2024年1月28日日曜日

ゴジラ -1.0 白黒(3) ~映像が白黒化されるとゴジラの造形が詳細になり,俳優の表情はよりナマナマしくなる~

  「ゴジラ -1.0」モノクロ版を観てきた。シン・ゴジラのときも2回観たのだけれど,今回も2回観た。しかし,今回はどうしても2回観たくてみたわけではなく,若干「たまたまタイミングが良かった」という理由も含まれている。

白黒になると,ゴジラの怖さが増す,と聞いていたのだけれど,私はそれほどの違いを感じなかった。白黒で観て思ったは,ゴジラの造形がよりくっきりと分かるようになったということ。筋肉の動きがよく分かる(動きすぎて少し不自然だけれど)。CG製作の人たちのこだわりなのだろう。

一方,各俳優の演技が強すぎるように感じられる。なぜかと理由を考えてみたのだけれど,白黒になることにより,より各人物の表情の陰影が強く出るように感じられるからではないかと思った。昔の白黒映画ではドーランをべったりと塗って白塗りの顔で演技をしていたから,ちょうどよかったのかもしれないけれど,現代の技術で映像を白黒化すると,ちょっと表情が生々しく感じられるようだ。恐怖の表情などは陰影の強い楳図かずおのホラー漫画に通じるものがある。

物好きな人にはモノクロ版をオススメするけれど,やはり最初はカラー版を観たほうが良いと思う。星4つ。★★★★☆。

#2024年2本目

2024年1月27日土曜日

ゴジラ -1.0 (2) ~ゴジラは自然災害であり,戦争である~

今回のゴジラを観て思ったのは,ハリウッド版とのゴジラという存在の違いである。これは多くの人が指摘しているところなのだけれど,ハリウッド版はあくまでも巨大恐竜,怪獣という未知の生物を相手に人間が戦うという印象である一方,日本版はゴジラの厄災は天災であるという意味あいが強い。今回のゴジラは特にそう。もう強すぎて,理不尽すぎて,こんなのは台風や地震にならぶ災害である。その前に人間はただただ逃げ惑うしかない。そんなゴジラの存在が今回の映画によく描かれていた。

日本人がゴジラを破壊神として神格化するのは,自然災害は荒ぶる神の表れと考えが日本にはあるからなのだろう。日本は自然災害に苛め続けられてきた。それは全く理不尽で,人間にはどうしようもない。あきらめて受け入れるしかない。しかし人間にはその悲劇にはなんらかの理由付けが必要で,そのために神があるのかもしれない

さて,そうしたゴジラの存在意味の違いが原因なのだろうけれど,だから,今回の映画ではハリウッド映画によくありがちな最初から特別に強いヒーローは出てこない。主人公は特攻から逃げてしまった業を抱えているし,ゴジラと戦う人たちは「戦争で生き残ってしまった」とどこかで後ろめたさを抱えている人たちである。ゴジラはその時代の各人が心に傷を抱えている「戦争」でもある。浜辺美波の最後のセリフ「コウさんの戦争は終わりましたか?」に表れているとおり,それらに区切りをつけるという意味もある。

最初にこの映画を観たときに思ったのは,上記理由で「日本スタイルのゴジラだなぁ」ということ,「日本人が好きそうなベタな人間ドラマだなぁ,」と感じて,つまりは「世界には受けないだろうなぁ」ということを感じたのである。しかし,私の予想とは異なり世界的にヒットをしているのだという。うーん,やはりドラマとゴジラの配分がいいからかなぁ…?まぁ,確かにハリウッドが,世界が,マーベルやDCのスーパーヒーローの物語に飽きているということもあるけど。


2024年1月21日日曜日

ゴジラ -1.0 (1) ~ドラマとゴジラの配分がちょうど良い観ておくべき特撮映画~

 年始の忙しさにとうとう耐えられなくなって,仕事から逃避して映画を観に行った。映画館で映画を観るのはずいぶん久しぶりのような気がする。観た映画は「ゴジラ -1.0」である。

やっぱりいいなぁ,映画館で観るのは。特に今回のような怪獣映画の場合には,やはり大画面の迫力と大音響がワクワクさせる。ゴジラの咆哮は腹の底から響いた。映画はこうでなくては。

そして,内容が思いがけず素晴らしかった。もっと子供向けのエンターテインメントかと思っていたのだけれど,全然違っていた。大人向けのゴジラだった。

まず主人公の神木隆之介の精悍な顔つきに驚かされた。これまで見てきた彼とは違う。男らしさが感じられる。しかし,彼は特攻隊から逃げてしまった男。そしてゴジラへの恐怖のために動けず,多くの人を見殺しにしてしまった。それで幸せな人生を送ることを許されない業を背負ってしまった男という,観るのが耐えられないほど重い役だった。

そしてこの映画のシリアスさをガツンと思い知らせてくれたのは安藤サクラの登場シーン。自分の家族は戦争で死んだのに,特攻隊員の神木は生還してきた。そのやるせなさをひどい言葉ですごい顔で神木にぶつける。彼女の演技の凄まじさに私がビビるほどである。

佐々木蔵之介も山田裕貴も青木崇高も,そして吉岡秀隆もみんな素晴らしい演技だったのだけれど,やはり浜辺美波のかわいさにトドメを指す。彼女がいなければこの映画がギスギスしたものになっていただろう。

これらの登場人物が織りなす人間ドラマがかなりベタで予想がつくのだけれど,それでも感動する。いや,逆にベタだからこそその結末に至ったときに安心する。そんなストーリーになっている。

人間ドラマがほとんどなかったシン・ゴジラとは全く逆の作り方。シン・ゴジラをみたときは,そんな人間ドラマなど邪魔だと思ったけれど,今回のゴジラ-1.0を観てドラマとゴジラの配分さえ間違わなければ,ちゃんと良作になるのだということを認識した。

ということでかなりオススメ。星4.5です。★★★★ ★/☆

#橋爪功が数秒出演していて美味しい役だなと思った

#2024年1本目。

2024年1月20日土曜日

2023年に観た映画のまとめ

2023年の目標で唯一達成できたのは,「映画を12本観る 」である。ただし,これには映画館以外で観たものも含むので,かなり易しい目標となっている。それでも日々の中で映画を観る時間を確保するのはそれなりに難しいので,自分を少しは褒めてあげたい。

2023年に観た映画は以下の通り。

  1. 「ジョン・ウィック:コンセクエンス」
  2. 「007カジノ・ロワイヤル」
  3. 「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」(初見)
  4. 「ジェイソン・ボーン」
  5. 「The Batman」
  6. 「リボルバー・リリー」(初見)
  7. 「コントラクター」(初見)
  8. 「ソー:ラブ&サンダー」(初見)
  9. 「SHERLOCK ピンクの研究」
  10. 「シャーロック・ホームズ」
  11. 「キングスマン・ゴールデンサークル」
  12. 「劇場版 呪術廻戦 0」(初見)
  13. 「エンド・オブ・デイズ」
  14. 「シン・仮面ライダー」(初見,映画館)
  15. 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(初見)

なんとも情けない。実は,1~11は海外出張の機内で観た映画であり,本当に小さい画面で,大スクリーンと素晴らしい音響で体験する映画の醍醐味なんてこれっぽっちもなかった。映画館で観たのは「シン・仮面ライダー」一本だけだ... 今年こそ映画館にもっともっと観に行こう。映画は日常を離れて,その世界に没入できる(変性意識になる)良い機会なのだから。


2024年1月14日日曜日

2024年の目標:終活をはじめる

 年末年始ととにかく忙殺されて,なにもできず,それでいてなにも休めなかった。本当にひどい年末年始だった。1月1日の能登半島地震のときも大学で仕事をしていたくらいである。

昨年の目標を書いたブログをみて,涙があふれてくる。本当に全然思った通りに生きていない。昨年の目標とその達成度は以下の通りである。

  1. 「叶えたい夢を見つける」(0%)
  2. 「身体を鍛えて体重を5kg減らす」(0%)
  3. 「合氣道の稽古量を増やす」(0%)
  4. 「本を12冊読む」(10%)
  5. 「映画を12本観る」(100%)
  6. 「人生をもっと楽しむ」(10%)
  7. 「身体の姿勢に気をつける」(50%)

唯一,達成できたのは海外出張の機内で本数を稼げた映画の本数だけである。映画の話はまた別のところでまとめるとして,ほとんどの目標は全くといっていいほど進んでいない。体重なんて,2 kgほども太ってしまった。こんなことでよいわけがない。なにか根本的に変えなければならないと思う。

そこで今年から始めようと思うのは「終活」である。そろそろ私の人生も終わりが見えてきた。残りの人生は,自分の思い通りに,楽しく生きたいと思う。多くの人が言っているけれど,いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同義である。村上春樹も「タイランド」という作品の中でも言っているし,「蛍」や「ノルウェイの森」でも生と死は近いと言っている。

良い死に方をするということは,良い生き方をする,ということである。ブルース・リーもそんなことを言っていたように思うし,呪術廻戦の主人公のおじいさんもそんなことを言っていた。明日突然死を迎えるかもしれないということを心に銘じて毎日を生きていこうと思う。

ということで,今年の目標は以下の通りとする。最後の2つが今年から新たに加わった目標である。

  1. 「叶えたい夢を見つける」
  2. 「身体を鍛えて体重を5kg減らす」
  3. 「合氣道の稽古量を増やす」
  4. 「本を12冊読む」
  5. 「映画を12本観る」
  6. 「人生をもっと楽しむ」
  7. 「身体の姿勢に気をつける」
  8. 「終活をはじめる」
  9. 「誠実に機嫌よく生きる」
目標9については,また別の機会に。


2024年1月13日土曜日

魅力ある歌を歌いたい

 私はカラオケが嫌いとか苦手とかではないのだけれど,人前で披露するようなうまさではないので積極的にカラオケを歌うことは少ない。「歌うのは女の人がいるときだけだ」などと言ってマイクから逃げることが多いので,カラオケを歌うのは一年に一度あるかないかである(ちなみに2023年は一度も歌わなかったと思う)。ただし,歌うことは好きなのである。

最近は,歌が上手な人が増えたと本当に思う。私が学生のころはカラオケボックスもあったけれど,カラオケスナックなどにいくとステージ上でみんなの前で歌を歌うという文化がまだあって,他人の歌をよく耳にしていた。その頃は今みたいにみんながみんな歌がうまいというわけではなかった。下手な歌を自分の好きなように歌う人が多くて,うまさを競うというよりも自分が気持ちよくなることが目的だった。

それがカラオケボックスで歌唱に対して点数がでるのが当たり前になって,そして流行する歌も歌うのがたいへん難しい曲ばかりになって(あるいは歌よりもパフォーマンスが優先されるようになって),それにあわせて歌がうまくないと人前で披露しづらい雰囲気になってしまった。これが本当によいことなのだろうかと私は思っている。

多くの歌手の歌唱力も昔とは比べものにならないほどレベルが上がっていることは間違いないのだけれど,私の個人的な感想ではみんな同じような歌い方になっているように思える。言葉を代えると,カラオケでうまいとされるような歌い方ばかりになっているように思う。カラオケの採点ではさぞかし良い点が出るだろうけれど,聴いている私としては「私はうまいだろう」と自慢する感じで歌を聞かされているような気がして,そして結局心に残らないような,そんな印象が強くある。

昭和や平成の初期はこんな感じではなかった。紅白歌合戦でも見た寺尾聰の「ルビーの指環」とかニューミュージックの人たちとか,歌唱力を競うというよりも,その歌い方の魅力で主張していたように思う。歌がうまいといっても,尾崎紀世彦や布施明,松崎しげるのように個性的なうまさだった。しかし,今は画一的な感じがして,魅力ある歌い方のアーティストが減っているような気がするのだ。

私は歌が下手なので,この魅力ある歌い方というのに憧れる。たとえば,原田芳雄とか藤竜也とか。ショーケン,水谷豊,松田優作,石橋凌なんてところもいいなぁ。結局,歌手というよりも俳優と言った人たちの方が心にずっと残る歌を歌っている。

ということで,私のカラオケはそっち方向を目指しています。なので点数が低いのです。という言い訳を書きたくてこのブログ記事を書きました笑。

2024年1月8日月曜日

佐野元春「彼女」

 佐野元春の「君を待っている」という曲から連想したのが「彼女」という曲。これもミディアムなテンポで切々と歌う作品である。この曲は,1981年発売の「Heart Beat」,そして1991年の「SLOW SONGS」に収録されている。

この曲はどうも佐野元春がデビュー前から作られていたとのことらしい(未確認だけど)。私はてっきり彼の敬愛するエルビス・コステロの「She」へのリスペクトソングかと思っていた。

佐野元春はどうも彼が好きなアーティストの曲の翻案というべき曲をつくっていると思われることがある。例えば「Someday」は,ブルース・スプリングスティーンの「Hungry Heart」のそれにあたるし,「Young Bloods」はスタイル・カウンシルの「Shout to the Top」のそれにあたる(と思っている)。私はそれが悪いと思っているわけでなく,それらの曲はちゃんと佐野元春の作品になっているし,それが正直な佐野元春だと思っていて,そんなところを含めて私は彼を好きなのである。

そして,この「彼女」もエルビス・コステロの影響なのかと思っていたけれど,調べてみるとエルビス・コステロの「She」の方が2010年になっていて,佐野元春よりもずっとあとなので驚いた。だって,タイトルからして同じなんだから...(エルビス・コステロも1974年の作品のカバーらしい)

佐野元春とエルビス・コステロがそれぞれ「彼女」と「She」を歌いあったステージもあったということだ(私はどちらも好きなのだけど,ファンにはたまらないものだったろう)。どちらも名曲で,二人はリスペクトしあったに違いない。

どうも「彼女」という曲は映画「SPEC」で使われたらしく,若い人たちにも少しは知られているようでうれしい。正直,彼はもっともっと多くの人に聴かれて欲しいと思っている。私の青春時代をともに過ごした佐野元春というアーティストがもう少し現代で再評価されて欲しい。


#そういえば佐野元春は「SPEC」のテレビドラマで,主人公の戸田恵梨香の父親役で出演していた。セリフがあの語り口調そのままでしびれた。

#「若い人に」と書いたけれど,「SPEC」のテレビドラマの放映が2010年らしい。そもそも若い人はこのドラマ,そして映画を観ていない(実は私も映画は観ていない)。

2024年1月7日日曜日

佐野元春「君を待っている」

 佐野元春はビートの効いたロックンロールのシンガーソングライターとして有名だけれど,実はミディアムからスローテンポの甘く切ない曲も素晴らしい。私は昔から佐野元春が大好きなのだけれど,なぜか最近彼の「君を待っている」という曲が脳内ヘビロテされてしまい,とりあえずブログにアウトプットする。

「君を待っている」は調べてみると1990年発売のアルバム「Time Out!」に収録されているらしい。その頃の私はクラシック音楽のCDばかりを買っていたけれど,佐野元春のリリースするアルバムだけは購入していたので,このCDも所有している。このアルバムはロックなのだけれど,もっと自分の周りのスモールワールドをテーマにしている曲が多いような気がする。

「君を待っている」はスローに佐野元春が別れた彼女に語りかけるように歌うバラードである。年をとった今にこの曲を聴くと,若い頃とは違う印象がある。彼女に衒いもなくストレートに語りかけることに気恥ずかしさを感じていた学生時代とは違い,まぁそれもあるかとある意味,「あきらめ」に似たような感想をもつ。良い曲だということを再認識したけれど,私もトシをとったということも実感した(佐野元春は比較的若い頃にこの曲を書いているので「あきらめ」というニュアンスはこの曲に意図していないとは思うのだけど)。

2024年1月6日土曜日

黄色いリーガルパッドが欲しいのだ!

 ずっと欲しい,欲しいと思っているモノのひとつに,黄色いリーガルパッドがある。あの黄色い紙に緑の罫線,左側に赤い縦線が2本入っている,アレである。サイズはレターサイズ。これをずっと探し求めている。

初めて使ったのは,たぶん就職してからアメリカ出張に行って,それをもらってきたときだと思う。しかし,黄色い紙は決して上質とは言えず,表面はザラザラで万年筆で書くと少し青い文字がにじむような品質。少なくとも高級品ではない。気軽にメモとして使えて,使った上の紙からビリビリと切り取ることができる。そんな日常使いのメモ紙である。

しかし,これが日本では売っていない。あちらこちらで探しているのだけれど,見つからないのである。

実は伊東屋には同様のリーガルパッドが売られているのを知っている。サイズがレターではなくA4サイズであるのはワタシ的には全く問題がない。しかし,紙質が上質すぎるのである。非常に表面は滑らかで,たぶん万年筆で書いても文字はにじまないに違いない。しかし,これでは鉛筆の引っかかりがなさすぎる。私がこのリーガルパッドに求めているのはザラザラの紙質なのである。

初めて使ったとき,なんてチープな紙だと思った。それが使いこんでくると,このザラザラにシャープペンシルの芯がひっかかるのが非常に心地よい。仕事で式の計算などをすると,スラスラと変形や導出ができるような気がする。それが気持ち良いのである。学生の前で,計算を行う。そしてビリっとその紙を破って渡す。これがいいのである(ちなみに紙を切り取ったあともギザギザである)。

鉛筆やシャープペンシルに最適な計算用紙。それが私の求めている黄色いリーガルパッドなのである。

アメリカ出張に行った際に入手しようと思っていた。しかし,ナッシュビルのダウンタウンにはウォールマートも文房具のDEPOもなく,購入を断念。本当に残念だった。

そして,実はアマゾンでも売っていることも知っている。そのリーガルパッドが私が求めるものかどうか,来年は試してみようと思う。12冊で1セットなので,私の求めるものと違った場合,12冊を使わなければならず,それが怖くてポチるのを少しためらっているのだけれど。

2024年1月3日水曜日

元旦の不思議な体験

 大晦日は実家に戻っていた。私は疲れのせいか紅白歌合戦を最後まで見るのを途中であきらめて早く床に入ることになった。お酒も入っていたので横になるとすぐに眠りに落ちたようだ。そしてそのせいか朝方早くに目が覚めた。

私は実家の仏壇がある和室に布団をしいて寝ていたのだけれど,右横向きで目が覚めるとそこに誰かがいた。障子からかすかに入る光を頼りに,薄暗闇の中で目を凝らすと,どうも薄灰色と茶色の男性物の羽織の前の一部のようなものが見える。

「男の人?」と

思ったら,仏壇の前にあるお参り用の椅子が背もたれ方向にぐらりと傾いて,その人は扉が閉まっている仏壇があるところへと通り抜けるように入っていってしまった。私は怖いというよりも驚いて,ただただその目の前で起こったことを眺めていた。

見届けたあと私はすぐにトイレに立って,今起こったことを思い出してみた。やはり怖さもなにもない。ただ不思議だとしか思えなかった。時刻をみると朝の五時半だった。

そのまままた寝て,翌日元旦はゆっくりと起きた。家族にその話をすると,みんな「誰だろうね」と不思議がった。これが元旦に私が体験した不思議な体験である。

あとからよく考えてみると,それは明晰夢だったのかもしれない。明晰夢の中では「これは夢だ」と気づくことができるし,自分の思った通りの夢をみることができるのだという。私は夢だとは気づかなかったけれど,右横に男の人がいるという夢をみて,頭の何処かで「そういえばここは仏壇があるんだっけ」と思った瞬間,「仏壇に吸い込まれるかもしれないな」という連想をし,その通りのことが夢の中で起こったのかもしれない。「仏壇に入るのだったら,仏壇前に置いてある椅子も動きそうだな」とも無意識に瞬間的に連想したので,思ったとおりに椅子が揺れたのかもしれない。そんな気もする。

幽霊なのか,それとも明晰夢なのか,よくわからないけれど,どちらにしろ不思議なことが私に起こったのは間違いない。私はずっとオカルトが大好きなのだけれど,今年はますます興味が湧きそうだ。まずはそうしたことに耐えるだけの心身の体力を今年はつけようと思っている。

2024年1月2日火曜日

心療内科医 稲生知性2の見どころは,怨霊と人間との心理戦

 年末に面白いドラマを見つけた。「心療内科医 稲生知性2」というホラードラマである。

「2」とタイトルにあるくらいだから続編なのである。半年前に「心療内科医 稲生知性」というドラマタイトルを見つけて,「おっ」と思ったのだけれど放送が関東ローカルだったこともあって,見ることができず残念に思っていた。今回はTverで12月に連続して4回放映された「2」を観ることができたのである。

主演は,なんとシソンヌのじろう。彼のコント力は,シソンヌのコントやNHKのコント番組「LIFE」で知っていたけれど,今回はまじめなドラマなのである。もっというと,主人公は笑うこともしない非常にクールな医師なのである。

最初は彼が真面目な演技をしていることに,正直違和感を持っていたけれど,主人公自身が複雑な性格をもつ変人のようで,その違和感が実は正しいのかもしれないと途中から思うようになった。

内容は単なるホラーではなくて,人間と怨霊の嘘のつきあいからどちらが嘘を言っているのか暴いていく,ミステリー要素が強いので,たいへん楽しめた。ほとんど医院の診察室(といっても心療内科なので,椅子に座って患者と対峙するだけなのだけれど)一室で繰り広げられる,怨霊と人間と主人公との心理戦がメインで,怨霊自身も人間の嘘に騙されたりするし,もちろん人間も怨霊に騙され,呪われる。なるほど,こんなミステリーも成立するのかと感心した。原作者を調べてみたら,脚本家二人のうち一人が池田鉄洋だった。彼は多才なのだなぁと驚いた。

「1」を見ていないので,すでにネタバレしている設定もあって,それは残念だったけれど,いつか機会があればぜひ「1」も見てみたいと思う。まだ親友?の死因も不明のままだし,「2」の最後にはまた大きな謎が提示されているので,たぶんさらに続編が制作されるだろう。楽しみである。

#怨霊に呪われている人(患者)の問診をはじめるまえにお神酒を飲んで体を清め,自分が取り憑かれないようにする設定らしい。そのお酒の名前が「嫐」というのが面白い。


夢も予定もなく

 世の中はゴールデンウイークGWである。今年は比較的天気も良いようで、これまでコロナ禍で自粛していたレジャーがもう一度賑わいを取り戻せばいいなぁ、と心より思う。やっぱり世間が暗いのは、私のような老人にはつらいものである。 ただGWになったとはいえ、私はなにをするともない。というか...