「哲学する工学」
ちょっと前に参加した大阪大学工学教育シンポジウムで 鷲田副学長のお話に出てきた言葉が, 「哲学する工学」。 なかなか面白い言葉なので, その後もいろいろと考え続けている。 現代における工学には, その技術の使われ方や在り方,開発の進め方などに 哲学的な思索が不可欠であるとの意味であると思う。 それだけ 工学という学問の在り方が, 人間社会に大きな影響を与えるようになってきている 。 「哲学する」というのは, 別にベルクソンやヴィトゲンシュタインなどの 哲学書を読めということを言っているのではない。 幅広い知識の上に立って, 社会・環境・倫理を考慮した工学研究を進めるということだと思う。 もちろん,専門性が欠けていては, 研究者・技術者ではなくなってしまうので, 深い専門知識は不可欠である。 ただ現在は専門バカではない人間が求められている。 以前にも「π型人間」について書いた。 専門知識も一分野で深いだけではだめなのである。 「幅広い知識+複数の専門知識」が求められている。 そして更に,社会的な見地から研究を 見つめなおすことが求められている。 これが哲学するということではないだろうか。 そして,そこには文系的素養が必要だ。 私は常々現在の理工系の学生が 本を読まないことを本当に悲しく思っている。 もちろん,本というのは理工系の教科書・専門書ではない。 文系の本を読む量が絶対的に不足しているのではないだろうか 。 小説,随筆,紀行文に限らず,哲学書,政治学,経済学,etc. 若いのだから,いろんな方向に手を出せばよいと思う。 人生がもっともっと豊かになると思うのに。 本を読む時間がないという言い訳がおかしい。 一日は24時間もある。 学生は自由時間が社会人よりずっと多いはずだ。 テレビを見ているのか,ネットにつながっているのか, その時間を少しでも振り換えれば, 本を読む時間などいつでも作り出せる。 少しでも読書の時間を作り,それを継続してみよう。 そのうちきっと,より多くの読書時間を必要とすることになるだろう。 君子たる人間として一般的な教養は不可欠である。 そしてそうした素養がなければ, 工学を哲学することができないのではないか。 学生のみなさんは, 教養のない将来の自分の姿に耐えられるのだろうか。 私には無理だ。 だから今の自分が恥ずかしい。 今からでも少しでも...