2017年6月29日木曜日

雨降小僧が出そうなこんな夜には,ゆっくりと落語の怪談噺なんて聴いてみたい

雨が,ざぁーざぁー,と降っている.
こんな蒸し暑い夜には怪談のひとつでも聴いて,背筋からぞぞと涼しくなりたいものである.

これからの季節,落語や講談で怪談がもてはやされることになる.
でも,怪談というのは語るのが難しい.聴いている人をわざ怖がらせようとすれば,その魂胆が表に出て聴いている方ががしらけてしまう.

ネットTVで怪談を語る番組をときどき見ていたけれど,怪談家と呼ばれる人にも上手い下手があって,劇的に語ろうとする人ほど,聴いているこちらがしらけて語りの世界から外れ全然怖くない.それどころか,話自体が面白くなくなってしまう.本当に怖いのはむしろ淡々と日常生活の出来事のように語られる怪談である.落語家も講談師も上手の人はただただ語るだけである.

落語の怪談はオチがあるものもあるけれど,本当の恐ろしいだけのものもある.「真景累ヶ淵」や「牡丹燈籠」,「四谷怪談」あたりがそうで,話が長いこともあって「聞かせる」落語家の技量が必要となってくる.いつか生で聞きたいものである.

ということで,雨がざぁざぁと降るこんな夜には雨降小僧なんて現れそうで,それはそれで少し怖くてちょうどいい.幽霊の因縁話だけではなくて,妖怪話なんてのもいいなぁ.

2017年6月28日水曜日

ミントチョコあれこれ

ずいぶん蒸し暑くなってきて,スッキリとした味の食べ物が恋しくなる.
でも甘い甘いチョコレートも食べたい.となると,ミントチョコの出番である.

私はミントチョコが大好きなのだけれど,ここに最近食べたミントチョコを紹介.

LOOK チョコミントダブル
「LOOK! LOOK at me, 照れずに見つめてShall we go!」と新田純一がCMで歌っていたのはもうかれこれ30年以上の前のことになるのだろう.その老舗のLOOKのミントチョコアソート.これは,ミントアイス味(ミントクリームでスッキリする)とミントソースチョコレートクリームの入ったカカオミント味の2種類が詰め合わせされたLOOKチョコ.これはなかなか素晴らしい味.最近のお気に入り.

ダース ミント
「12個入っているからダース」みたいなことを小沢健二が言っていたのはもう20年以上も前のこと.ダースもミント味が出ている.パッケージも少しお洒落に見えるけれど,私的には味はLOOKの方が好きである.ちょっとミントが物足りない感じ.

サクレ チョコミントバー
これは棒アイス.サクレだけにアイスの中に氷の粒が入っていて少しシャリシャリするのが涼しさを誘うのだけれど,これもちょっとミント味が足りない気がする.もっとパンチが欲しい(死語).

ここに挙げた3種類のうち,LOOK以外はどうもミント感が足りないような気がする.私はもっとミント味が強いものが好きなのだ.やっぱりアフターエイトチョコが恋しい.でも,今日も学生が言っていたけれど,ミント味が強いと歯磨き粉の味にしか思えないとのこと.やっぱり関西の人はそう思う人が多いのだろうか.そしてまた別の学生が,「原宿とかで食べてそう」と言っていた.どうもお洒落感がスカした感じを与えるのだろうか.

とにかく,今年の夏はミントチョコを掘り下げてみようと思う.ジャイアントコーンのミントチョコ,ハーゲンダッツのショコラミント,そこら辺を試してみたい.トラブル続きで沈んだ気持ちをスカッとしよう!

2017年6月27日火曜日

トラブル続きで自分の行動を反省する

本当に不幸とトラブルが続いている
今日はとうとう職場のパソコンが壊れてしまった.幸いハードディスクは無事だったようだけれど,何時間をこの対応に費やしたことか.

ここまでトラブル・不幸続きだと,なにかに憑かれたか,祟られたか,などとも思う.

一方で,ここまで続くということは,私の行動にも改善の余地があるということか,とも思う.もっと細心の注意を払って行動するべきなのかもしれない.

あるいはやっぱり超自然的な力がはたらいていて,これから起こる致命的な危機に対する警告なのか,とも思う(靴ひもも突然切れたし).

とにかく,もっともっと注意深く行動していこうと思う.
菜根譚にもある.

天薄我以福、吾厚吾徳以迓之。
天労我以形、吾逸吾心以補之。
天阨我以遇、吾亨吾道以通之。
天且奈我何哉。

天が我を厄災に遇わすのであれば,我は我が道を守って通そう,とある.
今はそういう時期ということか.

2017年6月26日月曜日

トラブル続きで厄払いがしたい

本当にこの1週間,トラブルが続き,悲しいことが起こっている.突然潮目が変わったように不幸が続いている.

日曜日もキッチンの排水口がつまり,たいへんなことになった.夕方まで対応に追われ,おかげでやろうとしていた仕事は全然できなかった.そして本日除湿機が壊れた.

土曜日も大学に向かう道路が人身事故のため三車線のうち二車線が閉鎖され大渋滞を起こしていて,通常1時間かからないところ2時間以上を要した.その他,洗車したそばからボンネットに鳥の糞が落ちていたり(2回洗って,2回とも),靴ひもを締めたら靴ひもがブチリと切れたり,仕事を進めてもやり直しが必要になったり,必要なメールが迷惑メールに振り分けられていて検索にも引っかからなかったり,買い物に行っても所望のものが買えなかったりと,やることなすこと裏目にでて,たいへんに困っている.
(ここには書けない,泣きそうなこともあったりする)
不幸は人の弱みにつけこんで連続的に襲ってくるものである.

こうしたときは,しばらく行動することを諦めて,休むのが一番いいのだけれど,もちろん仕事でそうはいかない.そこで厄払いのために,ダイエット中であるけれど,美味しいロールケーキを買ってきた.気分を変えて明日からまた頑張ろうと思う.

6月30日は夏越の祓であるけれど,厄払いにはいけそうにないなぁ.

2017年6月24日土曜日

交響曲1997 天地人(タン・ドゥン)

7月1日で香港が中国に返還されてから20年になるのだという.そうだ,すっかり忘れていたけれど,1997年,私はこの香港返還を記念して作られたタン・ドゥンの”Symphony 1997”のCDを購入していたのだった(ちなみに金色の紙のジャケットにCDケースが入っていた).

タン・ドゥンは当時,「飛ぶ鳥を落とす」という形容がぴったりの新進の現代作曲家で,オペラ「マルコポーロ」を作曲し世界的な注目を浴びていた.その彼が依頼を受けて(誰から?),香港返還の式典で演奏するための交響曲を作曲したのが,この曲である.

現代音楽といってもこの曲は非常にわかりやすい作品で,児童合唱やチェロのソロ(式典時にはヨーヨー・マが演奏した),古代中国の楽器などがオーケストラに加わって演奏される.第一曲の親しみやすい音楽は,ベートーベンの第九を思い起こさせ,本曲が人類の友好と平和を祈っているのだと思わさせられる.香港の返還に当時は希望があったのだ.

しかし,現在の香港はどうも複雑である.20年経って経済は中国に追い越され,自由も制約され始めた.この先どうなるのかよくわからない.でも20年前には希望があったのだ.それはどこへ行ってしまったのか.

その後,タン・ドゥンは,映画「グリーン・デスティニー Crouching Tiger, Hidden Dragon」や「HERO」(キムタクじゃないやつ)などの音楽を担当したりして大活躍していたのだけれど,最近はあまり名前を聞かない.指揮者としての活動はしているようだけれど,曲の新作は出ているのかよくわからない.才能にあふれていたことは間違いないので,日本にもぜひ来て欲しいと思う.

2017年6月22日木曜日

恐怖心と美意識に縛られないロボットが最も強い

コンピュータ将棋が強くなって人間が敵わなくなってきている.そして,コンピュータが指し示す新手が,将棋界に新しい流行を生み出すようになっている.そんな時代がもう来てしまった.チェス,オセロに続いてとうとう将棋も囲碁も人間はコンピュータに敵わない.あとはコンピュータ同士が将棋を指して,どんどん新しい手を開発していくのだろう.

コンピュータに指すことができて人間が指せない手があるということは,コンピュータが恐怖心をもっていないことに起因しているという.また美意識を持っていないことも大きく影響しているということだった.

人間は恐怖心・美意識に縛られているということである.大きな意味で2つとも「先入観」といえるかもしれない.あるいは人間のもつ文化的な価値観.そうしたものがないコンピュータは自由に発想できる(正確に言うとサーチできる)ということになる.

武術・格闘技の新しい戦術・戦略もコンピュータが新しいものを教えてくれるようになるかもしれないと,私はこの話を聞いて思った.まずコンピュータが私の能力・状態を正確に測定し把握する.次に私のその時の能力を考慮した上で,その状況に応じた最善手を私に教えてくれるのだ.ポータブルコンピュータが現場で教えてくれてもいいし,そうした状況で最善手が打てるように私を訓練してくれてもいい.人間の判断を補助してくれるようになれば新しい技・戦術・戦略が生まれるようになるだろう.

しかし,人間の判断は遅い.そしてよく間違う.したがってそういう状態になったらコンピュータが人間に指示して戦うことが最も効率がよくなることだろう.リメークされた映画「ロボコップ」でもそんな話が出てくる.人間に判断を委ねるスキームは,人間を介さずに敵を攻撃するアルゴリズムにとって代わられる.なぜなら人間の判断を介した戦闘は,コンピュータが自律的に行う戦闘よりも反応が遅く,劣るからである.機械に人間が負けるーーー普通に考えれば当然だけれど,それでも人間は機械を越える能力をもつというロマンを求めてしまう.そんな小説やマンガは山ほどある.

しかし,現実は冷徹である.いつか世の中の戦争はロボットが行うことになるのだろう.人間はロボットにほとんど勝つことはできないから,ロボット同士が戦って勝敗を決めることになるだろう.それはそれで人間が死ぬことがなくなるのでよいことかもしれない.
ただしロボットが人間のために死ぬことを疑問に思わずに,ロボット同士殺し合ってくれるかぎりの話である.

2017年6月21日水曜日

コンピュータが指し示す新たな将棋の世界

藤井四段のデビュー以来負け無しの28連勝で俄然将棋人気が高まっている.その一方で名人がコンピュータに完敗するということも今年になってあったわけで,この先将棋はどうなるか,私もとても興味をもって注目している.

ラジオで将棋のプロが解説していたけれど,もう人間はコンピュータに将棋で勝つことはたいへんに難しい状況になっているらしい.コンピュータソフトもその進化が著しく,1年前のソフトと対戦すれば9割は勝つというほど,毎年毎年強くなっているらしい.

将棋の世界では,この2,3年で戦法が大きく変わってしまったのだという.それはコンピュータに将棋を教えてもらっているところがあるからだという.私も中学生の頃,将棋にすごく凝ったのだけれど(天井をみると将棋盤に見えたものだ.でも大学生になってからは天井は麻雀牌に見えるようになってしまった),まずは定跡を覚えて,手筋を覚えて,なんて感じで本を読みながら勉強したものである.そこでは,まず玉は囲ってから戦うものという暗黙の手順があった.だから矢倉とか穴熊とかミノとかに囲いを組んでそれから攻めたものである.しかし,今は違うらしい.玉はガッチリ囲うことよりも逃げるスペースが広く取れるようにゆるく守るのが流行りらしい.藤井四段も,昨年からコンピュータを導入して,そのような戦法をとるようになってきたという(藤井四段の指し手はコンピュータのものに似ているとニュースでやっていたくらい).

これまでとは全く違う一手を示す.そこから新たな戦法が生まれる.それが現在のコンピュータ将棋の意義なのだろう.しかし,ここで,なぜ人間はそうした手を指すことができなかったのかという疑問が湧いてくる.もう何百年も将棋は指され続けているのに.

その要因のひとつはコンピュータには恐怖感がないということが大きいとその将棋解説者は言っていた.また人間には美意識があるために打ち手が狭められるとも.

恐怖感がないから玉を囲わずに攻めることができる.美意識がないから新たな奇手をうつことができる.人間のもつ制約を持たないコンピュータだからこそ指し示すことができる新たな将棋の世界である.

もう将棋ではコンピュータには勝てないのだから,人間は新しい将棋をコンピュータからインスパイアされる,そしていつかは習うことになるのだろうと思う.

コンピュータには恐怖心や美意識がない.まさに怖いものしらずの強さである.

2017年6月20日火曜日

CRISIS

録画していたドラマ「CRISIS」の最終回を見た.金城一紀脚本,小栗旬主演ということでいえば以前に放送されていた「BOARDER」と同じ組み合わせで,どことなくスッキリしないストーリー展開が似ていたように思う(テレビ局は違うのだけれど).

アクションシーンがなかなか興味深かったのだけれど,使っている武術はシラットやカリらしい.たしかに警棒を使うシーンや相手を抑える技術などはエスクリマ,アーニス,カリ・シラットっぽかった.しかし,それだけではなく仲間内で行う格闘の練習シーンなどでは飛びつき腕ひしぎなども披露されていたから(それも新木優子が技を小栗旬にかけていた!),いろいろな格闘技がミックスされているのだろう.

金城一紀といえば,岡田准一主演の「SP」も企画・原作を担当しており,そこでは岡田准一がJKDやカリなどを披露している(彼はインストラクターの資格までもっているらしい.先日もあの身長なのに胸囲が1mを越えたと言っていた).アクションのリアリティに凝っているらしい.たぶん自身もなにかしているのだろう.

今回のアクションシーンで不思議に思ったのは,小栗旬や西島秀俊が持っていた折りたたみ式警棒の材質・重さである.格闘シーンで犯人の二の腕などをその警棒で叩いているけれど,腕が折れるわけでもないらしい.グラファイト製で警棒はしなうのだろうか.それとも犯人の腕は分厚い筋肉で覆われているのだろうか.もしも私の腕だったら簡単に折れてしまうに違いない.的確に膝の上や肘の上などを狙えば,完全骨折とはいかないまでも,ほとんど動かせなくなるように想像するのだけれど.私はそういう経験もないし,今後もそうしたことは経験したくないので,知りたくはないのだけれど,ついつい画面を見て思ってしまった.

ドラマのために役者のみなさんは相当練習されたに違いない.それもマイナーな格闘技を.それがすごいと思うのである.

#BOARDERは続編があるらしいので期待している.最終回は不思議な終わり方だった

#カリ・シラットと呼ぶべき格闘術だということで,文章を少し修正しました.シラットにもいくつも種類があるので...いや,よくわからないところが沢山ある.

2017年6月19日月曜日

大江千里 Rain を耳にする

先日,車のラジオからどこかで聞いたことのある曲が流れてきた.タイトルは思い出せなかったけれど,誰が歌っているかはすぐに分かった.それは大江千里だった(「おおえのちさと」とか読まない.って,こんなことを書かなければいけないほど最近は知られていないのが寂しい).

歌は「Rain」だった.あとでネットで調べて知った(いや,思い出したというべき).4,5年前に「君の名は」で話題の新海誠監督のアニメ「言の葉の庭」で,秦基博がカヴァーしていたのだという.音楽は全然古びていない.今聞いても素敵なせつない曲である.

大江千里が流行っていた頃,私は高校生から大学生になった頃だった.大江千里は,正直私にはいけ好かないタイプの歌手だった.どうしてかって,まず彼は大学生時代(関西学院大学出身)からスターだったし,なによりも彼には才能があるということも誰の目にも明らかだったし,そしてそれを彼も自分自身で理解していて彼の歌い方にはそれが現れていた.私はその歌い方,姿勢がいやだったのである.彼のファッションも80年代のポップスタイルそのままで好きではなかったし,映画の役も小憎らしかったし(「君は僕をスキになる」とか).まぁ,私にはまぶしかったということなのだろう(当時は「王子様」と言えばオザケンではなく大江千里だった).

とはいえ実は告白すると,私は彼の「redmonkey yellowfish」というアルバムが大好きで,どの曲もかなり聴いていた.80年代,大学生が憧れるポップな世界を感じさせてくれた.当時はそれを言うのが恥ずかしかったけれど.

そんなわけで当時は素直に聞けなかったけれど,先日聴いた「Rain」は思いもかけず心が少し動いた.彼のあの歌い方も,ひとつの魅力に感じられるようになった.私も年を取って,聴き方に余裕が出てきて,良さを素直に認められるようになったということだろう.

最近,彼はジャズ・ピアニストになったということだけれど,もっと彼の作品が評価されてもいいのではないかと思う.でもやっぱり彼の若い頃の歌う姿をみるとこちらがこっ恥ずかしくなるのだけれど.

2017年6月16日金曜日

TGIF!

「花金」である.もうそんなことばを使う人は私の周りにはいない(「花金」は「花の金曜日」という意味である.一応).それでも,多くの人にとって金曜日はウィークデイの終わりを告げる福音であり,この一週間の自分に対してお疲れ様を言いたくなる曜日である(そうでない方,ごめんなさい)

でも,そう思っているのは日本人だけではないようで,アメリカにもTGIFという言葉があり驚いた.TGIFは,"Thank God, It's Friday"の略で,つまりは「神様有難う,花金だ」という意味である.結局,アメリカ人も「花金」を喜ぶということか(というか,週休二日の国の労働者のみなさんはそう思っているのが普通?).

私がこの言葉を知ったのは,"Last Friday Night (T.G.I.F.)"というKaty Perryの歌を聞いてからで,金曜日の夜のどんちゃん騒ぎを後悔している内容である(ちなみにこのKaty PerryのMusic Videoは,バカげていて,下品で,最高にサイテー,いろいろな著名人がカメオ出演しているので一見の価値があるのでオススメ).

一方,SHITという,ちょっと下品な略語もあって,これは"Sorry Honey, It's Thursday"の意味とのことである.こちらはあまり一般的でないらしい.しかし,木曜日のガッカリ感が良く出ていると思う.

とにもかくにも今日は金曜日である.TGIF! 気分をあげていきましょう.
(とはいえ,週末休むとは限らないのだけれど)

2017年6月15日木曜日

刀剣ブームで慣用句も復活するか

なんとも不思議な世の中になった.
若い女性の間で刀剣ブームというものがあるらしい.「刀剣乱舞」というゲームのおかげとのことだが,これまでは一般の人にはほとんど関心がもたれなかった分野に注目が集まるのは嬉しいことである.しかし,刀剣の展示会などで女子が集まっているような場面をニュースで見ると少し異常かなとも正直思う.擬人化された男の子に興味があるというならともかく,本物の刀剣をみて何を思うのだろうか.

とはいえ,刀というものは江戸時代までは町中で見かけられたものであって,私たちの生活の中にも刀に起源をもつ言葉が結構ある.私の合氣道の先生はよくそれをおっしゃっている.

刀の部分に関連した言葉でも思いつくままに書いてみても,

「反りがあわない」
「切羽詰まる」
「鯉口を切る」
「鎬を削る」
「鍔迫り合い」
「目貫通り」
「もとの鞘に納まる」
「鞘当てをする」

などと,たくさんある.と言いたいところだけれど,今の若い人がどれだけこれらの言葉を使っているかと問われれば,はなはだ心もとない答えしかできない.

もしも刀剣ブームが本当であるならば,こうした慣用句も復活して欲しいと思う.

2017年6月14日水曜日

お洒落なチョコミントが欲しい

先日,あるコンビニに寄ったところジャイアントコーンのチョコミントが他の種類に比べ大幅に値引きされて売っていた.喉から手が出るほど欲しかったけれど,ちょっとその時は食べている余裕もなく,泣く泣く買うのを断念した.でも,しばらく時間が経ったのち,なぜチョコミントだけが安売りされていたのかとふと思った.あんなに美味しいのに...でも結局,チョコミントは人気がないのだという結論になった.

私はチョコレートに目がなく(でも,今年の目標は相変わらずダイエットです!),いつか世界のショコラティエの作品を食べ歩くのが夢なのだけれど(楠田枝里子は私の夢をすでに実現しているすごい人なのだ),私だけでなく,多くの人はチョコ好き,いやチョコレートが嫌いな人なんてこの世の中に本当に稀なのではないかと思っている.

でもそんなチョコ好きの人でもチョコミントだけは駄目という人を結構知っている.先日も大阪ではチョコミントが人気がないという記事をネットで見かけたくらいである.私はそれがもったいないと思うのである.

実を言えば,私も昔はチョコミントが苦手だった.大学生の頃である.でも,イギリス名物のチョコレート「アフターエイト」に出会って,その甘くない大人風なオシャレな味に,一気にその魅力に目覚めたのである.「アフターエイト」はチョコレートの中にミントフレーバーが入っていて,スキッとする.でも安っぽくない,歯磨き味ではない辛味があって美味である.イギリスの名物だけれど紅茶ではなくコーヒーに非常に合う味なのである.

以来,チョコとミントの大人な組み合わせが大好きとなった.チョコミントのアイスもその爽やかさの魅力に気づいた.今では全く抵抗がない,どころか積極的に選択するくらいである.

そういえば,ちょっと前の話だけれど,小説ブギーポップシリーズにも「ペパーミントの魔術師」と呼ばれる怪人が出てきたことがあって,その話のファンタジーな展開の中でチョコミントのアイスクリームが大変魅力的に思えてきたという覚えがある.

あの少し蛍光がかった緑のアイスとシックな茶のチョコとの組み合わせ.配色的にもかなりハイセンスである.カラーも味もしっかりと大人向きなのだから,もっともっとオシャレなスイーツとして活躍してもいいと思っている.なのに世間にはどうも安っぽいチョコミントしかなくてガッカリである.誰か本当に上質で上品,オシャレなチョコミントを作ってくれないだろうか.絶対に食べに行く.

いつかオシャレな大人はチョコミントを愛するのが楽しみであるという時代がくるものだと私は信じている.そのときには,私はずっと前からチョコミントファンだと周りに自慢するのである.


2017年6月12日月曜日

太刀と刀

太刀(たち)と刀(かたな)は違うことを知らない人も多い.

太刀は刃を下にして腰帯に吊るして携帯するもので,これを「太刀を佩く」という.一方,刀は時代劇でよく見るように帯に差すもので,刃を上にして差すことになっている.大刀を本差,小刀を脇差と呼び,刀は差料などとも呼ばれる.

一般的に太刀の方が長く,反りが強かったりする.馬上で使うためということらしい.一方,刀は江戸時代以降に武家諸法度によって大刀の長さが2尺程度までと決められていた.でも江戸時代後期の剣豪である平山行蔵などは2尺をはるかに越える3尺8寸の長刀を差していたという話が残っているし,居合の林崎などは3尺を越える長刀を抜いていたと言われているので,実際には法を破っていた人も少なくなかったのではないかと思われる.ただ,刀は反りが強くないので,刃を上にして乗馬すると小尻が馬の尻にあたるので,刃が下になるよう返して腰に差したと言われている.

明治以降,西洋式の軍隊になってからは,また太刀のように刃が下,あるいは前を向くようになっているのは,やはりサーベルを真似たからなのだろう.また馬上での取扱を易くするためだからと思われる.

合氣道の稽古においても,木刀を太刀と呼んだり,剣と呼んだりするので,同じだと思っている人が少なくないのだけれど,一応違うことになっている.ただ私はどちらも本物を持ったことがないので,知識だけなのだけれど.

2017年6月10日土曜日

岸田繁 交響曲第1番 ~いったい「くるり」はどこへ行く?~

「くるり」の音楽性の変遷が興味深いという話を先日書いた.アジアン風な,でも無国籍な音楽に傾きつつあるという印象だった.

そして,ついこの間,「くるり」のメンバーである岸田繁が書いたという「交響曲第1番」を全曲聴く機会があった.岸田繁の多才さを再認識した.

交響曲第1番は,五楽章構成でたぶん演奏に40分~50分くらい要するのではないかという大曲である.初めて聴いた印象は,意外に現代音楽的ではなく(もっと現代風なアレンジをするかと思ったけれど),それでいてベートーベンやハイドンのような古典的な形式でもなかった.私の個人的なイメージでは,国民楽派の五人組やカリンニコフに近い民族的な響きがあったように思う.

古典的な交響曲の形式(急速楽章,緩徐楽章,舞曲,急速楽章ーコーダという流れ)というよりも,マーラーの交響曲のような連続する交響詩といった構成であって,それは岸田繁のマーラー好きを思い起こさせる.

だから,聴き終わった後にスッキリ感というのはちょっと少ない(「ラフマニノフ終止」とまではいかないにしても).しかし,お腹いっぱいという感じはする.それも不味いものを食べた気分はせず,街のおいしい洋食屋さんのメニューをたっぷりと堪能したという感じ.

少しとらえどころのない音楽ではあったけれど,また次に聴いてみたいような気もする作品である.岸田繁の才能にあらためて感動した.

しかし,「くるり」は一体どこへ向かっているのだろうか.無国籍どころではなく,無ジャンルの音楽になりつつあるのかもしれない.

#聴いたのは
岸田繁「交響曲第一番」
指揮: 広上淳一
演奏: 京都市交響楽団
2016年12月に京都で行われた初演のライブ録音だった.

2017年6月8日木曜日

本屋で手裏剣を売っていて驚く

もう1,2ヶ月前のことになるのだけど,梅田のジュンク堂書店(ロフトの前のところ)に新刊をさがしに足を運んだ.その2階ではいつもどおり何かしらのフェアが開かれていたのだけれど,ふとフェアの棚を見ると高松寿嗣氏の写真が飾られていることに気づいた.

高松寿嗣といってもピンと来ない人も多いかもしれないけど,高松寿嗣といえば現代のニンジャマスター初見良昭氏の師匠で,多数の武術・忍術をおさめた伝説の人なのである.

私は驚いて,その棚に近づいてみると案の定,初見良昭氏の写真も飾られている.こちらは有名だから知っている人も多いと思うけれど,世界の忍者を目指す人から先生と仰がれている凄い人なのだ(昔,「世界忍者戦ジライヤ」という特撮モノがあって,主人公の忍者の師匠も演じられている.(ただし声は吹き替えだったような覚えがある).でも,動画などを見れば一目瞭然,すごい人なのだ).

どうも忍者フェアだったらしい.
別の棚を見てみると,なんと種々の手裏剣が売られている.それもジュラルミン製の銀に光る大きな星型の手裏剣が.手にとって見てみるとそれなりに重くて,投げられたら怪我をしそうである.さすがに刃引きはしてあるようだけれど,凶器に十分なりうる.こんなものが書店で売られているとは...複雑な思いを持った.

となりにはラバーナイフなども売られていて,こちらについてはDisarmする技術を練習するためにいろいろな格闘技で使うからまだ理解できるのだけれど,手裏剣は...

もちろん,忍者映画に出てくるような十字平型手裏剣というのは余り使われていなかったと言われていて,根岸流などでは少し特殊な手裏剣を使うけれど(でも棒手裏剣の一種といえるのではないかな),一般的には棒手裏剣がよく使われていたようである(投げ方も直打法).

たぶんコスプレ用あたりなのだろうかとも思うけれど,やっぱり一つ間違えば人に怪我をさせる武器になりうるので,公然と売られているのには違和感を覚える.カバンに入れて持ち歩いていたら職質されても言い訳はできないだろう.

しかし,ジュンク堂は相変わらずマニアなフェアをする.いろいろとジュンク堂オススメの本を買って,「当たり」だったと思うことも多いので,決して悪くは言えないのだけれど.

2017年6月7日水曜日

音無しの剣

眠狂四郎の「円月殺法」はフィクションだけれど,「大菩薩峠」の主人公 机竜之介の「音無しの構え」には実在のモデルがある.それは幕末の剣豪,高柳又四郎の「音無しの剣」である.

机竜之介の「音無しの構え」は,相手と剣を打ち合わせることなく勝ちを得るという恐るべき剣法として描かれているらしいのだが(正直に言うと,中里介山の「大菩薩峠」は未読である.すでに青空文庫にも上がっているのだけれど,あまりの膨大な量に始めの部分を少し読んで怖気づいてしまったのである),実際の高柳又四郎も道場において竹刀を打ち合わせることなく勝負を決めていたというのである.だから彼の剣術は「音無しの剣」と呼ばれていた.

高柳又四郎が在籍していたのは小野派一刀流中西派の道場だというから竹刀で打ち合う稽古が盛んであったことは間違いない.そこで竹刀を打ち合わせることなく,勝ちを得ていたというのだから,相当の腕前である(ただし,高柳が中西道場にいたから彼の流派が一刀流であるとはいえない.他流を学んだ後,別の道場に籍を置くということも比較的普通に行われていたからであり,中西道場には他に寺田五右衛門,白井亨なども在籍していたけれど別に道場主の中西子正に学んだわけではなく,道場主の後見人だった).

果たしてそんなことができるのかと思うけれど,私が稽古している合氣道でも剣を打ち合わせることはないと教わる.鍔迫り合いなんてやってはいけないと.これもいろいろ理由があるのだけれど,とにかくチャンバラ時代劇のように剣と剣を打ち合って火花がでる,なんてことはしないのである.それこそ音無しの剣なのである.

もちろん,剣を普通に打ち合う流派もたくさんあって,例えば新撰組の池田屋事件の際には,沖田や永倉の剣は折れたり刃こぼれしたりしたというのから相当打ち合ったのだと思われる.近藤の自慢の虎徹(と彼が信じている剣)は無事だったらしいけれど.

あるいは馬庭念流は鹿島神流などでは続飯付と呼ばれる鍔迫り合いの技法が確かに存在しているので,別に技法が無いわけではないのである.

しかし,刀の刃こぼれ,折れなどを考えれば刀など切り結んであてることはしないに越したことがないとは私も思う.なので,私は私が習ったとおりに「音無しの剣」を目指して稽古していくつもりである.

高橋英樹さんがインタビューで答えていたけれど,先日亡くなった松方弘樹さんと時代劇で共演した時,一度も刀を打ちあうことなく撮影が終わったのだという.別に殺陣がなかったわけではなく,松方さんが絶妙の太刀さばきで,あと1mmというところで太刀をピタリと止めていたのだという.もちろん刀を痛めないためである.それは撮影の技術なのかもしれないけれど,「音無しの剣」を思い出した次第である.

2017年6月6日火曜日

眠狂四郎「円月殺法」とは

眠狂四郎の剣術といえば,剣を正眼から下段に下ろしそこから円を描くように剣を回す「円月殺法」である.相手はスキだらけのその構えに我慢できなくなり(あるいは光に惑わされて)斬りかかると,後の先をとられて狂四郎に斬られてしまうという技である.

もちろん架空の技なのだ.
そもそもそんなスキだらけの構えなんて怖くてできない.ただ伯耆流の技に似たようなものがあるとの話である.では,原作者の柴田錬三郎は伯耆流をモデルとして円月殺法を編み出したのだろうか.

いやそれも違うと思う.こんなエピソードを聞いたことがある(あいまいだけど).

市川雷蔵(だったかな.とにかく狂四郎を演じようとする俳優)が,円月殺法を映像化するにあたり,柴田錬三郎に尋ねたそうである.

「剣で円を描く時,回す方向は刃から回すのでしょうか.峰の方から回すのでしょうか」

柴錬は,「そんなこと考えていなかったよ」と答えたらしい.結局,なにかの形をを見てモデルにしたということではなかったということだろう.小説では細かなことを書かなくてもヒーローは敵を斬ることができるものである.

ちなみに市川雷蔵も田村正和も円月殺法は,下段に下ろした剣を一度その場で刃を返し,その後,時計と反対方向に峰の方からゆっくりと回していくことになっている.

2017年6月5日月曜日

田村正和が「眠狂四郎」を演ずるという.期待せずにはいられない

田村正和が「眠狂四郎」を演じるのである.
もう二十年以上ぶりなのではないだろうか.これは期待せずにはいられない.

「眠狂四郎」といえばもちろん映画では市川雷蔵の当たり役であるけれど,TVシリーズでは田村正和の匂い立つような色気のある「眠」が人気だったらしい.私がリアルタイムで見ていたのはその後のスペシャルで作られていたものだと思う(私にとっては「時代劇スペシャル」の「乾いて候」の腕下主丞の方が馴染みが深い).暗い過去を背負った狂四郎は田村正和のはまり役で,個人的には市川雷蔵よりも思い入れが深い.

田村正和演ずる狂四郎の魅力は,なんといってもあの鼻にかかった声によるセリフ回し.狂四郎が淡々としかし熱く悪党どもの非を糾弾するのだけれど,一種の節回しがあって,講談のように流れるように語られる.それも顔を少し下向きにし,身体はほとんど動かさずに語る.これが田村正和なのだと思わずにはいられない,独特のオーラがそこにある.

殺陣も田村正和スタイルである.華麗な太刀筋,そして斬ったあとの身体を斜に構えつつも刀が下段で生きている.すべて計算しつくされた動き,ポーズ.田村正和以外の誰があのような殺陣ができようか.それほど独特の殺陣なのである(「鳴門秘帖」や「乾いて候」でも田村正和スタイルの殺陣を披露していた).

とにかく,田村正和は田村正和であって,時代劇のヒーローを演じていても田村正和なのである.そして,その田村正和がまた「眠狂四郎」を演じるというのである.これが期待せずにはいられようか(今回の相手役の名取裕子も大好きだし)

ただ心配なのが,彼の齢もすでに73歳ということ.殺陣もそうだけれど,顔のアップに彼の老いを感じてしまったらどうしようかと怖くもある.私の夢がこわれないで欲しい.でも田村正和が「演る」といったのだから,彼なりの自信はあるのだろう.それを見届けることがファンの務めであると思っている.

2017年6月1日木曜日

ステーキを食す.しかし寄る年波に勝てず

一昨日は珍しく東京に出張していて,午後からの用事だったので,昼食を浜松町で食べた.そしてこれも珍しく体調が良かったので,思い切って昼ご飯にステーキ屋に入った.「いきなりステーキ」である.さすが人気チェーン店ということで混んでいたし,人の回転も速い.ただ私は幸運にもすぐに座ることができた.

注文はランチメニューのワイルドステーキ.一番大きくメニューに書かれていたのは300gのものだったのだけれどとても挑戦する勇気がなく,200gを注文.それだって私にとっては大きな冒険なのだ.

しかし,鉄板に焼かれて出てきた分厚いステーキを見て,やっぱりもっと小さいものにすればよかったと大後悔.ステーキを見るだけでお腹が一杯になるどころか,気持ち悪くなりそうだった.

でも,ひとくち食べたら意外にいけて,最後の方は少々喉につかえてはいたけれど,完食することができた.食べ終わって,ふぅ~と一息.これでも昔は1ポンドくらいペロリと平らげることができたのだけれど最近はちょっといけない.やはり寄る年波には勝てないのだろう.脂っぽいものに滅法弱い.焼き方も昔からレアが好きだったのだけれど,最近はミディアム・レアとなってきて,どうも若い頃とは量も嗜好も異なるようになってきたようである.

さて,私が200gのステーキと格闘していると,目の前の席に女性が一人やってきて,メニューを見て一言オーダー.

「ステーキ450gで.でもご飯は少なめで」

言葉を聞いただけでこちらの胃が重くなった.肉は食べてもロカボなのだ,とも感心する.そして,やがて私の横を通り過ぎていった450gのステーキを見てさらに満腹感が増幅.その厚みと大きさに「スゲー」と心のなかでつぶやいた.しかし,その女性はなんの気負いもなくナイフとフォークを使って食べていた.一方の私はすっかりステーキも食べられないオジイさんになったのだと再認識した.

それでもその日の昼食には大満足.お腹の調子を整えつつ東京タワーの下の機械振興会館まで歩いた.その散歩でなんとか救われて,午後からの会議にも無事出席できた.増上寺を通り抜け,東京タワーを見上げる食後の散歩も良かったのだけれど,一方でもうしばらくはステーキはいいかな,とも思ったのも本心である.

徳島でハンバーガーを食す OSAFUNE BURGER

 電気学会全国大会に参加するために徳島に滞在した。今回は長めの滞在となったので,徳島で何回も食事を取ることができた。阿波どり,徳島ラーメン,鯛塩ラーメン,徳島餃子,かぼす酒,かぼす酎など,多くの地元の名物を食べることができたのけれど,最終日はさすがに普通の食事が取りたくなって,昼...