,鍛えられた身体はそんなに寒さを感じないのかもしれない。いや,日本の高校生くらいの若い人も多く見かけたけれど,彼らも薄着だった。これは衣がえのヒステリシスが関係しているのだろうか?いや,身体の代謝の効率が違うのだろう。。。

私も身体の代謝を高めて,寒さを感じなくなるようになりたい。代謝を高めるということはダイエットにも良い影響を与えるだろうし。

2026年4月12日日曜日

同じ話を繰り返す理由

 以前から老化のせいか,同じ話を繰り返すことが多くなっているような気がする。ある人にその話をしたかどうかが曖昧で,結局同じ話を繰り返してしまっていることがあるのだ。そして話が中盤に差し掛かったころに,「それは~でしたよね」と話のオチを相手から言われて,「うっ。またやってしまった」と気づいて顔が赤くなる。

しかし,実は意図的に同じ話を繰り返していることもあるのだ。同じ話を繰り返すのはその内容が大事なことだからなのである。

ある教えに関する話を再び聴くとする。このとき,「この話,前にも聞いた」と思ってしまうと,すぐに頭が真剣に聴くことを拒否しようとし始める。少なくとも話の内容について新鮮さが損なわれ,傾聴の真剣さが目減りして聴いてしまうのだ。そして心のどこかで「わかった」ような気になってしまうのである。

しかし,重要な話であればこそ何度も何度も繰り返す必要がある。話の内容である教えを一回で理解し実行できるような人がどれだけいるだろうか。だいたいのところ,一度や二度話を聴いても,それを「知行合一」のレベルで理解できる人は少ないのではないだろうか。

孔子の弟子の子貢は同門の顔回の才能について,「一を聞いて十を知る」と評したことは有名だけれど,たとえ「一を聞いて一を知る」だけの才能だけでも十二分に天才と呼ばれるにふさわしいと思う。どれだけ学習速度が速くなることだろうか。私などは「一知半解」もよいところである。。。

人に伝えたいと思う重要なことは,やはり何度も何度も話を繰り返すべきのだ。そして話を聴く側は,話を繰り返すことの意味を理解し,真摯に耳を傾けるべきなのである。たしかにそれは人間のなまけようとする特性からして,なかなかできないことなのだけれど。


#そして私の場合は上記のような深い意味から話を繰り返すのではなく,単に老化によるボケであるけれど。。。

若いカップルに対する私の対応

 もうこの年齢になると若いカップルを見ると,子供を見ているように微笑ましく感じる。しかし,見ていると恥ずかしくなって,こちらの身体がかゆくなるようなカップルも結構見かける。どうも私はそのようなカップルに偏見があるのだろう。たとえば,そのようなふたりの間では,男性が女性に,「幸せに...