2021年7月15日木曜日

停電が復旧するときには

 昨日の夕方,大学の上空が厚い雲に覆われ,酷い雷雨に見舞われた。連続的に雷光と雷鳴が鳴り響き(決してヨハン・シュトラウスの「雷鳴と電光」のように気持ちのよいものではない),ガラス窓がぶるぶると震えていた。

ひどい天気だなぁ,と思いながらもPCに向かっていたら,プツッと突然暗くなった。そして静寂。雷のために停電したのである。すぐに復旧するかと思ったらなかなか復旧しない。私はPCのデータを心配した。

実は夕方から私がホストとなってオンライン会議をする予定だったのだけれど,停電で始めることができなかった。まぁ,なんとかノートPC引っ張り出して,スマホのテザリングでネットにつないで40分ほど遅れて会議を始めることができたけど(デスクトップPCの中にあった会議資料は使えずじまいだったけど),とにかく大変だった。電気がないと本当に困る。

会議後しばらく研究室の学生と,薄暗くなっていく部屋の中で電気の復旧を待っていたのだけれど,そこで私が驚いたことは,学生が

「停電から復旧するときって,どんなふうになるのかな」

という話をしたことである。「いや,普通に電灯がつくだけだけれど」と答えたのだけれど,そうなのだ,学生たちはめったに停電を経験していないから,復旧の瞬間どうなるのか知らないのだ。そのことに私は感動した。それだけ日本の電力会社は素晴らしい。まあ,北海道出身の学生は数年前のブラックアウトを経験しているから動じていなかったけれど。

結局,復旧には3時間ほど要したらしいのだけれど,どんどん暗くなっていく中で仕事もできないので昨日は早くに帰宅した。自宅は全然電気に問題なし。早く帰宅したことに少し罪悪感を感じながら,昨晩はゆっくりとすることができた(とはいっても20:00頃の帰宅だったけれど)。停電もたまにはいいかもしれない。




2021年7月1日木曜日

西洋人の幽霊には仏教のお経は効かないのか

 一体,幽霊はいるのかどうか。

個人的には存在してほしいと思うのだけれど,残念ながら今のところそうした証拠はないようである。しかし,幽霊は私たちの頭の中に存在する,となると,その存在はかなり可能性が高くなると思われる。

私たちが脳内で幽霊のイメージを構成するのである。他人には認識はできないけれど,イメージを脳内で構成している人にとっては,その幽霊は現実となんら変わらない存在である。すなわち,会話もできるし,私の心身に影響を及ぼすことも当然できる。そうした幽霊は物理的ではないのかもしれないけれど,確かに存在し,私たちの心身の健康を害すことも可能なのである。

幽霊がそのような存在であるならば,それを形作っているのは私たちの顕在意識の知識・経験と,私たちがその存在さえ認識できない潜在意識下の経験・知識である。それらを材料として,幽霊は構成されている。いや,私たちの心が自律的に構成しているのだ。

私たちが作り上げた幽霊なのだから,それは私たちが考えるルールに従っていると考えられる。幽霊が瞬間移動したとする。私たちはそんな動きは思いもかけないというかもしれないけれど,実は無意識はそうした動きを肯定しているのではないだろうか。幽霊はそういう動きをするものだと,幼いころから無意識下に思い込まされているのではないだろうか。そうした洗脳は日本文化の中で生きているのだから仕方がない。幽霊とは物理法則に従わないものだと心のどこかで思っていて,その無意識が「こんな動きをしたら怖いだろうな」と思ったら,あなたの頭の中の幽霊もそのように動くのである。だから怖いのである。

西洋の幽霊があなたの頭の中で構成されたとする。彼(彼女)には,お経が効くだろうか。

それはあなたの知識と経験次第なのではないだろうか。あなたが心のどこかで(無意識で),どんな幽霊にもお経は効果があると思っているならばお経は幽霊に効くだろうし,日本語がわからなそうだからお経は効かないだろうと心のどこかで思っているならば,効かないことになるだろう。夢の中を支配するルールと同じなのではないだろうかと思う。

だから,つきぬけて楽天家の人の幽霊は怖くないのかもしれない。どんな幽霊が出てくるのか,それは私たちの心の状態を映し出す鏡になるのだろう。

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(3)~刀剣乱舞~

 以前、京都の名刹「大覚寺」を訪れたときに、玄関に男の子のポップが立っていて大変に驚いた。だって、「大覚寺」みたいに格式の高い寺社にアニメのポップが立っているなんて!ご朱印帳も以下のとおりである。 御朱印帳も膝丸エデション 「霊場」という言葉に不似合いな感じもするけれど... で...