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1月, 2010の投稿を表示しています

INPUTの積み重ねが

昨日は,電気学会の 「新しい電力・エネルギーシステムの 要素技術協同研究委員会」 に参加するため, 午後から大阪工業大学 大宮キャンパスに行く. 正午まで,講義などがあったのだけれど, ギリギリ開始時刻の2時に間に合った. 梅田駅から大阪工大まではバスで30分なのだけれど, 大阪大学の研究室から北千里駅まで20分, 北千里から梅田まで35分, 待ち合わせ時間を入れると1時間半は少なくともかかってしまう. とにかく,阪大吹田キャンパスは遠いのだ. この協同委員会は第7回目なのだけれど, 出席したのは今回が3回目. なぜか学校の講義や用事と開催日が重なって, 参加出来ないことが多かった. 前回の出席は,昨年3月に電気学会全国大会とあわせて 北海道大学で開催されたときだから,およそ10ヶ月ぶりとなる. 本当に申し訳なく感じる. 今回は,私からも直流遮断器について発表し, 少しは貢献できたので,ちょっとだけほっとする. 他にも,マイクログリッドや回路シュミレータの開発に関する報告を 聞くことができて,大変興味深かった. 議論の時間が大いに取れて,それなりの収穫もあった. やはり,なるべく出席したいのだけれど... そのあとの懇親会においても,いろいろな話を 研究者,技術者のみなさんとすることができて, 大いに参考になったし,刺激になった. こうして得られた情報は, すぐに役立つというわけではないかもしれないけれど, いつかなにかのタネに育つかもしれない. まずは,こうした機会を大いに利用して, 多くのINPUTを積み重ねることtが大切だ. それがいつか(1~2年後かもしれないし,あるいは10年後 かもしれないけれど)なにかしらの果実を実らせることが できるかもしれない. NO INPUT, NO OUTPUT. である. あとはアイデアが成熟するのを待つ. いやそうではない. それが成熟するように養分をどんどん与える努力が必要だ.

「Love Letter」を観て,思う

昨日はちょっと忙しくて,帰るのが遅くなった. 帰宅してテレビをつけてみると (これは昭和生まれの人間の習慣か) 中山美穂と豊川悦司の姿が画面に大きく映しだされた. すぐに,映画 「Love Letter」 だとわかる. たぶん最近,中山美穂主演の映画「サヨナライツカ」が 封切りされる(た?)から,そのキャンペーンの一環なのだろう. この映画を観たのはいったい何年前になるのだろう. 確か私が博士課程の学生の頃で, シネスイッチ銀座で観た記憶がある. 男独りで観にいっていて,周りのカップルに 気を使ったような覚えが...(悲) 小樽と神戸で撮影されたこの美しい映画は 岩井俊二監督の第一作目で,確か中山美穂をして, 「この映画に出会うためにこれまでがあった」と 言わしめた佳品である. そして中山美穂は,この作品でその年の 数々の主演女優賞を獲得したはずである. 懐かしいなぁ. まずそう思った. これも映画の魅力である. 映画を見ていた頃の自分に一瞬フラッシュバックする. (そしてすぐ現実の自分に戻るけど) しかし,ひと目でこの映画だとわかったというのは, 一体どうしたわけだろう. いくつかの映画なんて,途中まで観て なにか先が読めるような気がして, 終り頃にようやく,この映画を以前に観たことを 思い出すくらいだというのに. この2種類の映画の差はなんなのだろうかと不思議に思う. この「Love Letter」は,90年代独特の雰囲気が よく反映されていて,そして中山美穂の少し わざとらしい演技が大変に印象的であるから, すぐにわかったのかもしれない. まぁ,でもこの映画の出演者はみなそれぞれに 美しく余韻をもって印象的だから, どの場面をみてもわかるのだろうとも思う. (酒井美紀,柏原崇,篠原勝之,加賀まりこなど だれもがみな素敵だ) このように考えると,映画の良さというのは, どれだけみんなの記憶に残るか,ということで 測ることができるのかもしれない. 「Love Letter」は,そのストーリーは 他愛もない恋愛ものだけど, このように映画そのものの魅力は 十二分ににあるといえるのではないだろうか. 考えてみるとこうした映画というのは 数えるほどしかないかな. やっぱり映像芸術というものには, 特別な才能が必要なのだろうと思う.

京都タワーを見上げて

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今日は,「地球環境問題に対応する最新のパワー半導体スイッチング回路技術調査専門委員会」に出席するために午後から京都へ行く. いろいろ締切の仕事を抱えているというのに,予定は多い. 明日くらいにはかなり必死に仕事をこなさないといけないだろう. 脳は,ポジティブな言葉が好きらしいから,この状況を楽しむようなセリフを言おう. 「 ゾクゾクするね 」 (by フィリップ@仮面ライダーW) さて,委員会を終わって京都駅に向かうと,照明に飾られた京都タワーが目に入る. 美しいなぁ.とりあえず,最近新調したデジカメCannon S90で撮影. (このブログで初めての写真のアップロード.うまくできるかな...) 京都タワーには登ったことがない. そういえば,東京タワーにも登ったことがない. (芝ボウルならば何度かいったけれど.蝋人形館もないなぁ. あそこには確か,ビートルズの「サージェント・ペッパー...」のジャケットに使用されたメンバーの蝋人形が何体か飾られているはずなのに.) 横浜のマリンタワーも. 大阪の通天閣も. 故郷の新潟のレインボータワーにさえ登ったことがない. いや,登ったことがあるタワーの方を数えた方が早い. 登ったことがあるのは,福岡のマリンタワー,名古屋のテレビ塔ぐらいか. なんか悲しい. これだけあちらこちらでタワーをみているのに... タワーに登るには,高い入場料がネックとなる. もしもそのお金を払うならば,その土地土地の美味しい料理を楽しんだ方がいい,とついつい思ってしまうのだ. なんという貧乏人根性... これからは,心を入れ替えていろいろなタワーに登ってみよう. とりあえずは,東京タワーと東京都庁かな.

東側の音楽家たち

1月8日に指揮者のオトマール・スウィトナー氏が 亡くなったとの記事を新聞で読んだ. N響の名誉指揮者だというけれど, 残念ながら実演に触れたこともないし, TVでその演奏会も見たこともない. しかし,彼の残したブラームスの交響曲の なぜか2,3,4番(シュターツカペレ・ベルリン, 確かドイツ・シャルプラッテン?)の録音だけを持っていて, (1番はなぜ買わなかったのだろう?) 一時期,良く聴き込んでいたので, このニュースを聴いて悲しくなった. 東ドイツで活躍したということで,彼は ザンデルリングと同様に渋いドイツ音楽を聴かせてくれる. しかし,スウィトナー氏のブラームスは渋いながらも 音が柔らかく感じられるのだ. 優しいブラームス. それが一時期の私の心情にあっていたのか, 2番,4番を良く聴いた覚えがある. 旧東ドイツと言うのは,ずいぶんとひどい社会だったというけれど, (密告社会とか) 芸術という面では,実は大変に素晴らしかったのではないかと 彼の指揮による演奏を聴くと思うのである. というか,そうした芸術くらいしか東ドイツの国民の心を 癒すものがなかったから, オーケストラの団員たちも,その自分たちの役割を 十分に理解して,大変な努力をしていたのかもしれない. ソビエトにおけるショスタコーヴィチのように, 皮肉と鎮魂によって政府に対抗した人もいるけれど, (もちろん表向きはちがった) 暗い世の中だからこそ純粋に音楽に打ち込んだ人も いるのではないかと思うのである. (もちろんショスタコーヴィチも純粋に 音楽にうち込んだわけではあるけれど) 開放以前のソビエトや東ドイツ, 東欧の国々の音楽家による 素晴らしい演奏の過去の録音を耳にするたびに, なにか複雑な気持ちがしてしまう. なにが芸術にとって良いのか. そうした音楽は幸せなのか. 素直に音楽の美しさに甘えられないのである. しかし,そうした東側の芸術家たちも 今では数少なくなってしまった. なにか違うものが彼らにはあるのだろうけれど, それらは失われゆく運命にある.

3Dテレビの問題点とは

今,テレビの技術革新は3Dらしい. 映画などのコンテンツも3Dで制作されていくとすれば, 今後家庭においても3Dの需要は高くなっていくのは, 間違いない. アメリカでは3Dのテレビ放映も始まったというから, 日本だけでなく世界でブレイクするのも そう遠くないのかもしれない. 実は先日,大阪 梅田のソニースタイルで, 3Dテレビ(ただし参考展示)を見る機会があった. 黒いブースに50インチ以上はあると思われる フラットテレビが設置されていた. 近づいてみると説明員の女性が,いかがですか?と 3D試聴用のグレーのメガネを勧めてくれる. 私は,こうした新しい家電に目がないので, 言われるままにうなづいた. まず,説明員の方がメガネのフレームについている ダイヤルを回して何かを調整してくれた. (それが何を調整したのか,とうとうわからずじまいだった) そして,メガネを受け取って画面をみると... メガネなしでは,2重にぼやけて見えていた画像が, はっきりと像を結び,確かに浮き上がって見える. 流れていた画像は,海外のサッカーの試合だった. (トロフィーをもって走り回っている選手が写されていたから, どこかの大会の決勝戦なのかな?) 立体的に大映しになる選手の顔や, あるいはゴール裏からボールがネットを揺らす映像には 確かに3Dならではの臨場感があり, ほほぅと唸ることも多かった. しかし,見ているうちに3Dテレビの決定的な欠点というのも 明らかになってきた. そのうちのひとつは,視覚に問題がある方への 対応である. 3Dの視聴は,たぶんテレビから視差のある映像を交互に流し, (だから2重に画像がぼやける) それに同期してメガネのレンズのシャッターのようなもの (たぶん液晶シャッターかあるいは偏光グラス?)を 左右交互に開け閉めすることで,実現されているのではないだろうか? ならば,両眼視ができない人は3Dの視聴はできないことになる. たとえば片目が不自由な人や,あるいは乱視などで 両眼視がうまくできない人は,3D映像を見ることができない. それならば通常の2D画面を見れば良いのだけれど, テレビの画面はひとつだから,結局3Dを見ることができなくとも メガネをかけなければならな...

1995年春の神戸

1995年の春,プラズマ・核融合学会年会は 福岡工業大学で行われた. 私はその学会に参加したのだけれど, 福岡までの移動には鉄道を使った. それは阪神大震災の被災地を一度目にしたかったからである. 学会は3月末の開催で,当時は新幹線で 新大阪から姫路まで(だったと思う)はまだ不通だったから, まず東京から新大阪まで行き, 新大阪から普通電車に乗り換えて住吉まで行った. そしてそこからバスで灘まで行き, それからまたJRに乗り換えて姫路まで. そこから新幹線で福岡まで行ったように思う. 途中,バスの車窓から見た神戸の風景は 本当に忘れられない. 長田だったと思うのだけれど,ずっと更地がつづいていて (ところどころにコンクリートのようなものが残っていたけれど) そこにあった街が人ごとごっそり無くなってしまった,ということが 信じられない思いをしたことを覚えている. 崩落して脚だけが残された高架橋も見た. あのような光景を前にすると,胸が痛くなって, 言葉がなくなる. そうした体験をあのとき私は,した. あの春,神戸の姿を直にこの目で見ておいて よかったと思う. 人間の生活と言うものが,あっという間に 震災によって崩れ去りうるということを 以来,心のどこかでずっと思い続けている. 私が見た光景は,震災から2ヶ月以上も経ったものであった. 実際に震災を経験し,すべてを目にした人たちのことを思うと, なんといったらよいか分からない. あれから15年が経つ. 1月17日にはいろいろと思う ことがある.

現代に弓道の名人はいるのだろうか

先日,弓道をやっている学生と話していて 驚いたのだけれど,彼も「日本の弓術」という 岩波文庫を知らなかった. (以前も弓道修行者に尋ねたら, 知らないと言われた...) 「日本の弓術」といえば,日本武道の奥深さを 西洋に紹介した名著なのだと思っていたのだけれど... 著者はドイツ人,オイゲン・ヘリゲル. 東北大学の哲学の講師であった彼は, 1920年代に来日し,日本文化を学ぶため, 弓道を始める. 弓聖とよばれた阿波研造師範に師事. 以降,6年間の稽古を経て5段を認可されて帰国. この際の経験をもとに,ドイツで講演を行い, その後,「日本の弓術」としてまとめて出版されるにいたる. その和訳が岩波文庫となって入手可能となっているのである. 今回の学生との会話を機会にもう一度読み返してみた. ガチガチの合理主義者(ドイツ人らしいのかな)である筆者が, 阿波師範の諭す教えにずいぶんと戸惑い,悩み, しかしそれでも惑いを乗り越えて精進を重ねるという話. 内容については,ずいぶん脚色が入っていると いわれているけれど,阿波研造師範の了解も得たという 内容なのだから,ある程度の真実が書かれているのだと思う. 先生が,「矢を離そうと思って離してはいけない」とか, 「離れるときは自然にわかる」などと教えると, 「離そうとしないのに,どうやって離すことが出来るのか, そのときがいつだとわかるのか」などと悩んだ経験が 書かれている. そしてついには,先生が神業的な腕前を見せることによって, その形而上学的な教えを身を持って教えるのだけれど, これについては 以前にも書いた ので,今回は書かない. しかし,読んでみて思ったのは,阿波研造師範の 心の広さである. 現代でも,上記のような質問を先生にしたら, あっという間に破門になりかねない. それをあの封建的な時代に, じっと耐えて優しく諭している. 素晴らしい先生だったのだと想像する. 阿波研造師範も若い頃は強い弓を引いて, 技術の向上に邁進したそうである。 それが,このヘリゲル氏に教える頃には, 技術に走る弓を全く捨て,精神的な教えに 全面的に変更していたらしい. 弓をもって聖人にいたる道を弓道とし, その境地を「一射絶命」などと呼んだ. 私は学生時代この本を読んで, 武道というものにたいそう憧れることになった. そうなのだ. 弓道こそ...

氷点下の中,池に入ったこと

寒い. 西日本はかなり冷え込んでいる. 手袋をしないで外を歩いていると, 手がかじかんでいくのがよく分かる. よく手のひらが開かなくなってしまうのだ. 武道においては,寒中稽古がたびたび 開催される. 私が稽古している合氣道も例外ではないが, 以前は1月3日の早朝に「洗心の行」と称して, 栃木の本部道場で池の中に入るという行事があった. 私が大学1,2年生の頃は鬼怒川に飛び込むという 行事だったのだけれど,私が参加した頃には, 本部道場にある池に入るというものになっていた. 本部道場は栃木にあるので,朝の冷え込みは 大変に厳しい. 私が参加した年は,外気温が氷点下7度であった. -7度ですよ! この中に水着(さすがに,フンドシではない)を来て, 池の水の中に入るのである. ただし,水の中は零度以上. 前日以前から池に水を入れておくと, 凍って入れなくなるので,前日の夜から 水を入れるという準備の良さ. 水着の上に道着を着て集合. 軽くランニングをしたあとに,師範の氣祓いと掛け声に したがって水の中に突入していくのである. 寒いというよりは痛いという感じ. ちょっと気を抜くと,意識を失ってしまいそうなくらい冷たい. 声を出しながらしばし水の中にたたずんで, 一斉に池の外に出る. もうもうと白い湯気がみんなの身体から立ち上る. 手はかじかんでいるから道着を着ることができない. 足の指もかじかんでいるから草履を履いている感覚がない. とにかく水を身体から拭きとって,道場へと向かう. そこには,ぬる~い甘酒が用意してある. これを飲む時が一番寒さを実感するのであった(笑). このときに,感得したのは, 寒さの感覚も心でコントロールできる,ということ. 気を抜かない限りは,身体が大きく震えることはない. 一度,気を緩めてしまうと,身体がガタガタと大きく震えだし, 止まることができない. そうした姿の何人かの参加者も見た. 一方,心を静めている限りはとりあえず普通に 動くことができるということを実感することができた. 心が身体を動かしているのだ. その日は,その後初稽古を行って行事は終了する. 池の寒さに比べれば,大きな道場であっても全然寒くない. 身体を動かせばすぐに暖...

モータが小型化すると...

今朝は,「電気機器」の講義で誘導機について話した. 最近は永久磁石を用いた同期電動機も増えてきているが, まだまだ誘導電動機が多くを占めているので, その内容を理解しておくことは大変重要である. また日本の発電電力の約50%は電動機で消費されている というから,その特性の理解は電力供給側にとっても 必要不可欠と言えるだろう. しかし,近年,永久磁石を用いた同期電動機(PMSM)の用途が, 高磁束密度の磁石の開発や パワーエレクトロニクス技術の発展とともに広がってきており, 今後ますます重要になっていくことは間違いない. こちらもしっかりと理解しておかなければなるまい. たとえばハイブリッド自動車への応用が思い浮かぶ. 以前は誘導機を使うメーカもあったけれど, 最近はやはりPMSMが多い. (アメリカのテスラ・モーターズは未だ誘導機らしいけれど) それは,初期トルクが大きいこと,出力密度が高くなること, 損失が少ないことなどのいくつかの特長があるからである. しかし,結局のところ,PMSMを用いれば小型化が実現できると いうところにメリットは集約されるのだ. この小型化というところが大事で, たとえばエレベータなどは,その恩恵を受けて ずいぶんとデザインが変わっている. 以前は,マンションなどのエレベータといえば, 屋上にエレベータのための機械室があって, 屋上はフラットではなく,立方体の部屋が飛び出す構造が 多かったけれど,現在ではエレベータ用のモータ自体の大きさが 厚さ数十センチにも小型化されたため,エレベーターのカゴと 壁の間に設置されるようになり,屋上の機械室が不要となった. だから最近のマンションでは屋上に 突起物のないデザインが増えてきている. (デザイナーに受けがいいらしい) あるいは,最近鉄道の駅のバリアフリー化の一環として, ホームへのエレベータがよく設置されるようになってきている. 以前からそんなエレベータなど早く取り付ければ 良かったではないかと思ってしまうけれど, あとづけで取り付けようとすると, なかなかそのスペースが確保できなかったらしい. そこで,やはりモータの小型化が進んだ結果,ホームの真ん中に 出入口を設けたエレベータの設置が可能になってきたのである. 小型化したモータがどれだけ新しい市場を創造するか, こうした例を考えれば,今後の技...

週末の読書の記録.カーヴァー,ラヒリ,上遠野,マルケス.

この週末は忙しさの反動か, 本を数冊読んで過ごした. 今日は休日ということもあり, それらの本の感想をまとめておく. このブログが読書メモになることには 少し気が引けるけれど. 1.「大聖堂」   レイモンド・カーヴァー ようやくこの短編集の最後の掌編, 「大聖堂」を読み終えることができた. 盲人である妻の友人に対する 夫の気持ちが変わっていくところが面白い. とはいえ,正直に言うと私もこの主人公に 似ている気がして,なかなかつらかった. もちろん,素晴らしい短編であることには 疑問を挟む余地はないけれど. この短編集で私が好きなのは, 「 羽根 」,「 ささやかだけれど役に立つこと 」, 「 僕が電話をかけている場所 」あたりかな. 「 シェフの家 」も捨てがたい. 何度も言うけれど,私はこのレイモンド・カーヴァーに ぞっこんなのである. 「カーファーズ・ダズン」の序文に紹介されている カーヴァーの言葉, 「僕には幾つかのオブセッションがあって, 僕はそいつに「ヴォイス」を与えようとしているんだ. たとえば男と女の関係, どうして僕らは往々にして自分たちがいちばん価値を 置いているものを手放す羽目になるのかということ, 自分たちの中にある力や資質をうまく扱えないこと. 僕はまた生き延びるということにも関心がある. どん底にまで落ちたときに,人はどのようにすれば 浮かび上がれるものかということにね」 に代表されるように,彼は損なわれてしまうものに 大変興味があるようだ. 人生は輝かしいものばかりで構成されているわけではない. 私もこの歳になって,そこらへんのことがようやく 理解できるようになってきたようだ. この「 大聖堂 」と「 象 」という二つの短編集は 特に40歳を越えた男性方に ぜひお薦めしたい佳品である. 2.「停電の夜に」   ジュンパ・ラヒリ 私と同い年. しかし,三十代前半に書いた短編の数編が 「ニューヨーカー」に掲載され,なんとピューリッツァー賞まで 受賞するという才女. (ついでにいうと,素晴らしい美貌の持ち主でもある) 話題にはなっていたけれど,どうもその作品に触れる機会が 最近まで無かった. 「 停電の夜に 」とい...

老化防止のために新しいソフトウェアを

自分のスキルを磨くというのは, どの自己啓発書を見ても載っていることで, 将来を思って現在そのために努力することは 大切なことである. (たとえば,「刃を研ぐ」などと表現する) またある本には,頭脳の老化を防ぐために, 新しいソフトウェアの使い方を覚えるのが良いと 書いてあった. ということで,今年は新しいソフトウェアの導入, 新しいガジェットの導入を,ひとつ目標にしてみたい. ひとつは,Evernoteというメモの管理ソフト. どんなメモも一元的に使用できるらしい. 使用している人の話は,たまに聞くのだけれど, これまでは最初のハードルが高そうで手を出さなかった. 今年はまずこれにチャレンジしてみたい. 次は,Easy Step. これはマインドマップをWeb上で書くソフトらしい. マインドマップ的なメモは良く書いているので, それらを残し,管理できるならば良いのではないかと思う. 最後は,昨年末に購入したデジカメ S90を もう少し使いこなしてみたい. いつもAutoで撮影していて, それでも十分満足できる写りなのだけれど, 使用していない機能は山ほどある. それらを使ってみて,ちょっと写真を美しくとることに 挑戦してみよう. (いつもは実験装置の回路やモータしか撮影していないけれど) このブログにも写真をUPしていこうと思う. flickerというのも気になる. (決して蛍光灯のちらつきなどの障害を 言っているわけではありません) まぁ,このようなソフトウェアを使いこなすように努力して, なんとか老化を防ぎ,スキルを磨くことにしよう.

スキーツアーの思い出

昨日は,岐阜の核融合科学研究所に出張. 年末から年始にかけて蓄積された仕事の処理で, 年明けからなかなかに忙しい. 元日に立てた目標もすでに風前のともし火である(笑). 今年は修行のやり直しをするのだ. まだまだメゲないゾ. さて昨日,伊瀬先生ともお話していたのだけれど, 昔(私たちが学生だった頃)は,正月といえば, 研究室で学生たちはスキーに出かけたものだった. 私の居た研究室では,研究室の始まりは, 1月5日くらいに野沢温泉のある民宿に現地集合というのが 恒例だった(というほどでもないけれど). 研究室の多くの学生がこのツアーに参加するのである. 私は新潟出身だけれども,新潟市内に引越してからは 大学までほとんどスキーをしたことがなかった. (唯一,高校のスキー合宿に参加しただけ) それが大学に入ってからスキーセットも購入し, そろそろと始めたのである. まぁ,新潟に引っ越す前は長岡市に住んでいたので それなりに学校でスキーは習ってはいたのだけれど, この運動音痴ではウェーデルンなど到底できない腕前だった. (小学校でも中学年からはノルディックばかりやらされる) 当時,「私をスキーにつれてって」という映画が大流行して, スキー人口はたぶんピークを迎えていたのではないかと思う. どのスキー場も混んでいた. 今では信じられないくらいである. 研究室では,バイスでスキーを固定して エッジを砥ぎ,ワックスをかけて,ツアーに備えたものである. エッジシャープナー,ワックスアイロン,スクレイパーなどは, この私でさえ所有していたし,ワックスだって当日の雪の 状態を見て決めたりするのが当たり前だった. 修士の学生だった頃がピークだったろうか. ひとシーズンに滑走日数は20日は優に越えていたように思う. あのころはスキーに燃えていたなぁ. (結局腕前は上達しなかったけれど) 博士課程の学生になる頃には, スキーは,朝の雪の状態が良いときだけ滑って, あとはゲレンデのカフェでビールを飲むのが常だった. そのころから私は堕落してしまったのだろう... 就職してからは,すっかりスキーに行く機会も減って, 20万円以上もかけて揃えたスキーセットも十分に使わず, 結局捨ててしまった. も...

今年の目標

新年明けましておめでとうございます. 今年もどうぞよろしくお願いいたします. 新年は昨年の悪いこと,良いこと, どちらも忘れて新しい気持ちで決意を述べる, という話も昨年も書いた. 今年もそのつもりで... 今年は, 「修行のやり直し」 ということが目標である. 別に合氣道だけではない. 修行というのは生活全般にわたるものである. 覇気をもってこの修行に精進していきたいと思う. 具体的には,やはり武道的なことになるけれど, 五感を研ぎ澄ますことをまずは心がける. 身体も動かす. そうすることによって,仕事ももちろん, 日常の一挙手一投足すべてが修行となる. 結果はあとでついてくるだろう. 心に遣い方を変えるのが, 今年の目標である.