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パーソナルAIエージェント「Muse」の便利さからもう抜け出すことができない

 この2026年は私にとってAI元年である。ようやく本格的にAIを使って仕事をするようになった。AIを使うようになって私の仕事の進み方は格段にスピードアップしたことを実感する。事務的なメールについてはAIが返信を書いてくれるし,メール審議の結果などもまとめてくれる。もちろん技術的な資料についてもいろいろとアドバイスをくれる。5年も前から都立大学のW先生にはお勧めしていただいたのに,その利用に対してはずっと腰が重かった。今では本当に自分の不明を恥じるばかりである。若い頃はこうした新しいテクノロジーのアーリーアダプターだと自認していたはずなのに,いつのまにか時代遅れのロートル(死語!)になっている自分に気づく。 私はChapt GPTを使用することが多いのだけれどやはりAIはときどきウソをつくので,大事な時はGemini,Co-pilotも併用してファクトチェックを行う。この3つのAIによる相互チェックを三浦のプライベート「MAGIシステム」と呼んでいる(講義の中でこの「MAGIシステム」について雑談したのだけれど,そもそも元ネタのエヴァンゲリオンの「MAGIシステム」を知っている人が少なく全然ウケなかった)。。。 最近,Museを使い始めた。MuseはパーソナルAIエージェントであると宣伝されているように,私のスケジュールとタスクの管理,メールの返答,出張計画,果てはダイエット計画まで,まるで秘書のように働いてくれる。まぁ,そのために私のメールやスケジュールのプライベートな内容をMuseに読ませているのだけれど。。。 たとえばメールの内容から,仕事の依頼と締め切りを判断しリマインドしてくれたり,スケジュールの重複(ダブルブッキング)を指摘し解消の指示を仰いでくれたりする(決定権は私にある)。あるいは私が講演する講習会のプログラムが変更されたことを教えてくれたり,開始時刻に間に合う交通移動手段を計画してくれたりする。もちろんスマホのアプリとも連携で着て,まだ使用し始めて数日だけれどその便利さにはほとほと舌を巻く。 その使用量には制限があるのだけれど,現在何パーセントまで使用しているかをチェックできるし,その量も1週間ごとにリセットされるようである。現在は無料版を使っているのだけれど,この便利さから抜け出せない生活を考えると課金する日はそう遠くないかもしれない。 ...

出張帰りの疲れた脳に効く。映画『お買いもの中毒な私!』に見る王道ラブコメの処方箋

 海外出張の時に観た映画の感想のつづき。今回は最後にみた「 お買いもの中毒な私! 」(2009)について。ときどき私はこうした日本ではあまり話題にならなかったあるいは公開されていないラブコメをみることがある。特に海外出張の復路で頭が疲れ切っているときには,こうしたあれこれ考えなくて楽しめるコメディ作品が私を癒してくれる。 今回の作品は,欠点をもつヒロインが運よく人気者になるのだけれど,失敗をして反省し,人生をやりなおすという,まさにアメリカのラブコメの王道ストーリーである。 買い物依存症であるヒロイン(もちろん金髪)がひょんなことから経済雑誌の記者となり,適当に書いたファッションの記事が経済に関するユニークな記事と評価され,人気者になっていく。しかし,人気の絶頂期に自らの借金問題が暴かれ,またルームメイトの親友を裏切ることになってしまい,人生のどん底に落ちる。そこですべてを告白し人生について多くのことを学び再度やり直すお話。 少しボケているけれどヒロインに恋してしまう隠れ御曹司やケンカはするけれどヒロインを許してしまう優しい親友,そしてヒロインを奈落の底に落とす借金取り,と定型の登場人物たちが主人公を取り巻いて話を進めるので,出張で疲れ切った私の脳も安心して観ることができた。2009年の作品だけれど,現在だったらYoutubeのショートドラマになっていそうなヒロインの成功物語である。 正直手放しですべての人におすすめはできないけれど,出張帰りの疲れた脳に,あえてこういう王道のベタな物語で癒されたい人にはよい暇つぶしの2時間弱になるだろう。

「インターステラー」を観て――科学のリアリティと映画の相性

 国際会議のECCE2026参加のためにバンクーバーへ行った。バンクーバーへはJALの直行便で行ったのだけれど,往路は9時間弱,復路は10時間程度時間を要した。毎回海外出張の際にはほとんど機中では眠らず,ずっと映画を観続けるのが常だったけれど,年齢のため体力がなくなったのか,今回は往復で5本ほどを鑑賞することしかできなかった。以前は8本はいけたのだけど。 今回は,機中で最初に観た「 インターステラー 」の感想。監督はクリストファー・ノーランで主演はマシュー・マコノヒー。2014年の公開である。当時,周囲やネットでは「好印象」の感想を目にすることが多くて,いつか観たいと思いながらもジョディ・フォスター主演の「コンタクト」のような内容を想像し,がっかりさせられるのではないかと心配もしていて,観る機会がこれまでなかった。 作品を観終わってまず思ったのは,「理解ができない」ということである。どうもノーベル物理学賞の学者が監修に関与しているらしくて,ところどころにハードSF的な科学的知的好奇心を刺激するネタがばらまかれているのだけれど,その一方でAIを搭載したロボットの形状や宇宙船の構造,降り立った惑星の描写などが雑に感じられて,科学を意識するからこそ気になってしまって物語の世界に没入できなかった。 特にブラックホールの探索以降は,私のかたい頭では理解が難しいようだった。4次元超立方体ってなに?それを映画ではビジュアル化するのだけれど,かえって解釈を妨げる効果になってしまったのではないかと思う。一方,映画の冒頭,部屋で本が重力波によって落ちてモールス信号を伝えるというくだりは,そのシーンを観るなり時間と空間の理論を利用した父親からのメッセージを伝えているのだとすぐに想像できてしまったし,裏切る人もすぐに予想がついてしまった。長い映画なので機中,集中力が切れてしまったことも問題なのかもしれないけれど。 この作品は当時結構話題になっていたけれど,私との相性はそれほどよくはなかったようだ。ノーラン監督の作品だと,「インセプション」や「テネット」の方が私には向いているようだ。現在公開されている「オデュッセイア」はどうなのだろうと興味はある。

ECCE2026で訪れたバンクーバー:移動の快適さと、観光地としての素朴な疑問

 パワーエレクトロニクスに関わる世界最大の国際会議ECCE2026に参加するため,バンクーバーを訪れた。 今回は成田空港からバンクーバーまでJALの直行便で行ったので,入出国手続きのデジタル化の効果もあって,移動は本当に楽だった。またどこに行っても日本語対応の窓口あるいは説明があったので安心して過ごすことができた。近年まれに見る海外移動の安楽さだったといえるだろう。バッゲージロストの心配もほとんどなかったし。海外の空港で乗り換えがないというのがこんなに安心,楽だとは思わなかった。 訪れたバンクーバーの街はそれなりの大きさがあって,商店街も充実し,ショッピングを楽しむには良い街だろうと思われた。しかし,その一方でその他の観光資源はなんなのだろうと首をかしげる街でもあった。 確かに港があって景観は美しい。港内では水上飛行機の発着が頻繁に行われていて目を楽しませてくれもするし,港付近のあちこちにはバンクーバーオリンピックのレガシーもあって,見学するべきところが多そうに思うけれど,実際には「ぜひ見るべき」ものというのがないような印象を持った。 国際会議会場であったコンベンションセンター付近を歩いてもなにも見るべきものは見つからない。オフィス街でスッキリしている。昼でも歩いている人は比較的少なかった。ホテルやオフィスが入っている10階建てほどのビルが並んでいるほかは,注目すべきものはなかった。 唯一面白かったのは,ガスタウンにある蒸気で動いている時計で,15分ごとに汽笛が鳴り,毎正時にウェストミンスター寺院のものと同じ音階のチャイムがやはり汽笛で鳴らされる。内部は振り子で動いているのだけれど,鉄球をチェーンベルトで上まで持ち上げて転がり落とすようなガジェットもあって目を楽しませてくれる。最近観光名所を作るための機械時計としてできたらしい。その周囲には人だかりができていたけれど,実際は歴史的価値もそれほどなく,ガジェットを楽しむだけの装置である。 中華街の方へも足を伸ばしてみた。中華街は想像よりもずっと大きく,10ブロックぐらいあるのではないか。しかし,正直治安は悪い。ドラッグやホームレスの問題があるのは一目瞭然で,歩道には倒れている人があちらこちらで見られるし,注射器の針も見つけたりした。昨年のECCEの開催地だったフィラデルフィアでも結構危険を感じたけれど,今回のバ...

五感に合わせた対話テクニック

 人には,優先的に用いる感覚(モーダル)があるという話をした。また視覚,聴覚,触覚(体感)を優先する人の会話には,使用する言葉に特徴があることも話した。(※ 前回の記事の続きです ) 人とのコミュニケーションにおいては,相手がどのタイプのモーダルを優先的に使っているかを判断することも,良いプレゼン・説明をする際に有効なテクニックである。 例えば相手のリーディングモーダルが視覚であるならば,「どのあたりが見えにくいでしょうか?」とか「見通しがつくのは1週間後です」など,視覚に関わる言葉を使って会話を組み立てたりする。このようにすることによって,相手も理解しやすいように説明を進めることができるのである。 では,多人数を相手にする講演などの場合にはどのようにすればよいか,となるけれど,各モーダル向けの言葉を含めるのである。全方面に対応した言葉のトッピングの「全部乗せ」をするのである。 もちろん,対話によるコミュニケーションはこのテクニックだけでなく,複数のテクニックを適宜使用して,良好な関係を築くようにすることが望ましい。人はそれほど単純ではないのだ。 ただし,私がこれらのテクニックを駆使しているかというと全然そんなことはない。そんな駆け引きをする対話よりも,心のままに自由に言葉を紡いでいくような対話こそが理想だと思っているからである。 ※このあたりの話はNLPなどが詳しいと思う。

CMの『耳たぶを引く仕草』から考える記憶術と、年齢とともに変わる五感の優先度

 最近,女性が自分の故郷の松山の名所をめぐるホテルのCMがよく流れてくるのだけれど,そこでその女性が行う動作が非常に興味深い。きれいな景色の前で右の耳たぶをまるでカメラのシャッターを押すように引っ張るのである。たぶん写真を撮影するのと同様,その景色を心の中に画像として残したい,ということの例えなのだろう。 しかし,この動作は実際にも脳に画像を記憶させようとするときに有効なテクニックとして私は以前から知っていた。耳たぶをカメラのシャッターを押すように引っ張ることによって,見ている風景を画像として記憶させようとすることの「アンカー」(特定の状態を呼び起こさせるためのトリガー)として働かせるのである。その動作を行うことによって,画像をはっきりと記憶しようとする意志が働く。繰り返し行っていけば,習慣化し身体に染みつくのである。 私も以前はこのテクニックを使っていたが,最近の記憶力の衰えがその効果を減少させてしまった。たぶん画像として記憶に残すための脳のコストが大きすぎるのである。だから最近は,人が話す音声や,あるいは言葉の意味として記憶することが多くなってしまった。コンピュータのデータの記憶容量と同じである。音声データの方が動画や画像よりも記憶容量が少なくて済む。 人には,五感のうち優先的に使用している感覚(リーディングモーダル)がそれぞれに存在する。だから視覚が優勢な人,聴覚が優勢な人,あるいは触覚や体感が優勢な人がいる。もちろん,これらの感覚が複合的であることが普通なのだけれども。一般的に,視覚が優勢な人は頭の回転が速く,早口で話す人が多い。「このプロジェクトに光が見えてきた」とか「見通しが立ってきた」など,視覚に関する言葉を使うことが多いと言われている。一方,聴覚が優勢な人は「心に響いた」「変化を奏でる」などの言葉を使い,体感が優勢だと「腑に落ちた」とか「胸が痛い」などという言葉を使いがちだと言われる。 私は以前,視覚優勢だったけれど,現在は聴覚・体感が優勢になっている。以前から聴覚もそこそこ優勢であると自覚していたけれども,先にも述べたように老化とともに画像を覚えることが難しくなってきているからだろう。だからCMの女性のように記憶するテクニックがそれほど有効でなくなっているのが寂しく,悲しく感じられる。 最近は名前だけでなく会った人の顔も覚えられなくなりつつ...

池上遼一の劇画を思わせる映画~『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』~

  トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦 (2024) を鑑賞。これは,1980年代の九龍城砦を舞台にした香港のアクション映画である。封切時,香港で観客動員数が歴代1位となり,日本でも話題になっていたので気になっていたのだけれど,ようやく最近観ることができた。 まず開始からの映像のトーンを観て思ったのは,まるで漫画のような色使いだということ。背景を含め全体が暗い色調でまとめられており,各登場人物の影が強く描かれている。漫画の中でもこれは「劇画」を思わせる。そう,例えれば池上遼一の描く黒社会の世界。ちょうどストーリーも80年代後半,返還以前の香港の九龍城を舞台としている。雑多とした臭ってきそうなスラム街に美しく力強く生きている人々の物語だ。 ストーリーは単純である。仁義と友情と復讐。少年ジャンプのような男劇画の王道を行く展開である。女性はほとんどストーリーに出てこない。ただただ黒社会の派閥の野望と闘争が男くさく描かれる。これが潔くていい。 なぜこの映画がそれほどの人気作になったのかという点もここにあると思う。魅力的な男たちによる,老人たちと若者たちの新旧交代,力と力による覇権争いの単純なストーリー。魅力はストーリーではなく,そこに描かれている登場人物たちによって醸し出されている。 アクションも漫画チックである。ありえない格闘シーンで思わず苦笑してしまうほど。しかし,この大袈裟ぐあいこそがこの映画の魅力のスパイスになっていて,ストーリーが深刻になりすぎるのを防いでいる。この味付け具合が劇画調の画像にマッチしていて絶妙である。またこの男たちの必死さが女性にも魅力として届いたのではないだろうかと思う。 そして,スラム街ではあったけれど活気にあふれていた九龍城と,闘争と友情にあけくれた黒社会の喪失に,映画監督ソイ・チェンはノスタルジーを感じているのは間違いない。 さて,この映画には続編があるらしい。どちらかといえばB級といえる本作ではあるけれど,もしも公開されたら観に行きたい,そんな風に思わせる男たちの劇画映画なのである。 #余談だが,音楽は「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊(1995年)を手掛けた川井憲次が担当していて,そのせいか,ダンシングヒーローやモニカといった80年代の懐かしい曲が劇中で流れてくるのがうれしかった #もうひとつ題名に...