2008年7月31日木曜日

電気工学の魅力!

核融合の分野では,若者向けの動画を作成して
YoutubeにUPしたりして,宣伝に努めている,
という話を昨日書いたら,
本日,"パワーアカデミー"のホームページが
できましたというメールが届いていた.

パワーアカデミーWeb Page
http://www.power-academy.jp/

パワーアカデミーというのは,
電気工学の発展を目的として,
産学連携と研究・教育へはたらきかけていこう,
と創設されたもので,
電力会社から構成される電気事業連合会
中心となって運営されている.

どうして電力会社がそんな活動をし始めたか,
その理由のひとつに学生たちの電気工学に対する
不人気がある.

電気工学というと,もはや成熟した技術,
としたイメージが強いのか,
あまり魅力を感じてもらえないらしい.

やはり,ナノテク,バイオ,情報なんていう
最近新聞誌上を騒がすようなワードに
世の若者は心を惹かれるのだろう.

たしかにそれも仕方がない.
日本では,停電はめったに起きず,
電力はほぼユビキタス的に街中では使用できる.
毎日に不便を感じていない.
また,使用できてあたりまえの技術であり,
便利さも感じない.
すると,人々の関心は薄れ,人気もなくなっていく.

携帯電話も同様だろう.
携帯電話が登場したころは,皆その便利さに
夢中になって,通信業界は非常に人気があった.
しかし,今,やはり通信工学の学生たちの人気は低い.

電気工学だって,電気が家庭に普及し始めた頃は,
大変魅力的だったに違いない.

しかし,間違ってほしくないのは,
決して解決すべき課題が無いということではない,
ということだ.
電気工学でいえば,太陽光発電や風力発電,
燃料電池のような新エネルギーを用いた分散電源の
普及には電気工学が不可欠だし,
CO2削減,省エネだって,電気は主役のひとつである.
また,これから期待されている市場は
電気自動車である.
ハイブリッド自動車だって,パワーエレクトロニクスの
ような電気工学なしでは実現はできなかったのである.

なのに,なのにである.
学生たちには人気がない.
身の周りをみれば,電気工学があふれていて,
研究すべきことは山ほどあるのに,
それに目を向けようとしない.

電気学会で「電気」という言葉に対するアンケートを
とったら,「秋葉原」「オタク」などというイメージが
上位に来たのだという.
これは本当にショックだった...
これでは,人気が出るわけがない.

結局のところ,その分野の発展は,
人材の育成にかかっている.
優秀な人材が集まるような人気のある分野と
ならなければ,電気工学の将来は無い.

そうした危機感がパワーアカデミー創設の
背後にある.
このブログのタイトルにも「電気工学」という
言葉を使っている通り,私も電気工学には
なみなみならぬ思い入れがある.

どうか,電気工学の魅力がみなさんにつたわりますように.
(私も努力していきたいと思います)

2008年7月30日水曜日

夢のある世界

最近,学会のシンポジウムなどで,
若手の参加率が落ちているらしい.
研究室の学生に,
「どのようなシンポジウムだったら
参加したい?」と
尋ねると,
「やっぱり夢のある話が聞きたいなぁ」
との答えが返ってきた.
そんなものなのかなぁ,と思う.

私としては,もっとドロドロとした
内情の話が聞きたいと思うのだけれど,
若い人は,自分の将来がバラ色のように
素敵な話を求めるのだろう.
若いうちから将来にがっかりするのは
良くないものなぁ.
(いえいえ,将来は明るいですョ)

先日,国際熱核融合炉ITERのニュースサイトで,
Youtubeに核融合の子供たちのための
宣伝の動画がUPされたとの記事を見つけた.
(どうもマックス・プランク研究所が作った
ビデオらしいので元はドイツ語らしいのだけれど,
英語吹き替え版もUPされている)

"Fusion 2100"


2100年の学校における核融合のレクチャーである.
早速観てみると,これがなかなかカッコいい.
まるでSF映画のワンシーンのようだ.
こんな動画を見ている子供たちは,
核融合に夢を持つだろうなぁと思う.
そして,こうしたクオリティの高い動画を作ることに
予算を使うヨーロッパ(EFDA)は素晴らしいと感心する.
将来の優秀な人材の育成は,
まず子供たちに夢を与えることから始まるのである.

日本でもこのように子供たちの
科学技術への関心を高めるような取組が
必要であると強く思っている.
まずは夢がある世界だということを知って欲しい.
たとえその世界に就職しなくても,
科学技術に夢をもつ人が増えてくれれば
それは本当に素敵なことなのである.

2008年7月29日火曜日

雷のときに頼もしいヤツ

昨日の昼から夕方にかけては,
近畿地方は大変な雷雨であった.
ところどころで被害もでている.

この吹田キャンパスでも
空が真っ暗になったと思ったら,
急にバケツで水をまいているような
横なぐりの雨が降り始めた.
最近雨が少ないと思っていたけれど,
降る時がこんな降り方では本当に困る.

雷の方も活発に鳴っていた.
私のPCはデスクトップなので,
途中電源を切っていたくらいである.
(ノートPCならばバッテリがあるので,
多少のことがあっても大丈夫なのだが)

さて,雷が鳴ると何が困るのか,
ということなのだけれど,
まずは落雷被害である.
昨日も被害に遭われた方がいらっしゃるようだが,
電気機器としても大変に困る.
高電圧のサージと呼ばれる波が瞬間的に発生して,
機器を壊してしまうことがある.
だが,頻度的には少ない.

一方で被害として大変多いのが,落雷による
瞬時電圧低下(瞬低)である.
これは,電力系統のどこかに雷が落ちた時などに,
事故を検出して系統の保護機器が働くことによって
発生する.
一瞬その問題の箇所を電気的に切り離して,
(常時接続しているスイッチを切り離す)
異常回復後に,系統をスイッチを入れて
再接続するのである.
このときに,系統の電圧が短時間低下することがある.

100Vの電圧が0Vになってしばらく続けば,
それは停電だけれど,
瞬低は,たとえば70V程度まで電圧が低下して,
そしてすぐに100Vに復帰するような現象なのである.
10%以上電圧が低下すると瞬低と呼ばれる.
時間にしてもかなり短くて
0.5秒もすれば電圧が回復することが多い.

まばたき程度の時間だけの話なので,
だから私たちも
「あれ,ちょっと蛍光灯が一瞬暗くなったかな」
くらいにしか思わない.

しかし,これが半導体工場などで発生すると,
大変な被害を引き起こす.
別に機器が壊れるわけではないけど,
異常を探知した電気機器(たとえばサーボモータなど)が
止まってしまうのである.
その時に生産していた製品の品質には問題が生じ,
大規模な工場では,その被害額が一回で数千万円に上るという.
たったまばたき一回程度「チカっ」と暗くなっただけでである.

全国で年間に発生する瞬低の回数は数百回を越えるだろう.
これは雷が送配電線に落ちるかぎり,
なくすことはできない.
そして,そのたびにどこかで損失が発生しているのである.

では,どのように対策しているのか.
実は,瞬低対策装置という
パワーエレクトロニクス機器を
設置して被害を防いでいるのである.
動作原理は至極簡単.
装置は電気をためる貯蔵装置と
そこから電気を取り出す回路から成り立っている.

通常時には電気をためておいて,
瞬低が起こったら,それを検出して,
回路を通して足りない電圧分(電力分)を
瞬低対策装置が補ってやるのである.

基本的に長い時間,電力を補うものを
無停電電源(UPS)と呼び,
短時間を補償するものを瞬低対策装置と
呼んでいるようである.
日本では停電よりも瞬低の頻度がずっと多い.
UPSに比べ瞬低対策装置は,
短時間の補償ですむので,
電力貯蔵装置が小さくて済む.
だから工場などの機器に対して
一括して設置されることが多い.

装置はそれなりに高価だけれど,
半導体工場などでの被害を考えれば
安い投資である.

でも役割はやっぱり地味.
縁の下の力持ちだなぁ,と思わざるを得ない.
そんなところでパワエレ機器は
こっそり働いているのである.

昨日も何度か瞬低があった.
そのたびに,どこかで瞬低対策装置が
動作しているのである.
雷がなるたびに,
そうしたパワエレ機器のことを
少し思い出していただけるとうれしいなぁ.

2008年7月28日月曜日

立派に年老いてく

先々週の日曜日は,息子と一緒に
兵庫県立美術館に行って,
横尾忠則の展覧会「冒険王」を
観てきた.

一体,私はあの横尾忠則の作品が,
結構好きなのである.
あの怪しい色づかい.
あるいはY字路シリーズの構図.
一見,全然脈絡がないような題材.
そうしたものが,
私の無意識を刺激するらしく,
なにか心に引っかかる.
ついつい気になってしまう.

そんなこんなで,
東京の世田谷美術館での開催が6月に終了して,
神戸に横尾忠則展がやってきたと知って,
大変楽しみにしていたのである.

息子はまだ小学生だが,
奇妙な作品の数々を前にして,
すごい,すごいと感心していた.
でも,子供にはちょっと刺激が
強すぎたかな,とも思う.

横尾忠則氏は,いろいろな著作もあり,
それぞれがなかなか興味深いのだが,
最近,彼の「隠居宣言」という本を
読み始めた.
彼は70歳を越えて,「隠居」を
宣言したのである.

本のはじめに,
なぜ「隠居宣言」をしたのか,
ということについて彼が述べている.

彼はこれまで,
10歳程度年齢を自分に偽って
生きてきたのだという.
しかし70歳を迎え,
自分が年老いたということに
観念しはじめているらしい.

しかし,「隠居宣言」に至るには,
なんと小林秀雄の存在があったのだという.
彼は小林秀雄の講演の録音を聴いて,
隠居のカッコよさに気づいたのだとか.

実は,今朝,通勤中の車の中で,
ちょうど横尾氏が聴いたと思われる
小林秀雄の講演を聴いていた.
(私の希望を聞いてくれた猪名川図書館万歳!
しかし,昨日行ったら,何本か彼の講演の
録音のCDはすでに借りられていた...)

小林秀雄いわく,
年老いて,若い人の考えを持っていることを
自慢するやつが多い.
若い人に媚びている.
そんなことではいけない.
歳をとったら,歳をとらなければ持てないような
考えをすべきである.
論語でも言っている.
三十においては,三十の自立した考えがあり,
四十にならなければ,不惑ということがわからない.
年相応の考えを持つべきである.
そして陸沈して(市井に身を埋めて)隠居する.
落語に出てくる隠居のように,
小言はいうが,皆から慕われている.
そんな立派な老人になろうではないか.
と述べているのである.

小林秀雄はこのとき59歳.
横尾氏は70歳を越えてこの講演を聴き,
歳をとったらそれ相応の考えを持つべきだと考え,
「隠居宣言」に至ったのだというのだ.

私も今朝,この話を聴いて
大いに元気づけられた.
残念ながら私も老いを感じざるを得なくなった.
白髪も増えたし,腹の周りの肉も醜くなってきた.
なによりも昔のように身体が動かない.
体力が衰えて,集中力も以前に比べると
ずいぶんと落ちている.

しかし,それでも今の経験を積んだ私にしか
できない考え方があり,それでよいのだと
小林秀雄の話は勇気づけてくれる.
立派に年老いていけばよいのだ.

小林秀雄のようにカッコよくは年老いていけないし,
一方で,横尾氏のようにエネルギッシュにもなれない.
しかし,私は私なりに歳を経ていきたいと思う.

小林秀雄によれば,心理学者のユングは
アフリカによくフィールドワークに行ったそうで,
そこで,「老人」というイメージにぴったりの老人に
出会って感動したのだという話が残っている.

そんな老人に私もなりたい.

2008年7月25日金曜日

KSTARのFirst Plasmaに想う

以前,私が前の職場にいた頃に,
職場の月刊誌の座談会に
参加する機会があった.

そのときに,私の今後の夢は,
ふたつの装置のファースト・プラズマを
見ることです.

と答えたことを覚えている.

ファースト・プラズマとは,
核融合試験装置において,
装置完成後に初めて真空容器内に
着火されたプラズマのことである.

そして私が言っていた
ふたつのファースト・プラズマとは,
ひとつは日本の核融合試験装置JT-60の
超伝導改造後の装置のものであり,
もうひとつは,現在フランス
カダラッシュで建設中の
国際熱核融合実験炉ITERのものである.

転職してしまった今となっては,
その夢は語るべき資格もないのだけれど,
それだけ,ファースト・プラズマというのは,
装置を設計・建設する者にとっては
特別な意味をもつのである.

先日の7/13に,韓国において建設中であった
KSTAR (Korean Superconducting Tokamak
Advanced Research)というトカマク型核融合試験装置が
完成し,ファースト・プラズマの着火に
成功したというニュースがあった.

KSTARのプロジェクトが開始されたのは,
たぶん私が以前の職場に就職したころだったから,
1996年のことだろうか.
今年は2008年だから,ファースト・プラズマの
着火まで,なんとおよそ12年の歳月を要したことになる.

KSTARは確かに挑戦的な装置であった.
すべてのコイルが超伝導だし,
それらの導体の部材も先進的なものを使っている.
いろいろな先進的な技術を取り入れて製作されている.

しかし,なによりも一番大変だっただろうと
思われることは,韓国にはそれまで
大型の核融合試験装置がなかったということ,
すなわち建設の経験がなかったということだろう.

こうした大型装置の設計・製作においては
経験がものをいう.
私も少し,JT-60の超伝導化計画に携わったことがあるが,
過去の経験の蓄積が現場になければ,
その設計・製作検討作業は,とてつもなく
困難なものになることがその当時も容易に想像できた.

韓国はアメリカ,プリンストンのプラズマ物理研究所の
協力を得て,装置を設計し,
それから超伝導コイルをはじめとする
数々の技術開発を行ったのである.
いろいろと苦労があったとは耳にしている.
当初は2002~2003年位がファースト・プラズマの予定であったものが,
今日まで延びてしまったのである.
どれだけのマンパワー,コストが費やされたことだろうか.

しかし,核融合開発は国家の威信をかけたプロジェクトになっている.
韓国はITERプロジェクトにも参加しており,
国内のプロジェクトで失敗したとなれば,
到底面目がなくなる.
このプロジェクトの成功は必須だったのである.

KSTARのファースト・プラズマは,
少しでも核融合に関わるものとして
心よりお祝いしたい.

しかし,これからは今まで以上の困難が
待ち受けているのだろうと思うし,
それは,KSTARの装置研究者・技術者たちも
覚悟しているだろうと思う.
まだ単なるファースト・プラズマなのである.
定格磁場も,設計プラズマ電流も
ずっと遠い値である.
その遠いゴールを目指して,これから
少しずつ少しずつ歩を進めていかなければならないのだ.

2008年7月24日木曜日

でんき予報にハラハラする

暑い.あついなぁ.
大阪は連日33℃を越える暑さである.
こうも暑いとやはりエアコンなしでは
過ごせなくなる.

とはいえ,私もパワエレ研究者の
末席を汚している身,
省エネを考え,
電力の供給を心配してしまう.
特に東京電力は大丈夫かと思ってしまう.

ご存知のとおり,
昨年の新潟県中越沖地震のために,
柏崎刈羽原子力発電所の7基が
依然,停止したままとなっている.

7基となると,その定格電気出力は
820万キロワットにも達する.
東京電力の夏の最大発電電力が
およそ6400万キロワットだから,
だいたい13%の電力が供給できない状況になっている.

電力の発電量が需要に追いつかないとどうなるか.
まず周波数が下がり始める.
50Hzが49.9Hzとか49.8Hzに下がってくる.
そしてさらに電力不足が深刻だと,
電圧が下がりはじめ,
運転を停止してしまう発電所が出てきて,
大規模な停電を引き起こす恐れがあるのである.

電力が足りないといっても,
昼間のピーク時だけのことなので,
そのための電力を夜間のうちに貯めておくことが
できればいいのだけれど,
それができないのが電力の性質なのである.

最近になって,電力を充放電できる
大型の電池が開発されてきたけれど,
まだまだ容量は小さく,そしてコストは高い.
唯一この電力貯蔵の役割を果たしているのが
揚水発電所なのだけれど,
環境の問題もあって,
なかなか新規建設は難しいのである.

電力を融通してやればよい,という考えもあるが,
隣の関西電力は周波数が60Hzで異なり,
直接には接続することができない.
周波数変換器という装置を通さなければ
電力を融通することができず,それはたかだか
数十万kWの大きさである.

最悪,どこかの工場などに運転の停止を
お願いするしかなくなってしまう.
そういう契約になっているとはいえ,
電力会社としては屈辱的なことである.

ということで,東京電力の方々は
今年の夏も薄氷を踏む思いで迎えられていると思う.
私は,今年も「でんき予報」(東京電力のHP)を見ながら,
今日も電力の供給量を需要が越えないかと
ハラハラしているのである.

2008年7月23日水曜日

ファンタジーでバランスをとる

ハリーポッターの最終巻が
日本でもとうとう発売されたという.
第1巻が発売されたのはもう何年前の
ことだろうか.

私がはじめてみたのはもう10年近く
前だったろうか.
たしか,TVのニュースでイギリスで
話題になっているとのことを知り,
横浜の洋書店で初めてペーパーバック
(もちろん英語版)を見つけたのだった.
そして購入したのだけれど,
その英語版はいまだ読んでいない(笑).

そのうち世界中で大人気ということで,
日本語版の第1巻が発売された.
それはすぐに読んだ(笑).
良くできた物語設定だと思ったことを
覚えている.
しかし実は,第2巻以降は読んでいない.
なぜなんだろう.
自分でもよくわからない.
たぶんあの本の厚さが
生理的に受け付けないのか...

映画も良くできていて,
こちらは第3作まではしっかり観た.
家にもDVDがそろっている.
(そういえば今日は
ダニエル・ラドクリフ君の誕生日とか)
しかし,第4作ともなると,
あの本の厚みが災いして,
とても映画の2時間で
理解できるものではなくなっている.
あれは原作を読んだ人にしか
わからないのではないだろうか.
(もちろん大まかなところは理解できる)

ということで,私は
あまりハリポタには関係なく
生活しているのだけれど,
朝日新聞の記事で,
世相が暗いとファンタジーが流行るという
ことが書いてあってなるほど,と思った.

「指輪物語」や「ナルニア国物語」は
第2次世界大戦後に,「ゲド戦記」は
ベトナム戦争の頃に出されたのだという.
そして,「ハリポタ」は9.11の影響を
強く受けているのではないかとの指摘である.

確かに,世界が暗い話題であふれると
人はファンタジーの世界に
憧れるのかもしれないとは思う.
どこかでバランスをとりたく思うのかもしれない.

実は私は,上にあげたファンタジー物語を
読んだことがない.
(そういえば「はてしない物語」も
後編の途中でとまっている)
どうも私はファンタジーは苦手なようだ.
ドラゴンクエストの世界とも無縁だし.

とすると,私はファンタジーでバランスをとる
必要がない人間なのだろうか.
う~ん,この人生,暗くて辛いことも
数多くあるのだけれどなぁ.

2008年7月22日火曜日

ACアダプタは規格化されないのかな

大学公開時の研究紹介などで,
パワーエレクトロニクス(パワエレ)を
知らない人(高校生とか)に,
身近なパワエレ機器として紹介するのが,
ノートパソコンのACアダプタである.
コンセントからパソコン本体につながる
あの黒い箱である.
紹介して初めて存在に気づくような人もいるけれど,
あの黒い箱がなければ,
ノートPCは動かない.

コンセントに供給されるのは,
日本では100V,50Hzの交流である.
これを適切な直流電圧(例えば19Vとか)に
変換するのが,ACアダプタの役割である.

あの黒い箱の中には,
変圧器や,コイルやコンデンサ,
そしてICなどの半導体部品が入っていて,
それぞれ直流を作るための動作を
行っている.

しかし,あのACアダプタ,
各メーカによって別々の規格となっていて,
共通に使うことができない.
同一メーカにおいても,製品によって
わざと異なるように作ってあって,
共有することは難しいのである.

似たような直流のピン端子ではあるけれど,
微妙に異なっていて,
差し込むことができないようになっている.

簡単に考えると,直流電圧の値(ボルト)と,
出力(ワット)の値さえ合っていれば,
使えそうなものなのに,それができなくなっている.

実は,供給される電力の品質や,
安全回路の有無,その他の設計上の問題があるため,
共通化はされていないらしい.
まちがって別のアダプタをつなぐことによって,
機器の損傷,焼損などの恐れがあるというのだ.

しかし,そんなのは,業界で共通規格を
決めればよいだけのことではないのかと思う.
これが共通化されたら,ユーザはずいぶんと
恩恵を受けるだろうに.

またメーカも小型のアダプタなどを売りだせば,
売上もあがるだろうに,と思う.

ノートPCのカタログに表示されている重さは,
だいたいが本体のみのものである.
実際には,ACアダプタも持ち歩くことが多い.
そして,これが結構重たくてかさばるのだ.

アダプタの規格が統一され,
小型アダプタで製品価値を高めた商品がでたら,
モバイルで仕事をする人は,
争って購入するだろうに.

熱くならないACアダプタというのも
また魅力的である.
(それだけ変換が高効率ということ)

業界でなんとか規格を統一してくれないでしょうか,
とお願いしたい.

2008年7月18日金曜日

祇園祭といえば新選組

昨日は,祇園祭の山鉾巡行だったらしい.
研究室の留学生には,
日本の最も有名な祭りの一つだから,
ぜひ見に行ったらいいと薦めるわりに,
自分では一度も見に行ったことがない.
せっかく近くにいるというのに.
確かにあの人ごみの中へ出かけていくのは
ちょっと勇気がいるけれど,
いつかは必ず,と思っている.

そして,祇園祭の話を聞くと,
新選組の池田屋事件を思い出す.
数年前にNHKの大河ドラマで「新選組!」が
放映されているころに,
こちらに赴任してきた.
せっかく京都に近いのだからと,
その夏に池田屋跡を見に行った.
しかし,そこはパチンコ屋だった.
ただ石碑が立っているだけだった.
それを眺めていたのも私一人.
ちょっと寂しく感じたのを覚えている.

私はそんなこんなで結構新選組が好きなのである.
坂本龍馬信奉者は新選組を嫌う人が多いのだけれど,
私はどちらも好きである.
学生時代,私はそれはそれは小説など
読まなかったのだけれど,
博士課程1年の夏は珍しく
司馬遼太郎の小説を読んでいた.
「竜馬がゆく」である.

研究室の先輩は,
「燃えよ剣」を先に読むか,
「竜馬がゆく」を先に読むかで,
新選組派か龍馬派かが決まるなどと
話していたのを思い出す.
結局,私は「燃えよ剣」を先に読み,
それで新選組ファンになったのだった.
(「竜馬がゆく」で龍馬ファン,
正確には勝海舟ファンにもなったけれど)

なんといっても軍略家としての土方歳三に
魅力を感じた.
新選組は最強の暗殺集団だったのである.
もちろん彼らは天然理心流他の遣い手で,
個人個人のスキルも大変高かったと思われるが,
それ以上に,兵法の専門家でもあった.

たとえば,新選組の兵法にこんなものがある.
まず暗殺のターゲットを
ひとつだけ逃げ道を残して取り囲む.
次に,取り囲んだものたちは同じように
剣をつかって,(たとえば同じタイミングで
振り上げて,同じように袈裟に振り下ろす)
同時に相手に向かっていく.
するとターゲットはたまらず
残された逃げ道の方へ逃げ込もうとする.
その先にあらかじめ複数の新選組隊員を
配置しておくのである.
そしてターゲットを仕留める.

これは,逃げ道を断って仕掛けると,
相手が窮鼠猫をかむということになって,
必死で抗戦し,
隊員にも被害がでる可能性が高くなる.
そこで,わざと逃げさせて,
その逃げてスキが生まれたところを襲うのである.
たいへん理にかなった襲撃方法である.

このように新選組の戦略は
非常に合理的なものであったという.
その戦略を,元はしがない薬売りでしかなかった
土方が考案したものであるというところに
魅力を感じる.
太平の世を謳歌していた旗本ぐらいでは,
そのような兵法を思いつかなかったのではないだろうか.

彼は五稜郭にいたるまで,
剣士としてよりもむしろ兵法家として活躍する.
そして生粋の武士よりも
よほど武士であった土方は,
ひとつの私の憧れである.

2008年7月17日木曜日

「考える」ということの解釈

またまた小林秀雄の講演の中からのお話.

「考える」ということはどういうことか.

という聴衆からのたいへんな質問に対して,
小林秀雄は本居宣長の解釈を紹介している.

「かんがえる」は
「かむかえる」と考える.
「か」は意味はない.
(たぶん接頭的な語?)

「むかえる」と「み・かえる」と解し,
「かえる」は「かう」ということであるとする.

「み」は我が身ということであり,
「かう」は「交わす」ということである
というのが宣長の解釈らしい.

すなわち,「考える」ということは,
その対象と自分が交わる,
それほどまでに思うということだとしている.

したがって,「客観的な観点」という言葉は,
本来「考える」ということにそぐわない.
「考える」というのはあくまでも
個人的な行為だというのである.

この解釈がそのままとはいわないけれど,
考えるということは,対象と深く交わることを
意味するという主張には,
いろいろと深い示唆が含まれているような気がする.
「考える」ということを
もう少し深く考える必要がある.

2008年7月16日水曜日

対局という芸術作品

昨晩はNHK番組の
「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観た.
観ることができるときには,
いつも観ている.

昨日は,将棋界の実力者,
森内俊之さんと羽生善治さんが招かれて
先ごろ終了した名人戦を中心に
番組が構成されていた.
(結果は羽生さんが名人位を4勝2杯で奪取)

お互い37歳で同い年.
小学校4年の時に初めて対戦してから
(そのときの対局を二人とも
覚えているのだからすごい!)
27年間,良きライバルとして
競い合ってきたということらしい.

番組で紹介された名人戦の様子は,
本当に緊張感が感じられ,
まさに息詰まるものであった.

二人のインタビューの中で印象に残ったのは,
名人戦の対局中であっても,
相手が指した良手に思わず
感心してしまうのだということ.
自分はその手を指されて困っているのだけれど,
それとは別に,「すごい!」と素直に
思ってしまう棋士としての性に,
私も感心してしまった.

そして対局というのは一種の芸術作品なのだと
つくづく思った.
名人戦ともなればその作品の記録は
後世に長く,広く伝えられる.
その鑑賞に耐えうる対局を行うことが
棋士としての本望なのだろうと思う.

しかし,そこで大切なのは,
対局は二人で行うものであるということ.
決して一人が優れていれば,
その作品が素晴らしいものに
なるというものではない.
対局する二人の実力が非常に
高いものであるからこそ,
そして新しいものに挑戦しようという心を
お互い持っているからこそ,
その戦いは芸術の域まで高められるのである.
そして,森内さんと羽生さんは,
この時代に良きライバルを得て,
それを実現できる立場にあったのである.
なんと幸福なことだろう.

ふたりはあえて新しい対局を創ろうと
していたことが番組から伺えた.
自分たちが道を切り拓いていくことに,
棋士としてのプライドがあるのだと思う.

ふたりが共有する世界は,
私のような凡人からは少しも
想像できないものであろうが,
そうした世界に私は憧れる.
そしてそうした世界を築いてきた二人を
うらやましく思う.
私のこれから残された人生に,
そうした世界を構築する機会はあるのだろうか.
常人を越えた努力の先にその世界があるのは
間違いないが,私も少しでもいいから
近づきたいと思ったのである.

#番組内,名人戦の記録係(?)の人が
なんと居眠りをしてイビキをかいてしまい,
そのイビキの音に対戦中の二人が
思わず笑ってしまうというシーンがあった.
お互い,笑顔に笑顔を返す場面.
非常に魅力的に感じた.

2008年7月15日火曜日

血液型性格判断ブーム?

本年の上半期の書籍の売り上げの
リストを見て驚いたのは,
血液型と性格に関する本が
上位に入っていたことである.

また血液型による占いや
性格判断が流行っているのだろうか.

まずはっきり言っておくけれど,
私は全く信じていない.
血液型と性格に相関があるだなんて,
確たる証拠を示した論文があるのならば,
ぜひ教えてほしい.
否定する論文であれば
数多く見つかるだろうけれど.

しかし,そうした血液型と性格の話を
理工系の学生ですら平気で話しているのだから,
本当に腹が立つ.
"遊びで","しゃれで"といっているけれど,
実際には彼らはずいぶんとその考え方に
影響を受けているように感じられる.

「OOO君って,もしかしてA型?
...
やっぱり~.
だって,几帳面そうだし~」

みたいな会話をしている人を見ると
吐き気がするくらいである.

私は,講義の中の雑談で
この血液型の話をすることがある.
血液型は,世界の各民族によって
偏っていたりするのだ.
たとえば,インディオに対する血液型調査では,
サンプルのほとんどがO型だったという.
じゃぁ,全員がみんな同じ性格なのか?
と学生に尋ねてみる.

(以前,こうした質問をしたら,

「あ~,だからその民族の人は
みんなおおらかな性格なんだ」

などと答えた人もいて
がっかりしたこともあるけれど)

ただ,ややこしいのは日本で血液型と
性格の統計をアンケートなどを行って
統計をとれば,A型は几帳面,B型は
気まぐれ,O型はおおらか,AB型は
多人格的などという結果が出てしまう
かもしれないということである.
いつも周りでそのようなことを
見聞きしているので,
血液型で規定される性格であると
思い込んでいるのである.
ほとんど洗脳されているようなものである.

学生たちは,"しゃれ"や"遊び"だから
いいじゃないか,などという.
しかし,そうはいっていても,
世の中にはそうした誤解が偏見を生み,
思わぬ差別を引き起こしていることも,
よく知っておかなければならない.

血液型によって人を判断するということに
そうした影の存在を感じないのだろうか.

現在のスピリチュアルブームだって同じである.
生まれ変わりを信じ,過去のカルマがあるから
現生が苦しいのだ,それが修行なのだという.
しかし,生まれながらにして,
そうした境遇が決まっている
ということであるならば,カースト制度と
同じではないか.
そうしたカルマから救ってやることが
彼らのためであるということで,
殺人を犯した(ポアした)のが,
あのカルト教団ではなかっただろうか.

私はこうしたことを簡単に信じてしまう,
現在の若者の在り方を
むしろよく考えるべきだと思う.
またあの過ちが繰り返されるのではないか,と
心配してしまう.
なぜ彼らはそうした考えに陥りやすいのだろうか.

疑似科学,迷信などは,
それ自体の研究も面白いけれど,
むしろそれに踊らされる人間の心理の方が,
よほど研究対象として面白いのではないだろうか.

不思議なことは不思議なこととして
謙虚に受け止めてよく考察する.
その態度が大事なのであって,
盲目的にそれを信じることの過ちを
よく反省すべきではないだろうかと思う.

2008年7月14日月曜日

文字と記憶力

相変わらず小林秀雄の講演を聴いている.
やっぱり面白い.
彼が残した文章とは異なり,
明快な話しぶりに思わず引き込まれてしまう.

この講演の中で,
プラトンの「パイドロス」に言及している
箇所があった.
(講演では,小林が「諸君の中に,
読んだことがある人はいるか?」と
聴衆に向かって尋ねている.
一人くらいは手を挙げた様子.
残念ながら私は読んだことはない)

その中でソクラテスは,エジプト神話の話をひいて,
彼の「文字」に対する考えを述べている.

古代エジプトで,田舎の神がいろいろと発明をする.
その中の一つに「文字」があった.
これを都の神のところへ持って行って
自慢したのだという.

この「文字」さえあれば知識を蓄えることができ,
大変便利なものである,と.

しかし,その都の神は,

そんなものができれば,人々の記憶力は
悪くなってしまうではないか,

と言ったのだというのである.
ソクラテスは,文字というものがあっても,
そこに蓄えられるのは知識であって,
智慧ではない.
本当に智慧のある人たちが増えるわけではない,
と思っていたと小林秀雄は注釈している.

そして,小林は本居宣長の著作にも
同様の記述がある,と紹介している.

古事記などは,文字がない時代のもので,
文字を使っている私たちの時代から見れば,
いろいろ思うところがあるけれど,
文字が無い時代にあっては,
文字が無いことが当たり前で,
それで用は足りていたのである.
そして,ものを覚える力が
良かったはずである,みたいなことを
宣長は書いているらしい.

このソクラテスと宣長の共通性を
小林は興味深く思い,
講演で紹介している.

多くの知識を蓄積することができたとしても,
それは単に「ものしり」を増やすだけで,
智慧がつくわけではないと喝破しているのである.


最近,私は物覚えが悪く,
常にメモを愛用している.
どの仕事術でもメモの多用を進めている.
ある仕事術では,
「ユビキタス・キャプチャ」と称して,
トイレや風呂の中でもメモを取ることを
奨めている.
(確かにそうしたところでアイデアが
浮かぶことも多いのだけど)
とにかくメモを取り,文字にして残す.
それを心がけている.

さて,その私が上記の講演を聴いて思ったのは,
メモを取ることは,
本当に脳にとって良いことなのか,
それはわからない,かもしれないということである.

メモを取ることによって,脳は些細な事柄を
数多く覚えておかなければならないという
負荷から解放される.
その低減された負荷の分をより創造的な
活動に割り当てればよいというのが,
多くの仕事術の考え方なのだけど,
果たしてそれは記憶力の低下を
促進していないか少し不安になってきた.

以前よんだ,「『頭がいい』とはどういうことか」
という本の中で,IQが非常に高い人の言葉として
紹介されていたのは,頭の働きを良くするためには,
ノートを取らずに頭の中ですべてを処理する,
ということだった.

う~ん,そうかもしれない.
しかし,そうかもしれないけれど,
現在の私が処理しなければならない事柄は
頭の中ですべてを覚えるには容量が大きすぎる.
やはりメモに頼らなければやっていけないなぁ...

とはいえ,「ものしり」では困る.
メモはあくまでも知識であり,
それを使いこなす智慧のレベルまで,
頭を鍛えなければならない.

そして,そうした洞察力などは
鍛えることができる,と小林秀雄は言っているのである.

2008年7月11日金曜日

耳の遠さと補間法

最近,耳が遠くなったのか,
人に言葉を訊き直すことが多い.
あまり頻繁に聞くと失礼にあたるので,
申し訳ない気持ちになることもしばしばである.

歳のせいか,
はたまた携帯プレーヤのせいか,
とにかく昔に比べると,
耳の感度が落ちているようだ.

英会話だとそのことがはっきりわかるのだけれど,
実は私たちは,会話のすべてを
聴きとっているわけではない.

重要な単語を聴きとって,
(その反対にいくつかの助詞などを聴き落として)
その意味を無意識に推測して,
そして会話を頭の中で再構成していることが
多いのである.

逆に,すべての単語を聴きとらなければ
意味がわからなくなってしまうのであれば,
日常会話に不便をきたすだろう.

特に英語だと,Reductionなどが平気で
発生するから,単語自体の聞こえ方が
変わってしまう.
それでも会話が成り立つのは,
脳がその間を埋めて推測しているからである.

これはちょうど,データ解析などにおける
補間と同じようなものだといえる.
補間というのは,離散的な(とびとびの値の)
データとデータを
なめらかな曲線(あるいは直線)などで
補うことである.

私たちは日常的にデータ補間を行っている.
たとえば,2台の自動車が走っていて,
時刻0秒でその2台の距離が0m,
時刻2秒で2m,4秒で4mだったとする.
では,時刻1秒ではその距離は何mだったか,
などという計算を無意識に行っている.
脳は,時刻と距離の関係が比例であると推測して,
1秒では1mであろうと計算するのである.

このように得られたデータの間を推測する方法を
内挿といい,例えば時刻6秒における距離を
推測する方法を外挿という(6秒は得られた4秒までの
データの外側にあるから).

これと同様のことが会話の中でも行われている.
A,B,Cというフレーズをある人が話したとして,
Bが聞こえにくかったとする.
それでも,AとCのフレーズからBを推測することが
できるのである.
たぶん私たちの日常会話では,
このような補間が頻繁に行われているものと思われる.
(ただ,会話は物理法則などによって行われないので,
間違った推測をしてしまうこともしばしばである.
その結果,誤解が生まれてしまうことも多い)

さて,私の耳が遠くなった話に戻ると,
最近特に学生の会話が聞き取れなくなったと感じる.
この補間がうまくいかないのだとすると,
学生たちの会話をうまく推測できないということになる.
すなわち,学生たちが何を話すか予測できないのだ.
やはり世代の差なのか.
彼らの考えが予測できなくなっている以上,
私の会話の推定精度が悪くなってしまうのも仕方がない.
そして彼らに「えっ?」と会話を訊き直してしまうのである.

2008年7月10日木曜日

快適性と省エネ

歌手のマドンナが来日したとき,

"暖められた便座が恋しくて,
また来日した"

などとインタビューで答えているのを見て,
思わず笑ってしまった.
確かに,これほどまで便座が暖まっている
トイレが普及している国は,
日本くらいのものなのかもしれない.

この便座を温める機能には,
それなりに電力を使っている.
全国でその電力を積算したら,
結構な値になるだろう.
これを省エネしたら,とは
すぐに思いつくのだが,
人間は快適さに慣れるとそれがなかなか
実行できないという話をしたい.

大阪大学の辻教授のグループでは,
以前,家庭内にエネルギー消費情報提供システム
(つまり,どれだけどの電気機器が
電力を消費しているか,が表示される機械)を
設置することによって,どれだけ
省エネ行動が促進されるかという研究を
行っている.

設置された家庭では,
それなりにテレビやホットカーペットなどの
電気機器の使用を控えたり,
非使用時にはコンセントを抜くなどして,
省エネ行動が誘発されることがわかった.
それはそれで素晴らしい結果なのだけれど,
便座のコンセントについては,
面白い結果が得られている.

最初,情報提供システムが設置されてしばらくは
高機能便座(ヒーターや温水シャワー)の
コンセントは夜中や外出時に抜くと行動が見られた.
しかし,数週間後にはコンセントが抜かれている時間が
減少してしまったのである(1).

論文中では,面倒くささが原因ではないかとしている.
しかし,そうだろうかと私は疑っている.
測定がなされた1~3月の寒い時期に,
便座が冷えていることに住民は耐えられなかったのではないか,
と思うのである.

実は我が家でも,省エネのために便座のヒーターを
切っていた時期がある.
しかし,結局は家族の不満が高まり
ヒーターを常時つけておくことになってしまった.
結局のところ,一度経験してしまった快適さを
人間は忘れづらいのである.
なんといったって,マドンナがたまに来日して,
便座のことをインタビューに答えているくらいなんだから.

こう考えると,快適さや便利さを犠牲にして
省エネを行うというのは,大きな困難が伴うということが
実感を伴って容易に予想されるのである.

省エネ,省エネといってはいても,
生活が不便になってしまうのであれば,
その省エネ行動は長続きしないのである.

快適性,便利性を無駄にしないで省エネを行う.
それが解決法である.
そしてそれを実現するのが,
パワーエレクトロニクスをはじめとする技術なのである.
(たとえば,松下電器は瞬間的に便座を温めるヒーターを
用いた製品を開発し,省エネを実現している)
人間は,一度挙げた生活レベルを下げることは
なかなかできないものなのである.


(1)上野他:「実測に基づく住宅用エネルギー消費情報システムによる省エネルギー効果(その2)」,エネルギー・資源,Vol.25, pp.51, 2006.

2008年7月9日水曜日

小林秀雄を聴く

最近,オーディオブックで
小林秀雄の講演を聞いた.
これがすこぶる面白い.

少し前から,ネット上では一部
話題になっていたが,
その評判どおりに面白い.

新潮社のCDブックでは
小林秀雄の講演集は全部で7巻.
それを猪名川町立図書館に
希望を出して購入していただいた.
本当にありがたい.

話題の発端は,どうも
茂木健一郎氏の著書にあるらしい.
小林秀雄の講演は,
まるで志ん生の落語を聴いているように
話術に優れていると紹介されている.

以来注目が集まって,
あちらこちらのブログでも
取り上げられている.

ネットの検索では,
小林秀雄の講演集というキーワードで,
公立図書館の予約状況なども,
引っ掛かったりするのだけれど,
そこでも予約待ちの状態が多い.
(猪名川図書館でもたぶん,
そのうちにそうなるはずです.
猪名川図書館さん,買って損は
なかったと思います!)

ということで,特に最近,
注目の講演だったりする.

まず,第1巻「文学の雑感」を
聴き終えた.

聴いてみて,まず小林秀雄の甲高い声に驚く.
もっと重厚な声を想像していた.
その予想は裏切られ,
彼は高い声で,リズムよく言葉を区切って,
話していく.
口調も幾分早口で,
ちょっと短気そうな,
それでいて物分かりの良さそうな
お爺さんという印象である.

しかし,話は明快に進められ,
すごくわかりやすい.
私が高校生の頃は,
大学入試に出題される文章のトップ3に
いつも小林秀雄の作品があった.
彼の文章は難解で,
かつ彼が言わんとしていることも
形而上学的な思索の結果であることが多く,
私は正直苦手としていた.
最近,「モオツァルト,無常ということ」を
読みなおし,ようやく少し理解できる,
という程度である.
(まぁ,最近になって富岡鉄斎などの作品も
知ったくらいなので仕方がないかも)

一方,講演での彼の論は,
私たちの日常生活の実感から
容易に(そうでもない?)理解できるものであって,
耳からすいすいと彼の言わんとしていることが
頭の中に入ってくる.
このように著作も書いていてくれればよかったのに,
と思ってしまう.

それでいて,もちろん鋭く印象深い言葉も
数多く出てくる.

「常に時代を風靡しているのは迷信です.
僕らも迷信の中にいるのです」

この言葉などは,現在世の中を風靡している
「科学」という方法論について述べたものである.
彼は「科学」とは哲学や思想ではなく,
方法論であると喝破している.
科学は大切ではあるが,
私たちの生・経験を説明できるものではない,というのが
彼の考え方だったようだ.
...いろいろ考えさせられる.

第2巻ではユリ・ゲラーの話が出てきて,
これまた本当に面白い.
小林秀雄もユリ・ゲラーのテレビ番組を
仲間たちと見ていて,彼自身が持っていた
壊れた腕時計が動き始めた,という話をしている.
(ついでに一緒に見ていた人の壊れた腕時計も
一緒に動き出し,またスプーンも曲がったとか)

こうした問題に対し
つい私たちは,科学的思考によって,
それが本当か,嘘か,との単純な問題に
すり替えてしまいがちだけど,
それでは私たちの直観的な経験は説明できない,と
述べている.

この講演当時の社会における,
この念力に関する批評についても,
嘲笑するか,あるいはまるでスポーツ観戦のように
取り上げるかの2種類しかない,と
その浅薄さを嘆いている.

私たちが生きている現在の状況も
全く変わっていないことに気づく.
彼はその変わらない本質をついている.
彼の論説の価値はいまだ変わらず高いのである.

この講演のCD,
私のように小林秀雄の著作を苦手に思う人にも
ぜひ一聴をおススメする.
もっともっと多くのことに気づき,
いろいろなことを考えることの良いきっかけになる.
そして,小林秀雄の存在が
ぐっと身近に感じられるはずである.





(ついでの話1)
この講演は,まず小林秀雄を司会が紹介し,
次に聴衆に対して司会が「起立,礼,着席!」と
号令をかけることから始まる.
こんな光景,今じゃありえない.

(ついでの話2)
小林秀雄の聴衆への語り口も面白い.

「君たちは~を知らんだろう」
「諸君,これがどういうことだかわかるか?」

などと現在では考えられない言葉づかいである.
今では学生たちに対してもこんな言葉は使わない.
昔は講演者が偉かったのだなぁと思う.
(もちろん,小林の語り口はこうしたものであっても,
非常に親近感が持てる,暖かいものなのだけれど)

2008年7月8日火曜日

オーディオブックのススメ

最近,オーディオブックが一部で
話題である.
オーディオブックというのは,
読んで字のとおり,
本の朗読や講演,英会話などが
録音された媒体である.
昔は媒体はカセットテープばかりだったけれど,
最近はCDの他,
デジタルオーディオプレーヤーの普及もあって,
手軽にmp3などのファイルもダウンロード
できたりするようになった.

海外の書店に行くと,
一角にオーディオブックコーナーというのが
大概設けられていて,
いろいろな俳優の朗読による名作の録音が
並んでいる.
日本ではこれまであまり普及してこなかったけれど,
最近は,一部の仕事術でも取り上げられていて,
あちらこちらで話題が盛り上がりつつある.

私のデジタルオーディオプレーヤーの中にも,
音楽やラジオのPODCASTの他に,
英会話のテキストなどが入っている.
お酒を飲むような機会がある場合には,
車を使わず電車を用いるので,
その通勤時間に聴くのである.

昨日も電車で通勤したのだけれど,
そのときは小林秀雄の講演を聴いていた.
近所の猪名川図書館に二度ほど希望を出して,
小林秀雄の講演集のCDを
とうとう購入してもらったのである.

猪名川図書館は地方の図書館としては,
非常に素晴らしいもので,
所蔵冊数もそれなりにある.
一時期は,日本で一番貸出数が多い
町立図書館だったこともあるらしい.

猪名川図書館には,これまでにも,
たぶんボランティアの方々が
吹き込んだと思われる名作のカセットテープが
並んでいたのだけれど,
こうした講演集の録音は無かった.
小林秀雄や三島由紀夫,司馬遼太郎,
城山三郎,井上靖などの講演は
やはり文字ではなく,録音で聴いてみたい.
そうした希望を2度にわたって図書館に出したところ,
ありがたく採択されてこのたび配架されたのである.

先にも書いたとおり,
ポータブルデジタルプレーヤの普及によって,
あらゆるところでこうした講演を聴くことが
できるようになった.
通勤時間も有効な楽しみの時間である.
聴くのが音楽だけではもったいない.
もっともっといろんな情報に触れることができるのだ.
それをみなさんにもお勧めしたい.

小林秀雄の講演は大変面白く,
この件については機会をあらためて,
またご紹介したいと思う.

2008年7月7日月曜日

クールアースデーと電気代の節約

最近になって,今日七夕が
クールアースデーとなっていることを知った.
私も知ったのが本当に最近だったので,
一般的には認知率が低いのだろうと思っていたら,
今朝には,うちの子供たちが
今日のライトダウン運動の話をしていて,
大変驚いた.
今朝からニュースでもずいぶんとこの話題が
されているけれど.

今日の20:00~22:00は,
なるべく照明を落とし,
夜空の星をみて,自然環境と
省エネについて考えよう,ということらしい.
(意図を理解していないかも)

地球温暖化に対する施策については
いろいろ思うところはあるのだけど,
世の中の多くの人の関心が
自然環境の保護や省エネに
集まるのは大変よいことだと思う.

もちろん,照明を落とすというのは,
考えるきっかけを作るためであり,
それが直接省エネにつながるということではない,
という意図なのだろうけど,
実は,意外に家庭においても照明による電力消費は
ばかにならない大きさなのである.

電気事業連合会のWebページによれば,
家庭において照明の電力消費が占める割合は
2002年度で15.6%である.
と,パーセンテージで言われても
ピンとこないかもしれないので,
お金に換算する.
すなわち,1か月の電気料金を1万円としたら,
そのうちの1560円は照明代に払っているのである.
こう考えると,なんか節約しようと
思ってくるでしょう.

テレビには950円,エアコンには2450円,
冷蔵庫には1580円それぞれ支払っている.
1か月の電気料金が2万円の人は,
それぞれを2倍した値となる.
(もちろんこれはあくまでも平均で,
たぶん西日本の家庭においてエアコンの
使用電力量の割合は,東日本のそれに比べて
大きいことは容易に予想できる)

どうです.
節約の基本は,お金に換算することなのかもしれない.
お金という身近な尺度に置き換えて考えると,
急に節約しようという気になってくるでしょう.
人間はゲンキンなものである.

だからCO2を何kg削減などという目標は
どうも身近に感じにくい.
いっそ,「各家庭で電気代を~円節約しよう!」
というキャンペーンにしてはどうだろうか.

電気代とCO2の排出量が比例関係にあるとすれば,
-13.1%のCO2削減を目標とすると,
(-6%+1990年からの増加分7.1%)
1か月の電気料金が1万円家庭において,
月々1310円の電気代の節約を目標にすればいい.
年間で16000円近くの節約である.
なにかやる気が湧いてくる.
やはり主婦には,お金で目標を示すのがいい.
(ただ,電力会社は軒並み10%以上の減収になるだろうが)

私もお金で電気の節約を考えてみようと思う.
このような考えに至っただけでも,私にとって
クールアースデーの意味はあった.
七夕のロマンチックな伝説とは
ずいぶん遠く離れているけれど.

2008年7月4日金曜日

この不条理な世界

先日のギリシャ出張の際に
機内サービスで観た映画の話.

"No Country for Old Man"

コーエン兄弟による
トミー・リー・ジョーンズ主演の
映画である.
どうもアカデミー賞も何部門か
受賞しているらしい.
そんな受賞の話などは
知らなかったのだけれど,
この出張で観た映画7本の中で
これが最も面白かった.

まさにこの世は不条理である.
そうした世界が描かれている.
救いは全くない.

しかし,登場人物らは
非常に魅力的で,
悲しいかな,ほとんどの人物に
Bad Endが訪れるのだけれど,
それでも誰からも目が離せない,
そんな映画になっている.

ダーク・ヒーローとして
不気味な殺し屋シガーが登場する.
これがまた魅力的で,
彼の行動原理は理解できるような,
できないような,
そんな感じなのだけれど,
とにかく納得してしまう.

主人公の老保安官のトミー・リー・
ジョーンズも結局最後に
引退を決意する.
古き良き時代の話は,
今や昔話にすぎないことを
いやというほどこの事件で知るのだ.

映画のエンディングも
突然に訪れる.
「えっ?これで終わり?」
と思ってしまう.
しかし,その最後は今も心に残っている.

すべては不条理なのだ.

結局のところ,映画というものは,
ハッピーエンディングでなくてはならない,
というものではない.
救いがなくてもいいのである.

感動とは,どれだけ心の中に
その作品がひっかき傷をつくるか,
その傷跡を残すかだ,という話を聞いたことがあるが
まさにこの映画はひっかき傷を心の中に残す.

はっきりとしたメッセージは無いけれど,
感動は残った.
ひとにおススメしたいのだけれど,
やっぱり少しためらってしまう.
で,結局このブログで書いてしまったわけである.

2008年7月3日木曜日

宇宙時代は核融合 (世界の核融合リンクつき)

電力工学の講義では,なぜか私が
核融合について話すことになっている.

核融合には物理的な側面と
工学的な側面がある.

物理でいえばプラズマ.
電磁気学を駆使することになるし,
波や光や粒子,最近では複雑系みたいな
ことも話題になっている.
プラズマ物理は大変面白いらしい.

一方,工学でいえば,
超伝導,ビーム,電磁波,超高熱,材料.
すべてが最先端の技術である.
ずいぶん難しい.
ただし,だからこそ大変面白い.

たとえば電源システムとしても,
巨大な電力を制御するという観点で
非常に興味深い.
そんな巨大な電源システムは,
核融合か加速器か,
いずれも物理試験装置でしかない.

これらすべての話をすることは難しい.
今回は,核融合の原理,方式,
発電のしくみなどの説明がメインである.

それでも学生たちは核融合と聞くと,
興味深く聴講してくれるようである.

核融合というのは,夢のエネルギーである.
だから実用例がない(軍事的応用を除く).
講義に使うため,核融合を使っている例を
ネット上で探してみると,

・ 映画"Back to the Future"のデロリアンの動力源
・ 「スパイダーマン2」のタコ博士の動力源
・ 「機動戦士ガンダム」の動力源
・ 「鉄腕アトム」の動力源
・ "Star Trek"などなど

結局,SFの中でしか出てこない.
まぁ,現在研究開発中の技術なのだから仕方がない.
ただ多くの人が,未来のエネルギーは
核融合だと思っているということは
良くわかった.

地球上だけでなく,
宇宙でも人類が活躍するころには,
たぶん核融合が主力なのだろう.
その未来のために,
多くの学生たちに核融合に興味をもって
もらいたいと願っている.

■世界の核融合のリンク
日本原子力研究開発機構(JAEA) 核融合研究開発部門 (トカマク)
http://www.naka.jaea.go.jp/

自然科学研究機構 核融合科学研究所(NIFS) (ヘリカル)
http://www.nifs.ac.jp/index-j.html

ITER機構(トカマク)
http://www.iter.org/

EFDA JET (欧州共同体)(トカマク)
http://www.jet.efda.org/

KSTAR (韓国)(トカマク)
http://fusion.gat.com/global/KSTAR

EAST (中国)(トカマク)
http://www.ipp.ac.cn/ENGLISH/research/EASTmain.htm

SST1 (インド)(トカマク)
http://www.ipr.res.in/sst1/SST-1.html

ASDEX,WENDELSTEIN 7-AS (欧州)(トカマク,ステラレータ)
http://www.ipp.mpg.de/eng/index.html

*核融合科学研究所ホームページ内のQ&Aのコーナーには,「ガンダムのエンジンに核融合炉が積まれているけれど,それが可能か」などという一般の方からの質問への回答が載っています.SF好きの方はどうぞ.


2008年7月2日水曜日

夏かぜをひく

夏かぜをひいたらしい.
出張の疲れが出たのか,
あるいは最近の朝晩の気温差に
身体がついていかなかったのか.
おとといあたりから本格的に
しんどくなってきている.

しかし,近年は大きな風邪を
ひくことがずいぶんと少なくなった.
前の職場にいたころは,
熱がすぐに上がって,
研究所を休むこともしばしばだった.

身体が健康になったから,
というわけではあまりなく,
たぶん身体が鈍感になったから,
というのが本当の理由のような気がする.
結局は年齢の問題だ.

若い頃は,身体の反応が良く,
ウィルスが体内に入れば,
すぐに熱が上がっていたような
気がするのだ.
それが,身体が鈍感になって,
反応がなくなりつつあるようだ.

風邪をひかなくなってよいではないか,
という話ではない.
そのぶん,たまりたまって,
大病をするということになる.
風邪をちょくちょくひいていた方が,
意外に健康のために良かったりするのでは
ないだろうか.

整体界の巨人,野口晴哉氏も言っている.
風邪は身体や生活のゆがみを正すために
起こるものである.
そして風邪は,治すものではなく
ただ経過するものであると.

2008年7月1日火曜日

アメリカ大統領はヒーローでなくては

この前のギリシャ出張では,
飛行機上にずいぶん長い時間いたので,
機内サービスの映画をずいぶんと観た.
合計7本かな.
最近は映画館にも足を運ばないし,
自宅でもDVDなどをほとんど観ないので,
エコノミークラスのつらい体勢ながらも,
たいへん楽しむことができた.

その中の1本に
"VANTAGE POINT"とタイトルがあり,
これがもうアメリカ映画そのものといった
感じだった.

ストーリーは,アメリカ大統領が
スペインで開かれる中東を含めた
平和サミットで演説途中に
狙撃されるという話である.
会場は爆破され,犯人は逃亡する.
観客はこの場面を8人の異なる視点から
繰り返し観ることになる.
SP,サミットの見物客,テロリスト...
視点を変えていくうちに,
事件の全貌が少しずつ明らかに
なっていくという趣向なのである.

正直,5回目位になると,
"また,始めからか..."などと思ってしまうが,
少しずつ謎解きがちりばめられているので
それなりに楽しめる.

内容は詳しくは明かせないが,
この映画で思ったのは,
いかにもアメリカの
典型的なストーリであるということ.
すなわち,一人の過去に傷を持った初老のSPが
(これがハードボイルド)
超人的な能力を発揮して事件を解決してしまう.
こうした設定は,クリント・イーストウッドの
映画によく見受けられるようなものだ.

そしていかにもアメリカ的なのは,
大統領が強い,ということ.
アメリカ国民が描く大統領の理想像というのは,
ずいぶんとヒーローであるらしい.
今回もテロリスト相手にひと立ち回りする.

このアメリカにおける大統領びいきというのは,
伝統的で,根強いものなのだろうかと思う.
一緒にみた,
"National Treasure: Book of Secret"
(ニコラス・ケイジ主演)
でも,大統領が出てくるのだけれども,
これがなんとも物分かりがよく,
ヒーローとして描かれているのだ.

そう考えると大統領がヒーローである映画は
結構ある.
「エア・フォース・ワン」でもそうだったし,
「インデペンデンス・デイ」なんかでは,
戦闘機に乗ってエイリアンと闘ったりなんかする.
強くなければ,アメリカ大統領には
なれないらしい.

ひるがえって,日本を見てみると
総理大臣がアクションを演じるなんて考えられない.
そもそも,そんなシチュエーションがないだろうし.
想像できるのは,だいたいが
自己の保身に右往左往するような総理大臣像である.
(あるいは腹芸に長けた政治家か)

日本人は総理大臣にヒーローを
求めていないようである.
(私は見ていないのだけれど,
キムタク主演の「Change」は
大臣がヒーローなのだろうか?)

逆に総理大臣が大暴れしたら,
日本は困るのだろうなぁ...

この"Vantage Point"
日本では,単館上映らしい.
DVDは発売されるらしいので,
興味のある人はどうぞ.

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